黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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逸見カリエの戦車道 10

 試合が始まったその瞬間、高校選抜チームは全体を三つの小隊に分割していた。優花里を始めとした大洗の主力とグロリアーナ、そして知波単によって構成されるAチーム。黒森峰とプラウダの重戦車隊から構成されるBチーム。大洗の機動力に優れた車両とサンダースによって構成されたCチームだ。

 カリエはAチーム及び全体の司令塔として機能せねばならないⅣ号戦車の中にいた。

 まだ砲火を交わしていないためか、装填手として搭乗している彼女は手持ち無沙汰ではあったが、慌ただしく指示を飛ばす優花里と、通信を続ける沙織の元では緊張感もひとしおである。ぐっ、と砲弾を握りしめたまま、少しでも状況を把握しようとして彼女たちの会話に耳を傾けていた。

 

「はい、黒森峰とプラウダの皆さんはそのまま東側の高地に陣取ってください。車両の重さに対してパワーが足りていないパーシングなら斜面を登る際に必ずや隙が生まれるはずです。そこを両校の装甲火力で打ち崩していくのが現時点における最適解だと思われます」

 

 そうか、姉たちは高地に向かったのか、とカリエは車内に貼り付けられていた地図に目を走らせた。

 大学選抜チームが運用している殆どの車両がパーシングであることは事前の調査で判明している。強力な砲と装甲を備えた難敵ではあるが、その弱点を突くことは戦略次第で不可能ではない。

 ここまでは上々の展開である、とふと胸を撫で下ろす。

 

『ダーッジリッンさま! 前方からパーシングが凡そ七両接近してきていますわ!』

 

 だがそんな安寧は長くは続かない。

 ローズヒップの跳ね馬のような声色が、全車に敵車両が接近してきていることを伝えていた。

 カリエが思わず車長席を見上げたとき、同じようにこちらを見下ろす優花里と目が合った。

 

「どうやらわたくしたちが会敵一番乗りのようです。冷泉殿、武部殿、五十鈴殿、そしてカリエ殿、どうかよろしくお願いします」

 

 返答はまこの「おうよ」という声と共に前進したⅣ号戦車の動きだ。Bチームが押さえに向かった高地から見て、西側の低地に待機しているAチームの車両たちがそれに追従を始める。

 有効射程距離など直ぐに割り、先に砲火を吹いたのは高校選抜チームだった。

 

「よし、各車両はこのまま発砲を続けてください。Cチームは大学選抜チーム別働隊による回り込みを警戒しつつ微速前進。可能ならばわたくしたちが相対している部隊の背後を押さえて貰いたいと思います」

 

『オーケー。任せといて。その為の機動力だもの。ノープロブレムよ」

 

 ケイの頼もしい応答と同時、遂にⅣ号戦車も華が引き金を絞ったことによって砲撃を開始した。真っ白な煙と共に空になった薬莢が排出される。

 カリエはそこへ素早く徹甲弾を叩き込むと、迅速な手つきで砲尾を閉じた。

 砲手の華が目を丸くしたカリエを見る。

 

「装填が完了したのですか?」

 

「えと、はい。遅かったですか?」

 

 まさか、と華が首を横に振った。

 

「逆ですよ。早すぎて驚いているんです。もちろん沙織さんの装填も素早く息の合った気持ちの良いものでしたが、どうしても通信手と兼任しているという負担の上でした。それが今、私が呼吸を整える間もなく装填を終えられていて感服の極みです」

 

 ベタ褒めだった。

 手放しの賞賛である。

 だがカリエは「うちの子たちはこれの二倍くらい早いよ」と返していた。

 まあ、と華はさらに驚くが、カリエは「嘘ではない」とさらに言葉を重ねる。

 

「これ一本でやっているうちの子たちには絶対に勝てないよ。特に私のパンターに乗っていた高橋さんは異次元だった。あれだけガタガタ揺れる戦車の中でも正確に神速に装填を済ましていた。あれを真似することは不可能だと思う」

 

 気がつけば試合のさなかだというのに、熱く自車の装填手について語ってしまっていた。

 これはいけない、と直ぐに我に返りカリエは顔を赤くしながら次の砲弾を手に取る。けれども華は朗らかな微笑みをそのままにこう告げた。

 

「黒森峰の方についてお話しされているカリエさん、とてもお綺麗でしたよ。思わず見惚れてしまいそうな笑みでした」

 

