黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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秋山優花里の戦車道 17

 教会の二階の窓。

 秋山優花里は暴れ狂う心臓を何とか押さえ込みながら、双眼鏡で眼下を観察していた。彼女の脇には複数の無線機、地図、偵察情報をまとめた書類が散らばっており、二階テラスの手すりからは一階に向けてロープが垂れ下がっている。

 

『秋山、こちらカメさんチームだ。教会入り口の強行突破を開始。予定通り煙幕を焚いてカモさんチーム、アヒルさんチームと脱出する』

 

「こちら秋山了解です。ここから先は事前の打ち合わせ通りにお願いします。なんとしてでもフラッグ車のアヒルさんチームを守りきって下さい」

 

 桃の通信に優花里が返す。すると向こう側で杏が割り込んだのか、次の返答は彼女からだった。

 

『秋山ちゃん、本当にありがとね。また私たちと一緒に戦ってくれて』

 

 優花里は一度双眼鏡から視線を外して答えた。

 

「――私の戦車道は皆さんと楽しく毎日を過ごしていくための戦車道です。それは変わりません。ですが、ここで勝たなければその戦車道が終わってしまうのなら、何度だって戦ってみせますよ。それがあの人が教えてくれた道です」

 

 応答は暫くない。

 けれども、どこか安心したかのように杏は最後にこう告げた。

 

『そっか。じゃあ、またね』

 

 通信が切れる。

 優花里の眼下では煙幕の中を突き進んでいく大洗の車両たちが見えた。

 優花里は車両たちの無事を一心に祈りながらも、その鋭い視線を張り巡らせていた。

 そして、待ち続けていたその時が来たことを察知する。

 カチューシャが呼び寄せていたKVー2が、煙幕を吹き飛ばさんと、砲身を旋回させていたのだ。

 慌てて床に転がっていた無線機を拾い上げて、外の状況を味方に叫んだ。

 

「華さん、準備お願いします! さん、にい、いち、今!」

 

 ズガン、と教会全体が振動する。

 それはあたかもKVー2の榴弾によって引き起こされた事象のようにも見えた。

 いや、実際、かの車両の砲撃が建物の一部を吹き飛ばしたことは事実だ。けれどもそれが全てではない。

 

「ゆかりん! はやく!」

 

 瓦礫と塵埃(ちりぼこり)が降り注ぐ中、優花里が二階テラスの手すりに結わえられていたロープを掴んだ。そしてそれをラペリング降下の要領で、するすると降りていく。

 ロープの真下には、エンジンをアイドリングさせたⅣ号戦車が待機しており、そのすぐ背後にはⅢ号突撃砲が同様の状態で座していた。

 キューポラから顔を覗かせていた沙織が、優花里の手を引く。

 

「こっちの準備は出来たよ!」

 

「念のため砲塔を回転させて下さい。カバさんチームは後進でお願いします。では冷泉殿、行きましょう」

 

「おうよ」

 

 優花里の合図とともに、砲塔を後部に向けたⅣ号戦車が急加速した。そして、教会の入り口とは正反対の壁に向かって突進をした。

 いくら鋼鉄の怪物である戦車であっても、煉瓦で組み上げられた壁を突き破ることは出来ない。けれども、彼女たちの進路上の壁はなくなっていた。

 榴弾によって吹き飛ばされていた。

 

「しかしあれですね。プラウダの砲撃音に紛れて撃つと聞いたときは驚きましたが、何とかなるものですね」

 

 一部残された煉瓦たちを踏み越えた衝撃で、車内が激しく振動する中、しっかりと砲手席にしがみつきながら華が感心していた。

 彼女たちはプラウダの裏を掻くべく、教会の背部を強行突破していたのだ。

 

「――目くらましの煙幕は長くは持ちません。すぐにあちらは私たちがいないことに気がつくでしょう。それまでに……」

 

 優花里の言葉を沙織が繋ぐ。

 

「相手のフラッグ車を強襲して、勝つんだよね。大丈夫、きっと私たちなら出来るよ」

 

