黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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秋山優花里の戦車道 12

 初めて彼女を目にしたのは、二年生の春だったとダージリンは記憶している。

 多分、戦車道に関する何かの講習会があって各校から将来の幹部候補が揃って参加していたときのことだ。

 グロリアーナ代表としてそこを訪れた彼女は、会場の一角に同じ顔を揃えた二人組を見つけていた。

 その時はまだ、黒森峰の逸見姉妹という通称も、黒森峰のウロボロスという通り名もそこまで有名ではなかったため、次期黒森峰の幹部候補なんだな、くらいの感想だった。

 ただ、その年の夏にはこの姉妹と雌雄を決さなければならないことだけはわかっていたので、存在を記憶の片隅には留めていた。

 ファーストコンタクトは会話すらなかった。

 お互いに面識もなかったし、馴れ合うつもりなど毛頭もなかった。

 

 状況が変わったのはやはりその年の全国大会だろう。

 奇しくも今年と同じ準決勝において黒森峰とグロリアーナは激突したのだ。

 作戦の立案を行える立場にいた彼女は、諜報部を使って黒森峰のウィークポイントを必死に探し続けた。

 その時から、日本戦車道の頂点である西住流の跡取りである西住姉妹を擁していたのだ。

 何か策を弄さなければ、グロリアーナが敗北することくらいダージリンは理解していた。

 母校の栄光のため、彼女はあらゆる情報に(すが)()いた。悲しいことに、実力では到底及ばないことはわかっていたので、(から)()で攻めるしかなかったのだ。

 

 そして眉唾ながらも一つの情報が飛び込んでくる。

 

 逸見カリエの水恐怖症の噂だ。

 

 最初その話をアッサムから聞かされた時は、「なんだそんなことか」と落胆した。

 人間誰も怖いもの、苦手なもの、克服出来ないものが存在している。だからダージリンに取ってカリエの水恐怖症とは「プールで泳げない」だとか、「冷たいもの」が苦手だとか、そんなことだろうと考えていた。

 だがそんなダージリンの嘲笑をアッサムは否定する。

 何でもカリエの水恐怖症は、本人がパニックを起こしてしまうくらい深刻なものだと。

 原因も不明で、治療の施しようもなく、逸見家はそれに関しては既に匙を投げていることも聞かされた。

 ダージリンは少しばかり葛藤した。

 彼女の探していたウィークポイントとは、選手間の不仲だったり、連携がなし得ない実力差だったり、編成の穴だったりそういったものだった。

 決して特定個人を攻撃するものではなく、チーム全体のウィークポイントを付いてやろうという魂胆だったのだ。

 彼女は考えに考えた。

 勝利か、誇りか。

 泥水でも啜って栄光に固執するのか、名誉を重んじて勝てない勝負に挑むのか。

 

 ――ダージリンは周囲から気高く、優雅で、余裕のある気性を持った人間であると思われている。

 しかしながら、それはあくまでも周囲からの評価であり彼女の本質ではない。

 気高く振る舞うのは、学園内に存在する敵対勢力に足を(すく)われないためだった。

 優雅に過ごすのは、誰かを惹きつけるカリスマを会得するための術だった。

 余裕を見せるのは、そんな臆病な自分を騙すための演技だった。

 

 彼女は選択する。

 個人のプライドをかなぐり捨て、学園の栄誉を選択した。

 ここで自分に嘘をついてしまっては、これから「ダージリン」として振る舞うことが出来なくなるのがわかっていたから、正直に選んだ。

 だから彼女は追い詰める。

 逸見カリエを猟犬の如く追い立て、暗い水底にたたき落とした。

 そして彼女は、そんな自分を心底嫌悪した。

 

 

01/

 

 

 雨の中、カリエの車両は林の中の茂みに隠れていた。

 通信手に命じて、各地点に散会している「ヒドラ」たちからの報告に耳を傾けている。

 

『川の西側、敵影ありません』

 

『南側、同じく』

 

 雨の音に混じって、きゅっきゅっ、とマーカーの走る音だけが車内に響く。カリエが報告を元に地図に朱を入れている音だ。

 しかしながらその作業はそう長くは続かない。地図の中央部分が真っ赤に染まりこれ以上書き込む場所がなくなっていたからだ。

 赤が意味することは至極簡潔。

 

