黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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秋山優花里の戦車道 10 

「あんた、人の妹に何やってんのよ」

 

 万力どころではない、それこそ握りつぶさんばかりの力の強さでダージリンの肩が掴まれた。

 常人ならば悲鳴では済まない握力。

 だが彼女はその痛みにも表情一つ変えることなく、ゆっくりと振り返る。

 

「……あら残念。怖い怖いお姉さんに見つかってしまったわ」

 

 カリエの唇と触れあう寸前だったダージリンがそっと起きあがる。彼女の視線の先には、声こそ押し殺しているものの、射殺さんばかりの目線を送るエリカがいた。

 控えめに言っても、激怒を通り越している。

 

「あまり口汚いことは言いたくないんだけれど、敢えて言わせて貰うわ。ぶち殺すわよ」

 

「それは宣戦布告かしら。受けてたとうかしら。……でも場所が悪いわね。あなたもこの可愛らしい寝顔を壊したくないでしょう?」

 

 言われて、エリカはダージリンと共に医務室を出る。

 その間、互いに無言。

 ただ言いようのない圧力だけが、二人を支配していた。

 人気のない屋外まで連れ立った時、先に口を開いたのはダージリンだった。

 

「こんな言葉をご存じ? 『人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえ』って」

 

「ふざけんじゃないわよ!」

 

 エリカがダージリンの(えり)(もと)を掴みあげた。

 暴発寸前の怒りを何とか押し止めて、握り込んだ拳は止まってはいる。だがその震えは激しく、何か一押しあれば誰にも止められないというところまで来ていた。

 

「ふざけてなどいないわ。私は真剣よ」

 

「いつものように煙に巻けると思ってんなら大間違いよ。人の妹にいつまでもちょっかいを掛けて、そんなに負けたことを根に持ってんの? 馬鹿じゃない? あんた」

 

 エリカの侮蔑と挑発が混じり合ったような声色。しかしダージリンはあくまでも冷静だった。

 いや、というよりも感情の希薄な、冷たい瞳を(たた)えて、エリカを見る。

 

「……あなた、本気で言ってるの? だとしたら馬鹿はあなたよ。肉親という地位に胡座(あぐら)だけ掻いて、のうのうと生き続けている大馬鹿者よ」

 

 爆発した。すんでの所で拳を平手に変えたのは、カリエの顔がちらついたからだった。

 良くも悪くも、ダージリンのことを尊敬していると公言している彼女がいたからこそ、エリカは(いち)(まつ)の理性をつなぎ止めることが出来た。

 平手を受けて切ったのか、(くち)(はし)から小さく血を流しながらダージリンは続ける。

 

「それとも、気がついてはいるが、敢えて知らないふりをしているだけかしら。まだ数度しか直接話したことのない私でも気がついているんですもの。十数年、共に暮らしてきていたあなたが気がつかないわけがないわ」

 

 咄嗟(とっさ)にやめろ、とエリカは叫んだ。

 彼女はダージリンが言わんとしていることを察してしまっていた。

 ダージリンのことは文字通り殺してやりたいくらい嫌っているが、その洞察力は認めている。彼女の化け物染みた勘の良さというものを知っていたのだ。

 だがダージリンは止まらない。エリカの叫びをむしろ愉悦に感じ、端的に言い放った。

 それはエリカにとって死刑宣告にも等しい言葉だった。 

 

「……カリエさんはね、器と中身が一致しない人間なのよ」

 

「やめろ! それ以上言うな!」

 

 再びエリカがダージリンに掴みかかった。その表情は先ほどまでの怒りではない。エリカらしくもない、怯えの表情だった。

 だがダージリンは一歩も引かない。

 それどころか逆にエリカに詰め寄って見せた。

 

「あの人の中身は女性ではないわ。必死に取り繕い、周囲に擬態して見せてはいるけれど、その本質は男性よ。体と心が一致しない、特異な人なの」

 

 襟もとを握りしめた手から力が抜ける。エリカの全身から力が奪われていく。

 気がつかないふりをしていた、見ないふりをしていた事実が残酷なまでに突きつけられる。

 

