イースターが終わり、5月の風が爽やかに吹く頃になると、ジニーの箒の技術は目に見えて伸びてきた。おそらく箒の技術だけならアリシアよりも上だろう。
「あとは実戦練習ね」
ハグリッドの畑に着地するジニーに蓮ははっきりと言った。
「今年はすることないけれど、アンジェリーナは一応クィディッチ・チームのキャプテンだから、クァッフルを貸してもらえないか頼んでみましょう」
「ほんと?」
蓮はにこりと微笑んだ。
「ほんとよ。それに、ハグリッドの畑はまた使えなくなるわ」
「第3の課題は禁じられた森?」
違う違う、と笑いながら、禁じられた森の境界近くに積んである堆肥の山を指差す。「ほらあれ。たぶんハグリッドが近いうちに畑を掘り返して堆肥を入れるはずよ。次のハロウィンのためのおばけかぼちゃを育てる畑作りを始めなきゃいけないもの」
ジニーは仕方ないと言うように肩を竦めた。
「今日は、ハーマイオニーがフラーとデートする番なの?」
「そうよ? 気になるなら、ジニーも参加する?」
ジニーがつまらなそうな顔で「わたしが緋色のおべべ作戦に参加なんてしたら、絶対にママから吼えメールが来るわ。『週刊魔女』を読んでるもの」と言った。「成果はあったの? ママには手紙で、これはスキーターを追い詰める作戦だって言ってあるのよ」
「情報源がグリフィンドール生じゃないこと、ハッフルパフ生じゃないことは確認出来たわ。寮の中と薬草学の授業中は、わたくしとハーマイオニーは普通にしてるもの」
「きっとスリザリンだわ」
「まあ、最初からそれは予想出来ているのよね。スキーターはスリザリン出身だってマクゴナガル先生も言ってらしたし」
「マイクとルーナにレイブンクローの様子を聞いてみましょうか?」
お願いするわ、と蓮は微笑み、ハグリッドの小屋の扉をノックした。「ハグリッド?」
「おう、緋色のおべべの片割れか?」
「と、その弟子よ」
「冷ました茶を用意しといた、飲んで帰れや」
「ありがとう、喉がからから」
蓮は用心深くハグリッドの小屋を見回した。先日は尻尾爆発スクリュートが残り2匹になったと嘆いていたから、小屋の中で溺愛しているのではないかと警戒しているのだが、それらしい木箱が見当たらない。
「ハグリッド」
「どうした? キョロキョロしとらんで、おまえも茶でも飲め」
「いただくわ。尻尾爆発スクリュートはついに全滅したの?」
ハグリッドは複雑そうな顔で「あいつらにゃあ、ええ仕事が見つかったんだ」と呟いた。「ちいっと寂しいが仕方がねえ」
なるほど、と蓮は頷いた。もともと三大魔法学校対抗試合のために作り出した品種だ。第3の課題で消費するのが妥当だろう。禁じられた森で自然に還されても困る。そもそも自然界に存在しない生物なのだから。
しかし、ハグリッドが消沈してしまうと面倒なので「ハグリッド、畑の土作りはいつから始めるの?」と話題を変えた。
「明日っからのつもりだ。俺の頭の上を飛ぶ分にゃ構わねえが、ドラゴンの堆肥をどっさり入れるから、匂いがきつくてなあ。おまえさんたちを肥やし臭くするわけにゃいかねえから、1週間ぐれえは飛行禁止だ」
「今まで使わせてくれてありがとう。ジニーがすごく伸びたの。ハグリッドのおかげだわ」
ハグリッドが嬉しげに頬を緩め「そいつぁ来学期が楽しみだなあ、ジニーの試合は絶対見に行かにゃあならん」と笑った。
図書館の隅のテーブルに並んで座り、顔を寄せ合って、ハーマイオニーとフラーは「週刊魔女」を眺めてフランス語で囁くような会話をしている。
『これは何て書いてあるの? 英語の勉強になるほど上品な文章なら、自分で翻訳するけど』
