黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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何度でも言います。私はダー様が好きです。


秋山優花里の戦車道 09

 黒森峰女学園戦車道に参加している全ての車両にはホワイトボードが備え付けられている。

 真っ白なボードの上にフィールドの地図を貼り付け、様々な色の磁石で戦況をリアルタイムに確認するための機材だ。

 通信手同士が自車の位置、敵車の位置を逐一報告しそれぞれで更新していくのである。

 このホワイトボードは元々、エリカとカリエの車両だけに積まれていた装備だった。

 姉妹揃って学園艦のホームセンターに赴き、私費で購入していたものである。姉妹同士の位置把握に勤めるために用意したというのが、本人達の弁だった。

 それに注目したのが、黒森峰の新隊長に就任した西住みほである。

 彼女は何かの拍子にエリカの車両に乗り込んだときにそれを見つけた。

 常々、姉妹の連携が緻密すぎる事に気が付いていた彼女は、直ぐさま戦車道予算で全車両分のそれらを購入。訓練に導入したのである。

 元来、黒森峰の隊員達の力量は高く、ホワイトボードなしでもかなりの連携を得意とはしていたが、緻密さといえばまた話は別だった。

 みほが隊員達に求める連携のレベルは遙かに高度なものであり、隊員の単純な練度では補いきれないレベルに差し掛かろうとしていたのである。

 導入の結果は良好だった。

 さすがに双子の阿吽の呼吸と言うべきか、逸見姉妹のそれには適わないものの、かなりの精度を持って車両同士の連携が成されるようになっていったのである。

 この疑似C4Iとも言うべきシステムの、公式記録において一番最初の犠牲になったのは知波単学園であった。

 

 

01/

 

 

『……みほ、突撃を失敗(``)させたわ。今現在、街道を南に離脱中。後続の小梅から知波単の奴らが追いかけてきてるとの報告も上がってるけど問題はなさそうね』

 

『了解しました。被害状況を教えて下さい』

 

『被撃破なし、大破なし、中破は――見かけだけなら一両、実質ゼロ。小破3』

 

 隊長と副隊長のやり取りに耳を傾ける黒森峰の隊員達。彼女たちは今後の作戦の段取りを何度も頭の中に反芻させながら、その時を待つ。

 たとえ王者としても、決して払拭する事の出来ないある一種の緊張状態の中、泰然としていたのはもう一人の副隊長である逸見カリエだった。

 彼女はキューポラから頭だけ出して外の様子を伺い続けている。

 

「ねえ」

 

 体勢はそのまま、口だけを開く。車内にいた隊員達は何か不測の事態でも生じたのかと、冷や汗を垂らした。

 だが――、

 

「喉渇いた。水頂戴」

 

 ひらひらと車内で揺らめくカリエの白い手。その緩慢な動きに乗じるように、車内の空気が弛緩していく。

 良い意味で緊張感とは無縁の副隊長兼車長の姿に、パンターの隊員達は溜息を吐いた。

 

「ほんと、副隊長っていつも通りですよね。私なんて、昨日は緊張で中々寝付けませんでしたよ」

 

 装填手の呆れたような声色にカリエは意外だ、と反応した。

 

「そうなの? 私は東京ドーム・ラビッツ名場面集を見てたらいつの間にか寝てたよ。郭のホームランが凄いんだ」

 

「たまに副隊長っておじさん世代のお話をしますよね」

 

 狭いキューポラの円の中で、カリエがぶんぶんと器用に素振りする。最早微塵も残されていない緊張の空気すら恋しくなって、隊員達は互いに顔を見合わせる。

 

「……変に緊張しても仕方ないんだよ。私たちはやれることはやって来たんだ。あとはそれを信じてやるだけ」

 

 言って、彼女は車長席に沈み込んだ。

 沈み込んで、通信手の脇に置かれたホワイトボードを見る。自軍と敵軍の位置関係が逐一更新されていくそれを見て「そろそろか」と呟いた。

 徐に咽頭マイクを掴んだ彼女は、後方に待機している隊長たるみほに話しかけた。

 

