ベッドの上に古いキルトを広げ、その上にジニーのコメット260をそっと置いた。
「いい? まずは箒の穂に乱れや傾きがないか目視で確認するの。これは使ったら必ずすること。長く使うと小枝に癖が出て空気抵抗が大きくなるから、早め早めに手入れする。ほら、このあたりの小枝が反ってるでしょう?」
真剣な表情でジニーは頷いた。
「こういう小枝の反りを穂の内側に向くように組み直すだけでスピードは違ってくるわ。箒にはレパロは使っちゃダメ。こういう小枝の癖は壊れたわけじゃないからレパロじゃ直らないし、箒を構成する他の呪文に影響して効果を弱めてしまうの」
「そうなの?」
ジニーが目を丸くした。蓮は頷き「もし使ってしまっても大丈夫よ。呪文をかけ直せばいいわ。コメット260に使われている呪文は公開されているから、図書館で設計書を借りて、それを写しておくといいわね」と答えた。
今年こそと張り切っていたジニーのデビュー戦は来年までお預けになったが、その1年間を無駄にするつもりはないらしい。
蓮は祖父から箒のメンテナンスや改造を習っているので、実を言うとジニーのコメット260をフル改造すれば、そうとうな速さの箒に出来るのだが、そこまでしてしまうとジニーが乗りこなせないだろうし、自分でメンテナンス出来る範囲を超えてしまうので、ニュートラルなレベルのメンテナンスを教えるつもりだ。
「最新の技術を使った箒には憧れるけれど、そんな箒、プロでもないわたくしたちが使いこなせるわけじゃない。むしろ、コメットをこうやってメンテナンスして、箒の癖を知り尽くした方が箒のポテンシャルを最大限に発揮出来ると思うわ」
「わかった。絶対この箒で頑張るわ」
「その意気よ」
しばらくジニーに見せながら、穂先の分解と組み直しをした。
「ねえ、レン」
「んー?」
「レンはプロにはならないの?」
「クィディッチの?」
箒から顔を上げると、蓮は僅かに苦笑する。
「そう。レンならきっと、ホリヘッド・ハーピーズにだって」
「それはジニーの夢でしょう?」
「レンの夢は?」
特にない、と蓮は言った。「あのね、ジニー。わたくしはホグワーツを卒業したら、日本でマグルの大学に行くの。日本の家の家業には、その大学でしか取れない資格が必要だから。そのあとのことはまだ考えていないわ」
「日本でマグルになっちゃうの?」
それもわからない、と蓮は苦笑を深めた。「あのね、日本のわたくしの祖父母が住んでいる家を維持するのには、その資格を持った家族がいなきゃいけないのよ。じゃないと、年老いた祖父母が路頭に迷っちゃう。だからまず資格を取ることが最優先。そのあとに、日本の魔法省か日本の魔法学校の教授になるか。もしかしたら、マグルの学校の先生になるかも。わたくしが行くつもりの大学なら、日本文学の学位が取れるから、日本のハイスクールの教師にもなれるし」
ジニーが目を見開いた。「日本に住むことは決まりなの?」
「それが一番無理がないとは思っているわ。どうして?」
「だっ、だってほら、結婚とか」
蓮は笑った。「まだ15歳よ、わたくし。結婚のことなんて想像できないわ」
「そんなあ。ハーマイオニーもそんな感じのこと言うの」
とんとんと小枝をまとめながら「ハーマイオニーは何て?」と尋ねた。
「わたしがハリーの前だと口もきけないから、試しに他の人と付き合ったらって」
それも一理あるわね、と蓮は笑った。
「レンもそう思う?」
「恋愛論の担当はハーマイオニーよ。わたくしの専門外だわ」
「じゃあ、レンの担当は?」
「箒と変身術かしら」
なぜかジニーはがくりと肩を落としてしまった。
「うちのパパとママは、ママがホグワーツを卒業するとすぐに駆け落ちして結婚したの」
「情熱的ね」
「ママはパパとしか付き合ったことないと思うわ。パパとの思い出しか話さないから」
それも素敵なことだと思うわよ、と蓮は微笑んだ。
「レンは好きな人はいないの?」
ジニーの問いに蓮は少し首を傾げた。「そうね。気の合う人や気になる人がいないとまでは言わないけれど、その人と結婚することまでは想像できないわ。いずれにしても、日本に帰ることを決めているんだもの。それをなかったことにしたいほど思い詰めてはいないわ」
「ハウスエルフ福祉向上委員会?」
また突飛なことを、と蓮はこめかみを揉んだ。
「具体的な短期目標、長期目標は?」