 え? とカリエは己の顔に手をやった。

 確かに最近は強ばっていた頬の筋肉が柔らかみを帯びている気がする。

 

「きっと他の方々もとても素晴らしいお仲間だったんでしょうね」

 

 会話はそこまでだった。

 Ⅳ号戦車の周囲に至近弾が炸裂したお陰もあってか、麻子が慌てて車両を後退させたためだ。降り注ぐ土砂と煤に髪を汚しながら、優花里がさらなる指示を口にしている。

 

「このままじわじわと後退します! 高地を押さえられたBチームは陣を整え次第、こちらへの砲撃支援をお願いします」

 

 この時、Bチーム側からの応答を、沙織が持つ無線機越しにカリエも耳にしていた。

 

『なら心配いらないわ。今高地を押さえた。これよりAチームの援護を行う』

 

 聞き間違えようのない、エリカの声だ。

 

 

01/

 

 

 やけに静かだ、とみほは高地の頂上で周囲を見回していた。

 遙か北側にはこちらに進軍を続けるパーシングの一団が見える。だがそちらはプラウダの重戦車部隊が完全に押さえており、黒森峰側は優花里の要請に従って東側の低地に向けて砲撃を続けていた。

 斜面の踏破性に難のあるパーシング相手ならばそれなりに時間を稼ぐことも出来るだろうと、完全に役割を分けている形だ。

 そんな中、みほのティーガーⅠだけが砲撃を行うことも無くただ陣に座している。

 

「西住隊長、どうされましたか?」

 

 エリカと共に砲撃支援を続けるナナが問うた。

 ここまで無難な車両運びを進めている彼女である。正直言って合格点以上の動きと言っても良い。

 操縦手としての勘や経験が冴えているのか、高地を上っていく際も最適なルートをBチーム全体に示し、先陣を切ったのが彼女なのである。

 そんなナナが不安げに動きを見せないみほに疑問を投げかけていた。

 みほは「うーん」と首を傾げる。

 

「——この場所の重要性はあちらも理解している筈なんです。それなのにこちらへ向けられている車両は決して多くない。まるで片手間に攻略してきているような印象を受けます。Aチームと会敵している敵部隊も同じです。車両性能、実力共に向こう有利なのに攻勢が穏やかすぎます」

 

 みほの疑問は尤もだ、とナナは頷いた。

 車長としての経験が乏しい彼女でも、今の状況の不自然さくらいは感じ取れている。

 

「なら、何か罠という可能性も」

 

「だとしてもそれが何なのかは現時点では不明です。向こうの動きがなさ過ぎることが、こちらの眼を曇らせています」

 

 ふと、静寂の時が訪れた。

 砲撃を続けていたティーガーⅡ、パンターのそれぞれがほぼ同時に装填のタイミングに入ったためだ。

 プラウダの車両たちもまだ有効打にはならないと、射撃をぐっと堪えている。

 

「?」

 

 ここでナナの耳が冴えを見せた。

 もともと黒森峰で尤も鋭敏な聴覚を持つ人物である。そんな彼女が何かしらの違和感を掴み取っていた。

 

「西住隊長、おとが、音が聞こえます」

 

 ばっ、とみほがナナを見た。ナナの高性能レーダー染みた聴覚には黒森峰の全員が絶大な信頼を置いている。カリエですら「佐久間さんが聞こえるって」と何度もみほに敵の接近を上奏していたくらいだ。

 ナナが、言葉を続ける。

 

「遠くで爆発音? そしてこれは空気を切り裂くような? え? 上?」

 

 ナナが空を見上げた。

 みほが反射的に無線機を引っ掴む。

 そして叫んだ。

 

「キューポラから顔を出している人は急いで車内に! そして全車散開! 早くこの場を離れて!」

 

 そこから先、猶予は僅か数秒のことだった。

 高地にて円上に展開しているBチームの中心で光が爆ぜる。

 音は完全に遅れてやってきていた。最後に降り注いだのは、紅蓮の炎と笑いしか込み上げてこない大量の土砂だ。

 

 

02/

 

 

 爆撃か! とエリカが叫んだのは無理からぬ事だった。

 超重量を誇るティーガーⅡの車体が一瞬だけでも浮き上がって地面をバウンドする。

 打ち付ける土砂に構わず外を伺ってみれば、高地の中心に隕石が落下したかのようなクレーターが完成していた。

 余りの爆炎と破片の多さに、朝が夜になっている。

 