「みほ、そろそろこちらも出る。エリカには流れ弾に当たらないよう、全速力でキルゾーンを駆け抜けるように言って」

 

『馬鹿ね、全車通信なんだから聞こえているわよ。まあ駆け抜けるのは了解ね。パンター共の砲弾の雨なんて、さすがにティーガーⅡでも御免被るわ』

 

 即応したエリカに続いて、落ち着いた声色でみほが答える。

 

『はい、了解です。くれぐれもカリエさんはフラッグ車なので気をつけて下さい。万が一、ということも考えられますので』

 

 みほの心配を受けて、カリエは「大丈夫だよ」と笑った。

 その万が一が起こらないように、今日まで研鑽を積んできた。つまらない油断なんかして、敗北を喫してやる気など毛頭ない。

 ただ勝利を掴むため。

 カリエとて王者黒森峰の一員としてこの一年を過ごしてきたのだ。

 ふっ、と体中の余分な力を抜くように息を吐き出した。そして前方、双子の姉がいるであろう方向を翡翠色(エメラルド)の瞳でしっかりと見据える。

 いつだって共に戦ってきた、この世界で一番信頼できる存在がそこにいる。

 しかもそれに加えて――、

 

『カリエ小隊長、こちらも準備整いました。全車いつでも出れます』

 

 無線から聞こえてくる仲間達の声。冬から共に成長し続けて来た可愛い手駒達。

 姉に対する全幅の信頼とはまた違った、戦友としての信頼を抱く事の出来る彼女たち。

 カリエの浮かべた笑みは、間違いなく戦車道に対する楽しさを讃えた笑みだった。

 

「待機中のチームヒドラに伝令。”(チハ)が釣れた” 繰り返す”(チハ)が釣れた”」

 

 少しばかり弾んだ、けれども淡々とした指示。だがそれで充分だった。それだけで茂みに潜んでいた蛇の首(ヒユドラ)たちは満足する。

 それぞれ思想も信条も違う。けれども全てが黒森峰と敬愛する副隊長の栄光を願う、多頭の蛇。

 

「全車前進。ここで試合を決める」

 

 カリエの宣言が合図だった。至る所にアンブッシュしていた5両のパンターが、エンジンを唸らせて一斉に前進を開始する。

 彼女たちの前方には、ジグザグに走行するティーガーⅡとパンター、そしてⅢ号戦車が出現していた。

 

「タイミングは完璧。友軍に対する誤射だけには気をつけて。発砲タイミングはそれぞれに一任」

 

 パンターの砲身がこちらに疾走を続けるティーガーⅡの後方に向く。カリエがキューポラから身を乗り出してみれば、同じような体勢のエリカと目が合った。

 彼女は手信号を駆使し、戦況をカリエに伝える。

 

「チハが5、うち最後尾の車両がフラッグ車だそうです」

 

「エリカの報告が正しければそのフラッグ車は逃げ足が速い。一度逃がすと、こちらから追いかけるのは骨が折れる。折角釣り上げたんだ。大事に食らいついていこう」

 

 通信手の解読にカリエは答え、自身も手信号を送った。あまり綺麗な手信号ではなかったが、稚拙なそれでも姉のエリカには伝わったようだった。

 カリエの意図を汲み取って見せたエリカがティーガーⅡの進路を思いっきり右に切る。街道から外れて、荒れ地に突っ込んでしまったが、戦車の踏破性能を持ってすればさしたる障害にはなり得ない。

 急停止したティーガーⅡが急いで砲塔を180度旋回させたのと同時、土煙を携えて彼女たちは現れた。

 

「吶喊――!!」

 

 相変わらずの威勢の良さだと、カリエは安心した。対戦校になり得る学校の能力、伝統、戦術は一年もの間、心血を注いで研究してきたのだ。今更路線変更でもされようものなら、その徒労感は想像するに難くない。

 

 知波単学園。

 

 突撃を良しとし、相手の懐に飛び込む戦術を得意とする学校。

 その吶喊精神は状況にマッチすれば脅威となり得るが、そうでなければ進路予測のし易いただの的だ。

 

