抽選会の日程が来週にまで迫ったとき、大洗女子学園は全国大会前最後の練習試合を行っていた。最後と言っても、他には合宿所での対黒森峰戦しか行っていないので、実質的な二回目の練習試合である。
一年生が戦車道に加入することによって編成することが出来た新たな車両も加えて、初回に比べれば随分と充実した戦力で試合に挑むことが出来た。
ただそれで相手に勝つことができるのかどうかという面においては完全に別問題であったが。
神妙な面もちで、角谷杏は対面の秋山優花里に問いかける。
彼女が思い浮かべているのは、敗北を喫してしまった先の練習試合だ。
「さて、聖グロとの練習試合を終えて、我が校は有り難く二連敗を喫したわけだけれども、何かコメントはある? 秋山ちゃん」
最早優花里にとっては、自教室の次くらいには見慣れてきた生徒会の応接室。
幾多の戦車道関連の資料を広げて、優花里は柚子が煎れてくれた紅茶を口にした。
そして二、三秒黙考したのちにこう答えた。
「……控えめに言って大進歩であります。やはり蝶野教官に短期とはいえ集中的に訓練をしていただいたこと、それぞれの車両の役割を周知徹底して望めたのが良かったのでしょう」
優花里が目にしていたのは、先日行われた対聖グロリアーナの練習試合の結果をまとめた資料だった。
敗北と銘打たれたそれらの書類群だが、そこから導き出される結果は優花里にとって決して悲観するようなものではない。
「対黒森峰戦では一両も撃破できないまま敗北してしまいましたが、今回は違います。マチルダⅡ歩兵戦車を二両、クロムウェル巡航戦車を一両撃破できました」
「……特に新加入した八九式で一両やっつけられたのは大きいよね。バレー部の――アヒルチームだっけ」
優花里は書類の山から八九式中戦車について纏められた文面を取り出す。そしてそれを杏に見せた。
「車体が小さいので、立体駐車場に潜むという奇策が使えました。正直、わたくしには思いもよらない作戦でしたが、バレー部の皆さんが八九式中戦車の特性をしっかりと理解し、それを活用したという点において、素晴らしい戦果だと思います」
地形とそのギミックを活かした奇襲。
それは装甲火力に劣る大洗女子学園が格上に対して執るべき最良の策である。
しかもそれを自身の指示なしにやってのけたことが、何よりの収穫だと優花里は鼻息を荒くする。
「成る程ね、順調にチームは成長しているわけだ。いいことだよ」
杏も何か思うところがあるのか、上機嫌に笑って見せた。そしてその笑顔のまま、優花里の眼前に赤い紅茶の入ったカップを突き出す。
「それに加えてさ、秋山ちゃんもちょっとは自信になったんじゃない? どう? グロリアーナ謹製の紅茶の味は」
わざとらしく紅茶のカップをゆらゆらと揺らす杏に優花里は苦笑を漏らした。
そう、今彼女たちが口にしているのは、ダージリンから「将来の強敵」として認められた証である伝統の紅茶なのだ。
普段は滅多に口にしない、飲み慣れていないものなので味の甲乙はよくわからなかったが。
「まあ、ある程度は認められたかなっていう自負はありますけれど、所詮はある程度ですよ。本当のライバルに認定して貰うには、それこそ黒森峰に勝つくらいじゃないと」
けれども、杏の言葉に対する優花里の返答はあくまでも控えめのものだった。確かに健闘を称えられはしたが、結局はそれだけ。
まだまだ強者としてのダージリンの余裕を覆すには至らず、彼女の想像よりも少しばかり上回っていただけだと優花里は考えている。新設の弱小校という殆ど高さのないようなハードルが、少しだけ意識しなければならない程度に伸びただけなのだ。
「ははは、なら私たちの目標はダージリンに認められることかな?」