『ああ、これは・・・マドモワゼル・グレンジャーは第2の課題で大きな失策を冒したクラムを捨て、なんと、同じ課題でハリー・ポッターをも凌ぐ活躍をしたフラー・デラクール選手に乗り換えたと、関係筋からの情報である』
『わたしの活躍を書いてくれてありがとう、ってところね』
『デラクール選手には、すでに失いたくない宝としてマドモワゼル・ウィンストンがいたが、破廉恥にもマドモワゼル・グレンジャーはそれに割り込み、親友だった2人の仲はすでに破綻しかかっている。マドモワゼル・グレンジャーは夏休みにはフランスのフラーを訪ねるとはっきり言っているようである。クラムのブルガリア行きをいつ断ったかわからないが、クラムにもハリー・ポッター同様に、素晴らしい女性が現れることを祈りたい』
そこまで読んで、ハーマイオニーはニヤと笑った。
『アーマイオニー?』
『ねえ、フラー。この前、ここにコガネムシがいたの、覚えてる?』
フラーはしばらく考え『いたわね』と答えた。『目の周りにいやらしい模様があったわ。あなたが急に英語に切り替えたときよ。フランス行きの話は英語だったもの』
捕まえた、とハーマイオニーが悪い笑顔を見せた。
「やっぱりコガネムシよ。目の周りに眼鏡みたいな模様のあるコガネムシを探す必要があるわ」
部屋でハーマイオニーは蓮に断言した。
「尻尾を掴んだのね」
「ええ。ハグリッドがマダム・マクシームに自分の出生を打ち明けたときには、ハリーとロンの目の前にコガネムシがいた。あなたが変な季節のコガネムシだって言ったわ」
「クリスマスにコガネムシは不自然よね」
蓮は苦笑する。
「第2の課題のあと、ビクトールが言った『大きなゲンゴロウ』も、湖から上がったばかりという先入観からゲンゴロウと表現したんだろうけど、サイズ的にはコガネムシサイズだったと思うの」
「まあ、英会話スクールでゲンゴロウとコガネムシという単語はなかなか出てこないでしょうから、同じ意味かもしれないし」
そしてこれよ! とハーマイオニーは新しい「週刊魔女」を広げた。
「毎年のフランス行きの話をしていたとき、テーブルの上にコガネムシがいたの。だから、それまでフランス語で会話していたのを英語に切り替えてフランスに行くって言ったわ。そのあと、フランス語に切り替えて、祖母が入院しているからわたしはお見舞いに行ったらすぐロンドンに帰る、母だけが滞在するからよろしくね、って言ったの」
「・・・フランス語がわかるコガネムシなら、家族ぐるみのおつきあい! って盛大に書きそうなネタがあるのにね」
悪意ある記事の影には常にコガネムシ、とハーマイオニーは呟いた。
「明日の緋色のおべべ作戦が山場ね。フラーとわたくしが湖の畔をデートしているところでコガネムシを探すことにするわ」
フラーの肩を抱いて、城からもよく見える湖の畔のベンチに座った。
フラーの耳に唇を寄せ『コガネムシを引き寄せたいの』と囁いた。フラーは頷き『目の周りにいやらしい模様のあるコガネムシね』と蓮の耳に囁き返す。
『動物もどきとしては役に立たない昆虫に変身するなんて、常識では考えられないわ』
『それがあの女の本質よ、覗きと盗聴のことしか考えていない』
殺伐とした会話を美しい微笑と、頬を寄せ合う雰囲気でこなしていると、微かな昆虫の羽音が聞こえてきた。
『来たわ、フラー。わたくしが意外と天才的な変身術者だというところを見せてあげる』
立ち上がった蓮は、ベンチの背にとまったコガネムシに向かって杖を振った。
「ひぃ!」
ベンチに座ったフラーの隣に転がり落ちたリータ・スキーターは、目の前に突きつけられた蓮の杖と、横から突き出ているフラーの杖を見比べ、身動きさえ出来ない様子だった。