「副隊長、発砲許可を」

 

 カリエの足下に座した砲手が発表許可を具申する。カリエは敵軍との彼我の距離差をじっと見つめて、ややあってその肩をとん、と叩いた。

 

 轟雷が街道に吹き荒れる。

 

 待機していた5両のパンターに加えて、敗走を装っていたティーガーⅡとパンター、Ⅲ号戦車その全ての砲身が火を噴いた。

 余りの大火力に一瞬で知波単学園の先陣を切っていた九七式中戦車が大破する。

 

「次」

 

 カリエの指示を聞くまでもなく、装填手が素早く次弾を装填。次なる砲火を吐き出した。即座に穿たれた砲弾は3両目の九七式中戦車を吹き飛ばし、撃破の白旗を天高々と掲げさせる。

 雷のように連続して降り注ぐ砲弾から逃れるべく、1両の九七式中戦車が後退を見せた。

 カリエが素早く双眼鏡でそれを見定めれば、フラッグ車を示す青い旗が砲撃の熱と爆風による風にはためいている。

 

「不味い、逃げる気だ。佐久間さん」

 

 それまで静かに事の成り行きを見守っていたナナが「なんでしょう?」とカリエに振り返る。

 

「逃がさないで」

 

 指示は単調かつ明瞭。けれども佐久間ナナは水を得た魚のように、「はい!」と返した。

 彼女が操縦桿を握り、アクセルを噴かせれば45トン超の車重を感じさせない軽やかさで、パンターが潜んでいたバンカーから飛び出す。

 

「カリエ!」

 

「相手は1両、このまま仕留める! エリカは援護を!」

 

 横を駆け抜けていく妹に、エリカは目を剥いた。だが直ぐに表情を引き締めると自車の砲手にパンターの援護射撃を命じる。

 

「九七式の足を封じなさい」

 

 さすがは黒森峰と言うべきか、突然のオーダーにもティーガーⅡの砲手は迅速に答えてみせる。直撃とまでは行かなかったが、王虎のアハトアハト砲がチハの足下を穿ち、その車体を激しくバウンドさせた。

 最初の加速を妨害されたチハに、急加速したパンターが肉薄する。

 互いの車長の顔が識別できるような距離まで近づいたとき、カリエは相手の正体に凡その見当をつけていた。

 

 西絹代 二年生 現知波単学園 副隊長

 

 必死にこちらからの壊走を図る黒髪の美人。

 彼女は確か吶喊一筋の知波単内において、それなりに慎重派だった、とカリエはプロフィールを脳内から引き出す。

 だとしたら、知波単らしくない撤退の判断もあり得ると一人納得していた。

 

「副隊長、すいません! 速度が速すぎて狙いが!」

 

 彼女を思考の海から引き上げたのは、砲手の進言だった。彼女の言うとおり、ほぼ最高速度を記録しているパンターの主砲が同速度のチハを捉える事は困難である。

 無駄弾を撃たせるくらいなら、とカリエは砲手を宥めた。

 

「大丈夫。佐久間さん、あのチハに思いっきり体当たりして」

 

 何気なく告げられるカリエの言葉。これが一昔前なら、誰かが反対するか、反対しなくとも狼狽えていただろう。とくにナナは忠誠心と恐怖心の狭間に揺れ動いていた筈である。

 だが今は違う。

 今の黒森峰は少し違う。

 

「わかりました。逸見副隊長は突入角度の指示をお願いします」

 

 カリエが何も言わなくとも、ナナを除く全員が車内の持ち手にしがみつく。しかしその表情に恐怖心はない。ただ、自分たちの車長の突拍子もない指示が楽しいと言わんばかりに笑みすら浮かべていた。

 そしてナナもカリエからの信頼に歓喜し、嬉々としてパンターを操作した。

 

「良し、方向そのまま。五秒後、対ショック体勢」

 

