選抜戦のスケジュールは延べ三日間と設定されている。
一日目の今日は、招集された学校及び選手が大会会場に集合して、それぞれの顔合わせ。二日目は選抜戦に向けての作戦会議が各校の隊長クラス同士で行われ、そしてそのまま選抜チームとしては初の合同訓練を行うことになっている。本戦そのものは三日目で、一日がかりで試合が決行される。
大洗女子学園は初日の、日が昇ったばかりの早朝に現地入りを果たしていた。
高校選抜チームに割り当てられた巨大な宿舎では全てではないものの、招集された幾つかの学校が待ち受けていた。
「ご機嫌よう、大洗の皆さん。全国大会ぶりね。長旅ご苦労様でした」
朝霧も覚めやらぬ宿舎の大部屋。
そこでは先に到着していた聖グロリアーナ女学院の生徒たちが荷物を整理し、人員の点呼を行っている最中だった。
集団の長たるダージリンは大洗女子学園が到着したことに気がつくと、オレンジペコを伴って、ねぎらいの言葉を掛けるべくグロリアーナの集団から一歩前に出る。
相対したのはこちらも大洗女子学園の長たる角谷杏だった。もう一人のある意味でトップである秋山優花里は戦車の搬入関係で席を外している。
開口一番、ダージリンが口にしたのは意外なことに謝罪だった。
「今回の様々なこと本当に申し訳なく思うわ。けれども非才な私にはこの道しか見えなかったのよ」
様々な事——。
それの意味するところを知っている杏は嫌な顔を一つせずに笑って見せた。
例え自分たちが利用されているのだとしても、ダージリンの根底にはこちらに対する優しさがあることに気がついているから。
自分たちをライバルと認めてくれた彼女が、同時に大洗廃校の危機も救おうと奔走してくれていることを知っているから。
だから返答は感謝の言葉から。
「いや、廃校のことを考えるとダージリンがこうやってセッティングしてくれた道は本当に有り難いと思っているよ。それに明後日は私たちと一緒に戦ってくれるんだよね。ならそれで貸し借りはなしだ」
杏の快活な声を受けて、ダージリンは安堵したかのように優しく微笑んだ。微笑んで、ちらりと視線を大洗の生徒たちに向ける。
彼女の青い瞳が何度も集団の中を往復した。
今度は微笑みから一転、何かしらの憂いの色を視線は帯びている。
明らかに探していた。
杏は「ああ」と何かしら合点が言った調子で口を開く。
「——カリエちゃんは外で私たちの戦車の積み卸しを手伝ってくれているよ。彼女はうちのⅣ号戦車の装填手として参加してくれることになっているから」
ダージリンの真意を汲み取った彼女は先んじてカリエの居場所を伝えていた。ダージリンも自身の行動があからさま過ぎることを自覚していたのか、それともカリエへの思いが読まれていることはある程度予測済みだったのか、特に焦りを見せることもなく「そう——」と言葉を漏らす。
ただ二の句は随分と長い間紡がれなかった。二人の間に微妙な間が生まれようとも、ダージリンはリアクションを起こさなかった。
「ダージリン?」
杏が心配の声をあげた時、やがて何か諦観したような、それでいて何処か遠い目線を含んだ表情でこう告げた。
「なら、今は無理に顔を合わせない方が良いのかもしれないわね」
側に控えていたオレンジペコが悲しげに眉の両端を下げている。きっとグロリアーナの中——いや、ダージリンたちの間にも様々な葛藤があったのだろう。言わば彼女たちもカリエと同じように数多くの苦境を味わっているのだ。
そんな様子を察した杏は若干の迷いを見せはしたが、直ぐに表情を引き締めて口を開いた。
「いや、今から行ってきなよ。そしてダージリンにも見て欲しい。あの翡翠色の目の向こう側にある篝火を」
篝火? とダージリンが首を傾げた。
「まだ大きな火なんかじゃない。まだまだ小さな火。けれども来るべき時に向けて機を待ち続けている火だ。ダージリンは是非ともそれを見るべきだと思う」
その時、側にいたオレンジペコを始めとして、対面する杏も感じたのはダージリンの怯えたような雰囲気だった。
ここまでくれば彼女がカリエに対してどのような思いを抱いているのか二人とも手に取るように理解していた。
「大丈夫だよ。カリエちゃんはダージリンのことを恨んでなんかいない。選抜戦に巻き込んだことを憎らしく思ってなんかいない。むしろ、荒れに荒れていたよ。ダージリンさんの期待に沿えない! って。だから会ってやりなよ。会って、カリエちゃんの火を見てあげて」
そう。ダージリンが恐れていたのはカリエの心だった。
良かれと思って牽いてきた道。カリエが黒森峰に戻ることができるのなら、と敷き詰めた道。
だがそれは結果的にカリエを苦しめる楔にもなっていた。心折れ、戦車を拒絶したカリエを追い詰める結果になっていた。
こんな筈ではなかったのに、と随分と取り乱しもした。何度も何度も己の自分勝手さと迂闊さを呪った。
いっそのこと、カリエの方から糾弾してくれればいいのにと仄暗い感情も渦巻いていた。
それでも、カリエに嫌われるのが怖かった。
死んでしまいそうなほど怖かった。
「——でももしそこであの人に拒絶されてしまったら、私はこれ以上生きていけないわ」
「杞憂さ。むしろここで会わないと絶対に後悔すると思う」
杏の言葉は頑なだ。彼女の意志の強さを表すような堅さだった。