グロリアーナの女王に認められる――そのフレーズを耳にしたとき、優花里の脳裏に思い浮かんだのは当面の目標になりつつある逸見カリエだった。
「そういえば、ダージリン殿が言っていましたね。カリエさんを目指せって。新設のあなたたちだから目指すことの出来る道なんだって。あれはどういう意味だったんでしょうか」
試合終了後、別れ際にダージリンから告げられた言葉。その意味をあれから少しばかり考えていた優花里だが、まだ答えは出ていない。
杏は干し芋を手の中で弄びながら口を開いた。
「んー、たぶんあれじゃない? 伝統とかそのしがらみとかが一切ない私たちだからこそ、あの戦い方を真似してみろっていうことなんじゃないかな」
成る程、と優花里は取りあえずの納得を見せる。泥臭く相手をマークし、その対策を立てるというものは、口にするのは簡単だが、いざ実行に移すとなると様々な障害が待ち受ける戦法でもある。
特に学校の風俗や伝統を重要視する強豪校ではその傾向が強い。いわゆる汚れ役のメンバーをチームから選び出すことが困難なのである。誰もやりたがらない上に、メンバーを育成することのできる実力者がそもそも存在しないのが普通なのだ。
「だとすれば黒森峰の西住まほ殿が引退したのは、向かい風どころかとんでもない追い風だったわけですね。伝統的な黒森峰の戦法を極めたお姉さんが、自由かつ柔軟な戦法をお持ちの西住みほ――妹さんに隊長職を譲った。これ以上ない、新体制の設立に成功したことになります」
「その通りなんだよねー。あと、逸見姉妹の姉の方、逸見エリカが副隊長になっているのも大きいんだよ。彼女はどちらかというと黒森峰の伝統的な戦法を得意としているから、残された上級生や同級生の不満も最小限に押さえられるってワケ。あくまで柔軟な用兵中心だけれども、伝統を捨てたということじゃないよ、っていうアピールになってるのさ」
周りの学校としちゃ、王者の癖に大補強なんて卑怯としか言いようがない、と珍しく杏が愚痴を零した。
ただその言い分は至極正しいので、優花里も否定はしなかった。
「強豪校のジレンマを上手にかいくぐって、王者としての体制を強化する。でもダージリン殿の言うとおり、これが私たちの当面の行動指針になるかもしれないですね。伝統がないことを逆手にとって、相手に対して有利に立ち回ることのできる戦車道が確立できるかもしれません」
そう言って、優花里は机の上に広げられた書類を片っ端から集め始めた。杏はちらりとカレンダーに目線を走らせたあとに、そんな優花里に声を掛ける。
「あれ? 今日は車両整備だから戦車道はお休みだよね。もっとゆっくりしていきなよ」
「いえ、お言葉は有り難いのですが、ちょっとやらなければならないことがありまして、お先にお暇させて頂きたいのです」
書類をファイルケースに挟み込み、相変わらずの軍用バッグに押し込む。どれだけ重さがあるのか、バッグが置かれたソファーがえらく沈み込んでいた。
「……最近忙しそうだね。無理してない?」
「うーん、そりゃあ体力的には無理してますけど、精神的には楽しくて仕方ないですよ? なんたって大好きな戦車に毎日どっぷりと浸かり込んでいるのですから」
笑顔を見せる優花里の表情は確かに明るく、忙しさにも気力を見いだしているような顔だった。だが杏はきっ、と表情を引き締めると、久方ぶりの年長者らしい雰囲気で口を開く。
「この学校の戦車道はさ、本当に秋山ちゃんが頼りなんだ。だからくれぐれも自分の体調には気をつけて欲しい。しんどいときは、しんどいと言ってくれていいんだよ」
きょとん、と優花里は立ち惚ける。けれどもすぐに顔のパーツを全て線にして笑った。
「もし本当に辛くなったらいの一番に会長に泣きついて見せますよ」
01/
