校長室にいたのは、代表選手とその保護者、そしてマダム・マクシームだった。
ジョージから床に下ろされたハーマイオニーは、まずフラーを挟むように並んで座っている2人のレディの前に駆け寄り、早口のフランス語で話した。
『レンからパトローナスのメッセージが届きました。リトル・ハングルトンの墓地近くには小川が流れている、と。それを踏まえてダンブルドアからの伝言です。いくらレンでも、今日の試合のあとで広い湖をハリーを連れて泳いで帰るのは難しいだろうと。湖で救助のために待機していただきたいそうです』
正気? とフラーが呟いてハーマイオニーの顔を覗き込んだ。ハーマイオニーは頭を振り、答える。
『ホグワーツの通常営業よ、フラー。年に1度は命の危険があるの』
フランス人のほうのレディ・ウィンストンも頭を振り「他でもない孫のことですからね」と立ち上がった。
『大叔母さま、こんな夜に潜るなんて』
『あなたも付き合うのですよ、フラー。マーメイドの泳ぎを見せてあげましょう。そうしたら、あなたもロンドン住まいなどではなく、貝殻の家が欲しくなるはずです』
お義母さま! と若いほうのレディが立ち上がった。「わたくしが行きますわ。ハーマイオニー、リトル・ハングルトン村の墓地だったわね? 死喰い人を何人か始末して付き添い姿現しでホグズミードに帰るわ」
「い、いえ、その。ダンブルドアから、おばさまへのお願いは・・・その、駄犬の世話を怠るなと」
駄犬、とミスタ・ダーズリーの姿のリーマス・ルーピンが呟き、レディ・ウィンストンから睨まれた。「本当にお荷物だこと!」
ハーマイオニーは急いでサー・ウィンストンの、無駄ににこやかな笑顔に向き直った。このにこやかさに騙されてしまうが、実はシメオン・ディミトロフ以上に危険な人かもしれない。
「サー・ウィンストンには、できるだけ多くの闇祓いをリトル・ハングルトン村の墓地に向かわせて欲しい。レンが逃げる機会を作る撹乱を頼む、との伝言です」
それは可笑しな話だねハーマイオニー、とサーはにこやかな笑顔のまま言った。「私の孫を助けに行くのに、他の闇祓いは必要ない。私が、誰だか知らないが、孫をさらった者を殺せば良いのだろう? あまり現役の闇祓いに見られたくはないなあ」
「あなたがすることは、蓮がハリーを連れて水に飛び込むところに気づかれないための撹乱です! 蓮は自分で逃げてくる覚悟をしているのですから、邪魔をしてはなりません!」
夫をピシャリと叱りつけて、フランス人のレディ・ウィンストンは、マダム・マクシームに微笑を向けた。
『大切な生徒を危険にさらすようで申し訳ありませんけれど、デラクール家の女性のみが使える魔法をフラーに伝えるチャンスですの。お許しいただけまして?』
マダムが厳めしい表情を崩さないまま『もちろんです』と頷くと、クラムとディゴリーがそれぞれの両親を押し留めて「湖に迎えに行くなら、僕たちも行くよ」と進み出て来た。「僕もクラムも、今日は良いとこ無しだ。このうえ、女性だけを湖に潜らせるわけにはいかない」
「杖明かりが、多いに、こした、ことは、ないです」
「俺も行くぜ」
ジョージ、と振り返ってハーマイオニーは首を振った。「レンが湖のどこに出るかは、あなたが一番わかるかもしれないけど、泳ぐのはやめて。マーメイドには絶対にかなわないから」
それからロン、とハーマイオニーはロンを指差した。「今すぐネビルからえら昆布を貰ってくるのよ。4人分。30分程度潜れればいいわ」
杖を振り、小さめの獅子の形をしたパトローナスに向かって「キングズリー、今すぐ信頼できる闇祓いを連れて、リトル・ハングルトン村の墓地に跳んでくれたまえ。復活パーティに孫と友人が招かれてしまった。孫たちは自力で逃げ出すだろう。目的は撹乱だ。手土産に何人かの仮面の騎士の首を取れ。多少死んでいても構わん」とメッセージを託すのを待って「グランパ」と話しかける。
「なにかな、ハーマイオニー?」
「カルカロフ校長先生は?」
それを警戒して、わざわざフランス語を使ったのに、見回せばカルカロフの姿はない。
