サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第7章 太った婦人の外出

「我輩が教えるのは、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえふたをする方法である」

 

こき、と首を鳴らして蓮はスネイプの弁舌を聞き流した。

詩的表現が好きな先生なのだな、と思う。

 

ただ、一つだけいただけない。

 

グリフィンドールから減点するのが趣味らしい、という点だ。

グリフィンドール生の気質からして嫌がるポイントを外さない。挑発して刺激して、反発させるか、徒らに緊張させてミスを誘発し、それを根拠に減点する。

 

ーーいっけん巧みですらある

 

まったく気に食わないやり方だが、その方法は蓮には通用しない。

というより、蓮の背後関係を考慮して遠慮しているのだろう。

なにしろ、母の怜はスネイプがスリザリンに入学した当時のレイブンクローの監督生で、図書館で質問すれば、スネイプに魔法薬や呪文学について教授していたのだから。

 

「ネビル、このテーブルを使ったら? スネイプ先生はここにはあまりいらっしゃらないから」

「い、いいの? 僕の近くだととばっちりが・・・」

「リラックスして、落ち着いて調合しましょう。ハーマイオニーの気迫は気にしなくていいわ」

 

そう言いながらハーマイオニーの肩を軽く揉む「リラックスよ、ハーマイオニー。ネビルまで緊張しちゃう」

 

レンはリラックスし過ぎよ、とハーマイオニーがぼやいた。

 

 

 

 

「スネイプの奴!」

 

教室を出て階段を上がっていくロンとハリーは、今日もまた減点されたことで憤慨している。

ハーマイオニーとしても、故意に生徒からの反発を招くような言動を取る教師には疑問しか感じないが、先生にはいろいろいるものだ、という程度の世間知ならばある。

 

「魔法薬学者としては優秀なのにね」

 

蓮が苦笑いを見せた。

 

「スネイプ先生が?」

「ええ。まだ片手で数えるほどしかいない脱狼薬の調合が出来る人だし、最近は精神不安定な患者の魔力を減衰させる薬も開発したらしいわ。これがあれば、魔力暴発もぐっと減る」

 

ハーマイオニーが複雑そうに地下牢教室を振り返る。

 

「そんなに優秀な人でも、ハリーへの態度には個人的な怨恨を感じるわ」

「それに異論はないわ」

 

ハリーやロンはスネイプを毛嫌いしている。

ハーマイオニーは新学期早々に張り切り過ぎて若干空回りしているのは否めない。

 

「ところでレン、日刊予言者新聞を読んだ?」

「いいえ」

「少しは新聞を読んだほうがいいわよ。あのね、グリンゴッツに侵入した人がいたらしいの。狙われたのは713番金庫。あなたのお家が管理している金庫じゃない?」

 

蓮が目を瞬いた。「713番金庫から何か盗まれたの?」

 

ハーマイオニーは声をひそめた。「直前にハグリッドが鍵を使って中身を持ち去ったみたい。たまたまハリーの金庫からお金を出しに行くついでみたいに」

 

「だったら問題ないわ。713番金庫はダンブルドアに貸してる金庫なの」

「何が入っていたの? ハリーは小さな古びた包みだって」

 

知らないわよ、と蓮は苦笑して言った。「フラメル家の金庫は、わたくしも母も祖母も使っていいことになってるけれど、フラメルのおじいさまがいろいろ研究した妙なものもあるから、あまり手をつけないの。フラメルのおじいさまが、共同研究をした人に引き取ってもらう努力はしてるみたいだけどね。ダンブルドアはフラメルのおじいさまの共同研究者の一人だから、たぶんそれに関する品物じゃないかしら?」

 

並んで廊下を歩きながら、蓮は小さく舌打ちをした。

 

ーーやっぱり賢者の石を狙いに来たか

 

 

 

 

 

ニコラス・フラメル夫妻には、実子がいない。600年以上を生きてきたけれど、一度も実子を持った経験がない。

 

そんな中で、日本からホグワーツに留学する菊池柊子の後見人となった。

柊子の父親がロシア人の魔法薬学者で、共同研究をした縁からだが、当時は第二次世界大戦中。ホグワーツ時代、それから闇祓い時代を親代わりとして柊子の後見人を務めた。

情の厚いニコラスとペレネレ夫妻は、一般的に実子に注ぐ以上の愛情を柊子に注いだ。晩年になって出来た実の娘という感覚であったろう。

柊子に娘が生まれ、またその娘に娘が生まれても、その愛情は孫や曾孫に注ぐものと遜色なく、ついにはフラメル家の財産はすべて柊子並びにその一族に移譲するという手続きを、魔法省に届け出た。

