サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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不死鳥の騎士団編
閑話18 リトル・ハングルトン村


珍しく闇祓い局のオフィスに出勤してきたウィリアムを見つけた。

 

基本的にバッキンガムで王室の警護に就くのがウィリアム・ウィンストンの任務だ。闇祓い局にもデスクはあるが、滅多に顔を出さない。

 

「ハイ、ウィリアム。王室の皆さまはまだベッドの中?」

「やあ柊子。ちょっと気になる件があったんでね。アズカバンを出所したモーフィン・ゴーントが殺害された件はこっちの扱いかい? 魔法警察部隊かな?」

「ゴーント? 聞かないわね。アズカバンの囚人だったならミネルヴァが会ったことがあるかもしれないけれど」

 

ウィリアムは長い脚をデスクに載せ「法執行部の研修か」と呟いた。

 

「いずれにしろ、ただの元収監者なら闇祓い局の扱いではないでしょう。そんなことより、ボージンアンドバークスの坊やを気にかけてくれないかしら」

「リドルくんは君らが好きにしろよ。僕にはウィンストン家の当主としてゴーント一族の死滅を確認する義務があるだけだ。まったく面倒な」

 

柊子は首を傾げ、ウィリアムの隣の席に腰掛けた。

 

「ウィンストン家の当主として?」

「菊地家の魔女にだけは教えてあげてもいい」

「何を?」

「ウィンストン家は国王の代理人さ。菊地家がエンペラーの代理人であるのと同じようにね」

 

冗談めかした口調だが、ウィリアムの目の光はそれが真実だと信じるに足るものだ。

 

「ゴーントという一族に伝わる血が闇の魔術によってのみ維持されていることを踏まえ、その滅亡を見届けることは、大して多くはないウィンストン家の義務のひとつだ」

「・・・ね、それを聞いて不思議に思うのだけれど」

「なんだい?」

 

柊子は睨むようにウィリアムを見つめた。

 

「英国国王の代理人は、リドルのような闇の芽は摘まないってわけ? あれはいずれ英国の害悪になるわよ」

「言うと思ったよ」

「今はボージンアンドバークスの店員に過ぎないけれど、あんな店でどんな魔法に触れて学んでいるかを考えると、ちっとも安心材料にはならない」

「日本はつい近年までエンペラーが親政を敷いていたから、君にしてみれば僕は無責任に見えるんだろうな」

「そうね」

「残念ながらイギリスはヴィクトリア女王の時代から立憲君主制だ」

「英国魔法界の責任は魔法省にあると?」

「正確には、魔法族個人個人の選択にある。仮にリドルくんが魔法大臣になったとしよう。それほどまでに、魔法族が掌握されてしまうようなら、そんな英国魔法界は滅んだほうが良い。違うかい?」

「それを防ぐために国王の代理人には権限が与えられているはずよ」

 

僕は行使する気はない、とウィリアムは苦笑した。

 

「ウィリアム」

「柊子。君と違って僕は、それだけの特殊な訓練を受けていない。レガリアは僕を認めないだろう」

「え?」

「君は確か、ホグワーツ入学前、杖を持たないうちから日本の魔女の訓練を受けていたと聞いた。僕はそうじゃない。本当に普通の魔法族の子供に過ぎなかった。マグルの小学校に通って、ブリキの兵隊を集めて、マグルの友達の前ではその兵隊を手で動かす努力をしていただけさ。ウィンストン家の当主というのは今ではどちらかといえばマグル界の貴族としての儀礼的な意味合いしかない。ゴブリン製の剣が僕の血を吸収したがるとは思えない」

 

ゴブリン製の剣、と呟いて柊子は頭を振った。「それより強くなきゃ国王の代理人になれないっていうの?」

 

「魔法契約の発動には足りないね。もちろん自分で言うのは憚られるが、僕は個人の魔法使いとしては優秀だ」

「それは、そうでしょう」

 

闇祓いになれた時点で優秀であることには間違いない。

 

「だが、ゴブリン製の剣に認められるほどの原始魔法力を持っているかと言われたら、とてもじゃないが、イエスとは言えない。だから僕は、ひとりの魔法使いとしてコツコツがんばるしかないのさ」

