黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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秋山優花里の戦車道 02

 戦車道説明会の掴みは何となく上々だったのではないかと、秋山優花里は考えた。

 やはり動いている戦車というものは誰が見ても興味が惹かれるもののようで、Ⅳ号戦車を使って校庭の外周を一回りするだけで相当の歓声を手に入れることが出来ていた。

 けれどもここまでの道のりは決して平坦なものではない。

 まず第一に操作方法の、それこそ確実に安全な運転が出来るくらいのスキルを手に入れるまで随分と時間が掛かってしまった。

 島田家からⅣ号戦車のマニュアルを入手はしていたが、紙面に書かれていることを実行するにはそれなりの下地が必要なのだと思い知らされた。

 最初のうちは真っ直ぐ進むことすら困難で、よく校庭脇の廃タイヤで出来た車止めに突っ込んでいたものだ。

 生徒会役員の一人、副会長である小山柚子と二人してⅣ号戦車と格闘すること数時間。

 何とか始動、安全な操作まで持って行くことが出来たのは昨日の夕方のことだった。

 

「というわけで皆-。是非、戦車道を受講してねー」

 

 校庭に設けられたステージ上で、生徒会長の角谷杏はひらひらと手を振っている。

 彼女自身も好感触を肌で感じているのか、上機嫌でにこにこと微笑んでいた。

 優花里と柚子はその様子を少し離れたところで、アイドリングを続けるⅣ号戦車から見守っていた。 

 

「デモンストレーション、取り敢えずは上手くいきましたけど、何か凄く疲れた気分です」

 

 車長席から顔を覗かせた優花里が溜息をつく。すると彼女の足下――操縦手席から柚子が「ごめんね」と言葉を返した。

 

「昨日は殆ど休みなしでこれを動かす練習したからね。付き合ってくれてありがとう、秋山さん」

 

 いえいえ、そんなことはありませんよ。と社交辞令でも返すべき場面なのだろうが、気疲れと実際の疲労のせいで優花里は上手いこと口が動かなかった。これからもこんな風に戦車道を続けていればその内血を吐いて倒れてしまうかもしれないな、と苦笑が漏れる。

 

「選択必修科目の用紙の提出は来週が締め切りだ。今回は特例で年度内での転科も認められている。よろしく頼むぞ」

 

 会長の角谷杏に引き続いて、後方の河嶋桃も壇上に立っていた。                                                     

 勇ましく弁舌を垂れるその姿に、優花里は「ありゃりゃ」と声をあげた。

 

「つい昨日はⅣ号戦車の悪戦苦闘ぶりにあれだけ狼狽していたのに切り替えが早いというかなんというか」

 

 優花里が思い出していたのは、Ⅳ号戦車をさあ動かすぞ、と生徒会メンバーと車両庫に集合したときだった。

 当初は「私にお任せ下さい!」と勇ましく名乗りを上げ、実際にⅣ号戦車に乗り込んでいた桃だったが十分も経てば「柚子ちゃーん」と柚子に泣きついていたのである。

 やれギアが入らないだの。やれ真っ直ぐ進まないだの、泣き言のオンパレードだった。

 それがどうだろう。

 今壇上の上に立っている彼女からは、そんな情けない姿は全く想像できず、大洗戦車道は私が引っ張っていく! と意気込んでいる。

 本当に昨日と同じ人物なのだろうか。

 そのあまりにもあんまりな変わり身の早さに優花里は舌を巻いていた。

 

「あはは。桃ちゃんは昔からああだから。だからあんまり気にしないでね」

 

 まあ、それはそれで個性なのか、と優花里は余り深く追求しないことにした。

 折角味方として戦車道再興をバックアップしてくれている生徒会なのだ。仲良くしておくことに越したことはないだろう。

 

「ところで秋山さん。来週以降の予定なんだけれど、受講生が確定し次第他の戦車たちを探そうと思うんだけれど大丈夫かな?」

 

