サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

72 / 210
第4章 クィディッチ・ワールドカップ

あの男はこういう場になると生き生きする、とウィリアムが可笑しそうに呟いた。

 

「誰?」

「ルドヴィッチ・バグマン、魔法省の魔法ゲーム・スポーツ部の部長だが、昔はウィムボーン・ワスプスのビーターだった。今じゃあの通り見る影もない体型だがね。いいビーターだったんだ。少なくとも魔法省の役人でいるよりはずっとマシに務めを果たしていた」

「あなた、そんなことを言ったって、プロスポーツ選手は職業人生が短いのですから。だからね、蓮、あなたのチェイサーとしての活躍はグラニーはもちろん嬉しく思うけれど、クィディッチに人生は賭けないでちょうだい」

 

途中から蓮へのお説教に変わった。

 

「確かにビーターは特に選手生命が短いな」

「ブラッジャーとケンカするだけじゃなくて、たまにクラブでも叩かれるのでね」

「おお! 出てきたぞ、レン! ブルガリアチームだ!」

 

敬意を表するべく、家族全員、オブランスク大臣と一緒に立ち上がって拍手を送った。もちろんアイルランドのときも。

 

「さあどうする? 私はもちろんブルガリアに10ガリオンだ」

「アイルランドに10」

 

蓮が呟くとグラニーから「あなたはまだ賭けをする年齢ではないわ!」と叱られた。

 

「じゃあ、シメオン、蓮の代わりに私がアイルランドに賭けよう。大臣も一口いかがです?」

「さようですな。私は立場上ブルガリアを応援したいところですが、アイルランドのチェイサーの戦いぶりをもう何戦か見ていますのでね。シーカーには自信があるのだが。チェイサーはアイルランドの勝ち、シーカーは我がブルガリアの勝ち。これでいかがですかな?」

 

オブランスク大臣の言葉に蓮が珍しく瞳を輝かせた。

 

「アイルランドのチェイサーはそんなに?」

「間違いなく最高のチェイサーのパフォーマンスが見られるだろう。君がチェイサーとしてプレイしているのなら、きっと自分の親戚よりアイルランドに夢中になると断言できる」

「おい、大臣がそんなに士気の下がることを言うな!」

「シメオン、大臣は開催国への礼儀としてアイルランドを立ててくださっているのだよ」

 

ピッチを旋回する選手への歓声に一段落つくと、審判の入場だ。

 

 

 

 

 

「ハーマイオニー! 普通のスピードで観なきゃ見逃すぜ!」

 

ロンがハーマイオニーの万眼鏡のダイヤルを回した。

 

「ロン! わたし、チェイサーがあんまりすごいから、レンにいくつか技を教えてあげようと」

 

安心しろ! とロンがハーマイオニーの耳元で怒鳴った。「あんまり速くて君にはまったく別の技に見えてるだけだ! レンとアンジェリーナは全部できる!」

 

「そら! ホークスヘッド攻撃フォーメーションだ! 君もこれはよく見るだろ?」

「え、ええ」

「今度は、えーっとポルスコフの計略! よく君がフェイントフェイントって喜ぶやつだよ!」

 

失礼ね、とハーマイオニーは膨れた。

 

ーーまるでわたしがいちいち教えてやらないとルールもわからない女の子みたいに

 

そうは思ったのだが、どういうわけかロンに「失礼ね!」と怒鳴り返す気にはなれず、ロンの解説という名の絶叫に耳を傾けた。

 

しかし、猛スピードで降下する2人のシーカーを目にしたときは「地面に衝突するわ!」と叫んでしまった。

 

「ウロンスキー・フェイント! レンが1年生のときにやったやつだ! これでチョウ・チャンの鼻の骨を折った!」

「チョウの?」

 

なぜかハリーが反応した。

 

「君は医務室のベッドで寝てたからな。レンの急降下に慌ててついていったけど、レン並みの反射神経はチョウにはない。箒を引き上げ損ねてアウトさ」

 

ロンがピッチに倒れたエイダン・リンチを親指で指差し、得意げに頭を振ってハリーを見た。ハーマイオニーはそのロンのパーカーの裾を引っ張る。まったく無神経なんだから。

 

「すぐにマダム・ポンフリーが治してくださったわ、ハリー」

「あ、そ、そうか、うん、そうだよね、よかった」

 

3年も前の出来事への反応としては不自然過ぎた。

 

