黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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逸見カリエの戦車道 03

 エリカとダージリンからカリエが聞かされたのは、これからどうやって戦車道を続けていくのか、という道筋だった。

 黒森峰で続けることが殆ど不可能な現状を考えてみれば、二人が語った「転校」というプランは随分と現実味を帯びている。ただ、問題はどこの学校ならば、「逸見カリエ」という存在を受け入れてくれるのか、だった。

 彼女のネームバリューは、本人が考えている以上に大きいものだ。生半可な高校では派閥割れやOG会との軋轢を恐れて受け入れることができない。

 そんな中、エリカとダージリンの二人が口にしたのはカリエにとって予想だにしなかった学校名だった。

 

「大洗女子学園ならば、あなたを受け入れてくれるわ」

 

 え? は? とカリエは目に見えて困惑した。まさか決勝で惜敗した相手チームに転校しろと言われるとは、さすがに予想していなかったからだ。まさか二人の遠回しな意趣返しか、と邪推してしまうのも無理からぬ事だった。

 しかしながら、エリカとダージリン、それぞれの瞳を見つめたその瞬間に、カリエは二人が本気であることを悟った。

 世界で一番自分のことを理解してくれている二人が見せた視線は、こちらを裏切るものではなかったから。

 

「えと、でもその、なんというかそれは不味いんじゃ」

 

 上手く言葉に表現することはできないが、この転校劇は今まで自分を支え続けてくれた人々に対する裏切りのようにカリエは感じた。

 このままではただの蝙蝠野郎ではないか、と考えたのだ。だがエリカはそんなカリエの気勢を制するように口を開いた。

 

「……正直、あんたのネームバリューを受け入れることのできる器を持つ学校なんてそこ以外存在しないわ。曲がりなりにも伝統を重視する高校戦車道界において、元黒森峰のあんたを受け入れて無事に済むケースなんて皆無よ」

 

「エリカさんの言うとおりよ。あの学校は一度伝統が断絶しているお陰で、何処までもニュートラル。しかもあなたを受けれても崩壊しない芯の強さもあるわ。唯一の懸念はあなたが告げたとおり、あなたを打ち破って優勝したという実績だけね。あなたが周囲から裏切り者の誹りを受けることは否定しないわ。でもそんな誹り、必ずや私達が払拭してみせるから安心して欲しいの」

 

 二人の展開する理屈は確かに正しいのだろう。だがカリエは素直に首を縦に振ることができない。当たり前だ。そこで納得することのできる理詰め人間ならば、恐らく決勝戦で敗れるようなことは無かっただろうから。

 

「――二人がそこまで考えてくれたことはとても嬉しいし、ありがたいと思う。でもそれはできないよ。ここで私が大洗に行ってしまったら、たぶん誰にも顔向けができなくなると思う。何より、私自身が許せない。そんなみんなの思いを犠牲にしてまで、競技にしがみつきたくない」

 

 一拍だけおいて、カリエはこう答えた。それはもうこれ以上答えを覆すつもりはない、というはっきりとした声音だ。

 エリカもダージリンもそんなカリエの信念を感じ取ったのだろう。二人とも顔を見合わせていた。有る程度カリエがこちらに反発することは考えていたが、まさかこうもあっさりに戦車道を諦めてくるのはさすがに予想外だったのだ。

 エリカが慌てて問いかける。

 

「ならあんたはこれからどうするの? 正直、もう他には戦車道のない高校に転校するか、黒森峰の片隅で細々と暮らしていくしかないわよ」

 

「別にそれでもいいよ。あ、でも黒森峰に残るのは駄目かな。一応、引退ということで責任は取ったけれども、まだまだ私に対するOG会の嫌がらせは続くと思う。そのとばっちりを皆には合わせられないから、出て行くことは出て行くよ」

 

 次は大学で会いたい、とカリエは笑った。それはここ数日間の出来事に憔悴しきった上に形作られた脆い笑みだった。

 これは駄目だ、とダージリンは焦りを見せる。このままではカリエだけが虐げられる、本当の意味での最悪のシナリオになりかねないと感じたからだ。

 だから口を開こうとする。

 