「私も最近ようやく気がついたわ。自分があの子の何に惹かれているのか。あの子の周りの人間が何に惹かれているのか。あの子にはカリスマなんてない。それこそ、西住さんやあなたの方がそれに溢れている。なのに人々は、彼女の周りの女性は皆あの子に一定の好意を抱いている」

 

 不思議でしょ? とダージリンは嗤った。

 エリカは「やめてくれ」といつの間にか懇願すらしていた

 されども、グロリアーナの女王は無慈悲に、冷徹に、ただ己の主観を言い切って見せた。

 

「……男の子なのよ。どうしようもないくらいに。行動、言動、無意識の動き、そのそれぞれが全て男性を感じさせるの。あの子は生まれるべき器を違えてしまった、哀れなお人形なのよ」

 

「人形なんかじゃない!」

 

 再びエリカが食ってかかった。ダージリンはそれを真っ向から受け止めて、反論する。

 

「人形よ。あなたたちがそうなるように縛り付けているんでしょ? あなたはあの子の自由意志を尊重したことがあるの? あなたたちはあの子の男性を認めてあげたことがあるの? 姉妹の絆のような綺麗事で()()()()にしているのではなくて?」

 

 ついにエリカが折れた。

 それまで気がつかないふりをしていた不都合な事実を全て指摘された事によって、彼女は膝をついた。

 

 カリエの中身が男性であることなんて、十数年前から気がついていた。

 体と心がすれ違っていることなんて、否が応でも意識させられていた。

 けれども彼女には妹でいてほしくて、愛らしい妹で欲しくて、エリカはそれを願い続けていた。

 そして幸いなことに、カリエも姉の願いに応えるべく努力してきていた。

 そんな妹の健気さに甘えてきたことはエリカには否定できない。

 ダージリンの主張はまさしく(せい)(こく)を射ていたのだ。 

 

 今度はダージリンがエリカに()(べつ)の視線を向ける。

 そして勝ち誇った声音で告げた。

 

「私はあの子の全てを受け入れるわ。だってそれが愛なんですもの。私はあの子の男性を愛し、全てを受容して見せる」

 

 エリカは何も返せなかった。

 カリエの男性を受け入れると宣言したダージリンを否定することが出来ずに、押し黙ってしまった。

 反抗の牙すら抜けてしまったか、とダージリンはエリカに対する興味を急速に失っていく。

 彼女はこの問答を終わりにするべく、トドメの一言を口にした。

 

「最後に一つ。私は戦争と恋愛には手段を選ばないわ。このまま、あなたたち姉妹の物語を綺麗事で片づけてやるつもりなんてさらさらない。それだけは覚悟しておくことね」

 

 ダージリンが去っていく。

 

 止めなければ、

 妹を守らねば、

 もう一度でもぶん殴って、妹から引き離さねば、

 

 自分がするべき事をエリカは理解していた。けれどもどれだけ願おうと、一度折れた膝は易々と動いてはくれない。

 カリエに対する自らの欺瞞をダージリンに見抜かれて、彼女は妹を守ってやることの意義を完全に見失っていた。

 

 そして何より。

 

 逸見カリエがダージリンに憧れ以外の感情を抱きつつあることをエリカはとっくの昔から知っていた。

 

 ダージリンについて話すたびにはにかみ、頬を染め、恥じらいを見せる妹を見てきたのだ。

 

 銀のラッキーベルを肌身離さず身につけ、試合のたびに握りしめている妹の姿を見せつけられてきたのだ。

 

 一回一回は些細な傷だった。

 でもそれが少しずつでも刻まれるたび、エリカは確かに痛みを感じ、ついにはそれが膿んで、もう取り返しのつかないところまで来ていた。

 その感情を理解し、癒やしてくれるものは誰もいない。

 最愛の妹ですら、エリカではなくダージリンにその視線を向けている。

 隣には立ってくれている。いつも寄り添ってはいてくれている。

 けれども互いに見つめ合う関係ではない。エリカの自分だけ見て欲しいという願いには応えてくれない。

 

 よりによって。

 

 世界で一番大好きな妹は、世界で一番憎い相手に恋をし始めていたのだ。

 

 

01/

 

 

 サンダース大学附属高校 対 大洗女子学園。

 