ダージリンもようやく観念したのだろう。控えていたオレンジペコに後のことを任せると、一人宿舎を後にしていった。その後ろ姿はグロリアーナの女王でも何でもなく、ただ一人の、思い人との逢瀬に不安を覚える少女のものだった。
杏は一言、何処か嬉しそうに呟きを見せる。その言葉は残されたオレンジペコですら同意を示すある一つの事実。
「青春だねえ」
01/
あれだけ追い求めてきた姿は実にあっさりと見つかった。
宿舎を後にして、高校選抜チームが使うことになる戦車ガレージへと足を踏み入れたダージリンは思わず足を止めていた。
あ、と声を漏らしたのはどちらだったか。
少なくとも、彼女たち以外には一切の人影が見当たらなかったので、カリエとダージリン、どちらかということになる。
ただ、先に口を開いたのはカリエからだった。
彼女は手にしていたⅣ号戦車の訓練用砲弾を足下に置いて、ダージリンを見た。
「……戦車の搬入が終わったから、いろいろと最終チェックをしていたんです。明後日は装填手として参加しますから砲弾の積み込みとかもしなければなりませんし、優花里さんや華さんと装填のタイミングなんかも話し合わないと」
言い訳染みた言葉はカリエの心情を如実に表していた。事実カリエの足はダージリンから遠ざかろうとしている。
その動きを見たダージリンは本能的に駆けだして、及び腰になっていたカリエの手を掴み取っていた、
やってしまった、と感じたのは恐らく両方だろう。
「凡その事情はそちらの角谷さんから聞かせて貰ったわ」
ぎゅっ、とダージリンの白い手に力が込められる。
事情というのはカリエが大洗に転校してから起こったほぼ全てのことを指していた。
カリエもそのことを理解しているからこそ、ダージリンの期待を裏切り続けている現実を思い出して咄嗟に目線を逸らしていた。
そしてダージリンはそんなカリエの一挙手一投足が悲しくて仕方がなかった。
「どうしてこちらを見てくださらないの。私のことが嫌いになったの?」
縋り付くようにダージリンがカリエを引っ張った。本来ならばそんなことでカリエが体勢を崩されることはなかっただろう。
だが突然の再会に驚いていたカリエはいとも簡単に足下をふらつかせて、ダージリンと殆ど密着するように立ち尽くすことになる。
二人の距離がほぼ限りなくゼロになっていた。
けれども二人が触れあう部分にはどんな熱も感じられず、むしろ今までの溝が割り込んだかのような冷たさが横たわっていた。
これでは昔のままではないか、とどちらとも唇をきつく噛む。
噛んで、やがて観念したように、カリエは声を発した。
「ダージリンさんこそ、私に失望したんじゃないんですか? 車長として戦車に乗れなくなった私はもう黒森峰に凱旋できないかもしれないのに。あなたが心尽くしてくれた策を全部台無しにしているのに」
ダージリンがカリエに思いを問うたのなら、カリエもまた同じ事を問うていた。
ずっと逃げ続けていた——けれどもいつかははっきりとさせなければならない残酷な問い。それを互いが互いにそれぞれぶつけ合っていた。
視線がぶつかる。
不安に塗れた瞳が合わせ鏡のように相手を映す。
絶望の沈黙が二人を覆い尽くす。
相手の真意を聞くのが怖くて。
これから先の未来を見通すことが怖くて言葉が出なかった。
ふと、カリエを引き寄せていたダージリンの手が少しずつ緩みだした。
まだ掴んではいる。カリエに触れてはいる。だがそんな最後の糸は確実に綻びを見せている。
カリエもそれを感じて、諦めたように瞳を閉じた。
二人の体が離れていく——。
02/
その時、カリエは自身の中で燻っている何かが熱を帯びていることに気がついた。
今となっては見失ってしまっている、とても大切な何か。
まだまだその正体はわからない。
ただ、その熱はとても心地よくて、二人の間にあった冷たい溝ですら溶かしていくようだった。
本当ならこんなこと恥ずかしくて出来ないのに。
本来ならこのまま分かれてしまう二人なのに。
カリエの手が動く。
03/
「——嫌いになるはずないじゃないですか。大好きですよ。大好きだから、愛しているから今の自分が情けなくて辛いんです。あなたの期待に応えられない自分が嫌で嫌で仕方がないんです」
絞り出すように声を出す。
けれどもカリエはいつの間にかダージリンの背中にしっかりと手を回して、そのか細い体をしっかりとかき抱いていた。苦悩と恐怖を押し隠すように、強く強く抱きしめていた。
驚きに表情を染めたダージリンが「カリエさん?」と困惑の声を漏らしていた。
それすらも包み込むように、いや、奪い取るようにカリエは強く強く抱き寄せていく。
「あなたを嫌った事なんて今までも、これからも永劫ありえない。こんな情けない『男』ですけれども、それが私です」
ダージリンの動きが止まった。
息を呑んで、視線をカリエに走らせて、体を硬直させていた。
そして「ああ」と声を、吐息を漏らす。
彼女の体はしっかりとカリエの腕の中に収まっていった。
極至近距離で二人の間で睦言が交わされる。
「……よかった。あなたはあなたのままだった。私の考えは正しかった。あなたがどれだけ強い人間か。あなたがどれだけ何度でも立ち上がってきたのか。——本当に悔しいけれど角谷さんも見抜いていたのね。そんなあなたの本質を。私だけが知っていれば素敵なことなのに」
言って、ダージリンはカリエの瞳を覗き込む。
いつだって心奪われそうになる翡翠の色がそこにはある。