 恨まれたって良い。

 絶縁されても良い。

 許されずとも良い。

 

 即興で練り上げた言葉を頭の中で反芻する。

 

 ――あなたには失望したわ。そんな簡単に逃げ出すのね。私を負かした癖に、あっさりと戦車道を捨てるのね。いつか必ずあなたを陥れるという私の気持ちをどうしてくれるのよ。その為に、ここまであなたに取り入ってきたのに。

 

 ぐっとダージリンは瞳を閉じた。目の前に横たわる自身とカリエの終わりに絶望する。だが、彼女はそこで躊躇することはない。カリエが少しでも前に進めるのなら、もう一度、エリカの隣に立つことができ、幸せに思えるのならそれで良いと自分に言い聞かせていた。

 

 結局のところ、ダージリンは逸見カリエに、黒森峰で築き上げてきたものを捨てさせたくなかったのだ。

 彼女が築き上げた黒森峰に敗北した自分が誇らしいから。

 自身を叩きのめしたチームを作り上げた、カリエが好きだったから。

 

 口を開く。終わりのワードか喉を通過する。目の前がちかちかする。手に掻いた汗が握りしめたスカートを濡らしていた。

 だがその呪いは成就しない。

 ダージリンが言葉を発するよりも僅か数秒先に、別の声が割って入っていた。

 

「……は? あんた何か勘違いしてない? これは私からの罰よ。ダージリンは何か綺麗事をほざいてるけれど、私は違うわ」

 

 最初、何を言っているのかわからなかった。それはカリエもダージリンも同じこと。

 

「あんた負けたのよ。お陰で黒森峰は十一連覇を逃して、私たちは負け犬の罵倒を受けている。良い迷惑だわ。身勝手な独断と専行で巻き添えを食らうこっちの身にもなってよ」

 

 エリカがカリエに詰め寄っていた。

 

「何甘いこと言って逃げようとしているのよ。戦車道をやめる? 大学からまた始めればいいから? 馬鹿じゃないの? 私はあんたと大学で戦車道を続けたいなんて考えていないわ。だってそうでしょう? 負け犬の妹とツーマンセルなんて、普通に考えたらまっぴらだもの」

 

 あまりのことにカリエもダージリンも動けない。突然の暴挙とも取れる言動に呆気に取られてしまっていた。

 エリカはさらに畳みかける。

 

「いいんじゃない? 大洗に行って裏切り者の誹りを受ければ。そしたら私たち残された方はまた団結が出来るもの。裏切り者を必ずや討つという大義名分が抱けるから。だから、ねえ、あんた、ちょっとあっちに行って来年の大会に顔を出しなさいよ。――徹底的に痛めつけてやるから」

 

 気がつけばダージリンはエリカの正面に立っていた。そしてこれ以上言わせてはならないと、そのままエリカの身体を押しのけようとする。少しでもカリエから引き離すように、これ以上、エリカの言葉がカリエに届かないように。

 だが悲しいかな。普段から身体を鍛えているエリカを、ダージリンはその場から一歩も動かすことが出来なかった。

 

「……う、嘘だよね。お姉ちゃん。それは演技だよね。わかっているよそんなこと。お姉ちゃんはそんなこといわないもん」

 

 震える声でようやくカリエが言葉を紡いだ。これまでたくさんの涙を流してきたカリエだったが、ここで流したのはこれまでとは全く違った種類のものだった。

 彼女の目尻を濡らすのは、深い絶望の涙。

 

「……何私のことをわかった気になっているのよ。あんたが私の何を知ってるっていうの? やめてよ気持ち悪い」

 

 カリエは言葉を失った。エリカはそんなカリエを見て、

ダージリンを無理矢理引き剥がす。そしてカリエの眼前に立った。

 

「さようなら。あんたとはここでお別れね」

 

 

 01/

 

 