サー・ウィンストンは「逃げたよ」と肩を竦めた。「泣いて命乞いをしながらね。おそらくもう戻っては来るまい」
ハーマイオニーが眉をひそめると、サー・ウィンストンは苦笑いを見せた。
「逃げる前に告白していった。黒々と焼けた闇の印を私に見せてね。ヴォルデモートが復活したとしか思えない苦痛なのだそうだ。確かに私も、あれほど黒々と焼けた闇の印を見たことはない。彼は元死喰い人だが、その罪は司法取引により減じられている。捕縛の正当性がないし、なにより死喰い人の手に引き渡すのは、この場合、非人道の誹りを免れまい。シメオンを通じてブルガリアに連絡は入れてあるから、ダームストラングから新たな引率の先生が派遣されてくるだろう」
ハーミーニー、とクラムが濃い眉を寄せて補足した。「ゔぉくたち、カルカロフを、君たちホグワーツが、ダンブルドアを、尊敬するようには、尊敬して、いない。だから、問題、ない」
それはそれで大いに問題があると思ったが、ハーマイオニーは引き攣った微笑で頷いた。
「クルーシオ! どうだ、ハリー、痛いか? 苦しいか?」
よし賭けに勝った、と蓮は頬を歪めて嗤った。
今は力を振るう肉体を得た興奮で気づいていないが、見知らぬエドワード・ヒースの骨は役に立っているようだ。
「さあ、命乞いをしてみろ! おまえの愚かな母親のように!」
苦痛に身を折り曲げながらも、ハリーのエメラルド色の瞳はまだ光を失っていない。ハリーの抵抗する意思の強さもさることながら、呪文の威力は人々が恐れるほどではないはずだ。
もちろん早く助けた方が良いのはわかりきったことだが、あまりに人数に差があり過ぎる。いくらハリーが耐えていると言っても、磔の呪文を受けてすぐに素早く動けるわけではないのだ。蓮が1人でこれだけの数の死喰い人に加えてトムを、ハリーを連れて撒くのは不可能だ。策もなく背中を見せたら、もう最期と考えるべきだろう。
そのとき、蓮の脳裏にネビルの両親の姿が浮かんだ。
このまま続けさせるわけにはいかない。
辺りに何か注意を引くものがないかと見回す。
トム・リドル・シニアの墓の前の大鍋は、まだ火をつけられたまま、煮え滾っている。
蓮は大鍋を睨んだ。
ガシャーン! と音を立て、ひっくり返った大鍋の中の魔法薬が焚き火に零れ、もうもうと水煙を立てる。
次に、名前は忘れたが、死喰い人の1人の仮面を弾き飛ばす。
さらに、両隣のクラッブとゴイルの父親の顔に衝撃を与え、鼻血を噴き出させる。
「な! だ、誰だ!」
「ウィンストンの娘を奪われぬようにせよ、クラッブ、ゴイル! 俺様の獲物だ! さんざんこの俺様を侮辱した報いに、身も凍る恐怖を味合わせてから殺してやるのだ!」
恐怖に目を見開いたフリをしながら、蓮は死喰い人たちの仮面を次々に弾き飛ばしていく。墓地のパーティは大混乱だ。
「誰だ! 透明マントを使っているぞ!」
「目くらましだ!」
「同じことだ馬鹿者! 実体はあるのだ! 捕まえろ!」
我が君! と、死喰い人の1人が輪からまろび出ると、慌てふためいてトムのローブの裾に口づけた。「闇の帝王よ、我が君の以前にも増したお力、しかと拝見つかまつりました!」
「・・・逃げたいのか、ノット」
「いいえ! いいえ! 決してそのような!」
この混乱の中、膝に手を当てて息を整えていたハリーが、チラリと蓮のほうを見た。蓮は小さく首を振り、顎でトムから目を離すなと伝える。ハリーは頷くと、杖を構えた。
「・・・良かろう。貴様らに俺様の力に衰えなどないことがわかれば良いのだ。さあ、ポッター、ハリーよ。魔法使い同士の古式に則った決闘を教えてやろう」
ジョージが示した岸から、レディ・ウィンストン・シニア、フラー、ディゴリー、クラムの順にルーモスの明かりを灯した杖を咥えた4人が沖に向かって泳ぎ始めた。
だいたいいつものジョギングなら、この岸辺で小休止をして、折り返して帰ることにしているらしい。浅瀬が遠くまで続いているから、ハリーを引きずって陸地に上がるつもりなら、この沖に出るはずだそうだ。
