黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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秋山優花里の戦車道 06

 秋山優花里は困惑していた。いや、というよりも大洗女子たち皆が困惑していた。

 

「Ich danke ihnen sehr für ihre Muhe(お疲れさま)」

 

 場所は合宿所備え付けの、レクレーションルーム。大きさは少し大きめの体育館ほど。

 眼前には流暢なドイツ語を唱えて、両手にビールジョッキを手にした逸見カリエ。

 ただし表情の変化は乏しく、じとっとした三白眼で、彼女に対しどのような反応を返せばいいのか、誰もわからない。

 微妙な沈黙が両者の間を支配する中、勇気を振り絞って言葉を返したのは意外なことに桃だった。彼女はずれ落ちたモノクル眼鏡もそのままに問う。

 

「いや、その格好は何だ?」

 

 カリエは首を傾げながら己の格好を見下ろした。そして何か変なところでもあるのかと、逆に桃に返す。

 

「? でぃあんどる。知らないの?」

 

 ディアンドル。ドイツ語で「お嬢さん」を意味する伝統的な衣装である。多数のフリルがあしらわれ、背中と肩がやや露出した不思議な衣装だ。

 

「いえ、副隊長。ディアンドルですよ。発音が違います」

 

 ここまで来ては、同じ服装をした黒森峰の隊員の訂正ですらどうでもよかった。優花里は引き攣った顔のまま、呆気にとられている桃の前に出て、カリエの眼前に立つ。

 

「ディアンドルって、あのディアンドルですよね。ドイツの民族衣装の」

 

 優花里の台詞に、カリエは胸を張って応えた。あまり表情が動かなくても、どことなく自慢げに見えるのは一応その衣装を気に入っている証拠なのだろうか。

 

「うん。そのでぃあんどる。折角学園艦からノンアルコールビールをくすねてきたんだから、雰囲気も盛り上げようと思って用意した」

 

 カリエの端的な説明に、奥のテーブルで食事の用意をしていた隊員たちが反応する。

 

「いやー、副隊長に言われて醸造科からビールを買い付けて、ドラム缶に隠し持ってきたときは緊張しましたね。エリカ副隊長が側を通りかかった瞬間なんて生きた心地しませんでしたもん」 

 

「畜産科からソーセージもゲットしてきましたよね。副隊長結構顔が広いから、いろんなところから物資を集めて来れました」

 

「草野球仲間が結構多いから」

 

 隊員たちの言葉に、片手を上げながらカリエは応えている。

 眼前に立ち尽くす優花里は冷や汗を流したまま、どうしてこのような状況になってしまったのか、ほんの少し前の出来事を思い出していた。

 

 

01/

 

 

 練習試合も終わり、それぞれの撃破された車両は黒森峰によって回収され、彼女らに随伴してきていた整備班に引き渡された。

 

 黒森峰副隊長のカリエ曰く、「明日までには自走可能になると思う」とのこと。

 

 思わぬ厚意に恐縮しきりだった優花里だが、カリエは礼も受け取ることそこそこに、大洗の面々に入浴を勧めた。

 言われて、自分たちの様相を見てみれば、煤と泥やその他もろもろで汚れており、女子としては些か不合格な出で立ちだった。

「施設に要請して、湯は張ってある」とカリエから告げられれば、あっという間だった。激闘に心身とも疲れ切っていた彼女たちは、温かい風呂を存分に堪能した。

 そして全てをリフレッシュし、ホクホク気分でそれぞれの反省点をつらつらと述べながら大浴場を後にした。

 すると浴場の入り口の前に、黒森峰の制服を着込んだ隊員が一人立っていた。

 何事か、と杏が用件を問うと、隊員はこう言葉を返す。

 

「副隊長が黒森峰と大洗、両校の懇親会の用意をされてお待ちです。ご都合がよろしければ、レクレーションルームにお越しください」

 

 ぺこり、と頭を一つ下げて隊員はその場を去っていった。取り残された大洗の面々は「どうしたものか」と顔を見合わせる。その中で真っ先に音頭を取ったのは、練習試合で一皮剥けた気のある優花里だった。

