すぐにでもルーピン先生に会いに行くのかと思ったが、ハーマイオニーが頑強に「ルーピン先生にアポイントを取ってからじゃなきゃダメ」と言い張るので、そちらは中断している。
「『黒いの』に会ってみようかしら」
呟くと、ダメ! と鋭い声が飛んできた。ハリーだ。
「ハリー?」
「ダメだよ、レン。それだけはダメだ」
「どうしてよ。わたくし、ちゃんと変身して」
いいかい、とハリーがレンの前に座り込んだ。「スキャバーズか『黒いの』か、どちらかがシリウス・ブラックなんだ! それを確かめもせずに飛び込んじゃダメだ」
ひょい、とソファから持ち上げられて、誰かに粉袋のように肩担ぎにされた。
「ちょっと!」
「こういうことだよ、レン。君がどんなに優れた魔女でも、女の子なんでね。退屈なら俺とジョギングだ。グリフィンドールはまだ優勝争いから脱落したわけじゃない」
「・・・わかったから、下ろして」
わあ、とハリーが感激したように見上げている。無邪気なエメラルドグリーンの瞳が痛い。
「ハリー?」
「夢みたいだ。ジョージとレンが仲直りするなんて」
「・・・わかったから、本当に下ろして」
よし、とジョージが蓮をカーペットに立たせた。「着替えて来いよ」
「杖が要るな」
走りながらジョージが言った。
「杖?」
「君は犬になって以来、ちょっと油断してるだろう。杖を持ってないことが多い」
ああ、と蓮は頷いた。「確かにそうかも」
動物もどきの術は杖を使わないのだ。だから、杖を手放さないという感覚が薄れているのかもしれない。そもそも犬は杖を使えないのだから。
「犬になって誰かにケンカ売りに行くときも、杖は持っていけよ」
「ケンカ売りに行ったりしないわ」
いーや、とジョージが笑った。「そろそろそういう時期だ。今までの2年間を考えるとね。ハリーも守護霊の呪文を身につけつつあるっていうし、君は動物もどきだろ。あ、そういえばさ。守護霊の呪文をチーム全員が覚えるのは良いアイディアだと思わないか?」
「守護霊の呪文って、難しいのよ?」
だからだよ、とジョージは少し真面目な顔になった。「ハリーひとりが覚えてる今はまだ不安だ。またあんなことがあったら、ハリーじゃ対応出来ない。スニッチを追いかけながらパトローナスを出せってことだろ? ディメンターの影響が一番強いハリーに一番負担がかかる」
「そうね」
「だからチーム全員が覚えておくのは悪くないと思うんだ」
「オリバーに相談してみたら? あとハリーにも。教えるのはハリーになるだろうから」
だな、と言ってジョージがニッと笑った。
「4人勢ぞろいだね」
ルーピン先生が青白い顔で微笑んだ。ハーマイオニーは「大事なお話があるんです」と切り出す。
「大事なお話、ね。さて何だろう」
5人分の紅茶を注ぎわけながら、ルーピン先生が冗談めかした。「ああ、ミス・ウィンストン。動物もどき登録おめでとう。これは先生方みんなが知ってる秘密だが、君には学年末にホグワーツ特別功労賞が与えられるよ」そう言ってウィンクする。
「お話というのは、その動物もどきの件です。ルーピン先生」
「動物もどきの件で、僕に教えられることが何かあるのかな? マクゴナガル先生じゃなくて?」
クッキーを差し出しながら、ルーピン先生が言った。
「レンが動物に変身したおかげでわかったことがあります。まずそれを報告したいんです。ね、レン」
蓮は軽く頷いた。
「ルーピン先生、わたくしは犬に変身した状態でなら、ハーマイオニーのペットのクルックシャンクスと話が出来ます。クルックシャンクスが言うには、この学校周辺に、わたくしと同じ動物もどきがあと2匹いるそうです」
2匹、と呟いてルーピン先生が顔をしかめた。「1匹はマクゴナガル先生だが、あと1匹は誰だろうね」
「マクゴナガル先生とクルックシャンクスは会ったことがないと思います。クルックシャンクスが言う2匹とは、鼠と黒い犬のことです」
ルーピン先生のもともと悪かった顔色が紙のように白くなった。
「先生?」
ハリーが声をかける。
「あ、ああ。ハリー。取り乱してすまない。しかし、なぜそれを私に?」
ハーマイオニーが慎重に口を開いた。「わたし、その2匹は未登録の動物もどきだとわかっています。マクゴナガル先生の授業で動物もどきのことは習いましたし、レンが動物もどき登録するときもずいぶん調べました。そしてレンは動物もどきを独学することは不可能じゃないと実感したそうです。あまりメリットがないから強い意思を必要とする術の習得を誰もしないだけで、強い動機があれば誰でもなれると感じたと言います」
