サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第26章 第3の課題

ハリーやロンが、失神術や武装解除術、妨害の呪い、粉々呪文、四方位呪文、盾の呪文を練習する隣で、ハーマイオニーと蓮は決闘を繰り返してきた。

 

蓮は、いったいいつそんなことを学んだのかわからないが、対人戦闘の魔法は、防衛術の7年生の教科書に載っているぐらいのことなら容易くこなし、ハーマイオニーを驚かせた。

 

「いったいいつ覚えたの? ディフィンド!」

「・・・入学前よ」

 

呪文も杖も使わずにハーマイオニーの切り裂き呪文を跳ね返しながら、口数少なく、蓮は答えた。

 

「ホグワーツの入学前?!」

「マグルの小学校の入学前は、必ず闇祓いと一緒だったから」

 

ハーマイオニーのクラゲ足の呪いを、杖も使わずにあっさり跳ね返しながら蓮が答え、ハーマイオニーはハッとした。

ハリーとロンが闇祓いの仕事に興味を持っていたから調べたことがあるが、闇祓いの職務には要人警護が含まれる。ずっと誰か闇祓いと一緒にいなくちゃいけなかったということは・・・。

 

「護衛されていたということ? ペトリフィカス・トタルス!」

「そんなに大袈裟なものじゃないわ」

 

また杖も使わずに防がれ、ハーマイオニーは拘束された。

 

「・・・降参するわ」

 

蓮が頷くと、瞬時に拘束が解かれた。

 

「あなた、普段の授業、全然本気出していないのね。今も」

 

ハーマイオニー、と蓮が苦笑した。「わたくしには、命も懸かっていない時に本気を出すということがよくわからないの」

 

ハーマイオニーが「ホグワーツに入学してからは身近にハリーがいたからわかるけど」と呟いた。「ホグワーツに入学する前から命懸けで魔法の訓練?」

 

「知ってるでしょう。わたくしの祖父母4人のうち、3人が元闇祓いだし、グラニーは元呪い破り。しかも日本の祖母の親友や後輩はマクゴナガル先生にマッド・アイよ。ベビーシッターを頼んだら、自動的に虐待ギリギリの魔法遊びになるわ」

「服従の呪文と磔の呪文の耐性訓練とか?」

「裏山の草木や岩を野生動物に変身させて追い回されたりね。死ぬかと思ったわよ。食べ物にはだいたい真実薬とか愛の妙薬とか、得体の知れない魔法薬が入っていたし」

 

ハーマイオニーは頭を振った。「あなた、虐待ギリギリじゃなくて、虐待の線をはるかに超越していることを自覚するべきだわ」

 

 

 

 

 

たぶん大丈夫だ、と思いながらも、ハーマイオニーはクィディッチの観客席に座り、照明で照らされたスタート地点に立つ蓮の姿を見て、思わずいつものように両手の指を組んだ。

 

フラーと並んで、すらりとしたスタイルの蓮の足元にはハリーがうんこ座りして、口をぶつぶつ動かしている。たぶん呪文を暗唱しているのだろう。

 

そんなハリーと同じ代表選手のユニフォームを着て、変身に備えてショルダーホルスターを装備した蓮が、ハリーのお尻を軽く蹴った。たぶん「みっともないから立て」と言ったのだろう。弾かれたようにハリーがお尻を押さえて立ち上がり、フラーが呆れたように頭を振った。

 

「よし、いつも通りだな」

 

ロンが、ふう、と息を吐いて呟いた。

 

ハーマイオニーは来賓席を見上げた。ディゴリー夫妻、クラム夫妻の隣にはフラーの両親の代わりにグランパとグラニーが座り、その隣に蓮の母親のレディ・ウィンストン、そしてそのさらに隣にはダーズリー夫妻・・・に変身した駄犬2匹が座っている。ハリーがたまに複雑な表情でそちらをチラチラ見上げるのも無理はない。

ルーピンがミスタ・ダーズリーなのはまだ良いとして、シリウスがミセス・ダーズリーなのはいかがかと思う。スカートをはいた両足を大きく広げて、前のめりで応援の体勢になっているミセス・ダーズリーの足を、レディ・ウィンストンが杖を振って縛ったようだ。