「つまり英国魔法界の危機に際して、強制力は発動できない?」

「出来ない。今後どうなるかはわからないよ。なにしろ僕の婚約者はあのデラクール家の魔女だからね。マーメイドの血は確実に入っているし、セイレーンとかヴィーラとか、美貌を謳われる魔法生物の血はほとんど混ざってるんじゃないか? もしかしたら、僕とクロエからはホブゴブリンが産まれるかもな。でも僕に限って言えば、ウィンストン家の古の盟約を果たすだけの力はない」

「古の盟約?」

「誤ったホグワーツ城の主人を廃して、正しい主人を指名する。ホグワーツ城はね、魔法族の城なんだ。ホグワーツの校長は、いわば英国魔法族の王なんだよ。古代魔法の観点から言えばそうなる」

「古代魔法が認めない王だったからフィニアス・ナイジェラス・ブラックは校長室に入れなかった?」

「そう。リドルくんのことだから、いずれホグワーツ城を欲しがるだろうけれど、彼をホグワーツ城が認めるとは思えない。僕を捕まえて僕に宣言させようとしても無駄だ。確かに儀礼上は僕が魔法界における国王の代理人だけど、レガリアが僕を認めない限り、僕の宣言なんかじゃ校長室は開かない。となると、リドルくんが支配者になりたければ魔法大臣になるしかない。民意によってのみ認められる大臣の座にリドルくんが座るのなら、僕の出る幕じゃない」

「恐怖政治による社会が来ても構わないと?」

「それが英国魔法族の選択なら、魔法族はその結果を甘んじて受け入れるべきだ。倫理による自浄作用が働かなくなった社会に存続する意味はない。平たく言えば、リドルくんを支配者に選ぶようなクソったれの魔法界なんか滅んでくれて構わないってこと」

 

呆れて柊子は緩く頭を振った。

 

君が僕を探しているのは知っていた、とウィリアムは苦笑した。

 

「そうね。王室が存続している以上、魔法族の中に国王の代理人がいるはずだとは思っていたわ。こんなに身近にいるとは思わなかったけど」

 

しかもこんなに無責任とは思いもよらなかったけど。

 

「僕は君のことを知っていたよ。枢軸国側からの人質だ。君の魔法力を見て正直驚いた。日本のエンペラーの代理人になる姫君は、いったいどんな過酷な子供時代を過ごしたのかと」

「・・・大したことは何も。ただ、そうね。日本にはレガリアはないの。その代わり、様々な魔法生物の種族の長から認められなければならないわ。河童とか天狗とか。そういう魔法種族の長に教育される。私は天狗の長に育てられたから、実は水より風を使うのが得意ね。家業としては水使いなんだけど」

 

ウィリアムは溜息をついて「それでクィディッチをやるなんて、空飛ぶルール違反じゃないか」と呟いた。

 

「それでゴーントの何が問題なの?」

 

柊子が話を戻すと、ウィリアムは頭を振って話題を切り替えた。

 

「モーフィン・ゴーントに家族が残されているか確認したい。もう家族がいないならそれで構わないんだ」

「調べてみましょうか? 今は特に大きな事件を抱えてるわけじゃないから」

「頼めるかな。ああ、でも、来月からブルガリア出張だろ?」

 

よく知ってるわね、と柊子が驚くとウィリアムは笑って「シメオンが浮かれてパトローナスを飛ばしてきた」と応じた。

 

 

 

 

 

「モーフィン・ゴーントに子供?」

 

鸚鵡返しに聞き返しておきながらミネルヴァは「いないでしょう」と即座に答えた。

ホグワーツの新米教師が、ホグズミードのホッグズヘッドで資料も見ずにモーフィン・ゴーントを思い出した、という事実に柊子は僅かに眉をひそめた。ウィリアムに請け合ったほど簡単な調査にはならないかもしれない。

 

「ずいぶんはっきり記憶しているのね」

「聴取の困難な収監者だったから。よっぽどあなたを呼び出そうかと思ったわ」

「わたくしを?」

「もしかしたらパーセルマウスかもしれないと思って。蛇が威嚇するときのような声。バジリスク退治のときに少しだけあなたがパーセルタングを使ったから、たぶんそうじゃないかと連想しただけよ。そういう発声しかしなかったから、聴取は筆談。そんな収監者のことを忘れるわけないでしょう」

「どうして呼ばなかったの?」

 