ーーわかりやすすぎる

 

 

 

 

「ゾグラフめ! 女性のチェイサーではないか! それに肘を使うなどブルガリアの恥だ!」

 

オブランスク大臣の呻きに蓮は「マレットが速すぎたからでしょう。わたくしのチームの以前のキャプテンもよく男子に言っていました。『紳士面するな! 箒から叩き落とせ!』って。優れたライバルなら、女性であっても手加減は出来ませんから」と宥めた。

 

「蓮、おまえは箒から叩き落とされたりしとらんだろうな?」

「わたくしが箒から叩き落とされるような無様な飛び方をしたら、着地するより速くマクゴナガル先生から半殺しにされると思うわ、おじいさま」

「じゃあ、蓮、君自身はどんな相手のことも叩き落としてはいないね?」

 

いないわ、と蓮はグランパにハウスエルフの如く正直に答えた。もちろんウェンディの如く正直に、だ。

 

「勝手に落ちたのはカウントしてないけれど」

 

オブランスク大臣が愉快そうに笑った。「いや、なかなかのチェイサーだね。イギリスでは、確かに女子の名チェイサーが多いようだ。なぜだろうね」

 

「ボリス、そんなことはうちのばあさんを見ていればわかるだろう。気が強い女が多過ぎるんだ!」

「あら、違いますよ、シメオン。わたくしが考えるに、男女を平等に同じ場所で教育するシステムが理由でしょう。確かホグワーツだけですわ。わたくしの母校のボーバトンは男子部と女子部に分かれていますから、クィディッチに関してはプロチームの水準に達する女子が少ないのです。女子だけで対戦していると、どうしても身体能力の水準は低めで安心してしまいますからね」

「我がブルガリアのダームストラングも一応男女を平等に教育するように言ってはいるが、カルカロフがどうも男子ばかりに肩入れするのでな」

 

カルカロフ? と2人の祖父が顔をしかめた。「まだそんなことを?」

 

「死喰い人に戻る気概などない男だ。そこは安心していい。ただ自分の校長としての名声を高めるために、ほら、あのクラムのように在学中にナショナルチームに入るような生徒を作りたいわけだよ。男子のほうが単純に手っ取り早く鍛えられるからな」

「いつまでそんなのを教育者にしておく気だ」

 

ブルガリアの大臣が苦笑した。「奴がイギリスでしでかしたことは、ブルガリアには広まっておらん。東西冷戦の影響でな。そして、今の奴はクラムのような生徒を使った人気取りが上手いから、退任させるのも難しいのだ。今度は西側の価値観のおかげでな」

 

ソ連め! とシメオンが吐き捨てた。

 

「グリンデルバルドがナチスと手を組みさえしなかったら、ソ連の介入を許すことはなかったのだから、そこはグリンデルバルドめ、と言え」

「いやいや大臣、シメオンのソ連嫌いは昔から有名ですから仕方ありますまい」

「柊子のお父さまもソ連嫌いのロシア人でしたものね」

 

蓮は老人たちの会話を聞き流しながら、試合の推移を見守った。アイルランドのチェイサーのレベルはブルガリアを遥かに凌駕している。そして、ヴィーラの魅力は審判の冷静さを同じく遥かに凌駕しているようだ。

 

それにしてもクァッフルの速さと言ったらない。蓮は目を凝らしてひたすらにクァッフルを追った。ヴィーラとレプラコーンの戦いが始まっても、蓮の視線はクァッフルから離れなかった。

 

 

 

 

 

アイルランドのビーターのどちらかが、目の前のブラッジャーを、ブルガリアのシーカー・クラム目掛けて打ち込んだ。クラムは避け損ない、ブラッジャーをしたたか顔に喰らってしまった。ハリーとロンは「審判! タイムにしろ!」と怒鳴っている。

 

ハーマイオニーは、蓮の影響のせいかこれまでシーカーにはさほど興味はなかった。興味を持つほうが難しい。なにしろ、ホグワーツのシーカーはハリー(常に身近だ)に、マルフォイ(常にマルフォイだ)、それからハンサムなディゴリー、チョウ・チャン(女性だ)なのだから。シーカー同士の心躍る対決なんて、断言するが、一切なかった。

 

しかし、鼻の骨を折られながら、アイルランドのシーカーにぴったりついていくファイトは勇敢そのものだ。

 

