サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

79 / 210
第11章 4人の代表選手

ハグリッドのところに用があるという蓮と、ハーマイオニーが連れ立って森のほうへ向かっていると、巨大なパステル・ブルーの馬車が見えた。

 

「ここにボーバトンの生徒は1年間泊まるのね」

 

ハーマイオニーはしみじみ思った。クィディッチ・ワールドカップの時に経験したように単なるテントや馬車に見えても、おそらく内部は不自由のない豪華な造りだろうとは思うが、図書館とか大量の本とか、やっぱり図書館とかがない中で1年間戦い続けることは並大抵のことではないだろう。

 

「その意味でもホグワーツの代表選手は有利だわ」

 

言いながら蓮がハグリッドの小屋の扉をノックした。

 

「よう!」

 

ドアを開けたハグリッドを見て、蓮が驚愕に目を見開いた。「あ、お、おはよう、ハグリッド」もちろんハーマイオニーも絶句した。なにしろ、ハグリッドの様子がおかしいのだ。一張羅の背広を着込み、ネクタイを締め、髪にはこってりと油を塗りたくっている。車軸用グリースか何かだろうか。少なくとも整髪料の匂いではない。

 

「は、ハグリッド。まさか魔法省から何か言われたの? あの尻尾爆発スクリュートの件?」

「んにゃ。あいつらには、ちいっとばかりトラブルはあったが、問題はねえ。殺し合いを始めただけだ。もう箱を分けちまったから安全だよ」

 

ハーマイオニーは蓮のローブの背中をツンと引き、ハグリッドの衣装には触れないことをアピールした。きっと何かデリケートな気の迷いのはずだ。蓮は何かを感じ取ったのか、こほんと軽く咳払いをして話題を変えた。

 

「・・・あのね、ハグリッド。母に確かめたら、ハグリッドはちゃんとファイア・クラブの飼育ライセンスを取得しているのですって」

「おお! そうじゃねえかと思っちゃいたが、怜が言うなら安心だなあ」

「ただ、生徒に怪我をさせたら、いつものように問題になるでしょう? だから、十分な安全対策を考えたほうがいいと思うの。その・・・今年1年間、ハグリッドが学校を留守にしなくていいように。ほら、あの馬の世話とかもハグリッドにしか出来ないわ」

 

んだなあ、とハグリッドがうっとりした表情を見せた。「おまえさんの言う通りだ。マダム・マクシームにゃ俺の助けが必要だ。そうだな」

 

ハグリッドが恋をした、とハーマイオニーは額を押さえた。ある意味すごくお似合いの相手だ。体格だけなら。

 

 

 

 

 

玄関ホールに戻った蓮は、目の前の見事な髭を生やしているホグワーツの制服を着たよく似た2人の老人に向かって、深々と溜息をついた。

 

「・・・老け薬の飲み過ぎ?」

「・・・年齢線の効果を身を持って証明してやったのさ」

「将来禿げない証明にはなったみたいね」

「くっそう。アンジェリーナが17歳なのに、俺たちがまだ16歳なのはなんでだよ!」

 

フレッドらしき老人の叫びを聞いて、思わず蓮はハーマイオニーを振り返った。

再び老人たちに輝いた瞳を向ける。

 

「アンジェリーナはエントリーしたの?」

「ああ、さっきな。見事にゴブレットが羊皮紙を受け付けた。こうなったらアンジェリーナが選ばれることを祈るのみだぜ、フレッド」

「早く医務室に行って若返ってきたら? ハーマイオニー、アンジェリーナのところに行きましょう」

 

ハーマイオニーがすぐさま頷き、2人はグリフィンドール塔に向かって駆け出した。ただ観戦するよりも、身近なグリフィンドール生が出場してくれると、イベントはぐっと面白くなる。

 

「アンジェリーナ!」

「エントリーしたのね!」

 

談話室に駆け込んだ2人にアンジェリーナがはにかむような笑みを見せた。

 

「ゴブレットに選出されるかどうかはわからないけどね。挑戦だけは」

「選ばれるように祈ってるわ!」

「そんなことより、あそこの2人を止めてあげて。さっきからハリーが止めてるんだけど、老け薬を飲むって言い張って、必要量の計算をしてるの」

 

アンジェリーナが指さすほうには、老け薬らしきガラス瓶を前に羊皮紙になにやら計算をしているロンとネビルの姿があった。

 

「・・・老け薬で年齢線は誤魔化せないわよ」

 

ハーマイオニーが2人の前に立ちはだかった。

 

「ついさっきフレッドとジョージが体を張って証明してたわ。しかも玄関ホールにはギャラリーがたーくさん。みんなの前で老後の姿を見せびらかしたいなら止めないけれど?」

 