 その組み合わせを見たとき、万人の殆どかがサンダースの勝利を予想していた。

 優勝候補の一角である強豪校と、無名の新設校ではその試合結果など火を見るよりも明らかなものだったからだ。 だが――、

 

「……もしかしたらもしかしたらだけども、優花里さん、やってくれるかもしれない」

 

 黒森峰の学園艦。

 その艦の一角、戦車道チームが拠点を置くガレージの片隅のモニターに数人の生徒が集まっていた。

 栄えある黒森峰の隊長である西住みほ。そして彼女を支える双子姉妹である逸見エリカとカリエ、さらにはチームのまとめ役が板に付いてきた赤星小梅である。

 みほは大洗に(ことごと)く裏をかかれ続けるサンダースを見て、あることに思い至った。

 

「どうやら大洗側はサンダースの盗聴に気がついたようです。しかもサンダースはそれを逆手にとられていることに気がついていません」

 

 彼女が分析したとおり、サンダースは万全の勝利を手にするため大洗の無線を盗聴していた。いくらレギュレーションで禁止されていないからといって、推奨される行為ではない。だが大洗はそれを大会運営に抗議するのではなく、偽の情報を流してサンダースを(かく)(らん)することに利用したのだ。

 

「よし、そのまま包囲を抜けてフラッグ車の後ろを取って」

 

 特にカリエは(ほう)(がん)(びい)()気質なのか、それとも何かしらの思い入れでもあるのか、どことなくそわそわと戦況を見守っている。エリカが落ち着きなさいよ、と諫めるもののその効果は微々たるものだ。

 

「サンダースのフラッグ車が燻り出されました。慌てて本隊が援護に向かっていますがこれは……」

 

 みほが手を口元に当てて冷静に状況を観察する。恐らく四人の中では一番戦況分析の能力がある人物だ。他の三人は静かにみほの解説に耳を傾けた。

 

「ファイアフライの大きな砲声を聞いても大洗の部隊は浮き足立っていません。下手な練度の学校だと、それだけで隊列を乱してしまいます。――まるで最初からその存在を予想し、入念に対策を取っているかのような」

 

 ちらりとみほの目線がカリエに向けられた。まだ包帯は取れていないものの、随分と回復した様子の彼女である。

 カリエは何故自分に視線が注がれているのか、いまいち理解していなかったが、エリカと小梅は「確かにどこぞの誰かにやり方がよく似ている」と納得を見せていた。

 

「それにこのⅣ号……操縦手と砲手の能力が素人離れしていますね。カリエさん、彼女たちは経験者なんですか?」

 

 みほの興味はⅣ号戦車に移っていた。黒森峰レベルとまではいかないものの、その練度は高く、他校の実力者を想起させるような働きぶりだ。

 そんな車両だから数少ない経験者でも乗せているのか? と疑問に思ったのだ。

 カリエはそんなみほの疑問に「いや」と首を横に振った。

 ただ、「けれども」と補足を加える。

 

「前に練習試合をしたときから、このⅣ号の練度は高かったよ。多分天性の才能とかそんな感じ」

 

 思い出すのはⅣ号戦車との最後の撃ち合い。タイマンに持ち込まれたその操縦技術と、ピタリとパンターの側面に砲身を合わせて見せた技量は並外れたものだった。

 みほもカリエの賛辞がお世辞ではないことを見抜いており、「凄いですね」と関心を漏らしていた。

 

「成る程、これだけの技量を整えてくる学校です。隊長も素晴らしい指揮をする人なんでしょう」

 

 みほがそう感想を述べたそのとき、画面の向こう側で試合終了の空砲が鳴り響いていた。どちらが勝利したのか、カリエが身を乗り出して確認する。

 

 主審である蝶野亜美が宣言した言葉は「大洗女子学園の勝利!」だった。

 

「フラッグ車をⅣ号が狙撃しての勝利。まさかサンダースが一回戦で敗退するなんて……」

 

 信じられないと言わんばかりに、小梅が驚きの声を上げた。けれどもそのリアクションが普通であることを、その場の全員が理解している。

 世紀の番狂わせが、今この瞬間、リアルタイムで巻き起こっていたのだから。

 

「今年の大会も一波乱も二波乱ありそうです。昨年から一年間、やれるだけのことを万全にやって来たつもりですが、今まで以上に気を引き締めた方が良いかもしれません」

 