「はい、アズカバン行き決定」
にこ、と微笑み、蓮はリータ・スキーターに杖を突きつけた。そして一振り。再びコガネムシに戻ったスキーターを摘み上げ、ガラス瓶に詰めた。
『お見事』
立ち上がったフラーが蓮の頬にキスをした。
『フラー、協力してくれてありがとう』
『大したことはしていないわ』
『お礼は第3の課題に投入される危険な生物についての情報でいかが?』
フラーと手を叩き合わせ、交渉は成立した。
『ハグリッドが、この対抗試合のためにマンティコアとファイア・クラブを掛け合わせて作り出した新品種なの。尻尾爆発スクリュートってわたくしたちは呼んでいるけれど、見た感じは巨大なサソリ。わたくしたちが世話していたのは全長2メートルぐらいまでだったわ。今はもしかしたら全長3メートルを超えているかもしれない。背中に分厚い甲殻があって、尻尾から火を噴くわ。性質は凶暴。機会さえあれば互いに殺し合う癖がある。残り2匹だって言っていたから、2匹とも投入されるはずよ』
フラーは上品な笑顔のまま『オグワーツは選手を殺す気?』と呟いた。
グリフィンドール塔の談話室の真ん中で、蓮がコガネムシを瓶から出して、人間に戻した。
周囲をハリー、ハーマイオニー、そしてウィーズリー家の燃えるような赤毛に囲まれ、杖さえ持たないスキーターはひたすら萎縮している。さらに、コリン・クリービーはカメラを構えている。
「マダム・スキーター、わたくしは魔法省に登録済みの正式な動物もどきとして、違法な動物もどきを知ったら通報する義務があります。あなたは残念ながら、アズカバンに収監されることになるでしょう」
抜け道があることは、まだ知られていないので教えてやる義理はない。
スキーターはカタカタと眼鏡の震える音をさせて、じり、と後ずさった。
「ただ、たかがコガネムシを大々的に通報するのも気恥ずかしいので気は進みません。あなたが『リータ・スキーターのアズカバン囚人日記』を書いて出版するおつもりがあれば別ですけれど」
蓮とハーマイオニーは並んで、ニヤリと笑った。この場を支配しているのが、この2人のフランスまで巻き込んだ執念であることを理解しているこの場の面々は、まるで忠実な兵士のように表情を変えずにスキーターを睨んでいる。
「そういう理由から、わたくしたちは寛大にも、あなたに選択肢をあげたいと思います。まずひとつ目。わたくしの術でコガネムシに変身させられ、先ほどのように心からコガネムシになりきって大自然の中で生きていく。ああ、フクロウ小屋で解放しますから、生きてフクロウ小屋を出られるかどうかは、大きな賭けですね」
「ふたつ目。自発的にコガネムシに変身し、このガラス瓶に入る。国際試合が行われている期間は解放しませんが、わたしたちがロンドンに戻ったら、ウィンブルドン辺りで解放します。もちろんあなたは自由になれます。ただ、お行儀の悪い記事を書いたら、レン・ウィンストンはこのコリンが撮影した記録写真を魔法省に提出します」
「日刊予言者新聞にも外国から圧力をかけていますので、あまりお行儀の悪い記事は売れなくなります。ちょうどいいでしょう?」
「さあ、どちらを選びますか? コリン? ちゃんと連続写真を撮ってね」
コリンはガクガクと震えるように頷きながらも、健気にカメラを構えた。
「はん! あばずれのお嬢ちゃんたちにしちゃ考えたもんじゃないか!」
「コリン、きれいな連続写真が撮れたら『変身現代』の編集部に紹介してあげるわ。マダム・スキーターは『変身現代』からは記事を買い上げて貰ったことがないみたいだから、是非体を張って記事になっていただきましょう。わたくしの変身後の姿と、コガネムシ。どちらがあばずれに相応しい姿に見えるか、変身術者の方々にアンケートを取っていただくのはどうかしら?」
