ようやく波乱の風が抜け落ち、数年後のプロリーグを目指して邁進の日々が始まると思われた日本戦車道。
ところがある日、西住流家元西住しほは、戦車道本部で役人に驚愕の事実を知らされる。
「日本戦車道プロリーグの設置が……絶望的?」
西住しほに、決断の刻が迫っていた。
戦車道運営のデスマッチ式公認特別試合。
大洗、プラウダ、聖グロリアーナ、黒森峰、アンツィオ――駆り出される五つの学校。
各高校隊長の、特別交換編入。
それらから導き出される新たな戦いとは……。
今、戦車道に新たな激動の幕が開かれようとしていた。
プロローグです!
大洗女子学園 ピロシキさんチーム 9月25日 10:07
その鋼鉄の戦列は、一陣の砂嵐を纏っていた。
「………………」
双眼鏡の奥――カチューシャの瞳に、戦車が映っている。
五輌の鉄の塊。それらが、さも一個の存在であるかのように群れをなし、大地を走行していた。無限軌道によって撒きあげた土と埃で大気を茶色に染め上げながら、地面に水を浸透させるかの如く――優雅さと戦車の力強さを見せつけるように、一糸乱れぬ楔型の隊列を維持しているのだった。その砲塔に飾られるのは、赤色のエンブレム。
あれはプラウダ。ダージリン率いるプラウダ高校の戦車だ。
「『T-34』四輛。『IS-2』一輛――前進中」
晩夏の灼熱の陽光が燦々と照りつけるなか、カチューシャは無感情を微量に含んだ声音で呟いた。独り言ではなく、傍らの秋山優花里へ向けた言葉だ。
「流石、綺麗な隊列を組んでいますねぇ……」
見知った展開に些かのデジャヴを感じながらも、秋山優花里は感嘆せずにはいられない。細に入り微を穿った隊列は、それだけで敵の連度の高さを示すには十分すぎる要素だ。指揮、連携、意思疎通――少なくとも、即席のチームが一夕一朝で真似できるものではない。それほどまでに、彼方の盆地を走行する鋼鉄の戦列は美しさを伴っていたのだ。
すると、カチューシャは口を尖らせて意地らしく言った。
「あれだけ速度を上げて隊列を乱さないなんてスッゴイ――」
意訳。たぶん、『スッゴイ《バカらしい》』
拗ねた口調の彼女を見るに、おそらく後の文脈には『バカバカしすぎて惚れ惚れしちゃうわね、ダージリンには』と続くのだろうと、優花里は察した。そもそもが、カチューシャの基本戦術教義《ドクトリン》ドクトリンに隊列を組んで優雅に行進するなどという作戦はない。
――敵は二重の物量を以て包囲し、しめやかに飽和火力で鏖殺すべし。
それが、地吹雪の異名を持つカチューシャの常道である。この日のために温めてきた作戦案も優雅伝統などといった美辞麗句からは掛け離れた代物だ。時として、勝利は全てにおいて優先される。
「こちらの徹甲弾じゃ、前面装甲は抜けません」
優花里の懸念に、カチューシャはピロシキさんチームの編成車両を脳裏に浮かべ、その指摘はおそらく正しいだろうと客観的に判断した。いや、むしろ彼我の戦力差は絶望的だと言い換えた方が正鵠を得ているか。
《大洗 ピロシキさんチーム》
『IV号戦車D型改』
『M3中戦車リー』
『八十九式中戦車甲型』
『CV33型快速戦車』
同盟、アンツィオ配下の『CV33』が三輛、大洗の戦車が三輛――合計、六輛。
対して、ダージリン率いるプラウダの標準車輌T-34の78mm砲はピロシキさんチーム全戦車の装甲を貫徹し得る威力と貫徹力を兼ね備えている。IS-2の120ミリ砲は言わずもがな、一撃での被撃破が確約されているなか、真正面の馬鹿正直な殴り合いを試みること自体、愚策にして愚の骨頂。 第一に、敵の末端にしても、砲と装甲は、こちらのそれより圧倒的に上回っているのだ。
ところが、カチューシャは快活にこう嘯いてみせた。
「そこはほら、私の腕の見せどころよねぇ!」
大胆不敵な笑みを浮かべ、絶望的な戦力差を覆すことが愉しみで仕方がないというような調子の大洗戦車道隊長に、秋山優花里は笑顔で頷いた。
「えへへ……ハイッ!」
彼女は思い出した。絶望と諦めは、とっくの昔に捨てていったことを。
火砕流さえ走破せしめ、どんな難攻不落の要塞すらも打ち砕いてみせるのが戦車であり、戦車道。希望という灯は不可能を可能にする。ならば、少女たちもかくあらねばなるまいと決心を固めた。今、此処に新たな戦端が開かれようとしているのだ。
少女達は焦げ茶色の戦車に駆け上がる。あんこうのようなずんぐりむっくりとした車体――長砲身へと換装した75mmの戦車砲を持つ20トンの鉄の化物へと。