 デモンストレーションも佳境に入り、Ⅳ号戦車を回送するタイミングを待っていたその時柚子がそんな事を聞いてきた。

 優花里は車内に吊り下げていたドキュメントボードを取り上げ、記載されている予定を確認する。

 

「そうですね。書類上存在しているとはいえ、見つからなければ無いものと同じですもんね。それぞれの状態も確認してみないとわかりませんし……。一応戦車道ショップの方には中古で安い戦車が流れれば連絡をもらえるよう手配しておいたのですけれど」

 

 言って、先日の事を優花里は思い出す。

 久方ぶりの陸で見つけたものは、中々の大物だった。

 その時の光景を思い出していたら表情に何かしら出ていたのだろうか。柚子が純粋な疑問をぶつけてきた。

 

「そういえば黒森峰の人と会ったんだよね。やっぱり強いの?」

 

 いまいち戦車道界隈の勢力図について詳しくない柚子の言葉に、優花里は手振りを加えて答えを返した。

 例え戦車道素人だったとしても、雑誌やTVではそれなりに情報を入手していた知識がこんなところで役に立っている。

 

「強いなんてものじゃありませんよ。正直、高校戦車道の世界では歴代最強と言っても過言ではありません。潤沢な装備と資金、そして卓越した練度を有した乗員たち。さらにはカリスマと実力に溢れる指揮官が率いるというドリームチームが今の黒森峰なんです」

 

 さらに、と優花里は続けた。

 

「今回の戦車道大会十連覇達成が黒森峰に大きな追い風となるでしょう。中学戦車道の実力者の多くが黒森峰の栄光に心酔し、来年以降次々と加入していく筈です。ただでさえ黒森峰に大きく傾いていた戦力バランスがもっと傾くことになります」

 

 優花里の言葉を受けて、柚子は「もしもだよ」と自信なさげに言葉を吐き出した。

 その表情は不安と少しばかりの絶望に彩られている。

 

「私たちが戦車道を始めたところで、来年の大会――その黒森峰に勝てる可能性はある?」

 

 優花里の答えは一瞬だった。

 思考の余地がないだろう、とやや呆れ気味に即断で彼女は返す。

 

「あるわけないですよ。素人の草野球集団が大リーグのオールスターに挑むようなものです」

 

 

01/

 

 

 大洗女子学園が今まさに戦車道を再興しようとしていたその時、黒森峰女学園でも動きがあった。

 けれどもそれは学園全体規模の大きな動きではなく、生徒個人レベルの小さな動きだった。

 

「よし、これで荷物は全部か。ていうか段ボールの殆どがぬいぐるみってどんな生活してるのよ」

 

「いやー、寮生活だとものが増やしにくくて。ご飯も食堂とコンビニだったから調理器具は買わなかったし、服装も制服とパンツァージャケットがあればそれでいいかなって」

 

 黒森峰のアップリケが縫い付けられたエプロンと軍手を身に纏い、逸見エリカはアパート前に届けられた最後の段ボールを部屋に運び込んでいた。

 後ろから同じような格好の西住みほが衣装ケースを抱えて部屋に入る。

 室内ではTシャツに短パン姿というラフな姿形をしたカリエがカッターナイフ片手に、段ボールの開封作業を行っていた。

 

「うわー、これがエリカさんとカリエさんのお部屋なんだ。なんかとても不思議な気分」

 

「みほの部屋は私の部屋の隣。広さはそれなりだから好きに使って」

 

 エリカから最後の段ボールを受け取って、カリエはそれの梱包を解いた。すると中から大量のぬいぐるみが出てきたので、またかと、苦笑を一つ零した。

 

「今までどんな生活をしてきたのかすっごい気になる」

 

「うっ。カリエさんもエリカさんと同じような事を言うんだね。やっぱり双子だからかな」

 

「あんたがおかしいのよ。あんたが」

 

 三人それなりに姦しく、引っ越し作業は順調に進んだ。

 何を隠そう新学期が始まって一週間。

 西住みほは慣れ親しんだ学生寮を出て、エリカとカリエが暮らすアパートにルームシェアすることになったのだ。

 