蓮も加勢すると、ロンは羽根ペンを放り出し「ダメだったのか!」と床に転がった。

 

「そんなに出場したかったの? ネビルまで?」

「・・・僕じゃ、選手にはなれないと思うけど・・・ばあちゃんはエントリーしたら喜んでくれるかなって」

「ヴィーラの目に留まるには選手になるのはいいアイディアだと思わないか?」

 

蓮は隣のハーマイオニーの口元がヒクっと引きつるのを見て、ロンの頭を叩きたくなった。

 

「助かったよ、2人とも。朝からどこに行ってたんだい?」

 

ハリーに問われ、蓮とハーマイオニーは目を見合わせた。「ハグリッドのところよ。尻尾爆発スクリュートの件で」

 

「そうか、僕はまだハグリッドのところに行ってないんだ。授業でしか。元気だった?」

 

ハリーがのんびりと尋ねた。蓮とハーマイオニーは「そうね、元気だったわ」と一応答えておいた。

 

「ただ、これだけは気をつけて。ハグリッドがたとえ挙動不審でもからかったりしないで」

「ハグリッドの人生に喜びがあるように心から祈るべきよ」

「幸せになって欲しいと影ながら応援したいわ」

「幸せになるためには特大サイズの家が必要になると思うけれど」

 

ハリーもロンも、まったくわけがわからないという顔で首を傾げた。

 

 

 

 

 

ハロウィンの晩餐会が始まった。ハーマイオニーの隣を歩く蓮は、いつもより複雑なネクタイの締め方をして、優等生らしく見える。グランパの躾が行き届いているせいか、ホグワーツの寮生活の中でも、髪は定期的に魔法でカットして整えているし、いつも真っ白でアイロンのかかったシャツを着ている。ネクタイは通常営業日と、パーティや式の時とで締め方を変える。どちらの場合のネクタイも、結び目の下にできる窪みまで絵に描いたようにパーフェクトだ。確かにそこらの男子生徒より紳士的でハンサムなのだ。「レンが男の子だったら良かった」

 

思わず呟くと蓮が「わたくしが男子だったら、たぶんあなたはわたくしに見向きもしなかったわよ」と苦笑する。

 

「どうしてよ」

「ハーマイオニーは理想の男性像と、現実に好きになる男性像の乖離が激しい気がするわ」

「どういう意味?」

「ハンサムな優等生には憧れるだけ。実際には、ちょっと手のかかる人から目が離せないの」

 

どす、と蓮の脇腹に肘を入れた。

 

「今年、わたくしが一番嬉しいことは何かわかる?」

「その顔を見ればね。週に何度かはフレンチが食べられる。でしょう?」

「そう! ソーセージやポテトやベーコンだらけの食生活から解放されるわ」

 

まさか、とハーマイオニーは蓮を横目に睨んだ。「イギリスの食生活が気に入らないから将来は日本で暮らすなんて考えてるんじゃないでしょうね?」

 

「そうじゃないけれど・・・ジニーから聞いたの?」

「ジニーがすごく落ち込んでるわよ。あなたが卒業したら会えなくなるんだって」

 

蓮は肩を竦めた。「先のことはわからないわ。今のところ、日本の大学に進学することは決めているってだけよ」

 

「わたしにとっては、不可解な進路じゃないけど、ジニーにとっては異次元の世界みたいだから、会えなくなるわけじゃないって機会があったら言ってあげて」

 

 

 

 

 

晩餐会が終わると、いよいよ炎のゴブレットが大広間に運び込まれてきた。

 

「ホグワーツからアンジェリーナ、ボーバトンからフラーだったらいいわね」

「グリフィンドールはアンジェリーナしかエントリーしてないの?」

「たぶんね。こっそりエントリーした人がいたらわからないけど、みんなが見てる時間帯にエントリーしたのはアンジェリーナだけ」

「だったらアンジェリーナで決まりだ」

 

ハリーの言葉にロンが頷いた。「そりゃ、ディゴリーよりゃアンジェリーナさ!」

 

ダンブルドアが杖を大きく一振りすると、ジャック・オー・ランタンの明かりだけを残して部屋は真っ暗になった。炎のゴブレットは、大広間の中でひときわ輝いて見える。すべての目がゴブレットを見つめる。

 

ゴブレットの炎が、赤く大きく燃え上がり、火花が飛び散った。その炎が、ひらりと羊皮紙を1枚吐き出した。

 

「ダームストラングの代表選手は、ビクトール・クラム!」

 

お約束ね、と蓮が頭を振った。

 

世界的なシーカーの出場が決まった。そんな大歓声の中で、またゴブレットの炎が燃え上がる。

 

「ボーバトンの代表選手は、フラー・デラクール!」

 