「マコーシャ起きて! エンジン音が響かないように注意しつつ展開! 沙織はアンツィオとポルシチさんチームに無線で連絡――ハナーシャはダージリンの横っ腹に一発食わせる準備をしときなさい! 各自、敵をキルゾーンに誘い込むわよ!」
鉄と油とシャンプーの匂いが同居する鋼鉄の塊。山をも砕く最強の火砲と、火山弾をも弾く最強の盾を備えた装甲戦闘車輌へと舞い戻り、小さい隊長は鬨の声をあげる。
「Танки вперед《戦車前進》!」
「「「「ypaaaaaaaa《ウラー》!」」」」
「ペパロニ姐さん、『うらー』ってなんスか?」「んー、知らんけどなんかカッコイイじゃん? 怪獣的な?」「それって『ウガー』じゃないんスか?」「そうとも言う!」「流石姐さんはノリとパスタに生きてませんねぇ」
――戦車行進。
行軍を奏でるのは、エンジンと履帯音の二重奏だ。岩肌を駆ける五輌の戦車が空気を揺るがし、荒涼とした殺風景な台地を無量感で染め上げる。戦車とはまさに畏怖されるべき大質量の兵器ではあるが、今ハッチから顔を覗かせている少女たちの瞳は淀みがなく、むしろ凛とした輝きさえあった。そうして、『Ⅳ号戦車』は五輛を追い抜いて行進の先頭へと躍り出た。
「目下の敵車輌はプラウダの五輛よ! さっきの打ち合わせ通り、私とアンツィオのCV33が囮になるから、みんなは地獄のポルシチ鍋で待機よ!」
「「「「ypaaaaaaaa《ウラー》!」」」」「ウガー……ん?」
その時、ペパロニ駆るCV-33に無線が届いた。
「あいよ、こちらミラノピザ三丁目! ピッツァ一枚五百万リラ! 今ならピッツァ一枚とパスタ付きで八百リラだよー……えぇ!?」
刹那、ペパロニの背筋に電撃が走り、表情筋に接着剤を塗りたくられたように笑顔を硬直させた。
「えっ、アンツィオが――元総統に……蹂躙されてるゥ!?」「うわぁ!?」
ペパロニの大声に驚愕した操縦手がアクセルとブレーキを誤り、車体を急停止させた。そして必然的に車間をそれほど空けずに走行していた後続車輌が次々にCV-33へと追突する。そうして空中へと吹っ飛ばされた豆戦車の中、ペパロニは天と地がひっくり返ったまま絶叫するのだった。
「なァにやってんすかァァァ! アンチョビ姐さんーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
叫びが真夏の蒼穹と無線に吸い込まれるように響き渡り、三秒後に霧散した。
――第六十三回全国戦車道大会から早くも三ヶ月。
その年は、戦車道界隈にとって波乱に満ち溢れた季節となった。
多くの強者が中途で夢に破れ、心を折り、志半ばで戦車道を後にする。
よくあることだった。何故ならば、それが戦車道という乙女の嗜みだからだ。少なくとも、西住しほはそう思っているしこれからも考えは変わらない。
強いものが勝利し、弱いものが負ける世界――自然の摂理だ。そんな世界では、弱くては何も得られない。西住しほがそれを知ったのは戦車道を始めて間もない頃だった。
ところが、今年において鉄の前例が覆された。
名も知らぬ無名校『大洗女子学園』に――それも素人と鉄屑同然の戦車を寄せ集めた烏合の集団が全国大会で優勝を勝ち取った。
数々の強豪校を退け、度重なる劣勢を覆し、遂には西住流体現者である西住まほすら打ち破ったのだ。
しほは知っている。戦車道にマグレ無しと。
あれから四半期の時が経ち、またもくだんの無名校が実力を示して廃校を撤回させた頃、西住流鉄の家元の態度も幾分かは軟化の傾向を見せていた。
――『強さ』というのは、あくまでも『勝利』ではないということね……。
無名校の戦車道指導者が、追い出した実の娘だというのも関係していただろう。それも、彼女が否定した『戦車道』に敗北を喫したのだから、ある程度の考えは改めねばなるまい。だが、らしくない打算的になるのも我が子あってのことなのだろうか。
いずれにせよ、波は過ぎ去った。衰えを見せていた日本戦車道は、生ける伝説と化した大洗が既に新しい風を吹き込み空前絶後のブームとなった。彼女ら戦車道を歩む者がいる限り、戦車道の命脈は次なる世代へと受け継がれていくだろう。後は、来るべきプロリーグの設立に励むのみ。
――西住しほが、そんなことを思い描いていた時である。
蝉の鳴き声も静まった晩夏の九月。とある一報の電話が緊急で届いたのだ。
その電話の内容は、一言目からしほを青ざめさせ、戦慄させるほどの脅威をはらんでいた。
『日本戦車道に、プロリーグ設置の見込み無し』――と。