 これでいいのだ、とエリカは一人、学園艦の公園で自分に言い聞かせていた。

 あの瞬間、ダージリンに憎まれ役をさせてはならないと、エリカは瞬時に判断した。

 カリエの理解役には彼女が必要だったのだ。黒森峰とはなんの関係もない、無心に支えてくれる人が必要だった。

 だからダージリンには言わせなかった。彼女が考えたであろう、悪役の台詞を遮断した。それを告げることが出来るのは、この世界で自分だけなのだと前に出た。

 今まで散々、姉妹喧嘩をしてきた仲だがあそこまで一方的になじったのは今回が初めてだろう。

 

「あーあ、嫌われたわね」

 

 やや投げやりな、だがどこかあっさりとした声色が誰もいない公園に木霊する。

 後悔はない。

 カリエがまだ戦車道を続けられるのなら、自分はどんなに憎まれても良かったから。

 ただ悲しみがないと言えば嘘になる。

 だって、結果的には妹を傷つけたことには変わりないから。

 

「本当、馬鹿みたい」

 

 腰掛けたベンチに背を預け、エリカは空を見上げた。月明かりに照らされたやや青みがかった空。

 ほんの一時間前にはカリエと見上げていた空。

 

「本当、馬鹿みたい」

 

 もう一度、同じ言葉がこぼれる。

 不意にぼやけた視界を誤魔化すため、腕で顔を隠した。どうしてこうなってしまったのだろうと、答えのでない問いを何度も何度も繰り返して。

 

「馬鹿じゃないの、エリカ」

 

「馬鹿じゃないよ」

 

 怨嗟すら込められた声に、ふと返されるものがあった。視界を覆っていた腕をそっとずらしてみれば、こちらを心配げに見下ろす二つの瞳と目が合う。

 エリカはのっそりとベンチを起きあがった。

 

「……ごめんね、みほ。先に帰ってて。私、しばらく帰れそうにないわ」

 

 エリカの憔悴しきった声に、みほは「ううん」と首を横に振る。

 

「アパートにはさっき一度帰ったよ。そしたらダージリンさんがいて、『エリカさんを探してきて頂戴』って頼まれちゃった」

 

 余計なことを、とエリカは爪を噛んだ。勝手に自爆した自分なんて、ほっとけばいいのに、と八つ当たりを口にする。

 みほはそんなエリカを見て、およその事情を察したのだろう。敢えて姉妹の話題には触れず、自分が今まで何処で何をしていたのかを語り始めた。

 

「小梅さんのところで、いろんなところに電話してたの。処分に関する抗議書面も作ったからあとで確認してね。取り敢えず明日は顧問の先生と理事長のところに行って直談判を行います。黒森峰の隊長として、いや、一人の友達として今回の処分劇は許せません」

 

 ぐっ、と力を込めて気合いを入れるみほを見て、エリカは「ああ、まだこれからのことを知らないのか」とある種の納得をしていた。そして、ダージリンがエリカの方からみほたちに事の進め方を説明しろと言われていたことを思い出す。

 なら、せめてその役割くらいは全うしなければ、とエリカはみほに向き直った。

 そして語る。

 ダージリンと自分が進むと決めた道を。

 自身が犯した、カリエに対する背徳の内容すらも。

 

 

 02/

 

 

 ダージリンは自身の携帯電話にエリカからメッセージが入っていることに気がついた。書面は簡潔明瞭。

 

 赤星小梅の所に泊まるから、カリエをよろしく頼むわ。

 

 どうやらあちらはあちらで確実に手を進めているのだ、とダージリンは一人ごちた。そして、携帯電話を枕元に置き直し、隣で横になっているカリエを横目で見る。

 彼女はこちらに背を向けたまま、微動だにしていない。一瞬眠っているのか、と考えたが、その割には呼吸も不規則だったので、本当に横になっているだけなのだろう、と判断した。

 今二人はカリエの部屋で一つのベッドを共有している。今日のカリエをさすがに一人にはしておけないと考えたダージリンが宿泊を申し出たのだ。茫然自失のカリエはそんな願いをあっさりと了承し、一人とっとと部屋に籠もってしまっていた。さすがに入浴はしましょう? と提案するダージリンにカリエは何も返さなかった。