 カリエが宣言したとおりの時間差で、パンターがチハの左後部を突き上げた。

 圧倒的な車重差に突き上げられて、チハがブリキのおもちゃのように転げ回る。

 さすがに衝撃が重すぎたのか、やがて回転を止めたチハは黒煙を吹き出して被撃破の白旗を吐き出した。

 何処か遠くで、試合終了を告げる空砲が鳴る。

 

「いたた、乗員怪我は?」

 

 たとえ車重で勝っているとしても、それなりの衝撃を受けたパンターもダメージを受けていた。走行不能というわけではないが、OVMと機銃対策に備え付けたサイドスカートが脱落している。

 車長席に腰を抜かしたまま、カリエは車内を見渡した。

 

「乗員4名、全員怪我はありません――って副隊長! そのおでこ!」

 

 カリエの呼びかけに答えた通信手が悲鳴をあげた。何事か、とカリエが額に手をやってみればぬるりとした嫌な感触が手に伝わる。

 ハッチから差し込む光に照らされたそれは鮮やかな赤色だった。

 どくどくと流れ出す血がカリエの足下にいくつかの飛沫をつくっていた。

 乗員達は一瞬でパニックに陥った。

 

「ふっ、副隊長! 死なないで下さい!」

 

 操縦席から身体を乗り出し、ナナはがっしりとカリエの胴体にしがみつく。

 普段は余り弱音を吐かない性分の彼女だが、ことカリエの事になると冷静さを失ってしまうきらいもあるのだ。

 万力のようなホールドを受けて、カリエは「うぐっ」と呻いた。

 

「西住隊長、逸見エリカ副隊長! カリエ副隊長が負傷しました! すぐに大会本部に連絡を!」

 

 しかも直ぐさま通信手が全隊通信に状況を報告したものだから、黒森峰陣営は勝利の余韻に浸る事もないまま、大騒ぎになった。

 

『わかりました! すぐに救護車両を呼び寄せます!』

 

『今からそっちに向かうから安静にさせて!』

 

 後方のみほが救護の要請を飛ばし、近くに待機していたエリカのティーガーⅡがパンターに横付けした。キューポラから飛び出し、パンターに飛び乗ったエリカは車内から妹を引き上げる。

 

「大丈夫? 気持ち悪いとかない? 私の顔、ちゃんと見える?」

 

 パンターの天蓋の上にカリエを寝かせ、自身のタンカースジャケットが汚れる事もいとわずに額の血を拭ってやる。

 珍しく涙目で、いそいそと看病をしてくる姉に、カリエは口を開きかけて辞めた。

 

 額の傷はぶつけたんじゃなくて、キューポラの角で擦って切っただけだよ、と言える雰囲気ではなくなっていたのだ。

 

 なまじ血管が集中しているものだから、ちょっとでも切り傷を作ると重傷のように見えてしまうのが額だ。軽傷で済んで運が良いのか、いらぬ勘違いをさせて運が悪いのかわからないな、とカリエは溜息を吐いた。

 

「ああもう! 早くしなさいよ!」

 

 到着しない救護車に苛立ちを見せるエリカが視界の片隅に映る。

 冷静さを失っている姉を気遣ったのか、カリエはそっと彼女の袖口を握りしめた。

 そして「大丈夫、切っただけ」と意を決して報告しようとしたが、その健気に見える動作は完全に逆効果だった。

 いつもなら茶々すら入れてくる妹が、緩慢な動きで袖を握ってきたのである。エリカの顔はさーっ、と青ざめ、ついにはボロボロと泣き出してしまった。

 焦ったのはカリエだ。

 ほぼ一年ぶりに姉を泣かしてしまった、という事実がカリエの胸を押しつぶし、事の顛末の告白を躊躇わせてしまう。

 カリエは冷や汗を垂らしたまま、押し黙った。

 正直に話して周囲を宥めようという解決策を諦め、知らない振りを決め込んだのだ。

 もう何も聞こえない、何も見えないと言わんばかりに目を閉じ周囲の声を無視し、狸寝入りを始めたのである。

 その行為が火に油を注ぐ最悪の選択である事を考えもせずに。

 

「うわあああああああ、ふくたいちょー、しっかりしてくださああああああああい!!」

 

