黒森峰の逸見姉妹 前編
その日もたぶん、今日みたいな暑い日だった。
蝉が鳴き、灼熱の太陽が世界を焦がしていた。
甲子園出場を賭けた、県大会の決勝。
構えたミットに向かって、風切り音を立てながら白球が飛び込んでくる。
平手に重たい衝撃を感じた瞬間、背後に立つ審判がストライクのコールを叫んだ。
我が校のエースの調子を、球の回転と伸び具合で判断しながら、やや強めの返球を投じる。
パシン、と小気味よい音を立てて彼はボールを受け取った。言葉で伝えなくても、今までの所作でコミュニケーションは成り立っていた。
メット越しにエースを見やる。彼はこちらから返したボールを手のひらで弄びながら、満足げに笑っていた。
今日はすこぶる調子が良い。
そう考えているのが手に取るようにわかった。実際、これまでにないくらいの出来の良さだ。
イニングは六回表。そろそろ疲れも見えてくるだろうに、エースの球威は衰えることなく、許したヒットもわずか一本。
奪った三振は七個で、快刀乱麻という言葉がこれほど似合うピッチングはないだろう。
「あと、四回。リードは二点」
サインを出しながら零した呟きは、エースが投じた白球が奏でる音と、観客の歓声の中に消えていった。
目の前をバットが通り過ぎ、ミットにはボールが収まっている。
空振り三振。この回一つ目のアウトは三球三振という、これ以上ない結果だった。
あと十一個のアウトを、このエースと積み上げれば甲子園という夢が叶うところまできたのだ。
自然に、まったく意図しないままに、ミットを叩いてガッツポーズをしていた。
と、その時だった。
ネクストバッターサークルから一人の選手がバットを握りしめて、こちらに歩いてきていた。
普段ならば、特に意識することもなく、エースに対して次のサインを出し、ナインに守備位置を伝えていただろう。
けれどもその時は、選手の視線がこちらに向いていることに気がついて、つい意識してしまった。
ばっちりと目が合う。
メット越しとはいえ、その迫力に一瞬気圧された。
「あまり調子に乗るなよ」
言葉はたった一つだけだった。歓声と、ナインの掛け声に埋もれた言葉はなんてことない、ただの負け犬の遠吠え。
でも耳からこびりついて離れなかったのは、そこに込められた呪詛の大きさたるゆえか。
いや、あれから随分と時間がたった今だからわかる。
あの呪詛はその後に待っていた悲劇の凶兆そのものだったからだ。
それを当時の自分は、なんとなく察していたのだろう。
体を支配していた高揚感や万能感をすべて引きはがされたまま、中腰になりミットを構えた。
リードはアウトロー。つまり外角低め。大怪我をしにくい、手堅い攻めだ。
けれども、初球にそれを要求したのは今日は初めてだった。
エースもどこか訝しんだようにこちらを見ている。
けれども、けれども彼は、そのサインを拒否することなく、ただ一つ頷くだけだった。
お前がそういうのなら、そうなんだろう。
目線だけで、そう語り、投球の所作で信頼を示してくれた。
その証拠に、こちらへ投じられた球は要求通りの最高のアウトロー。
一瞬感じた不安が全部嘘だったかのように、何の心配もしないままにミットを開いた。
ただ、その時。
左打席に構えたバッターが一歩踏み込んでくるのが見えた。
いつもなら悪あがきと笑ってみせる動作から、どうしても目が離せなかった。
ボールではなく、踏み込んだバッターを見ていると、近くで甲高い金属音が聞こえた。
それから約二秒。
ミットにボールは届かなかった。
代わりに、球場を飲み込む悲鳴の中に、外野ベンチと硬球が奏でる打撲音を聞いた。
呆然と立ち尽くしたまま、人混みの間を跳ね回る白球を目で追う。
審判が頭上で手を回し、バッターが悠々とベースを回った。
そして本塁を踏んだバッターがこちらを見てこう告げた。
「ざまあみろ」
2/
目が覚めた。
いつの間にかクーラーが止まっていたのか、寝汗をびっしりとかいていた。
あの日と同じ、夏の暑い日だ。遮光カーテンの隙間から差し込んでくる光を見ても、その様子がうかがい知れる。
何処かで蝉が鳴いている。暑さにうんざりしながら、ベッド脇の窓を開ければ、さながら音の暴力だった。
けれどもそれほど不愉快ではない。なぜならその音が、楽しかったあの頃の記憶を構成する大事な一つのピースだからだ。
栄光はなかった。
でも、屈辱ではなかった。
折り合いを付けきった、自分なりに消化した過去のことだ。
例え、あれから連打を浴び、県大会の決勝で涙を飲んだのだとしても、「彼女」にとってそれは過ぎ去った昔に過ぎないのだ。
蝉の鳴き声に混ざって、木製の階段を踏みしめる音が聞こえた。
たんたんと、リズムよく、力強く踏みしめる聞き慣れた音。
のっそりと部屋の扉に振り返ったのと同時、その扉が勢いよく開かれ、足音の主が姿を現した。