日本全国にこれだけ戦車道を志す人間がいたのか、と衝撃を受けるくらいには、大会の抽選会場は人でごった返していた。
優花里はⅣ号戦車のメンバーである沙織、華、麻子を連れて「さいたまスーパーアリーナ」を訪れていた。言わずとしれた、戦車道大会の抽選会場である。
「生徒会が自衛隊のヘリをチャーターしたときは何事か、と思ったがまさかこんな所に連れてこられるとは」
まだ眠気が覚めやらぬのか、ぼんやりとした眼をこすりながら麻子がボヤく。それに答えたのはころころと笑う華だった。
「ヘリコプターなんて滅多に乗れるようなものじゃありませんし、私は貴重な体験ができて楽しかったですよ」
「確かに! パイロットのお兄さんイケメンだったなー。心なしか私に優しかった気がする!」
「あはは、そうでしたっけ?」
沙織の面喰いな口だけの言葉に、優花里は苦笑を漏らした。この四人と触れ合うようになって数ヶ月。それなりに気心の知れたやりとりが出来るようになってきたのである。
そして早速会場に踏み入れた優花里はええと、と周囲を見渡した。受付で貰った案内用紙を頼りに、会場の人混みをかき分けていく。
「あら、大洗の方じゃありませんこと。この度はごきげんよう」
やっと見つけた大洗女子学園の指定席にたどり着いたとき、その隣に座していたのは聖グロリアーナの面々だった。こちらを先に見つけたダージリンが挨拶を口にする。
ある程度まとまった人数でやって来たのか、大洗組の三倍くらいは生徒が集まっている。
「皆さん、こんにちは。やはりあなたたちも戦車道大会に出られるのですね」
ダージリンに続いて、大洗組に頭を下げたのはやや小振りな身長が特徴のオレンジペコだった。ダージリンの指揮するチャーチル歩兵戦車肝いりの装填手として、今年からグロリアーナに加わった新入生である。
「こんにちは。まさかこんな早くにグロリアーナの皆さんにお会いするなんて思っても見ませんでしたよ」
大洗組を代表する形で優花里が頭を下げた。
「そうね、偶然とはいえ隣席同士。今日は実りのある抽選会にしたいわ」
そう告げたダージリンの目線がある区画を見つめていることに優花里は気がついた。その視線を追っていけば、灰色を基調とした制服に身を包んだ集団が席に腰掛けている。彼女たちから見て右やや前方にいるのは――
「あ、カリエ殿」
優花里の呟きにダージリンは即座に反応した。
「そう、あそこにいるのは黒森峰よ。大会十連覇中の正真正銘の王者。誰もがあそこの動向を伺っているわ」
言われて優花里が周囲を見渡してみれば、少なからずの生徒たちが黒森峰の集団に視線を向けていることに気がついた。
それだけ、十連覇中という看板は参加校に警戒心を抱かせるには充分すぎるものなのだろう。
「大会はAブロックとBブロックに分かれて行うトーナメント式。しかも回を追う事に参加車両が増えていくから、何回戦で試合を行うかによって、立てることのできる戦術も随分と変化していくわ。だからこそ王者と何処で相対するのか決まるこの抽選会は、我がグロリアーナだけでなく、全ての学校が優勝を掴むためにはとても重要な要素なの」
つまり参加車両の少ない一回戦、二回戦の対戦と、車両の多い準決勝、決勝の対戦とでは全く別の試合内容になるとダージリンは告げているのだ。
参加車両が少なければ、黒森峰やプラウダが得意とする、装甲火力で相手を押しつぶす戦法にも穴が生まれやすい。
「ならダージリン殿は黒森峰と早く対戦したいんですか?」
優花里の疑問に、ダージリンはこう答える。
「グロリアーナの栄光のためならそうね。黒森峰に対するディスアドバンテージが最小限で済むから。でも――」
一端言葉を切った彼女の表情は、優花里の背筋に冷たいものを流し込むには充分すぎる様々な感情に溢れた笑みだ。