 

02/

 

 

 事の次第は三週間ほど前まで遡る。

 南熊本の、母方の実家から黒森峰学園艦へ帰宅した逸見姉妹を待っていたのは、黒森峰戦車道の長である西住まほの呼集だった。

 

「疲れているだろうにすまないな。楽にしてくれ」

 

 普段は戦車道のミーティングに使われている幹部専用の会議室。そこでは隊長のまほと副隊長のみほ、そして逸見姉妹の二人が顔を付き合わせていた。

 空調の効いた室内。

 エリカとみほは何かしらの緊張に身体を硬くし、ただカリエだけは出された冷茶で暢気に喉を潤していた。

 

「早速だが本題に入ろう。三人は私が戦車道の国際強化選手に選出されていることをもう知っているな?」

 

 突然の呼集ながら、振られた話題はごく平凡なものだったので、エリカとカリエ、そしてみほはただ首を縦に振るだけだった。

 まほはそんな三人の様子を静かに見守ると、そのまま言葉を続けた。

 

「で、その強化合宿という名目で新学期から私はドイツに留学をしなくてはならなくなった」

 

 驚いたのはエリカとみほだった。

 まさに寝耳に水といったまほの知らせに、二人は思わず席から立ち上がり、彼女に詰め寄っていた。

 

「そんなの初めて聞いた!」

 

「私もです!」

 

 珍しく声を荒げるみほに少々目を丸くしながらも、まほは落ち着いた口調で二人に話しかける。

 

「すまん。本当は黒森峰戦車道を理由に断るつもりだったから、話さなかったんだ。これに関しては完全に私の落ち度だ。謝罪させてくれ」

 

 深々と頭を下げるまほにエリカは狼狽した。けれどもみほは普段の大人しさは何処へやら、さらに追求を深めた。

 

「断るつもりだったってどういうこと?」

 

 まほの口ぶりからは留学に対するスタンスに、心変わりが産まれたように受け取れた。

 ならば何故そのような心境の変化が訪れたのか、みほは問い詰めずにはいられなかった。

 

「なに、後顧の憂いというか、この黒森峰女学園戦車道に対する心配が全てなくなったんだ」

 

 それから先、まほは極穏やかな口調で夏の終わりに自身が感じたこと、考えたことをつらつらと語り始めた。

 

「私はこの黒森峰で最高のチームメンバーに恵まれた。みほはもちろんのこと、エリカやカリエ、そして他の乗員全てだ。そんなチームメンバーと共に十連覇を勝ち取ることが出来たのは何よりの喜びであり、私の一生の糧になると思う」

 

 その余りにも悠然としたまほの態度に当てられたのか、いつの間にかエリカとみほは静かに席に着いていた。

 まほは微笑みを零しながら続ける。

 

「けれども一抹の不安はあった。それは十連覇後のプレッシャーがチームに与える影響だ」

 

 言われて、カリエが初めて反応した。

 彼女の翡翠色の瞳が、じっとまほを見つめる。スポーツの世界に当たり前に存在し続ける、勝ち続ける難しさを良く理解している彼女だけに、何か思うところがあるのかもしれなかった。

 

「私は今年から前隊長より隊長職を引き継いだ。そこで受け継いだのは何も地位や権力だけではない。連覇し続ける王者黒森峰という重圧も引き継いだんだ。私の代で連覇を終わらせてしまってはどうしよう。私が不甲斐ないせいで、皆にいらぬ責任を負わせてしまってはどうしよう――、そんな葛藤や不安だった」

 

 まほらしからぬ弱音だった。

 十連覇を成し遂げたあとだからこそ、三人に吐露する彼女の抱え続けてきた闇だった。

 

「けれどもそれらは杞憂に終わった。十連覇という最高の結果で大会を終えられたからだ。ただ、贅沢なものだな。連覇の後はさらなる連覇の不安――十一連覇の不安が私を襲った。そして、私がもしここで黒森峰を去ってしまえば、その不安や葛藤をみほやエリカ、カリエに押しつけることになる罪悪感も覚えた」

