黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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秋山優花里の戦車道 05

秋山優花里の戦車道05

 

 

 丘を死に物狂いで下っていく大洗の車両たちを見下ろしながら、カリエは無線機で次の指示を飛ばしていた。

 

「……予定通りあちらは市街地に向かった。これより先、単独行動は禁止。指定のポイントまで全車両で向かう。遭遇戦は起こさないこと」

 

 続いて車内に体を伏せ、中でカリエの言葉を待っていた隊員たちを見回した。

 そのうち、気まずそうに視線を逸らす砲手の上級生に向かってカリエは口を開く。

 

「さっきの射撃、二秒ほど遅れています。後続の38tは撃破できましたが、厄介なⅢ号突撃砲は健在です」

 

 砲手を勤めていた二年生が、「すみません」と頭を下げた。カリエの指示通りの射撃が間に合っていれば、厄介な攻撃力を持つⅢ号突撃砲を始末できた上に、後続の38t戦車B/C型も巻き添えにすることが出来ていたのだ。己の失態を噛みしめて、「次は必ず当てます」と申告する。

 だがカリエは「いいえ」と首を横に振り小さく微笑んで見せた。

 

「ですが仰角、俯角の調整は見事でした。先輩のその腕は待ち伏せ戦術において素晴らしい戦果をもたらしてくれる筈です。合宿の後半は私と一緒に待ち伏せの戦術について考えましょうか」

 

 先程まで死にそうな程、顔を青ざめさせていたことが嘘のように、砲手の表情が明るくなっていった。

 その様子を見ていた他の乗員たちが「いいなー」と嫉妬の言葉を漏らす。

 カリエはこほん、と一つ咳払いをすると外の様子を一瞥して、各車に指示を追加する。

 

「さて、そろそろ即席煙幕も晴れたはず。市街地に降りて、残党狩りを開始。各車、パンターを先頭に前進を。市街地からは隊を二班に分けて獲物を仕留める」

 

 

01/

 

 

「後ろからついてくる気配がない。待ち伏せされているかもしれないぞ」

 

 地獄の丘を下りきったその先、Ⅳ号戦車とⅢ号突撃砲は市街地を疾走していた。当初の予定通り、市街地までたどり着くことが出来た車両はわずか二両だけで、試合開始一時間も経たないうちに半数を失った計算になる。

 操縦桿を握る麻子は周囲に漂う微妙な静けさを敏感に感じ取って、優花里に伏兵の可能性を告げた。

 

「おそらく前方に伏兵を張っているということはない筈です。あちらは燃料に限りがある以上、進行速度は稼げません。さっきは最短距離をショートカットされて先回りされましたが、同じ方向を目指している現状ではわたくしたちの方が早く動けていると思います」

 

 ガタン、と地面の凹凸を噛んでⅣ号戦車の車体が揺れた。装填手と通信手を兼任している沙織が小さく悲鳴を上げる。

 

「でもこれからどうしましょう? ここでゲリラに徹するのなら、そろそろ隠れるところを見つけないと」

 

 砲手の華が言うとおり、黒森峰にゲリラを仕掛けるにはそろそろ時間が限界に近づいていた。これ以上市街地をうろうろしていては、追いかけてきたⅢ号戦車などに、居場所を捕捉される危険がある。

 

「では、Ⅲ号突撃砲のカバさんチームは家の塀などを利用して何処かに隠れてください。私たちは黒森峰の車両から逃走を図りつつ、Ⅲ号突撃砲の目の前にどうにかして相手を引きずり出して見せます」

 

『任された。健闘を祈るぞ。あんこうチーム』

 

 およその待ち伏せポイントを告げて、Ⅲ号突撃砲がⅣ号戦車と別れた。一人取り残されたⅣ号戦車は黒森峰戦車を釣り上げるべく、進行速度を若干緩める。

 

「冷泉殿、接敵し次第、すぐさま最高速にギアチェンジ。全力で逃走を図ります。ナビは私がしますから、安心は出来ないでしょうけど、言われた通りの操縦をお願いします」

 