 

「さあさあさあさあ! いよいよ最終戦の始まりです!」

 

ルード・バグマンのアナウンスが響く。

 

「この最終戦も、もちろん危険がいっぱい! ですが、ご安心ください! 代表選手たちは、その危険を躱して優勝杯を目指します! 第2の課題のような不測の事態を避けるために、この迷路の四辺にはそれぞれ2名の先生方が待機しています!」

 

迷路の四辺から、それに応じるように2つずつ青い光が打ち上げられた。

 

「さらに! ただいまより、コース内を監視する特別パトロール、ミス・レン・ウィンストンが入場します! 動物もどきの彼女にとって、この迷路は迷路ではない! 入場しました! 不正を避けるため、入場した今、コース内の障害に関する、封印された設置図が開かれます!」

 

生垣の迷路に入ってすぐの蓮が、ポケットから封筒を取り出して、中の羊皮紙に目を通す姿が見える。

微かに頷いて、それをポケットに仕舞うと、ブランカに変身した。

 

「ご覧の通り、動物もどきのミス・ウィンストンだけは生垣を通り抜けることが出来る魔法をかけてあります。おそらくあと数分で迷路内の不審物の探査が終了します! ここで、選手の紹介をしましょう!」

 

「ハリーが暫定1位だから、1番にスタートだよな?」

「ええ、そう聞いてるわ」

「次がフラーで、あとは接戦でクラムとディゴリーか。ディゴリー、大丈夫だろうな」

 

ハーマイオニーは「ビクトール・・・クラムは、同じ間違いはしないと言っていたわ」と呟いた。

同じ過ちは冒さないという誓いのために、図書館の本棚の陰でキスをしたことまで言う必要はないだろう。昨日、蓮から「挙動不審」と問い詰められなければ、蓮にだって言うつもりはなかった。

 

思わず頬を押さえていると、ロンは疑わしいと言いたげに、ハーマイオニーを横目にジロッと見て「君の男の趣味は最悪だからな」と鼻で笑った。

 

「あ、何か爆発したみたい。スクリュートがあそこにいるんだわ」

 

話題を変えたハーマイオニーに、礼儀正しくロンも「本当だ。あっ、こっちにもいるぜ」と応じた。

 

 

 

 

 

くんくんくんくんくんくんと黒く艶やかな鼻をうごめかせ、ブランカはひとつ頷いた。

 

生垣をランダムに突っ切りながらほぼ1周したはずだが、今のところ悪質な闇の魔術の気配は感じない。だいいち、蓮を試合前に投入することを提案した《ムーディ》が蓮に察知出来る形で罠を仕掛けるはずもないのだ。最初の探査は形ばかりで良いはずだ。

 

優勝杯の傍らで人間に戻ると、蓮はショルダーホルスターから杖を抜いた。

 

生垣の外側から呪いをかけることを阻止するために、《ムーディ》はマクゴナガル先生とペアになって巡回しているはずだから、試合中には何も手出しは出来ない。おそらく、蓮とハリーをまとめて狙う「何か」は、もうとっくに仕掛けられているだろう。

 

杖を左手の中で転がしながら、蓮は目を閉じて深呼吸した。

 

意識して魔力をエリア内に薄く薄く広げていく。尻尾爆発スクリュート2匹が呼応し合うように尻尾を爆発させる気配、スフィンクスが退屈そうな欠伸をする気配、ボガートが対面する人間を探す気配がする。天地逆転の芝生があり、霧の十字路がある。巨大蜘蛛が獲物を探して生垣を渡り歩く気配。そして、間違いなくマクゴナガル先生と《ムーディ》が杖を構えて生垣を睨む気配がする。

 

頭を振り、蓮は左手に持ったままの杖を高く掲げた。

 

 

 

 

 

迷路の中央から、青い火花が2回打ち上がった。

 

「レンの合図だわ!」

 

ハーマイオニーはロンのローブの袖を握り締めた。

 

「合図が上がりました! さあ、ポッター選手からスタートです!」

 