 

 そんなことを姉が考えていたとは露知らず、みほは思わず「お姉ちゃん」と歩み寄り掛けていた。

 しかしながらそのみほの動きをまほは手だけで制した。

 

「――熊本でのエキシビションを覚えているか? あの時、私はみほとカリエのチームに敗北した。黒森峰らしからぬ搦め手で攻めてくる二人に私は撃破されたんだ」

 

 敗北の思い出を語っているのに、まほの表情はとても穏やかだった。まるでその事実が、いつか待ちわびた夢の光景のように彼女は語る。

 

「憂いが無くなったのはその瞬間だった。私が撃破されるまで、プラウダの重戦車を一人で押しとどめ、一番撃破数を伸ばしていたエリカの姿もそうだった。三人が三人、私にこれからの黒森峰の戦車道を見せてくれたからこそ、私は自分の不安が全て意味の無いものだと理解することが出来たんだ」

 

 三人が三人とも、最早言葉を無くしていた。

 そしてまほが自分たちに伝えたいこと、どうしても告げたかったことを悟っていた。

 

「みほ、エリカ、カリエ。君たち三人を見て、これからの黒森峰の栄光を確信した。私がいなくとも、黒森峰の栄光を守り続けてくれる三人の姿をはっきりとこの目で見た」

 

 まほが再び頭を垂れた。

 しかしそれは先程とは意味合いの異なる、謝罪では無い礼だった。

 

「どうか三人とも、黒森峰を頼む」

 

 拒否する者など、その場にいなかった。

 ただいつまでも下を向き続けるまほに、三人はそっと歩み寄った。

 

「お姉ちゃん」

 

 みほが優しくまほに寄り添う。エリカとカリエもそんなみほの両側にそれぞれ控えた。

 

「わかった。お姉ちゃんの期待に応えられるよう、私頑張る。心配はいらないよ。だって私にはお姉ちゃんと一緒に磨いてきた西住流と、こんな素敵な仲間がいるんだから」

 

「みほ……」

 

 妹の言葉に、まほは微笑んだ。

 やがてその微笑みは、みほの両側に控えていた逸見姉妹に向けられる。

 

「エリカ、カリエ。みほのことを頼んだ。ちょっとおっちょこちょいだが、私の自慢の妹だ。君たち二人がいてくれれば、何も怖いものなどない」

 

 逸見姉妹の二人はまほの言葉に力強く頷いた。

 そして自分たちに任せてくれ、と言わんばかりに二人してまほの手をしっかりと握りしめる。

 

「ご心配はいりません。必ずや黒森峰にさらなる栄光を」

 

「大丈夫。みほと黒森峰のことは任せて下さい」

 

 非公式ながら、黒森峰の次期隊長と副隊長が決定した瞬間だった。 

 二人の副隊長という変則的な新体制ではあったが、その場にいる誰もが異議も疑問も唱えなかった。

 まるで最初からそうであったかのように、四人の心に、すとんと当てはまった新しい黒森峰の姿がそこにはあった。

 

 

03/

 

 

 そんな新体制の黒森峰の最初の変化は、みほの居住地の変化だった。

 姉のまほがドイツに留学するということで、寮に一人取り残されることになったみほを案じて、エリカがルームシェアを提案したのだ。

 

「あんた、私たちのところに住んじゃいなさいよ。そっちの方が家賃も安いし、まともなご飯だって食べさせてあげるわよ」

 

 カリエも特には反対しなかった。

 姉以外の女性とは暮らしたことがなかったものの、女子校生活がそれなりに長いせいで今更意識することなど何も無かった。

 

「うん、いいんじゃない? 家事当番も楽になるし」

 

 カリエの脳天気な台詞にエリカが噛みついた。

 

「あんたサボってばかりでろくに家事してないでしょ!」

 

 そんなことを言いつつ、エリカはカリエの面倒をよく見ているので、「本当に優しいんだな」とみほはニコニコと微笑んだ。

 