「っ! みほの言うとおり全車散開! 一刻も早く高地から離れなさい! 何かに狙われているわよここ!」

 

『エリカ副隊長! もう一発来ます! 北東からとんでもない発砲音が聞こえるとナナが言いました!』

 

 二発目か! とエリカは咄嗟に操縦手の背を蹴飛ばしていた。

 急発進したティーガーⅡの背後で先ほどと同規模の爆発が巻き起こる。もう一度ティーガーⅡの車体が浮き上がり、激しく地面に叩きつけられた。

 

「脱出よ! 高地を放棄! 平地に降りて態勢を立て直しましょう!」

 

『了解です! ですが南側に逃げても狙い撃ちにされる可能性があります! ここはパーシングの目の前を横切ることになりますが、北側を強行突破するべきです!』

 

『成る程、同士討ちを警戒させてこの砲撃を止めさせるのね!』

 

 みほの案に同調を示したのはカチューシャだった。彼女もまた、同じ事を考えていたのか、すでにプラウダの車両たちを北側に逃走させるべく殿のように車両を展開している。

 

『その通りです。幸い、まだ撃破された車両はありません。プラウダの皆さんと私たちならば必ずやこの窮地を挽回できます』

 

 言って、みほのティーガーⅠがカチューシャの搭乗するT-34/85の前を横切っていった。真っ先に先陣を切り、パーシングたちの砲撃を引きつけて後続の撤退をサポートするためだ。続いて技量的な不安が残るナナが続いていった。

 エリカは自分は最後で良いと言わんばかりに、東側の低地への砲撃を続けながら他の車両の撤退を待った。

 だがカチューシャはそんなエリカに先にいけ、と檄を飛ばす。

 

「あんたは先に行ってカリーシャを安心させてやりなさい! 後ろは私たちプラウダが固めるわ! 私たちの鋼の結束があればこんな爆撃まがいの砲撃なんてお茶の子さいさいよ!」

 

 いつものエリカなら殿は譲れないわ! と噛みついていただろう。

 だが此度の戦いは自分たちのためのものではないのだ。愛する妹の、そしてそんな妹を受け入れてくれた大洗のための戦いなのだ。

 分というものを弁えているエリカは素直に頷いていた。

 

「恩に着るわ。下で待っているから直ぐに来なさいよ」

 

 言って、エリカのティーガーⅡが前進を再開する。背後には小梅のパンターだけが残されていた。

 未だに砲撃の正体は不明だが、これだけの大口径砲である。装填時間を加味すれば逃げ出す余裕はまだある。

 

「つっ、副隊長! 右の履帯が空転しています!」

 

 しかしながら悲報はいつだって予期しないタイミングで訪れる。

 操縦手の悲鳴のような報告を受けて、エリカはキューポラから身を乗り出した。そして目視で地面を掴むことの出来ていない履帯の姿を認める。

 破損もしていないのに何故、と疑問が湧き出たのと同時、不自然に柔らかさを増している大地の様子に気がついていた。

 それはすなわち——

 

「そうか、砲撃でひっくり返った土砂が沼みたいになっているんだわ……」

 

 もともとそれほど盤石な土地ではなかったのだろう。砲撃によって掻き回された所為か、至る所が沼のように沈み込んでいく構造になっていたのだ。

 そしてエリカのティーガーⅡはその超重量故か、見事沼にはまり込んでいる。

 

「副隊長!」

 

 誰かが叫びを上げたがエリカは冷静だった。

 冷静沈着に、己の終わりを悟っていた。

 

「プラウダと小梅、私を捨てて行きなさい。擱座して前に進めないわ。それに、ティーガーⅡの装甲なら一発くらいなら耐えられるかも。そしてあんたたちが逃げてくれたら砲撃も後を追うでしょうから、何とでもやりようがあるわ」

 

 嘘だった。

 大地がひっくり返るほどの大口径砲だ。いくらティーガーⅡの装甲でも耐えられるはずが無かった。

 カチューシャはもちろんそこのことに気がついている。

 しかしながら「ここは小を殺して大を活かすべきだ」とエリカの提案を静かに受け入れていた。

 

「——わかったわ。カリーシャのことは私たちに任せなさい」

 

 プラウダの車両たちが斜面を降りていく。カチューシャも一瞬だけ振り返りはしたが、直ぐに踵を返して斜面の向こう側に消えていった。

 地獄の高地頂上に、エリカだけが取り残される。

 