 テレビの向こう側の、強豪校に対する思わぬジャイアントキリング。その渦中に自分たちが陥らないという保証はないのだ。

 みほの言葉はそれぞれ三人の総意でもあった。

 

「そういえばカリエさん、次の私たちの対戦相手は決定したんですか?」

 

 観戦を終え、並べていたパイプ椅子をさあ片づけようか、というそのとき、みほはカリエに問うた。

 カリエは脇に除けていたタブレット端末をすらすらと操作し、戦車道大会のホームページを開く。

 トーナメント表を辿り、今日の午前の試合結果を確認して、彼女は答えた。

 

「ええと、これは継続高校かな?」

 

 

03/

 

 

 紙一重だったと、優花里は息を吐いた。緊張の糸が切れ全身が()(かん)する。ずるずると車長席からずり落ちていくと、いつの間にか通信手兼装填手の沙織に支えられていた。

 

「ゆ、ゆかりん……」

 

 けれども彼女も唇が震えていた。いや、唇だけでなく全身が震えていた。

 さらに足下の華も、その下の麻子も信じられない、といった面もちで優花里を見ていた。

 優花里は何とか弛緩している体に鞭を打ち、車長席をよじ登る。そしてキューポラから恐る恐る顔を覗かせて、遙か遠方で黒煙を吐き出しているシャーマンの姿を確認した。

 ふらり、と気が遠くなるような思いがした。

 

『大洗女子学園の勝利!』

 

 いつか自分たちの教官を務めてくれた蝶野亜美のアナウンスがフィールドに響きわたる。

 これは出来の悪い夢なんじゃないだろうかと優花里は目一杯自身の頬を抓りあげていた。

 

「ゆかりん、勝ったよ! 私たち勝ったんだよ!」

 

 Ⅳ号戦車の乗員の中で、一番最初に正気を取り戻した沙織が優花里に抱きついた。続いて華が喜びの声をあげ、麻子が「よし」と小さく頷いている。

 

「おめでとう! ナイスファイトだったわ。オッドボール軍曹!」

 

 後ろから追いつけていた数両のシャーマンたち。その中の一両がⅣ号戦車に横付けし、車長たる人物がⅣ号戦車の飛び移った。

 彼女は優花里の姿を見定めると、開口一番謝罪を口にする。

 

「そちらの無線を盗聴していたことは謝罪するわ。でも彼女を、アリサを許してあげて。あの子はどうしても勝ちたいと強く思いすぎていたのよ」

 

 腰が抜けている優花里を引き上げたのは、サンダースの隊長であるケイだった。彼女はそのはつらつとした笑顔を振りまきながら、優花里に祝福の言葉を贈り続ける。

 

「でも、無名の新設校とは思えない素晴らしい指揮だったわ。あなた戦車道経験者なの?」

 

 ケイの疑問に、優花里はぽりぽりと頬を掻きながら答えた。

 

「いえ、目標とする人を精一杯真似しただけです」

 

 そう、と何処か納得したようにケイは笑った。その笑顔をあまりの眩しさに、優花里はこの人のことも出来る限り見習いたいと思った。

 

「例え真似だとしても、その戦略眼は本物だったわ。無線の盗聴に気がついた洞察力、そこから逆算的に戦術を組み立てることの出来る思考力、それらを支える試合前の綿密な事前偵察。――何より、チームの仲間のことを信じて指揮することが可能なあなたの人徳、それらは何物にも代え難い、戦車乗りにとって必要な武器よ」

 

 そのとき初めて、優花里は認められた、と思った。

 これまでカリエやダージリンは優花里のことを誉めてくれていた。けれどもそれはあくまで勝者の余裕からであり、敗者を気遣った言葉でもあった。

 

 だが、ここにきての初勝利。

 それに加えて、相手の隊長からの心からの賛辞。

 

 その二つが揃って初めて、優花里は自身の戦車道に自信を持てた。

 この道が間違っていないと、やっと認識することが出来た。

 

 ありがとうございますと、震える声とぼやける視界でケイに頭を下げていた。

 

「あらあら、その涙はとても尊いものね。あなたのその戦車道、何処まで行けるか最後まで見たくなってきたわ。そして叶うことなら、またいつか熱いゲームを繰り広げましょう」