鋭いホイッスルが鳴った。

 

「がんばれ、ハリー」

 

ロンが呟いた。

 

 

 

 

 

ハリーがエリア内に入ってきた、と蓮は感じた。

目を閉じたまま、ハリーが生垣の中を慎重に進んでいる気配に意識を研ぎ澄ます。

 

かさ、と背後の生垣が動いた。蜘蛛が蓮を獲物と判断したのだろう。

蓮は小さく舌打ちして、そちらに杖を向ける。

 

「だから嫌なのよ」

 

カチカチと口元の鋏を鳴らす蜘蛛と睨み合った蓮は思わず呟いた。配置された危険な魔法生物が選手でない蓮を見分けるわけではない。相手構わず襲ってくる。

しかも蜘蛛を殺すのは簡単だが、これは正規の試練のひとつだ。この蜘蛛を傷つけるわけにはいかない。

 

ひゅ、と風を起こし、蜘蛛を迷路の奥へ吹き飛ばした。

 

またひとつ、鋭いホイッスルが鳴る。フラーのスタートだ。

カサカサカサカサ、と脚の多い生き物の気配が、奥の生垣の向こうから感じられる。

 

「そのまま迷路で迷ってなさい」

 

空の色が刻一刻と変化している。ハリーとフラーの近くで、スクリュートの1匹の尻尾が爆発した。

おそらく2人とも四方位呪文を使って方角を探りながら進んでいるはずだが、フラーのほうが少し進み方が速いのは、呪文に慣れているからだろう。泥縄式に必要な呪文を詰め込んだハリーとは、そもそもの熟度が違う。

 

またホイッスルが鳴る。続けてもうひとつ。

 

全員がスタートした。

 

 

 

 

 

全員が迷路に入ってしまったときには、西の空に僅かな赤みを残して、東の空から群青色が広がっていた。

と、バチン! と音が聞こえ、迷路が赤々と照明に照らされた。

 

「この照明は観客席の皆さんの観戦のための照明です。迷路の中の選手には、この照明も音声も届いていません。彼らは今、暗闇の中を杖明かりだけを頼りに慎重に進んでいます」

 

「レンが!」

 

ロンが恐怖に引き攣った顔で小さな悲鳴を上げた。蓮の背後の生垣を突き破るように大蜘蛛が飛び出してきたのだ。

 

「だから嫌なのよ! レンだけまるでローマの剣闘士みたいじゃない!」

 

「れ、レンなら大丈夫だよ、きっと」左隣のネビルが、両手で顔を覆ってしまったハーマイオニーの肩を叩いた。「あんな蜘蛛ぐらいレンなら1発で」

 

「やっつけちゃダメなの!」

「なんで?」

「代表選手の試練をレンがやっつけちゃダメなのよ」

 

そう言い合う隙に、蓮が杖をホルスターに仕舞うのが見えた。一瞬でブランカに変身してやはり奥の生垣に飛び込むのがわかる。蜘蛛がそれを追う。

 

「まさか・・・やっつけないであの蜘蛛から逃げ回るしかないの?」

「れ、レンなら何か方法を考えるはずさ!」

 

見て! とパーバティの声が上がった。「フラーがスクリュートに見つかったわ!」

 

きゃあ! と別の場所からも悲鳴が聞こえる。ラベンダーの声だ。見れば生垣より頭ひとつ突き出した黒い不吉な影が獲物を見つけたようにスルスルと滑るように動いている。「ディメンターだ!」

 

「なんて物を投入するんだよ」ロンが呟いた。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

「ハリーだ!」銀色の牡鹿がハーマイオニーの目にもはっきり見えた。「リディクラス!」ディメンターが消えた。

 

スクリュートの尻尾が爆発する音がまた聞こえる。

 

「うぁぁぁ!」

 

今度はクラムの悲鳴だ。

 

「インペディメンタ!」

 

フラーのソプラノが聞こえる。

 