「さて、あとどれくらいの猶予があるのか」

 

 安全のため、キューポラの蓋をしっかりと閉じ、エリカは車長席にどっかりと腰掛けた。

 まあ、敵の隠し球の成果を自分一両の犠牲に留めたのだから上々だ、と笑みすら零している。

 

「あんたたちには悪いことしたわね。折角カリエのためにここまで来てくれたのに、満足に戦わしてあげられなかったわ」

 

 エリカの謝罪に、搭乗員たちは皆首を横に振っていた。

 

「いえ、罠に掛かった味方の殆どが逃げおおせたんです。これ以上望んだら罰が当たりますよ」

 

「全くです。でも、もし叶うならあと一度くらいは妹さんのパンターと連携したかったなー」

 

「そうそう、あの車両と組むと凄くノってくるんですよね。本当、不思議な感覚でした」

 

「馬鹿言いなさんな。必ずやこちらが勝利して、妹副隊長は黒森峰に帰ってくるよ」

 

 それぞれの言葉を受けながらエリカは手近な持ち手をしっかりと掴む。

 運命の時は来た。

 先ほどの装填時間から逆算すればもう幾ばくも猶予が無い。

 

 そろそろか、と覚悟を決めたのか全員が対ショック防御の姿勢に移行していった。

 

「カリエ。しっかりやりなさいよ。後悔の無いようにね」

 

 爆炎が世界を包む。

 特大のキノコ雲は、低地で応戦を続けていたBチームからハッキリと観測することが出来ていた。

 

 

03/

 

 

「黒森峰、一両撃破されちゃった。さっきの大きな爆発にやられたみたい……」

 

 沙織の悲痛な報告がⅣ号戦車の中に木霊した。

 直前までBチームが行っていた交信はAチームにも届いており、どのような状況が展開されていたのか凡その事を察することが出来ている。

 カリエもまた、取り落としそうになった砲弾を何とか抱え直していた。

 

「——すいません。敵のあからさまな誘いに気がつけなかったわたくしのミスです」

 

 優花里がカリエに向かって頭を垂れた。

 こんなにもあっさりとエリカが撃破されてしまったのは己の拙策の所為だと謝罪の言葉を口にしていた。

 カリエは砲弾をぎゅっ、と抱き込んだまま静かに言葉を返す。

 

「いや、勝負の世界には良くあることだよ。優花里さんが気にする必要はない。それより、撤退が成功した残存部隊に指示を出さないと」

 

 切り替えを促すカリエの声色は震えていた。優花里や沙織たちもそれを感じ取ったのか、それ以上エリカのことについて言及しようとはしなかった。

 ただここはカリエの意思を尊重するべきだ、と優花里はマイクを手にする。

 

「残存するBチームの皆さんは撤退が完了し次第、E4地点での合流を目指しましょう。Cチームの皆さんは……」

 

 ふと優花里の頭の中で何かが引っかかる。

 そもそも突如としてBチームを襲った正体不明の砲撃は何だったのか。 

 あれだけの大質量の砲弾を撃ち出せるような車両は果たして存在していたのだろうか。

 Bチームの損害という事実に目が眩みかけていたが、この正体不明の敵をそのままにしていても良いのだろうか。

 

『オッドボール?』

 

 指示を中断し、沈黙を続けた優花里に対してケイが怪訝な声を上げる。だが優花里はまだ反応を返さない。

 

「佐久間殿は上空から音が聞こえると言っていた。それはつまり榴弾を曲射したということ。そんなことが出来て、戦車道のレギュレーションに適合する車両なんてシュトゥルムティーガーくらい。けれどもあの爆炎は大きすぎる。それこそドーラのような列車砲でもないと……」

 

 ぶつぶつと優花里は言葉を繰り返す。

 思考を精査していくように、真実を突き止めるように、深く深く潜っていく。

 だが、答えがあと一歩のところで出てこない。

 何かしらの取っかかりは掴んでいるのだが、あと一歩が足りない。

 これ以上の長考は危険だと本能が警鐘を鳴らす中、優花里の言葉を根気強く待っていたケイが遂に口を挟んだ。

 

 結果的にはこれが最後の一押し。

 

『ねえ、黒森峰がやられた砲撃だけど、あれってカールが犯人っていう線はないの?』

 

 カール? とピンと来ていない沙織や華、そして麻子が首を傾げた。

 そして無線を聞いていたアリサまでもが口を開く。

 