 優花里のやや後ろ向きな感情を汲み取ったのだろう。麻子は冷静に操縦桿を握りしめたまま、振り返ったりせずに口を開いた。

 

「いや、私は秋山さんを信頼している。それはここにいる皆が同じだ。大洗の皆は秋山さんが戦車道のため、どれだけ頑張ってくれているか知っている」

 

 麻子が戦車道を履修する動機は、沙織があまりにも熱心に誘いを掛けてくることと、連続遅刻記録の免除及び、これからの遅刻にもある程度目を瞑ってみせるという、戦車道の特典だった。

 天才肌どころか、本物の天才たる器用さを有している彼女は、あっという間に戦車の操作をマスターした。けれどもやる気に満ちていたかというと、そんなことはなく、適当に履修を続けて、特典さえ貰えれば良いという考え方だった。

 だがーー。

 

「いつも誰よりも早くにガレージにやってきて戦車の点検をしていることを皆が知っている。私たちが怪我をしないように、怖い思いをしないように、細心の注意を払ってくれていることも知っている。不慣れな、それこそ経験の全くない隊長という仕事も文句一つ言わずにやってくれている。そんな秋山さんだから、私はこんな状況でも信用したい」

 

 麻子の言葉は沙織と華の気持ちの代弁でもあった。それぞれ異性にモテたい、何か新しいことをしてみたい、自分の他の可能性を見てみたいという違った動機ばかりだったが、優花里に対する感謝の気持ちは共通していた。

 

「だから指示をくれ。黒森峰のいけすかないエリートどもをぎゃふんと言わせるような指示をくれ。秋山さんならきっとできるはずだ」

 

 何処からかⅣ号戦車とは違ったエンジン音が聞こえてきた。

 それが黒森峰の追っ手の車両であることくらい、三度の飯よりも戦車である優花里はわかっていた。

 彼女はこれまで己の中に培ってきた黒森峰の車両のスペックデータを思い出す。戦車道のレギュレーションに則っているかぎり、その長所も短所もスペックデータそのままの筈だ。いくら黒森峰側が超人的な戦車道スキルを有していても、それは変わりようがない。

 そして戦車に対する情熱と同じだけ、興味と関心を向け続けた相手がいる。

 

「……ありがとうございます。冷泉殿、今思い出しました。わたくし、実を言うと、黒森峰の、特に逸見カリエ殿の大ファンなんです。逸見エリカ殿や西住みほ殿ほど見てきたわけではありませんが、第三者としては誰にも負けないくらい、彼女を研究したと自負しています。今この展開も、彼女の戦術も、いつかわたくしが憧れてきた彼女そのものではないですか」

 

 キューポラから顔を出し、背後に振り返る。やや遠くの方で、こちらを追う二両の車両ーーⅢ号戦車が見えた。

 

「やはりⅢ号戦車に比べて、足まわりが貧弱なパンターでは追いかけてきません。燃料の制限もハンデに見せかけたブラフです。追撃戦を行わないのならば、行動半径が縮小しても大した痛手にならないですし、車重が減少して、機動性の向上が見込める……」

 

 優花里は大浴場で交わしたカリエとの会話を振り返る。今になって思えば、あそこから戦車道の試合は始まっていたのだ。

 

「わたくしたちは彼女に誘導されていたんですよ。燃料と砲弾を減らすと聞けば、素人のわたくしたちは彼女たちと鬼ごっこを演じるしかないじゃないですか。けれどもそれはカリエ殿の術中に嵌まっているのと同じこと。全て予想通りだったんです」

 

 改めて優花里は黒森峰の強さというものを噛みしめていた。単純な戦車の性能、隊員の実力が優れていることなど、表面上の強さでしかない。試合が始まるまでの、リング外での攻防も黒森峰を支える立派な強さなのだ。

 

「……この試合が終わったら反省会ですね」

 