「そして、大々的な裏付けある記事を書きましょうか? ホグワーツを卒業してから、若いサー・ウィンストンの記事でフリーライターとして名を売るまで、あなたがどんな暮らしぶりだったか」
ハーマイオニーの言葉に蓮がおっとりと微笑んだ。
「わたくしやハーマイオニーを、あばずれに仕立て上げる記事は実際にとてもリアルな筆致でしたね。それからあなたのイントネーションは、スリザリン出身という経歴から連想される良家の子女のそれではない。どこでそのようなイントネーションを身につけられたのか、非常に興味があります」
スキーターはギリギリと歯を食いしばった。
それを一顧だにせず、上機嫌で歌うように蓮は続けた。
「数々のでっち上げの名声をペシャンコにしてきた魅惑の43歳、でしたね、確か。わたくしが代わりにあなたの、文字通り、でっち上げの名声をペシャンコにすると言ったはずです」
蓮の言葉に「ハメやがったざんすね!」と、スキーターは叫んだ。ハーマイオニーが、にこり、と無邪気な笑顔を向けて言った。
「商売女のイントネーションを覚えるより、フランス語ぐらいは教養として身につけておけば、こんな罠に引っかかることもなかったんですけどね」
覚えておきな! と捨て台詞を吐いて、スキーターはコガネムシに変身した。コリンのシャッター音がリズミカルに聞こえる。
カサコソと乾いた音を立ててガラス瓶に収まったスキーターだったが、ハーマイオニーがそれに蓋をして、割れないような魔法をかけると猛り狂ったようにガラス瓶の中を飛び回った。
ハーマイオニーはそれを投げ出して、蓮と大きなハグをした。「完全勝利よ!」
慌ててガラス瓶をキャッチしたロンは、隣のハリーに「あの2人だけは怒らせちゃいけない。僕、今度こそ学習した」と呟いた。
翌日の放課後、アンジェリーナからクァッフルを貸し出してもらった蓮は、ジニーを連れて、クィディッチピッチに向かっていた。
「クィディッチピッチ? 使えるの?」
ジニーの言葉に「特に許可は受けてないけれど、大丈夫でしょう。どうせ今年はどのハウスもチーム練習なんてしてないのだし」と笑いながらスタンドの隙間を通ってピッチに出た蓮が、くるりと体の向きを変えた。
「レン?」
「ジニー、すぐにグリフィンドール塔に戻りましょう。クィディッチピッチは使えないわ」
「え? だったら別の場所」
「ハリーに知らせなきゃいけないの」
蓮はクァッフルを抱え、箒を担いで城まで全力で駆け出した。
「レン、待ってよ、レン!」
ジニーの声を背後に聞きながら、階段をいくつもいくつも駆け上がり、グリフィンドールの談話室に駆け込む。
「ハリー! すぐに来て!」
ロンと「だまし杖」同士でチャンバラをしているハリーのセーターの背中を引っ掴み、蓮は肖像画の穴を再びくぐる。
「レン? どうしたんだい?」
「第3の課題がわかったの」
「ほんとに? いったいどうやって」
パーバティに箒とクァッフルを預け、階段を駆け下りながら、蓮は「たまたまよ。厳重に隠してあるわけじゃないから、たぶん選手にもいずれ公表されると思うけれど、早く知っておくに越したことはないわ」と言った。
「今度はどこだい?」
「クィディッチピッチよ。ああ、ジニー、今日のトレーニングは中止。ごめんなさい」
箒を担いで息を切らしたジニーとすれ違うと、ジニーが「また戻るの?」と情けない声を出した。
念のためにハリーと自分に目くらまし術をかけて、ハリーにピッチの現状を見せた。
「な、なんだ、これ」
