黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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秋山優花里の戦車道 03

 逸見姉妹とみほ三人による共同生活は、一ヶ月も経てば安定の様相を見せていた。三人の家事分担もほぼ確定し、生活のルーティンワークも整った。

 そのルーティンワークの一つに、カリエとみほによる戦術研究がある。二人して戦車道に関する様々な資料を読み込み、新しい黒森峰の戦術を考えるのだ。エリカはそんな二人のサポートとして資料を学園からかき集めてきたり、それらのコピーをコンビニなどで制作している。また、時には黒森峰の切り込み隊長としての意見を唱えることもあった。

 そしてそれはある日の夕食後の出来事だった。

 エリカの作ったビーフシチューに舌鼓を打ち、カリエとみほの二人は黒森峰の遊軍部隊についての検討を行っていた。

 

「カリエさんはエリカさんとは別の、遊軍部隊を率いてもらうことになると思う。エリカさんが偵察した成果を元にカリエさんはいつも相手に対するメタを張ってくれる。でもカリエさんが自由に動かせる部隊があった方が、今まで以上に戦いやすいと思うの」

 

 みほの言い分はこうだ。

 

 今のカリエの立ち位置は副隊長としてみほの側に控えるというもの。そこでエリカから入った敵の情報を元に、作戦を立案、みほがそれを全軍に号令するという体裁を取っている。

 しかしながらこの体制は即応性がそれほど高くなく、エリカの索敵範囲を外れた敵に対して対応しづらいという欠点があった。思わぬ伏兵に部隊が奇襲を受けるという状況が極わずかながら発生していたのだ。

 黒森峰の自力からしてみれば、そこまで過敏にならなくても良い問題ではあるのだが、それは王者の事情が許さない。常勝を義務づけられている彼女たちは、少しばかりの敗北も許されないのだ。

 そこでみほは、カリエに全ての裁量を預けた部隊を一つ立ち上げ、遊軍として配備しようと言うのだ。

 

 もちろんカリエはその提案を渋った。

 曰く、「自分には部隊を指揮できるほどの技量はない」というものだ。

 夕食後の皿洗いを追えて、食後のコーヒーを持ってきたエリカがそんなカリエの頭をコツンと小突いた。

 

「馬鹿ね。あんたにその能力がなければ誰が出来んのよ」

 

 みほもそんなエリカの言葉を後押しする。

 

「そうだよ。カリエさんだからこんなこと頼めるの。あなたならきっと黒森峰の新しい戦術を築く礎になってくれる筈」

 

 それでもカリエはうーん、と唸った。

 一人の副隊長が自由裁量を持つ遊軍はこれまでの黒森峰になかったものだ。いくら黒森峰といえども、その運用ノウハウはなく、遊軍のメンバーの選抜も難しい。一軍として高い技量を誇る隊員たちはそれぞれが皆、チームに欠かせない役割についており、好き勝手に動かすわけにはいかなかったのだ。

 そんなカリエの懸念を読みとったのか、みほはエリカを手招きして呼び寄せ、耳元で何かを囁いた。

 姉と親友の視線がこちらを向いているのを見て、カリエは若干イヤな予感がした。そしてその予感は的中する。

 

「ねえ、カリエ。あんた冬休みは特に予定ないわよね」

 

 いや、あると誤魔化そうとしたら、エリカが「私があんたの予定知らないわけないでしょ」と釘を差した。

 ぐぬぬ、と何も言えなくなっているカリエにみほが詰め寄った。

 

「ねえ、カリエさん。一つお願いがあるんだけど……」

 

 普段はぽやー、としているのにここぞというときのみほの眼光は鋭い。そこはさすが西住の家系か、とカリエは居たたまれなくなって目線を反らした。

 だがみほの決して大きいとは言えない手が、カリエの両頬をしっかりと掴んだ。

 

「冬休み、カリエさんは黒森峰の予備軍の人々を連れて合宿に向かってください。期間は特に設定しないので、カリエさんが思うような遊軍を整備してくださって構いません」

 

 みほの言葉に、無駄なんだろうなと思いつつもカリエは反論した。

 

「いや、合宿といっても戦車道の合宿が行えるような場所なんて限られているし、何より予算が……」

 

「エリカさん」

 