「ちょっと、カリエ! もうすぐ救護車が来るから頑張って! お姉ちゃんがここにいるから!!」

 

 

02/ 

 

 

「というわけで、黒森峰対知波単の一回戦の詳細ビデオだよ。黒森峰は撃破された車両ゼロ。知波単は10両全て全滅。いやー、知波単学園もそれなりの実力差なのに、やっぱここ頭おかしいわー」

 

 ぱたぱたと夏の熱気を払拭するべく、杏は扇子を仰いだ。彼女の目の前には、いつもの優花里ではなく、あんこうチームの残りの三人が雁首揃えて腰掛けている。

 

「あのー、これとゆかりんの行方に何の関係があるんですか?」

 

 生徒会応接室備え付けのテレビで動画を視聴させられていた沙織が疑問の声をあげる。他二人は黙ってはいたが、その心の内は沙織と同じものだ。

 つまり、ここ二日もの間、学園から忽然と姿を消してしまった秋山優花里の事を案じているのである。

 

 事の始まりは二日前の放課後だった。

 

 連日続く暑気を払拭するべく、アイスクリームでも食べにいこうと沙織が提案したのである。

 幸い戦車道の授業もなく、放課後がフリーだった華と麻子は即座に賛成し、優花里も誘って四人で食べにいこうと話がまとまった。

 そうと決まればと、二年C組を訪ねてみたのだが、そこにいた優花里の同級生から彼女が欠席している旨を伝えられたのだ。

 大洗女子学園の戦車道素人を纏めるべく、東西に奔走している優花里のことだ。無理が祟って体調を崩してしまったかと、三人は心配し、放課後の行き先をアイスクリーム屋から秋山優花里の実家に変更した。

 いざその家を訪ねてみれば、優花里の父親が大層感激し、母親も落ち着いてはいるが娘の友人の来訪に喜びを隠せていなかった。けれども肝心の優花里は家を出払っていると二人は答えたのだ。

 母親の好子曰く、

 

「何でも生徒会から頼まれて出張に行ってるみたいで。公欠扱いになるから心配しないでって、優花里は言ってましたけれど」

 

 申し訳なさそうに頭を下げる好子に三人は慌て、

「これからも優花里をお願いします!」と土下座まで始める父親――淳五郎を何とか宥めて、それぞれ優花里の実家である「秋山理髪店」をあとにした。

 そしてその日は解散し、翌日に何があったのか優花里を問いただそうと決めたのである。

 しかしながら、優花里は翌日も学園に現れなかった。

 連絡をするように送った三人のメールにも返信はなく、いよいよ音信不通が浮き彫りになってきたのである。

 そこで強硬手段として、好子が口にした「生徒会からの頼まれ事」を追求するべく、三人して生徒会室に殴り込みを掛けていたのだ。

 だが三人に対する杏のリアクションは、一本のDVDを見せるというものだった。 

 

「角谷生徒会長、いくら何でもおふざけがすぎると思います。私たちは本当に優花里さんを心配しているんです」

 

 普段はおっとりとしていて、大和撫子のように温厚な華が凄みを利かせた。その態度だけで、彼女の心中が穏やかでないことを周囲は察する。ただ他の二人もほぼ似たような心境であった。

 

「生徒会が何かを秋山さんに命じたことは、彼女のお母さんから教えて貰っている。そんなに隠さないといけないようなことなのか」

 

「そうです! あんまりはぐらかされると、ゆかりんのお父さんとお母さんに告げ口しちゃいますからね!」

 

 時間が経つ度に怒気を強めていく三人に、杏は「困ったね」と苦笑した。側に控えていた桃は若干涙目になり「かいちょー」と情けない声を漏らす。ただ柚子だけが落ち着いた調子で杏に返した。

 

「……今朝方の連絡通りならそろそろです」

 

「うーん、いくら秋山ちゃんとの約束とはいえ、そろそろ限界なんだよねー。もうバラしちゃおっか」

 