ほうっ、と息を吐いたのは瞳の向こう側にある「何か」を感じ取ったからだろうか。
「ごめんなさい。ダージリンさん。まだ十全じゃないし、決意も固まっていない。迷いも恐れも断ち切れていない。それでもまだ終わりにしたくなくて懲りずにしがみついています。こんな私でも一緒に戦ってくれますか? 肩を並べてくれますか?」
「ごめんなさい。カリエさん。私はあなたを苦しめた。あなたがどんな思いで決勝戦から先を生きてきたのか、もっと考えるべきだった。それなのに自分勝手な我が儘でここまで引き摺ってきてしまった。こんな馬鹿な女を許してくださる?」
返答は互いの背に回された腕に込められた力だった。
挟み込むように増した圧力が二人の距離をより縮めた。
「……向こうはこれまでにない強敵です。今度ばかりは本当に駄目かもしれない。でも、諦めたくはありません」
「……それに加えてこちらの連携は未知数。車両制限も相まって相当不利な状況ね。大洗の隊長さんが何処まで先を見通せるかに掛かっていると言っても過言ではないわ」
「なら心配はありません。優花里さんは私なんかが足下に及ばないくらい賢く強い人だ。彼女ならば高校選抜の隊長として必ずやチームを纏め導いてくれる」
「あら、随分と入れ込んでいるのね」
ダージリンの白魚のような細い指がカリエの尻をつねり上げていた。「いっ」と思わず飛び上がったカリエだが、かっちりと抱きすくめられているお陰で、その場から飛び退くことは出来なかった。
ギリギリと圧が増していく痛みに冷や汗を垂らしながらも、カリエは続けた。
「まだ二週間ほどですが、彼女の凄さは間近で感じさせて貰いました。あの戦車道に懸ける情熱は日本一と言っても過言ではないでしょう。むしろ彼女でなければ、黒森峰や聖グロを始めとした即席の連合チームを纏めることは出来ません」
「カリスマによる覇道ではなく、情熱による王道を行く人なのね。良いわ王道は私の得意分野よ」
「……」
何も言葉を返さなければ返さないで、さらに尻をつねられた。
言ったら言ったで、もっと怒るくせに、とカリエはため息を吐く。
ただダージリンはそんなカリエを見てくすくすと笑っていた。
「例えあなたが装填手という表に立たない役を担っていたとしても、私が支え続けることには変わりないわ。だから共に戦いましょうカリエさん。選抜戦に勝って大洗を救い、黒森峰に戻りましょう」
笑いながら、カリエの直ぐ眼前で宣誓を告げていた。
相手に全幅の信頼を置いているからこそ生まれる、宣誓と笑み。
もちろんカリエもそれに応える。
もう一度、ダージリンに問う。
「今からでも、あなたの期待に沿えますか?」
何を今更、とダージリンは即答した。
「あなたが私を裏切るなんてありえないわ。それこそ私のちっぽけな期待なんていつだって軽々と飛び越えていくでしょうに。あと、私はいつまでもいつまでもしつこく待ち続ける女よ。——ふふ、ご愁傷様。あなたは決して私から逃げることなんて出来ないわ。だから諦めなさい。逃げたくなっても、逃がしてなんてやらないんだから」
悪戯っぽく告げられた言葉にカリエはぱちくりと目を見開いた。
ダージリンもダージリンで意地悪くカリエに微笑みを送り続けている。
これはちょっとからかわれているな、とカリエは表情を顰めた。それでもダージリンは嬉しそうに笑みを崩さない。
少しだけ苛ついた。
心地よく、気持ちよく苛ついた。
これはちょっとばかりやり返さなければならないと、カリエの心が告げていた。
だからちょっとだけ仕返しをした。
ここ数日に行った装填の特訓のお陰か、カリエの手は神速をもってダージリンの後頭部に回された。
そして有無を言わさず引き寄せる。
「え? あれ? カリエさん、うむっ!?」
世界が、時間が止まった。
ばたばたとダージリンはカリエの腕の中で暴れたが、やがて観念したように四肢から力を失っていく。
二人の影が離れたのはそれからたっぷり十秒ほど経過してからだった。
顔を真っ赤にしたダージリンは口元を押さえながら、ぽかぽかとカリエの胸元を拳で叩く。
「本当、あなたは! 私の心を惑わせるようなことばかり! もう! もう!」
先ほどまでの余裕なんて吹き飛んでダージリンは声を上げていた。
カリエは叩き込まれる拳を適当にいなしながら、あはは、と笑って見せた。
「いつかの意趣返しですよ。ダージリンさん」
04/
その日の昼までには、選抜戦に参加する全ての高校が現地入りを果たしていた。
知波単、プラウダ、アンツィオ、そしてサンダースがそれぞれの車両と隊員を伴って北海道の原野に足を下ろしている。
ただ、最後に到着したのは意外なことに、カリエの古巣である黒森峰女学園だった。
いの一番に駆けつけ、とっとと訓練に雪崩れ込みそうな学校だけに、周囲は驚きを持って到着した黒森峰の一団を迎えていた。
「ごめんなさい。遅くなりました。黒森峰、戦車四両、隊員十九名です。よろしくお願いします」
大洗女子学園の隊長たる秋山優花里に頭を下げたのは王者黒森峰を率いる西のカリスマ、西住みほだ。
少し前ならば誰もが想像し得なかった光景に、他校の生徒たちも思わず見入ってしまう。
「い、いえ。こちらこそよろしくお願いします。黒森峰の皆さんと戦うことが出来るなんて本当に夢みたいで光栄の極みです!」