「おそらく6月下旬にはこの生垣がもっと大きくなって壁の役目をするのだと思うわ」
蓮はハリーに囁き声で答えた。
「つまり、迷路?」
「たぶんね。ただの迷路じゃなくて、以前にルーピン先生の防衛術の試験でやったみたいに障害となる仕掛けを投入するとは思うけれど。ハグリッドの言い方から想像すると、尻尾爆発スクリュートはほぼ確実に」
ハリーが息を呑むのが聞こえた。
「ハリー?」
「・・・レン、殺し合いに生き残って成長しきったスクリュートが障害のひとつだとしたら、あとは何だと思う? 尻尾爆発スクリュートレベルの障害がいくつもあったら、僕、今度こそ死ぬかも」
「死なないように準備するのよ」
そのとき、ジニーが蓮を呼ぶ声が聞こえてきた。
「レン? ハリー? どこ?」
蓮は観客席の隙間からピッチの外に出ると、目くらましを解いた。
「ジニー、静かに」
後ろから出てきたハリーがレンのパーカーの背中をツンと引っ張るので、ハリーの目くらましも解いてやると、顔は青ざめている。
「ハリー、大丈夫?」
ハリーはふるっと頭を振った。「ちょっと散歩してくるよ。このまま寮に帰ったら、みんなに心配かけそうだ」
そうね、と蓮が頷くと、ハリーはふらふらと禁じられた森に向かって歩き出した。
「レン、ハリーは大丈夫なの? ついていったほうがいいんじゃない?」
ジニーの言葉に、蓮は少し考えて頷いた。「そうね。しばらく間を空けてついて行きましょう。たぶん1人で考えたいでしょうから、話しかけないようにね」
ハリーから少し距離を置いて、箒を担ぎ直したジニーとぶらぶら歩き出した。
ジニーが小声で「そんなに大変な課題なの?」と尋ねる。蓮は小さく頷いた。
「ドラゴンより?」
「何が飛び出してくるかわからない迷路だもの。ドラゴン1頭を出し抜くのとはわけが違うわ」
「ハリーなら大丈夫よね?」
「もちろん、と言いたいところだけれど、ハリーは4年生。この試合は本来は成人した学生向けのものだから、ハリーの知っている呪文では対応出来ない可能性もあるし、なによりもね、ジニー、ハリーは1人で対処しなきゃいけないの。ロンもハーマイオニーもわたくしも一緒にいられない。今まではみんなで力を合わせて戦ったことばかりだから、ハリーはすごく心細いはずよ。もちろん他の代表選手もね」
ジニーは心配そうに、ハリーのセーターがハグリッドの小屋の前を通り過ぎるのを見送っている。
「ジニー」
「・・・え?」
「ハリーは、決して英雄じゃないわ」
「そんなこと」
「別に貶しているわけじゃないからよく聞いて。ハリーがヴォルデモートを倒したと語られているけれど、そんなはずないでしょう? たった1歳だったんだもの。ホグワーツに入学して以来、ハリーがいろいろな活躍をしてきたのは彼自身が、自分のご両親を殺した闇の魔法使いを許さないと決めたからだし、たくさんの人の期待を裏切りたくないから。ハリーはそのために努力しているの。失望したかしら?」
ジニーは急いで首を振った。
「そんなことあるわけないわ」
よかった、と蓮が微笑んだ。「ハリーのああいう姿を見てジニーが失望しないのなら、ジニーはいつかハリーと肩を並べることが出来るわ。それはクィディッチかもしれないし、ヴォルデモートと戦うときかもしれない。好きでもない人と無理にお付き合いしなくても、ハリーと肩を並べる方法はたくさんあるわよ」
その時、禁じられた森の方から、ハリーの押し殺した声が聞こえてきた。
「・・・さん、落ち着いてください」
蓮はジニーを置いて駆け出した。ハグリッドの小屋の裏手を駆け抜け、禁じられた森の入り口近くにいるハリーと、もう1人の人物のもとまで一気に。