『でもマム、私たちが申請したときはレギュレーション違反だとして却下されましたよ』

 

 カール、レギュレーション……と優花里の中で何かが繋がった。

 はっ、と意識を再浮上させた優花里は咄嗟にカリエを見る。

 

「カリエ殿!」

 

「もう調べたよ。優花里さん。つい先週、日本戦車道連盟の車両に関するレギュレーションが更新されている。カール自走臼砲は——条件付きで認可だ」

 

 カリエは優花里に向かって自身のスマートフォンを掲げていた。優花里が素早く表示された文面に目を走らせてみれば、カリエが告げた通りのことが記載されていた。

 そう、カール自走臼砲がレギュレーションの網を擦り抜けていたのである。

 

『Shit! 私たちが使いたいって言ってもオープントップだから駄目って言った癖に!』

 

『試合直前に認可するなんて卑怯だわ! やっぱり向こうのチーム、お役所とグルなのね!』

 

 ケイとアリサの怒りの声を背景に優花里は「むむむ」と顔を顰めた。

 あらゆる障害物を無視して、上空から大質量の砲撃を投射することのできるカール自走臼砲は、高校選抜チームの喉元を食い破りかねない脅威だからだ。

 何としてでも早急に対処しなければならないと、優花里はさらに思考を巡らせる。

 しかしながらまたしてもケイの言葉が優花里の潜りそうになる思考を繋ぎ止めた。

 

『オッドボールは撤退するBチームに対する支援と指示をお願い。カール自走臼砲に関しては私たちで何とかするわ。Bチームにはナナっていう人間レーダーみたいな子もいるんでしょう? 彼女に発砲音から着弾までの音の時間を計ってもらえれば凡その位置を把握することも出来るわ。だから私たちに任せなさい』

 

 ケイからの提案は渡りに船だった。

 これから優花里たちAチームは残党狩りに遭うであろうBチームの撤退支援を行わなければならない。

 とくに攻撃力と防御力に優れた重戦車たちで構成された部隊だ。ここで部隊の継戦能力を失ってしまうとチーム全体にとっての大打撃を被ってしまう。

 最優先で優花里がクリアしていかなければならないミッションがそこにはあった。

 

「了解しました。ではCチームの皆さん、何処かに潜んでいるカール自走臼砲を発見し次第、その撃破をよろしくお願いします」

 

『OK! では両チームに幸有らんことを! Good Luck!!』

 

 爽やかな応答を残して、Cチームとの交信が切れる。

 優花里は本当に彼女たちが味方で良かった、と安堵の息を吐き出しながら、次なる指示に向かって頭を切り換える。

 ぐっと引き締まった表情で繰り出されるのは、困難と言われる撤退戦の指示だ。

 

「それではこれよりBチームの撤退を支援します。上空からの砲撃に対応するため、車両間隔は広めに。けれどもその隙を突かれないよう、互いのカバーは綿密にお願いします。出だしは挫かれましたが、まだまだわたくしたちには戦う力が残されています。皆さんのお力をどうかわたくしめに——」

 

 ふっ、と息を吸い込む。

 そういえばまだこの言葉は宣誓していなかった、と優花里は今更ながらに思い出していた。

 

「ではいきましょう。——パンツァー、フォー!!」

 

 

04/

 

 

 撤退戦は逃げることと、追いすがる敵を撃破すること、その二足の草鞋を履き続けなければならない難しさがある。

 丘を下り、低地に抜けていく街道をひた走るみほはその事実に歯噛みをし、常に後続の車両に気を配り続けていた。

 特にナナが指揮するパンター。 

 今回からの車長ということもあり、どうしても動きの俊敏さに欠けることがある。

 黒森峰とプラウダの一軍の上澄み揃いの中で、かの車両の練度は明らかに一段落ちていた。

 さらに先ほどから降り始めた雨がBチームに追い打ちを掛けていく。

 ただでさえ足回りに不安を抱える黒森峰の車両と、視界確保に難を抱えるプラウダの車両。

 それぞれがハンディを手にした状態で逃走を図っているのだ。

 通常の撤退戦に比べ、遙かに難易度の高い一戦となっている。

 合羽を頭から被ったみほは喉元のマイクに手をやり、後方で殿を務めているカチューシャに連絡を取った。

 

「カチューシャさん、今の状況を教えてください」

 