銀色の長髪を振り払って、それは高らかに声を張り上げた。
「いつまで寝てるの! いい加減起きなさい! カリエ! 夏休みだからってぼさっとしてるんじゃないわよ!」
姉のエリカだった。
3/
逸見カリエ。
それがこの世界での彼の、いや、「彼女の」名前だった。
いっぱしの高校球児から、大学、社会人と、だらだらと野球を続けた。甲子園出場の夢が破れても、いつかくるであろうさらなる栄光を目指して、白球と戯れ続けた。
けれども実力以上の芽が出ることもなく、評価も受けられず、プロなんて夢のまた夢だった。
別に絶望はしなかった。ただなんとなく、自分はここまでだろうな、という実感もあったし、現実を認める力も持っていた。
だから野球から身を引いても、燃え尽き症候群に陥ることもなく、それとなく入団したチームの会社でのらりくらりと仕事を続けていた。
だがその適当さがいけなかったのか、それとも環境に流され続けてきた罰が当たったのか、大雨のある日、会社帰りに足を滑らせて水路に転落。そのまま「彼」としての人生を終えてしまった。
けれども意識が存在しなかったのは一瞬だけ。
本当に気がつけば、と言い様がないほどあっけなく、第二の人生がスタートしていた。
もしかしたら、植物状態にでもなって、その時に見ている夢ではないのだろうか、と考えてしまうくらいにはドラマも何もない、ごく当然に始まった人生だ。
ただこの人生。
決して一筋縄ではいかないやっかいなものだった。
まず性別が違う。前世は汗と泥に塗れ続けた野球男児だったのに、何を間違えたのか「相棒」が付いていない女性として生きていく羽目になった。
これはかなりのストレスで、一時は本当に気が変になって奇行に走ったこともある。男らしい振る舞いを見せればそれなりに厳格な両親に叱責され、あんまり続いたときには気の確かさを疑われて病院に連れて行かれたこともある。
それが前世のアイデンティティを踏みにじられているようで、カリエにとってどうしても耐えがたいことだった。
ただそれも、二次性徴を迎えてからは、これはこれで自分なのだと考えられるようになり、以前ほどのストレスは感じなくなった。前世は前世、今は今と割り切ってしまえば、女の子らしい振る舞いもそれなりに楽しめるようになったのだ。
まるで二度目の思春期だな、と妙に納得したのを今でも覚えている。
だが、一筋縄でいかないのは性別の問題だけではなかった。
「ほら、とっとと歯を磨いて、顔洗って私のところに来なさい。髪梳かしてあげるから」
それは目の前で仁王立ちしている今世での姉、逸見エリカの存在だった。
彼女とカリエは一卵性の双子で、エリカが姉。カリエが妹ということになっていた。
それぞれ顔のパーツは殆ど同じ。違うのは性格から由来しているのか、目つきと表情のバラエティくらい。
身長体重もほぼ完璧にシンクロしているので、二人して黙って並べば両親ですら識別を違えることもあった。
だからなのか、エリカは長髪、カリエは短髪でそれぞれを区別していた。
この、髪型と性格以外何もかもが同じな、自身の分身の存在がカリエにとってある意味で悩みの種となっていたのだ。
「一人でできるから、いい」
のそり、とベッドから起き上がり、エリカの脇を抜けようとする。
けれどもそれが叶うことはない。なぜならエリカががっちりとカリエの腕を捕まえていたのだ。
「馬鹿いいなさい。あんたはやることなすことが適当すぎて見てらんないのよ。ほんと、おんなじ顔のくせにどうしてそこまでぐうたらなのか」
そう、それはエリカの世話焼きな気質にあった。
カリエは今世ではまだ15そこそこを生きただけの若造も若造だが、前世では30近くを生き、合わせれば45は生きているのである。両親と殆ど同じような年齢だ。
そんな中身が大の大人が、遙かに年下の女子高生に世話を焼かれる――人が人ならば喜ぶだろうが、残念ながらカリエはそこまで図太い神経をしていなかった。
端的に言えば恥ずかしさとやるせなさが入り交じった、複雑な感情を姉のエリカに抱いているのである。
決して悪人などではなく、むしろ度が過ぎるほどの善人かもしれないエリカが、カリエは苦手で仕方がないのだ。
「ほら、タオルはこれ。歯磨き粉は一昨日帰省するときに学園艦から持ってきたのを使って――、ああじれったいわね。頭だけこっちに寄越しなさい」
スタイリング剤を頭髪に振りかけられ、ドライヤーと櫛で寝癖を梳かされる。何度も自分でできる。やめてくれ、と懇願してきた朝の支度だが、ついぞエリカが一人ですることを認めてくれたことはない。
理由は至極単純。カリエに任せると雑だから、とのこと。
「支度が終わったら、お昼ご飯食べて、熊本市内に向かうわよ。バスと電車の時刻は調べてあるから、あんたは外行きの準備だけしていなさい。服装は制服だから忘れないように」