「そ、そうなんだろうね」
「わたし、ルーピン先生がその『強い動機』だったと思います。だったら、黒い犬と鼠の正体をルーピン先生はご存知だと思うんです」
ルーピン先生がじっとハーマイオニーの顔を見つめた。そして長い長い息を吐いた。
「まいった。君1人でそんなことに気づいたのかい? それとも、ミス・ウィンストンはお母上から何か聞いていた?」
蓮は首を傾げ「母が何か知っているのですか?」と尋ねた。
「いや、本当にまいったよ、ミス・グレンジャー。君は私の知る同年代のどの魔女より賢いね」
「先生がおっしゃりたくないことは伏せていただいて構わないんです!」
慌ててハーマイオニーは付け加えた。しかし、ルーピン先生は微かに微笑んで、首を振った。「それではあとの3人が納得しないだろう。せっかく仲直りしたのに、私のことを秘密にしてまたケンカになっては申し訳ない」
そして、目を細めて4人を見回した。
「君たち4人は本当に仲がいい。昔を思い出すよ。私にも、3人の親友がいた。ハリーには話したことだがね」
「はい」
ハリーは返事をした。ロンもハリーから聞いていたのか小さく頷いた。
「私、ハリーのお父さんのジェームズ・ポッター、ピーター・ペティグリュー、そしてシリウス・ブラックだ」
「その3人が動物もどき?」
ロンに軽く微笑んで「実はもう1人いるんだが、知らないかい? ミス・ウィンストン」と言った。
「・・・わたくしが? あ、もしかして母ですか?」
「正解だ。君のお母上は、完全な独学で動物もどきになった人だよ。聞いていないなら、なぜわかったんだい?」
「マクゴナガル先生が『能力だけなら十分に動物もどきになれたと思うけれど、自分は教えていない』とおっしゃったので」
「そうか。まったく用心深い人だね。さて、話を戻そう。一番嫌な話からだがね。私は5歳のときに完全に変身した人狼に噛まれた。そいつは幼い子供を狙って襲いかかる奴でね。私が奴の好みだったというわけだ」
「グレイバックだ・・・」
ロンが小さな声で呟いた。
「そう。例のあの人と協力関係にある、忌まわしい奴だ。私は5歳の時から、今までずっと満月の夜には変身し続けている。今では脱狼薬が出来たが、これが難物で、私が自分で調合することはとても無理だ。スネイプ先生と、聖マンゴの魔法薬師が僅か数人作れる程度の難しい薬だ。オオカミへの変身は止められないが、攻撃性が抑えられる。これがあるから、私はこうして休みがちながらも教師の職にありつけたというわけだ。もちろんこの薬さえなかった当時の私は、満月の夜になると家の小屋の中に繋がれて自分の攻撃性を自分を噛んで耐えるしかなかった。無論、ホグワーツに入学することは不可能だと私も家族も考えていたが、ダンブルドアは入学を許可してくれた。満月の夜に隔離する施設を作って、生徒が立ち入らないようにしておけば、私を入学させない理由はない、とね。私は今でもダンブルドアに感謝と尊敬の念を抱き続けている」
4人は揃って頷いた。ハグリッドを入学させたり人狼を入学させたり、まったくダンブルドアは尊敬に値する。
「ホグワーツで私には3人の友人が出来た。さっき言った3人だね。そしてミス・ウィンストンのお父上は当時のグリフィンドールの、お母上はレイブンクローの監督生だった。ミス・ウィンストンのお母上には私たちはまったく頭が上がらなかった。なにしろ夜間に校内をうろうろしていると、姿も見当たらないのに音もなく忍び寄っては足縛りをかけるんだ。ジェームズなんか、何度顔から倒れたかわからない」
蓮がチラリとハリーを見て、居心地悪そうに身じろぎした。
「私たちは、ミス・ウィンストンのお父上に尋ねたよ。当時はミス・ウィンストンのお母上と付き合い始めたばかりで、控えめに言ってもものすごく浮かれていたからね。そして、聞き出した。ミス・ウィンストンのお母上は、素晴らしく美しいしなやかな黒猫に変身出来る、と。つまり、黒猫に変身して監督生の仕事である夜間の見回りをしていたわけだ。さて、同時に、私以外の3人は私の病気について調べ始めた」
「調べた? 聞いたんじゃないの?」