 

 最後にがっちりと力強い握手をかわして、二人は別れた。

 後方からファイアフライに撃たれたⅣ号戦車は自走が不可能だったので、戦車回収車を待ち、自走可能なケイたちはそのまま自分たちの陣地に戻っていく。

 小高い丘の上に一両取り残されたⅣ号戦車の天蓋の上で、優花里は一人横になった。

 涼やかな風が流れていくのを全身で感じながら、何処までも高く広がる空を見上げる。

 

「ゆかりん?」

 

 いつまでも車内に戻ってこない優花里が気になって、沙織が声を掛けた。だが応答はない。

 どうしたのか、とその顔を覗き込んでみれば小さな寝息を立てて優花里は眠っていた。

 一瞬、起こそうかと沙織は手を伸ばしたが、その手をすぐに引っ込める。

 

「……昨日も夜遅くまで、ずっと作戦を考えてくれていたもんね。お疲れさま、ゆかりん」

 

 自分が着ていたタンカースジャケットの上着を、そっと上から掛けてやる。

 

 戦車回収車が現れる気配はまだない。

 でも今はそれでいいんじゃないかと、沙織は小さく微笑んだ。

 

 

04/

 

 

「前衛が全滅。残っているのは私たちだけだって」

 

 操縦手を担当しているミッコと呼ばれている少女がボヤいた。その背後では砲手と装填手を兼任している少女――アキがどうしようと(うろ)()えている。

 二人が背後に視線を送れば、車長席で静かにカンテレを演奏する車長がいた。

 彼女――ミカは演奏の指を止めることなく、詩人のように(うそぶ)く。

 

「なるようになるさ。元々絶望的な戦力差があることはわかっていたこと。それならば私たちの戦車道を最後まで貫くべきだと思わないかい?」

 

 掴み所のない、詩歌のような言葉。それを彩るのは遠くから飛来するドイツ戦車たちの砲弾。

 

「いやいやいや、戦力差とかもそうだけれど、状況がすでにやばいのよ。徐々に向こうも距離を詰めていてこのままだと包囲されちゃうよ?」

 

 完全に落ち着きをなくしてしまっているアキにミカが微笑む。

 

「なら、それを楽しむまでさ。ミッコ、よろしく頼むよ」

 

「ほいほい合点!」

 

 彼女らの搭乗するBTー42がグレーの排煙を吹き上げる。ミッコがアクセルを吹かせば、その機動性を裏切らない快速ぶりで、包囲を縮めつつある黒森峰に突進した。

 

「ミッコ、右」

 

 パンターの照準が合わせられたことを察知したのか、ミカが極簡潔に指示を跳ばす。それだけでBTー42は驚異的な運動能力で、75ミリ砲の一撃をかわしてみせた。

 

「アキ、そういえば黒森峰で二匹の蛇をパーソナルマークにしているのは誰だっけ?」

 

 左右に砲弾の雨を浴びながらもミカは一切動揺しない。それどころか「今気になった」と言わんばかりにアキに問いかけをする余裕さえあった。

 何とか黒森峰の中戦車相手に砲戦を演じていたアキが、呆れながらも律儀に答える。

 

「噂の逸見姉妹だよ! ティーガーⅡならエリカ、パンターならカリエ!」

 

「そうかありがとう。なら、あそこでフラッグをはためかせているのは、妹のカリエさんなんだね」

 

 へ? とアキが妙な声をあげる。ミッコもミッコで、「嘘お」と珍しく目を丸くしていた。

 何故ならミカが宣言したとおり、彼女たちの進路上には黒森峰のフラッグ車たるカリエのパンターが座していたためである。

 

「まさか向こうがミスったのかな! こんなにフラッグ車が突出しているなんて!」

 

 これはチャンスだと言わんばかりにアキが榴弾を発砲、パンターの視界を一時的に封じた。

 ミッコも降って沸いた好機に、嬉々としてBTー42を突撃させる。

 ただミカだけが(たい)(ぜん)と振る舞っていた。

 

「なに、風が運んでくれたのさ。これは単なる偶然。これを必然として遂行できるのは私の妹くらいなものさ」

 