カリエのヘアスタイルの出来に満足したのか、それだけを告げてエリカは洗面所から出て行った。
一人取り残されたカリエは、相変わらず嵐のような姉だな、とため息を一つ吐き、力のない瞳で鏡を見つめる。
そこには気だるげに歯ブラシを咥えた、姉と同じ顔の少女が一人、突っ立っていた。
4/
黒森峰、と刻まれた校章が眩しい制服に袖を通して、カリエは熊本市内を走る電車に乗っていた。もちろん隣には同じ格好をしたエリカが手元のスマートフォンを操作しながら、時折カリエの方に視線をやっていた。
「エリカ、あんまりちらちら見ないでほしい」
「あんたが余計なことをしないか、気が気じゃないのよ。あと、エリカじゃなくてお姉ちゃんと呼びなさい。いいこと? これから向かうのはね、かの高名な――」
「何度も言わなくてもわかるよ。隊長と副隊長の実家でしょ。別に昔じゃあるまいし、髪の毛毟ったり、胸をちぎったりはしないよ」
「馬鹿! あんた電車で何言ってんの!」
慌てて口をふさがれ、エリカに叱責される。その声が案外響いたのか、電車内にいた乗客が何人かこちらを見た。けれどもすぐに興味を失ったのか、それぞれ新聞を読むか、スマートフォンを操作するか、それぞれの世界に埋没していった。
「……あんたね、今回のお招きがどれだけ有り難いことかわかっているの? あの隊長のご実家にお呼ばれしているのよ。これほどの名誉、なかなかないわ」
「エリカはそういうけれど、相手は同じ学校の生徒でしょ? 普通にすればいいのに。あと、私、隊長より副隊長の方が取っつきやすいな」
「エリカって言うな。あと、今の言葉、隊長の前で言ったらただじゃおかないからね」
それくらいわかっているよ、とカリエは本日何度目かわからないため息を吐いた。これ以上姉とやり合えば疲れることが目に見えているので、興味がないと言わんばかりに電車の釣り革広告をじっと見つめる。
そこではクマをデフォルメした真っ黒なキャラクターが、熊本県をPRしていた。こいつ、この世界にもあるんだな、とくだらないことを考えつつ、そう言えば副隊長もクマのキャラクターが好きだっけ? と次会ったときの話題に思いを巡らす。
こうなった妹にはもう何を言っても無駄だ、と理解しているエリカもそれ以上小言を告げることなく、持ってきていた文庫本を開いて読書を始めた。
どれくらいそうしていただろうか。
熊本市を抜け、南の方に向かっていた電車は田園地帯の真ん中の、小さな駅に到着した。そこが目的地だと理解していた二人は荷物をまとめ、座席を立ち、ホームに降り立った。
田園地帯特有の湿気を孕んだ暑さに、顔をしかめながら、カリエは隣のエリカにこう問いかけた。
「そう言えばなんの本読んでたの?」
エリカは何でもないことのように、こう答えた。
「『戦車道の基本戦術 ~浸透作戦編~』よ」
5/
スポーツとはそれなりに関わりのある人生だったとカリエは自負している。
けれども、今自分が競技者として参加しているこのスポーツは果たしてスポーツなのだろうか、と考えない日はない。
駅を降りてまず目に入ったのは砂漠色をした、巨大な陰だった。
ましてやそれが、一般乗用車には出せないような重厚なアイドリング音を出して、駅前広場に鎮座しているとなればこの世界は何処か狂っていると、カリエはいつも頭を抱えていた。
さらにその陰から自分と同じような背丈の少女が降りてきて、先輩のように振る舞うのだから尚更たちが悪い。
「良く来てくれたな。暑い中、ご苦労だった。古いⅡ号だが私のお気に入りなんだ。実家までの道中、楽にしていてくれ」
少女は柔和な笑みで逸見姉妹を迎えた。
するとさっきまで暑さに顔をしかめていた姉のエリカが途端に笑顔になり、少女に向かって頭を下げた。
「こちらこそわざわざお迎えありがとうございます! 妹共々、よろしくお願いします!」
「なに、みほも二人が来ることを楽しみにしている。もちろんそれは私も同じだ。今日はどうか、自分たちの実家でくつろいでいるつもりで楽しんでくれ」
「ありがとうございます! 隊長! ほら、あんたもお礼を言いなさい!」
小脇を小突かれながら、頭を一つ下げる。
高校時代はこういった上下関係に対してはカリエは愚直に従っていたが、前世も併せて45歳を超えるとそういった機微はもう殆ど忘れてしまっていた。だから、傍目から見てもそれほど綺麗ではない礼だった。
それでも隊長と呼ばれた少女――西住まほは一つ微笑むと、「出発するか」と巨大な陰に乗り込んでいった。
姉のエリカも嬉々としてそれに続き、一人駅前広場に取り残される。
「ほら、急ぎなさい! たく、とろいんだから」
先に乗り込んでいたエリカにぐいっ、と手を引っ張られ、カリエも砂漠色の陰によじ登ることになった。足裏からは直列6気筒ガソリンエンジンの奏でる重低音が感じられた。