 沙織の力強い視線を受け止めて、優花里は頷いた。

 言葉にすれば簡単だが、いざ実行するとなれば高度なチームワークと練度が要求される二方面作戦。

 けれども優花里は信じていた。

 ここまで自分と共に歩んできてくれていた大洗のチームメイトたちを。

 自分の戦車道がこんなところで終わりにはならないということを。

 白銀の雪景色の中、Ⅳ号戦車を先頭に、Ⅲ号突撃砲が隊列を成している。

 事前の偵察が正しければ、この先にカチューシャはフラッグ車を隠しているはずだった。

 月明かりの下、優花里はキューポラの上によじ登った。

 沙織が「危ないよ!」と手を伸ばすが、「大丈夫です」と首を横に振る。

 Ⅳ号戦車の天蓋をしっかりと踏みしめて、優花里は周囲を見回した。

 

「こちらの方がよく見えるんですよ」

 

 彼女の視線の先には、雪に埋もれた一つの廃村。

 背後から、別働隊を襲う凄まじい砲撃音がここまで聞こえてきている。障害物の少ない雪原だからこそ、何処までも反響し、その苛烈さを優花里に教えてくれていた。

 けれどもそんな地獄の坩堝(るつぼ)に仲間を送り込んだ後悔はない。

 自分は自分の使命を完遂することが、チームに対する最大の貢献であることを彼女は知っていたからだ。

 

 もう迷わない。

 もう絶望しない。

 

 進み続けなければ、失われてしまう道であることがわかった以上、足を止めるという選択肢はない。

 秋山優花里は月を見上げた。

 銀世界を照らし出す青白い月。

 彼女はその光の向こうに、大洗の未来を見いだそうとしていた。

 

 

01/

 

 

 大洗にとって幸いだったのは、別働隊の存在に気がつくことにカチューシャが少しばかりの時間を必要としたことだった。

 彼女は教会から飛び出してきた車両が、敢えて包囲の分厚い所に突撃してきたことに、少なからず動揺してしまったのだ。

 心のどこかで、大洗を新設の学校だと思いこみ、定石通りの手を打ってくると思いこんでしまっていた。

 そしてそれは対黒森峰としては正しい思考だった。

 黒森峰は装甲火力に優れているため、敢えて邪道を進むことは殆どない。

 カリエならば裏を掻いて包囲の分厚いところを食い破る、というプランを考えはするだろうが、乗員の安全等のリスクを鑑みて、実行するようなことは殆どなかった。

 王者だからこそ、ここぞという場面で定石を打つのだ。

 むしろ対グロリアーナ戦が例外中の例外なのである。

 

 カチューシャの犯してしまったミスは単純かつ明快。

 

 秋山優花里のこれまでの戦い方に、逸見カリエの影を幻視しすぎてしまったことだ。

 同一視してはならない部分まで、二人を同一視してしまっていた。

 さらにカチューシャの作戦の基盤を揺るがしていたのは、大洗の廃校問題だった。優花里も廃校問題さえなければ、定石通りの作戦を打っていたかもしれない。だが廃校という現実を突きつけられた彼女は、邪道を進む覚悟を決めていた。

 定石を捨て、勝つためのあらゆる布石を打つ戦法にシフトしていたのだ。

 まさかカチューシャも自ら与えた三時間の間に、対戦校の戦車道の根幹が正反対のものになっているとは夢にも思わなかったのである。

 

 煙幕の煙が、KVー2の榴弾によって吹き飛ばされる。 教会から飛び出してきた大洗の車列が露わになる。

 Ⅳ号戦車とⅢ号突撃砲がいなかった。

 だが、その事実に気がつくまでさらに若干の時間を擁してしまった。

 彼女の視線は、思考は、自らの眼前に突撃してくる38t戦車を見ていた。

 

「ばっかじゃないの! わざわざ包囲の厚いところに突っ込んで来るなんて!」

 

 罵りと同時に、大洗の車列への発砲を許可する。

 多数の砲弾が車列の周辺に雪の柱を立てた。

 幾つかの命中弾が散見されたが、撃破できた車両はなかった。

 

「ちっ、このまま逃がすわけないでしょ! ノンナ!」

 

 車列が自身のTー34/85の脇を通り抜けて行ってしまったことを確認したカチューシャは、己が一番信頼を寄せている副官の名を叫んだ。

 ノンナは静かにカチューシャのTー34/85に自身のISー2を横付けした。

 