 だがさすがは王者黒森峰。フラッグ車たるパンターもただ者ではない。BTー42が脅威であると認識したのか、全力で後退を始めた。まるで後ろに目が付いているかのような、神業のような機動にミッコが感嘆の息を吐く。

 

「……珍しいね、ミカが実家の話を持ち出すなんて」

 

 重量級の砲弾を何とか担ぎ上げ、装填を繰り返すアキがふと呟いた。

 ミカはカンテレの演奏の手を止めて、「いや」と首を横に振る。

 

「別に忘れているわけではないよ。義務も責任も期待も全て妹に押しつけて逃げてきたことはそれなりに申し訳ないと思っている」

 

 パンターの反撃が始まる。

 直撃こそはしていないが、幾つかの75ミリ砲弾がBTー42の装甲を掠め、車内を激しく揺らした。

 砲弾を持ち上げていたアキがふらつき、倒れ込みそうになった。それをミカは背後からしっかりと支えてやる。

 ミカはそんなアキの耳元でこう(ささや)いた。

 

「あちらの姉妹のあり方を見ていると、こっちの方がいくぶんかマシかな、と考えたのさ」

 

 

04/

 

 

 遂にパンターの砲弾がBTー42の履帯を吹き飛ばした。これで何とか戦況を押し返した、と砲手が安堵の息を吐く。

 だが車長であるカリエはすぐさま叫んでいた。

 

「クリスティー式だ! 佐久間さん、全力で再び後退! 装填手は次弾装填、砲手は発砲待機!」

 

 果たして、カリエの指示は正しかった。履帯を失った筈のBTー42が先ほどよりも遙かに高機動で動きを再開したのだ。

 車輪だけでも自走することの出来るBTー42は、履帯を破損させても撃破判定とはならない。

 一瞬の油断の分だけ動きが遅れたパンターの死角にBTー42が回り込む。

 

「ギアチェンジ! 前進切り替え!」

 

 最早足による意思伝達は遅いと、カリエは持てる限りの全力の声量を出す。パンターのエンジンに幾ばくかかき消されてしまうものの、ナナの耳には届いていた。

 ここに来て、モータースポーツと共に歩んできた彼女の人生経験が役に立っている。常に何かしらのエンジン音を耳にし続けた彼女の聴覚は、人の声を正確に聞き分ける術を持っていたのだ。

 そしてその技能が黒森峰を救った。

 

「副隊長、次は!?」

 

 急発進したパンターの後部装甲をBTー42の砲弾が通り抜けていった。あと一秒でも反応が遅ければ、ラジエーター部分に直撃していただろう。

 

「くそ! 素早すぎる! 一時離脱! チームヒドラはこっちに戻るな! 同士討ちの危険がある! 継続の残りの車両の奇襲を警戒しろ!」

 

 無線を受けた全員が驚くような、乱暴な言葉遣いだった。良くも悪くも、いつも淡々としている副隊長らしくないと、皆が感じた。

 けれどもカリエはある一種の懐かしさを覚えている。

 むしろ昔はこちらが自分だったと、緊迫感の中の加速された思考の中で笑っていた。

 久々の男言葉だった。

 この場にエリカがいたらどやされるだろうな、と自嘲すら漏れる。

 いつも被っている女の子のメッキはやはりメッキで、追いつめられたらこの有様だ。

 

「副隊長、発砲許可を!」

 

 動き回るBTー42に射線が重なることを受けて、砲手が具申した。だがカリエはそれを即座に却下する。

 

「駄目だ! 向こうはこちらの装填のタイミングを狙っている! 撃っちゃ駄目だ!」

 

 がん、とパンターの車両が揺さぶられた。侵入角度が浅かったため弾きはしたが、BTー42の砲弾が装甲と衝突した衝撃だ。

 まずい、とカリエはキューポラの縁を握りしめた。

 これはまだ直感の部類ではあったが、ナナの操縦の癖が読みとられつつあると感じたのだ。

 先ほどからこちらの軌道の先回りをするようにBTー42が動き回っている。こんな化け物、継続にはいなかった筈だ、と唇を噛んだ。

 

「ちょこまかちょこまかと! 忍者か、お前は!」

 