今となってはもう、それほど違和感を感じなくなってしまった独特な振動。
「よし、しっかり掴まっていてくれ。それほど速度はでないが、一応な」
唸りを上げて陰が前進する。両側に備え付けられた履帯がアスファルトを噛み、轟音とともに駅前広場から県道へと飛び出した。
ガタゴトとゆれる車体の上部――キューポラから顔だけを出したカリエは、夏の風を確かに感じながら砂漠色の車体をそっと撫でた。
Ⅱ号戦車F型。
それが、彼女ら三人が乗り込む巨大な陰の正体だった。
6/
戦車道という競技がある。
礼節のある、慎ましやかで凜々しい婦女子を育成することを目的とする武道が発展したものだ。
読んで字のごとく、戦車に乗車し、相手チームの特定車両を撃破するか、もしくは全てを撃破することが勝利の条件となっている。
戦車戦の何が大和撫子の育成につながるのか、カリエはさっぱり理解していなかったが、この世界では姉のエリカに引っ張られてなし崩し的に選手としての人生を送っていた。
当初カリエは、野球でもやろうかと考えていたのだが、女子は女子らしくと考えている両親と姉の手によって、戦車の道に放り込まれることになったのだ。
才能は、まあ前世と同じようなものだった。
それなりに出来はするが、プロなんてものは夢のまた夢。身近にいる天才の引き立て役のような役回りだ。
実際、黒森峰女学園という戦車道の強豪校に入学できたのも、姉のエリカの実力のお陰というのもある。
姉があれだけ優秀な選手なのだから、妹もそれなりにやるだろう、という妙な期待感である。
「よし、着いたぞ。Ⅱ号を車庫に戻してくるから少し待ってくれ」
そしてその戦車道の花形である戦車に揺られること数十分。カリエとエリカは無駄に大きな和風の門の前に立ち尽くしていた。表札には仰々しい筆跡で「西住」と刻まれている。
例えば弓道の日置流。剣術のタイ舎流など、武道、武術にはさまざまな流派が存在している。戦車道も例外ではなく、西の「西住流」。東の「島田流」といったように、さまざまな流派が鎬を削っているのだ。
そして二人の前に鎮座する、立派な屋敷こそが西の「西住流」の本屋敷なのである。
「はえー、馬鹿でかい」
カリエの今世の家も、それなりに裕福ではあったが、さすがに目の前の屋敷には圧倒されていた。いつもならそんな妹を「失礼よ!」と注意するエリカも、今はその役目を忘れて屋敷の佇みに見入っている。
「戦車を扱うための敷地が広いだけだ。本宅は大したことがないぞ。あまり期待してくれるな」
いつのまに戻ったのか、二人の間にその西住家の長女――まほが立っていた。
彼女は巨大な門の脇にある勝手口を手慣れた様子で開けると、中へ二人を招いた。
7/
「本日はよくぞお越しくださいました。ごゆるりとおくつろぎ下さい」
屋敷に上がれば菊代という、お手伝いさんに出迎えられた。緊張した、ガチガチの動作でエリカは実家から持ってきた手土産を渡す。対するカリエは初めて訪れる西住の屋敷に興味津々なのか、玄関口にある戦車の置物をしげしげと眺めていた。
「さあさあ上がってくれ。エリカも土産など用意させて気を遣わせてしまったな。すぐにでも冷たい茶を用意する。菊代さん、この二人を客室に連れて行ってやって下さい」
言われて、二人は客室に通された。部屋の中央には立派な木造のテーブルが座しており、周囲には上等な紫の座布団が四つ並べられている。自然と下座の方に腰掛けた二人は、しばし無言のままテーブルを見つめた。
姉のあまりの緊張ぶりに、何か話しかけた方がいいのだろうか、とカリエが思い始めたとき、ぱたぱたとスリッパが奏でる足音が聞こえてきた。
なんとなくそれが、まほのものではないな、と考えたとき、襖がさっと開けられ人影が二人の前に現れた。
「いらっしゃい! エリカさんにカリエさん! 今日はわざわざありがとう!」
先ほどのまほが落ち着いた雰囲気の、静の人だとすれば、目の前に現れた少女は何処か明るい雰囲気の、動の人だった。
西住家の次女、みほだった。
「別に、あんたに会いに来たわけじゃないのよ! 私は隊長に……」
照れ隠しなのか、エリカがごにょごにょと何かを言っているが、みほはあまり聞いていないのか、まっすぐ二人の下に歩みを進め、そのまま両方の手を取る。
「本当に来てくれたんだね! いっぱいボコのお話しようね! あと、お気に入りのコンビニアイスも買ってあるの! 二人とも後で一緒に食べよう!」
「こらこら、みほ。二人とも疲れているんだ。先にきちんともてなさないか。ほら、アイスティーを配ってくれ」
そんなみほを諫めるように、背後からお盆を抱えたまほが現れた。お盆にはよく冷えているのか霜に濡れた品のよいグラスが四つ並べられている。さらにはエリカが用意していた手土産――熊本市の銘菓が盛られていた。