「私が討伐隊を率いて大洗のフラッグ車を討ちます。カチューシャは……」

 

 ノンナの進言にカチューシャは被せた。

 

「わかっているわ。ここにいないⅣ号戦車とⅢ号突撃砲を倒しにいく。おそらく向こうはこちらのフラッグ車を狙っているはずよ。でもいつのまに――」

 

 さすがは、と言うべきか、カチューシャは既に大洗の二方面作戦に気がついていた。車列が横を通り過ぎたときに、全ての車両をカウントしたのである。

 そしてⅣ号戦車とⅢ号突撃砲がいないことをあの一瞬で察していた。

 

「……おそらく我々から見て反対方向の壁を突破したものと思われます」

 

 ノンナの言葉通りなら、どれだけ無茶苦茶な作戦なのか、とカチューシャは(そし)った。

 謗って、その蛮勇と思い切りの良さに感心さえ覚えていた。

 

「ふん、少しはやるじゃない。でも最後に勝つのは私なんだから! 向こうがどれだけ足掻いてみせようと、必ず踏み潰してやる!」

 

「……大丈夫です。カチューシャなら」

 

 最後にそう告げて、ノンナは大洗のフラッグ車を追い始めた。カチューシャは残された車両たち――全体の三分の一の車両たちを率いて、フラッグ車の救援に向かう。

 

 ここに来て、大洗女子学園 対 プラウダ高校の試合は白熱の様相を見せていた。

 

 

02/

 

 

『会長、背後からプラウダの車両が追いついてきました。ISー2が先頭にいます』

 

 最後尾のカモさんチームの報告を受けて、杏は手にしていた書類をぱらぱらとめくった。

 

「……おそらくそれがブリザードのノンナだね。彼女は高校戦車道一の砲手と呼ばれている。全車ジグザグ行進を開始。アヒルさんチームをみんなで囲んで」

 

 フラッグ車護衛隊の指揮を執っていたのは彼女だった。優花里から是非とも分離した隊を預かって欲しいと言われたのである。

 桃はその装填速度の達者さを買われて、装填手を勤めていた。肝心の杏はまさかの砲手席に腰掛けている。

 

「かーしまー、次の丘を越えたら私たちで殿(しんがり)をするよ。少しでもノンナを足止めして時間を稼ぐんだ」

 

「わかりました。ですが、隊の指揮はどうされます?」

 

 杏の提案は至極まともなものだった。

 練度で劣る大洗は鬼ごっこを続けていても、何れプラウダに追いつかれる。

 ならば一両でも決死の突撃をして、少しでもプラウダの足並みを乱すべきだった。

 けれども桃が指摘したとおり、杏は隊の臨時指揮官である。ここで失って良い人材ではない。

 

「いや、多分もう指揮はいらないよ。ここで稼いだ時間内に決められなければ私たちの負けだ。後ろを見てみなよ。肝心のカチューシャがついてきていない」

 

 言われて、ハッチから桃が顔を覗かせた。確かにこちらを追いかけて来ている車両の数が足りていない。

 杏の告げたとおり、優花里たちの別働隊を討ちに行っていることは明白だった。

 

「――まさかこんなに早く気づかれるとは。教会の壁を吹き飛ばしたタイミングは完璧だったはず」

 

 驚きの声を上げる桃に杏は苦笑する。

 

「腐っても昨年の準優勝校ってことだよ。さっきカチューシャとすれ違ったときに、数が足りていないことを悟られたのさ。まったく、戦車道の強豪校は化け物ぞろいだね」

 

 徐々にプラウダとの距離が詰まり始める。杏は小山に速度を落とすよう指示した。

 大洗の車列との距離が開き、プラウダとの距離が縮まる。

 

『大洗のみんな、大変だろうけど頑張ってね。私たちはここいらで格好つけさせて貰うよ』

 

 台詞と同時、柚子が38t戦車の操縦桿を切った。殆どその場でターンした38t戦車がプラウダの車列に突進する。 Tー34の砲撃か装甲の脇を掠め、やや後方に着弾していた。