 敵影見受けられず、だ。

 

「……グロリアーナ、どこにいるんでしょう」

 

 通信手が漏らすとおり、黒森峰の全ての索敵においてグロリアーナの車両を発見することが出来なかった。

 索敵の斥候全てが空振りに終わったのである。

 考えられるのは斥候を送った場所がとんでもなく見当違いだった場合のみ。

 けれどもカリエは「それはありえない」と首を横に振っていた。

 何故なら――、

 

「おかしい、ダージリンさんなら必ず私たちのいるポイントのどれかを突破してくる筈なんだ」

 

 どういうことかというと、黒森峰のフラッグ車の特性が関係していた。

 フラッグ車であるエリカのティーガーⅡは足回りが弱く、自陣のスタート位置を大きく動けないという制約がある。特にこの豪雨の中では尚更だ。

 そこでカリエはグロリアーナの女王であるダージリンの思考を読んだ。

 彼女は聡い。黒森峰の弱点である足回りの弱さなど熟知していて当然だろう。

 だとしたら、ダージリンは攻撃部隊をまっすぐ黒森峰のスタート地点に差し向ける可能性が高かった。

 装甲火力の撃ち合いになれば黒森峰に遙かに分がある。その分野においてダージリンが勝負を挑んでくるとは考えにくい。彼女が勝負を仕掛けてくるのは、間違いなく速度を重んじた電撃戦だ。

 ならば、とカリエはエリカのいる位置に雪崩れ込むことが出来る街道、峡谷、橋、その他全てに斥候を放った。自身もそのうちの一つにアンブッシュし、グロリアーナの攻撃部隊を待ち受けている。

 だが結果はご覧の通り。

 見事なまでの不発だった。

 

「まさか豪雨で互いの命中率が低下していることを見越して、撃ち合いを望んでいるのでしょうか」

 

「いや、あの人がそんな賭けみたいなことする筈がないんだ。なにか、何かを見落としているのかもしれない」

 

 そう言って、カリエは再び地図に齧り付いた。

 副隊長の思考を妨げぬよう、通信手は押し黙り装填手と砲手も動きを止め、物音を立てないように配慮する。

 再び車内を沈黙が支配した。

 ただ、操縦手のナナだけが動きを見せる。目の前のハッチから周囲の様子を伺ったのだ。

 

「…………」

 

 滝のような豪雨が視界を遮っている。一瞬でずぶ濡れになりながらも、彼女は滝の向こう側を見ていた。

 

「ん? 佐久間さん、何か見つけた?」

 

 雨に塗れながらも、外を見続けている後輩にカリエは声を掛けた。

 だがナナにしては珍しく即答しなかった。

 

「――おと? いや、でも――、まさかこの数は」

 

 カリエの声が届かないくらいナナは外に集中していた。カリエはふと、背筋を駆け抜けていく悪寒を感じ取った。

 それは第六感ともいうべき、天性の勘だった。

 

「あ、」

 

 ぐい、とナナの肩をカリエは足で上から下になぞる。それはあらかじめパンター内で決められていたサインの一つ。

 度重なる訓練で、パブロフの犬のように条件付けられていたナナはほぼ無意識のまま、パンターを後退させた。

 

 何かが飛来する音。

 滝の雨を切り裂いて、何かが飛ぶ音。

 少し遅れて、炸裂する。

 

「――副隊長! すいません、向こうから複数のエンジン音が聞こえました!」

 

 自身の聴覚が捉えていた違和感の正体に気がついたナナが叫ぶ。ほぼ同じタイミングで敵襲を察知していたカリエも目一杯咽頭マイクに叫んでいた。

 

「こちら55号車のパンター! 敵襲、数複数! 車両の正体不明! これより交戦を開始する! 偵察部隊はそのまま別部隊の動向を監視! 待機していた援護部隊だけこちらに向かわれたし!」

 

 近くで砲弾が弾けパンターの車体が揺らいだ。カリエは土砂降りの雨の中、キューポラから身を乗り出す。

 降りしきる雨の中、後方を確認し、さらなる後退を指示。

 援護部隊と合流が容易な街道上のジャンクションを目指すよう、ナナに伝えた。

 雨のカーテンを抜けて、砲弾の光だけがパンターの車体の近くを通り過ぎていく。

 