 

「是非参加しましょう。激闘を終えた後に親睦を深めることができるなんて。こんな機会滅多にないですよ」

 

 彼女の提言に反対するものはいなかった。沙織は「連絡先を交換しちゃおうかなー」と携帯電話を取り出し、華は「お食事も用意されているのでしょうか。楽しみです」と微笑んだ。麻子も珍しく「ケーキとかあるのか」と興味を示している。他の面子もおよそ似たような反応だ。

 

「なら決まりだね。今日はとことん黒森峰に甘えて、彼女たちと仲良くなろう!」

 

 杏の弾けるような声があれば一発だ。それぞれ会話と足を弾ませてレクレーションルームに向かう。大洗側の宿泊棟とは反対側にあるため、途中渡り廊下を進んだ。

 すると、その廊下から黒森峰の戦車専用ガレージが少しばかり伺えた。

 やはりと言うべきか、大洗の数倍の規模でガレージを貸し切っている。

 

「見ろ、あそこ。私たちのⅢ号突撃砲だぞ」

 

 エルヴィンが指さした先には履帯を外されたⅢ号突撃砲が鎮座していた。人影はないものの、直前まで何かしらの整備を受けていたことがわかるような様子だった。

 

「本当に直してくれているのか。捕虜を全て無傷で返還したサラディーンのようぜよ」

 

 黒森峰の厚意に感銘を受けたおりょうが歴史に例えてみれば、真っ先に反応したのはカエサルだった。

 

「いや善政を敷き、圧倒的な徳で知られるローマの五賢帝だな」

 

 それは違うだろうと、左衛門佐が首を横に振る。

 

「甲斐の信玄に塩を送った越後の謙信だ」

 

『それだ!』

 

 納得の答えができたのか、歴女たちは満足そうにうんうんと頷いていた。優花里はその四人に苦笑を禁じ得なかったが、感銘を受けていたのは同じだった。

 

「なんかさー、懐が深いよねー。いつかお返ししたいものだね」

 

 杏の言うとおり、黒森峰の面倒見の良さは正直面食らってしまうレベルだ。優花里も「そうですね」と相づちを返しながら、感謝の品を「干し芋」にしようかと笑う杏の言葉に頭を掻く。脇に控えていた柚子が「熊本の方々ですから、干し芋を食べる文化が多分ないですよ」と牽制を入れてくれたのがせめてもの救いだった。

 

「あ、ここみたいですね。『親睦会会場』って書いてますよ」

 

 典子が親睦会の看板を目聡く発見した。半紙に墨で書かれた題字は中々達筆で、それぞれが「おおっー」と感心の声をあげる。

 徐々に沸き上がりつつある大洗女子のテンションを感じ取ったのか、風紀に敏感なそど子が先に釘を差した。

 

「皆さん、楽しむのは良いけれど浮かれすぎないようにお願いします!」

 

 彼女に対する返事もそこそこに、麻子がレクレーションルームの扉を開ける。訓辞をないがしろにされたそど子が麻子に噛みつくが、麻子は中の光景を目にしたその瞬間、全ての動きを止めた。

 いや、口だけは動いていた。

 

「おいそど子。浮かれているのはどっちだ?」

 

 そど子が麻子の視線の先にあるものを見る。そして麻子と同じように固まった。

 彼女たち二人の視線の先にあったのはディアンドルに袖を通し、無表情でビールを持つ逸見カリエだったのだ。

 

 

02/

 

 

「副隊長がですね、『どうせみほもエリカもいないんだし、普段出来ないことがしたい』といって準備、企画されたんですよ。歩哨の目をくぐり抜けてビールを戦車に積み込むのはドキドキしましたね」

 

「そうそう。ソーセージもいつの間にか合宿中の生活物資に紛れ込ませていたんですよね。私、この合宿に来るまで副隊長のことはあまりよく知らなかったけれど、意外とお茶目なところがあって可愛いですよね」

 

「あはは。確かに逸見殿は見た目はクールビューティーですからわからなくもないですね」

 