 まんまとカリエの策に嵌められたとわかった今、優花里は既に恐怖を感じなくなっていた。

 ただ、自分の情けなさと甘さに対する呆れだけが強くなっていく。

 だがこのままやられっぱなしではいられない、と優花里は咽頭マイクをオンにした。そして待ち伏せを続けているであろうカバさんチームに対して新しい指示を飛ばす。

 だが、カバさんチームのエルヴィンから返ってきた言葉はさすがに予想外のものだった。

 

『すまない秋山さん。たった今、私たちは撃破された』

 

 

02/

 

 

 黒煙を吐き出すⅢ号突撃砲から、操縦手であるおりょうが黒森峰の隊員によって引っ張り出されていた。

 

「……すまないな。救助までしてもらって」

 

 既に車外に出ていたエルヴィンがカリエに向かって礼を告げた。

 カリエは無線機で回収車の位置を確認しながら、エルヴィンに返答する。

 

「本当は回収車を呼ぶべきなのだろうけれど、今回は火災の恐れがあるからこちらから助けた。公式試合ではこんなことは基本ないから気をつけて。まあ、車内強化カーボンは基本耐火性だし、自動消火装置が積んであるから、勝手に逃げない方がいいんだけど」

 

 でもあなたたち、こういった本格的な戦車戦は初めてでしょ? とカリエは微笑んだ。

 

 どことなく、こちらを追いつめ続ける黒森峰チームのイメージとは随分とかけ離れた表情だったものだから、エルヴィンは思わずカリエに問い掛けていた。

 

「……どうしてここまで面倒を見てくれるんだ? 聞けばルノーも38t戦車も回収車がすぐさま駆けつけて救助してくれたらしいじゃないか。わざわざそちらが無線で座標を伝えて。我々のような、来年も戦車道を行っているかわからないようなチームに媚びを売っておいても無駄足になるかもしれないんだぞ?」

 

 カリエはエルヴィンの言葉に二秒ほど首を傾げる。それは何を当たり前のことを聞いてくるんだ、という純粋な疑問だった。

 

「いや、だって、そのスポーツを始めようとしてくれている初心者の面倒を先達が見るのってそんなに可笑しいかな? 競技人口は少しでも多い方が、絶対楽しいし」

 

 これは一本取られたな、とエルヴィンは笑った。試合をすることで精一杯だった自分たちとは明らかに違う心構えと、立場を有する黒森峰が痛快で笑った。

 そしてひとしきり笑った後、救助活動を終えて戦車に乗り込もうとするカリエに言葉を投げかける。

 

「? まだ何か? もしかして車内に忘れ物?」

 

「いや、すぐに済むさ。うちの隊長はまだまだ初心者で小心者だけれど、その生真面目さは天下一品かもしれない。それに加えて思わぬ行動力もある。たとえ黒森峰のような王者でも、足下をすくわれるかもしれないぞ」

 

 エルヴィンの言葉に、カリエは目をぱちくりと瞬かせた。そしてこう返す。

 

「すくってくれた方が、こちらのチームの技量も上がるし、大歓迎」

 

 発進し、自分たちから離れていくパンターを見て、エルヴィンは頭を掻いた。そしてちょっとばかりボヤくように一言だけ零す。

 

「あれが王者の余裕、か」

 

 

03/

 

 

「撃破されたとはどういうことなのでしょう?」

 

「突然背後からパンターが家を突き破って出てきたらしいよ。で、びっくりしていたら、一緒にいたフラッグ車のⅣ号戦車にやられちゃったって。もー、そんなのありー?」

 

 華の問いに沙織が言葉を返す。車長席にいた優花里はそんな二人を見て「少しばかり逸見殿の策に気がつくのが遅すぎました」と謝罪した。

 

「謝る必要はない。しかしあれか。戦車は家も関係なく進めるものなのか」

 

 麻子の言葉に、優花里はあくまで条件がそろえば、と補足した。

 

「全体的に密度が低い日本家屋なら可能でしょう。特にパンターは装甲と馬力に優れた戦車です。砲身を痛めないように注意を払えば問題ありません」

 

「でもさでもさ、どの家が突き抜けられるかなんて、初見でわかるものなの?」

 