「あはは、ごめんなさい。お姉ちゃん」
「それにボコの話もいいが、まずは次の試合の打ち合わせが先だ。二人も今日は私たちに遠慮せず、忌憚のない意見をぶつけてくれ」
8/
先ほどまでアイスティーとお菓子が並べられていたテーブルは、一抱えもある大きな地図と、戦車関係の分厚い資料本で埋め尽くされていた。
赤鉛筆を持ったまほが地図に注釈を書き込めば、資料を手にしたエリカが補足の意見を述べていた。二人の議論は白熱しており、どんどん地図が赤く染まっていく。
対する妹組――カリエとみほはそんな二人の様子を静かに眺めていた。
「みほも何か意見はないか? 私が見落としていること、思ったこと、何でもいい」
「カリエ、あんたも何か言いなさい。せっかくパンターの車長を任されているんだからもっと責任感を持つの」
けれどもそんな状態が長く続くはずがなく、議論が一段落したところで姉組から催促がすっ飛んできた。けれどもまほとエリカの視線を受けた二人の態度は対照的だった。
「えと、その……お姉ちゃんとエリカさんの言っていることで間違いないと思う」
「地形の話はそれでいいと思う。でも、相手校の選手のデータがわからない以上、これ以上対策のうちようがない」
ぎょっとしたのはエリカだった。慌ててあけすけと口を開いた妹を止めようとするが、それをまほが押しとどめる。そして真剣な眼差しでカリエに問うた。
「それは?」
「戦車道も野球と同じ。人が中に乗っている以上、統計に基づいたデータが必ず役に立つはず……です」
とってつけたような敬語だったが、まほは咎めなかった。むしろ面白い話を聞いたと、笑みを深めるとそのまま部屋を後にした。残されたエリカは顔面を蒼白にし、カリエの襟首を引っ掴んだ。
「あんた隊長になんて口聞いてるの! あれほど礼儀正しくしろって言ったじゃない!」
「まあまあ、エリカさん。お姉ちゃんはそんな細かなこと気にしてないよ」
がくがくとカリエを揺らすエリカを、なんとかみほが宥めていると再び襖が開かれた。けれどもそれはまほではなく、お手伝いの菊代だった。まほはその後ろで、両手いっぱいのDVDケースを抱え込んでいた。
「た、隊長! すいません! うちのカリエがとんでもないことを……」
「いや、いいんだ。それよりカリエ。ここに過去二年分の試合の映像がある。これを見ればデータの統計はとれるのか?」
「……それと試合のスコアがあれば完璧」
「なるほど、すぐに用意しよう。戦車道連盟の公式のスコアブックが確かあった筈だ」
再び部屋を去ったまほにエリカが呆気にとられているうちに、みほはいち早く取り残されたDVDを手に取った。
「なら私はこれの準備をするね!」
再生機器を取りに行ったのか、みほまでも部屋から去った今、エリカは特大のため息を一つ吐いた。
「……あんた、帰ったら覚えときなさいよ」
姉のドスが効いた声は久しぶり、だとカリエは脳天気な感想を抱いた。
9/
結局、まほが用意したDVDに全て目を通すことは出来ず、カリエは西住邸からの帰り道、大きな紙袋を二つ下げる羽目になった。借りてきたスコアブックも入っているそれは結構な重量で、電車内では早々に床へと下ろしていた。
「……帰ったら続き見るわよ。あれだけの啖呵を隊長に切ったんだから中途半端は許さないから」
「わかってる」
まさか本当に意見を採用されると思っていなかったカリエは少しばかりげんなりしながら答えた。
何だかんだいって、妹に付き合うつもりのエリカも、疲労の色は隠し切れていない。
「……本当にわかってる? 黒森峰の栄光はあんたや隊長に掛かっているんだから」
ふとエリカが零した台詞にカリエは違和感をなんとなく覚えた。
けれどもその違和感の正体がわからないまま、カリエはうっつらうっつらと船を漕ぎ出す。
「馬鹿、そっちに倒れたら他の人に迷惑でしょう。こっちにきなさい」
まどろみの中そう言われたので、カリエは素直にそちらへ体重を預けた。誰にもたれ掛かっているのかそこまで考えず、ぼんやりとこれからのことを考える。
取りあえず、適当とはいえ、一度提案してしまったデータ分析はやり遂げなくてはならない。
あとはそれを、名門校独特の凝り固まった思想を持つ上級生たちに受け入れられるよう、説得力のある形にまとめる必要もある。
変なところで社会人気質の残っているカリエは、脳天気な思考のまま、すぐに眠りの世界へと落ちていった。
10/
自身の肩ですやすやと寝息を立てる妹を、エリカはそっと見た。
自分と同じ顔をした、けれどもまったく違う顔をした己の分身。
昔から何をするのも一緒だった。エリカとカリエ。名前すら、切っても切り離せない妹。
最初は親の洒落かと考えていたが、そのうち聞かされた名前の由来を知ってから妹に対する見方が変わった。
幼い頃は妹のことが怖かった。