「まずは、ハウスエルフの解放ね。長期的にはハウスエルフに魔法族と同等の、いわば基本的人権を」
「却下します」
ばたり、と蓮がベッドに仰向けに転がった。
「どうしてよ!」
「ハウスエルフの解放は危険だからよ。ヒトにとってではなく、ハウスエルフにとって」
「それは洗脳されているからだわ。何世紀にも渡る奴隷労働の連鎖から」
「ハーマイオニー、魔法族にとっては好都合な奴隷労働かもしれないけれど、ハウスエルフにとっては本能に従っているだけなの」
「だから、魔法族がハウスエルフを解放すれば」
「あなたね、あちこちの屋敷のハウスエルフをみんな『ようふく』にするつもり?」
そうよ! とハーマイオニーは断言した。
「・・・ハウスエルフ大虐殺・無慈悲のグレンジャーって名前でビンズ先生の授業テーマになるわよ」
「どうしてそうなるのよ! むしろグレンジャーのリストっていう、ハウスエルフ解放戦線映画のヒロインよ!」
「ちーがーう。ハウスエルフ自身が『ようふく』になると死ぬのよ。あまりの恥辱に耐えかねて」
知らないでしょう、と蓮が切れ長の瞳で横目に見た。「ハウスエルフが本気でそうしたいと思えば、自力で自由になれるわ。現にドビーはマルフォイ家に隷属していたのに、ハリーを助けにウロチョロしたでしょう?」
「それが、ハウスエルフは魔法族に仕えたがるという洗脳の証拠でしょう?」
「誰がそんな洗脳をしたの?」
「知らないけど、歴史のどこかの時点で」
あれは洗脳じゃなくて本能です、と蓮がきっぱりと言った。
「でもこのままで良いわけないわ!」
「手順が逆だって言ってるの。ハウスエルフ自身が、自由を良いものだと感じなければ意味がない。自由を恥辱だと考えるうちは、いくら自由を与えてもハウスエルフから生きる活力を奪うことにしかならない。ハウスエルフに自由を説く活動は、ウェンディがすでにやってる。チャールズのせいでちょっと最近手抜きしてるけど。それはウェンディの自由だから、わたくしも母もチャールズ・チャンネルを見るなとは言わない」
「つまり、あなたやレディ・ウィンストンみたいな魔法族が増えたら」
ハーマイオニー、と蓮は溜息をついた。「ウェンディはウィンストン家のハウスエルフじゃないの。ウィンストン家にハウスエルフはいない。ウェンディは『ようふく』にされて、山の中で行き倒れていたの。それを助けたのが、河童の河太郎」
「カッパですって?」
「なぜか闇の生き物に分類されているけれど、河童は日本のマーピープルよ。とにかく河太郎が看病しながら、ウェンディの考え方を変えたの。働いた分はきちんとキュウリを貰えとか、汚い枕カバーなんかより綺麗な服を着たほうが喜ぶ人間に仕えろとか。嫌な魔法使いの家なんかより自分が仕えたい人間に仕えろとか」
「河太郎さんは正しいわ」
「ありがとう。河太郎がウェンディの意識改革をしたから、ウェンディがあんなことになったってわけ。その意識改革は、魔法族がハウスエルフに押しつけちゃダメ。それだと『命令』になってしまう。『命令』で『ようふく』になれって言ったら、ミスタ・クラウチと同じことだわ」
ハーマイオニーは考え込んだ。
「ハーマイオニー、ハウスエルフについて理解を深めることから始めたら? ハウスエルフにとって本当に必要なことは何なのか。会いたかったら紹介するわよ」
「ウェンディやドビーは自由過ぎて基準にしちゃダメな種類なんでしょう?」
ホグワーツのハウスエルフよ、と蓮があっさりと言った。
「・・・え?」
「イギリスで1番多くのハウスエルフを抱えてるのは、ここ。ホグワーツ城。常時100人を超えるハウスエルフが働いているわよ。じゃなきゃ、誰が食事を作ったり、掃除や洗濯をしていると思うの」
「フリットウィック先生は専任のスタッフがいるって・・・」
「その専任のスタッフがハウスエルフなの」
なんということでしょう、とハーマイオニーは思ったのだった。
闇の魔術に対する防衛術の授業は、いまや生徒たちの人気の科目だ。なにしろ「禁じられた呪文」である服従の呪文をムーディが生徒たち一人ひとりにかけて、それに抵抗してみせろと言うのだから。まるでショータイムだ。
蓮にとっては面白くもなんともない。
「今日はウィンストンだな。ウィンストン、前に出て来い。出来るだけ抵抗してみせろ。インペリオ!」
何も起こらない。