 ぴしゃり、と言い放つみほの気迫にカリエは「ひいっ」と及び腰になった。そして指名を受けたエリカが妹の退路を断つ。

 

「合宿所なら長野の戦車道演習場を押さえてみせるわ。大丈夫、あそこの支配人とはユース時代からそれなりに懇意にしているもの。予算なら心配する必要ないわ。昨年まで積み立てた特別予算を使いましょう。新生黒森峰に必要な部隊を育成すると説明すればOGの反発だってありゃしない。あの人たちは王者黒森峰さえ守られればそれでいいもの」

 

 いよいよ逃げ道がなくなったカリエは助けを求めるようにみほにすがる。けれども、みほはカリエをここまで追い込んだ本人だということを彼女はしっかりと失念していた。

 

「大丈夫です。カリエさんならきっと素敵な部隊を育成してくれると信じています。明日には全ての隊員に通達を行いますから、メンバーの選抜をお願いしますね」

 

 とっても素敵な、けれどもどこか威圧感すら感じられるみほの笑顔に、カリエは「どんどん黒森峰の隊長らしくなっている」と溜息を吐いた。

 

 そんなこんな経緯があって、カリエは遊軍設立のため冬休みには長野へ旅発つことになったのだ。

 

 

01/

 

 

 優花里は悩んでいた。

 彼女は生徒会室の片隅に並べられた書類の前で「うんうん」と唸っていた。あまりにもうんうんと唸り続けているものなので、心配した柚子がコーヒーを煎れて差し出した。

 

「いったいどうしたの? 秋山さん」

 

 おずおずと事情を問うてくる柚子に対して、優花里はテーブルの上に並べた書類を指さした。

 

「他校への練習試合のお願いの返事が返ってきたんです。五つの学校に送ったんですが、すべからく断られてしまいました」

 

「やっぱり新設の弱小校だから?」

 

 柚子の言葉に優花里は力なく頷き返す。

 

「……それもありますが、一番は保有車両の少なさです。履修者の人数の関係で、我が校が動かせる戦車はわずか四両。戦車道公式試合の最低参加車両数も満たせていません」

 

 優花里の告げたとおり、大洗で実働状態にある車両はⅣ号戦車D型、Ⅲ号突撃砲F型、38t戦車B/C型、ルノーB1bisの四両だった。もう一両発見されている八九式中戦車は人員の都合上、運用は保留されている。来年度に新入生が戦車道を履修しなければ、公式戦もままならない状態が、今の大洗戦車道なのだ。

 

「試合にならなければ意味がないという至極全うな理由で断られてしまっているんです。こればかりはどうしようもありません」

 

 戦車を動かす訓練そのものは、夏休み明けに陸上自衛隊の戦車道講師資格を持つとある人物に頼み込んで実現はしている。大洗内での練習試合も四回ほど行っている。けれどもそれはある意味で勝手知ったる身内同士の練習試合であり、公式戦のそれにはまだまだほど遠いものだった。

 

「まだわたくしたちは本格的な戦車戦を行っていません。一応、逐一島田流の教えは受けてはいますが、実戦なければ机上の空論に過ぎないんです。このままでは大洗戦車道は馴れ合いのサークルになってしまいます。いえ、実はその空気はすでに生まれ始めているんです……」

 

 優花里が不安視するとおり、戦車道の訓練が始まっておよそ一ヶ月。戦車を動かすことの面白さを履修生たちが感じ始めていることは歓迎すべきことではあるが、どうしても弛緩した雰囲気というものが拭えないでいた。

 端的に言ってしまえば、身内だけのサークル状態となっていたのである。

 優花里は優花里で、このまま残りの二年、戦車道を続けていくのも悪くないかもしれないと考えている。憧れの戦車道の世界に身を投じることが出来ただけでも、今まででは考えられないくらいの幸運なのだ。これ以上何かを望むものならば、罰が当たっても可笑しくないとすら思える。

 けれどもーー。

 

 少し戦車道について考えてみれば、いつも脳裏に思い浮かぶのはあの夏の激戦のこと。

 テレビの前で釘付けになった、戦車道トップ校同士の華々しい死闘。

 そして、自身のハンデを、トラウマを乗り越えて黒森峰を優勝に導いた一人の少女。

 