「――え?」

 

 それは接敵してから凡そ三十秒ほどの出来事だった。

 相変わらず全力で撤退を続けるパンターに執拗に食い下がるグロリアーナの車両がいる。

 正直言って何も可笑しいことはない。

 戦車道の試合なのだ。一度見つけた敵を追いかけることは普通のことである。

 だがカリエは「どうして……」と困惑の声を漏らした。

 彼女は真っ白な雨の幕の向こう側、そこにいる車両にはためく青い旗を見た。

 

 意味がわからなかった。

 いや、旗の意味はわかる。

 でも、何故ここにそれがあるのか理解できなかった。

 質量のある雨に打たれているのは、フラッグ車を示す青い旗。

 

 カリエはぽつりと、言葉を零した。

 

「ダージリンさん?」

 

 

02/

 

 

「驚きました。本当にここに彼女のパンターがいるとは」

 

 次々と砲弾を装填しながら、オレンジペコが感嘆の声を漏らす。砲手を務めているアッサムも、言葉こそ発しなかったが驚きの表情で照準を覗き込んでいた。

 ただ、紅茶を傾けたダージリンだけが「当然のことよ」と(うそぶ)いた。

 

「彼女なら、自分の手でこの要所を押さえるに決まっているわ。あの子は人一倍責任感が強いから、重要拠点に必ず現れるの」

 

 勝ち誇ったかのようなダージリンの言葉を受けて、「何でもお見通しなんですね」とオレンジペコは苦笑した。

 ダージリンはそんな後輩を可愛がるかのように静かに微笑む。

 

「いいえ、何でもではないわ。彼女のことだけよ」

 

 視線の先、パンターが逃走を続けている。ダージリンは手元の無線機の受話器を手に取ると、周囲の車両に向かってさらなる指示を下した。

 

「ローズヒップ、パンターの背後をクルセイダーで塞ぎなさい。でも撃破することは許さないわ」

 

『承知しましたわ!』

 

 アッサムが発掘してきた肝いりの生徒であるローズヒップが威勢良く答える。

 彼女はダージリンが意図したとおり、クルセイダーの快速ぶりを遺憾なく発揮し、あっという間に後退を続けるパンターを追い抜いていった。

 そしてその背後を押さえつける。

 たまらずパンターが左に進路を切った。街道から外れ、悪路に乗り上げるが、何とか履帯の機動性を駆使し逃走を計る。

 ダージリンはそれすらも追うように命じた。

 まるでカリエのそんな悪あがきが愛おしくてたまらないと言わんばかりに。

 

「ええ、そうよ。そのまま逃避行を続けて頂戴カリエさん。私、案外逃げる殿方を追うのが好きなんですのよ?」

 

 ダージリンの周りを取り囲むマチルダⅡ歩兵戦車が、砲撃を絶え間なくカリエの周囲に降らせる。それは撃破を狙ったものではなく、あくまで逃走経路を限定させるための砲撃だった。

 そう、彼女は随伴する車両全てにある命令をあらかじめ下している。

 

 オーダーはたった一つ。

 

 決してパンターを撃破するな、と。

 

 

03/

 

 

 黒森峰側は混乱していた。

 結果的にとは言え、完全に予想の裏をかかれる形になっていたからだ。スタート地点のやや近場の高台で、三両の黒森峰車両が集っている。

 それぞれティーガーⅠ、ティーガーⅡ、パンターだ。

 

「そんな、まさかフラッグ車が先陣を切って突撃してくるなんて」

 

 カリエからの報告を受けたみほが震える声で、雨の中でも地図を開いていた。耐水ラミネートを施してはいるが、すぐに水が溜まり、何度も何度も手で払いのける。

 

「カリエさんのパンター、55号車はB7地点の街道を西に後退、C3ジャンクションを目指しています。彼女を救援に向かう最短経路はこれしかないでしょう。小梅さんを中心とした援護部隊を突貫ですが編成します」

 

 アルコールマーカーを使い、青い線を書き入れる。

 