ただ、アイルランドのシーカーを躱してスニッチを掴んだとき、通常ではあり得ない試合の結末に皆が呆然とした。

 

《ブルガリア160 アイルランド170》

 

「クラムはいったい何のためにスニッチを獲ったんだ!」とロン。「クラムは自分のやり方で終わらせたかったんだ、きっと」とハリー。

 

まったくロマンティックな表現ね、とハリーの言葉に呆れながら、ハーマイオニーは端的な感想を述べた。「とっても勇敢だったわ」

 

しかしジニーは不快そうだ。

 

「ジニー? アイルランドが勝ったのよ?」

 

それは嬉しいわ、とジニーがツンと鼻を上げた。「でもクラムの『自分なりの終わらせ方』とやらが、すっごくすっごくムカつく」

 

 

 

 

 

ジニーよりもっと饒舌にムカついている人間はもう1人いた。

 

「おいボリス! ダームストラングでは160点差と150点のどっちが大きいかさえ計算することも出来ん無能を最近は入学させるのか!」

「まあまあシメオン。大臣に詰め寄っても仕方ない。クラムはあれだけの怪我をしながらスニッチを獲った。とにかくシーカーの務めを果たそうとしたんだから」

 

違うわ、と蓮が冷えた微笑を浮かべた。

 

「蓮?」

「クラムはチームメイトを馬鹿にしているだけ。ウロンスキー・フェイントをもう一度使えば良かった。またリンチの鼻を折るべき場面だったわ。シーカーの務めを果たすなら、スニッチを獲るだけじゃダメ。あとたった2回点差を縮める間、チームメイトを信じてスニッチを逃がし続けるのがシーカーの仕事よ。あんな終わらせ方、最低のシーカーだわ。自分1人でプレイしているとでも思ってる。自分がヒーローになれればそれでいいと思ってるようにしか見えない。鼻の骨が折れて痛かったんでしょうけれど、そんなの言い訳にならない。ブラッジャーを避ける能力が足りてなかったんだから。少なくとも、世界最高のシーカーだとは思わない。逆よ、最低」

 

グラニーが蓮のシャツの裾を引っ張った。「蓮、大臣の前よ」

 

「いや、レディ。確かにチェイサーならそう考えて当然ですな。カルカロフの特別扱いの弊害だ」

「しかし、ブラッジャーが顔の真ん中に当たってはなあ。審判はヴィーラとレプラコーンに翻弄されていたのだし」

「グランパはブラッジャーを顔の真ん中で受けたことある?」

 

ないが、と言うグランパに「でしょう? 目がついてれば、顔じゃ受けないわ、普通」と吐き捨てた。

 

「だが、グランパはビーターだった。ビーター・クラブを持っていたわけだから。グランパと一緒にしてはクラムに気の毒だろう?」

「そのビーターのこともキーパーのこともチェイサーのことも信頼していないシーカーなんか、1人でスニッチと遊んでいればいいのよ。わたくし、ハリーがこんな真似をしたら、それこそ箒から叩き落とすわ。わたくしより先にマクゴナガル先生が殺しに来るでしょうけれど」

 

しかしなあ、とシメオンが頭を掻いた。「たぶんうちのばあさんは、さっさとスニッチを獲るタイプだったと思うぞ」

 

「おばあさまはレイブンクローのシーカーよ。自分の労力を一番少なくして、確実に勝つために箒に乗っていたの。負けるとわかっているときにスニッチを獲るほど頭悪くないわ。とにかくシーカーの仕事として、クラムは最低。おばあさまも絶対そう言うはずよ」

 

蓮、とクロエが声を厳しくした。「そのへんになさい。クィディッチのために礼儀を忘れるのはレディの振る舞いではありません。柊子も絶対そう言うでしょうね」

 

ブルガリアの大臣は、憤慨するクロエに「まあまあ」と手を挙げた。

 

『私はそうは思わない。レディ、お嬢さんはレディではなくクィーンだ。クィーンがチームメイトへの信頼を愛することは歓迎すべきだ』

 

早口のフランス語に蓮は眉をひそめた。

 

ーー女王気取り?