ただ優花里がそれ以上に頭を下げたものだから、対面するみほは困ったように「えと……」と言葉を濁した。
もともと戦車を降りると小心なところがあるみほである。優花里にここまで畏まられることは完全に想定外だったのか、それ以上の行動が取れなくなっていた。
放っておけばどちらも頭を下げ続けそうになる雰囲気の中、一石を投じたのは黒森峰のナンバー2たる逸見エリカだった。
一歩前にでた彼女はみほの首根っこを掴んで、とっとと後ろに下げて見せた。
ある意味で神をも恐れぬ所行に、事の成り行きを見守っていた他校の生徒たちは「おおっ」と感嘆の声をあげる。
「副隊長の逸見エリカよ。妹が世話になっているみたいね。感謝しているわ」
ええ、それって本当に感謝しているんですかあ? と優花里は危うく声を漏らしそうになるが、すんでの所で堪えて見せた。
あらかじめカリエから「エリカは結構初対面ではつっけんどんに見える」と聞かされていたからこそ、必要以上に恐縮するということもない。
ここは伝えるべき事を伝えるべきだと至って冷静に言葉を返した。
「はい、えと、こちらこそお世話になっています。ところで、カリエ殿は戦車道ガレージで到着した戦車の搬入の指示をされていますから、そちらに行っていただければお話もできるかと……」
挨拶はそこそこにまずは久方ぶりの再会だ、と優花里は気を利かせた。
ダージリンがカリエと再会を済ませたことは知っていたので、そこからきた気遣いでもある。
だがエリカ、そしてみほは「いいえ」と首を横に振った。
「旧交を温めるのは後でも出来るわ。先にこの選抜チームの長たるあなたの展望を聞かせて欲しい。二日後、どうやって大学選抜を破ろうとしているのか、その未来を教えて貰えないかしら」
意外と言えば意外であるが、これが王者黒森峰なのだ、と考えれば納得の出来ることではあった。
カリエのことを蔑ろにしているわけではないが、みほやエリカたちにも何かしらの優先順位が存在しているのだろう。
それが高校選抜が勝利するための見通しというのは、何とも黒森峰らしい価値観だと周囲は認識していた。
だが優花里だけは彼女たちの真意を、どうしてここに現れているのかを正確に読み取っていた。もちろん大洗の廃校を撤回させるため、という動機もあるにはあるのだろうが、それとは比べものにならないくらい大きなものを彼女たちは背負っている。
「……わかりました。本来ならば明日の作戦会議でお話しするべき事なんでしょうけれども、幸い参加してくださる学校の隊長がここには揃っていらっしゃいます。一日前倒しして、今から作戦会議を行いたいと思います。——よろしいですね」
みほとエリカの返答は肯定だった。
背後に控えていた隊員たちも二人の意を汲んだと言わんばかりにそれぞれが荷物を持って散らばっていく。恐らく割り当てられた宿舎に向かい、明日の訓練への準備へと移行していくのだろう。
随分と統率の取れた、軍隊のような集団だと様子を眺めていた他校の隊員たちは感じていた。
「というわけで、参加校の隊長の皆さん、10分後に会議室で最初の作戦会議を行いたいと思います。急な要請で大変恐縮ですがよろしくお願いします」
誰も反対はしなかった。
黒森峰が内包していたある種の異様な雰囲気に当てられたのか、あのアンツィオの面々ですら黙って事の成り行きを見守っている。
ただプラウダの選抜要員として参加しているカチューシャだけが「相変わらずお堅いわね」と鼻を鳴らしていた。
こうして高校選抜チームを構成する最後のピースがようやく現れた。
だが、集まった全てのピースが組み合わさり、勝利という一つの絵を描き出すにはまだまだ足りないものがある。
何となくそれを感じている優花里は眉根を下げたまま、困ったようにその場に立ち尽くしていた。
まだバラバラのままだ、と悔しさすら滲ませながら。
05/
作戦会議は随分と紛糾したようだ、とカリエは優花里を気の毒に思った。
疲労困憊の表情で、優花里があんこうチームに割り当てられた宿舎の一室に帰還してきたことから凡その事情を察したのである。
とんでもなくアクと個性が強い高校選抜の面々である。一つにそれらをまとめ上げるストレスは並大抵のものではないだろう。
事実、作戦に関する方針も目指すところは各校バラバラで、グロリアーナと黒森峰だけが優花里の方針を支持するだけに留まっていた。
それぞれの学校が有する伝統、戦術を含めたドクトリンがぶつかり合っていたのである。
最後の最後に、黒森峰を代表して出席していたみほが「このチームの隊長は大洗の秋山さんです。ここは隊長の方針に従うべきでしょう」と告げてくれたものだから会議は一応の纏まりをもって終えることが出来ていた。
だがそれぞれの学校が完璧に納得していったとは到底言えるものではない。
明日からの合同訓練のことを考えてみれば、かなり頭の痛い問題だった。
「いえ、皆さんが高校選抜を勝利させるために必死になってくれていることはよく伝わってくるんです。つまるところそれは、わたくしたちの廃校問題を何とかしないといけないと考えてくれているわけですから有り難いことには間違い有りません。——残念ながら、カリエさんの問題に関しては会長から緘口令を敷かれているためお話は出来ていませんが」
それは全くの本心だったが、表情が明るいわけではなかった。
やはり胸の中に燻る一抹の不安が気になるのだろう。
