サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第3章 最上階貴賓席

「あれ、レンじゃないか?」

 

ジョージの呟きにハーマイオニーは爪先立ちをして、その視線の先を追った。

 

「ああ、本当。レンだわ。グラニーも一緒。両側にいらっしゃるのが、両方のおじいさまね、きっと」

「どういうことだ? ブルガリアの国旗のエンブレムをつけた衛兵っぽいのに護衛されてる」

 

ハーマイオニーは溜息をつき、ジョージの目の前にプログラムを突き出した。

 

「ブルガリアの選手一覧を見て、クラム以外も。ちゃんとディミトロフって書いてあるでしょう。ブルガリアには珍しい姓じゃないから偶然かもしれないけれど、レンのおじいさまはシメオン・ディミトロフよ。ブルガリアでは英雄なんだから、あの状況ならブルガリアから招待されたと考えるのが自然だわ」

 

えー? とハーマイオニーの隣でジニーが残念そうに呟いた。「レンならきっとモランを応援すると思ったのに」

 

「あら、たぶん内心ではモランを応援するはずよ。席を確保するのにブルガリアをつつくのが一番簡単だったんじゃないかしら」

「なあ、挨拶に行っちゃダメかな?」

 

浮ついたジョージにハーマイオニーは「どうかしら」と首を傾げた。「あれだけ護衛されているとなると、気軽に声を掛けるわけにはいかないわね」

 

その心配は無用だった。

 

こちらに気づいた蓮が小さく手を振ると、近くにいた衛兵に何か二言三言話し掛け、それに頷いた衛兵がハーマイオニーたちのほうに駆け寄ってきたのだ。

 

「あー、ディミトロフ氏のお孫さんのご友人デスか?」

 

少しだけ東欧風の訛りのある英語で話し掛けられ、なぜか全員がハーマイオニーの背後に隠れた。国際性のまったくない人たちだ。

 

「はい。ここにいる全員、彼女の友人です」

 

さすがにブルガリア語は喋れないハーマイオニーだが、できるだけクリアな発音の英語で答えた。

 

「ディミトロフ氏のお孫さんが、あちらの席でご挨拶したいとおっしゃっています。申し訳ありませんが、ご足労願います」

「喜んで」

 

行くわよ! と小声で背後の者どもに号令をかけると、ハーマイオニーはキビキビと歩く衛兵の後ろについて歩き出した。なるべく優雅に。

 

「は、ハーマイオニー。クラムのサイン貰えるかな?」

「お願いだから、ロン、最上階貴賓席でそんな小市民的なおねだりはしないでちょうだい。コネクションがあるのは確かだから、後日改めて頼んでみればいいじゃない」

 

ああやって見ると、とハリーが呟いた。「レンって僕たちとは住む世界が違うよね。すごいお嬢さまなんだ」

 

「いまさら? マルフォイだって、自称おぼっちゃまだけど、あなたたち気にもしてないじゃない」

「マルフォイとは次元が違うだろう、あれは。世界的なお嬢さまだ」

「世界的なお嬢さまとマルフォイは次元が違うのか?」

 

ロンの声にハーマイオニーは頭を振った。

 

ハリーはマグル育ちだからか、外国の衛兵に警備される姿を見て思うところはあるらしいが、イギリス魔法界しか知らないロンの感性は、著しくズレている。

 

 

 

 

 

なんだか大袈裟でごめんなさい、と言うとハーマイオニーは「いまさらよ」と苦笑して、すぐにグラニーに挨拶をした。

 

「や、やあ、レン」

「ジョージ。元気そうね。ここで会えて良かったわ。わたくし、明日にはコーンウォールに帰るの。そのあとのスケジュールがわかり次第、フクロウを送るわね。デヴォンのおじいさまの家に行く日を」

「おじいさま? まだおじいさまがいるのかい?」

 

ジョージが自分の背後でむっつりと腕組みをする2人の祖父の視線を気にしながら言うのに、蓮は急いで首を振った。「血の繋がった祖父は2人しかいないわ。デヴォンのおじいさまは、わたくしの祖母の親代わりだから、ひいおじいさまみたいな人なの。あんなに怖くないから安心して・・・たぶん」

 

「・・・たぶん?」

「ちょっと爆発物が好き過ぎるだけ」

 

ペレネレおばあさまを射止めるために火薬を発明したことは言わないほうがいいだろう。

 

「やあレン。会えるなら前もって知らせてくれたら良かったのに」

 

ハリーがそう言って握手を求めてきた。それに応じながら「ブルガリアが決勝戦に残るかどうかを祖父がブルガリアの大臣と賭けていたの。祖父が勝ったから席を確保していただけたのよ。一昨日まで未定だったから知らせられなくて」と答えた。

 

「君のおじいちゃん、ブルガリアの魔法大臣と友達なの?」

 

