サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第14章 守護霊の呪文

談話室の真ん中でハリーが居心地悪そうに「やっぱりルーピン先生を呼んでこようよ」と小さな声で言う。

 

「いいから教えろよ、ハリー」

 

フレッドが杖を回しながら言った。

 

「だって、僕もまだ完全なパトローナスは出せないんだ。完全じゃないと追い払えない。銀色の靄みたいなものをシューって出して、その間に着地すればいいってルーピン先生が言うだけで」

「だからな、ハリー。君1人がそのシューを出すより、全員がシューを出したほうが安全だろって」

 

ジョージが言い、ウッドが「そうだぞ、ハリー。全員がシューを出した隙に、君はスニッチを取って着地しろ」と言い出した。アンジェリーナが「オリバー、欲がダダ漏れ」と呟く。

 

「ハリー、まず呪文を教えて」

 

蓮が助け船を出した。

 

「呪文? でも呪文だけじゃなくて」

「呪文を覚えなきゃ話にならないでしょう」

「あ、ああ、そうだね。呪文は『エクスペクト・パトローナム』だ」

 

エクスペクト・パトローナム、としばらく全員が呟く。

 

「よし覚えた。で、杖の動きは?」

「こう、くるっと円を描く」

 

エクスペクト・パトローナム、と呟きながら全員が杖を動かし始めた。

 

「で、ここが難しいんだ。幸せな記憶に意識を集中しなきゃいけない」

「幸せな記憶?」

 

うん、とハリーは頷いた。「ディメンターを撃退するには、強いプラスのエネルギーが必要なんだ。そのプラスのエネルギーは幸せな記憶に意識を集中することで生まれる。そのエネルギーを呪文と杖で形にすることでパトローナスを作り出すことができるんだ」

 

ほうほう、とウッドが目を閉じた。「ああ、見える、見えるぞ。俺たちがクィディッチ優勝杯を掲げているのが」

 

「オリバー、『記憶』に集中してね。妄想じゃなくて」

 

アンジェリーナはそう言って目を閉じた。

 

蓮は拳を口元に当てて考える。ウッドではないが「幸せな記憶」という言葉よりも「強いプラスのエネルギー」を先に考えてみようと思ったのだ。

ディメンターの影響を受けなかったのは、動物になっているときと、ジョージと一緒にジョギングをしていたときだ。動物の感情は比較的単純だからディメンターの影響を受けにくいとマクゴナガル先生は推測していた。ならば、ジョージとのジョギングも単純だったからだろうか。あるいは「プラスのエネルギー」だったからか。

 

ふむ、と頷いて杖を構えた。

 

「お、やるか、レン」

 

フレッドの声に頷いて、目を閉じた。次に目を開けたとき「エクスペクト・パトローナム」と呟いて杖を回した。

 

杖先から銀色の靄が、ハリーの説明通りシューっと現れた。

 

「すっげえ。一発だぜ」

「これじゃ足りないわ」

 

蓮は肩を竦めた。

 

「でも、やっぱりすごいよ、レン」

 

ハリーが呟く。

 

「ハリー、あなたはボガートがディメンターに変身したものが目の前にいる状態で、この靄を出す訓練をしたんでしょう?」

「うん」

「わたくしたちは、ここで安全な状態で訓練しているんだから、ディメンターが目の前にいるときとは違うわ。ディメンターが目の前にいるときに幸せな記憶に集中するのには、かなりの精神力が必要だと思うの」

 

途端に全員の表情が変わった。

 

「でもやらなきゃな」

「なあ、ハリー」

 

ジョージがハリーの肩に腕をかけた。

 

「うん?」

「全員の『プラスのエネルギー』があると思えば君も気楽だろ?」

「・・・ジョージ?」

「パトローナスを作り出すのに一番近いところにいるのは君だ。でも、ピッチにいる全員がプラスのエネルギーなら無駄に持ってる。君は余計な心配しないで、自分が落ちないようにスニッチを掴むためだけに自分のプラスのエネルギーを使えばいい。だろ?」

 

たまにはいいこと言うわね、とアンジェリーナが蓮の耳元で囁いた。蓮は黙って頷いた。

 

「で、あなたはいったいどんな記憶に意識を集中したの?」

 

蓮はさらに黙って杖を振り続けた。アンジェリーナはおかしそうに笑いをこらえている。それをキッと睨んだ。

 

「アンジェリーナ、ちゃんと練習して」

「はいはい」

 

 

 

 

 

1戦目は敗北、2戦目は辛勝。

例年ならば優勝争いからは脱落しているところだが、今年は全てのチームがどんぐりの背比べだから、この試合に勝てば優勝杯が手に入る。

 

ハーマイオニーはグリフィンドールチームがピッチの旋回を始めると、隣のロンと一緒に指を組んで祈り始めた。

 

「オリバー、ハリー、アンジェリーナ、レン。今日は2トップのフォーメーションなんだな、アリシアが下がってる」

「アンジェリーナとレンじゃないと無理でしょうね、この天気じゃ」

 

ハッフルパフ戦を思い出させる悪天候だ。もちろんハリーの眼鏡には防水呪文をかけてきた。

 

「ジニーのデビュー戦がまだなんだけどな」

「こんな年にデビュー戦に出て大怪我するよりいいわ」

「ああ。アンジェリーナもそう言ってたよ。デビュー戦で大失敗すると、トラウマになるから今年は我慢しろって」

 