 杏が三人に向き直り、口を開き掛けた。

 その表情は、先ほどまでのへらへらしたものではなく、至って真剣な、何かを覚悟したかのようなものであった。

 杏の只ならぬ雰囲気に飲まれたのか、三人が「ごくり」と喉を鳴らす。

 

「実はね、秋山ちゃんは――」

 

 ばん。

 

 杏の言葉は応接室の扉を勢いよく開け放たれる音にかき消される。何事か、と三人が振り返ってみればそこには人影が一つ。

 

「不肖、秋山優花里、ただいま帰還いたしました! ……あれ、皆さんお揃いですが何かあったのですか」

 

 そう。まさに揉め事の渦中だった、秋山優花里が立っていたのである。

 

 

03/

 

 

 ぽかぽかと、沙織が優花里の肩を叩いた。

 

「もー、本当に心配したんだからね! 何で連絡の一つもくれないのさ!」

 

「あはは、それに関しては誠に申し訳ないです。ちょっと込み入った事情がありまして。……ていうか武部殿、装填手も兼任されている筋力で叩かれると結構痛いです」

 

「いいぞ、沙織もっとやれ」

 

「ええ、ちょっとくらいは痛い目にあって貰いましょう」

 

「どうか御慈悲をー!」

 

 先ほどまでとは打って変わって、生徒会応接室の雰囲気は明るいものに変わっていた。柚子が煎れた紅茶を全員で楽しみながら、優花里の報告にそれぞれが耳を傾けている。

 

「いてて、本当にすいませんでした。でも、諜報活動を行う上で情報の守秘は必要だったんです。他校に潜入活動を気取られてしまうと全て台無しですから」

 

 ぺこぺこと頭を下げる優花里に、ようやく手を止めた沙織が問いかける。

 

「でもサンダースではついにバレちゃったんでしょ。大丈夫なの?」

 

 彼女たちが囲むテーブルの上には数冊のファイルが鎮座している。それぞれサンダースの隊員のプロフィールや保有車両、それに全国大会に向けた編成のデータが纏められていた。

 そして黒森峰対知波単を写していたポータブルDVDプレイヤーにはサンダース内部で優花里が撮影してきた映像が常時流されている。

 

「まあ、あちらの隊長の気質、思想を鑑みればたぶん大丈夫だと思います。随分フェアプレーを重視されるというか、アメリカンな思考の方なので、敢えてそのままぶつけてくる可能性が高いです」

 

 程良い温度まで冷えた紅茶を啜りながら、優花里はテーブルの上のファイルをめくった。

 

「相手の戦力はシャーマンを中心に、ファイアフライを1両加えた編成になりそうです。正直装甲火力ではこちらと天と地ほどの差がありますが、何とかやりようはあると思います」

 

 優花里の瞳は、僅かながらも存在する勝利の可能性をしっかりと見ていた。いつもはニコニコと、幸せそうに戦車と触れあっているというのに、この時ばかりは沙織がどきりとするくらいには鋭い視線だった。

 

「まあ、一回戦からここと当たったのはある意味僥倖だと思うよ。数で押す戦術が得意でも、一回戦は10両までしか試合に参加できないし、うちとの戦力差も自動的に縮まるからね」

 

 杏の言葉に優花里は頷く。

 

「黒森峰対知波単の試合を観戦してきましたが、一回戦から黒森峰と戦わされるのは不運としか言いようがなかったです。それぞれが高い練度を有した学校では、参加車両数が少ない分、より連携が強固になって手が着けられなくなりますから」

 

 優花里の言葉に、ようやく合点が言った、と華が手を叩く。

 

「成る程、私たちが見せていただいた黒森峰の試合映像も優花里さんが撮ってこられたものなんですね」

 

「ええ、会場が埼玉と隣県だったので日帰りで観戦してきました。黒森峰のデータはいくつあっても足りませんから」

 

 何でもないことのように笑う優花里だが、華はとんでもない、とその手をぎゅっと握った。突然の華の行動に、優花里は頬を染めてたじろぐ。

 