 もしさらに願いが叶うのならば、自分もあのような頂点の夢の舞台に立ちたいと夢想する。自分も全てを賭けて強敵に挑み、真紅の旗をその手で掴み取りたいと憧れ思う。

 決して叶わない夢であることはわかっている。それでもその夢に向かって足掻いてみることくらいは許されるのではないか、と考える。

 

 優花里の葛藤は、そう長くは続かなかった。

 いつの間にか彼女の対面に腰掛けていた杏が声を掛けてきた。

 

「ねえ、秋山ちゃん。秋山ちゃんは何を成したい? 戦車道で何を成し遂げたい?」

 

 側に控えていた柚子が一歩下がる。

 優花里は現状のままでも恵まれすぎています、と社交辞令を返そうとして返せなかった。何故なら対面に腰掛ける全生徒の長、生徒会長である杏の瞳は鋭かったからだ。

 それは決して優花里を責めるようなものではないものの、本能的に試されていると彼女は感じた。

 嘘や策謀は苦手な優花里だ。

 だから思うままに考えていたことを口にした。

 

「思い上がりと笑って頂いても構いません。でもわたくしは、大好きな大洗で、大好きな戦車道で、どこまで駆け上がっていけるか試してみたいです」

 

 杏は笑わなかった。

 いや、笑いはした。しかしそれは嗤いではない。笑みを見せたのだ。

「にぃ」と我が意を得たと言わんばかりに口を開いた。

 

「本気なんだね。秋山ちゃん。なら、この私の努力は無駄にならずに済みそうだね」

 

 杏から手渡されたのは、一枚の書類。でかでかと大洗生徒会の赤い印が押された何かの承諾書だった。

 優花里はすぐさまそれに目を通す。

 

「私たちが動かせる車両が四両しかないのは仕方がない。これについては来年、新入生たちが戦車道を履修してくれるのを大人しく待とう。けれども、今の私たちのスキルアップに上限はない。なら、やれることはやってみようじゃん」

 

 書類のタイトルは簡潔にして明瞭。

 行数にするとわずか一行。

 

「この前、戦車道の訓練をお願いした蝶野さんのツテを使ったんだ。長野に戦車道の演習に使える合宿所がある。予算の都合で三日しか押さえられなかったけれど、その三日間はきっと私たちに実りあるものになる。それにーー蝶野さんの話が本当ならば、念願の練習試合、そこでやれるかもしれないよ」

 

 まあ、これに関してはまだまだ確定じゃないんだけどねー、と杏は苦笑した。だが優花里にとっては十分すぎる内容だった。

 三日間の宿泊費と燃料代、その他諸経費を考えれば決して楽な予算決めではなかった筈。

 それを大洗戦車道の為に尽力してくれたとあっては、しっかりと成果を出さなければならないと、優花里は意気込んだ。

 

「合宿の件、了解しました。すぐに愛里寿さんに短期集中訓練用のプログラムの相談を持ちかけてみます。次の戦車道の授業で、その旨をみんなに伝えて見せます。さて、これから忙しくなりますよ!」

 

 こうして、大洗女子の冬の合宿の実施が決定された。

 結果的に言ってしまえば、この合宿が後の大洗女子の命運を大きく決定づけるのだが、そのことに気がついている人物は誰もいない。

 

 ただ優花里はいつか夢見た真紅の旗に思いを馳せて、もっと本気で取り組んでもいいのかもしれないと、考えていた。

 

 

02

 

 

 時間というものはあっという間に過ぎ去っていく。

 夏の残滓が垣間見えた九月も終わり、十月も通り越して十一月になっていた。いつの間にか冬服に衣替えが済んでいた肌寒い季節、カリエは黒森峰戦車道ガレージにて、三十人ほどの隊員たちの前で名簿を読み上げていた。

 

「以上、名前を読み上げた三十一名のみなさん。あなたたちは私と共に黒森峰における新生部隊の隊員となってもらいます。基礎訓練は本学園艦において一ヶ月間行いますが、それとは別に冬休み、二週間ほど長野の演習場にて集中的な部隊訓練を行います。何か質問は?」

 

 姉のエリカとは違い、淡々と伝えるべき内容を伝えていく。

 彼女はことの仔細が隊員たちの間に伝播したことを確認すると、こほん、と咳払いを一つ取った。

 