「さあ、選手が次々に障害に遭遇しています! ビクトール・クラム選手は、天地逆転の芝生に捕まりました。フラー・デラクール選手は、尻尾爆発スクリュートの腹部に妨害呪文を命中させ、スクリュートが動けないうちに急いでスクリュートから距離を取ります。ハリー・ポッター選手はディメンターに変身したボガートを見事にリディクラスで爆発させました! ちなみにボガートは全部で4匹投入されています!」

 

ボフ、と奥の生垣からブランカが飛び出してきた。どこかで大蜘蛛を撒いてきたらしい。

 

優勝杯の傍らで人間の姿に戻って、膝に手を置いた。蓮の息が上がるのは極めて珍しいことだ。

 

「リディクラス!」

 

「セドリック・ディゴリー選手もボガートを粉砕。ボガートは残り2匹です! ああっと、ビクトール・クラム選手は見事に天地逆転の芝生から脱出しました!」

 

ハーマイオニーはロンのローブの袖を掴んだまま「もうイヤ!」と身をよじった。

 

「落ち着けよ、ハーマイオニー」

 

「ああっと! 迷路中央で待機しているミス・ウィンストンに尻尾爆発スクリュートが迫ります!」

 

やめてくれよ、と今度はロンが呻いた。

 

「ミス・ウィンストンは尻尾爆発スクリュートに危害を加えることは許されません! 正規の試練を撃退して良いのは代表選手だけです! ミス・ウィンストンは、スクリュートの腹の下に滑り込みます! うまい! スクリュートの腹部には攻撃手段がありません、吸盤にだけ気をつければいい!」

 

「だからやめてったら!」

「ハグリッドがあんなの作るからだ!」

 

尻尾が爆発し、蓮がスクリュートの腹の下から這い出してきた。

 

「生きてる?」

「生きてるけど、レンがあんなに泥だらけになるのは初めて見たぜ。顔からちょっと血が出てる」

 

 

 

 

 

「エピスキー」と呟いて頬の傷を癒し、蓮は尻尾爆発スクリュートを睨みつけた。

 

「そうね。犬だけが通り抜け出来る生垣じゃなくて、ヒトが通り抜け出来ない生垣にするほうが簡単よね」

 

大蜘蛛といい、尻尾爆発スクリュートといい、生垣を突き破ってまで蓮を狙いに来る。

 

幸い、スクリュートも大蜘蛛も視力は頼りないので、人間と犬とに素早く変身したり、攻撃力の少ない腹部に滑り込んだまま、素早く相対的な位置を変えることで対象を見失わせることには成功したが、いつまでもこんなことは続けていられない。

 

と、黄色い火花が音を立てて上空で弾けた。

 

「ディゴリー?」

 

蓮は再びブランカに戻ると、生垣を突き破りながら駆け出した。

 

 

 

 

 

「黄色い火花が上がった! 霧の交差点の中でディゴリー選手がボガートに遭遇した模様です! ミス・ウィンストンが駆けつけています! 生命に別状がなければ試合続行が可能ですが、さてどうなるか?!」

 

 

 

 

 

「ミスタ・ディゴリー?!」

 

駆けつけた蓮は、金色の霧の中でチョウ・チャンの遺体の前に立ち竦むディゴリーに声をかけた。

 

「あ、ああ・・・頼む。なんとかしてくれ!」

「落ち着いて。チョウはここにはいません。ミスタ・ディゴリー、あれはチョウではありません。わたくしがあれを引きつけてここから離れますけれど、あなたは3分間ここから移動できません。次のホイッスルが鳴るまで動かないでください」

 

両手で顔を覆ったままディゴリーが頷くのを確認して、蓮はチョウの姿をしたボガートに近づいた。

 

「こっちよ!」

 

パチン! と音を立てて、ボガートが小さな子供の姿に変わった。てっきり父親の姿を取るかと覚悟していた蓮は拍子抜けして首を傾げ、ボガートに近寄る。

 

ああ、と蓮は納得の声を上げた。「トム」

 

子供が顔を上げた。リディクラスを唱えたわけでもないのに、異様な位置に目鼻がついている。

トム・リドルの先祖の話を祖父から聞いて以来、蓮にとっては長年に渡る異常交配という事実が不気味で仕方ないのだ。嫌悪感に奥歯を噛み締めながら、蓮はスタート地点に向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