ロンの無邪気な質問をハーマイオニーは「馬鹿ね」と遮った。「当時は脱狼薬もなかったっておっしゃったでしょう! どんなに仲がいい友達にだって話せることじゃないわよ!」
ルーピン先生は苦笑し「まったくその通りだ。私は友人たちにも内緒にしていた。だが、ここでまたミス・ウィンストンのお母上の登場だ。ミス・ウィンストンのお母上は、1年生の3人が禁書の棚で癒学書を調べているのを見てしまった。ホグズミードに叫びの屋敷が出来たこと、そこへ向かう抜け道が出来たこと、そこに暴れ柳が植えられたことから、隔離の必要のある生徒が入学してくることはそれ以前からわかっていたらしい。そこへ1年生3人から、私が毎月病気の発作に備えて医務室に行くことを聞いたんだ。そして私の病気に気づいた。ところが1年生たちは実に強情にリーマスの病気を調べなきゃいけないと言うものだから、気を逸らすために、ひとつだけヒントを出した。私がいなくて寂しい夜は空を見上げて私を想え、とね」
蓮が額を押さえた。「喋ったようなものだわ」
「それはどうかな、ミス・ウィンストン。1年生の男子が満月と私の病気の関係に気づくとは思わなかったんだろう。とにかく、彼らもすぐには分からなかったんだから、抑止する意図は正解だった。しかし、ジェームズが2年生のときに気づいたんだ。ミス・ウィンストンのお母上のアドバイス通りに毎月毎月夜空を見上げ続けてね。そして、彼らはミス・ウィンストンのお母上を脅迫した」
可笑しそうにルーピン先生が口元に拳を当てた。
「脅迫? うちの母を?」
蓮がヒクっと顔を引きつらせた。
「私はミス・ウィンストンのお母上にも頭が上がらないんだ。ダンブルドアの次に尊敬している。彼女はジェームズとシリウスに言ったそうだ。1人の生徒の学ぶ権利が侵害されるというときに動物もどきを暴露する程度の脅しに屈する女じゃない、ってね。彼女にとって私は人狼ではなく、学ぶ権利を保障すべき下級生の1人に過ぎなかった。これがどんなに危険なことか、ミス・ウィンストンとミス・グレンジャーならわかるだろう?」
はい、とハーマイオニーは頷き「未登録のまま動物への変身を続けた動物もどきは、刑法によって処罰されます。つまり、アズカバンに収監されます」と答えた。
「またしても正解だ。彼女は私のためにその危険を冒してくれたんだよ。しかし、ジェームズとシリウスは諦めなかった。自分たちを毎月動物に変身させてもらうのを諦める代わりに、動物もどきの術を教えてくれと頼み込んだ。しかし、やはりミス・ウィンストンのお母上は、変身術なら学校で習う全てを教えてやるから、それから先は自分たちでどうにかしろと突き放した」
ロンが「すげえ。レンのママ最強だろ」と呟いた。
「ああ。最強だ。さて、ジェームズ、シリウス、ピーターの3人はミス・ウィンストンのお母上から変身術を学び、そして彼女の卒業後についにやり遂げた。3人とも動物に変身出来るようになったんだ」
「先生」
ハリーが小さく手を挙げた。
「どうして動物に変身しなきゃいけないんですか?」
「人狼は人間しか襲わないからよ。動物になれば安全なの。つまり、あなたのお父さまたちは、ルーピン先生を満月の夜に1人で苦しませないために動物に変身したの」
「ああ、これが個人的な会話でなければ、グリフィンドールにどんどん加点したいところだね。ミス・グレンジャーは本当に聡明な魔女だ。まったくその通り」
先生、と蓮が口を開いた。
「なにかな、ミス・ウィンストン」
「ピーター・ペティグリューが鼠だったのですね?」
ルーピン先生の顔から微笑が消えた。
「な、なに言ってるんだ、レン。ペティグリューは死んだ人だよ」
ロンを手で制してルーピン先生が「どうしてそう考えたんだい?」と尋ねた。
「友人の人狼病に怯まずに、動物もどきになろうとしたのは、シリウス・ブラックとジェームズ・ポッター。ピーター・ペティグリューは、それに合わせただけのように聞こえました。そういう人間は、鼠です」
「そうか。動物もどきの君ならではの見解だ」
それに、とハーマイオニーが声を上げた。「ピーター・ペティグリューの遺体は見つかっていません。指1本しか発見されていなくて、鼠にしてはあまりに長生きです。シリウス・ブラックが鼠のはずがありません。鼠はずっとロンの家のペットだったんですから」