ゴーグルをかけた蓮が観客席の上を気にするように見上げた。

 

「やっぱりだわ。ディメンターが興奮してるのよ」

「レンにはそういうの、わかるのか?」

 

ハーマイオニーは黙って頷いた。

 

スリザリンの緑のローブの入場だ。

 

「ディメンターがスリザリンの奴らだけ箒から叩き落しゃいいのに」

 

ロンの呟きをよそに、キャプテン同士の挨拶が交わされ、マダム・フーチの合図で試合は始まった。

 

「さあ、開始早々にグリフィンドール、ジョンソンがクァッフルをキャッチしました。スリザリンのチェイサーを躱して先を行くのはウィンストン! ジョンソンとウィンストンのコンビプレイです! ウィンストンにパスが渡ります! ウィンストン、躱した! ゴール! グリフィンドールの先制点です!」

 

リー・ジョーダンの実況にロンが「よし!」と小さく拳を握る。

 

「スリザリンボールから再開です、ああっ! ウィンストンが獲った! そのままゴール! 早くも20点を獲得しました! マクゴナガル先生、たまにウィンストンは試合を急ぎますね! 今日は本気ということでしょうか?」

「いつもそうすべきなのです!」

「ウィンストンの士気が下がりそうなのでマクゴナガル先生には黙っていただきましょう! スピネット獲った! ジョンソンにパスです! ウィンストンがゴール近くだ! スリザリン下がりました! ウィンストンを警戒していますが? やっぱりだ! ジョンソン、がら空きのゴールに入れました! 30対0!」

 

リー・ジョーダンもマクゴナガル先生もマイクに向かって怒鳴るように実況している。そうしないと音声が聞こえないのだ。

 

「ヤバいぞ、雨も風もひどくなってきた」

 

ロンが呟いた。

 

「視界が利かなくなるわ」

「あの時みたいだ。なんでだ? ディメンターは校内に絶対入れないってダンブルドアが命令したのに」

「あの時から時間が経ち過ぎてる。ディメンターはまた飢え始めたんだと思うわ」

 

くそ、とロンが呟いた。

 

「視界が悪くなりました! ピッチ上で箒に乗っている選手にとってはさらに風雨の影響が強いでしょう! 赤いローブしか見えませんが、またゴール!」

 

そのときだった。

 

「誰だ! クァッフルを落とした!」

 

リーが叫んだ瞬間に、蓮の声が響いた。「来る!」

 

「あ、ああ! ポッターが急上昇する! スニッチか?」

 

ピッチ上から、いっせいに「エクスペクト・パトローナム!」という声が響き渡った。

 

銀色の靄があちこちから広がる。

 

そのままハリーは急上昇していく。ハーマイオニーは思わず両手で顔を覆った。

 

「やった! 獲ったぜ! ほら、ハーマイオニー、見てごらん! 怖くないよ、きれいだ!」

 

ロンがハーマイオニーの手を顔から引き剥がした。

 

「え?」

 

銀色の靄が作った平らな道がディメンターの侵入を阻んでいた。その道の上を、悠々と1頭の牡鹿が駆けながら、ディメンターを払っていく。

 

「本当だわ、なんてきれい・・・」

「ハリーのパトローナスだ。ハリーのパパと同じ牡鹿なんだ」

 

ロンもハーマイオニーも立ち上がって、ピッチに降り立つ選手たちに拍手を送った。レイブンクローやハッフルパフの観客席からも同じように惜しみない拍手が起こり、スリザリンだけはむっつりと腕を組んでいた。

 

 

 

 

 

ウッドにクィディッチ優勝杯がダンブルドアの手から渡された。

 

雨は止んでいる。

 

ウッドは泣きながらハリーを引き寄せ、クィディッチ優勝杯を高く掲げた。

 

「よくやった、グリフィンドール。なによりも、最後の試合が素晴らしかった。君たちは試合に勝っただけではない。全員の力で恐怖に打ち勝ったのじゃ。あのように美しい光景はなかなか見られぬ。ハリー・ポッターはじめ、グリフィンドールチーム、本当に本当によくやった。優勝杯のみならず、この努力は賞賛に値する。全員が守護霊の呪文を覚えたその努力に対し、グリフィンドールに50点を与える!」

 

ダンブルドアの背後でルーピン先生が、どこか遠くを見つめていた。牡鹿が消えていった方角をずっとずっと見つめていた。

 

「どうした?」

「ハリーのパトローナスは、きっとお父さまなのね」

「ああ、あの牡鹿か?」

 

ジョージに頷きを返した。

 

ハーマイオニーやロンのパトローナスは何になるのだろう、と蓮は思った。いつか自分があんな風に懐かしいパトローナスの姿を追うことがあるのだろうか、と。

 

親友を失うのは1人で充分だ。なのに、ルーピン先生の親友の1人は死に、1人はもはや親友とは言えない鼠に成り下がった。もう1人の親友まで失わせてはならない。

 

「おい。帰るぞ」

 

ジョージが蓮の腕を掴んで引っ張った。

 

「ジョージ」

「んー?」

「ごめんなさい」

「・・・何がだ?」

「クリスマスホリデイの間に貰った手紙、燃やしちゃったの」

 

だろうと思ったよ、とジョージが苦笑した。「気にするな。大したことは書いてない」


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