 沙織の言うとおり、最近の家屋は耐震技術の発展もあり、外観からその強度を推し量ることは難しくなっている。例え戦車道用の仮初めの町であっても、その強度はまちまちで下手を打てば車両を大きく破損させる危険性を孕んでいるのだ。まさかあの逸見カリエがそんな大博打を打つはずがないと、優花里は首を横に振った。

 

「恐らく昨日のうちに……或いはわたくしたちがこの合宿所に到着するずっと前に、町の下見を終わらせていたんです。道路だけでなく、どこにどのような障害物があるのか、どの建物なら戦車でごり押ししてショートカットしても良いのか。わたくしたちのような戦車道素人なら、どこに待ち伏せしようとするのか、全て想定尽くだったんです」

 

 ぞわっ、と寒気を感じた沙織は己の肩を抱いた。優花里もアクションこそは起こさなかったが、気持ちとしては同じものだった。

 王者としての華々しい部分しか見てこなかった自分はなんて馬鹿なんだろうと、さらなる後悔が湧いてくる。あれほど知将と尊敬していたカリエの謀略が、自分に向いたときの怖ろしさを全く持って想定し切れていなかったのだ。

 

「この町に逃げ込んだのは悪手でした。相手の庭どころか、お腹の中に飛び込んだようなものです。背後から追いかけてきているⅢ号戦車も恐らく牽制みたいなもの。その証拠に一発も撃ってきませんし、全く同じ距離を維持したままこちらに着いてきています」

 

「ならどうする? 逃げるのをやめて立ち向かうのか」

 

 いいえ、と優花里は麻子に返した。

 彼女はやや悩みながらも、提案が一つだけありますと口にした。

 

「最早ここまでくれば勝利は万が一にもあり得ません。ですが、このまま相手の策略通りに試合を終わらしてしまっては、他の皆さんに申し訳が立ちません。ですからここは一つ、逸見殿の裏をかき、かつ、一番彼女を驚かせるような戦いをしてみたいと思います」

 

 

04/

 

 

 最初、三つ連なる家屋をぶち抜いて進め、とカリエに命令された時、操縦手が感じたのは当たり前だが戸惑いだった。

 彼女も黒森峰戦車道の立派な隊員である。座学の授業は真面目に受講しており、そこで戦車を使って建物を突破するという運用も習っていた。けれども実行に移すにはそれなりの覚悟と運が必要であることも理解している。何せ、途中、少しでも突破困難な障害物があればたちまち砲身を痛めたり、履帯を破損してしまう可能性があるからだ。

 砲手もせめて砲身だけは保護しようと、砲塔を後部へ旋回させようとする。だがカリエはそれを押しとどめた。

 

「いえ、砲塔の回転は指示してないけど」

 

 つまり砲身もそのままに突っ込め、と言っているのである。その場にいる全員が無茶だ、と思った。だが口にはしない。何せ、こういう時のカリエが本気であることは、ここ数日で嫌と言うほど学んでいるからだ。

 せめてもの反抗として「どうなっても知りませんよ」と愚痴を零して見せたが、カリエはそんなもの何処吹く風だった。それどころか、砲手と装填手に向かって発砲準備まで指示したのだ。

 ええい、ままよ。とその場にいた乗員全てが覚悟を決め、パンターが前進を開始する。唸りをあげて前へ突き進んだ鋼鉄の獣は、薄い土壁を突き破り、一つ目の家屋をぶち抜いた。

 キューポラの天蓋を閉め、車内で持ち手をしっかり握りしめたカリエは「もっと早く」と操縦手を急かした。

 ここまでくればやけっぱちだ。

 二つ目の壁を突き破った衝撃が走り、基礎を乗り越えたのか、車体が傾く。必死に操縦桿を握りしめて、進行方向に歪みが出ないよう、必死に調整を繰り返す。

 三つ目の衝撃はややあって訪れ、中の家財道具やガラスが吹き飛んでいるのか、甲高い破砕音が装甲のすぐ外で鳴り響いた。

 

 バキっ、と最後の壁を突き抜けたとき、すぐさまカリエはキューポラから外へ身を乗り出した。通信手が「危険です!」と引き留めようとも、それを振り払って外の様子を伺う。

 そして何かに気がついたのか咽頭マイクに向かって叫んだ。

 