「私個人としては是非決勝戦で雌雄を決したいわ。そうでないと、昨年から抱くこの気持ち、行き場がなさ過ぎていい加減壊れてしまいそう。まさに『恋は罪悪ですよ、解っていますか』ってね」
「……夏目漱石の『こころ』ですね」
オレンジペコの注釈が耳に届かないくらい、優花里は目の前のダージリンに圧倒されていた。普段は余裕たっぷりに、優雅に振る舞っているだけに、黒森峰に見せる執着心が意外だったのだ。
「負けたことを恨んでいるわけではないわ。寧ろその健闘ぷりには好感すら抱いている。でも人間の感情はそんな二元論で分類できるほど単純じゃないことはあなたならお分かりでしょう?」
ぞわり、と優花里の中の何かが逆立つ。まるでこちらの全てを見透かしたようなダージリンの瞳に彼女は喉を鳴らした。
「あの子はまさに魔性だわ。人を魅了し惹き付けてやまないかわりに、私のようなものに執着心を抱かせる何かを持っている。本当、目に入るだけにこんなにも心がざわめくなんて、恋なのか憎しみなのか自分でもわからないわ。でも、そうね。もしかしたらそれだけ悔しかったのかもしれないわね。昨年の敗戦は」
そのとき初めて、ダージリンが黒森峰ではなく、逸見カリエについて話していることに気がついた。彼女はカリエに対して何かしらの執着心を抱いているのだ。
「あら、もうこんな時間ね。グロリアーナの抽選の時間になってしまったわ。それじゃあ秋山さん、私はこの辺りで」
まるでそれまでの愛憎が嘘のように、ダージリンはその場を後にした。どうやらオレンジペコだけを伴って、抽選の壇上へと向かったらしい。
「ねえねえ、ゆかりん。私たちもそろそろなんじゃない?」
呆けながら二人の後ろ姿を見送っていた優花里に沙織は声を掛ける。確かに時計を見てみれば、グロリアーナの次の次くらいには大洗の順番が回ってくる計算だ。
優花里は「そうですね」と案内の書類を手にして、客席を立った。
「不安なら私もついていこうか?」
「いえ、大丈夫です。わたくしひとりでも」
ダージリンの初めて見せる迫力に気圧されたことを見抜いているのか、沙織が気をつかった。
けれども優花里は、不思議と平気そうにしている自身のメンタルに気がついていた。
「強がりでも何でもなく、何でしょう? 意外と大丈夫なんですよね。もしかしたらダージリンさんの気持ち、少しわかっちゃうかもしれないですね」
けろっと笑う優花里を見て、沙織は眉尻を下げた。だが彼女が優花里に直接問うことは出来なかった。
カリエさんへの好感に共感したのか、悔しさに共感したのか、ゆかりんはどちらなの? と。
02/
優花里が引いた番号は七番。直後のサンダース大学附属高校の代表であるケイが引いた番号は八番だった。
それはつまり、大洗女子学園の初戦の相手が、サンダース大学附属高校であるということを表していた。
あちゃー、と客席の上の方で沙織が額に手を当てているのが見えた。まだ黒森峰と聖グロリアーナは確定していないが、それらを除けば最悪と言っていい巡り合わせだ。
けれども優花里は客席の沙織たちに比べれば幾分か前向きだった。
「確かにいきなり強豪校相手ですけれど、幸い一回戦です。圧倒的な物量で攻めてくるサンダースの特性が活かされにくい、我々に有利な条件とも考えることが出来るんです」
自分に言い聞かせるように、優花里はぶつぶつと呟いた。
彼女の言うとおり、車両数が十両までに制限されている一回戦はサンダースにとって持ち味を活かしにくい状況だ。そこにつけ込めれば、と優花里はすぐさま本番への構想を練り始めた。
その最中、沙織から連絡でも受けたのか、早速生徒会から抽選結果に関する連絡が届く。
メールの差出人は桃で、文面は以下のようなものだった。
どうしてお前はそんなにクジ運が悪いんだ!