「優花里さん、あなたは少し頑張りすぎていると思います。私たちの戦車道の隊長ばかりだけでなく、他校の試合分析まで……。このままじゃいつか必ず倒れてしまいますよ。だから、私に手伝えることがあったら何でもおっしゃってください。生憎、母とは係争中で、実家の力は使えませんが、私個人の力ならばいくらでもお貸しします」

 

 戦車道という、華道と対極に位置する武道に参加したため、華は実家から勘当を言い渡されていた。決して精神的には穏やかではないだろうに、それを表に出さない彼女に優花里はいつも感心し、感謝している。

 

「いえ、無理は本当にしていないんです。わたくし、毎日が本当に楽しくて、辛いと思ったことは一度もありません。他校の偵察も私が言い出したことですし、生徒会の皆さんはむしろよく支援してくださっているんです。それに五十鈴殿に武部殿、そして冷泉殿がいらっしゃるからこそ、わたくしは頑張れるんです」

 

 優花里の言葉に、「それでも」と華は続けた。

 

「そう思ってくださっているなら、尚更私たちの事をもっと頼ってください。折角のお友達なのですから、優花里さんと共に、私、戦車道を頑張っていきたいと思います」

 

 優花里がふと周囲を見渡してみれば、沙織や麻子だけでなく、杏と柚子、そして桃までもが五十鈴の主張に頷いていた。

 いつの間にか、自分のことを案じてくれる人がこれだけ増えていたことに、優花里の瞳は熱くなる。

 

「ぐすっ、わたくし皆さんと出会えて本当に良かったと思います。本当に、戦車道を始めて良かった」

 

 だからこそ、と優花里は華の手を逆に握り返す。

 

「やるからには全力でやりきりたいと思います。新設で強豪校の足下にも及ばないかもしれませんが、だからこそ勝つことに対する欲求は誰にも負けません!」

 

 優花里のあまりにも強い手の力に華は驚いた。そしてふと思う。この力強さこそが、今までの自分の人生で足りていなかったものかもしれないと。

 

 そして華はさらにこう考える。

 

 この力強さを、もっと間近で見てみたい。そのために、サンダースに絶対勝って、もっと優花里と戦車道をしてみたいと。

 

 運命のターニングポイントがあるとしたらこの時だった。

 

 もしこのとき、優花里が華の手を握り返していなかったら華の戦車道に対する決意は違ったものになっていたのかもしれない。

 やるからにはそれなりに全力で取り組むが、結局はそこまで。五十鈴華最大の武器である並外れた集中力が限界を超えて発揮されることはなかっただろう。

 だが運命は定まった。

 戦車道に対する決意を固めた人物が、優花里の隣に一人増えたことによって、大洗女子学園の栄光ある歴史が始まりを告げたのだ。

 第63回戦車道全国大会。

 その一夏の大会において、一つの伝説を築き上げる無名の高校戦車道が、今産声をあげた。

 

 決勝戦まで、およそ一ヶ月と少し。

 少しずつではあるものの、あるべき結末に向けて、それぞれが動き出していた。

 

 

04/

 

 

「運命は浮気者。こんな格言はご存じ?」

 

「いや、ごめんなさい。知らない」

 

「かの有名な悲劇、シェイクスピア作、『ロミオとジュリエット』の台詞よ。カリエさん」

 

 大会負傷者が収容される医務室の一角、ベッドに寝かされたカリエの元に、来訪者が訪れていた。

 赤いタンカースジャケットを着こなしたダージリンである。

 

「たまたま同じフィールドが試合会場でしたから、こうしてお邪魔させて頂いたわ。それで、体の加減はいかが?」

 

 ぽすっ、とカリエのベッドの縁にダージリンが腰掛ける。そしてそのまま手を伸ばし、包帯の巻かれた額と髪を静かに撫でた。

 脇腹の辺りにダージリンの重さと体温を感じながら、カリエは答える。

 

「切っただけって言っても誰も信じてくれないし、医者も念のため今日は入院っていうから気持ちの方が滅入りそう。エリカなんてあとから体当たりしたことを怒鳴り散らしてくるし。……でも、ダージリンさんが来てくれたから、ちょっと役得かも」