「む? むう。インペリオ! 踊れ!」
何も起こらない。
「おまえは、抵抗しているのか?」
「しているつもりですが。今のところあまり努力を必要としません」
「こう、恍惚感や全能感に満たされはせんのか?」
「しません」
蓮は、はっきりと眉をひそめていた。蓮に服従の呪文への耐性をつけたのはムーディ自身だ。
「では、全力で行こう。インペリオ!」
「わたくしには効かないとご存知ありませんでしたか?」
ロンとハリーが揃って頷いた。「2年生のときにはもう効かなかったよな」
「なんとなんと。このクラスで服従の呪文に耐えられるのはポッターぐらいかと思っていたが。良いぞ、ウィンストン。まっこと優秀だ。そういうところは父親の才能を受け継いでおると見える」
杖先で促され、蓮は席に戻った。
「レン、君すごいや」
無邪気にネビルが感心してくれるが、蓮はそれに曖昧に微笑んだ。もはや、ムーディが、かつての優れた闇祓いとはとても思えなくなっていた。
「アラスター・ムーディがおかしい?」
マクゴナガル先生の研究室を訪ねた蓮は、すぐに本題を切り出した。
「はい。わたくしに服従の呪文への耐性訓練をしたのはアラスターおじさま、いえ、ムーディ先生なのです。なのに、そのことを覚えていらっしゃいませんでした。まるで別人のようです。ムーディ先生は、近年では神経質になるあまり奇矯な行動が多くなったと聞いていますが、ここまで記憶が曖昧になっていらっしゃるとは知りませんでした」
こほん、とマクゴナガル先生は咳払いをした。「まだボケる年ではないはずですよ。わたくしたちよりいくつか若いのですから」
「理由はわかりません。ただ、お知らせする必要があると思っただけです。わたくしの知っているアラスターおじさまならば、ネビル・ロングボトムに相手が蜘蛛とは言え、磔の呪文を見せたりはしません。そういうことが出来る人ではないはずです。見た目はああですが、わたくしの知っている元闇祓いの誰より繊細な方です。授業の必要性があったから仕方ないのかと思いましたけれど、わたくしに服従の呪文をかけても意味がないことは1番よくご存知のはずです。この2点を考えてみると、単なる神経過敏を通り越してしまった気がして不安です」
マクゴナガル先生は眉をひそめた。「その懸念は他の誰かに話しましたか?」
「いいえ」
「よろしい。ダンブルドアには報告しておきます。ですが、すぐに改善されるという期待はしないように。防衛術の教授が多少ボケていることぐらい大した欠点ではありません。自分が死んだことにも気づかない教授がまだ授業を受け持っている学校です。ビンズ先生よりボケたら真剣に考えましょう」
改めてマクゴナガル先生の口から聞くと、自分たちはずいぶん劣悪な環境の学校にいる気がしてくる。
「・・・マクゴナガル先生、ホグワーツにまともな防衛術の教授は期待出来ないのでしょうか?」
「他人に期待しないで自分がそうなることを考えてみたらどうです」
「はい?」
マクゴナガル先生は鼻の上の眼鏡越しに、蓮を上目遣いにちろりと睨んだ。
「別に変身術でも構いません。わたくしもそういつまでもボケずに働くことが出来るとは限りませんから。全体的にホグワーツの教授陣の平均年齢は高過ぎます。1人でやたら平均年齢を引き上げている人もいますが、あれはゴーストですから、それを差し引いても。殊に防衛術の教授職は1年以上在職する先生がいません。ひどい人は後頭部にヴォルデモートを貼り付けていました。あなたの能力からすれば、変身術もしくは防衛術の教授職が期待出来ます。あなたの後頭部にヴォルデモートが貼りつくことはないでしょうし、あなたなら磔の呪文1回で泣いて逃げ帰ることもないでしょうし、動物に変身できますので人狼に噛まれる心配もありません。校内に人狼が出現しても撃退する能力があります。さらに、ボケるまでにはあと数十年あります。あなたが防衛術の教授になるならば、他の先生方の負担が減ります。特にわたくしの」
「・・・まったく期待されている気分になれません」
下手な冗談は聞き流して、蓮は立ち上がった。一応の報告はした。
「ウィンストン」
「・・・はい?」
「5年生になったらOWL前に進路指導があります。それまでに家族と話し合っておきなさい。いいですか、必ずです。成人には重大な意味があるのですから。6年生になったらすぐに成人ですよ」