「なんてこった! ディゴリーの奴、ボガートくらいで3分間無駄にしちまったぜ!」

 

ロンが叫んだが、ハーマイオニーは「ディゴリーはさっきボガートを撃退出来たでしょう? 原因はたぶんあの濃霧よ。霧で不安感を募らせていると、ボガートの精神攻撃は痛手なんだわ、きっと」と頭を振った。

 

「よし! ミス・ウィンストンがディゴリー選手のボガートを引きつけて、その場を離れました! ディゴリー選手はこれより3分間の移動禁止となります! 一方、クラム選手は尻尾爆発スクリュートに手こずっています! スクリュートの分厚い甲殻を貫通する呪いはなかなかありませんので、デラクール選手のように腹部への一撃が有効ですが、腹部を狙う隙が見つからないのでしょうか?」

 

ロンが「爆発に巻き込まれちまえ」と呟いたのを、ハーマイオニーも礼儀正しく無視した。

 

「デラクール選手、先ほどクラム選手が捕まったのとは反対側にある天地逆転の芝生に捕まりましたが、冷静に対処して脱出しました! ポッター選手はグリセオの通路に手間取っています! ツルツル滑る通路では普通に走っていては前に進むことができません! よし! 諦めて滑るに任せることにしたようですがー? やっぱりだ! 待ち構えていた2匹目の大蜘蛛に衝突してしまいました!」

 

うう、とロンが身震いした。

 

「さて、ボガートを撃退することなく走り回って撒いたミス・ウィンストンが再び定位置の優勝杯の傍らに戻りました。おそらくこの時点で代表選手の誰よりも走っていると思います」

 

「というより、代表選手の誰よりも難易度が高い仕事だと思うんだよな」

 

ロンが頭を振った。

 

「やっつけちゃいけないっていうのが難易度高いわよね」

 

パーバティが呟く。

 

いずれにも頷きながら、ハーマイオニーは優勝杯の傍らで膝に手をついて息を整える蓮の姿を見つめた。

早く競技が終わって欲しい。誰でもいいからさっさとあの忌々しい優勝杯を掴んで欲しい。

 

短いホイッスルが鳴った。

 

「ディゴリー選手の行動不能時間が終了です! 再度、霧の交差点に踏み入ります。今度はボガートがいませんので、杖を使い、おそらく四方位呪文でしょう、落ち着いて方角を確かめながら、真ん中の道を選んで駆け出しました! おっと今度はデラクール選手にとっては不利な相手か? スフィンクスです! 2体のスフィンクスのうち、言葉遊びの好きなほうのスフィンクスに捕まりました! これはフランス育ちのデラクール選手にとっては難敵です! ああ! ミス・ウィンストンを休ませないつもりでしょうか? 先ほど撒いた大蜘蛛がまた出現しました! ミス・ウィンストンが体を起こし、杖を構えます! すると? 何が起きた! 突然大量の雨が蜘蛛とミス・ウィンストンの上にだけ降ってきた!」

 

例の「水の魔法」とかいうものの応用だろう。

 

「この蜘蛛は濡れるのを嫌ったのか、生垣に引っ込みます! ミス・ウィンストンは悠然と顔を洗い終えました! 美しくも精悍な表情を取り戻します。心なしか体力気力も微回復したように見えます」

 

アグアメンティの呪文無しにあれだけの量の水をシャワーのように調節しながら降らせる芸当は学校では当然習わない。

驚愕にざわめく観客席をよそに、蓮が眉をひそめたのが微かに見えた。濡れた短い髪をかきあげ、心なしかさっぱりした表情に見える。

 

 

 

 

 

マクゴナガル先生が監視しているから、試合中は手を出せない。生垣越しに選手に服従の呪文をかけることは無理、魔法生物がこれだけ好き勝手に動き回っても作動しないからには、《ムーディ》の仕掛けは迷路内にはないのだろう。

 

確実にハリーを害するなら、迷路内ではダメだ。ハリーの前に他の代表選手が害されたらおしまい。あまりにも運に頼り過ぎることになる。

 