 ダージリンも諦めがついたのか、それ以上細かいことは言わず、ただカリエの隣に寝転がった。

 そしてそんな二人の同衾から小一時間が経とうとしている。

 

 ――今日はもう、このままそっとしておくべきか。

 

 沈黙を保ったままのカリエにダージリンはそんなことを考えた。そして余りにも負担を掛けすぎていると、反省と自己に対する嫌悪感を胸に抱く。

 だがその嫌悪のスパイラルはそう長くは続かない。何故ならぽつりと、ここにきてようやくカリエが口を開いたからだ。彼女はダージリンに背を向けたまま、少しずつ言葉を繋いでいく。

 

「……本当はエリカが思ってもいないことを言ってるってわかってるんです。だって、エリカったら演技が下手くそだから」

 

 ダージリンはカリエの手を後ろからそっと握りしめた。カリエもそれを無下にすることはせず、静かに握り返す。

 

「……二人は何か考えがあって、私を大洗に転校させたいんですよね。たぶん、そこにいかないといけない何かがあるんでしょう? だからエリカはあんな突き放すようなことを言った。あんな下手くそな演技で、私を突き放した」

 

 カリエの聡明さが初めて疎ましいとダージリンは感じる。何も知らないまま、されるがままならここまで苦悩せずともいいのに、と唇を噛む。

 

「何が辛いって、そんな憎まれ役をエリカにさせたことが辛いんです。あんな泣きそうな顔をしているエリカを見たくなかった。何より、私なんかの為に、あんな顔をさせたくなかった」

 

 ぎゅっ、とダージリンの手を握るカリエの手の力が増した。かすかに震えるそれは、やがて何かを決意したかのように堅く結ばれた。

 背を向けたままだったカリエが振り返ってみせる。

 二人の視線が至近距離で交錯した。

 

「――私、大洗に行きます。二人の意図は敢えて聞きません。私のために紡ぎ上げてくれた道なら、多分大丈夫だから」

 

 ダージリンはああ、と声を漏らした。

 自分が恋い焦がれ、心を許した瞳がここにあると。

 勝手に焦って、追いつめられて、奔走していた自分が恥ずかしい。

 どんな苦難があっても、必ず自分の意志で前に進む強さがあったからこそ、全てをあげてもいいとダージリンは素直に思えたのだのだから。

 そんな大事なことを忘れていたなんて、と彼女は思わず苦笑を漏らす。

 そして、しっかりと視線を交わしたまま、己の本音を、心からの気持ちを口にした。

 

「――私も、カリエさんならきっと大丈夫だと信じているわ」

 

 

 /03

 

 

 封の切られた段ボールがいくつか積まれた部屋がある。

 中途半端に引っ越し準備が進んだ、辛気くさい部屋だった。

 黒森峰での最後の数日は怒濤のように過ぎ去っていた。

 九州から北関東へ。

 距離で言えばどれくらいなのだろうか。

 鼻で感じる匂いも、肌で感じる気温も、目で感じる景色も、心で思う世界も、すべてがあっという間に様変わりしていた。

 カリエは一人横になっている。

 結局、エリカと喧嘩まがいのことをしてからこちら――大洗のアパートに引っ越してくるまで、エリカと会話を交わすことは無かった。

 引っ越しの荷物をまとめることだって手伝ってくれたのに、終始、互いに無言だった。

 恐らく互いに遠慮していたのだろう、とカリエは嘆息する。

 姉にあそこまで言わせるくらい、迷惑を掛けた自分が不甲斐ないと感じたカリエ。

 妹に方便とはいえ、あそこまで言ってしまったという自己嫌悪感に苛まれているエリカ。

 双子故の似たもの同士というか、お互いがお互いに引け目を感じた故に会話の糸口を見つけることが出来なかった。

 この転校が今生の別れというわけではないだろうが、次に轡を並べて戦うことがあるのだろうか、とカリエは不安を覚える。ダージリンとエリカがたてたプランによれば、恐らく大学に進学するまで、この状態が続くのだろう。もう黒森峰にいられない以上、仕方のないことではあるが、それでもそう簡単に割り切れるものでもなかった。