ロンが出してきた手を握り「ダームストラング時代の親友ですって」と返事をする。「そうそう、ファッジを見かけたら、きっと面白いことになってるわ」

 

「面白い?」

 

小声で「オブランスク大臣は、本当は流暢な英語が話せるの。でもそれはファッジには内緒にしてあるから、鶏みたいにひょこひょこパントマイムして歩いてるわよ」と教えておいた。

 

「マジかよ?」

「フレッド、本当よ。オブランスク大臣は、元闇祓いだからグリンデルバルドの残党狩りのときにイギリスの闇祓いと共闘したの。そのときに英語を覚えたのですって。だから、イギリスの祖父とも知り合いだし、今日はいないけれど、母方の祖母とも知り合いなの」

「いや、英語じゃなくて、ブルガリアの魔法大臣はファッジに恨みでもあるのかい?」

 

ないと思う、と蓮は真顔で答えた。「ただ、ファッジとルシウス・マルフォイが気に入らないから、英語を使わないそうよ。英語が喋れないと思っているから、なかなか面白い会話が聞けるとおっしゃってたわ」

 

面白い? とハリーが反応した。「ルシウス・マルフォイが何か企んでいるとか?」

 

「まさかこんな場所で後ろ暗い企画立案をプレゼンテーションはしないと思うわ。そんなことじゃなくて、ワールドカップ開催国のトップとしては恥ずかしい発言とか、そういうレベルよ。まあ、参加国のトップと会話するための通訳を連れて歩かないこと自体、信じがたい失態だけれどね」

 

ファッジはまったく恥ずかしい魔法大臣なのだ。

 

 

 

 

 

「通訳がいない? だって、ほら、あのミスタ・クラウチ? パーシーの上司の。あの方は200ヶ国語がお出来になるのでしょう?」

 

席に戻って、ハリーとロンが万眼鏡でファッジを探すのに付き合いながら、ハーマイオニーは疑問を口にした。

 

「パーシーがそう言ってるだけだ。本当は英語とスコティッシュ語ぐらいしか喋れないんじゃないか?」

「スコティッシュ訛りはれっきとした英語です!」

「れっきとしているかどうかはわからないけど、まあ確かに英語だな。でもおかしいな。ミスタ・クラウチはブルガリアの責任者に会ったはずだよ。ブルガリアが貴賓席を空けろと主張するとかなんとかで空飛ぶじゅうたんの話を切り上げちゃったじゃないか」

「まさかその貴賓席って、レンたちが座ってる席のことじゃないだろうな? もしそうだったら、パーシーが怒り狂うぜ。『クラウチさんにご迷惑をおかけするとは!』っつってな」

 

ハーマイオニーは溜息をついて万眼鏡を下ろした。パーシーよりクラウチさんよりファッジより、この場合はブルガリアの魔法大臣の要求が上位に来ることをどう説明すればロンとハリーの頭に叩き込むことが出来るだろう。

 

イギリスは開催国なのだ。開催国としては、決勝戦に残った国の魔法大臣が貴賓席を4つ増やしたいと主張する程度の要求には応じなければならない。たった4つなのだから、自分のSPを立たせてでも。

 

そう言うとロンが首を傾げ「SP?」と反復した。

 

「護衛官よ!」

「いないよ、そんなの」

「いない? 魔法大臣には護衛がつかないっていうの?」

 

まさにハーマイオニーにとっては晴天の霹靂だ。

 

「マグルには護衛がつくのかい?」

「マグルの女王にも首相にもつくわよ」

「なんでそんなことしなきゃならないんだい?」

「暗殺とかテロとかいろいろあるから、万が一に備えるためよ。国のトップがいきなり殺されたりしたら大混乱になるでしょう?」

「ファッジが殺されて大混乱になるかなあ」

 

ならないと思うけど、とハリーが万眼鏡を下ろして呟いた。「ファッジのSPみたいにルシウス・マルフォイがくっついてるよ」

 

ハリーが指差す方向には、確かにマルフォイ親子がいたが、ハーマイオニーは背後を振り返ったとき、まったく違うものに気を取られた。

 

「・・・ドビー?」

 

ピクンとハウスエルフの大きな耳が震えた。

 

「お嬢さまはあたしのこと、ドビーってお呼びになりましたか?」

「あ、ああ、ごめんなさい。人違いだったみたい」

「ですが、お嬢さま、あたしもドビーをご存知です!」

「あら、じゃあウェンディも?」

「ウェンディのことも・・・ああ、はい、ご存知です!」

 

なぜかビクビクと周囲を気にするような様子を見せた。

 

「あなたのお名前を聞いてもいいかしら、わたしはハーマイオニーよ。ウェンディはわたしの友達の家のハウスエルフなの」

「ウィンキーでございます。ハーマイオニーお嬢さま! ですが、ですが、どうかあたしをドビーやウェンディのような恥知らずなハウスエルフだとはお考えにならないでくださいませ!」