その時点で2人には、長過ぎた人生にピリオドを打つ意図があったことは、親しい知人は皆知っていることだ。

 

現在、蓮の母の怜が、共同研究者たちと研究成果物の整理をしているのだが、これがなかなか骨の折れる作業だということは、蓮にも理解出来る。

 

なにしろ600歳を遥かに超えているのだ。共同研究者の大半は遥か高みに上ってしまっている。ではその遺族に、ということになるが、遺族が魔法族とは限らない。むしろ、マグルとして暮らしていて、先祖が魔法使いだったなど思いもよらない人々が大半だ。

 

そういう現実を目の当たりにして蓮は、純血主義にも一定の理解は持っている。

魔法族がマグル化してしまうことは、貴重な魔法や錬金術の成果を徐々に失うことに繋がりかねない。

しかし蓮が純血主義者たちと交わる気になれないのは、その貴重な魔法の研究過程に、現実の純血主義者の家系の者が存在していない、ということが理由だ。

彼らは守るべき魔法という実体を持たず、ただ血族を繋いできただけ。

その家柄を誇ることがひどく空虚に感じられる。

 

ウィンストン家には格別な魔法はない。モットーは「Semper fidelis 常に忠誠を」だ。代々、英国王室やマグル政府の中枢に在職して魔法的側面から国に仕える一族だった。ウィンストン家の祖父はそのことに誇りを抱いている。地道で誠実な魔法使いの生き方だと。

 

菊池家も似たようなものだが、「祓う」ことに特化した能力の持ち主が多く生まれる。水神・龍神を祀る神職の一族であるため、蛇語使いもいる。蓮は幼い頃から、和紙を用いた式神を操る技などの訓練を受けている。

 

だからこそ、蓮には純血主義者がいったい何を守りたいのかが理解出来ない。

血統を誇るだけなら、血統書付きのチワワと同じだ。

守るべきものがあれば純血にこだわることも理解出来るが、空虚な血統書に対しては敬意を払えない。

 

 

 

 

ハーマイオニーは憤慨していた。

 

マダム・フーチがいなくなった途端にネビルの思い出し玉を取って嫌がらせを始めたマルフォイにも、その挑発に乗って箒で飛び上がったポッターにも。

 

「幼稚すぎるわ!」

「まったく同感」

 

そして蓮はスカートの下、太腿のホルダーから杖を出した。

 

ーーなぜそんなセクシーポジションに杖を仕舞っているのかはともかく

 

「呼び寄せ呪文で取り上げるのは簡単だけど・・・」

 

杖を手に上空を睨みながら、蓮が呟く。

 

「だけど?」

「2人とも初心者だから、急に思い出し玉が奪われると、驚いてバランスを崩して転落するかも。もう少し下に降りてくれないと危ないわね」

「そんな・・・」

「思い出し玉自体は取り返せるから安心して」

「あんなに高いところを飛んでるのよ? 落ちて怪我でもしたら」

「良い薬だと思うわ」

 

にこっと蓮は微笑む。

 

ーーあ、この人、こういう人なんだわ

 

ハーマイオニーは妙に納得してしまった。レディ・ウィンストンによく似た微笑みだ。

 

結局のところ、その事件はマルフォイが放り投げた思い出し玉を、ポッターが箒で急降下してキャッチし、蓮がひそかに「スポンジファイ」で柔らかくしておいた地面に激突する寸前で箒を引き上げ、無事着地。そこへマクゴナガル先生がやってきてポッターが連れ去られることで終わった。

 

「ああ、どうしよう。ポッターが退学処分になるかも!」

 

蓮は苦笑してハーマイオニーのくしゃくしゃの髪を撫でた。

 

「そんなことにはならないから安心して」

「どうしてわかるのよ?」

「マダム・フーチの許可無しに飛んだのは、マルフォイも同罪でしょう? マクゴナガル先生がポッターだけを連れて行ったのは、たぶんクィディッチのためだから。最後のダイブは凄かったし、思い出し玉のサイズはスニッチに似てるもの」

 

ハーマイオニーも「クィディッチ今昔」を読んだので、知識はあるが、たった今の出来事が咄嗟にクィディッチには結びつかなかった。

 