 未練というものをかなぐり捨てて生きていけるほど、カリエはまだ達観はしていない。

 

「でもなんかあっという間だったな。まあ、緊急避難みたいなものだから仕方がないのか」

 

 エリカとダージリンが、自身を黒森峰から遠ざけようとした心胆くらいなら、カリエは理解していた。あのまま学園に残り続けていても、OG会からの嫌がらせは継続していただろうし、他の生徒にも被害が及んで、カリエがその心を痛めることになっていたことは確実だ。

 そんな目にカリエを遭わせたくないからこそ、二人は半ば強引に大洗にねじ込んで見せたのだ。

 世間から裏切り者の誹りを受けることにはなるかもしれないが、世間からの評価など割とどうでも良いと考えているカリエからすれば、前述の問題に比べれば些細なことだった。

 ただ、一つだけ心残りがある。

 

「……佐久間さんには悪いことしたな。他のみんなもろくに挨拶できなかった」

 

 それは黒森峰の仲間たちと満足に別れを交わせなかったことである。彼女たちも、エリカとみほから何かを聞かされていたのか、それとも自分たちで察したのか、カリエの転校劇に大騒ぎをすることはそれほどなかった。カリエを信奉するナナのような仲間たちからの引き留めはあったが、大方エリカが説得して回ったのだろう。最後まで受け入れられなかったのは結局ナナだけだった。

 そんなナナも、カリエに恨み言を告げることだけはなかったくらいだ。

 

「ちょっと落ち着いたら、みんなに連絡くらい取ろう。いや、長期休みに遊びに行くくらいなら大丈夫かな」

 

 ぼんやりと天井を見上げながら、カリエは寝返りを打つ。

 昨晩のうちに大洗に到着した彼女は、杏に紹介された地元のホテルに宿泊、そして次の日の朝、学園艦に乗船した後、午前のうちに下宿先のアパートへたどり着いていた。それなりの強行日程で体力を消耗した上に、アパートで出迎えてくれたのが先に送り届けられていた段ボールの山となれば、それは致命傷にも似た止めの一撃だ。

 引っ越し作業を始めておよそ半日。その時間の殆どを、カリエはだらだらと過ごしている。あらゆる事に対するモチベーションというものが、一切湧いてこなかったのだ。

 余りにも急な転校だった為か、どうしても思考を切り替えることが出来ず、黒森峰のことをつらつらと考えてしまう。それが良くないことであり、エリカとダージリンに迷惑を掛けることだとわかってはいても、どうしても身体が動いてはくれなかった。

 まさか一人がこんなにも居心地悪いものだとは、想像もしていなかった。

 

「あのー、すいませーん」

 

 ふと、声がしたような気がした。学園経営のアパートだから、壁が薄いのだろうかと不機嫌度合いを深める。

 

「留守なんでしょうか。あれ、でも鍵は開いてるし、電気もついていますね」

 

 いや、違うとカリエは跳ね起きた。まさかの突然の来客に何事かと、アパートの入り口を見た。

 目が合う。

 栗色の癖毛が懐かしい、いつか見た友人であり恩人であり、好敵手である少女が扉から半身を覗かせていた。

 

「あれ? カリエ殿がどうしてここに?」

 

「……優花里さん?」

 

 まさかの、余りにも早すぎる邂逅だった。

 

 

 04/

 

 

 同じ学園艦、しかもこちらで戦車道を履修する可能性があったカリエからしてみれば、秋山優花里との再会は想定している範囲のものだった。

 だが、戦車道の授業はもっと自身が落ち着いてから――それこそ三学期までは保留にして、それまでに有る程度の心の整理を付けておこうと予定立てていたカリエからしてみれば、今回の再会はあまりにも早すぎる出来事だった。

 

「いやー、あの会長にアルバイトの話を持ちかけられた時点で疑わなくちゃいけなかったんだよ。まさかこんな隠し玉があるなんて」

 