 親睦会という名の宴が始まって早一時間。大洗の面々は黒森峰謹製のノンアルコールビールとソーセージを堪能していた。秋山優花里もその一人で、複数人の黒森峰の隊員たちに囲まれながら、親睦会準備までの黒森峰学園艦における攻防に耳を傾けていた。

 

「ちょっと、あんまり恥ずかしい裏話は話さないで」

 

 丁度そのとき、相変わらずのディアンドル姿で、ビールとソーセージをしっかりと握りしめたカリエが近づいてきた。先程まで杏たち生徒会組と歓談していたのだが、どうやら一段落ついたらしい。

 

「あ、副隊長。お疲れさまです。ささ、ビールをどうぞ」

 

「うう。ノンアルだから雰囲気だけであんまり旨くないんだよな」

 

「何言ってるんですか。おっさんみたいなことをぴちぴちの女子高生が言っては駄目ですよ」

 

 空になり掛けていたジョッキに黒いノンアルコールビールを注がれて、カリエは「あながち間違いじゃないんだよな」と言って唸った。

 隊員たちに親しまれている様子を見ると、これも逸見殿の魅力の一つなんでしょうね、と優花里は微笑んだ。

 

「ねえ、秋山さん」

 

 ごくごくと注がれたビールで喉を潤しながら、カリエは優花里に話しかける。

 

「はい、何でしょう。逸見殿」

 

 優花里の返答にカリエは「それ」と突っ込んだ。

 

「逸見殿だとエリカと区別が付かなくなるからカリエでいいよ。それになんか他人行儀だし」

 

 突然の申し出に優花里はあたふたと慌てた。そして特徴的な癖毛を両手でもみくちゃにしながら悶える。

 

「い、いえ。確かに先程は勢いでご連絡先まで頂いてしまいましたが、わたくしなんて本来、逸見殿とは比べるべくもない立場のもので、名前で呼ぶなんてそんな恐れ多いことを」

 

 ぐにゃぐにゃと忙しい優花里をカリエはじっと見つめた。彼女の翡翠色の視線を受けて優花里が「はうっ」とさらに挙動不審になる。

 何となく、このままでは埒があかないと感じたカリエは嘆息一つして、優花里に詰め寄った。

 

「優花里さん」

 

「はひっ」

 

 銀の長い睫に縁取られた翡翠色の瞳が目の前にあった。絶え間なく変化する戦況を見据え続けて来た黒森峰の妹蛇の瞳が優花里を見ていた。

 

「ほら、優花里さん。カリエだよ」

 

 やっぱりこの人はとんでもない人だ、と優花里は再確認する。本人は頑なに否定するが、彼女が有しているカリスマは魔性のものだった。誰もがこの物静かな副隊長の元へ集まる理由がわかった気がした。

 

「か、カリエ殿」

 

「そうそう。でも面白いね。優花里さんてさ。自分のことわたくしっていうくらい丁寧だし。あ、あと殿付けもそうか。……なんか、昔似たような男の子にあった気がする」

 

 男の子。

 そのワードを聞いて優花里は何か引っかかるものを感じた。

 何処か漠然とした違和感。けれどもその正体に彼女が思い至ることはない。

 何故なら優花里が歴女チームに囲まれてしまったからだ。

 大洗同士のやり取りがあることを察したカリエは「またね、優花里さん」と会釈をしながら離れていった。そういった気遣いも彼女の魅力であると再確認していた優花里だが、残念に思う気持ちも少しばかりあった。

 だがすぐさま彼女の思考は歴女チームのトークに巻き込まれていく。

 

「今日の指揮は格好良かったぞ。グデーリアン」

 

「ぐ、グデーリアン?」

 

 ビール片手に肩を組んでくるエルヴィンに優花里は疑問の声を上げる。

 

「なんだ、グデーリアンを知らないのか?」

 

 意外そうに驚くエルヴィンに優花里は「いえ」と首を横に振る。

 

「ハインツ・グデーリアンの事は存じ上げていますよ。ドイツ電撃作戦の生みの親の方ですよね」

 