「ハリー?!」
「ああ、レン、助かった。ミスタ・クラウチが森から現れたんだ、急に」
ハリーが相対している人物を見て、蓮は目を疑った。ローブの膝が破れ、血が滲んでいる。顔は傷だらけで、無精ひげがのび、明らかに疲れきっている。普段はきちんと整えていたであろう髪も口髭もぼさぼさに伸び、汚れ放題だ。
「なにか、ダンブルドアに伝えたいことがあると言ったかと思えば、ウェーザビー。あ、たぶんパーシーのことだよ。とにかくウェーザビーに仕事の指示を出してるつもりになったり、めちゃくちゃなんだ」
蓮は頷き「わたくしがここにいるから、あなたはとにかくダンブルドアを呼んできたら?」とハリーに言った。
「ありがとう、ウェーザビー。それが済んだら紅茶を一杯もらおう。妻と息子が間も無くやってくるのでね。今夜はファッジご夫妻とコンサートに行くのだ」
立木に向かって話しかけるクラウチを横目に観察しながら言うと、ハリーはそわそわと「でも君1人じゃ」と言う。
「1人じゃないわ。ジニーもいるし、ジニーの箒もある。とにかく早くダンブルドアに会わせたほうが良さそうよ」
「・・・わかった。なるべく早く戻るよ。気をつけて」
突然、ガッと蓮の両腕にクラウチの細い指が食い込んだ。「逃げてきたんだ・・・警告、警告、警告しなければ・・・ダンブルドアに打ち明けねば・・・すべて私のせいだ」
「ミスタ・クラウチ、落ち着いてください。今、ダンブルドアを呼びに行きました。じきにダンブルドアを連れて戻ってきま」
きゃあ! という短い悲鳴が聞こえて、蓮は振り返った。「ジニー?」
「そうなんだよ。息子がOWLで12科目もパスしてね。満足だよ」
立木に向かって息子がOWLの12科目を優秀な成績でパスしたことを自慢し始めたクラウチをそのままに、蓮はジニーのもとへ駆け戻った。
「ジニー!」
地面にうつ伏せで倒れ伏しているジニーを仰向けに寝かせるが意識が戻らない。蓮はジーンズの太腿のホルダーから杖を抜くと、ジニーに向けて「リナベイト!」と叫んだ。
ジニーが目を開けた。ぼんやりしている。
「れ、レン?」
「よかった、ジニー。ゆっくりでいいから、ハグリッドの小屋の中で待っていてくれる?」
ジニーが頷くのを確認して立ち上がり、クラウチの元へ駆け戻ろうとしたとき、緑の閃光が走ったのが見えた。
「・・・! ミスタ・クラウチ!」
クラウチの元へ駆け戻り、物言わぬ骸と化したクラウチの遺体の周りを杖を構えたまま見回した。
折悪しく風が強くて、森から中を走る物音をかき消すような木々の葉擦れの音しか聞こえてこない。
ハッと気付いて蓮は喉に杖先を当て「ソノーラス」と呟くと「ハグリッド!」と声を限りに呼んだ。
どすどすと地響きを立ててハグリッドが駆け寄ってくる。蓮は杖を構え、油断なく辺りに目を配っている。
「レン! これはいってえ・・・」
「お願い、ハグリッド。小屋の裏手にジニーがいるわ。失神させられたの。蘇生させたけれど、素早くは動けないだろうから、ハグリッドの小屋で休ませて、ついていてあげて。じきにハリーがダンブルドアを連れてくるから、わたくしはそれまでミスタ・クラウチの遺体を守るわ」
「間違いなく死んどるのか?」
「緑の閃光が見えたわ」
ハグリッドはそれを聞くとブルっと身震いをし「わかった。まずはジニーだな!」と駆け出していった。
それと入れ替わるように「ウィンストン!」という唸るような声が聞こえた。「ハグリッドを呼んだようだが。いったい」
「ムーディ先生。死の呪文でミスタ・クラウチが殺害されました」
「おまえは犯人を見たのか?」