「正直、この部隊運用が成功するかは完全に未知数です。現西住師範代がもたらした正当派西住流が我々黒森峰の真骨頂。副隊長の独自裁量権が認められた部隊など、邪道も邪道ですから」

 

 カリエの告げたとおり、黒森峰は元来、戦車戦の基本である装甲火力を全面に押し出した戦い方をする学校だ。いわば車両の性能と隊員の練度で相手を押しつぶしていく戦い方を得意としているのである。そこにトリッキーな動きを見せる独立遊軍を新設するなど前代未聞だった。

 

「けれども我々は十連覇という節目を越えて、次なる連覇を遂げ続けなければなりません。そのためには大小の変革も必要でしょう。事実、現隊長の西住みほは決して正当派西住流の戦いではありませんが、我々に公式戦無敗の成果をもたらしてくれています。ならば我々隊員はそれに答えるべく、彼女の手足となりうる尖兵となるべきではないでしょうか」

 

 カリエはそこで言葉を区切った。そして彼女の言葉に耳を傾ける隊員たちを見回す。

 彼女らの士気は決して低くはない。戸惑いはしているものの、王者黒森峰の責務として与えられた任務を全うする覚悟を持っている。

 けれどもそれだけだ。それ以上ではない。

 このままでは自身が告げたように、みほの手足だけの手駒になってしまうとカリエは考えた。でもそれは仕方ないとも思う。

 何故ならここに集めた隊員たちは黒森峰における実質二軍の立場の者たちばかりだからだ。一軍として公式戦に出ることを夢見て、日々戦車戦の腕を磨く者たちだ。そんな彼女らは与えられた命令をこなすのが精一杯で、進んで何かを成し遂げようと考える余裕はない。そんなもの、明日の立場も保証されているレギュラーだからこそ至ることの出来る境地なのだ。

 カリエは痛いほど彼女たちの気持ちが理解できた。カリエも前の世界では控えとして苦渋を舐め続けた経験がある。肩は強いが、身体能力は決して秀でていない。投手をやれるほどの器用さもない。だからキャッチャーを目指した。でもそんなだから、少しばかり才能のある選手が同ポジションに加入してしまうと、いつもベンチを温めていた。

 新しい配球も守備位置も考えている余裕はなかった。ただ、キャッチャーとしての基礎能力を磨いて、守備交代で使ってもらえれば御の字だといつも考えていた。

 カリエはぐっと唾を飲み込む。

 正直、エリカほどのカリスマは自分にはない。姉ほどぐいぐいと誰かを引っ張っていくことは苦手だし、みほのようなある意味天才的とも言える気遣いも出来ない。そして二人に比べればこと戦車道において、自分が凡才であることも嫌と言うほど理解していた。

 だからこそ、目の前で緊張に固まる彼女たちに声を張り上げた。

 

「あなたたちは控えだ! 栄えある黒森峰戦車道において不合格の烙印を押され続けている欠陥品だ! 試合には出れないし、演習場が空にならなければ戦車に乗ることも出来ない! 車長は戦術書を読みあさり妄想にふけるしかない! 机上の空論に過ぎないのに!」

 

 隊員たちの表情が曇った。カリエに対する怒りが沸々と沸き上がっていった。

 圧力の増した三十一人分の視線を受けてカリエは叫んだ。

 

「通信手は隣に座る自分と同じ立場の隊員と通信のおままごとをしているだけだ! 刻一刻と変化する戦況をあなたたちは知らない! 装填手は手製の練習台で砲弾を叩いて楽しいのか!? 砲が火を噴いた衝撃も火薬の臭いも嗅いだことがないくせに!」

 

 皆が皆、拳を握りしめて肩を震わせていた。黒森峰女学園女学園の副隊長という、名誉ある彼女に罵倒されて悔しさを滲ませていた。特に二年生の上級生たちは、年下の彼女に嫉妬心を燃やしていた。なぜこいつが、どうしてこんな小娘が自分たちをここまで蔑むのかと。

 でもカリエは声を緩めない。

 

「砲手は止まっている標的、或いはやる気のない演習場の味方相手に研鑽を積んでもなぜ無駄だと気がつかない! 実戦では誰もが死にものぐるいで砲弾を交わして反撃してくるんだ! あんたたちのそんな生ぬるい練習に意味なんてあるのか!? 操縦手は大雨の中の川底すら走ったことがないのに、戦車軌道の全てを知った気になるな!」