 歴史全般に詳しいというわけではないが、無類の戦車好きを自負する優花里である。戦車に縁のある人物、特にドイツ軍人たちに関しては歴女チームの誰よりも知り尽くしていた。

 

「そう。そのグデーリアンだ」

 

「では、その、どうしてわたくしをグデーリアンと?」

 

「今日の指揮が見事だったからじゃないか。結果的には負けてしまったが、あの黒森峰の副隊長を焦らせたんだろう? まさに大洗女子学園の英雄。そんな我らが隊長に是非、グデーリアンのソウルネームをプレゼントしたいんだ」

 

「命懸けで脱藩し、薩長同盟を纏め上げて新時代を切り開いた坂本直柔、つまり坂本竜馬ぜよ」

 

「いや、ルビコン川を電撃的に渡河したガイウス・ユリウス・シーザー、つまりカエサルだ」

 

「いやいや、大阪城に真田丸を築き、徳川方に大損害を与えた真田左衛門佐信繁、つまり真田幸村だ」

 

「グデーリアンじゃないんですか?」

 

『それだ!』

 

 徐々に歴女チームの波長がわかり始めた優花里は笑みを零した。まさか自分がこのようなやり取りをすることが出来る友人ができるとは思ってもいなかったのだ。

 

「とにかく、このソウルネームは我々からの餞別だ。これからも大洗の戦車道をよろしく頼むぞ」

 

 エルヴィンから差し出された手を優花里はしっかりと掴んだ。たくさんのことがありすぎる一日だが、こんなに幸せな一日は人生初めてだった。

 

 戦車道を率いる隊長としてのプレッシャーを忘れたわけではない。

 けれども戦車道を始めて本当に良かったと思える一幕だった。

 

 

03/

 

 

 親睦会もお開きとなり、それぞれが割り当てられた宿舎に帰っていた頃。

 カリエは一人、合宿所のロビーで携帯電話に耳を傾けていた。通話の相手は黒森峰学園艦に残っているエリカである。

 

「というわけで初の対外試合は勝った。これで隊としての形は一応纏まったと思う」

 

 カリエの言葉に電話口のエリカは返す。

 

『新設の学校相手ならそれくらい余裕でこなしてくれないと困るんだけどね。まあ、何はともあれお疲れさま』

 

 言葉こそ厳しめだが、その声色は柔らかく、カリエは姉の不器用な優しさを電話越しに感じ取っていた。昔から面と向かって褒めてくれることは少なくても、何だかんだ言ってカリエのことを気遣ってくれる姉なのである。

 カリエは苦笑を少しばかり零しながら姉との電話を続ける。

 

「来週はそちらに戻る。みほと小梅の方はどう?」

 

『小梅はプラウダとの練習試合を取り付けてきたわ。ひょっとしたらあんた達のデビュー戦はそこになるかもしれないわね。みほは相変わらず”ほわほわ”言いながらえげつない戦術で相手を叩きのめしているわ。あいつが参加すると紅白戦の意味がなくなるのが頭の痛いところね』

 

 その様子が容易に想像がついてカリエは「くすくす」と笑った。確かにみほは普段はカリエ以上にのほほんとしているが、戦車に乗ると別人のように凜々しく、また激しくなる。

 

『……笑っているけれど、あんたも大概だからね。たく、みほにしろカリエにしろ、普段から戦車に乗ったときのようにしっかりとしてくれたら楽なんだけれど』

 

 姉の小言は軽くスルー。カリエは受話器から耳を離すことで答えた。

 エリカもエリカで、カリエが小言をまともに聞く事なんてないとわかっているので、深くは追求しなかった。

 それから二言、三事、近況について報告し合う。最後に学園艦への帰還経路を確認し合って、いよいよ電話を切ろうかというその時だった。

 

「ねえ、エリカ。ちょっと聞きたいんだけど、エリカは一人称が『わたくし』の男の子知ってる?」

 

『なにそれ。男でも出来たの?』

 

「いや、ちょっと気になって」

 