奇行に走り、意味のわからないことをずっと呟き続ける妹。
けれども、両親から二人あわせて円を描く、決して切り離せない、支え合い続ける願いを込めた、と言われれば話は違っていた。
カリエはある意味で自分そのものなんだから、自分を守るように、自分が守ってやらねばならない。
どうしてだか、本人もあまり覚えていないが、気がつけばそう決意していた。
決意してからは早かった。
女の子らしく振る舞えないのなら、そう出来るように、婦女子の武道である戦車道の世界へ共に飛び込んだ。
奇行が目立ち、誰かにいじめられているのなら、いじめた相手に十倍返しできるような気性も手に入れた。
カリエが男っぽい服装をしても悪目立ちしないよう、自分は思いっきり少女趣味の服装をするようになった。
何もかも、カリエのために頑張った。
そして不思議なことにそれはエリカにとって苦痛でもなんでもなく、むしろ生き甲斐になった。
妹に戦車道での才能があるとみるや、人一倍努力して、一緒に黒森峰女学園に入学できるよう頑張った。
妹が立てた作戦の有用性を証明するために、率先して妹の指示を仰ぎ、敵を殲滅していった。
妹そのものの素晴らしさを理解してもらうため、次期黒森峰隊長と評されていた西住まほに必死に取り入った。
もちろんまほ個人の技量や人柄に惚れたのもあったが、元々の理由はそれだった。
そのお陰か、半ば心酔しているまほに対してすら、私の妹の方が、あなたの妹より優れていると言ってのける気概も持っていた。これに関しては一悶着あったが、結局はどちらも素晴らしい、という結論までまほと二人で辿り着いている。
「……あんたが十連覇をいや、十一連覇、十二連覇と支えてくれれば、あんたを認めてくれる奴はもっと増えていくわ。だから、私も頑張るから、あんたも頑張るのよ」
自分と唯一違う容姿である短めの銀髪を、エリカはそっと撫でた。
くすぐったそうに身動ぎするカリエに苦笑を零し、エリカも瞳を閉じる。
疲れはエリカにもあった。
すぐに意識がまどろみ、妹と同じように眠りへと落ちていく。
結局、二人は終点の熊本駅で駅員に起こされ、寝過ごしに気がつくまで、姉妹仲良く眠りこけていた。
11/
『プラウダ高校フラッグ車、行動不能! よって黒森峰女学園の勝利!』
原野フィールド全体に響き渡る勝利宣言に、黒森峰の各車両は沸いていた。
全国大会前の最後の練習試合。両軍20両が参加した大規模な戦車戦は、被撃破が5両。撃破はフラッグ車を含む17両と黒森峰の圧勝とも言って良い結果だった。
西住姉妹を擁し、さらには熊本の「ウロボロス」と呼ばれた逸見姉妹が所属する黒森峰は歴代最強ではないか、と関係者の間で囁かれている。
そう、当事者のカリエは全く知らない話だが、黒森峰の逸見姉妹と言えば西住姉妹ほどの知名度はないものの、それなりに全国区になりかけている有名姉妹だった。
質実剛健でありながら、妹カリエの立てた作戦を確実に遂行していく機動力を有する姉のエリカ。
冷静沈着、確実に相手を追い詰めていく、さながら詰め将棋のように作戦を立てていく妹のカリエ。
二人の名前の両端がつながっており、並べてみれば互いの尾に食らいつくウロボロスの蛇のようで、ついたあだ名は「黒森峰のウロボロス」。
カリエが聞けば、「なんか中二くさい」と嫌がっただろうが、幸い本人にはその勇名は届いていなかった。
「カリエ、作戦立案ご苦労だった。しかし見事なものだったな。しばらく優勝から離れているとはいえ、プラウダもメキメキと実力を伸ばしている強豪校だ。それがこうもあっさり墜ちるとは」
パンターG型のキューポラから頭だけを出したカリエに、隊長である西住まほが声を掛けた。まほなりの、最大級の賞賛だったが、ちっともそれを理解していないカリエはいいや、と首を振った。
「……いえ、チームの根幹を握る『ブリザードのノンナ』を徹底的にマークしただけです。こんなの誰にでも出来ます」
そう、カリエからしてみれば、作戦とすら呼べないような、単純な作戦だった。過去の対戦遍歴や、プラウダ高校の過去のデータを見てみると、「ノンナ」と呼ばれる選手がプラウダの攻撃面での主力であることがわかった。
そこでカリエは、野球の守備陣が打者専用シフトを敷くかの如く、徹底して「ノンナ」の行動を予想し、「ノンナ」が嫌がるであろう布陣を敷き続けたのだ。
どれだけ能力の高い打者だとしても、打球方向を分析されてそこに守備をする選手をポジショニングされれば、成績の低下は免れない。前世の経験からこの理論を知っているカリエは、戦車道でそれを実践したのだ。
だから本人は作戦のことを誇ることもなく、ただ誰でも思いつくようなことをした、としか考えていない。
確かに、有力選手を徹底的にマークする作戦は戦車道において、過去何度も行われただろう。
けれども言うに易し、行うに難し。