 38t戦車が、一両のTー34に肉薄する。

 

「さて秋山ちゃん、あとは頼んだよ」

 

 

03/

 

 

 杏たちが決死の特攻を仕掛けたその時、優花里たちもプラウダのフラッグ車に接触していた。

 だが奇襲を仕掛ける寸前のところで悟られてしまい、廃村を使った鬼ごっこをここでも繰り広げていた。

 焦りを覚えていたのは優花里である。

 

「……不味いです。時間が余りありません」

 

 無線越しに、フラッグ車の護衛隊が一両、また一両とダメージを追っていることが伝えられていた。杏たちの特攻が成功したかどうかも、まだ報告されていない。

 けれどもそう長くは持たないことを、彼女は誰よりも理解していた。

 

 かたかたと、手が震えている。

 急速に膨れ上がりつつある敗北の瞬間に、冷や汗が止まらなくなる。

 

「ゆかりん!」

 

 ふと、思考が暗いものに支配されそうになったとき、優花里を引き戻したのは沙織の声だった。

 彼女は車内から優花里の手をしっかりと握りしめて叫んでいた。

 

「きっと大丈夫! 私たちが先に相手をやっつけちゃうよ!」

 

 根拠もリアリティも何もない言葉だった。けれども今の優花里にとっては、万の励ましにも勝る一言だった。

 

 優花里は頬を一発叩き、考えろ、と己を叱咤する。

 前方を逃げ続けるTー34を、プラウダのフラッグ車を冷静に睨みつけた。

 

「……残念ながらあちらの方が雪中の進行速度は上です。このままではただ距離が開いていくだけ。待ち伏せも、ルートの解析が出来なければ……」

 

 彼我の戦力差を、これまで培ってきた知識を元に明らかにしていく。

 ぶつぶつと、呟くように思考をカタチにしていく。

 その様子は車内の沙織からもよく見えたが、彼女は邪魔をしなかった。教会での追いつめられた優花里が思い起こされる姿ではあったが、その意味合いが違うことくらいは理解していたからだ。

 ふと、優花里の視界の隅に何かが映り込む。

 教会で吹っ切れる前ならば、おそらく見逃していただろう小さな陰だった。

 優花里がそちらに視線を向けてみれば、白銀の夜を貫くように鐘塔が立っていた。

 一瞬で、思考が加速した。

 

「……冷泉殿、相手に気がつかれない程度に速度を落として下さい。出来ればコーナリングで(ちゆう)(ちよ)している感じで」

 

 ぼそり、と優花里が呟く。何故かその声は騒音だらけの車内にあっても、乗員全員に届いていた。

 

「いいけど何をするつもりだ」

 

 麻子が怪訝な表情で問う。優花里は意を決した表情をもって答えた。

 それは勝利への道筋を確かに見極めた、軍神のような表情だった。

 優花里が何をするもりなのかを察した沙織が慌ててその手を引っ張る。

 

「だ、駄目だよ! 危ないから止めて!」

 

 ぐいっ、と握りしめられた手に伝わる感触は力強いものだった。始めて出会ったときに比べれば随分とたくましくなってしまった沙織の握力だった。

 優花里は何だかその変化が面白くて、笑みを零していた。

 

「笑って誤魔化さないでよ!」

 

「誤魔化してませんよ。ただ嬉しかっただけです。友達に心配されるって、こんなにも心が温まるものなんですね。雪の中の戦いということを忘れてしまいそうになります」

 

 優花里は少しずつ沙織の指を解いていく。

 自身の腕を握りしめていた指を優しく解いていく。

 

「ここから先、Ⅳ号戦車の操舵は武部殿の指示に従って下さい。冷泉殿。わたくしが外から誘導しますから」

 

 もう一度、優花里はⅣ号戦車の天蓋を踏みしめた。

 無線機と双眼鏡を詰め込んだバックパックを手に、天蓋に立った。

 徐々にⅣ号戦車の速度が落ちていく。

 一度息を吐く。恐怖心がないわけではなかったが、それ以上の使命感が優花里を突き動かしていた。

 

「ゆかりん、本当に気をつけてね!」

 