 コンプレッサーの低音が自販機から聞こえてきた。カリエがちらりと壁掛け時計に目を走らせてみれば、時刻は既に午後十一時を指そうとしている。

 手持ち無沙汰になった足下がいつの間にか貧乏揺すりを刻んでいた。

 

『……少なくともそんな男の子心当たりはないわよ。気掛かりなら、黒森峰の諜報部使って他校の生徒でも探してみる?』

 

 若干の沈黙の後、エリカの返答は凡そカリエの想像の範疇だった。

 自分でも真意がよくわからぬ質問なのだ。それこそ流暢に答えられていたら、腰を抜かしていたかもしれない。

 

「ううん。いい。本当にちょっと気になっただけ。大したことなんかないよ」

 

 ごめん。変な事を聞いて。

  

 それだけを手短に伝えて、カリエは電話を切ろうとした。

 だがその寸前にエリカが『ああ、そういえば』と何かを思い出したような声を上げた。カリエは無意識の内に、受話器の向こう側に神経を集中させていた。

 

『新品のドラム缶が三つほど見当たらないのよね。そっち持って行ってない? あと、醸造科の黒ビールが品切れになってて、学園艦の何処でも買えないんだけれど。それに合宿の予算見積もり、この接待費っていうのは――』

 

 ぴ。

 

 姉との繋がりは指先一つで絶たれる。万が一折り返しの電話が来ないように、速攻で機内モード。

 携帯電話をポケットに詰め直し、自販機で水を一つだけ買ってカリエはロビーを後にした。

 そしてそれまでの通話のやり取りなんてすっかり忘れて、どう誤魔化せば良いのかと頭をウンウン唸らせながら、宿舎へと足を向けた。

 その所為か、それからしばらく。

 カリエは「わたくし」の男の子のことをすっかりと忘れることになる。

 

 

04/

 

 

 瞬きもしない間に切られた電話を見て、エリカは溜息を吐いた。

 その直ぐ横ではみほと小梅がパジャマ姿で、「どうどう」とエリカを宥めている。カリエが定時連絡をしてくると聞いて、二人して逸見姉妹宅に泊まりに来ているのだ。

 

「……別に怒ってはいないわよ。あの子、昔から変に気が利くから相手校と隊員達にアメでも用意していったんでしょう」

 

 交際費は正式な予算として認められているしね、とテーブルの上に置かれていたコーヒーに口をつける。

 

「でもエリカさん、台詞の割には表情が怖いというか、固いというか」

 

 余計な事を、と小梅がみほの口を慌てて塞ごうとするがすんでの所で間に合わない。

 ぎろ、とエリカの翡翠色の瞳がみほと小梅を睨み付ける。「ひいっ」と普段は気の弱い二人は互いに肩を抱き合った。

「そこまで怖がらなくてもいいじゃない」とやや頬を赤く染めてエリカはマグカップをテーブルに戻す。

 

「……自分に少し苛立っただけよ。あの子の問いをはぐらかした自分がちょっとばかり嫌になっただけ。何だかんだ言って、まだ少し、カリエに嫌われているのを怖がっているのかもね」

 

「少し?」

 

「なに? 何か言いたい事あるの?」

 

 茶化しておきながら、ぶんぶんと小梅が首を横に振った。

 エリカは「調子狂うわね」とぼやきながら続ける。

 

「あの子、間違って覚えているのよ。馬鹿ね。自分が戦車道を始める切っ掛けをくれた恩人なのに、よりにもよって性別を間違えているなんて」

 

 何処か割り切れない、といった風に嘆息するエリカを見て、中々複雑な事情がありそうだ、とみほと小梅は顔を見合わせた。

 余り目立ちはしないが、逸見姉妹もそれなりに紆余曲折ある過去を有している事を思い出していたのだ。

 そんな二人のアイコンタクトを見て、「隠すようなことじゃないからいいんだけどね」と口を開く。

 

「私が最初、戦車道の世界にあの子を連れて行こうとしたら、全力で拒否されたわ。今でも思い出せば軽くヘコむくらいにね。けれどもそんなあの子の心を溶かした人物が一人だけいたのよ」

 