果たしてこのチームはチームとして機能できるのか、という問題だ。
カリエが大洗にいる限り、黒森峰とグロリアーナとはそれなりに協調路線を敷くことが出来る。
戦況が不利に傾けばその限りでないことはいささか気がかりだが、現時点ではそう信じるしか道はなかった。
問題はプラウダ、サンダース、知波単そしてアンツィオとどのようにドクトリンの摺り合わせを行うか、である。
それぞれの学校が長所と短所を有し、本人たちもある程度それを自覚しているからこそ、長所を伸ばし尽くすドクトリンを長年にわたって形成してきたのだ。
今更それは変えられるものではない。
しかしながら一つのチームとして戦う以上、どうしてもドクトリンの特質の差が生じるが故に、ある程度の路線変更を強いる場面は必ず存在している。
西住みほのような圧倒的な戦車戦のカリスマがあるならまだしも、人徳だけで大洗を纏め続けてきた優花里にはいささか荷が重い問題だった。
もしカリエが車長として戦うことが出来るのならば、優秀な参謀としての信頼から他校を納得させることが出来ていただけに、優花里の心労は尚更だった。
「ごめんね、優花里さん。黒森峰とグロリアーナの人たちにはこちらから何とかお願いしてみるから……」
カリエもそのことを理解しているのか、その二つの学園に対する調整役を買って出ている。
何かしらの心境の変化があったのか、黒森峰、そしてグロリアーナを避けようとしていた時とは別人のようだった。
あんこうチームの面々も口には出さないが、ダージリンとこっそり再会したのがプラスの方向に傾いたのだ、と安堵していた。
「でも本当にどうしよう。一応こちらからは適材適所で配置やら役割やらを決めさせて貰ってはいるけれど、どうしても不満とかは完全には無くせないよね。これってやっぱり明後日までに何とか解決しないと……」
沙織の懸念は尤もだ、と華と麻子が頷いた。
優花里が必死に説得して回っていることは事実ではあるが、それにはやはり限界というものがある。
現時点における日本最強のチームに対して勝利を掴み取るには本の些細な不和ですら命取りになりかねないのだ。
カリエもこればかりはどうすれば良いのか、と必死に頭を悩ませる。
最悪、土下座して回ろうか——いやいやそれは相手を引かせるだけで悪手なだけだ、と呟きを漏らしていた。
残念ながら、あんこうチームの彼女たちが顔を付き合わせて深夜まで議論を重ねても答えは出なかった。
これ以上は明日以降の訓練に支障がでるとして時間切れで幕を引いた。
有効な解決策を見つけることが出来ずに明日を迎えてしまったのだ。
だがここにきて彼女たち——いや、大洗女子学園に一つの幸運が訪れていた。
その出所は意外なことに黒森峰の陣営からだった。
06/
「で、こんな夜更けに大洗以外を集めて一体どういうこと? カチューシャはもう寝る時間なんだけれど」
露骨に不満を口にしたのはプラウダの隊長たる小さな暴君カチューシャだった。
彼女は欠伸をかみ殺しながらテーブルの一角に座している。その他にも、同じテーブルには今回選抜戦に参加する高校の隊長たちが一同に介していた。
ただ大洗だけが誰一人として参加していない。
意図的に大洗だけがこの場から取り除かれていた。
そしてそのような催しをわざわざ開催したのは、あろうことか黒森峰を率いる長でもある西住みほその人だった。
彼女はテーブルの一番奥の席に、副隊長たる逸見エリカと共にあった。
「……今回、皆さんをお呼びしたのは他でもありません。私たち黒森峰の立場と考えを包み隠さず全てお伝えするためです」
堅い声色で紡がれた言葉にカチューシャは眉を潜めた。
何故ならここにいる高校は大洗女子学園の廃校問題を撤回させるために集まっているのだ。そんな時に黒森峰は自分たちには別の立場と考えを持っていると宣言したのである。
まさか黒森峰が決勝戦での遺恨を今更蒸し返してくるなんて、と呆気にとられるのと同時、少しばかりの侮蔑の思いすら抱くのは当然のことだった。
そしてそんなカチューシャの感情は大なり小なり会議室に集っていた各校の隊長達に伝播していた。
彼女たちもまた、大洗を取り除いて隊長クラスを招集した黒森峰に不信感を抱いているのだ。
室内の雰囲気は暗く、重い。
こんなところで元王者のプライドを出されてしまってはチームの空中分解が必死なだけに全員が表情を強ばらせている。
唯一の例外は黒森峰の二人の隣に位置するダージリンだけだ。
彼女だけは瞳を伏せたまま微動だにせずに、黒森峰側の主張を静かに聞いていた。
「——みほ、そこから先は私が伝えるわ。これは私の責任でもあり義務よ」
いよいよみほが口を開こうとしたその時、それを遮ったのは沈黙を保っていたエリカだった。
逸見エリカの名は良くも悪くも有名である。カリエが深淵鬼謀の策士として的確に相手のウィークポイントを見極めてくると畏れられているのと同時、エリカはカリエが見極めたウィークポイントを一切の容赦なく食い破ってくる切り込み役として知られている。
その突破力は高校戦車道界随一と称されており、苛烈に見える性格も相まって他校からはまさに畏怖の対象だった。
そんなエリカがみほの口を遮ったのを見て、いよいよ集っていた隊長達は顔を青くした。
これは荒れる。間違いなく良くない方向に荒れてしまう、と覚悟すら決めたのである。