「マクゴナガル先生はクィディッチには理性を失うそうだから」

 

 

 

 

 

その夜、ハーマイオニーは耐え難い冒険に不本意ながら巻き込まれてしまった。

 

ポッターとウィーズリーがマルフォイの挑発に乗って、真夜中にトロフィー室に決闘に行くというのだ。

 

「まあ、十中八九、マルフォイの罠でしょうね」

 

蓮も同じ意見だ。

 

「止めなきゃいけないわ!」

「んー。別に退学処分になるほどのことじゃないから、放っておけば? 少しは痛い目に遭ったほうが賢くなるわよ」

 

ーーこういう人よね

 

ハーマイオニーは溜息をつき、蓮とパーバティがすっかり眠ってしまってから、足音を忍ばせて談話室に下りた。

 

男の子の無鉄砲さときたら、信じられないレベルだ。真夜中にトロフィー室? あのマルフォイが? 決闘のために?

まったく少しは頭を使いなさいよ、と思う。

 

そのとき、談話室に軽い足音が聞こえてきた。

 

ーーまさか

 

「ハリー、まさかあなたがこんなことするとは思わなかったわ」

「また君か! ベッドに戻れよ!」

 

ウィーズリーが横から口を出す。

ハリーはハーマイオニーを無視して「太った婦人の肖像画」を押し開けて穴を潜った。

 

ーー止めなきゃ!

 

「グリフィンドールがどうなるか気にならないの?」

「あっちへ行けよ」

「いいわ。ちゃんと忠告しましたからね! 明日、家に帰る汽車の中で・・・レディがいない?」

 

なんという不運か、太った婦人が夜のお出かけに出てしまったらしい。

 

「さあ、どうしてくれるの?」

 

それからの出来事は、ハーマイオニーにとっては最早悪夢だ。

合言葉を忘れたネビルが合流し、トロフィー室に来たのは、マルフォイではなくフィルチとミセス・ノリス。

 

ーーやっぱり罠だったじゃない!

 

そう言ってやりたかったが、ネビルの悲鳴と、ネビルとロンが倒してしまった鎧の凄まじい音。4人は全力で逃げ出すことしか出来なかった。

 

廊下の突き当たりの扉を「アロホモラ」で開けて飛び込むまで、ピーブズの妨害もあって生きた心地もしない。

 

どの部屋に飛び込んだのか、と振り向き、ハーマイオニーは硬直した。

 

ーーケルベロス!

 

なぜ学校にこんなモンスターが?と思った瞬間、713番金庫から「何か」がホグワーツに運ばれているはずだということを思い出した。

 

おそるおそる視線を下に向けると、やはりそこには仕掛け扉があった。

 

息を切らして、不機嫌なまま足音荒く寝室に戻ると、蓮がハーマイオニーのランプに眩しげに目を覚ました。

 

「・・・マイオニー?」

「起こしてごめんなさい。ポッターとウィーズリーに巻き込まれてもうさんざん」

 

でも収穫もあったわよ、と蓮の耳に囁いた。

 

「しゅうか、く?」

「713番金庫の中身は、4階の右の廊下の突き当たりにある。ケルベロスが門番」

「ん。わかった」

 

蓮は満足そうに微笑み、そのまま眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

蓮の推察が正しかったことは一週間後には具体的に証明された。

ハリー・ポッターは特例として、1年生ながらクィディッチのグリフィンドールチームへの参加を許可され、なんとニンバス2000という最新型の箒までプレゼントされたのだ。

 

ハーマイオニーにはそれが不満だ。

「ルール違反してご褒美を貰ったようなものじゃない!」

「禍福は糾える縄の如し」

「え?」

「日本の警句。ラッキーとアンラッキーは、縄を編むように互いに因果関係にあって、今ラッキーだと思っていても、それがアンラッキーに繋がることも当然ある、という意味」

「アンラッキーには思えないけど?」

 

ハーマイオニーは行儀悪くフォークでポッターやウィーズリーがそわそわと細長い包みを見つめているのを指した。

 

「ハーマイオニー、クィディッチは決して安全なスポーツではないし、1年生で特例としてチーム入りというのは目立ち過ぎる。ただでさえ彼は『生き残った男の子』なんだしね。したがって、様々なラフプレイの対象になりやすい。クィディッチそのものがホグワーツでは注目の的。クィディッチチームのキャプテンは、監督生や首席と同じ待遇になるぐらい。ポッターはこれから様々な誹謗中傷に耐えながら試合で結果を出す重圧にさらされるわ。わたくしには、とても耐えられない」