呼んでも仕方ないもの、とミネルヴァは肩を竦めた。「法執行部の研修よ。証拠能力のある聴取でもない。筆談の範囲でも大したことは聞けなかったわ。まるで幼稚園児レベルの語彙と思考力。罪状も幼稚園児レベル。マグルに対する威嚇目的でマグルの前で魔法を使っただけよ。正直なところ、アズカバンに収監する必要さえないと思ったわ。他に収監施設がないから仕方ないけれど」

 

「子供がいないと断言できるのはなぜ?」

「意思疎通が困難だから、通常の手段では子供を作るほどに異性と関わることができない。それと」

 

珍しくミネルヴァが言い淀んだ。

 

「ミネルヴァ?」

「・・・妹に子供を産ませるためにここから出せ」

「は?」

「そう主張したわ。自分の犯罪についても理解していなかった。スリザリンの血を薄めないために妹に自分の子供を産ませると。主張するのはそれだけ」

「だったら妹に産ませたかも」

「妹はモーフィンが逮捕された時点で行方不明だった」

 

柊子は考え込んだ。

それほど異常な人物だ。罪状そのものは軽微でも、周辺事情はいくらか捜査しているのではないだろうか。

 

「周辺事情は何か覚えてる?」

「まったく。実を言うとね、モーフィン・ゴーントの聴取はそもそも予定になかったの。その日聴取していた収監者が途中で体調不良のために退席したところへ、押しかけてきたのよ。研修規定の時間数を稼ぐのにちょうどいいから話を聞いただけ。もちろんロンドンに戻ってから、報告書の補足のために資料は探したわ。でも資料は見つからなかった。魔法警察部隊に問い合わせても、軽微な犯罪だからおそらく破棄しただろうという回答しか得られなかった」

 

柊子が調べたのはマグルの警察の資料だ。モーフィン・ゴーントの死因はマグルの検屍では解明出来なかった。死因不明のまま埋葬されたのだ。

 

「気になるわね」

「柊子、忘れた方がいいわ。極端な純血主義の家系の成れの果て。それでいいじゃない」

「気にしてるのはウィリアムだったんだけど、パーセルマウスだと聞いてわたくしも気になってきた」

「ウィリアム? ウィリアム・ウォレン・ウィンストン? あなたの口から男性の名前が出てくるとはね。ディミトロフが怒り狂いそう」

「この際ディミトロフはどうでもいいの。マグルの警察が見落としている点を再捜査する必要があるわ。極端な純血主義、スリザリンの血を薄めないための近親相姦、パーセルタングを連想させる喋り方。どれもこれも不吉な要素ばかり。少なくとも妹の行方不明については放置するわけにはいかなそうね」

 

放置してあげなさいよ、とミネルヴァは眉をひそめた。「悪夢のような暮らしから逃れる権利は誰にだってある。そうでしょう? スクイブに近い魔法力しかないゴーント兄妹よ。家出して幸せになったかどうかは別にしても、魔法から離れて生きていけるならそれで構わないでしょう」

 

「英語も話せないのに?」

「英語が話せない移民はいくらでもいるわ。それでも彼らは苦労の果てにイギリスの社会に同化して生きていく。ゴーントの娘もそうしたかもしれない」

 

柊子は少し驚いてミネルヴァを見つめた。

 

まったくミネルヴァらしくない。魔法省を退職したあたりから「らしくない」言動が増えてきた。学生時代の彼女だったら、いや、研修生時代の彼女であってもこれほどの異常性を示した収監者の周辺情報を軽視したりはしなかっただろう。

 

「・・・たまには実家に帰ってるの? ホグワーツは同じハイランド地方だから、勤務地が近くて御家族も安心でしょう」

 

ミネルヴァは黙って肩を竦めた。柊子は溜息をつき「求婚を断ったからってそこまで故郷を避けなくてもいいのに。だいいちマグルの彼を避けたいならホグワーツに戻るんじゃなく魔法省にいれば良かったでしょう」と、初めてはっきり指摘した。

 

「・・・それも出来なくなったのよ」

「は?」

「自分にうんざりする」

 

つまり自己嫌悪を感じて魔法省にいられなかったということか。

 

頬杖をついて薄汚れた床にぼんやりと視線を落とすミネルヴァの横顔を窺って、柊子は軽くこめかみを揉んだ。ミネルヴァ・マグゴナガルがなにやら弱っている。天変地異の前触れかもしれない。

 

「えーと。混血だから魔法省で出世が見込めないと言っていたアレは?」

 

髪をかきあげる仕草をして「建前よ」と吐き出すように言った。

 