 車内から投げかけられる沙織の言葉を受けて、優花里はバックパックを雪に落とした。

 そしてそれに続くように、優花里はⅣ号戦車から飛び降りた。

 雪の深いところに五体で着地し、衝撃を殺す。

 そして近くに転がっていたバックパックを拾い上げて、彼女は一目散に掛けだした。

 目指すのは視界の少し先にそびえ立っている鐘塔だ。

 白い息が、白い夜に溶けていく。

 

 もしかしたら、人生最後の戦車戦になるかもしれないと思えば、雪を踏みしめる足から冷たさが消えた。

 もしかしたら、もう皆と戦車道が出来なくなるかも知れない、と思えば張り裂けそうな心臓も無視できた。

 もしかしたら、この先に勝利が転がっていると思えば、どんどん進む足は速くなっていた。

 

 鐘塔の内部階段を駆け上がっていく。

 躓いて、転げそうになったことは一度や二度ではない。

 その度に手をつき、何とか足で踏ん張り、上へ上へ、と目指す。

 最後の踊り場から、階段を一段飛ばしに駆け上がったその時、彼女の視界が一気に開けた。

 

「はあ、はあっ」

 

 吐き出す息は荒く、胸は上下を止めてくれない。

 でも優花里は小休憩を挟むことなく、双眼鏡ですぐさま眼下を見た。

 

「――いた、あれが」

 

 廃村内で繰り広げられる雪中の鬼ごっこを確認し、無線機を準備する。

 焦る気持ちを何とか抑えつけながら、チャンネルを合わせた。

 

『武部殿、Ⅳ号戦車はそのままフラッグ車を追いかけて下さい。次と次の角は全部右折です』

 

 応答はなかった。

 けれどもⅣ号戦車の挙動が、自身の指示が伝わっていることを教えてくれる。

 続いて優花里は逃げ続けるフラッグ車――Tー34を見た。

 

「…………」

 

 呼吸すら忘れて、彼女は対象を観察した。

 この日のために自分は戦車道を学び続けてきたんだ、と言い聞かせて脳に刻み込んだ全ての知識をフル動員していた。

 

 Tー34の最高速度はどれくらいだったか。

 かの戦車の装甲はどのような配分だったのだろう。

 プラウダではどのように操舵するように訓練していただろうか。

 あの戦車の車長はどんな心境で、どんなルートを模索しているのか。

 

 ついには瞬きも止めて優花里は見入った。見入って、ある結論が導き出された。

 だがすぐにそれを口にすることは出来なかった。

 何故ならやり直しの一切効かない、一度きりのチャンスであることがわかり切っていたからだ。

 

 自身の指示通りに味方が動けるとは限らなかった。

 敵が自身の予測通りに行動するという保証もなかった。

 

 決断の時だった。

 ここで一か八かの賭けに出なければ、また別の勝ち筋が見えてくる可能性もあるにはあった。

 だが勝利に対する最短経路はこの賭けの先にあることも理解していた。

 気温は氷点下に近いというのに、優花里の額を汗が流れた。

 

「――――カバさんチームに告げます。B74地点の廃屋の陰で待ち伏せを行って下さい」

 

 優花里は決めた。

 自分たちが勝つために必要なことを吟味した上で、決断した。

 ここで賭けに勝たなければ、自分たちに未来が無いことを覚悟して、口を開いた。

 

「必ずそこを敵フラッグ車が通過します。――私を信じてください」

 

 

04/

 

 

 カチューシャは見つけた。

 自軍のフラッグ車を追いかけ回すⅣ号戦車を見つけていた。

 彼女は間に合っていた。

 

「全車に伝達! 目標はⅣ号戦車! 必ず仕留めなさい!」

 

 フラッグ車を追うⅣ号戦車をさらに追いかける形で、編隊を指揮する。

 絶え間ない砲撃を浴びせかけることで、Ⅳ号戦車に対するけん制とした。

 実際、時折フラッグ車に発砲していたⅣ号戦車の砲身が沈黙を見せる。

 

 優花里が味方を信じたように、カチューシャもまた信じていた。

 己の副官を、可愛がってきた隊員たちを信じていた。ここでフラッグ車を救援してみせれば、必ずや自分たちが勝利することを疑っていなかった。

 