誰かがごくりと喉を鳴らした。先ほどまで不機嫌そうに振る舞っていたカチューシャは怯えた表情で椅子にしがみついている。彼女はこの場にノンナを連れてこなかったことを心底後悔していた。プラウダ戦車団の訓練メニューを考えておいてよね! と丸投げしてしまったのがいけなかった。
今回から試合に帯同させ始めたクラーラにも「ノンナのことを手伝いなさいよ」と偉そうに告げてしまった自分が憎らしい。
がたん、とエリカが立ち上がる。
みほが不安げにそちらを見上げたものだから室内の緊張のピークは頂点に達していた。
今から繰り広げられるであろう黒森峰陣営との舌戦を想像して全員が吐き気すら覚える。
だが、しかし——。
「——お願いします。どうか大洗女子学園に協力して、私たちを助けてください。あなたたちに伝統があることも矜持があることも知っています。けれども今回は、今回ばかりは皆で手を取り合って、大洗女子学園を勝たせてもらいたいんです」
頭が垂れていた。エリカの銀に輝く天頂が衆目にさらされていた。
もしもテーブルという邪魔なものがなければそれこそ土下座になっていたであろう、綺麗な姿勢だった。
本当の意味で全員が呆気にとられた。
「……あ、頭を上げてください! あなたたちに何があったのかは存じ上げませんが、事情を話してもらわないと!」
別の意味で気まずい沈黙を破ったのは知波単学園率いる西絹代だった。彼女は勢いそのままに立ち上がってエリカの元に慌てて駆け寄る。それでもエリカは微動だにしないまま頭を下げ続けた。
「お願いします! 私たちは負けるわけにはいかないんです! 絶対に勝たないと……絶対に勝って妹を取り戻さないといけないの!」
妹を取り戻す——。
エリカの口から放たれた不穏当な言葉にカチューシャが反応した。
「ねえ、まさかカリーシャがやけに大洗の子達と一緒にいたのとそれは何か関係があるの?」
カチューシャが思い出したのは昼間の光景だ。私服姿ではあるものの、常に大洗女子と共に活動を行っているカリエを疑問に思っていたのである。
黒森峰側からの相談役として世話なり何なりをしているのだろうと自身を納得はさせていたが、やはり引っかかるものはあったのだ。
ケイやアンチョビも同じ考えだった。カチューシャほどカリエとの交流はないものの、その姿が黒森峰側に見えないことには薄々気がついていた。
エリカは頭を下げたまま、絞り出すように三人の疑問に答えた。
「カリエは……黒森峰の逸見カリエはもういないわ。彼女は全国大会の敗退の責任を負わされて黒森峰を辞めた。そして大洗がそんなあの子を受け入れてくれたの」
はあ? とカチューシャを始めとしてほぼ全員が声を上げた。
ここに来て沈黙を保ち続けているのはダージリンだけだ。しかしながら彼女もその瞳に確かな怒りを称えて前を見つめている。
「ばっかじゃないの! たかだか大会の敗退だけで責任を取らせるとかどうかしているわ! いくら黒森峰でも常軌を逸しているわよ! あんた達、そんな理不尽な決定を黙って受け入れたの!?」
カチューシャもまた怒っていた。曲がりなりにも自身がその実力を認め、ソウルネームを送った相手である。
そんなカリエが黒森峰において蔑ろにされ、追い出されたなどと聞かされて平静を装えるわけがなかった。言葉にこそしなかったが、ケイやアンチョビ、絹代も同じ気持ちを抱いている。
そこんところどうなのよ! と問い詰めるカチューシャに対して、エリカもまた吠えた。
「受け入れる訳ないでしょう! でもね、こうするしかなかったの! あの子を守るためにはこうする他なかった!」
叫びは慟哭。エリカは内に燻っていた憤りを、悲しみを吐き出した。
吐き出して、尚も全員に縋る。
「お願い……。あの子が黒森峰に戻るには、大洗のカリエとして選抜戦を勝ち抜いて、その功績で凱旋するしかないの。もし黒森峰に戻ることがなくても、傷ついたあの子の戦車道をそのままにはしておけない。必ず勝って、あの子の次の道を紡いであげたい……」
誰も口を開くことが出来なかった。
黒森峰が抱える凡その事情を察したとき、安易に同情することも同意することも自分勝手だと糾弾することも出来なかった。他校の廃校問題を利用するな、と正論を吐くことも出来なかった。
それだけエリカの懇願は真に迫っていた。
「……およその事情は今エリカさんが説明した通りよ。黒森峰の皆さんは逸見カリエさんを取り戻すために戦っているわ。そしてその道筋を、策を張り巡らせたのはこの私。恨み言はいくらでもこちらにくださいな」
次に口を開いたのは沈黙を貫いていたダージリンだった。
彼女もまた、いつものすまし顔ではなく滅多に見せない真剣な表情で周囲を見渡した。
「——なるほど、あんたたち最初からグルだったのね。大洗女子学園を廃校にさせない、という私たちの思いすら利用するつもりでここに来たのね」
カチューシャの言葉を捻くれている、と糾弾できるものは誰もいなかった。みほもまたエリカに並んで「その通りです。責はこんな我が儘なプランを遂行することを決定した私にあります」と頭を下げていた。
カチューシャは面白くなさそうに続ける。
「本当に自分勝手ね。いい? 大洗は学校がなくなろうとしているのよ? 個人が戦車道を辞める辞めないじゃないの。全校生徒の運命が掛かっているし、それを勝ち取るために奮闘したユリーシャたちの頑張りが否定されようとしているの。それが許せないから私たちはここに集まったし、大洗を勝たせようと全力を傾けている。カリーシャのことはもちろん残念だけれど、それは私たちには関係のないことだわ」