「ま、そんなわけで新学期が始まるまでに引っ越しの手続き進めときなさいよ。何よりあんたとカリエが一緒に住んでいたら、作戦立案も気軽に出来るでしょ」

 

 

 以上のようなやりとりから数日。

 西住流次期家元からの許可も、意外な程あっさりと下りてみほの引っ越しが決まったのである。

 

 

04/

 

 

「あ、エリカさん。これお母さんから」

 

 荷解きも殆ど終わり、「ちょっと一息つこうか」と三人してテーブルを取り囲みコーヒーを傾けていた時だった。

 そんな弛緩した空気の中、思い出したかのようにみほはエリカに紙袋を一つ手渡したのだ。

 

「何かしら?」

 

「これからお世話になるから、そのお礼だって」

 

 みほに必要な当面の生活費はとっくの昔に振り込まれており(エリカとカリエがそれぞれ二人ずつは暮らせそうな額だった)、そこまで気を遣わなくても、とエリカは少しばかり困惑した表情でそれを受け取った。

 ただ、西住流次期家元の面子もあるだろうから、と無碍にすることはない。

 

「何かしら……あら、私とカリエの個人宛ね」

 

 出てきたのはさらに小さな二つの紙袋だった。それぞれ「逸見エリカ様」、「逸見カリエ様」とえらく達筆な文字で名前が書いてあり、姉妹それぞれへの品であるということが見て取れる。

 こんなものまでわざわざと、エリカはみほの方に視線を向けるが、本人は渡して当然という雰囲気を纏っており突っ返すのも憚られた。

 何よりカリエが紙袋に興味津々で、中身を確認したそうにうずうずしているので、何だかんだ妹に甘い彼女は素直にそれを開封する。

 

「あら、封筒……」

 

 紙袋の中から封筒がさらに一つ。厚手で白地のそれは金文字で文字が印刷されているが、流麗な筆記体過ぎてエリカは意味を推し量ることが出来なかった。

 

「?」

 

 得体の知れないものへの疑問を浮かべながら封筒を開封する。品の良い金封を爪で開いてみれば、中から出てきたのは三枚のチケットらしきもの。

 

「んん?」

 

 三枚のチケットはそれぞれ同じもので、全ての紙面にはこう書かれていた。

 

『帝国ホテルレストランお食事券』

 

 ぴしり、とエリカの身体が硬直した。自身の決して豊かではない想像力をフルに働かせながら、「帝国ホテル」とは何かを想像する。

 そしてそれの正体に思い至ったとき、「こんな受け取れるわけないでしょ!」とみほに詰め寄ろうとした。

 だがその気勢を絶妙なタイミングで削いだ人物がいる。同じく紙袋を開封していたカリエだった。

 

「エリカ!」

 

「何!?」

 

 いつものんびりふわふわしている妹が珍しく大声を出したので、エリカは内心驚きながらも応対する。

 彼女が妹の方を見てみれば、彼女は三枚の色紙らしきものを震える手で持っていた。

 

「なにそれ?」

 

 超高級ホテルの食事券からの落差にエリカは一気に緊張がほぐれる。そして妹よりも幾分か余裕のある態度で品物について訪ねてみた。

 するとこれもカリエらしからぬ、興奮に満ちた声色で彼女は答えた。

 

「しっ、色紙! サイン! ラビッツの! 東京ラビッツの!」

 

 ラビッツとはカリエが熱心に応援をしている東京の野球チームの事だったか。

 もしかしたら妹はそこの選手のサイン色紙でも貰ったのだろうか、と思い至り、だとしたら自分とは違って随分と可愛らしい贈り物と反応だな、とエリカは苦笑した。

 けれどもその楽観は数秒も続かない。

 

「メジャーの! 三人ともメジャーに行った選手の! もう日本にいない! しかも私の名前入り!」

 