 

 ガレージに静寂が訪れる。けれどもそれは穏やかな静寂ではない。噴火寸前の火山のような、爆発前の一時の沈黙なのだ。何かあと一つ、起爆剤があればもう噴火は止まらない。

 はあ、はあ、と慣れない大声を出したカリエが息を整える。

 興奮したことによる発汗と動悸を押さえながら、彼女は先ほどと打って変わって落ち着いた声色で言葉を繋いだ。

 

「だからあなたたちを集めた。基礎の鍛錬を積み続けたあなたたちを呼んだ。あなたたちはまだ何にも染まっていない。まだ自分の道を、戦車道を見つけていない」

 

 場の空気が変わった。ぴりぴりとした、戦場のような不穏な空気がいつの間にか霧散していた。

 

「あなたたちの努力は決して無駄にはしない。無駄にはしないから、しばし私にその研鑽の成果を預けてほしい。新しい黒森峰の象徴に私はあなたたちと共になりたい。みほのような戦術眼と人心掌握術も、エリカのような勇気やカリスマもない。それでも、凡百の一生徒でしかない私についてきてほしい」

 

 カリエの言葉以外で初めて静寂が破られた。それは嗚咽だった。隊員の何れもが涙をぽろぽろと零し、声を押し殺していた。

 

「先ほどは隊長の尖兵と言いました。けれどもそれは何も考えない盤上の駒のことではありません。己で考え、最善策を模索し足掻いてみせる、私たちだけの、私たちのための部隊です」

 

 怒号が弾けた。

「jawohl!!(ヤボール!!)」とそれぞれか考え得る限りの最大の声量でカリエに応えた。涙と鼻水にまみれながら、日陰者だった彼女たちは目の前の副隊長に最大の忠誠を捧げた。

 

「……本日よりあなた方は私の指揮下で訓練をしてもらいます。演習場は押さえました。隊長とエリカ副隊長の許可も取り付けています。それぞれの車両も用意しました。あとはそうですね、本日の訓練が終わったら部隊章でもみんなで考えましょうか。誰か絵の上手な人います?」

 

 やや憔悴したような表情を見せるカリエを見て、黒森峰の控え隊員たちは妹副隊長の真意を悟った。そして、あの燃えるような罵倒も、自分たちのことをしっかりと見ていてくれなければ出てこない言葉だと思い至ったとき、彼女たちはカリエを全員で揉みくちゃにした。

 

「うわっ、えっ、ちょっ、お、落ち着いて! ……おう! 誰!? 尻撫でてるの!」

 

 演説用に被っていたカリエの全ての仮面は一瞬にして剥がされる。気取っていた言葉遣いも、取り繕っていた凛々しさも吹き飛んで、いつも通りのぼんやりとした暢気な気質が顔を出す。けれども控え隊員たちにとってはそれすらも愛おしいものだった。

 自分たちをしっかりと見ていてくれた。自分たちのことを気に掛けてくれた。自分たちを必要だと言ってくれた。

 それだけで彼女たちは十分だった。

 

「わわっ、ちょっと担がないで! 怖い! 装填手に持ち上げられるのすごく怖い! 降ろしてくださいお願いします! さっきの暴言は謝りますから!」

 

 

03/

 

 

 演説の様子をこっそりと物陰から見守っていた人物たちがいた。みほとエリカ、そして小梅の三人である。

 三人はカリエの演説が無事終了したことを確認して安堵の溜息を吐いていた。

 

「よかった。カリエさん自ら訓辞をすると言ったときはちょっと心配になったけれど、どうやら杞憂だったみたい」

 

「見るからに控えの方々は腐っていましたからね。強豪校故の慢性病だと考えていましたけれど、どうやらうまく収まったようです」

 

「たく、心配掛けさせるんじゃないわよ」

 

「エリカさんたら、カリエさんに皆が怒っているのを見て、慌てて助けにいこうとしていたもんね」

 

 三人が心配していたのは隊員たちがカリエと衝突する危険性だった。見るからに素行不良の生徒は黒森峰戦車道において存在しないが、それでも軋轢がゼロというわけでもない。

 現行黒森峰体制に不満を持っている隊員たちをカリエが選抜したときは、三人が必死になってそれを止めようとしたのだ。

 