「じゃ何よ?」

「指導教官だったミスタ・ウルクァート」

「はあ・・・」

「にも求婚されたの。断ったわよ? もちろん断りましたとも。ユーアンをこちらの都合で捨てておいて、自分だけ先に幸せになろうなんてこと死んでも出来ない」

 

柊子はこめかみをぐりぐりと揉んだ。やはり天変地異の兆候だ。ミネルヴァ・マグゴナガルに恋煩いの季節がやって来た。

 

「じゃ、そのユーアン? マグルの彼の人生を微妙な距離から見守るという、わけのわからない微妙な決意に変わりはないの?」

「・・・ありません」

「だったらウルクァートから逃げてきたのはどうしてよ」

「黙秘します」

 

頑固者、とテーブルの下でミネルヴァの脚を蹴った。「でも、ゴーントの件では黙秘はやめてちょうだい。何か知ってるでしょう」

 

ミネルヴァは顔をしかめた。

 

「リトル・ハングルトン村に聞き込みには行ったわよ。でも小さなコミュニティだし、他所者に対しては口が固い。ゴーント家は鼻つまみ者ではあったけれど、だからこそ、詳しい事情を知っていると口にする人はいないわ」

「そうでしょうね」

「ただひとつだけ。ゴーントの娘は、あの家から逃げてロンドンに行った、という証言があった。ここからは村人たちの推測だけれど、ある青年との間に子供が出来て駆け落ちしたんじゃないかと」

「その青年の名前は?」

「そこになると村人たちの口が重くなって聞き出せずじまい。口が重くなるということは、村の名士の息子か、大地主の息子か、あるいは犯罪者か。少なくとも流れ者ではなさそうね。モーフィン・ゴーントや父親のマールヴォロ・ゴーントは、その青年に対する暴行罪でマグルの留置所に入れられたこともあるらしいから、あなたやウィリアムが再捜査するならリトル・ハングルトン村の隣にミドル・ハングルトンという町があるわ。そこの警察署の資料をなんとかして持ち出してみるといいと思う。当時のわたくしにはゴーント個人への関心はなかったから軽い聞き込みだけで終わらせたけれど」

「妹の消息はそこまでなの?」

「数ヶ月後に青年だけが村に帰ってきたから、捨てられたんだろうという推測でおしまい」

 

腕組みをして柊子はしばらく考えた。

駆け落ちするほどの関係にあり、数ヶ月を共に暮らした可能性が高い以上、子供が出来た可能性は否定出来ない。

 

弱ったな、と目を閉じた。ブルガリア出張までにあと1週間しかない。1週間でゴーント家の娘の消息を辿ることが出来るだろうか。

 

「ミネルヴァ。今はサマーホリディよね」

 

ミネルヴァが顔をしかめた。

 

「暇でしょ、手伝ってよ」

 

 

 

 

 

リトル・ハングルトン村の教会の墓地にゴーント家の墓はない。キリスト教的でない一族の墓地は村外れにあるというのが、けんもほろろな牧師の説明だった。

 

村境の小川ギリギリまで張り出した荒地に形ばかりの墓石が点在する墓地で、柊子、ウィリアム、ミネルヴァはゴーントの墓を探した。

 

「ゴーント家は旧家なんじゃないの? 墓らしい墓もないなんて」

 

柊子がぼやくとウィリアムは苦笑して「まともに墓地に葬られたのはモーフィンだけだと思うよ」と言った。

 

「はあ?」

「レディにはとても話せない事情がゴーント家にはあるのさ。モーフィンだけは、マグルの行政措置によって葬られたらしいからたぶん墓があるはずだ。その遺体に魔法的痕跡がないことも確かめておきたい」

 

ミネルヴァは鼻皺を寄せて「レディ扱いするなら墓暴きも免除し」と言いかけて、言葉を切った。「柊子!」

 

「なによ、見つかった?」

 

屈めていた腰を伸ばしながら柊子が応じると、ミネルヴァは真新しい縦型の墓石の前で眉を顰めている。

 

「トム・リドルの墓がね」

「・・・嫌な同姓同名さんね」

「言ったでしょう、忘れたの? モーフィン・ゴーントの父親の名前はマールヴォロよ」

 

立ち上がったウィリアムも険しい表情だ。

3人はそれぞれに強張った顔を見合わせた。ウィリアムの「ゴーント家」と「ボージンアンドバークスのリドルくん」が繋がってしまった。

 