「でも驚きました。あの逸見カリエさんが大洗に転校してくるなんて。あの、なんでしたっけ? 戦車道履修者を対象にした交換プログラムとかなんとか」

 

「それで黒森峰から人が来るなんて夢にも思わないけどな。普通は。まったく、生徒会は何を考えている」

 

「まあまあ、みなさん。時限付きとはいえ、折角カリエ殿がわざわざ大洗まで来て下さったんですから、会長の政治手腕に感謝しましょうよ。カリエ殿のネームバリューなら、恐らく他の学校と壮絶な奪い合いになったことでしょうし」

 

 武部沙織。

 五十鈴華。

 冷泉麻子。

 そして秋山優花里の四人を加えたアパートの一室はさすがに手狭だった。

 カリエは困惑を深めたまま、念のために、と購入しておいた紙コップにジュースを注いで四人に手渡す。

 

「わあ、有り難うございます! 外がなかなかの暑さだったので、とても助かります! こうなったらわたくしたち、バリバリと引っ越しのお手伝いをさせて頂きますよ!」

 

 優花里と、残りの三人の口振りからカリエはなんとなく事情を察し始めていた。

 

「えと、四人はひょっとしてあの生徒会長さんから私を手伝うように、お願いされたの?」

 

 カリエの疑問に答えたのは沙織だった。

 

「そだよー。割の良い物品整理のアルバイトがあるから受けないかって、昨日電話が掛かってきてさー。そしたらびっくりしちゃった。まさか天下の黒森峰から時限付き転校ってやつで逸見さんがこっちに来てるなんて完全に予想外だよ」

 

 動きやすい服装に、軍手を携えた四人の姿を見れば、どうやらそれが真実らしいとカリエは納得した。だが、一つだけ見逃せない単語が散見している。

 

「ねえ、優花里さん。生徒会長さんから時限付き転校って聞かされているみたいだけれど?」

 

 敢えて曖昧な形で問いを口にする。これは完全な直感だったが、カリエは四人が転校の真実を聞かされていないと当たりをつけたのだ。そしてその勘は正しい。

 

「ええ。高校戦車道振興のために、二学期からそれぞれの戦車道の人員交流が行われるらしいんです。その第一号の方が大洗にいらっしゃると昨日聞かされたんですよ。――まさかそれがカリエ殿とは思いも寄りませんでしたけれど。というか、今でもこれが夢なんじゃないか、と疑っている自分がいます」

 

 えへへ、と笑う優花里を見て、カリエはおよその真実を理解していた。

 間違いない。

 件の生徒会長である角谷杏は四人に嘘をついている。

 彼女はカリエが特殊な形式で大洗に転校してきたと、四人に伝えているのだ。

 カリエは大洗女子学園に対して、一身上の都合という一筆を添えて通常の転校届けを提出した。書類そのものはまだ届いたばかりだろうが、その旨は電話連絡という形で数日前に相手方に伝えているから、そこで齟齬が発生したことはありえないだろう。多分、その連絡が生徒会長である角谷杏のもとに届けられてから、意図的に歪められているのだ。

 果たして何のために、と憶測を膨らませる中、気がつけば四人はカリエの出したジュースを飲みきって、それぞれ段ボールに組み付いていた。

 

「ねえ、カリりん、この服はそこの衣装ケースに入れたらいいのかな?」

 

「か、カリりん?」

 

「あら、このズボンとシャツ、男の子みたいですね。でも、凛とした逸見さんが着られればきっとお似合いなんでしょう」

 

「え、いや、それはダージリンさんと出かけた時に着ようと買ったやつで……」

 

「なあ、これ黒森峰の教科書か? 随分と進度がこちらとは違うんだな」

 

「えと、それはエリカが勉強しろって買ってきた参考書だから……」

 

「うわーカリエ殿! この箱、ひょっとして全部戦車道関係の本や資料ですよね! わわわ! これは黒森峰の生徒にしか配布されないという戦車道必携じゃないですか! すごい! 全部のページにカリエ殿の注釈が加えられています! あ、あとで見せていただいてもよろしいですか!?」