「パンター発砲中止! 砲塔やや左に旋回! 操縦手も左へ十五度! 他全員は対ショック体制! 後続のⅣ号、射撃準備! 目の前にⅢ号突撃砲が飛び出すぞ!」

 

 突然の指示だったが、日頃の訓練の賜か隊員たちはすぐさま動いた。砲手と操縦手は言われたとおりにそれぞれ操作し、装填手と通信手は近くの持ち手を掴み、何かの衝撃に備えた。背後に続くⅣ号戦車も同じように指示に従っているのだろう。

 時間にしておよそ三秒。家に突入した時とは比べものにならない衝撃がパンターを襲った。

 

「くっ!」

 

 カリエの視線の先にはこちらに背を向ける大洗のⅢ号突撃砲がいた。待ち伏せをしていたのか、家の塀に隠れるよう、静かに鎮座している。

 そのⅢ号突撃砲のやや左後方に、パンターの右前面が衝突した。だが進路を左に取っていたお陰か、正面衝突には至らず、両者ともに接触した程度の衝撃だった。

 続いて後続のⅣ号戦車が家屋から飛び出す。あらかじめⅢ号突撃砲の存在を知らされていたⅣ号戦車は落ち着いて停車し、極近距離でⅢ号突撃砲を仕留めて見せた。

 

「よし、一両撃破。これであと一両」

 

 二両とも動きを止め、周囲の状況を伺う。

 カリエは「ふー」と息を一つついて、額の汗を拭った。

 

「いやー、びっくりした。思ったよりⅢ号突撃砲、近くに隠れてたんだ。黒森峰なら待ち伏せ後の退路を考えて、もう少し道路側に寄せてるからそのイメージに引きずられたな。なるほど、型に囚われない相手とやるとこんなことも起こり得るのか」

 

 メモメモ、と懐から取り出したボロボロのノートに所見を書き込むカリエを見て、他のパンターの乗員たちは言葉を失っていた。

 口数が少ないため、その指示の意図はいまいち要領を得ないことが多いが、ここまでその指示が全て大洗の作戦を打ち砕いている。

 その成果から、徹底的に対戦相手のメタを張り続ける彼女の真髄を垣間見たのだ。

 少なくとも対戦相手の大洗女子のことを哀れに思うくらいには、自分たちの指揮官は常軌を逸していると感じた。

 そして、この人の戦車道をもっと見てみたいと、全員がその思考を塗りつぶしていた。

 

「ん? ほらほらボサっとしてないで回収車呼んであげて。ーーうん? ここから結構距離あるな。なら私たちでⅢ号突撃砲の乗員を助けようか。消火活動準備、砲弾降ろしたスペースに詰め込んだ消火器と救助用具の使いどころだよ」

 

 

05/

 

 

 大洗女子に残された最後の一両、Ⅳ号戦車は自分たちが嵌まりこんでいる意味のない鬼ごっこを終わらせようとしていた。

 

「ここを左折して、ここを直進、最後は丁字路を右折ですか。なるほど、ここに誘い込もうとしているんですね」

 

 優花里は膝の上に広げた地図に、マーカーで線を書き足していた。それを見て沙織がホワイトボードに赤の磁石と、青の磁石を張り付けていく。

 

「ということはこの待ち伏せされているであろうポイントから遠ざかるの?」

 

 いえ、と優花里は否定する。

 

「今からここに突入します。けれども冷泉殿、あたかもあちらに誘導されたかのように、自然な感じで向かってください。武部殿は次弾装填の必要はありませんから、衝撃に備えられるよう掴めるところを探してください。五十鈴殿、発砲のタイミングはお知らせします」

 

 あたかもⅢ号戦車に追い立てられているかのように、Ⅳ号戦車は付かず離れずの状態で道路を進む。

 加速と減速を織り交ぜながら、少しずつ優花里が予想したポイントに向かう。

 