蓮は黙って優勝杯を見つめた。

 

この優勝杯に仕掛けがあるとしたら、ハリーに事あるごとに協力してきたことに一定の説明がつけられる。特別パトロール員でさえ、選手より先に優勝杯に触れることは出来ない。これには炎のゴブレットと連動した魔法契約がかけられているからだ。迷路内に運び込む際にも誰も手を触れずにロコモーターの呪文で移動させていた。掴んでいいのはゴブレットが選出した代表選手だけ。

 

カサ、と生垣が動いた。

大蜘蛛の黒光りする瞳が蓮を見つめている。

 

それにしてもしつこい蜘蛛だ、と蓮は思った。まるで蓮を優勝杯の側から排除するのが目的のように・・・。

 

蓮は目を見開いて、大蜘蛛を見た。

 

「そう、あなたに服従の呪文がかかっているというわけね」

 

この大蜘蛛がハリー以外の選手を優勝杯から排除するために置かれた罠なのだ。

 

蓮は杖を高く掲げた。

 

 

 

 

 

迷路の中央、優勝杯の傍らに立つ蓮の杖から矢継ぎ早に3つの赤い火花が上がった。

 

「特別パトロールから合図が上がった! ミス・ウィンストンが今、合図を出し、さらにパトローナスを出した! 何か異常に気付いたと思われます! パトローナスが審査員の許可を求めに走ります!」

 

いつの間にパトローナスが出せるようになったんだ? とロンが呟く。銀色に輝く豊かな被毛の大きな犬は、まるでブランカのように見えた。

 

「特別パトロールのミス・ウィンストンからの連絡を受けて、各校の校長が妨害排除の許可を出しました! 校長それぞれが青い火花を上げます! ミス・ウィンストンが優勝杯付近を執拗に狙う大蜘蛛をこれから排除します!」

 

蓮が大蜘蛛に向かって杖を構えた。ハーマイオニーは思わず息を詰める。

 

生垣の上から蓮に向かって、大蜘蛛が飛んだ。

 

「エクスパルソ!」

 

蓮の凜としたアルトの声が響くと同時に大蜘蛛は爆散した。

 

「・・・お、大技過ぎだろ」

 

ロンは呟き、ハーマイオニーは額に手を当てて頭を振った。

 

「なんてことだ! 今大会一番の大技は代表選手でもない特別パトロール員が放った!」

 

「・・・ストレスが溜まっていたのねえ」

 

パーバティがしみじみ呟くと、ネビルが「やられる一方だなんてレンじゃないからね。むしろやられてなくても倍返しだ」と納得したように頷いた。

 

「時間はかかったが、デラクール選手がスフィンクスを突破した! ああ! ポッター選手を妨害していた大蜘蛛が飛び退いた! さあ! 両選手とも、ここから先にはもう設置型の障害はありません! しかし、大蜘蛛が残っている! さらに! 尻尾爆発スクリュートが出たああああ!」

 

ハーマイオニーは「もうやめてったら!」と小さく叫んで両手に顔を埋めた。

 

 

 

 

 

尻尾爆発スクリュートの攻撃を地面を転がって避けたフラーの青い瞳が、反対側から飛び出したきたハリーを認めて見開かれた。

 

「ハリー!」

 

蓮も思わず叫んだ。生垣の上から、大蜘蛛がハリー目がけて飛び降りてくる。しかし、選手ではない蓮にはこの局面では何も出来ない。唇を噛んでいると、フラーが「レラシオ!」と叫んでハリーの上の蜘蛛を吹き飛ばしたが、今度はそのフラーに懲りずに尻尾爆発スクリュートが迫る。

 

驚いて転倒したハリーが、脚を痛めたのか顔をしかめて立ち上がり、震える右手で杖を構えた。

 

フラーが振り向くより速くジャンプしたスクリュートの腹にハリーが「インペディメンタ!」と妨害呪文を放った。

 

「・・・アリー」

 

フラーが立ち上がり、ハリーに向かって歩き出した。

 