「でもカリエさん以外の偵察部隊から接敵の連絡がありません。我々が援護に向うと、その隙をついてこのスタート地点に回り込まれてしまう可能性があります。ここは酷ですが、カリエさんには何とか耐えしのいで貰って、現場の部隊のみで援護部隊を組むべきでは? 我々はエリカさんの護衛を固めた方がいいと思います」

 

 小梅の進言を受けて、みほは「っ」と唇を噛んだ。カリエを救いたい気持ちばかり先行してはいるが、チームとしては小梅の案が限りなく正しいのだ。

 ただその提案は曖昧にはしてはいるものの、カリエを見捨てることに直結している。

 もちろん小梅が断腸の思いで告げていることは理解しているが、出来ればその選択肢を取ることは避けたかった。

 

 考えろ、考えろ。

 

 西住としての経験値が、黒森峰の隊長としての責任感が、親友としての優しさが、みほの脳をフル回転していた。彼女は試合前のカリエとのやりとりを思い出す。

 カリエは何を思っていたのか。

 彼女はこの私に何を望んでいたのか。

 

 やがて、雨の冷たさにも負けない、徹底的に冷えた思考からある結論を導き出した。

 それを告げる彼女の声は強ばっていた。

 

「……小梅さんを含むフラッグ車の護衛はこのまま待機。偵察に出している部隊もそれぞれ少しずつ下げます。索敵ラインの一つが突破された以上、ラインを限界まで引き延ばす必要はありません。監視する街道を絞り込みグロリアーナのさらなる奇襲に備えます」

 

 みほは己の決定を二人に伝えた。その瞳は揺れはしていたが、堅い。

 

 西住としての経験値が見捨てろと結論づけた。

 黒森峰の隊長としての責任感が「他の部隊を危険に晒すな」と言った。

 親友としての優しさが、カリエにいらぬ重みを背負わせるな。チームに負担を掛けてしまったという事実を作るな、と囁いていた。

 

 小梅もみほの覚悟を汲み取ったのか、「護衛部隊に戻ります」と頭を下げた。

 だがみほの言葉はそれで終わりではなかった。

 それは西住でもない、隊長でもない、親友という立場でもない、西住みほ個人としての言葉だった。

 

「私が、私が助けに行きます。私一人でカリエさんの援軍に向かいます。もし私とカリエさんが撃破された場合、指揮権の全てをエリカさんに移譲、小梅さんを副隊長として黒森峰を率いて下さい」

 

 思いもよらない命令に小梅は目を剥いた。だがそれには反論しなかった。

 すぐに意を決したように表情を引き締めて「はい、お気をつけて」と力強く頷く。

 何故なら小梅は信じていたからだ。みほとカリエの実力を。そして指揮権を移譲しても良いと言わしめるだけのエリカのカリスマ性、戦略眼を。自身が副隊長に向いているとは若干思えなかったが、それでも自分を信じてくれているみほを信じることは出来る。

 

「我が儘を言ってすいません。でも誰も見捨てたくないんです。『撃てば必中、守りは堅く、進む姿に乱れなし』。……西住の教えには反しているかもしれませんが、それでも私は私の戦車道を貫きます。皆で戦い抜く戦車道をやって見せます」

 

 広げていた地図をしまい込み、みほは時間が惜しいと言わんばかりにティーガーⅠに走った。

 その時になって始めてこれまで黙していたエリカが口を開いた。

 

「みほ、待って。ごめんなさい。私、あなたに謝らなければならないことがある」

 

「え?」とみほの足が止まる。

 エリカはみほが持っていた地図を貰い受けると、もう一度それを広げて、自身が持っていた赤いマーカーで×を書き足していった。

 

「これは全てカリエの私兵たちが敵影なしとつげたポイントよ。このポイントに敵が現れることは一切ないわ」

 

 エリカの断言に、みほと小梅が困惑した。けれども彼女はそのまま続ける。

 

「グロリアーナの狙いはたった一つ。カリエよ。あの子を私たちの前で惨たらしく撃破することが目的なの。だからカリエがこのジャンクションに辿り着き、尚且つ私たちが合流するまでカリエは撃破されない。それどころか、私がここを動かなければ、あの女はここまでカリエを追い立てる」

 

 意味がわからなかった。何だそれは、とみほが震える唇を開く。だってそれは――、

 