「カチューシャはもう誰も疑わないのよ! 自分のことだってそうよ!」

 

 操縦手に加速を指示し、Ⅳ号戦車に肉薄する。

 彼女は自らの手で、フラッグ車の窮地を救うつもりだった。

 自らの手で、勝利を捥ぎ取る腹づもりだった。

 ノンナを、他の隊員たちを使って相手を追い詰めていく自分と決別していた。

 

 全ては敗北の苦渋を舐めさせられた去年があったから。

 自分の隊員たちを信じ切れずに負けた過去があったから。

 自分の事を信じ切れずに、あと一歩前に進むことが出来なかったあの時があったから。

 

 そんなカチューシャの決意を感じたかのように、Ⅳ号戦車がターンをした。

 一対多勢であることはわかっているだろうに、カチューシャの覚悟に答えるようにⅣ号戦車がこちらを向いた。

 カチューシャは臆することなく突っ込んでいく。

 Ⅳ号戦車も速度を緩めることなくT-34/85に突進した。

 ここに、隊長車同士の一騎打ちが勃発した。

 

 

05/

 

 

 優花里が次に下した指示は、カチューシャの別働隊を迎え撃つことだった。

 一対複数になることはわかり切っていたが、敢えてその選択肢を取った。

 何故なら自らが蒔いた勝利の種が芽吹くまでの時間を稼ぐ必要があったからだ。

 Ⅳ号戦車の、あんこうの友人達を危険に晒しているという自覚はもちろんある。

 けれどもその葛藤を全て飲み込んで、これからの戦車道を終わらせないために、彼女は告げた。

 

「これよりカチューシャ殿率いる別働隊を迎え撃ちます。冷泉殿、わたくしの指示通りの操作をお願いします。五十鈴殿、わたくしの告げたタイミングでの発砲をお願いします。武部殿、わたくしの指示の伝達、砲弾の装填、よろしくお願いします」

 

 無茶な指示であることは百も承知だ。

 だがあんこうの乗員達は拒否しなかった。

 むしろそうやってまで自分たちを信頼してくれている優花里に答えようと、決意を新たにしていた。

 

「カチューシャ殿が撃ちます。いち、にい、さん、今、停止。続いて三秒後退。左に進路3度。次は右に前進。できる限り背後に回り込むような、それでいてカチューシャ殿から離れないで」

 

 奇しくもそれは、準決勝でカリエが見せた戦い方に似ていた。

 彼女と違い、俯瞰の視点を得ているというアドバンテージはあったが、戦い方の根本は同じだった。

 優花里は自身の知識の中にあるTー34の砲弾の重さや車内構造から、凡その装填速度を導き出していた。

 さらにプラウダの訓練風景を偵察して割り出した練度から、Tー34の射角に入り込んでも撃破されることのないセイフティタイムを推測していた。

 相手に対する徹底的な分析を持って、勝利を掴み取ろうともがいていた。

 

「撃破する必要はありません。五十鈴殿、Tー34の後部へ射撃お願いします。武部殿、装填休め。しばらく通信に専念を。五十鈴殿は頻繁に砲塔を操作して、Ⅳ号に砲弾が装填されていないことを悟られないように」

 

 馬上騎士同士が行うトーナメントのように、互いの砲身がぶつかり合って火花を散らす。

 余りの接近戦に、カチューシャが引き連れてきていたT-34も割って入ることが出来ない。

 さらにカチューシャも己が繰り広げている戦車戦にどんどんのめり込んで行ってしまっていた。

 優花里はそれを目ざとく見抜く。

 

「相手もだいぶ白熱しています。冷泉殿、今から直進と見せかけて右旋回を。フェイントを織り交ぜます。武部殿、そろそろ装填を。装填が完了したら、五十鈴殿は射線が重なった一瞬で構いません。咄嗟に発砲した演出をお願いします」

 

 Ⅳ号戦車の砲身が火を噴く。

 あんこうチームにとって行幸だったのはその砲弾が思いの他、カチューシャの車両の至近を穿っていったことだった。

 カチューシャはⅣ号戦車の技量に騙される。

 その一瞬だけで、眼前のⅣ号は自身を撃破するだけの実力がある車両だと思い込まされた。

 