「いいえ。おそらく森の中から呪文を放ち、そのまま森の奥に入っていったと思います。じきにハリーがダンブルドアを連れてきますから、それまでの警戒が必要です」
ふむ、と言いながらムーディは杖を構えた。
「足音も聞いておらんのか?」
「風が強くて葉擦れの音が大きかったのです。足音を聴き取ることは出来ませんでした」
「おまえは動物もどきだろう。犬の聴覚を使えば」
ムーディ先生、と蓮は微笑んで遮った。「こんなときに動物に変身するメリットがありません。動物に変身したら、動物の身体能力以外は丸腰になります。杖使いの状態で現場を保存することのほうが重要だと判断しました」
「よし、よし。現場から離れてはならん。犯人はおまえをここから引き離し、クラウチの遺体を始末するつもりだったかもしれん。そうすればクラウチの死が明らかになることはない。だが、おまえはそれを挫いたのだ」
「・・・ムーディ先生は近くにいらっしゃったのですか?」
蓮はムーディと互いに背を向け合う形で辺りの気配に耳をそばだてていた。
「クィディッチピッチの様子を見ておった。おまえたちが箒の練習をするつもりで来たが、ピッチを見てすぐに回れ右をしてポッターを連れて来たのも見ておったぞ。わしの気配に気づかんようではまだまだだ、ウィンストン。油断大敵!」
「・・・そうですね、まだ未熟です」
その時、ハリーの声が聞こえた。「レン! 校長先生を連れて来たよ!」
「なんたることじゃ、バーティ」
口の中でそう呟いたダンブルドアが、蓮に向き直った。
「ハリーがここを離れてからのことを説明してくれるかの?」
蓮は頷き「ミスタ・クラウチは、過去の・・・ご子息と奥さまと一緒にコンサートに行く予定を話したかと思えば、急にまともな思考に戻ったように、ダンブルドア先生にお話しすることがあると、尋常ではない様子でおっしゃいました。ダンブルドア先生にお話しすることがある、すべてご自分のせいだとか。わたくしが、今ハリーがダンブルドア先生を呼びに行きました、と答えていると、あちらのハグリッドの小屋の裏手でジニーの悲鳴が聞こえました」と説明した。
「わたくしがジニーのもとへ駆け戻ると、ジニーは失神させられていました。リナベイトで起こして、ハグリッドの小屋の中で待っているように勧め、ここに戻ろうとしたとき、緑の閃光が見えました」
ダンブルドアが険しい目を森に向けた。
「犯人はおそらく森の奥へ入ったと思われますが、ジニーの安全を確保することと、現場でダンブルドア先生とハリーを待つことを優先し、ハグリッドが畑にいるはずだと思ったので、ソノーラスで声を拡大してハグリッドを呼び、ジニーを小屋の中で保護してくれるように頼みました。それからすぐに、ムーディ先生がいらっしゃいました」
「うむ。わしはクィディッチピッチを見回っておった。ハグリッドを呼ぶ声が聞こえたのでな、急いで来てみた次第よ。ダンブルドア、死の呪文を容易に使う人間がホグワーツに紛れ込んでおる。第2の課題の服従の呪文と言い、最大限の警戒をせねばならん」
無論じゃ、と言いながらダンブルドアは屈み込んでクラウチの遺体を調べ始めた。
「ハリー、それからミス・ウィンストン、クラウチは他には何か言っておらんかね?」
「いいえ。ダンブルドア先生にお話しすることがある、すべてご自分のせいだ、それだけしかはっきりわかった言葉はありません」
「僕もです」
答えながら、ハリーが自分をちらちら見ているのを蓮は表情も変えずに無視した。
「うむ。であるならば、君たちはもう役目を十分に果たしたであろう。ミス・ウィーズリーを連れて寮に戻るが良い。その時にハグリッドに、わしがここで呼んでいると伝えてくれるかの?」