「君たちの言う通りだ。シリウスは大型の黒い犬、ジェームズは大きな牡鹿。ピーターは、そう、鼠だった」
蓮が「ペティグリューは、ブラックに二重の罪を着せて逃げた、そういう解釈でいいでしょうか?」と結論を示した。
ルーピン先生が「まったく君は、本当にお母上によく似ている。ミス・グレンジャーと違ったタイプの賢さがあるね。結論まで一足飛びだ。どうしてそう思うんだい?」と優しく尋ねた。
「ペティグリューが完全に正しい側にいたなら、そもそも12年も鼠でいる必要はありません。ポッター家を裏切り、さらにヴォードゥモールに与したはずがその凋落のきっかけになった。どちらの勢力にも頼れないから、死ぬしかなかった。なのに死ぬことさえ出来ない腰抜けです。信念がない。だから鼠でいるしかなかったのだと思います」
ルーピン先生が紅茶のカップに視線を落とした。
「私もずっと考えて、その結論に至ったよ。ハリーが、あの地図にピーターの名前を見たと言ったときからね。ロン、君の鼠はいなくなったんだったね?」
「は、はい」
「ハリー、君がピーターの名前を見たのは、その時かい?」
「えーっと、はい、そうです。僕が先生にあの地図を持ってきた日です。僕、最後に地図を眺めようと思って広げていて、そしたらロンがスキャバーズがいなくなったって言い出しました」
逃げたんだ、と誰ともなく呟いた。
「クルックシャンクス」と蓮が口にした。
「レン?」
「クルックシャンクスは『黒いの』に、鼠を連れてくるように頼まれていました。その『黒いの』は、シリウス・ブラックですね。彼は全部知っているはずです」
だろうね、とルーピン先生が微笑んだ。「だが問題はまだある。ピーターがいないままではシリウスの無実は証明が出来ないんだ」
「だからクルックシャンクスが必要だったんですね?」
ハーマイオニーが意気込んで尋ねた。ルーピン先生は頷いた。
「君のクルックシャンクスに、もう一働きしてもらう必要がありそうだ。済まないね、ロン」
ロンは激しく首を振った。「スキャバーズがそんな奴だったなら、クルックシャンクスが絶対に捕まえなきゃいけないと思います。僕はそんな奴を自分のベッドに寝かせてたんだ!」
ルーピン先生は少し厳しい顔を見せた。「君たちはこのことに関わらないように。シリウスに会いに行くのもダメだ。会いに行くのはクルックシャンクスだけ。いいね?」
「レンなら」
「ダメよ。レンは目立ち過ぎるわ」
「・・・すみません」
「いや、ミス・ウィンストンには頼まねばならないことがある。通訳だよ」
通訳? と蓮が首を傾げた。
「クルックシャンクスがスキャバーズを捕まえてシリウスのところに真っ直ぐに連れて行ったら、シリウスはピーターを殺すと思う。無実の罪を実行に移すだけだ。あいつはそのために脱獄したに違いない」
「つまり、クルックシャンクスが黒い犬のところへ行くのをルーピン先生に知らせるということですか?」
「そうだ。シリウスがピーターを殺すのは止めなければ」
どうやって脱獄したんだろう、とロンが椅子の背にだらんと体を預けて呟いた。
「簡単なことよ。動物に変身して暮らせばアズカバンのディメンターの影響がなくなる」
「レンはそのために動物もどきになったんだもの」
「それに大型犬なら、泳げるわ」
「岩の突き出た小島から小島を渡りながら、姿現しの出来る場所まで行けばいいのよ」
そうはおっしゃいますがね、とロンは蓮とハーマイオニーを交互に指差した。「杖がない」
ハーマイオニーが溜息をつき「あなた、少しは観察力を磨くべきよ、今すぐ」と言った。
「へ?」
「ロン、わたくしが犬になるとき杖を使っているのを見たことある? あるいはお父さまやお母さまが姿現しなさるときに杖を使っているのを」
「動物もどきの術は完全な杖無しの無言呪文なの。だから、レンが3年生で登録された記録はなかなか破れないはずよ。レンがもともと無言呪文が使えるから、こんなに短期間で習得できたんだもの」
「杖を使って変身する人は割といるけれど、それは動物もどきのうちに含まれないの。杖を咥えていなきゃ何も出来ないようじゃ『もどき』とは言えないから」
ハッハハハハ、とルーピン先生が声を上げて笑った。「いや、君たちの会話は実に楽しいね。こんなに笑ったのは久しぶりだ」
この先生はもしかしたら結構な笑い上戸なのかもしれない、とハーマイオニーは思ったのだった。