「っ、馬鹿にするんじゃないわよ! カチューシャだってそれくらい出来るわ!」

 

 さらに熱くなったカチューシャがⅣ号戦車に体当たりを命じた。

 さすがにそれを防ぐだけの技量は、あんこうチームにはない。Tー34/85の質量を全面に受けて、Ⅳ号戦車が横滑りした。

 カチューシャが引き連れていたTー34達の砲撃がⅣ号戦車に叩き込まれる。

 その瞬間を優花里は見ていなかった。

 

 そう、彼女は既にⅣ号戦車への指示を打ち切っていた。

 彼女の瞳は、別の場所を見ていた。

 

 裏切りでも薄情でもない。

 ただその判断がチームを、学園を、己の戦車道を、そして友人達の努力を救うと信じて、優花里はⅣ号戦車を見捨てていた。

 

「カバさんチーム、カウント開始です。5,4,3,2,1――」

 

 

06/

 

 

 パブリックビューイングの液晶の向こう、ノンナのISー2に狙われた八九式中戦車が激しいバウンドを見せていた。

 かのソ連の重戦車の砲撃を受けるたびに、バレーボールの如く激しく飛び跳ねている。

 八九式中戦車の回りの随伴車は既に残されていない。

 全てISー2の砲撃の餌食となり、雪原に残骸を散らしていた。

 最後に残された八九式中戦車が大洗のフラッグ車。つまり、彼女たちの希望でもあった。

 

「――これは勝負あったかしら」

 

 さすがにここから大洗が勝利することは不可能だと、ダージリンは瞳を伏せた。

 隣に座しているカリエが、大洗に対してそれなりの思い入れがあることを知っている彼女は、咄嗟に慰めの言葉を考えていた。

 きっと悲しむであろう愛しい人に、何か気の利いた言葉を送らねば、と悩んでいた。

 

「うん、勝負あり」

 

 だがそんなカリエの声色は至っていつも通りだった。

 まるで大洗の敗北なんて無かったかのように、淡々としたものだった。

 どういうことか、とダージリンは伏せていた瞳を再び開く。

 開いて、パブリックビューイングの液晶を見た。

 

 大洗女子学園の勝利。

 

 最初、どういうことか彼女は理解できなかった。

 時間の停止したまま、「大洗女子学園の勝利」がどのような意味を持つ文章なのか考えていた。

 そして、たっぷり十秒ほど経過してから、ようやく絞り出した。

 

「え、かった、の、かしら?」

 

 未だ信じられないと彼女は口元を手で覆う。

 周囲の観客達も、大なり小なり似たような反応ばかりだった。

 誰もが今勝利した学校がどちらなのか、理解できないでいた。

 

「優花里さんの策略勝ち。本当、やってられないくらいあの子は凄い」

 

 よいしょっ、とカリエが立ち上がった。

 もう思い残すこと、見逃すことはないと言わんばかりに帰り支度を始めてしまう。

 ダージリンは慌てて、そんなカリエの片付けを手伝った。

 

「まさかあの待ち伏せが成功したというの?」

 

「うん、本当に紙一重の差だったけれど。残念ながら、優花里さんとの一騎打ちにのめり込んじゃったカチューシャの負けだ」

 

 カリエはカチューシャの敗因をダージリンに説明した。

 

「カチューシャは騙されていたんだよ。Ⅳ号戦車に優花里さんがいると。自分が優花里さんの相手をしている限り、大洗は次の一手が打てないと思い込んでしまっていた」

 

 でもそれは違った、とカリエは続ける。

 

「実際のところ、優花里さんは遙か上、俯瞰の視点で戦況を見ていた。そしていつでもⅣ号を切り捨てる覚悟でいた。大洗の勝利の瞬間のため、Ⅳ号を犠牲にする覚悟を決めていた」

 

 カリエの言葉にダージリンは絶句した。

 それは自分が相対した優花里の戦車道とは全くの正反対のそれだったからだ。

 友人のことを何よりも優先させてきた優花里の戦車道とは完全に真逆だった。

 

「……何かそうせざるを得ない事情でもあったのかしら」

 