野球と違い、戦車道は常に状況が流転する。
特定の選手をマークし続けるには、偵察を綿密に行うチームワークと、マークを外さないために、食らいつき続ける実力のある選手が必要になってくる。
カリエにとって幸いだったのが、前者を姉であるエリカが、後者を西住流を修めたみほが難なくこなせるところにあった。
エリカは妹の作戦を完遂するため、死にもの狂いで偵察を行うし、みほはその卓越した指揮能力でエリカとカリエをサポートする。
チームメイトに恵まれたからこそ、カリエの野球の概念を導入した作戦が活きてくるのだ。
「……そうか。やはり底が知れないな。カリエは。だが間違いなく、黒森峰に必要な存在だ。――私は試合後の挨拶を向こうの隊長と行ってくる。先にみほとエリカに合流して、反省会を始めていてくれ」
そう言って、ティーガーⅠを駆り、まほはカリエのパンターから離れていった。残されたカリエは「はてエリカはどこにいるんだろう」とつらつらと考えながら、自身の戦車に前進を命じていた。
12/
「お疲れさま、エリカさん」
乗っていたⅢ号戦車の側で座り込み、滝のような汗をかいていたエリカにみほがタオルを差し出した。彼女らの目の前には白旗を掲げるプラウダのフラッグ車が鎮座している。エリカのⅢ号とみほのティーガーⅠに狙われたフラッグ車――T34は奮戦空しく二人の連携の前に撃破されていた。
「別にこれくらいどうということないわ」
嘘だ、とみほは瞬間的に見抜いていた。その血走った瞳と滝のような汗、未だ荒い息を見ていれば、エリカがどれだけ死に物狂いでⅢ号戦車を操っていたのか手に取るようにわかる。
けれどもその理由を知っているみほは、あえてそれ以上突っ込まなかった。
「……すごいね、カリエさんは。あのプラウダでもこんなに簡単に負けちゃうなんて」
「馬鹿ね、とどめを刺したのはあんたじゃない。あんた、涼しい顔してえげつない追い立てかたするのよね」
「もう、それはエリカさんもだよ。『ノンナ』さんだっけ? その人が乗る車両が本体と合流しないように、ずっと纏わり付いていたでしょう」
「……あれくらいしないと、こっちがやられていたわ。さすが去年の準MVP。射撃精度のえげつないのなんの。ちょっと距離をあければバカスカ撃ってきて」
と、エリカがそこまで告げたとき、彼女が左手を押さえているのが、みほには見えた。
慌ててその手を取ってみれば、どこかにぶつけたのか酷く腫れ上がっている。
「大変! はやく医務室に行かないと!」
「ちょっ、触んないで!」
「でもほっとくと大変なことになるよ!」
「わかってるわよ、それくらい! でもあんた、このことをカリエの目の前で言ったら絶対許さないからね! あの子が帰ってからゆっくり行くわよ!」
みほは何故エリカがそこまで固持するのかわからなかったが、「カリエ」という名前が出た途端に、その真意を理解していた。
エリカはカリエの作戦を完遂するために、常にキューポラから身を乗り出して指揮をしていた。それは「ノンナ」を決して逃がさないため、常に肉眼で追っていたからだ。そうやって、常に生身を曝していたものだから、「ノンナ」から反撃を受けたとき、撃破こそされなかったものの、エリカが負傷してしまったのだろう。
「あんたならわかるでしょう? だから黙ってて。これが終わったら、適当に転けたことにして病院に行くから」
みほが自分の真意に気がついていると認めているからこそ、エリカはそんな事を言った。
エリカはカリエが本当は心優しい妹だと思っている。自惚れでなければそれなりに好かれていると自負もしている。だからこそ、カリエの作戦のために負傷したと、彼女に知られたくないのだ。
もしもそれを知られてしまえば、カリエの作戦立案能力にマイナスにしかならない。
エリカはカリエの戦車道を自身が邪魔してしまうことを許さない。例えその身が痛んでも、決してカリエには悟らせない。
「……うん、わかった。でもせめてこれだけ……」
そう言ってみほは一度ティーガーⅠに戻った。そしてすぐさまエリカの下に戻ってくる。何事か、と見やれば彼女はどうしてか湿布薬を手にしていた。
「私もおっちょこちょいでよくぶつけちゃうから……。戦車の中に常備しているの」
エリカの手をそっと握り、手際よく湿布薬を貼り付けていく。
さすがのエリカもそんなみほの厚意を無駄にするわけにはいかず、おとなしくされるがままだった。
二人の間を微妙な沈黙が支配する中、何処からか二人にとって聞き慣れたエンジン音が聞こえてきた。
「……カリエのパンターが帰ってきたわね。反省会かしら」
「たぶんお姉ちゃんから頼まれたのかな。私たちも合流しよう」
「ええ」
立ち上がった二人はそれぞれの車両に戻っていった。エリカはⅢ号に乗り込む途中、左手を痛むそぶりを見せるが、パンターが丘の向こうから現れた瞬間、表情をすぐさま切り替えて、何でもないかのように車長席に収まった。