 エリカの視線の先にあったのは幼い頃の姉妹を写した一枚の写真だった。

 同じ顔をしたエリカとカリエ。両者の視線は全く違うところを向いており、特にカリエの視線は完全に明後日の方角だ。

 

「……本当、昔の事で未だにうだうだ言っている自分が嫌になるわね」

 

 

05/

 

 

 一週間が経った。大洗女子学園戦車道に修繕した車両を引き渡し、最終日の合同訓練を行って丁度一週間が経っていた。

 予定していた全ての日程を終えた黒森峰女子学園戦車道チームは合宿所を引き上げて、帰路についた。

 陸路をチャーターした戦車輸送用の列車で進み、途中何度か自走して名古屋港に辿り着く。

 まだ日も昇りきらぬ早朝に出発したというのに、気が付けば真夜中になっていた。

 隊員達の先導と列車の手配。公道の走行と常に気を張り巡らせていたカリエは、名古屋港の敷地に到着した瞬間に車長を通信手に任せて完全に眠りこけていた。

 装填手達がジャンケンを行って(勝った人を)輸送要員として選抜。すやすやと熟睡しているカリエを、選ばれた人員が「よっこいしょ」と背負いながら学園艦を目指す。

 ただその労力はそう長くは続かない。

 何故なら前方から黄色いヘッドライトが照らされたからだ。何事か、と目をこらしてみればみほとエリカが乗った黒森峰学園艦の輸送車両がそこにいた。

 

「迎えに来たわよ、って早速眠りこけてるじゃない。しっかりしなさいよ」

 

 呆れ声を出しながらも、起こさないようにそっと装填手からエリカはカリエを受け取る。

 所謂横抱きの、お姫様だっこだったがエリカはふらつく事なくしっかりと彼女を支えていた。誰かがその様子を見て「おおっ」と感嘆の声をあげた。

 

「皆さん、お疲れ様でした。少し前にお別れしたときよりも全員、精悍な顔付きになっています。これは明日からの訓練が楽しみですね」

 

 顔のパーツを全て線にしながらみほは笑った。その雰囲気は労いと慈愛に満ちていたが、同時に隊員達の成長への期待を隠し切れていなかった。

 以前とは全く違う隊長の自分たちへの目線に、合宿へ向かっていた隊員達は誰となく身震いをする。

 

「今、小梅が戦車収容の手配をしているわ。搭乗してきた戦車は指定された順番通りに学園艦に積み込んで。そのあとは各自自由解散。明日の朝練は時間の都合上なしよ。けれども夕練は普通に行うからそのつもりで」

 

 淡々とエリカが今後の予定を述べるが、その口調も何処か楽しげだ。

 本当に自分たちは期待されていたんだと、隊員達の身震いは武者震いに変わる。

 

「あ。もうついたんだ」

 

 と、そのとき。

 エリカの腕の中でカリエが目を覚ました。彼女は腕の中で器用に身動きをすると、そのままエリカの腕から地に足をつけた。

 そしてまだ眠気が完全に飛びきっていない視線で隊員達を一瞥する。

 やがて決して大きくはない、けれども夜の港に染み渡るような声色でこう告げた。

 

「皆さん、短い間でしたけどありがとうございました。楽しかったです。明日からも頑張りましょう」

 

 それまである一種の興奮に包まれていた隊員達の空気が変わった事を、みほとエリカは敏感に感じ取っていた。

 自分たちの労いで士気の向上は見せていた。けれどもそれはあくまで予想の範疇の出来事だ。

 だが、カリエの激励でも何でもない、誰しもが口にするような挨拶を受けた彼女たちがどうなったか。

 

「はい。カリエ副隊長。二週間弱、本当にありがとうございました」

 

 それぞれが完璧に整列し、完璧なタイミングで頭を下げた。武者震いはなりを潜め、誰も微動だにしない。

 カリエが「うん、今日は早く寝なよ」と告げて初めて面を上げた。

 そして三十一人分の瞳、つまり六十二個の視線が三人を見た。真っ向からそれを受けたみほとエリカの二人は背筋が粟立つのを自覚した。

 