 

「あ、あの優花里さん?」

 

 思考を深める間もなく、四人それぞれがてきぱきと引っ越し作業を進めていく。カリエはおろおろとそんな四人の質問に答え続けるのが精一杯だった。

 午前からあれだけ進まなかった引っ越し作業だったが、気がつけば日が暮れる前にあらかた片づいてしまっていた。

 

「よし、これで大体終わったね。じゃあ、晩ご飯の買い出しにいこうよ。カリエさん、ちょっと台所借りるね?」

 

 そしてあっというまに、四人に連れられて学園艦のスーパーに連れられていた。「これから女子会だから!」と夕食以外にもお菓子やジュースがぽんぽんとカゴの中に放り込まれていくのを、カリエは呆然と眺め続ける。

 

「あ、お金の心配はしないでくださいね。生徒会から、今日の報酬として夕食代プラスお菓子代を貰ってきてますから!」

 

 カリエが言葉を失っているのを見て、何を勘違いしたのか優花里が全く見当違いの言葉を口にしていた。そういうことじゃないんだけれどなあ、とカリエは眉尻を下げるが、ここにきて四人の盛り上がりを邪魔する気にもなれず、あとはされるがままだった。 

 気がつけば、カリエが黒森峰から持ってきた食卓を五人で囲んで、豚カツとその他総菜に舌鼓を打つことになったのである。

 

「ねえ、カリりん。戦車道の授業は明日から参加するの?」

 

「え、いや、手続きとかあるから、会長と相談することになると思う」

 

「ふーん、色々とめんどくさいんだな」

 

 食事のさなか、中々際どいことを明け透けに聞いてくる沙織を何とかかわし、麻子の気だるげな反応に相づちを返す。

 

「でもカリエ殿が戦車道の授業に参加されるとなると、どの車両に参加して貰うのがいいのでしょう? わたくし、一度はカリエ殿の指揮の元で戦ってみたいので、Ⅳ号戦車の車長をしてみますか?」

 

「……一回くらいなら」

 

 きらきらとした視線を送る優花里には、曖昧な返事で誤魔化した。まさかカリエがどのような境遇に陥っているのか知らない優花里は、ただ純粋な好意を向けてきているのだ。そんな優花里の純情をここで台無しにするほど、カリエはまだ擦り切れていない。

 けれども、そこで割り切った感情を抱くことができる程強くはなかった。

 胸の内にくすぶる仄暗い感情はいつだってそこにある。

 

「ーーどうやらカリエさんはお疲れのようですね。皆さん、そろそろお暇いたしましょうか」

 

 ふと、華がそんなことを三人に提案していた。直前にカリエと目があったのは果たして偶然なのだろうか。

 その真意をカリエが推し量ることはなかったが、それでも暗い感情に吐き気を覚えつつある彼女からしてみれば渡りに船の提案であった。

 

「そうですね。夜も遅くなってきましたし、カリエ殿、明日またお会いしましょう」

 

 優花里が立ち上がったのが全ての合図だった。四人の中で一番ふわふわとした印象を抱かせる優花里だが、残りの三人はそんな優花里を自分たちのリーダーだと認めているのだろう。それぞれが優花里の後を追うように荷物を纏めていく。

 外から見ていただけでは、わからないこともたくさんあるんだな、とカリエはそんな四人組の人間関係をぼんやりと観察していた。

 そしてこの連帯感に自分たちは敗れたのだと、改めて思い知ることになっていた。

 

「……優花里さん、五十鈴さん、武部さん、冷泉さん、今日はありがとうございました。また明日からもよろしくお願いします」

 

 別れの言葉はそんな感じのものだった。

 四人とも、笑顔でカリエのアパートを後にしていた。

 一人残されたカリエはすっかり片づいてしまったアパートでぼんやりと天井を見上げる。

 

 それから就寝するまでの少しの間。

 カリエが考え続けたのは黒森峰に残してきた仲間たちのことだった。 

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