「そんなこと、よっぽどの私怨や恨みがなければあり得ません。全国大会の準決勝で、特定選手に報復をするような真似……」

 

 そう、エリカの言葉が正しければ、最早それは戦車道ではない。ただの私闘だ。個人に対する憎しみを戦車道という場において果たすという、考えられる中で最も唾棄される行為。

 しかもそれを行おうとしているのが、優雅であり気品あふれるグロリアーナなのだ。

 

「でも、でもなんでカリエさんなんですか!? グロリアーナが仮に黒森峰を恨んでいたとしても、カリエさんだけに執着する理由が……」

 

 小梅の反論は正しかった。黒森峰に煮え湯を飲まされ続けているグロリアーナが恨むべき相手は、黒森峰全体であって、カリエではない。仮に個人に絞ったとしても、昨年の副隊長であり、今年の隊長である西住みほだろう。

 だがエリカは「いいえ、あの女はカリエがご希望なのよ」と呟いた。

 

 ぞくり、とみほと小梅の肌が粟立った。ぐしゃり、とラミネート加工された地図が握りつぶされ、エリカが持っていたアルコールマーカーがへし折られる。

 雨の中、彼女の翡翠の瞳はこれまで二人が見たことのない怒りを湛えていたのだ。

 

「これが私があなたたちに謝罪することよ。私は知っていた。グロリアーナが、いえ、グロリアーナの女王ダージリンがカリエに執着していることをずっと知っていたの。そしてそのことを黙っていた」

 

「私は私が、そしてあの女が許せない」とエリカは零す。

 

「執着って、ダージリンさんとカリエさんはそんなに接点があるんですか? ましてやあのカリエさんですよ。誰かの恨みをかう筈がありません……」

 

 消え入りそうな声で小梅が反論を続けた。けれども残酷なことにエリカは首を横に振る。

 

「恨みだったらどれだけ良かったことか。あいつはカリエに対して憎しみもあると嘯いているけれど、それはあいつなりの言い訳。あいつはね、カリエのことを――」

 

 そこで、エリカが言いよどむ。数拍、言葉が紡がれない。それはみほと小梅、二人にとって無限にも近い時間の長さだった。

 やがて、エリカは意を決したかのように、いや、諦めたかのようにこう告げた。

 

「愛して、いるのよ。――好きとかそんなレベルじゃない。彼女は病的なまでにカリエを求めている。この試合は、この奇襲は、あいつなりの愛の告白なのよ」

 

 何処かで雷鳴がなった。

 互いに多量の雨をしたたらせながら、三人は遂に言葉を失っていた。

 

 

04/

 

 

 カリエとダージリンが初めて会話を交わしたのは、それこそ昨年の決勝戦の直前だった。

 プラウダとの決戦に挑む黒森峰の試合を、ダージリンが観戦しに向かったのだ。

 目的は二つ。

 

 グロリアーナを結果的とは言え、準決勝で負かした相手がどんな人物か見定めるため。

 

 そして、水恐怖症という、本人にとって決して触られたくなかっただろう弱点に塩を塗り込んでしまったことを謝罪するためだ。

 

 ダージリンは気品に溢れ優雅ではあるが、他人に対する配慮がないわけではない。

 たとえそれが計算尽くの行為だったとしても、きちんと礼節を弁えることの出来る人間だった。

 そして今回も、試合外でいらぬ禍根を作らぬよう、詫びの品をいくつか用意して決勝戦の会場に訪れていた。

 もちろんただ謝罪をして終わりというわけではない。

 今後、少しでもグロリアーナが黒森峰に対してマウントを取れるように、様々な布石を打つつもりでいたのだ。

 問題はどうやってカリエに接触するか、だが、ダージリンにとって幸運な出来事が一つあった。それは逸見姉妹の仲違いである。

 準決勝が原因で、二人一緒に行動する可能性がこの時点においては限りなく低くなっていたのだ。

 当たり前のことだが、ダージリンはそれを利用した。エリカが当時の隊長だった西住まほとの打ち合わせに忙しいことも読み切って、網を張ることにしたのだ。

 試合開始までの少しばかりの自由時間の間、参加校の生徒が周辺の屋台や各種協賛企業の出張施設を訪れることは知っていたので、黒森峰もそうだろう、と会場出入り口で獲物を待った。