彼女の言葉は何処までも正論だった。
統廃合の掛かった試合に私情を持ち込んだ黒森峰とグロリアーナが異常なのだ。それに付き合う義理など、残された学校には存在していない。
何ならこのまま両校を糾弾して、チームのイニシアチブを握ることだって可能だった。
けれどもただ、カチューシャはこう続けた。
「ねえ、私カリーシャにまだリベンジマッチしてないのよ。去年のエキシビションでも同じチームだったし、今年は組み合わせが悪くて戦えなかった。本当に遺憾だけれども」
おや? とアンチョビとケイ、そして絹代のカチューシャに送る視線が変化する。
それは困惑から、何かを期待するかのような。
「……勝ったらカリーシャは本当に救われるのよね? また笑顔で戦車道を続けられるのよね。私たちと戦えるのよね?」
カチューシャはエリカに歩み寄っていた。
先ほどまでの問い詰めるような雰囲気ではない。何か大事なことを確認するかのような、どちらかというと不安げな子供のような雰囲気だった。
「That's all right! 結局のところ話は極シンプル! 勝てば大洗は廃校なんかにならないし、カリエは黒森峰に戻れるのよね??」
次に立ち上がったのはケイだった。彼女もまた何か吹っ切れたような、さっぱりとした笑顔を称えていた。
「あなたたち逸見シスターズには去年の熊本でも借りを返していないんだもの。こんなところでユニットを解散なんてそんなのナンセンスだわ」
「わ、私も同じ気持ちだ! こんなことで学校を追い出されるなんて間違っている! 何としてでも試合に勝利して、悪い奴らを見返してやるべきだ!」
アンチョビもまた賛同の声を上げていた。全国大会で砲火を交わしたことこそないものの、彼女の正義感が此度の罷免劇に対する義憤を駆り立てている。
最後に絹代がすっと立ち上がる。
「負けこそはしましたが、この間の全国大会、カリエさんの見せた読みの鋭さには我々知波単の全員が敬服しております。そんな日本戦車道界の宝と言ってもいいカリエさんが苦しんでおられる現実は間違っています。微力ながら、我々もあなた方の勝利に貢献させてもらいたい」
「……と、いうわけよ。要するに勝てば良いのよ! 勝てば! もとより負けるつもりなんてこれっぽっちもないわ! そんな弱気、すり潰してピロシキのお惣菜にしてやるんだから! ——だからあんた達も頑張りなさい。私たちが私たちの戦いをすれば絶対に勝てるわ」
カチューシャの言葉を受けて、みほとエリカ、そしてダージリンは初めて表情を柔らかくした。カチューシャもカチューシャで気をよくしたのか、声高々に大洗とカリエに対する全面的な協力を叫ぶ。
「でもそのためには連携が不可欠とあんた達は言いたいんでしょ? 確かにそれぞれの学校が違った伝統とドクトリンを誇りに思っているわ。けれども今回ばかりはユリーシャに、そしてカリーシャにそれを預けてあげる! あの二人の指揮なら不安なんてこれっぽっちもないわ!」
「ありがとうございます!」とみほが喜び、エリカも安堵の表情を見せていた。カチューシャの声にケイたちも賛同の意を示していることから尚更だった。何より、逸見カリエという人間がここまで他校に好意的に見られていたことが二人は嬉しかった。
彼女が一人ではないという証明に繋がっているようで嬉しかった。
自分たちだけで守り抜かなければならないという不安と焦燥から解放される気持ちだった。
「ありがとう、カチューシャ。あなたのそのバイカル湖よりも深い器量に本当に感謝するわ。でも、一つみほさんやエリカさんを始め、皆には先に言っておかなければならないことがあるの」
ふと、ダージリンがそんな事を言った。
明るい雰囲気が差し始めていた会議室の空気が再び固まる。
隊長クラスの人員が集まっている所為か、ここにいる人間たちは人一倍勘の鋭い人種だった。そんな勘に冴えた彼女たちはダージリンから如実に感じ取っていたのだ。ここにきて、確実に厄介な話題を彼女は有していると。
あなたたちは何か知っているのか、とカチューシャやケイがみほとエリカを見た。
だが、みほとエリカですらダージリンが何故そのようなことを口にしたのか理解しておらず、怪訝そうに首を傾げている。
これは完全によくないことだ、とカチューシャは頭を抱えた。
ダージリンは「このことも何れは伝えなければならないことだから、この場をお借りして皆さんには伝えるわ」ととうとう口を開いた。
「カリエさんは今、車長として戦えなくなっているわ。決勝戦での挫折が、その後の見えない悪意から戦車のあの席に座れなくなっている。だから今回の試合、装填手として参加するそうよ」
爆発した。
何が爆発したのかというと、みほの隣に立っていたエリカが爆発した。
当然だった。
そんなこと、エリカは一言もダージリンから聞かされていなかったからだ。
「あんたなんでそんな重要なことを今まで黙ってんのよ! 本当に頭おかしいんじゃないの!?」
みほと絹代が咄嗟に押さえていなければ、ダージリンに掴みかからんばかりの勢いだった。