 明らかに違う。

 

 自分たちが送り出したときと明らかに、人が違っていた。

 確かに期待はしていた。

 実質二軍の扱いを受け、腐っている隊員たちに新しい役割を与えて、戦力の強化を図る事を狙ってはいた。

 だがここまで、これ程までに人格と所作を作り替えてくるなど、誰が予想していていたか。

 カリエは「それじゃあお休み。パンターは最後尾に格納しておいて」と特に何かを意識した様子はない。

 二人はいつも通り過ぎるカリエを凝視し、終ぞ何か言葉を吐き出す機会を失っていた。

 みほ程の戦術眼はない。エリカほどの人を引っ張っていくカリスマはない。

 

 それでも戦うために必要な知恵と貪欲さをカリエは持っている。戦術眼はなくとも。

 徹底的に、それこそ病的と言えるまでに相手を分析、マークし、常に自軍が有利なようにメタを張り続ける。

 

 カリスマもまた、ない。しかしカリエは放っている。

 この人について行きたい。この人の役に立ちたい。この人に褒められたい、と思わせる魔性の雰囲気を。

 

 それぞれの分野ではみほとエリカに適わない。

 けれども両者に通ずる、中隊長の指揮官として必要なものを彼女は誰よりも持っていた。

 そのことを改めて理解したとき、二人はカリエのことを不謹慎ながら怪物を見るような眼差しで見ていた。

 この合宿で、ある意味一番変わってしまったのは親友、或いは妹かもしれないと。

 

 

06/

 

 

 翌日の午後。

 黒森峰女学園戦車道において、紅白戦が開催された。隊長、副隊長それぞれ幹部クラスが不在の元、一般の隊員同士で試合は執り行われた。

 紅白の内訳は以下のようなものだ。

 第六十二回戦車道全国大会を戦い抜いたメンバーが殆どを占める紅組。

 そして、カリエが合宿に連れて行ったメンバーで構成された白組。

 実質、合宿の成果を確かめる試合であることは誰もが理解していた。だからこそ、白組の面々の士気は高く、それを見た紅組は試合前から若干押されているきらいがあった。

 

 試合結果は実に呆気のないものだった。

 

 カリエから紅組の弱点、癖、戦術思考を徹底的に叩き込まれていた白組が圧勝した。

 種を明かせば紅白戦の開催を見越していたカリエが、合宿の最後の三日間を使って対紅組用の戦術を伝えたのである。

 フェアではなかった。

 決して同じスタートラインに立った試合ではなかった。

 だが誰も不平を言わなかった。

 いや、言えなかった。

 

 それがこのチームの、白組の目指す戦車道であることを誰もが理解していたからだ。

 

「……本当に私、カリエさんに合宿を任せて良かったと思います」

 

 戦闘指揮車から紅白戦の戦況を見守っていたみほが零した。エリカも口をこそ開かないが、無言で隣に立っていたカリエの頭をガシガシと撫でていた。

 

「私と言うより、みんなが頑張ったからだよ」

 

 エリカの手で乱れた髪を手で梳きながら、カリエは首を横に振る。

 

「ううん、本当にカリエさんに頼んで良かった。これなら新しい黒森峰としては私たちは戦える」

 

 みほの言葉に、若干の照れを見せたカリエはぽりぽりと頬を掻きながら、ふと視線を空に向けた。

 冬の混じりけのない、澄んだ空が何処までも広がっている。いつか見上げた、敗北に喘いだ夏の空とは何処までも正反対な綺麗な空。

 

「あの時もこれだけ気が回っていたら……いや、もうそれは意味のないことか」

 

 昔の自分と今の自分は何もかも違う。

 けれども昔の自分がいるからこそ、今の自分がいることは間違いなかった。

 いつか来た、後悔だらけの一人きりの道。

 今も後悔がないとは言わないが、それでも共に歩んでくれる人はいる。

 いや、前の時も歩いてくれる人はいた。

 ただその人から勝手に逃げ出して、一人きりだと嘯いていただけだ。

 