ついさっき、ダンブルドアとマクゴナガル先生の目の前で、アラスター・ムーディの姿から、いくらか歳を重ねたバーテミウス・クラウチ・ジュニアの姿に戻ったとスネイプが伝えに来た。それをパトローナスでキングズリー・シャックルボルトに伝えたサー・ウィンストンは、姿くらましをするために校門に向かって駆け出して行った。どうしても自分が行きたいらしい。誰も殺さないことを祈ろう。
ロンがハーマイオニーの傍らで闇の中の4つの杖明かりを見つめている。
「・・・なあ。ハリーとレンは、本当に?」
絶対大丈夫よ、とハーマイオニーは自分に言い聞かせるように答えた。
「なんでわかるんだ?」
「レンは、わたしにも最近までずっと隠していたけど、杖も呪文も持たずに魔法が使えるわ。それもね、ロン、6歳までに覚えたことなの。わたし、調べたのよ。杖も呪文も持たずに魔法が使える魔法使いや魔女は全世界の魔法族の0.1%に過ぎない。その人たちは間違いなく偉大な魔法使いや魔女だけど、みんな長年の鍛錬の果てにその領域に至るの。普通の魔法族の子供は、だいたい6歳から7歳ではっきりした魔法力を示すと言われるわ。だから、本当はレンを拘束することに意味はないのだけど、普通は15歳の魔女にそんな真似が出来るなんて誰も気づかない。レンも気付かせないようにしてきたし」
マジかよ、とロンが呻いた。「僕はたぶんそのぐらいで、物を浮かせたりしたはずだ。フレッドやジョージにからかわれたりした時なんかにやっとね。ネビルはスクイブじゃないかって思われるぐらい、魔法力を示すのが遅かったって言ってた」
「レンが6歳で杖も呪文も持たずにきちんとした魔法が使えたっていうのが、どれだけ異常なことか、わかるでしょう? もちろん、ちゃんとした魔術理論の裏づけのある魔法じゃないはずよ。でも、感情の爆発で無意識に物を動かすのを超えて、何かの目的のために意識的に魔法を使うという意味でなら、早熟過ぎるほど早熟なの」
だから蓮が本気を出せば絶対に大丈夫なの、とハーマイオニーは必要以上にきっぱりと言った。
「超天才ってレベルじゃないか!」
違うわ、とハーマイオニーは眉を寄せた。
「君、レンを天才だと思いたくないんだろ?」
「そうじゃないわよ。天才の一言で片付けたくないだけ」
沖の方で赤い火花が飛んだ。
杖明かりが一斉に湖に潜る。水面下で、激しく呪いが飛び交うのが見えた。
「なんだ?!」
「たぶん水魔の気配がしたから攻撃呪文を飛ばしたんだと思うわ」
ロンが額の汗を手の甲でゴシゴシ拭いながら「こっちのほうが対抗試合の本番みたいに緊張するぜ」と呟いた。
「さあ、決闘だ、ハリー。まず互いに礼をするのだ」
ふん、と蓮は鼻で嗤った。礼が聞いて呆れる。トムは軽く腰を折っただけで、顔を下げてもいない。
「さあ、儀式の次第には従わねばならぬ。ダンブルドアはおまえに礼儀を守って欲しかろう」
「ああ、たぶんね」
だが、ハリーは頑なに頭を下げない。
「お辞儀をするのだ、ハリー!」
「君がまともなお辞儀をしたら、僕もしてやるよ!」
気の利いた台詞はTPOを選んで言うものだと今度教えてやらなければならない、と蓮は思った。
それにしても「お辞儀をするのだ」か、と蓮は微かに苦笑した。祖母とマクゴナガル先生が学生時代にダンブルドアから決闘を学んだのが羨ましかったのだろうな、と思った。祖母やマクゴナガル先生が、決闘の作法にこだわるのと全く同じだ。こだわる割には自分の作法が全くなっていないところがご愛嬌といったところか。
所詮、芯から染まった闇の住人にはまともな決闘など出来はしないのだ。
「お辞儀をするのだ、ハリー!」
トムの杖が上がる。蓮は、あちこちに意識を飛ばして、死喰い人を嘲弄するように、ローブを引き裂き、墓石を倒した。まるでピーブズのように、無作為に魔力を操ったが、武士の情けで、トムのローブを引き裂くのはやめておいた。たぶん誰も見たくないだろう。もちろん自分も見たくない。
ハリーの上体が、見えない手で押さえつけられでもしたように腰から折れ曲がった。その状態のハリーに向かって、トムは「クルーシオ!」と叫ぶ。
「最初から素直になれば痛い目には遭わずに済むのだが」
す、とトムが杖を立てる。ハリーの体がまっすぐに伸びた。