 こんなにも喋り下手な妹だったか、と面食らうくらいカリエの台詞は支離滅裂だった。

 ただその尋常では無い昂ぶり方から、ようやく色紙たちがとんでもない代物なのだということが理解出来た。

 相変わらずぷるぷると震えている妹から色紙を受け取ってみれば、エリカですら知っている有名メジャーリ―ガー三人(元ラビッツ所属)のサインが書かれており、それぞれ「逸見カリエさんへ」と宛名まで付け加えられている。

 

「みほ! ありがとう! もうあなたの下僕になってもいい! 何でも命令して!」

 

 さすがに本物の金持ちはレベルが違う、とエリカは呆れた。

 みほもみほで、突然床に這いつくばって足の甲でも舐めんばかりに縋り付いてくる友人にどう対処したら良いのかわからず、おろおろと狼狽えるばかりだった。こういった仕草一つ見ても、嫌らしさを感じさせない当たりが、この人物の美徳でありカリスマなのだろう。

 

「か、カリエさん。やめて! そんなことしなくてもいいから! もう! お母さんたら!」

 

 己の母親が今回の騒動の原因だと思い至ったのだろう。

 余り他人に見せることのない憤慨顔でみほは頬を膨らませるが、すぐに足下へ縋り付いてくるカリエをみて「どうしよう」と困り顔になる。

 二つの表情を忙しそうに行ったり来たりさせるみほを見て、いつの間にかカリエも笑みを零していた。

 

 エリカはそんな二人のやりとりを見て、ふと表情を緩める。

 ルームシェア初日からこんな様子ならばこれからの毎日、退屈な日など一日たりとも存在しないだろうな、という確信めいた予感を覚えたからだ。

 

 何より、誰かにじゃれついてけらけらと笑う妹がそれなりに珍しくて、そんな表情を引き出してくれたみほにちょっとばかり感謝していた。

 

 

05/

 

 

 和気藹々とした新しい風が吹き始めているのが黒森峰女学園とすれば、大洗女子学園ではまた違った風が吹いていた。

 戦車道復活のデモンストレーションから丁度一週間、戦車同様に急遽用意されたガレージには受講生とおぼしき生徒たちが集まっている。

 それぞれがみな、目の前に横たわっている未知の世界に対する好奇心に溢れていた。

 

「えー、それではこれより戦車道の授業を開始する。まず受講生諸君にはそれぞれが搭乗する戦車の捜索をしてもらいたい」

 

 生徒会広報である河嶋桃がガレージに設けられた壇上の上に立っていた。

 彼女は集っている受講生をざっと一望し、想像していたよりもその数が少ない現実に若干眉を顰めた。

 

「はい、質問です!」

 

 威勢良く手が挙げられる。ぴんっと張った背筋が綺麗なやや小柄な女子生徒のものだ。

 桃は手元の受講生名簿と、眼前の生徒の特徴を照らし合わせて、彼女の名が磯部典子であることを確認する。

 

「なんだ?」

 

「戦車を捜索するとは言いますけれど、何か当てはあるんですか?」

 

 典子の疑問は最もだった。例え過去に戦車道を行っていた実績があろうと、その時の戦車たちが残されていない可能性もある。

 完璧な徒労に終わる可能性がある以上、戦車が確実に存在するという言質を確認したかったのだ。

 その考えはその場にいた生徒たちの殆どが抱いていた物らしく、それぞれが「うんうん」と頷いている。

 

「それに関しては問題ない。こちらに過去の戦車道で使用されており、尚且つ売却された記録の存在しない戦車たちのリストがある。これを今から全員に配布するので、戦車捜索の手掛かりにしてくれ」

 

「ということはつまり、学園艦の敷地内に存在することは確かだということですか」

 

「そう捉えて貰っても構わない」

 

 とは言っても彼女たちは戦車道に関しては完全な初心者。

 リストを配られたからと言って、そこに記されている名称がどういった戦車を指すものなのかてんでイメージがわかなかった。

 ざわつきを見せる戦車道履修候補者を見て、杏は「もう少し丁寧な説明会をすればよかったかな」と呟いた。

 壇上の桃も、決して高いとは言えない履修候補者たちの士気を見て、「どうしよう」と及び腰になっていた。

 だが、

 