どうやら動揺しているのは沙織だけではないようだ。
これは宥めるのに骨が折れそうですね、と優花里は冷や汗を流す。
取りあえずはサンダースの数の有利を縮めることが出来るんです、と返そうとした時、前方から彼女は声を掛けられた。
「優花里さん、やっぱり来てたんだね」
見ればカリエがひらひらと手を振ってこちらに歩いてきていた。周囲を見渡せば、いつの間にか自分が参加校控え室のすぐ側まで戻ってきていることに思い至る。
そこまで自分は思考に没頭していたのか、と少しばかり反省した。
「はい、まさか生徒会から大会出場の許可を頂けるとは露ほども思っていなかったので、正直びっくりです」
「そうかな? そちらの会長さんはこういったお祭りが好きそうに見えたけれど」
久し振りの再会だったが、二人の会話は進んだ。
どこか波長が合うのか、出会った数は少なくても意気投合の領域に差し掛かっている。
「そういえば、カリエ殿が抽選されるのですか? そうだとしたらそろそろステージの方に赴かれた方が宜しいかと」
「いや、うちの隊長――みほがもう引きに行ってる。あの子、クジ運あんまり良くないからちょっと心配なのだけれど」
カリエの「みほ」という言葉に、優花里のテンションが急上昇した。
「ま、まさか本物の西住殿がこちらの会場に来ていらっしゃるんですか!」
ずいっ、と詰め寄ってくる優花里に若干顔を引き攣らせながらも、カリエは何とか答える。
「優花里さんの言っている西住は確かにうちの隊長だから、たぶんそうだと思う」
鼻息を荒くしながら、優花里は「サインとか頂けないですかね!」とカリエにさらに詰め寄った。カリエもカリエで、有名人のサインを欲しがる心理は重々理解していたので、どうどう、と宥めながらもこう提案した。
「ならみほが帰ってくるのをここで待てばいいよ。でもペンと紙は持ってるの?」
「はい、こんなこともあろうかと、ペンとノートは常備しているんです!」
言って、何処からともなく優花里は本当にそれらを取り出した。一体何処にしまっていたんだ、とカリエは優花里の周囲をぐるぐると回るが、答えが出ることはない。
だが、ある事実に気がつく。
「優花里さん、そのノート結構ボロボロだね」
カリエが指摘した通り、優花里の持っているノートはページの所々が禿げ、破れを補修した跡もあった。
何となく自分が持っている「自戒ノート」に似ているそれを見つけて、カリエは興味を募らせていた。ちなみにカリエのノートには女子としての振るまい方や、戦車道の気がついたこと、エリカの小言が記録してある。
「はい、実はこれ小学生の時から使っているノートなんです。ページが足りなくなったら少しずつ継ぎ足しているので不格好なんですけれど、わたくしの好きな戦車などについて書いてあります!」
へえ、とカリエは関心の声をあげた。
「とは言っても、また使い出したのは最近なんですけどね。小学校の時にちょっと使って、あとは結構ほったらかしだったんです」
えへへ、と照れ顔を見せる優花里を見て、カリエはさらに関心を深めていた。
優花里の言っていることが真実だとすれば、そのノートの傷たちは最近生まれたものであり、それが意味するところは一つだからだ。
「……頑張っているんだね、優花里さん」
「いえいえ、好きだから出来ているんですよ。それに、わたくしの頑張りなんて黒森峰の方々にくらべれば遊びみたいなものですよ」
優花里の謙遜に「いいや」とカリエは首を横に振った。
「そんなことはないよ。頑張りに貴賤なんてあるわけがない。それにあなたは一回目なのにそこまで自分の好きなことに真摯に向き合っている。それは大切なことだからこれからも頑張って欲しい」
一回目? と優花里は首を傾げた。しかしながらカリエがその疑問に答えることはない。
「残念。それは私の最大にして最高の秘密だから」