 砲手の苛立ちも限界だった。カリエの命令を無視して発砲することなどありえないが、冷静さを欠いている今、咄嗟の指示に対応できない可能性も出てきている。

 全てが全て、自分が不利な状況に追い込まれていることを、今更ながらカリエは意識した。

 そして久方ぶりに相見える強敵を恐れた。

 

 

05/

 

 

「いける、いけるよミカ!」

 

 先ほどよりもさらにハイペースに、それこそ驚異的なスピードで装填を繰り返すアキが明るく口を開いた。

 ミッコも口数は少ないが、徐々に手繰り寄せている勝利の予感に心を躍らせている。

 

「……確かにそうだね。妹さんだけなら私たちの勝ちだ」

 

 ミカのカンテレの演奏も佳境に差し掛かっていた。そのリズムが装填、操縦のタイミングを無意識下にコントロールしている。

 遂に一発の砲弾がパンターの装甲に接触した。動揺したのか、目に見えて動きが鈍る。

 

「いくら王者でも人の子ってね!」

 

 その隙をミッコが見逃す筈もなく、急加速を以ってBTー42がパンターに接近した。装填時間の都合上、無駄弾を撃つことの出来ないパンターはその接近を結果的に許してしまう。

 

 いける、とアキが砲身の発射レバーを握り込んだ。

 射線の先に、無防備なパンターの側面装甲が映る。

 

 ミカのカンテレの演奏が終わった。

 

 

06/

 

 

 会場に轟いたのは、『Bブロック第二回戦 黒森峰女学園の勝利』というアナウンス。

 砲撃の白煙覚めやらぬ中、BTー42とパンターの間に、一つの巨体が横たわっていた。

 

「……ちょっと目を離した隙に何してんのよ。あんた」

 

 装甲の一部を大きく欠損しながらも、致命傷は免れていたティーガーⅡの天蓋にその人は立っている。

 カリエはBTー42を撃ち抜いた砲手に労いの言葉を一つ投げかけて、エリカの手を取った。

 

「助かった。エリカが割り込んでくれたから、こちらの砲撃が間に合った」

 

「珍しいわね。あんたらしくない試合運びだったわ」

 

「……卓越した個人技の前では、対応しきれない状況もあるということだよ」

 

 そこまでカリエが口にしたとき、撃破されたBTー42から人影が出てきた。エリカが警戒心をむき出しにして、カリエの前に立とうとするが、カリエはそれを手で制する。

 

「やっぱりあなたに阻まれたね。個人技だと、どうしてもこういった素晴らしい連携には適わない」

 

 カンテレを脇に抱え、チューリップハットを被った不思議な生徒だった。カリエはその容姿、言動を元に正体を割り出そうとするが、完全なアンノウン、つまり彼女の事前調査から漏れきった生徒だった。

 

「初めまして。訳あって名を名乗ることが出来ない無礼を許して欲しい。どうしても不便ならミカと呼んで貰いたいな」

 

 差し出された手をエリカは渋々取った。カリエもそれに続く。

 

「君たちが逸見姉妹か。噂に違わぬ凄腕だね。お姉さんの到着にはもう少し余裕があると踏んだのだけれど、見通しが甘かったみたいだ」

 

「あなた、本当に継続の生徒?」

 

 つらつらと言葉を述べるミカを遮るように、カリエが口を開いた。エリカが普段らしくもない妹の様子に驚きを見せるが、カリエは引かなかった。

 ミカの視線が少しばかり鋭くなる。

 

「……それはどういう意味かな」

 

 カリエは怯まない。

 

「言い方を変えようか。あなた、いつから継続の生徒になったの? 四月に編成を調べたときは、あなたの名も姿もそこには見受けられなかった」

 

 ふふっ、とミカが微笑む。

 

「これは一本取られたかもね。まさかウチの生徒の全員を調べ上げたのかい? だとしたら君はお母様や妹よりもよっぽど恐ろしい存在だ。うまいこと、世間を隠し通せたと思ったのに」

 

 それだけを告げて、ミカは(きびす)を返した。どうやらカリエの質問には答えるつもりがないらしい。

 カリエもカリエでまともな返答を期待していなかったのか、それを追うような事はしなかった。

 だが、一言だけ挨拶を投げかける。

 