 時間にしておよそ数分。きょろきょろと、まるで誰かのことを警戒しているかのように周囲を見渡しながら、件の人物は現れていた。

 輝く銀の髪も、深い知性を湛えた翡翠の瞳も、そしてグロリアーナを敗北に叩き込む策を弄した口も、初めて見かけたときそのままだった。

 

「あなたが逸見カリエさん?」

 

 ダージリンの声に、びくりっ、とカリエが反応する。誰を恐れているのかはわからなかったが、あまり人から声を掛けられたくない心境であることをダージリンは悟った。

 そして、その原因の大本は自分であることも。

 

「えと、そうですけど……。あなたは確か――グロリアーナのダージリンさんですよね?」

 

「あら、あなたのような実力者に名を知られているなんて光栄だわ」

 

 嘘だ。

 カリエが自分の名を知っていることくらい、事前にリサーチ済みだ。逸見カリエが対戦相手のことを徹底的に調べ上げてから試合に臨むことは当の昔から知っている。

 ダージリンは白々しく演技を続ける。

 

「あなたと少しお話がしたくて伺ったの。お時間は大丈夫かしら?」

 

「あ、はい。パンターの乗員の軽食を買い揃えるだけなので、そんなに急ぎではないです」

 

 カリエの返答を受けて、ダージリンは笑みを顔に張り付けた。

 

「ならこの先に美味しそうな紅茶を振る舞っていただける出張カフェを見つけているの。ご一緒して頂けるかしら」

 

 カリエの返答は「是」だった。

 断られるか承諾されるかは、正直二択の賭けみたいなものだったが、ダージリンはその賭けに勝っていた。

 彼女はここまでの結果に満足しながら、とぼとぼと後ろを付いてくるカリエを先導する。

 以前見かけた時はもっと泰然としている雰囲気だったが、ここ最近のカリエを取り巻く状況がそんな雰囲気を消し去ってしまっているのだろうと、当たりをつけた。

 なら、より(くみ)しやすいと、カリエに見られぬよう笑みを深める。

 

「さて、ここよ。この後は雨の予報だから、オープンデッキではなく、お店の中でお茶を頂こうかしら」

 

「雨」という単語を聞いて、カリエの肩が震えたことを見逃さない。

 やはり水恐怖症は本当だったのか、とグロリアーナの諜報網の能力を再評価する。

 ただ表情は決して崩さない。ダージリンにとっての戦いは既に始まっていたからだ。

 店内に入り、予め目星をつけていたテーブルにカリエを連れていく。

 内装から店員の雰囲気に至るまで、ダージリンがカリエに対して優位にことを進められるような空間であったからこそ、この店を選んでいた。

 

 落ち着いた調度品は相手の心境をリラックスさせて、油断を誘うように。

 人当たりの良い店員はいらないトラブルを引き込んでしまわないように。

 

 常に相手を自分のペースに巻き込んでいくことが、グロリアーナで生き残っていくための処世術なのだ。

 注文ももちろんその一環だ。

 紅茶に疎いカリエが自分に注文を任せることも予想していたので、程よく緊張をほぐしつつも、決して味の強くない紅茶、そしてカリエの好みだとアッサムに聞かされているチョコレートケーキをすらすらと注文していた。

 カリエが驚いた様子でダージリンに声を掛ける。

 

「……ダージリンさんと私って好きなケーキも同じだったんですね。どうもチーズケーキは苦手で、エリカとケーキを買うときはいつも二人バラバラなんです」

 

 馬鹿な子、とは思わなかった。

 カリエが知恵者であることはこれまでの黒森峰の戦い方を見ていれば容易に想像が付く。けれども自分と違って他者を蹴落とすための策謀に塗れていないその笑顔が、ダージリンには少しばかり眩しく見えた。

 

「……そうね、もしかしたら私たち気が合うのかもね」

 

 自分がペースを崩されてどうするのだ、とダージリンは自分を心の中で叱責した。 

 どうもこの少女と自分はテーブル下の攻防において、相性が余り良くないということに今更ながら気がついていた。

 何とかこちらの思惑に乗せるため、ダージリンは話を切り出す。

 