「皆さんには先に謝罪しておきます。これからわたくしが指示することはある意味で敗退行為です。フラッグのⅣ号戦車を撃破することは叶わないでしょう。けれどども大洗戦車道が黒森峰戦車道に一矢報いるには、今のわたくしではこれくらいしか思いつきません」

 

 ぺこり、と頭を下げる優花里に沙織は「気にしなくていいよ」と笑った。

 

「もともと勝てっこない勝負だったのに、少しくらいぎゃふん、と言わせられるんでしょ? ならそれでいいじゃん」

 

「私も同感です。こんな凄い戦車道をする相手に噛みつくなんてぞくぞくします」

 

「言われたとおりにやるだけだ。でも、やるからにはあとに繋がるようなことをしたい」

 

 他の三人の言葉を聞き、優花里の表情は少しばかり明るくなった。彼女は進行方向をじっと見つめると、そこで待ち受けるであろうカリエに向かってこう言い放つ。

 

「ファンだって、時には怖いこともするんですよ」

 

 

06/

 

 

『大洗Ⅳ号、ようやくそちらに向かうルートを取りました』

 

 Ⅲ号戦車からの報告を受けて、カリエは「いや」と眉を潜めた。

 

「たぶんあちらは待ち伏せに気がついている。誘導されている割には加速と減速が交互にしすぎているんだ。こちらの裏をかいて、破れかぶれの特攻を仕掛けるつもりだ」

 

「なら、ポイントを変更して、ここを狙うことのできる地点を探しますか」

 

 通信手の提案に「その時間はない」とカリエは返す。

 

「ここで迎え撃つ。それにこれは私たちに対する挑戦だ。折角ビギナーが覚悟を決めて向かってきているのだから、逃げるなんてありえない。それに、あなたたちならどんな奇策でも跳ね返すだけの力量があると私は思っている」

 

 彼女の言葉にパンター内の隊員たちは顔を見合わせた。そして互いに頷き合い、カリエに向き直る。

 

「任せてください。副隊長。必ずあなたに勝利をもたらせて見せます」

 

 パンターの砲塔が旋回した。試合前に積み込んだ最後の一発は既に装填されている。これを外してしまえば、事実上の被撃破だが乗員たちに恐れはなかった。

 

「……来ました。最後の右折路まで来ています。接敵まで三十秒とのこと」

 

 Ⅳ号戦車を追いかけているⅢ号戦車からの報告を、通信手がカリエに伝えた。カリエは車体と砲塔の微調整を指示して、キューポラから外を伺う。

 

「Ⅳ号戦車は万が一を考え、パンターの後方へ。大洗Ⅳ号に対して斜めの位置を取り、装甲厚を増やして。Ⅲ号戦車はそのまま前進。フレンドリーファイアを防止するため、そちらの発砲は禁じる」

 

 音が聞こえてきた。

 背後の黒森峰Ⅳ号戦車に比べれば、整備もまだまだ行き届いていない、歪なエンジン音だ。

 だが確実にこちらに向かってきている証拠でもある。

 

「三・二・一、今飛び出した! ぎりぎりまで引きつけて!」

 

 丁字路の陰から、大洗のⅣ号戦車が飛び出してきた。殆ど最高速で右折したそのテクニックにカリエは内心舌を巻く。

 しかし、それ以上でもそれ以下でもない。

 必要以上に狼狽えたりはしない。

 

「発砲準備」

 

 パンターの射線にⅣ号戦車が重なる。

 普段は操縦手の肩を叩くために使っていた足を、砲手の脇腹に持って行く。それは適切な発砲タイミングを知らせるための最後のアクション。

 

 パンターとⅣ号の距離が詰まる。カリエは咽頭マイクを押さえた。足を引き、砲手の脇腹を小突くための動作が始める。

 

 だがーー。

 

「!」

 

 大洗のⅣ号が舵を突如右に切った。それはカリエから見て左側だ。最後の悪足掻きか、とカリエは発砲を踏みとどまる。しかもそこを抜かせてしまえば、フラッグ車へ一直線である。それだけは何としても防がなければならないと、「左に砲塔回せ!」と口が滑り掛けた。