「……正直負けたと思った。でも楽しかったよ。()()ミカさん」

 

 ミカの足が止まった。まだカリエの言葉の意味を理解していないエリカだけが「島田?」と首を傾げている。

 ミカはカリエに振り返ることなく、こう返した。

 

「天下の黒森峰副隊長にそう言って貰えるなら、私もこの試合に意味があったと感じることができるよ。ありがとう」

 

 今度こそ、ミカは二人から去って行く。

 二人取り残された姉妹は、互いに顔を見合わせて、エリカの方からカリエの手を取った。

 

「……あんた」

 

 エリカの声色は怪訝なものだった。けれども特に何かを口にすることはなく、黙って妹をパンターから降ろしてやる。

 着地した瞬間、がくっとカリエが膝を着いたが、エリカが抱きかかえていたお陰で倒れ込むことはなかった。

 いつの間に集合していたのか、ティーガーⅡとパンターの乗員が二人に駆け寄ってくる。

 

「副隊長たちはお怪我はありませんでしたか!?」

 

 乗員たちの心配を一身に受けて、エリカとカリエは苦笑した。特に前科ありのカリエは後輩たちに揉みくちゃにされ、エリカが腕を引っ張って助け出してやるほどだった。

 

「いやごめんね、ちょっと口調がきつかったよね。さすがの私もパニクってさ、次回からは気をつけるよ」

 

 殆ど怒鳴り散らすように指示を飛ばしていたことを気にしているのか、ふとした拍子にカリエが謝罪した。だが謝罪を受けた隊員たちは「そんな必要ないですよ」と笑顔を見せた。

 

「クールな副隊長の熱い一面が見れてとてもよかったです!」

 

「そうですよ! なんか私たちのために必死になってくれているって気がして胸が熱くなりました!」

 

 カリエの謝罪は完全に杞憂だった。誰もが副隊長の意外な一面を好意的に捉え、むしろもっと見せて欲しいと懐いている。

 エリカは良かったじゃない、と乱暴にカリエの頭を撫でた。

 

 今更ながら遅れてだったが、ようやく黒森峰の隊員たちに勝利の雰囲気が満ち始めていた。

 

 

07/

 

 

 その後。

 

 自走で陣地に帰還できると判断され、パンターとティーガーⅡはエンジンをアイドリングさせていた。

 あとは車長の二人が乗り込めば、いつでも発進できるような状態だった。

 カリエがいよいよパンターに乗り込もうとしたとき、不意にエリカが彼女に手を伸ばしていた。

 

「ねえ」

 

 カリエが振り返る。

 

「なに?」

 

「あんたさ――」

 

 エリカが口を開きかける。ただ一秒、二秒とその体勢のまま彼女は固まった。

 

「エリカ?」

 

 カリエがパンターから降りてエリカに駆け寄ろうとする。だがエリカは「やっぱり何でもない」と先にティーガーⅡに乗り込んでしまった。

 

「副隊長?」

 

 ティーガーⅡの乗員たちも、どこか様子のおかしい自分たちの車長のことを気遣う。エリカはそれも「何でもないわ」と(そで)にした。

 カリエはしばらくの間、そんなエリカをじっと見つめていたが、やがてパンターに乗り込んでいった。そしてエリカを先導するように自陣への道を進んでいく。

 そんな妹の後ろ姿に、エリカは自分の手の平を重ねた。

 さっきまで、カリエの手をしっかりと握りしめていた手だ。

 

「……あんた、怖がってるの?」

 

 エリカの呟きは幸いなことに、二両の戦車のエンジン音に掻き消される。誰にも聞こえることのない声はエリカだけのもの。

 

「あんた震えてた。試合が終わって震えてた」

 

 試合後、ミカと分かれた直後。

 ぐいっと自身に引き寄せた妹の腕は小刻みに震えていた。まるで何かを恐れるように、何かに怯えるかのように。

 

 黒森峰が負けることに恐怖したかのように震えていたのだ。

 

 もう一度妹の後ろ姿を見る。

 自分と全く同じ身長、体重の、(うつ)()のような妹。

 けれどもその人影はやけに小さく見えて――、

 

 彼女が見えない何かに押しつぶされているように、エリカは見えた。  




好きです(半ギレ)

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