「本題に入らせて貰うわ。今日あなたを訪ねたのは、この前の試合について謝罪するためよ。いくらグロリアーナの為とはいえ、最低な行為に身を染めてあなたを不当に貶めてしまったわ。本当にごめんなさい」

 

 深々と頭を下げる。相手が恐縮し、罪悪感を抱かせるくらい大げさにやるのが肝要なのだ。

 これもまた、グロリアーナでのし上がっていくために身につけた、生きていくための知恵。

 ただ、グロリアーナの生徒とカリエが違うのは、ダージリンの謝罪に、厭みや皮肉で返さないということだ。

 

「いえ、そんな、水のあれは私の問題ですし謝ってもらうようなことじゃないですよ。別にルール違反でもないですし……。むしろ特定個人を徹底的にマークしろ、とかメタを張れとか言っちゃってる私の方があくどいくらいで――」

 

 正直、恨み言の一つくらいは予想していた。

 本人にとっての最大のトラウマを抉ったのだ。

 出会ったその瞬間に罵倒され、殴られる腹づもりも抱えていた。

 そして罵倒されたならされたで、相手の感情を揺さぶったということでダージリンの勝利だった。

 殴られれば最高だ。上手くことを運べば、逸見カリエを高校戦車道大会から追放することが出来る。

 さらに策を積み重ねれば、黒森峰を陰で脅迫する良い材料になるだろう。

 

 だがカリエは何れの想定も裏切った。

 何の疑いもなく自分の誘いに乗り、何の悪意もなくダージリンの言葉に言葉を重ねていく。

 

「だからダージリンさんが気に病む必要なんてないんですよ。むしろこんな手間まで掛けさてこちらこそ申し訳ありませんでした」

 

 頭が下げられ、カリエの頭頂部がダージリンの瞳に映る。

 無防備な、警戒心の欠片も見受けられない頭。

 

 グロリアーナではこうはいかなかった。

 全く接点もなく、悪意を抱かせたことがない筈の人物にすら、油断をすればいつの間にか踏み台にされていた。

 ダージリンがそれ相応の地位を手に入れ始めてからは幾分かマシにはなってきてはいるが、あらゆるしがらみと人の負の感情が、いつまでも彼女を縛り上げている。

 端的に言って、息苦しい毎日だ。

 弱音を吐いたことは一度もない。そして恐らくこれからも。

 だが、溜息くらいは良いのではないか、とダージリンは今日最初のそれを吐く。

 自分がここにくるまで積み上げてきたあらゆる謀略が何となく馬鹿らしくなってしまったからだ。

 

「……あなた、素敵なお馬鹿さんね」

 

 ふと口を開けばそんな言葉が漏れていた。

 カリエが「え”」と妙な声を上げるが、決して怒りはしなかった。困惑が深すぎて言葉が出てこないのだ。

 その反応すら、グロリアーナのそれとは正反対で、ダージリンの口がついつい滑る。

 

「もっと罵られることを覚悟してきましたのに。あなたったらよくわからない謝罪を口にするんですもの。この私の行き場のない感情、どうしてくださるの?」

 

 若干拗ねてしまったかのような演技。

 それにすら、カリエはあたふたと慌てて、しどろもどろに言葉を返す。

 

「え、いや何かごめんなさい。でも本当に前の試合のことは何とも思っていないんです。あれはそうですね――、とても痛くて怖いデッドボールの経験があって、インコースのボールに怯えるバッターがいたとして、そのバッターにダージリンさんはインコース攻めをしたようなもので、勝負の世界だと当たり前だと思います。むしろいつまでもデッドボールにうじうじしている方が間抜けというか、進歩していないというか、それで今もお姉ちゃんには嫌われているし……」

 

「デッドボール? インコース?」

 

 聞き慣れない単語だと、思わず問い返していた。

 

「あ、すみません。野球の用語なんです。デッドボールがピッチャーにバッターがぶつけられたボールで、めちゃくちゃ痛いです。一度脇腹に食らったときは昼飯戻しそうになりました。インコースってのはバッターの体の近いところに投げ込まれるボールで、デッドボールを受けた直後は怖くて体が仰け反ります」

 

 正直カリエの言っていることはよくわからなかった。

 でもここまで(じよう)(ぜつ)になるくらいなのだから、この少女でも夢中になることがあるのだな、と考えた。

 