フラーよ! と叫んだハーマイオニーと、隣に並んだ蓮にフラーが微かに笑みを見せた。

 

先に呼ばれたクラムと同じように、フラーも教職員テーブルの奥の部屋に消えて行った。

 

「ホグワーツの代表選手は、セドリック・ディゴリー!」

 

ハッフルパフのテーブルから割れんばかりの大歓声が上がった。あまり目立つ功績のないハッフルパフからホグワーツを代表する選手が出たのだ。ハッフルパフ生の興奮はただごとではない。

 

「これで3人の代表選手が決まった。みなうち揃ってあらん限りの力を振り絞り・・・」

 

そのとき、炎のゴブレットが四度赤々と燃え上がり始めた。火花が迸り、空中に羊皮紙を載せた炎が伸び上がる。

羊皮紙を取ったダンブルドアも、しばらく言葉を失ったように見えた。

 

「・・・ハリー・ポッター」

 

 

 

 

 

ハリーの顔から血の気が引いた。その隣でロンが呆然としている。ハーマイオニーは口元を両手で押さえて叫び出すのをこらえているように見えた。

 

「僕、名前を入れてない」

 

ハリーが3人の親友に確かめるように呟く。蓮は頷いた。そんなことはわかっている。しかし、これはもうそんな次元の話ではなかった。

 

「ハリー・ポッター! ハリー! ここへ、来なさい!」

 

行くのよ、とハーマイオニーが強めに囁き、蓮はハリーの背中を押した。ロンは驚きの波が過ぎたのか、俯いている。

 

「レン・・・」

 

ハーマイオニーの声に、蓮は頷いた。「例年通り、トラブル発生ね」

 

ぴゅう! とフレッドとジョージが口笛を吹いた。「やってくれたぜ、ハリー!」

 

よろよろと代表選手の部屋に向かうハリーの背中からは「やってやったぜ」という気配は微塵も漂わない。

 

まあ、とロンが掠れた声を出した。「うまくやったよな、うん」

 

「ロン!」

 

ハーマイオニーが小声でロンをたしなめたが、もうロンの耳には入っていないようだった。

 

 

 

 

 

グリフィンドール塔に戻ると、もうロンの姿は談話室にはなかった。ハーマイオニーは蓮の耳に「『ホグワーツの歴史』で調べてみる」と囁くと、女子寮への階段に消えた。

 

「ジョージ」

 

グリフィンドールの寮旗を引っ張り出してきたジョージを呼ぶ。

 

「ハリーは喜ばないと思うわ」

「なぁに言ってんだ。グリフィンドールから代表選手だぜ。応援しなくてどうする!」

 

ジョージのローブの背中を掴んだ。「ハリーが自分で名前を入れたなんてことないわ、絶対」

 

ジョージが蓮の頭にぽすんと手を置いた。「かもな。でも、ハリーは今までいろいろうまくやってのけた。今度もうまくやってのけてくれれば最高だろ? 応援しようぜ」

 

そこへハリーがよろめくように入ってきた。大歓声の中、ハリーが縋るような目で「レン、何がどうなってるのかわからない。僕は名前なんて入れてない」と言い、蓮は「もちろん。わかってるわ」と答えたが、すぐに周りのグリフィンドール生がハリーを担ぎ上げ、お祭り騒ぎを始めてしまったので、それ以上の言葉は交わせなかった。

 

 

 

 

 

騒ぎに疲れたハリーが男子寮に上がるのを見送り、蓮は女子寮に戻る階段を上がっていった。

 

「ああ、レン。ダメよ、辞退なんか出来ない。何があろうとも。炎のゴブレットが名前を選出した時点で魔法契約が発効するの! 最終戦まで戦わなきゃいけないのよ、その・・・途中で死なない限り。手を抜いて勝たないようにしても」

「意味はないわ。トーナメント方式なら、初戦で負ければいいけれど、最終戦までの得点積み上げ方式でしょう?」

「どうしてハリーばっかりこんなことになるの?!」

 

ハリー・ポッターだから、と蓮は微かに微笑んだ。「それより、ハーマイオニー。ロンの様子が変」

 

ハーマイオニーは「わかってる」と呟いた。「素直に応援なんてしたくないと思うわ。ロンは老け薬を飲もうとまでしてたんだもの」

 

「わたくしは、ちょっと真面目に国際交流をしてみることにする」

「レン?」

「ボーバトンやダームストラングから探りを入れられるかもしれないから、そのときはね。ハリーがやったわけじゃないというアピールはしなきゃ。ただでさえ『おびただしい死者』が出たイベントなのに、他の選手からの妨害まであったら目も当てられないわ」

 

そうね、と頷いてハーマイオニーが『ホグワーツの歴史』を閉じた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。