 大洗の廃校について知らない二人は、結論を導き出せないまま疑問符を浮かべ続ける。

 勝利の要因を分析していたカリエでさえも、優花里の心変わりについては察することが出来ても、その原因まで類推することは不可能だった。

 何か得体の知れないものを大洗に感じて、カリエはぶるる、と身を震わせた。

 

「もしかしたら、プラウダなんかよりももっと厄介な人たちが決勝の相手なのかもしれない」

 

 

07/

 

 

 鐘塔から降りてきた優花里を待っていたのは、仏頂面で雪の中に立っているカチューシャだった。

 彼女は優花里をきっ、と睨み付ける。

 

「あんたたち、このカチューシャに勝ったからには、黒森峰相手に無様な試合は許さないわよ!」

 

 最初、余りにも鋭いカチューシャの視線を受けた優花里は、警戒心を隠すことが出来なかった。

 だが彼女のその台詞が、自分たちを応援しているものだ、と気がついたときには笑みを零していた。

 

「はい、必ずわたくしたちは次の試合に勝ってみせます。勝って、この戦車道を続けてみせます」

 

「ふん、ならいいわ。黒森峰をぎったんぎったんにする役目をわざわざ譲ってやるんだから感謝しなさいよね、カリーシャ!」

 

「か、カリーシャ?」

 

 馴染みのない名前で呼ばれた優花里が困惑する。

 しかもそれを告げたカチューシャまでもが何かに気がついたのか、「あっ」と慌てたものだからますます混乱した。

 

「……駄目ね。カリーシャはカリエに既に名付けているんだもの。ええと、秋山優花里だから――、」

 

 まさかプラウダ風のソウルネームなのか、と優花里が思い至ったとき、再びカチューシャは口を開いた。

 

「ユリーシャよ! ユリーシャ! ゆかりだからユリーシャ! 光栄に思いなさい! このカチューシャ直々に名付けたんだから!」

 

 何となく、すとん、と優花里の胸にその名前は落ち着いた。

 一瞬だけでもカリエと同じソウルネームを貰い受けたことは喜ばしいことだったが、それ以上に自分だけの名を貰うことが何よりも嬉しかった。

 試合をするたびに友人が増えていく戦車道が、何よりも楽しくて仕方がなかった。

 

「はい! ありがとうございます!」

 

 この試合において始めて見せた心からの笑顔だった。

 廃校のプレッシャーも、大洗を率いるというプレッシャーからも解放された、彼女本来の笑みだった。

 

「……次の黒森峰は本当の強敵よ。あそこは王者の癖に戦うたびに強くなっている。でも、戦う相手に合わせて強くなれるあんたたちなら、もしかするともしかするかもしれないわね」

 

 それだけを告げて、カチューシャは待たせていたTー34/85に乗り込んでいった。

 黒煙を噴き上げるⅣ号戦車とは対照的に、殆ど無傷のまま生き残っている隊長車だった。

 結局のところ、一騎打ちの技量では大洗の完敗だった。

 

「ゆかりーん!!」

 

 本当に紙一重の勝利だったんだな、と今更ながらに思い知らされた優花里が、膝から雪にダイブする。

 一度抜けてしまった腰は中々言うことを聞いてくれず、慌てて駆けつけてきた沙織に抱き起こされるまでそのままだった。

 

「大丈夫!?」

 

「いえ、力が抜けただけですよ。ご心配、ご迷惑をお掛けしました」

 

 沙織と華、そして麻子に囲まれながら優花里は空を見上げた。

 いつの間にか満月が天頂に達し、世界を青白く染め上げている。

 その色さえも、自身が目標にした、いや、超えるべき人の色に似ていて、王者の頂の高さを突きつけられているようだった。

 

 だが、試合中盤に感じていた絶望感を再び覚えることはなかった。

 

 勝てるかどうかも、勝負になるかどうかもわからなかった。

 それでも、ようやっとその頂に指が届いたことが今は何よりも幸せだった。

 戦車道を始めて凡そ一年。

 

 ついに秋山優花里の戦車道は、王座への切符をその手に掴み取っていた。




次回、王者黒森峰戦です。
月曜日に投稿できるよう調整しています。

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