「よくわかっているようでなによりです、ミス・ウィンストン」

 

蓮はビクっと肩を竦めた。

 

「プロフェッサ・マクゴナガル・・・」

「今あなたが話題にしていたクィディッチについての話があります。朝食を終えたら、わたくしの研究室に来るように」

 

ハーマイオニーは黙って蓮の肩をぽんぽんと叩いた。

 

 

 

 

「さて。新たなグリフィンドールチームのシーカーは決まりました」

 

どっしりとしたデスクに身構えて座ったマクゴナガルが、眼鏡をきらりと光らせる。

 

「・・・なによりです」

「今のところ、チェイサーは足りています。人数ギリギリですが」

「足りているならなによりです」

「が、層が薄い。グリフィンドールチームのチェイサーは女子ばかりですから、男子のチェイサーやビーターの突撃を受けたらプレイ続行が難しい。無論、そのような事故にならないように飛行技術は高めていますが、絶対とは言えません」

「・・・はあ」

 

すごく嫌な予感がする。

 

「わたくしは新たな才能あるシーカーを迎えるにあたり、今後7年間、クィディッチカップを狙えるチーム作りを目指すことを決めました」

「・・・はい」

「わたくしの調査によれば、あなたは父方の祖父から常に玩具の箒を与えられ、飛行そのものには慣れている」

 

調査によれば、と持って回った表現をしているが、祖母の柊子から聞いているに違いないのだ。

 

「ウィリアム・ウィンストンは、わたくしのひとつ上の学年でしたが、ハッフルパフチームのビーターでしたからね。孫に箒を与えるのは当然です。そして、あなたの母方の祖母は、菊池・アナスタシア・柊子。レイブンクロー唯一のクィディッチ黄金時代のシーカーです」

「・・・話は聞いています」

「わたくしの調査によれば、あなたはマグルの小学校に入学してからは、箒よりバスケットボールを楽しむようになったとか。であれば、チェイサーが相応しいポジションと言えるでしょう」

 

うぐぅ、と蓮は喉の奥で唸った。

 

「ポッターを特例としてチームに入れることは、現在シーカーのいないグリフィンドールチームへの配慮を利用したものですので、あなたに同じ特例は認められません。が!」

 

ビクっと蓮は後ずさった。

 

「あなたに、特別な飛行訓練を施す許可は得られました」

「いえ、わたくしはマダム・フーチの飛行訓練の授業だけで精一杯で・・・」

「わたくしは、チェイサーとしての飛行訓練、ならびに、シルバーアロー40の乗り手としての飛行訓練について話しています」

「あんな骨董品・・・」

「わたくしはこれまでシルバーアロー40ほどの箒は見たことがありませんよ。あれは素晴らしい箒です。ニンバス? ふん。所詮は量産型です。現代の量産型の箒としてはニンバスが最良ですが、もう2度と手に入らない箒まで勘定に入れればシルバーアロー40に勝る箒は未だかつて存在しません! わたくしがどれだけシルバーアロー40に苦渋を舐めさせられたか! これからは、シルバーアロー40がグリフィンドールに勝利をもたらす時代なのです!」

 

ビクビクっとマクゴナガルの大声に身を竦める。

 

「飛行訓練は、わたくしが直々に行います。まだシルバーアロー40の持ち込みは認めませんから、まずは学校備品の箒で基礎から始めましょう」

「・・・プロフェッサ・マクゴナガル、わたくしの意思は・・・」

「あなたがシルバーアロー40をチェイサーとして使用することは、柊子が認めました。柊子とウィリアムが最良のメンテナンスをして、然るべき時期に持たせるそうです」

「いえ、わたくしの意思・・・」

「あなたはハウスのために貢献することをウィリアムから学んでいませんか?」

「・・・うぐぅ」

「グリフィンドールに入った以上、グリフィンドールの勝利のために最善を尽くすことを期待します」

 

行ってよろしい、と言われ「失礼いたします」と退室するまで悪態をつかなかった自分を褒めてあげたい。

 

蓮はクィディッチにさほど魅力を感じないのだ。

箒に乗ってプレイするせいか、自分の体を動かすという実感に欠ける。

マグルの競技のほうが、その点では蓮の好みだ。

 

「くっそぅ・・・」

 

小声で、誰にも聞かせられない悪態をついた。


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