「でもカリエの奴、いつ控えなんてなっていたのかしら。『あの人たちの気持ちは良くわかる』なんて言ってたけれど、あいつ戦車道ではずっとレギュラーよ」

 

 エリカの疑問に小梅は「たぶん」と前置きしてこう応えた。

 

「エリカさんと比べられる自分の境遇を重ねたんじゃないでしょうか。いつもカリエさんは『エリカさんの横に立つと自分は日陰者だ』って言ってましたし」

 

「馬鹿ね。それは私の台詞よ。あいつったら、熊本の戦車道博物館に無理矢理連れて行ったその日に、あれだけ嫌がっていた戦車道をするって言い出して、あっという間にトッププレイヤーになったんだから。ついて行くこっちの方がしんどかったわよ」

 

 二人の言葉にみほは「わかるなあ」と笑みを零した。

 

「私もいつもお姉ちゃんと比較されてばかりだったから。今もそう。お姉ちゃんから引き継いだ黒森峰をしっかりと優勝に導けるか不安で不安で仕方ないんだ。でも、皆と一緒ならどんな道だって進んでいける気がする」

 

 ついには胴上げが始まったガレージの様子を見て、エリカがやれやれと頭を掻いた。何だかんだいって面倒見の良さがずば抜けている彼女が妹を救い出してやるのだろう。

 ガレージに踏み込んでいったエリカに続いて、正式な辞令を記した書類を携えた小梅が足を踏み入れる。最後に激励の言葉を用意したみほが二人のあとを追うが、「もう必要ないかな」と呟いた。

 何故なら、一歩踏み出したその先。

 ガレージに充満している熱気は最高潮で、これ以上の言葉など必要ないと感じたから。

 自分のために、そして黒森峰のために体を張ってくれた親友のことを思って、みほはとびきりの笑顔でこう告げた。

 

「それではみなさん、早速各自の持ち場に着きましょう。パンツァー、フォー!」

 

 

04/

 

 

 合宿の日程はあっという間にやってきた。心配していた降雪もなく、はっきりとした寒さは感じるものの、天候は快晴だった。

 優花里は戦車輸送用列車に運ばれてきた大洗の車両の積み卸しを眺めながら、隣に立つ杏に声を掛けた。

 

「ここから合宿所までは専用道路を使って30分ほどです。今日の為に操縦手の皆さんには公道用の免許を習得していただきましたから問題はないでしょう」

 

「りょうかーい。それじゃあ、戦車降ろし終わったら早速向かおうか。それまで秋山ちゃんは休憩しときなよ。昨日も夜遅くまで備品の点検をしていてくれたんでしょ?」

 

 杏の告げたとおり、クマこそは作っていないものの、優花里の表情は疲労の色を見せていた。優花里自身もそれを感じているのか、「ではお言葉に甘えて」と合宿所近くの駅の広場のベンチに腰掛ける。

 すると少しばかりの間があって、三人の人影が彼女に近づいていた。

 

「お疲れさまゆかりん。これそこの自販機で買ったんだー」

 

 缶ジュースを携えたのは明るい雰囲気の女子生徒、武部沙織だった。彼女に続いてお淑やかな大和撫子の五十鈴華と、落ち着いた物腰の冷泉麻子も優花里の元へ歩いてくる。それぞれ優花里と同じⅣ号戦車D型を操るチームメイトだ。

 

「今日は朝早くに出発したから眠くて叶わないぞ」

 

「もー、麻子ったら、だからあれだけ早く寝なよって言ったのに」

 

「でも合宿なんて人生初めてでとてもわくわくします。母と新三郎を説得するのは骨が折れましたが、皆さんと一緒に来れてよかったです」

 

 彼女たちの気遣いを受けて、優花里は疲れが和らいでいくのを感じた。何を隠そう、人生初の同級の友人なのだ。友人一号は島田愛里寿だったが、同じ学校の同じ学年となれば彼女たちが初である。

 

「いやー、ありがとうございます。皆様の気遣いで疲れなんて吹っ飛びましたよ」

 

 受け取った缶ジュースをゴクゴクと飲み干しながら優花里は笑った。三人もその様子を見て、小さく笑みを零す。

 

「そういえばこの合宿で初めての練習試合が出来るんだよね。そろそろ試合もしてみたいなー、と思っていたから楽しみかも! もしかしたら素敵な出会いがあったりして!」

 