ちょうどその時、パンターのキューポラから顔の上半分を覗かせるカリエと目が合った。
間一髪だったと内心胸をなで下ろす。
「そうよ、私たちはウロボロス。二人で一人。私がここで頑張らなきゃ、どうすんのよ」
Ⅲ号の操縦手に指示を出し、パンターへと合流する。後ろからはみほが乗り込むティーガーⅠがぴったりとついてきていた。
こうした合流の動作一つとっても、黒森峰の戦車団の連携の卓越した技量が現れていた。
けれどもそれが、薄氷の上に乗った危ういものであることにこの場の誰しもが気づいていなかった。
13/
まほは試合が終わってから、プラウダの天幕を訪れていた。
練習試合を引き受けてくれたことの感謝と、来たるべき全国大会に向けての挨拶に来ていたのである。
乗ってきたティーガーⅠを降り、ひとりテントへと入り込む。
すると長机を囲んで、プラウダ高校の幹部たちが座しているのが見えた。
一番奥にプラウダの隊長が腰掛けている。
「良く来てくれた、黒森峰の隊長」
「こちらこそ、今回の練習試合を引き受けてくれたこと、深く感謝する」
頭を一つ下げ、テントを進む。幹部たちの目線が突き刺さるが、それに動じるような人物ではなかった。
「いやいや、感謝しているのはこちらさ。噂の西住流姉妹、そしてウロボロスの逸見姉妹となかなか見れないものを見せてもらった。いい勉強になったよ」
ふとその時、プラウダの隊長の隣に見慣れない人影が腰掛けているのが見えた。
まほはこの試合が始まる前、カリエが作成したプラウダの選手名簿に目を通している。記憶力の良い彼女はそこに記載されていたメンバーを殆ど全員覚えていた。もちろん控えを含めてである。
だが、その名簿には載っていない顔がよりによって隊長の隣に座り込んでいたのだ。
怪訝な表情をしたまほに気がついた隊長が、にやりと笑った。
「ああ、紹介しよう。ここにいるちびっ子はプラウダの次期隊長だ。今回は諸事情があって不参加だったが、全国大会で実際に差配するのはこいつだ。名は――」
「カチューシャよ! 『地吹雪のカチューシャ』! 覚えておきなさい!」
体格にそぐわぬ尊大な態度にまほは一瞬面食らった。だがそれ以上に、彼女から感じる言い様のない不安に一番驚いていた。
別に自惚れていたわけではない。慢心していたわけではない。
けれども今の黒森峰は自身と妹、そして逸見姉妹を擁した歴代最強だと自負している。
そんな彼女が、プラウダの大戦車軍団を前にしても落ち着いて試合を運んだまほが、目の前の小さな次期隊長に何か不気味なものを感じていたのだ。
あのカリエのリストから漏れたからか? ――否。
負けたのに、その表情が大胆不敵だからか? ――是。
そうだ。大胆不敵だからだ。完敗と言っても良い試合展開だったのに、このプラウダに流れている空気は――とくにカチューシャから感じる知性に裏付けされた自信が不安の原因なのだ。
珍しくまほは生唾を飲み込んだ。
そんなまほの機微に感づいたのか、カチューシャは愉快そうに笑った。
「ふん、あんたたちなんか、ぎったぎったのめっちゃくちゃにして、ピロシキのお総菜にしてやるんだから!」
14/
そして皮肉なことに、まほの不安は一ヶ月後、見事最悪の形で的中することになる。
中編につづく。
逸見カリエは一度だけ姉のエリカと大げんかをしたことがある。
それはエリカがハンバーグオムライスを作ったことが原因だ。
彼女の好物はオムライスである。
目の前にはオムライスの上にハンバーグをのせ、デミグラスソースを並々とかけているエリカがいた。
ぷっつんときた。オムライスはオムライスであってしかるべきなのに、そこへハンバーグを乗せて食べている姉にぷっつんときた。
ハンバーグとオムライス。それぞれ独自の文化圏として共存してきたのではないか。姉と妹、それぞれの矜持を認め合ってこれまで生きてきたではないか。
それがなんだ。この姉の行いは。
自身のユートピアを荒らされたカリエは激怒した。
「オムライスにハンバーグなんて乗せないで」
「はあ!? ハンバーグをディスるんじゃないわよ!」
「そうやってすぐネット用語を使うのか、エリカの悪い癖」
「エリカ言うな! ていうか、私が何食べようと勝手じゃない! だいたいね、親が旅行だから折角私が夕食作ってあげてんだからおとなしく食べなさい!」
「ハンバーグを乗せないで」
「うっさい! それに折角あんたと二人で好物を食べられると思って料理したのに、文句ばっか言うな!」
言って、しまったとエリカは赤面した。
一生の不覚である。妹のことは支えると誓ったが、デレるとは一言も言っていないのだ。
「……今デレた。ツンデレ?」
「あんたこそ2ちゃん語話してんじゃないわよ!」