前世の記憶があって、しかも男で、野球バカだったなんて信じてもらえる筈がなかったが、カリエがそのことを口にする機会ははおそらく一生ない。
何故なら彼女は決めているからだ。
この人生を、この道を後悔なく歩んでみせると。
優花里はそれがカリエなりの冗談だと思ったのか、けらけらと笑った。
「意外と面白い方なんですね。カリエさんって。戦車道雑誌とか見ていると、クールビューティーの深淵知謀の策士って紹介されてますけれど」
「あれかなり恥ずかしいからやめて欲しい」
本気で顔を赤くするカリエに、これは珍しいものを見た、と追い打ちを掛けようとする優花里だったが、それはすんでの所で回避される。
二人のツーマンセルのような掛け合いに、遠慮がちに声を掛ける人物がいたからだ。
「あのー、カリエさん。その人は?」
カリエと優花里が振り返る。するとそこには最早見慣れた隊長が、もしくは雑誌の中でしか見たことのない憧れのその人が立っていた。
「に、西住どの!」
優花里が飛び退き、慌ててノートをぺらぺらとめくり出す。どうやら白紙のページを探しているようだった。
みほを見定めたカリエは「助かった」と感謝しながら、優花里がサインを欲している旨を伝えた。
「えー、私のサイン!? そんなもの価値あるの?」
「価値があるないじゃないんです! わたくしが是非欲しいんです! お願いします!」
ずいっ、と頭を下げながらノートを突き出すという、器用な真似をする優花里を見て、みほが困惑の声をあげる。
カリエもカリエで、サインくらいしてあげなよと催促したものだから、みほは顔を真っ赤にしてペンを握った。
「あ、そういえば!」
どのようなサインにしようかと眉根を寄せて悩んでいる最中の事。突如として声を出したみほにカリエは「何?」と問うた。
「いえ、さきほどエリカさんたちから連絡があって、横浜で一度合流しないかってお誘いが合ったんです。上の隊員の人たちの予定を確認して、誰が横浜に向かうか聞いておかないと……」
みほの懸念に、カリエは「大丈夫」と答えた。
「私が先に上がって予定を纏めておくよ。学園艦に直帰する隊員は先に帰しておくから安心して」
そう言って、カリエはその場をあとにした。
二人取り残された優花里とみほは顔を見合わせる。
「カリエ殿って頼りになりますね」
「うん、頼り過ぎちゃうくらい」
控えめに笑うみほを見て、いつの間にか普通に会話が出来るようになっている自分を、優花里は見つけた。
戦車道を始める前にはあり得なかった自分に驚かされ続ける毎日である。
「ええと、秋山さんだったっけ?」
「あ、はい。でもどうしてわたくしの名を」
「カリエさんがよく話してくれるんだよ。新設なのにとても頑張っている隊長がいるって」
じんわりと、胸の内に広がる暖かいものを優花里は感じた。そして先ほどダージリンに感じた共感めいた感情の正体に何となく思い至る。
「やはりカリエさんには好感以外の感情が持てませんね」
自分とダージリンは部分的には同じでも、全てがそうでないと言うことを、改めて確認していた。
03/
クジを引いたのは西住みほだった。彼女の手にした白いボールを目にした瞬間、会場からは歓喜の声と悲鳴が同数あがった。
歓喜の声は黒森峰と別ブロックになった学校から。
悲鳴は同じブロックになってしまった学校からだった。
「あら、おかしいわね。喜びの声と嘆きの声、逆だと思うんだけど」
言って、ダージリンは自身が引き当てた番号を見る。それは、順当に行けば黒森峰と準決勝で対戦することになる番号だ。
隣に着席したオレンジペコが「それはダージリン様だけですよ」と小声で囁いた。
「だって決勝でもないのに、王者黒森峰に挑むことの権利を得られたのよ。これを喜ばずして何を喜ぶの。まあ、本当は別ブロックになって決勝で当たるのが最良だったのだけれど、次点でよしとしましょうか」