 

 そこから先、カリエがその指示を飛ばしたのは奇跡のようなものだった。

 

 自分と同じようにキューポラから身を乗り出した優花里と視線がぶつかる。それだけで、カリエは優花里の狙いを自分だと察した。「フラッグ車狙いでこちらを見ているのはあり得ない」と、彼女のキャッチャーらしい観察力が働いたのだ。

 左と口走り掛けたのを、右へ、と叫んだ。

 中の砲手が死に物狂いで砲塔を回し、カリエから見て右側、自車から見て左側にドリフトを始めた大洗Ⅳ号を追う。

 射線が再び重なるが、発砲はしなかった。Ⅳ号がドリフトを追え停止したその瞬間、パンターの側面についた一瞬のうちに、カリエは砲手の脇腹を小突いた。

 今度は遅れなかった。砲手はカリエが指示した最高のタイミングでトリガーを引いた。

 パンターが最後の砲弾をⅣ号戦車に叩き込んだ。

 

 

07/

 

 

「……すいません。先に引き金がロックされてしまいました」

 

 砲手を勤めていた華が、全身から力を抜いていた。戦車道のルール上、撃破判定がなされると、殆どの機構がロックされてしまう。それはつまり、大洗のⅣ号戦車が発砲するよりも先に、黒森峰のパンターが砲弾を放ったということ。

 不発に終わってしまった現状を華は嘆いた。

 

「いや、私の操縦が不味かった。もっと回転半径を縮めるべきだった」

 

「ううん、麻子と華はよくやったよ。最初の試合でこれだけ動けたら言うことなしじゃん。それにゆかりんも凄かった! 立派な隊長ぶりだったよ。……ゆかりん?」

 

 何時まで経っても言葉を発しない優花里を心配して、沙織は車長席を見上げる。そこではキューポラから身を乗り出して固まった彼女がいた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 優花里とカリエ、両者は視線を交わしている。明確な勝者と敗者を、それぞれの車両の状態が教えてくれていた。黒煙を吹き上げるⅣ号戦車から、優花里はカリエに笑いかけた。

 

「負けちゃいました」

 

 カリエもそんな優花里に微笑み返す。

 

「いや、紙一重だよ。危なかった。あなたの視線に気づけたから、止められた」

 

「凄いですね。こちらのやることなすこと、最後まで全部読まれちゃいました」

 

「それは秋山さんの作戦が理に適っているからだよ。あなたはもっと自分の隊長業に自信を持っていい。チームメイトの実力があなたの作戦に追いついたそのとき、大洗は強いチームになれる」

 

 よっこいしょ、とカリエがパンターのキューポラから抜け出す。そして肉薄していたⅣ号戦車に飛び乗り、優花里へと手を差し出した。

 

「初陣おめでとう。私が最初に車長やったときよりも巧かったよ。いや、これお世辞じゃなくて本当の話」

 

 優花里はそんなカリエの手を掴んだ。試合には完璧な完敗を喫したが、その心境は明るかった。

 

「カリエさん」

 

「うん?」

 

 キューポラから引っ張り上げられ、カリエと目線が同じ高さになる。

 王者黒森峰と、新設大洗の隊長が、二人して肩を並べていた。

 

「わたくし、あなたのような隊長になりたいです。やっぱりわたくし、あなたのファンみたいです」

 

 優花里の言葉にカリエは「何それ」と苦笑した。

 

「ならサインでも書こうか?」

 

「はい、もちろんそれは頂きたいのですが」

 

 適当に告げた冗談に、思いも寄らぬ食いつきをされカリエは一歩引いた。だが優花里はそれを二歩詰める。

 

「連絡先、教えて貰えないでしょうか。わたくし、あなたとお友達にもなりたいんです」

 

 カリエはきょとん、とした。それは優花里に見せた初めての表情だった。

 緊張の面もちで、優花里はカリエの返答を待つ。だがそれは数秒も続かない。

 

「もちろんいいよ。でも私、友達少ないから変なこと言うかもしれない。まあ、それは勘弁してほしいかな」


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