 

 

 

 

 

「勇猛果敢な敗者に絶大な拍手を! ブルガリア!」

 

最上階貴賓席の蓮たちがいるボックスに照明が当たった。

 

「うわー、レン、超目立ってるぜ」

 

ブルガリア魔法大臣の傍らに立つ蓮は美しい微笑を浮かべているが、あれが不機嫌なときの微笑であることはハーマイオニーにはわかった。どうやら、蓮もジニーと同じように「すっごくすっごくムカついて」いるらしい。少なくとも選手の最後尾のクラムが(他の選手はそんなことはしなかったのだが)ブルガリアの大臣の次にファッジを抜かして蓮に握手を求めたときは、ブルガリアの魔法大臣に談笑する笑顔を向けて、はっきりとクラムを無視した。

 

アイルランド・ナショナルチームに対しては、全員に輝くような笑顔と拍手を送っていたことから、アイルランドのプレイに満足したことを如実に表現している。

 

「レンって、ああいうところはすごくわかりやすいわよね?」

 

ジニーが可笑しそうにくすくす笑う。しかし、ハリーとロンはクラムと握手するチャンスをみすみす見逃すなんて信じられない、とあんぐり口を開けていた。

 

「クラムと握手しないぐらいなら、僕と代わってくれりゃ良かったのに」

「まったくだ」

「ロンはともかく、ハリー、あなたが日刊予言者新聞の一面トップを飾りたいなら止めないわ」

 

ハリーがたじろいだ。「嫌だよ、そんなこと」

 

「レンだって嫌だと思うわよ。ただお家の立場上、逃げられないだけでね」

「ウィンストンとディミトロフだもんな。パーシーなんか国際魔法協力部に配属された今となっちゃ、レンをガールフレンドにしておくべきだったって言い出しかねないぜ」

「それを言い出したら、誰かさんが今度こそパーシーの魔法省のデスクにドラゴンの糞の山を作るだろうけどね」

 

ジニーがハーマイオニーの耳に囁いた。「本当はもう言ったからフレッドとジョージは鍋底報告書をドラゴンの糞まみれにしちゃったの」

 

 

 

 

 

「君はまだ14歳だったかな?」

 

ブルガリア政府の貴賓館(外見はプレハブ)に戻って夕食を共にしているときにオブランスク大臣は蓮にそう尋ねた。

 

「はい。新学期が始まったらすぐに15歳になりますが」

「そうか、実に残念だ」

「何がでしょう?」

 

その大臣にシメオンが早口のブルガリア語で『イギリスではその件は始業式まで伏せておくことになっておると何度言ったらわかる! その耳は飾りか!』と文句を言った。今度は聞き取れた。

 

『だが、先ほどファッジに紹介されたマルフォイとかいう男は息子に話しておったぞ』

『マルフォイと一緒にするな。うちの娘は魔法省の高官なんだ。だいいち孫は出場せん!』

『その件? 出場?』

 

蓮のブルガリア語の呟きにシメオンがギョッとしたように振り向いた。

 

『聞き取れたのか?』

『一応』

『だったらこれ以上は聞くべきではない。学校の始業式でわかる』

 

大臣は蓮に向かって肩を竦めた。「頭の固いおじいちゃんだね」ここからは英語に切り替えようという意味に受け取って、蓮も英語に切り替えた。「頭は柔らかいのですが、たまに頑固になります。車のこととか」

 

「車?」

「大臣からも注意してくださいませんか? いまだにミラーやバンパーの壊れた車を買い替えませんの」

「蓮! 何度言ったらわかる。車など走ればいいのだ。日本人はだいたい車をインテリアか何かと間違えておる。ブルガリアでは車は走らなくなるまで乗るものだ」

「と、祖父は言うのですが、本当ですか?」

 

くっくっと笑いながら「確かにブルガリアはかつては東側の国だったからね。西側諸国のイギリスや日本に比べると、粗末な状態の車に対しても忍耐強いのは認めるが、普通はバンパーが落ちるほどになれば買い替えるだろう」と説明してくれた。

 

「そもそもシメオン、君も魔法使いなんだから、レパロでミラーやバンパーを修理したまえ」

 

ウィリアムの言葉にシメオンは「レパロの必要もない些細な欠陥だ」とうそぶいた。すると大臣が呆れたように言う。

 

「ミラーがないのは些細ではないだろう。おまえ、相変わらず修復呪文が苦手なのか?」

「ミラーがないわけではない! ガムテープできちんと貼り付けてある!」

「それは『きちんと』とは言いません。シメオン、蓮を乗せる車は安全な状態にしておいてちょうだい」

 

グラニーがきっぱりと言ってくれた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。