それが本心から言っていることを知っているオレンジペコはますます困り顔で囁く。
「今のお言葉、絶対OG会の前では言わないでくださいね。よくも悪くも、黒森峰の名前は皆さんの冷静さを奪っていってしまいますから」
後輩の忠言を受けたダージリンはふっと笑みを零して「そろそろ帰りましょうか」と席を立った。
「あなたの言うとおりだからこそ、私はあなたとローズヒップをこの学園に呼んだのよ。あなたはあの学校と私たちの因縁に囚われていない。だからこそあの学校に対する切り札になり得るわ」
ダージリンが帰還の姿勢を見せたからか、他のグロリアーナの隊員たちも帰宅の準備を始める。
「さて、大洗の方々に挨拶を――ってあら? 秋山さんはまだ戻ってきていらっしゃらないのかしら」
ふと隣席を見れば、優花里を除く三人が席に着いたままだった。ダージリンの視線に気がついた沙織が慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「ごめんなさい。ゆかりんたらまだ帰ってこなくて」
「いえ、いいのよ。秋山さんにもよろしく伝えておいてくださいな」
気品ある笑みを見せ、ダージリンはその場を去る。
客席から通路に出て、隊員たちを引き連れながら会場の出入り口を目指した。
するとその途中、いつか見た人影がこちらに歩いてくるのに気がついた。
ダージリンと人影、両者の足が止まる。
「あ、ダージリンさんだ。こんにちは」
ぼんやりとした三白眼。されどもその心中を中々察することの出来ない不思議な翡翠色の瞳。
黒森峰女学園の副隊長の一人である逸見カリエだった。
カリエの姿に気がついたダージリン以外のグロリアーナの隊員たちに動揺が走る。
オレンジペコが何かを口走りそうになるが、ダージリンが後ろ手で制した。
「ごきげんよう、カリエさん。お姉さんはお元気かしら?」
ダージリンの挨拶にカリエは「うーん」と唸る。
そしてやや間を空けてからこう答えた。
「元気すぎてちょっと疲れるくらいですね。エリカったらちょっと摘み食いしただけで烈火の如く怒るんですよ」
「あら、それはあなたのことが可愛いからよ。彼女、とても妹思いだから」
妹思い――そうダージリンに告げられた時、カリエは若干頬に赤を入れて照れて見せた。
「まあ、そうかもしれませんね」
確固たる姉妹の絆。それを見てダージリンは「羨ましいわね」と微笑んだ。
「私もあなたのような妹がいたら毎日が楽しいでしょうに。……ではカリエさん、グロリアーナはお先に失礼させて頂くわ。月並みで陳腐な言葉だけれども、次は準決勝でお会いしましょう」
言って、ダージリンは歩みを再会した。カリエも「はい。さようなら」と会釈を一つしてすれ違うように歩いていく。
やがてカリエの姿が見えなくなった頃合いにぽつりとダージリンが口を開いた。
「カリエさん、私のラッキーベルを身につけてくれているのね」
ジェスチャーで首もとのアクセサリーを形作るダージリンにオレンジペコが答えた。
「はい。あれは確かダージリン様が贈られたんですね」
「ええ、そうよ。あの子にお詫びと健闘祈願を掛けて贈ったの。でもどうしましょう。少し意地悪なジョークを思いついてしまったわ」
ダージリンが時折見せる、少し茶目っ気のある悪戯心が隠し切れていない表情。
「ねえ、オレンジペコ。イギリスではね、ベルの首飾りは――」
その時、オレンジペコはグロリアーナに来て初めて、ダージリンの事が恐ろしいと思った。
茶目っ気はそのままに、けれども瞳の奥にどろりとした複雑な感情を密かに讃えて彼女は嗤ったのだ。
「自分の溺愛する飼い犬につけるものなのよ」
こんなの書いておいてあれですけど、ダー様はガルパンキャラで二番目に好きです。
一番はもちろんエリカですけど。