 ――もう声は届かないけれど、出来ればあの夏を共にしたエースに、ごめんと伝えたかった。

 

 そして、それと同じように。

 

 今の自分になるきっかけをくれた、記憶の片隅の男の子に彼女は「ありがとう」と言いたかった。

 

 

07/ 

 

 

 それから月日が巡った。

 年が明け、冬が過ぎ、二月の半ばになっていた。

 黒森峰学園艦には、四月からの栄光を掴むため、戦車道履修希望者の中学生たちが大勢受験に訪れていた。

 そんな集団の中、受験生誘導のプラカードを掲げてメガホンを手にした女子生徒が一人いる。

 彼女は銀の髪を揺らしながら、ややテンパった調子で声を張り上げていた。

 

「受験番号210749から210800までの受験生の方、試験会場に案内するので、私についてきてください!」

 

 誰かが「逸見さんだ」と口を開く。

 それに呼応して誰かが「カリエさんだ。本物だ」とやや興奮した調子で続いた。

 まさか自分の名が中学生に覚えられているとは思っていないカリエは疑問符を浮かべながらも、受験生たちの先頭に立って試験会場を案内した。

 

「ええと、それでは実技試験をこれより開始します。この会場は操縦手志望の方を対象にした試験です。こちらが試験車のマニュアルになりますので、目を通しておいてください」

 

 ガレージに並べられたパイプ椅子に腰掛けた受験生たちに、カリエはあらかじめ用意しておいたマニュアルを配布する。一人一人手渡ししていく中、最後の受験生――、210800の生徒の前で彼女は足を止めた。

 何故なら、

 

「……体調が悪いようでしたら試験時間をずらしましょうか?」

 

 カリエの視線の先、誰が見ても真っ青な顔をした女子生徒が座り込んでいた。彼女の名前が「佐久間ナナ」であることを手元のドキュメントボードで確認したカリエはもう一度「大丈夫ですか」と問う。

 女子生徒――ナナは「いいえ、大丈夫です。緊張しているだけです」と手短に答えた。

 だが、どう考えても大丈夫でないことは明白だったので、カリエは視線を屈めてナナの顔を覗きこむ。

 

「無理する必要はありませんよ」

 

「いいえ、無理をしなければならないんです」

 

「……理由を伺っても?」

 

 カリエの視線を受けて、ナナは押し黙った。一秒、二秒と時間だけが経過していく。しかしながら――十秒も経たないうちに、観念したようにナナは答える。

 

「この道しか、私には残されていないんです」

 

 ナナの返答を受けてカリエは「そうですか」と頷いた。それから一拍、何かを考えるかのように視線を斜め上に向ける。

 そして何かを思いついたのか直ぐにナナを見つめ直し、

次に他の受験生を見渡した。

 

「……この道しかないと感じていても、人生、案外他の道は転がっているものです。ここにいる全員が受かるわけではないけれども、どんな結果であれ、それでも今日この日まで歩んできた道は無駄にはなりません。

 大丈夫。皆さんは見たところ、私なんかより余程聡明だから、一度目から違えて腐ることなんてないですよ」

 

 だから頑張ってください。

 

 正直、言葉の意味を真に理解したものは誰もいなかった。しかしながら、確実に救われたものたちはいた。

 ナナ程ではないにしても、緊張に追いつめられ視野が狭くなっていた女子生徒たちの表情は変わっていた。ナナ本人も、青白い顔に少しだけ色を取り戻していた。

 

「まあ、私なんかが受かった試験なんです。気楽にのんびりと挑めば、必ず何かが起こりますよ。もし駄目でも良いじゃないですか。黒森峰以外にも道は無限に広がっているのだから」

 

 言葉はそこまで。

 マニュアルを配り終えたカリエは次の受験者たちを迎えにいくべく、ガレージから去っていった。

 最後にマニュアルを受け取った佐久間ナナは、ただ呆然とカリエが消えていった方角を見つめている。

 彼女はそっと呟いた。

 

「別の道って、ますますこの道を進みたくなるじゃないですか」

 

 その表情は、緊張感を残しながらも、幾分か柔らかいものだった。 


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