 

「あら、それはどういう意味かしら?」

 

 くすり、と零される優雅な微笑み。

 ああ、これだとカリエは返した。

 

「いや、ダージリンさんて基本的に綺麗でお淑やかで、私の目指すべき人って感じがしてなんか安心する。目標としている人に構ってもらえて嬉しい、とかそんな感じ」

 

 カリエの人生は、常々女子らしさ、というものに悩み続けてきた人生だった。もちろんエリカも目標としていたが、さすがに十七年も一緒にいるとそれも変化していく。

 今では目標と言うよりも、共に歩み成長していくべき存在となっていたのだ。

 だからこそ、新しい理想の女性像としてカリエが掲げているのが、聖グロリアーナ女学院の女王であるダージリンなのである。

 カリエの返答を聞いて、ダージリンは意外そうな表情を浮かべた。

 

「あら、それは光栄な事ね。誉れ高い逸見姉妹のあなたからそんな風に思われていたなんて」

 

 ほら、その顔。とカリエは言い掛けて口をつむぐ。ころころと笑うその美しさに見蕩れてしまいそうだとは口が裂けても言えなかった。

 

「でもそしたら私とあなたはおあいこね。私もあなたのことを目標としているのよ?」

 

 それこそ意外だ、とカリエは惚ける。

 だがダージリンは「いいえ」と首を横に振った。

 

「あなたのその人を惹きつけて止まない力、是非私にも欲しいわ。それくらいの魅力があればOG会を相手取るのなんてさぞかし簡単でしょうに」

 

 なんだ、そんなことか、とカリエは安心の息を吐いた。

 吐いて、魅力なんて大それたものは持っていないと否定する。

 けれどもそれは、ダージリンのさらなる否定に上書きされてしまった。

 

「本当、あなたは自分が危ないバラである事を自覚するべきだわ。その青さで人を虜にし、その棘で絡め取ってしまう。あなたの無自覚な行動全てで、どれだけの人が哀れ逃れられなくなったことか」

 

 さらり、とまた髪を撫でられた。その手つきが優しく、心地が良いので、思わず目を瞑ってしまう。

 

「大丈夫よ、カリエさん。お休みなさっても」

 

 声は眠気を誘う魔法だった。

 元々試合に疲れていたのと、普段とは違う環境に張っていた気が急速に緩んでいく。

 カリエが静かな寝息を携えて動かなくなるのは、あっと言う間だった。

 

「……さて、わたしも戻りましょうか。オレンジペコとアッサムには少し無理を言ってしまったことだし」

 

 誰もいない病室。ダージリンはそっと身を乗り出してカリエの枕元の読書灯に手を伸ばした。

 せめて余分な光源くらいは止めてやろうという純粋な気遣いである。

 淡い光は断ち切られ、月の光だけが射し込む薄暗い空間が生まれた。ダージリンが体重を移動したためか、カリエが「ううん」と身じろぎした。

 その時、彼女の首もとが銀色に光った。

 何事か、とダージリンが見てみれば、そこにはいつか贈ったシルバーのラッキーベルが月明かりを受けて輝いている。

 

 理性の枷が砕かれる音がした。

 

 ダージリンの体が、腕の下のカリエに向かって降りていく。

 彼女自身、カリエに抱いている感情の正体はまだ理解していない。余りに大きすぎる愛しさも、それに勝るとも劣らない憎しみも同時に渦巻いているから。

 だがこの瞬間、

 たった今この瞬間だけはその感情の比重が傾いていた。

 それはつまり愛しさ。

 間違いなく、この時だけはカリエに対する愛しさが勝っていた。

 

 静かな寝息が繰り返される唇がダージリンの瞳に写る。 この唇が紡ぐ言葉が、自分たちの栄光を砕き続けて来た事実を今更ながらに意識した。

 憎しみはわかなかった。

 それどころか、その事実すらも愛おしく感じながら、ダージリンはそのまま腕の力を抜いていった。

 二人の陰が、月明かりの下で一つに重なっていく。  




好きですってば

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