「では、1.2.3で、それぞれの得意な魔法を使おうではないか。1・・・2・・・3」
「エクスペリアームズ!」
「アバダ・ケダブラ!」
トムの杖から緑の閃光が走るのと、ハリーの杖から赤い閃光が飛び出すのが同時だった。2つの閃光が空中でぶつかった。
蓮は口の中の詰め物を咥えたまま、両隣のクラッブとゴイルの父親たちを失神させた。
赤と緑の光線で結ばれたハリーとトムの杖が絡まりあって、まるで金色の糸のように見える。トムは、蛇の目のような、のっぺりした顔の赤い切れ込みにしか見えない目を限界まで見開き、節だけが目立つ異様に指の長い手を小刻みに震わせている。
金色の糸が幾百もの細い繊維のように分かれ、2人を金色のドームで包んだ。
蓮は驚愕を脇に置き、目を眇めると、中央の2人を取り巻く死喰い人を無言で失神させ始めた。ハリーが、何か不思議な力で抗戦している今のうちに1人でも数を減らすべきだ。
ハリーもそれがわかっているかのように、糸を切らないよう必死で杖を支えているのがわかる。
杖か、と蓮は忙しく死喰い人を魔力で手当たり次第に攻撃しながら考えた。あれは魔力と魔力の拮抗を超えた、杖同士の連結に見える。
金色のドームの中に、いくつもの影が見えたが、蓮はあえてそのことに意識を向けずに、死喰い人を混乱させ、失神させることに全力を傾けた。マグカップにレパロを自分で使うヴォルデモート卿の姿は想像しにくい。あの人影はおそらくヴォルデモートの杖の犠牲者だ。
バチン! と姿現しの音が響く。死喰い人の増援かと思った蓮は、祖父の姿を見て目を瞠った。
「・・・友達がいないのは昔からだが、トム。14歳の少年が決闘の唯一の相手というのは自慢にならない」
「貴様は!」
バチン! バチン! バチン! と連続して、闇祓いたちが姿現しをした。
「誰のおかげかわからないが、仕事が早く片付きそうだ。急げ! 死喰い人の現行犯逮捕のチャンスだ!」キングズリーが叫んだ。
ぬぁぁぁぁぁ! とトムが怒りの咆哮を上げた隙に蓮は縄を振り払って立ち上がると、自分に目くらましをかけ、ハリーの背中に飛びついた。
「早く!」
囁きながら、ハリーにも目くらましをかけると、そのままハリーの服を引っ掴み、走り出した。
「リナベイト! エネルベイト! 蘇生せよ! 闇祓いに捕縛されるな!」
「捕縛などケチなことは言わん! 手当たり次第に潰せ! 骨の10本も折ればおとなしくなるだろう!」
祖父とトムの叫びを背後に聞きながら、蓮はハリーを掴んだまま、草の斜面を滑り降りる。
「れ、レン?」
「ハリー、わたくしを信じて!」
斜面を滑り降りた勢いのまま、川に飛び込み、ハリーを掴んだ腕ごと体を捻った。
沖に水飛沫が上がるのが小さく見えた。
杖明かりが一斉に進み始める。先頭の明かりが水に沈んだ。続いて、フラー、ディゴリー、クラムも水中に沈む。
バシャバシャと岸からジョージが胸まで水に入り、水中で沖へ長く伸びる杖明かりを点滅させ始めた。
「よし、僕も」
ロンがジョージから少し距離を置いて同じ深さまで進むと、同じように杖明かりの点滅を始めた。見れば、フレッドとアンジェリーナも同じことをしている。
ハーマイオニーは逆に、校舎に向かって杖明かりの点滅を始めた。
えら昆布を持たせておいて本当に良かった、と思うほど長い時間がかかった。
ぐったりした蓮をグラニーとフラーが先に引き上げ、続いて気を失って沈みかけたハリーをディゴリーとクラムが引き上げてきた。
アンジェリーナとジョージが両脇から支えていれば、蓮は歩くことができるが、ハリーはディゴリー、クラムに加えてロンとフレッドが抱え上げて運んだ。
「レン、ハリーはどうしてあんなに」
磔の呪文、と蓮が答えた。「あと・・・ちょっとだけわたくしも気を失いかけて・・・湖の底に落としちゃったの。そんなことより、クラウチは?」
「ポリジュース薬が切れて本来の姿に戻ったと連絡があったわ。ダンブルドアとマクゴナガル先生が見張ってらっしゃる。スネイプが1番強力な真実薬を用意しているから、あなたとハリーが戻り次第、尋問だそうよ。尋問にはあなたのお母さまが付き添われるわ」