「沙織さん、相手も恐らく女子校ですよ? 女性同士の出会いがお望みなのですか?」

 

「出来たとしても彼氏じゃなくライバルとかかもな」

 

「二人ともずばっと言い過ぎー! ゆかりんも何か言ってやってよー!」

 

 取り留めのない三人の会話を聞いて、ゆかりは合宿を企画して本当に良かったと考えた。もっと言えば、この大洗で戦車道を再興する決断をして本当に良かったと思った。

 何故ならこの目の前の光景は、自分が願い続けた夢の一つのカタチだからだ。

 

「会長は相手を最後まで教えてくれませんでしたが、恐らくわたくしたちと同じような規模の学校です。ですが戦車道の経験は向こうが上でしょう。ならば胸を借りるつもりで頑張るまでです」

 

 優花里の言葉を受けて、三人は了解の意を返した。

 こんな気さくに言葉を交わしあえる友人を与えてくれた戦車道に、そしてその機会を与えてくれた杏に彼女は感謝した。

 

 

05/

 

 

 前言撤回はすぐに成される。

 いや、感謝まで否定するつもりはないが、少しくらい文句をいってやらねば気が済まないと優花里は思った。

 

「わー、あれが合宿所を使うもう一つの学校? タンカースジャケットも格好いいなー」

 

 沙織の暢気な言葉に、歴史好きチームの一人、エルヴィンが頷いた。

 

「うむ、どことなくドイツの機械化師団を思わせる風貌がいいな。私たちもああいった戦車乗りになれるだろうか」

 

「目指すはオットー・カリウスぜよ」

 

 坂本竜馬に似た風貌のメガネ女子、おりょうが口を開いたかと思えば、

 

「いや、139両の車両を撃破したヨハネス・ベルターだ」

 

 赤いマフラー姿の歴女、カエサルが言葉を返し、

 

「大事な人物を忘れているぞ。かの真田勇士のごとく、最多の撃破数を誇るミハエル・ヴィットマンだ」

 

『それだ!!』

 

 歴女チームはそれぞれが好き勝手に論評して盛り上がっていた。けれどもそんな戯れ言すら、今の優花里の耳には届かない。

 何故なら、

 

「あら、もう一つ合宿所を使うことになってる学校がついたみたいですよ。副隊長」

 

 相手校の一人の生徒が、合宿所に鎮座していたパンターの車長席をのぞき込む。二匹の円環の蛇を見て、歴女チームの誰かが「ウロボロスだ」と呟いた。

 

「ん、わかった。私は挨拶その他もろもろを済ませておくから、全員の点呼を取った後、演習場にて今日のメニューを始めておいて」

 

 パンターから出てきたのは銀の髪が美しい、儚い印象を他者に与える女子生徒だった。けれどもその内面に渦巻く熱意と確固たる信念を優花里は知っている。

 横須賀ですれ違いはした。けれども話しかける機会なんてなかった。 

 そしてそれは永遠訪れることのない機会の筈だった。

 

「あ、初めまして。あなたが大洗女子学園の隊長さん? 私は黒森峰女学園の副隊長その二の、逸見カリエです。本日から三日の日程と聞き及んでいますが、ともに切磋琢磨出来れば嬉しいですね」

 

 相手は天上の人だと考えていた。けれどもその人物が今目の前で挨拶の口上を唱え、こちらに手を差し出している。

 優花里は手汗をびっしりと掻きながら、挨拶に応えた。

 

「こ、こちらこそ初めまして。大洗女子学園の秋山優花里です。まだまだ戦車道素人の私たちですが、あなた方の技量の一端でも参考にさせて頂ければ恐悦至極に存じます」

 

「あはは、どうしてそこまで畏まるんですか。同じ高校生同士なのに」

 

 カリエの手から感じる全てが力強かった。単純な握力はもちろんのこと、その生命力と言うべきか、覇気すらも自分たちとは圧倒的に違うことを瞬時に理解していた。

 

 

05/

 

 

 戦車道素人の弱小校の隊長である秋山優花里と、戦車道の王者たる学校の副隊長、逸見カリエはこうして出会った。

 これが両校の長い長い因縁の発端になることは、その場にいる誰しもが知る由もなかった。


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