 

恥知らず、と呟いてハーマイオニーは思わず「ウェンディもドビーも誇り高いハウスエルフだと思うわ」とウィンキーに囁いた。

 

「ですが、ウェンディはお手当をいただいております! そのお手当で『ようふく』を着ます! ドビーもその悪い影響を受けて・・・ああ、なんという恥晒しな!」

 

ハーマイオニーは何度か深呼吸をした。ちょっと落ち着こう。

 

 

 

 

 

スニッチの真似なのかファッジが自分の腹の辺りで両手をパタパタさせているのをシメオンと笑いながら眺めていると、反対隣のウィリアムが「また性懲りもなくマルフォイ家が大臣に近づき始めたか」と呟いて、眉を寄せた。

 

「グランパ?」

「ああ、蓮。君の同級生にマルフォイ家の子息がいたね。親しいのかい?」

「3年生のときは殴らなかったから親しいといえるかも」

 

グランパはものすごく複雑な顔をした。

 

「殴ってもいないし、蹴ってもいないわ」

「蓮、柊子にそんなところまで似なくていい。むしろそこはクロエを見習いなさい。殴る蹴るの暴力ではなく、もっとこう言葉の棘で心を折る感じで」

「グランパはグラニーから心を折られたの?」

「私は折られていないが、折られる男たちの姿のあまりの哀れさは筆舌に尽くしがたい」

 

蓮は素直に頷いた。「じゃ、今度からそれを試してみるわ」

 

「だったら蓮には、わたくしが素晴らしい魔法を教えてあげる。ヴィーラの魔法をね」

「ヴィーラの魔法? でもグラニーにもわたくしにもヴィーラの血は流れていないでしょう?」

「ちょっとしたコツは兄の妻になった人から習いましたからね。ハーマイオニーをパーティに誘うのに使いなさい」

 

どうしてそこまでハーマイオニーとパーティに行くことにこだわるのだろう、と蓮は首を傾げた。

 

「ああ、それは良い考えだ」

「まったくだ。妙な男とパーティなんぞ100年早いわい」

 

さあお手本の登場よ、とグラニーが声を上げた。「主に観客席の殿方の様子を見ていてご覧なさい」

 

「ブルガリアのマスコットは常にヴィーラだからな!」

 

月の光のように輝く肌、シルバーブロンドの柔らかな髪を靡かせた美しい女性の集団が滑るようにピッチに入ってきた。

 

「いいか、蓮。今のヴィーラはちっとも本気は出しとらん。だが、観客席を見てみろ」

 

観客席から身を乗り出し過ぎて半分落ちかけているハリーとロンをハーマイオニーとジニーがジーンズのベルトを引っ掴んで引き上げようとしているが、なぜか2人とも自分の危険に気づいていないように、宙を泳ごうとしている。

 

「本当に愛する女性がいない殿方は、あんな風にいとも簡単にヴィーラの魔力に魅せられるの」

 

へえ、と思いながらジョージを見ると、フレッドと2人で弟たちの醜態をせせら笑っている。ヴィーラの魅力に負けない程度には愛する女性がいるらしい。

 

「ヴィーラが本気で魔法をかけるなら、男女問わず魅了出来るわ。だから面白半分で使っちゃダメなの」

 

なるほど、と蓮は頷いた。つまりハーマイオニーに使うわけにはいかないし、マートルで練習したら未来は暗いというわけだ。

 

「あら、あなたは大丈夫よ。ヴィーラの血は流れていないから、たぶん。そこまでの魔法効果はないわ。せいぜいパーティを楽しむ間だけしか保たないはず」

「どうしてわたくしとハーマイオニーを一緒にパーティに行かせたいの?」

 

グラニーは「グランパとシメオンの心の安定と、あなたとハーマイオニーの身の安全のためよ」と澄まして言った。

 

 

 

 

 

「あなたの働きぶりにお手当をいただくことは当たり前だと思うわ、ウィンキー」

 

だってさっきから、とハーマイオニーはウィンキーの震える肩を軽くさすった。「本当は高いところは苦手なのでしょう? でもこんなに頑張ってご主人さまのために席を守ってる。わたしの友達だったら、あなたにすごくすごく感謝して、たくさんのお菓子とたくさんのダイアナの写真と一緒にガリオン金貨をあげると思うわよ」

 

ハリーとロンを引き戻して、少し頭と肝が冷えたハーマイオニーは後ろの席に、まだウィンキーのご主人さまがいないことを確かめて話しかけた。

 

「いいえ、いいえ! あたしはそんなものはご入用ではございません! ウェンディもドビーも堕落なさいました! 自由に味をしめて!」

 

ちょっとこれは学校が始まったら蓮に相談してみよう、とハーマイオニーは思った。ちょうどそのとき、レプラコーンの金貨が降り注ぎ始め、ロンとハリーがみっともなく這い回って拾い始めたからだ。


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