 

 

 

 

「モーフィン・ゴーントはトム・リドルへの暴行だけじゃなく、トム・リドル殺害の容疑でミドル・ハングルトンの警察署に拘留されたこともあった。リドル一家殺害事件。トム・リドルとその両親がある日、ほぼ同時刻に死亡したという不可解な事件だ。結局は証拠不十分で保釈されたけどね」

 

ミドル・ハングルトンの警察署にマグルの刑事を装って調査に出向いたウィリアムが、リトル・ハングルトン村のパブに戻ってきて報告した。

 

「それいつの話?」

「数年前。確かリドルくんが7年生のサマーホリディだ」

「証拠不十分というのは?」

 

ミネルヴァの言葉にウィリアムは肩を竦めた。「検屍しても死因がわからなかったのさ。心臓発作などの内科的疾患の可能性は否定され、毒物の反応もなし。もちろん外傷もなし。母親には腰骨骨折の所見があったが、これは死亡と同時に椅子から転がり落ちたときに生じた骨折だろう。死因じゃないのは一目瞭然だ」

 

「さすがに魔法的痕跡も、年単位の時間が経っていたらわからないわね」

「被害者の顔写真は見た?」

「見たけどわからないな。似てると言われれば似てる。でも、そもそも僕らの父親みたいな年齢だし、写真はこう、目を見開いて全体に緊張しきった表情、つまり死の瞬間の表情だからね。確信は持てない。とりあえずリドル邸だった屋敷の住所は控えてきた。まだ庭番小屋に当時の庭番が居住しているらしい。退役兵士のフランク・ブライス氏。旧リドル邸の管理を不動産屋から任されている。大した収入にはならないはずだが、戦傷もあるようだから軍からの年金が支給されているんだろう」

「その庭番は嫌疑をかけられなかったの?」

「かけられたさ、もちろん。でも両親にトム・リドル、合わせて3人を痕跡も残さず殺害する手段の説明がつかない。戦争中の怪我で軽く片脚を引きずって歩くから尚更だ。つまりこちらも証拠不十分。なによりブライスには動機がない。ブライスは村の小作人の息子として生まれたが、早くに両親を亡くし、牧師館に起居しながら、村人のちょっとした手間仕事をして育った。そういう育ちの若者にとっては、リドル家の庭番という仕事は十分な安定路線だ。手間仕事よりはマシな賃金と庭番小屋という自分自身の安らかなスペース。現に復員後にはリドル邸の庭番として再度雇われている。彼には、邸の住人を殺害しても得るものなど何もない」

 

ただ面白い証言をしている、とウィリアムは柊子の顔を見た。

 

「面白い?」

「『ろくでなしのトムがどっかで作ったガキが訪ねてきて殺っちまったんだろうよ』どうやら殺害されたトム・リドル氏は、女性関係において決して評判の良い紳士ではなかったようだ」

「いい年して、未婚のまま両親と暮らしていたの?」

 

ウィリアムはパブの汚い天井を見上げた。

 

「得体の知れないゴーント家の娘と駆け落ちしたと噂になったような男に結婚相手はいなかっただろうからね」

「・・・ゴーントの娘と駆け落ちした相手がトム・リドル?」

 

そうだ、とウィリアムは頷いた。

 

 

 

 

 

長年こんなちんけな村にいるとな、とフランク・ブライスは吐き捨てるような声音で言った。「誰が誰の子か大体わかるもんなんだ」

 

「ガキどもはみんな親父やお袋の若い頃とそっくりになってきやがる。顔が似てなくても声は似てくる」

「その日訪ねてきた少年には、つまり殺害されたトム・リドル氏の若い頃の面影があった?」

 

フランク・ブライスは顎の先で頷いた。

 

「この村のガキじゃねえのは一目でわかった。村じゃ、あんな生っ白いガキは育たねえ。おおかたロンドンあたりの薄暗い都会で育ったんだろうよ。どうやって自分の親父を突き止めたか知らねえが、おおかたお袋さんに聞いたってところだろうな」

「その『お袋さん』つまり少年の母親に心当たりは?」

「ねえな。どうも何かやらかしたってえ噂の切れっ端は聞いたが、俺はまだ親無しのガキの頃でね。牧師館の物置に寝泊まりさせられて百姓の賃仕事をしてた。牧師館に住んでるガキにゃあ聞かせねえ話だろうが、え?」