「でも、野球を続けていくにはいつかは忘れて克服しなければならないんです。人生も同じでしょう。いつまでもうじうじと怖い思い出を後生大事にしている私が駄目なんです。これから楽しく生きていくのなら、いつかは忘れて前に進んでいかないと……」

 

「『新しいものが始まる。古いものに執着している人たちにとっては、新しいものは恐ろしいだろう。きみはどうするかい?』」

 

「え?」

 

 突如として紡がれたダージリンの格言にカリエは首をかしげた。

 ダージリンもダージリンで、何故このタイミングで自分の口が開いてしまったのか不思議で仕方がなかった。

 相手につけ込まれるようなことは基本口にはしない性分の彼女だ。彼女の好む格言も、本当に信頼した者か、可愛がっている者、自分にとって至極どうでも良い人物のいずれかにしか伝えない。

 果たしてカリエはそのうちのどれなのか――、

 

「――スイスの作家、ヘルマン・ヘッセの言葉よ。もしあなたが何かしらの過去からの脱却を目指していて、新しい人生を始めようとしているのだとしたら私は是非応援させていただくわ」

 

 ダージリンは願う。

 まだ確証は持てなくても、カリエは「本当に信頼できる者」であって欲しいと。

 格言の解説を聞いて、素直に喜んでくれている彼女のことを、出来れば信頼したいと。

 だから、用意していた全ての段取りをすっかり忘れて彼女は一つの箱を取り出していた。

 

「これは私からあなたへの餞別よ。幸運の銀の鐘。あなたのこれからの健闘を祈っているわ」

 

 箱の中にはシルバーで出来たベルを模したアクセサリーが入っていた。

 謝罪とともに贈るのだから、とそれなりに立派なものを用意してきたつもりである。

 カリエもその値打ちくらいはわかるのか、きらきらと目を輝かせて魅入っていた。

 けれどもすぐに何かを思い直してかのように、「こんな高級品、受け取れません」と首を横に振った。

 

 いつものダージリンならそれだけで、新しい策謀のやりとりが始まったのだ、と心に昏い感情を湛えていた。

 けれどもこの瞬間だけは、純粋にカリエの謙虚さが好ましいと笑っていた。

 

「いいえ、受け取っていただかないと困るわ。それともカリエさんはあれかしら? 私が丹精込めて選び抜いたアクセサリーがお気に召さないの?」

 

 意地悪に(うろ)(たえ)えるその動作一つ一つが新鮮で面白い。

 ならもっとからかってやろうと、ダージリンはアクセサリーを手に取って身を前に乗り出した。

 カリエの頭を抱き寄せて、アクセサリーを首に掛けてやる。

 

「わわっ」

 

「ふふっ、よくお似合いよ。あなたの決勝戦での活躍が楽しみだわ」

 

 顔を真っ赤にして、カリエは自身の首にぶら下がったラッキーベルを見た。しばらく呆けたように弄んでいたが、彼女はすぐにダージリンに向き直って、「ありがとうございます、頑張ります」とはにかんでいた。

 

 ただ不思議なことに、この時ダージリンが抱いた感情は、喜びでも、楽しさでもなかった。 

 ずきりと、ささくれが逆立つように、茨が指先を傷つけるように、心のどこかに痛みを感じた。

 心そのものは謀略もなにもない、久方ぶりの晴れやかなもの。

 なのに、どうしてか、ずきずきと痛む自分の内面を彼女は敏感に感じ取っていた。

 そんな自分が理解できなくて、得体が知れなく不気味で、ダージリンは笑顔を零しながらも、そっと己の膝上で拳を握りしめた。

 

 いや、その感情の正体には多分、気がついてはいた。

 けれどもそれを認めてしまえば、自分が自分じゃなくなるようで、それがとても恐ろしくて、直視することができなかっただけだ。

 

 ダージリンは笑う。嗤うのではなく笑う。

 せめてこの笑顔だけは正直でいなければ、カリエに対して申し訳が立たないと考えたから。

 

 感情の正体は至極単純なもの。

 

 本当の自分をカリエに見て欲しい、という年相応の少女の純粋な願いだった。




まさかの四日連続一万文字。
エリちゃんとダー様に対する情熱が炸裂している気がします。
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