「あの! ちょっとよろしいでしょうか!」

 

 いよいよざわつきが激しくなってきたとき、ガレージに響いたのは一人の女子生徒の声だった。

 声の主は誰か、と皆が視線を周囲に向ければ壇上の隅で手を頭上に掲げた女生徒に行き当たる。癖毛が特徴的な少女は自身の名を「秋山優花里」だと名乗った上でこう続けた。

 

「今からそのリストに載っている戦車の外観、特徴を纏めた資料を配付します! これで皆さんの戦車探しが少しは楽になると思うんです! もちろんわたくしもお手伝いします!」

 

 緊張しているのか、やや早口でボリュームも可笑しな事になっていたが、ざわめきを沈めるには十分すぎる効果があった。

 優花里が配った資料はそれなりの厚みを持つA4の冊子で、中を開いてみれば様々な戦車が写真と解説付きで掲載されていた。

 

「ここに載っている車両がこの学園艦のどこかに保管されているはずなんです。一番最初に該当車両を見つけた人に、その戦車に乗って頂きます」

 

 その一言で、履修候補生たちの目の色が変わったのを、杏は見逃さなかった。

 戦車道というまだまだ正体不明な科目を履修する不安と、宛てのない戦車捜索をさせられそうになっていた候補生たちが色めきだっていたのだ。

 それはすなわち、

 

「このⅢ号突撃砲というのが渋くていいな」

 

「へー、チハっていうんだ。この戦車。これで頑張ればバレー部も復活できるかな?」

 

 ところどころで、自分たちが気に入った戦車について語り合う声が上がる。

 義務的だった戦車探しが、優花里の用意した冊子一つで宝探しの様相を呈してきたのだ。

 

「ふーん、やるじゃん秋山ちゃん」

 

 ただ、冊子を用意した当の本人は会場のさらなるざわめきに当てられて、おろおろと困り果てていた。

 その初々しさも、これからの大洗戦車道が大成していくには必要なものなのかもしれないと、杏は考えた。

 そしてこう確信する。

 

 彼女を大洗戦車道の肝に任命したのは間違っていなかったと。

 

 

06/

 

 

 それから半日の間に、大洗戦車道の面々は四両の車両を見つけることに成功した。

 チェコが開発。けれども実際の運用はドイツ軍が行った38tが一両。

 ドイツの傑作突撃砲車両、Ⅲ号突撃砲F型が一両。

 フランス軍の頼れる重戦車ルノーB1bisが一両。

 そして日本軍が運用した、熱心な愛好家も多い八九式中戦車が一両。

 それぞれ個性的で、一癖も二癖もある車両ばかりだが、ある意味でこれからの大洗戦車道には相応しい車両なのかもしれないと秋山優花里は思った。

 履修候補生のプロフィールを見てみれば、発見された車両のように個性的で味のある人物ばかりだったからだ。

 

 秋山優花里の友人は決して多くはない。

 幼い頃から戦車に傾倒してきたからだが、だからといって別に友人を欲していないわけではなかった。

 

 戦車道履修者の名簿一覧を見て彼女は思う。

 この個性がありすぎる戦車と、個性がありすぎるチームメイトと打ち込む戦車道はどれだけ楽しいものなのだろうと。

 さらに願わくば、その青春の過程の中で少しでも友人が増えれば、どれだけ素晴らしいことなのだろうか。

 

 柚子に黒森峰相手に勝算はあるかと問われたとき「ない」と即答した。

 けれどもそれは今の状態であって、これからのことではない。

 勝てる可能性は相変わらずなきに等しいが、諦めるにはまだまだ時期尚早だと彼女は考えている。

 

 大洗のチームメイトと掴み取る真紅の旗の妄想を少しばかりして、彼女は日課となっている島田愛理寿相手へのメールの文面を構想しはじめた。

 タイトルだけは何となく決まっているそれは、大洗戦車道復活を告げる電報のようなものだ。

 

 

07/

 

 

 拝啓、島田愛理寿さま ようやく、夢が一つ叶いました。


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