 

ミネルヴァと柊子にフランク・ブライスの聴取を任せてウィリアムは屋敷に忍び込んでいる。まだ売却の目処の立っていない旧リドル邸には、家族の歴史がそこここに飾られたままだった。

 

「・・・血縁がないとは思えないな」

 

溜息をついてウィリアムはひとりごちた。

 

おそらく10代後半、成人の記念写真だろうか。セピア色の写真の中で、若きトム・リドルは気取った笑みを浮かべてカメラのレンズに向き合っている。

ボージンアンドバークスに勤務するハンサムなトム・マールヴォロ・リドルを彷彿とさせる整った顔立ち。違いをあえて見つけるとすれば、殺害されたトム・リドルには、トム・マールヴォロ・リドルの特徴である、どこか嘲るようでありながら抜け目なく辺りを睥睨する眼差しがないことだけだ。

 

ウィリアムは屋敷を見回した。財産家であったことは間違いない。しかし、村外れの小川沿いの墓地に葬られたところを見ると、キリスト教的ではないと看做されたことになる。

何をもってキリスト教的であり、また何をもってキリスト教的でないと判断するのか、その根拠は定かではないが、財産家の割に教会への寄付をしなかっただとか、おそらくそうした問題があったのだろう。息子の女癖の悪さも一役買っていたかもしれない。

 

いずれにせよ、この屋敷の住人は紛うかたなきマグルだ。魔法効果のある家財は見当たらないし、バスルームにストックしてあるホメオパシーの材料も、魔法薬に使えるレベルのものではない。あくまで常識的な民間医療の範囲内のものだ。

 

どこでゴーントの娘とトム・リドルが心を通わせることが出来たというのだろう。

 

 

 

 

 

ホグズミードの通りでミネルヴァと分かれ、思案に耽るウィリアムに柊子は「リドルの問題はどうやらあなたにとっても他人事ではなくなったみたいね」と声をかけた。

 

「うん。まいったな。僕の計画では、ゴーント家なんて忌まわしい家系のことはきれいさっぱり片付けて、クロエとごくごく普通の家庭を築くつもりでいたんだけど」

「リドルごと片付ければいいじゃない」

 

柊子、と苦笑を浮かべてウィリアムは立ち止まった。

 

「言っただろ? 僕は古代魔法による強制力を持たないただの魔法使いだ。ただの魔法使いが、ただのいかがわしげな古道具屋の店員を始末するわけにはいかないじゃないか」

「わたくし、明日からブルガリアだけれど」

 

再び歩き出しながら柊子は切り出した。

 

「ミネルヴァをたまには連れ出してあげてくれない? ゴーントの娘の捜索でもなんでもいいから」

「捜索? この広いロンドンでかい? 雲を掴むような話だ」

「ゴーントの小屋に魔法薬のレシピ集らしき書物が一冊だけあったの。ジェミニオを作って・・・もとい、作らせたから、ミネルヴァが解読してみるそうだけれど。魔法薬を作っていたなら、材料の調達や納品でダイアゴン横丁・・・じゃなくて、ノクターン横丁とは関わりがあったかもしれないでしょう」

「まあ、そのあたりから始めるのが常道だろうね。しかし、ミネルヴァに時間はあるのかい?」

「サマーホリディよ。有り余ってるわ。それにねウィリアム、彼女、最近様子が変なの。頑固者だから悩みを人に相談する柄でもないし。とりあえず今日の捜査の間は以前のままの頭の切れがあったから、こういうことを繰り返すうちに調子を取り戻してくれないかと思って」

 

そういうことなら、とウィリアムは快諾してくれた。「君もな。1ヶ月のブルガリア滞在中には、シメオンに夕食ぐらい付き合ってやれよ」

 

くれぐれも残党狩りだけに夢中になるんじゃないぞ、と言い置いてウィリアムは姿くらましをした。

 

 

 

 

 

リトル・ハングルトン村外れの墓地にクロエを連れて姿現わしをすると、クロエが怪訝な顔でウィリアムを見上げた。

 

「ウィンストン家の歴史を君に話しておくべきだと思ってね」

「過去のことなら何も気にしないわよ? たとえトロールの血が流れていようと」

「過去だけでなく、未来・・・つまり我々に子供が出来たら、彼らにも関わる忌まわしい義務があるのさ」


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