「フラー、僕のことはいいから、優勝杯を取って」

 

ハリーの言葉に蓮は首を傾げた。しかし、蓮が気付くより先にフラーが杖を振り、ハリーの足に副え木を巻いた。

 

「立ち上がーりまーす」

 

ハリーの腕を肩に担いで、フラーが声をかけるが、ハリーは嫌々をするように首を振る。「君が優勝だ、フラー」

 

フラーは首を振った。

 

「アリー、わたーしは、あなーたにたーすけらーれまーした」

「僕だって君に助けられた。それにこの怪我だ。優勝は君だよ」

 

蓮は溜息をつき「どっちでもいいから、さっさと済ませて」と言った。

 

「そう。どーっちでもいいーのでーす。レン『ここまで来れば甘い林檎はオグワーツとボーバトンが分かち合ったことになるわ。ギャラリーの前で傷ついたアリー・ポッターを尻目に優勝杯を取るより、アリーを優勝杯に導くほうが、長い目で見れば、より旨味がある』」

 

蓮はフラーの言い草に苦笑し、ハリーが蓮とフラーを交互に見て「レン、なんとか言ってくれ」と訴えた。

 

「ハリー、フラーは怪我したあなたを置いて優勝するのは卑怯だから嫌だそうよ」

「怪我は僕の不注意だ!」

「まあ、それは確かにね。でも不注意はフラーも同じ」

「僕を助けたりしなかったら、尻尾爆発スクリュートなんかに捕まらなかった」

「いーえ、ふちゅーいでーした。パーフェクトな勝利じゃなーいなら、いーみがあーりません」

 

わかったわかった、と蓮は両手を挙げた。

 

「だったら、最後は2人の魔法力勝負にしたらどう?」

 

ハリーとフラーは顔を見合わせた。

 

「2人同時に呼び寄せ呪文で優勝杯を呼び寄せるの。先に手が触れたほうが勝ち。だったら、ハリーの足の怪我はハンデにならないわ。そうね、ハリーをそこに置いて、フラーが少し横に離れて。優勝杯から等距離になるように」

 

それーはいーい考えでーす、と言うとフラーはハリーをその場に立たせると、優勝杯を間に二等辺三角形を形作る位置まで移動した。

 

 

 

 

 

蓮が杖をホルスターに戻し、なぜか靴紐を締め直すのが見えた。フラーは満足のいく位置につくと、杖を構えた。ハリーもよろける足を踏ん張って杖を構える。

 

「なにやってるんだ?」

 

ロンの声にハーマイオニーは「どちらも優勝を譲り合ったんだと思うわ」と答えて、観客席を見回した。

 

フラーはたぶんこのギャラリーを意識したのだろう、と思った。最初にボーバトンの馬車に招かれた日に、フラーとマダム・マクシームは個人的な名誉や賞金のことは二の次にしていた。ヨーロッパの魔法教育の中でボーバトンがどういう位置付けになるかを最も重視していたはずだ。ならば、迷路の中央というギャラリーから最も注視されている場所で互いを助け合ったあと、怪我をしたハリーを置いて優勝杯を取ることは、あまり意味を成さない。ハリーが優勝を譲るのは、もう性格からしてわかりきったことだ。

 

わからないのは蓮が靴紐を締め直した動作の意味だ。試合は大詰め。あと数秒で優勝者が決まり、同時に迷路の魔法が解けて、先生方が魔法生物の捕獲を始める。もう蓮の出番は終わるはずだ。

 

蓮が高々と右手を挙げた。

 

次にそれをサッと振り下ろした瞬間、2人分の「アクシオ!」の声が響き、蓮が駆け出した。

 

ハリーに向かって。

ハリーに向かって、優勝杯が飛ぶ。蓮がハリーにたどり着くより速く。

 

優勝杯の取っ手を掴んだハリーと優勝杯が薄青く輝き、次の瞬間、蓮がタックルするようにハリーの腰に飛びついた。

 

その瞬間、あらゆる人間が注目する真ん中で、2人の姿がかき消えた。

 

「・・・そんな」

 

ハーマイオニーは呆然と呟いた。


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