先ほどまで自信満々に振る舞っていたカチューシャはエリカの怒気に完全に怯えて、ケイの後ろに隠れ込んでいる。ケイもケイでそんなカチューシャを抱き寄せて「OH……、これはいけないわ」と天を仰ぎ見ていた。アンチョビは「喧嘩はいけないぞ」と会議室を行ったり来たりしている。
「話自体は大洗の会長から聞かされていたけれど、私も本人にそのことを確認できたのはつい先ほどよ。それまで、カリエさん、本当に音信不通だったんだから。エリカさんこそ、連絡のやり取りをしていなかったの?」
「したわよ! でもあの馬鹿、干し芋が旨いとかマリンタワーが大きいとかくだらない事ばかり返信してきてのらりくらりかわしてくれてんのよ! ていうか、大洗の会長から報告を受けた時点でこちらに連絡するのが筋ってもんでしょう!」
「情報が不確定なまま、周囲を不安にさせる訳にはいかないでしょう? それにほら、あなたも自覚がないかもしれないけれど、随分と不安定だったから心配を掛けたくなかったのよ。大体、カリエさんが戦車に乗れなくなったことを聞かせていたら、大洗に踏み込んでいただろうから——」
それの何が悪いんだ、と告げようとしてエリカはみほが首を横に振り続けていることに気がついた。
そして急速に頭が冷えていくのを感じる。
「ダージリンさんの仰っていることは私も正しいと思います。カリエさんを受け入れて貰っている以上、大洗の皆さんへ騒ぎを波及させるわけにはいきませんし、何よりカリエさんが辛い思いをします」
みほの言い分の通りだった。
戦車に乗れずに失意に沈んだカリエの元に、エリカが押しかけていたらそれだけでカリエは潰れていた可能性があった。ダージリンに失望されることを極端に恐れるのと同時、姉に失望されることを何よりも恐れているカリエである。万が一にもあり得ないとしても、戦車に乗れないという事実はカリエにとって、エリカには絶対に隠し通したいものだっただろう。
エリカもそんな妹の性格を熟知しているだけに、「ぐっ」と何も言えなくなっていた。
だがここで終われない。
終わるわけにはいかない。
捨て台詞とわかっていてもエリカは前へ突き進む。
「——あんたね」
ぼそっと、声を漏らす。
それは随分とドスの利いたものでケイの後ろに隠れていたカチューシャが「ひっ」と悲鳴を上げるくらいには凄みに満ちていた。
だがダージリンはそれを正面から涼しい顔で受け止める。
「何かしら?」
「次、あの子のことで隠し事をしたら承知しないわ。ただ単純にぶちのめすわよ」
「あら、ぶち殺すと脅してきたときに比べたら幾分か優しいのね。ひょっとしてカリエさんとの仲を少しは認めてくださっているの?」
どうしてそこで煽るのよ! とカチューシャは最早涙目になっていた。アンチョビも二人の覇気にやられたのか、いつの間にかケイの後ろでカチューシャに縋り付いている。
「はあ? 認めるわけないでしょう? こちとらカリエがあんたの腐りきった性根にいつ気がつくかわくわくする毎日だから」
「待ちの姿勢なんて、あのエリカさんが随分と消極的なのね。積極的なカリエさんとは大違いだわ。本当——カリエさんたらあんなにぐいぐい来るんですもの。ちょっと驚いてしまったわ」
あ、これはいけない、と二人のやり取りを何度か目にしてきたみほが悟った。絹代と二人で抑えていたエリカの体をそっと離し、静かにケイの元へと歩みを進めた。絹代ただ一人だけが、エリカにしがみついたままで取り残されている。
「——何言ってんの? あんた?」
エリカもダージリンの言葉から不穏なものを感じ取ったのだろう。やや引き気味に、だが威圧はそのままに問うた。
ダージリンはそんなエリカに勝者の余裕を見せつけるかのように、それでいて『女』の顔をして答えた。
「あんなに激しくカリエさんに求められたのは初めてよ。あの熱い唇を思い出したら火傷してしまいそう」
ほう、とダージリンが息を吐いたその刹那、会議室で噴火が起こった。
もう手に負えない、とみほはケイと彼女にくっついているアンチョビとカチューシャを伴ってその場から逃げ出す。それが彼女にできる精一杯の対応だった。絹代まで救う余裕はなかった。
閉じた扉の向こう側から、エリカの怒声と罵声、そして絹代の悲鳴が響き渡る。
外で待機していた小梅が何事か、と駆け寄ってくるが、エリカとダージリンが会議室に残っていることを知らされて、納得したように溜息を吐いた。
ケイだけが落ち着いた様子で「いつもこうなの?」と笑っていた。みほは心底申し訳なさそうに全員に頭を下げる。
「二人ともカリエさんを想う余りついついぶつかってしまうんです……」
「ま、それだけ二人とも本気だということなんだろ。でもあの二人に思われて無事とかカリエとかいう奴は相当だな」
アンチョビの言葉はその場にいる人間全ての本音を代弁していた。確かにダージリンとエリカの二人の間をふらふらしているカリエは傑物で間違いない。
みほと小梅は大きな溜息を吐きながらも、取り敢えずはと気を取り直す。
「これで何とか高校選抜としてのチームの体は成したと思います。後は大洗の秋山さんと——何処まで戦えるかはわかりませんが、カリエさんが全てを握っています。私たちは二人を信じてただ戦うだけです」
みほの力強い言葉に、ケイとアンチョビ、そしてカチューシャは同じく強く頷いていた。
こうして、高校選抜チームはチームとしての山を何とか一つ越えることが出来ていた。
本戦まであと二日。
事態は着々と動いている。
そろそろ爆発です