『こちらカチューシャ、パーシングの奴らが食いついて離れないわ! 被弾も確実に増えてるしちょっと不味いかも!』

 

 ガン、とみほが咄嗟にヘッドホンを外しそうになるくらいの金属音が無線の向こう側で響いた。

 それがカチューシャの車両が受けている砲撃の一部であることくらい、みほは確認を取ることもなく理解することが出来た。

 弾きはしているものの、車両に蓄積されているダメージは決して無視できるものではない。

 ただでさえ既に一両が撃破されているのだ。

 これ以上、主力とも言えるBチームから犠牲を出すわけには行かなかった。

 

「ナナさん!」

 

 次に、みほは背後を必死に追走してくるナナに声を掛けた。

 ナナも一杯いっぱいながら、何とかみほの言葉に耳を傾けようとする。

 

「私はこのまま速度を落として、カチューシャさんの救援に向かいます。ここでカチューシャさんまで脱落してしまってはチームの立て直しが出来なくなります! ナナさんはこのままAチームとの合流を目指して! 後から追いついてくるプラウダの皆さんがきっと助けてくれます!」

 

 言って、みほのティーガーⅠはナナのパンターと併走し、やがて追い越されていく。

 狭い街道での神業的操作ではあったが、今の彼女たちにその成功を喜んでいる余裕はない。

 みほとナナの距離が離れていく。

 黒森峰で一人取り残されたナナが不安げに振り返るが、ただそれだけだった。

 直ぐに表情を持ち直すと、前方に向き直ってむしろ前進の速度を増していく。

 それと対比するように速度を落としていくみほの耳には、後方で繰り広げられていた激しい砲撃戦の音が届いていた。

 ぼろぼろになったIS−2 ——ノンナの車両と併走する形になり、後方を走るカチューシャの支援を開始する。

 

「黒森峰の隊長が何の用よ! あんたはあの新人車長を引っ張ってやりなさいよ!」

 

 IS−2よりもさらにダメージを受けているカチューシャが吠えた。それは救援のために危険を冒そうとするみほを叱責する言葉だった。

 だが負けず劣らずの声量でみほは言葉を返す。

 

「ナナさんも立派な黒森峰の一員です! こんな状況でも立派に戦い抜く力量と覚悟を持っています! それにここでカチューシャさんを失うわけには行きません! あなたは大洗の、私たちの勝利に必要な人です!」

 

「Вообще я согласен с вашим мнением.(全くもってその通りです)」

 

 ノンナの冷静な声色もみほを後押ししていた。ティーガーⅠとIS−2の二両でカチューシャの車両に肉薄し、後方から猛攻を仕掛けるパーシングに砲撃の雨を降らす。

 進行方向とは真逆への砲撃だったが、黒森峰隊長車を任される砲手と、ノンナの力量が条件の悪さを完璧にカバーしていた。

 二両の放った砲弾が、ほぼ同時に一両のパーシングの砲塔下部を穿ったのだ。

 

「西住さん、これである程度時間は稼ぐことが出来ました。今の内にカチューシャをお願いします。クラーラ——、Пожалуйста, оставайтесь со мной(あなたは私とここに残ってください)」

 

「Конечно(よろこんで)」

 

 撃破されたパーシングを迂回するため、他のパーシングの進行速度が目に見えて落ちていた。

 これは好機だと、カチューシャのT-34/85が速度を上げる。そしてみほのティーガーⅠがそんなカチューシャの盾になるように、後方へと陣取った。

 ただ、

 

「ノンナ! クラーラ!」

 

「お二人とも早く!」

 

 完全に足を止めてしまったノンナとクラーラにカチューシャの悲鳴、みほの懇願が投げかけられる。

 二人の意図を察しているみほとカチューシャはそれは駄目だ、と自分たちの車両の足を止めようとした。

 しかしながらノンナは優しく「いけませんよ」と微笑んでいた。

 

「カチューシャ、あなたはプラウダの、いえ、私たち全ての勝利に必要な方です。こんなところで撃破されてはいけません。西住さん、いえ、みほさん。あなたも同じくです。カチューシャのことをよろしくお願いします」

 

「かちゅーしゃさま、ごきげんよう。かわらぬごぶうんをおいのりします」

 

 どんどん距離が離れていく。

 カチューシャがブレーキを踏み、後方へ下がろうと画策するが、みほが何とかそれをブロックした。

 彼女もまた、沈痛な面持ちで、だがノンナとクラーラの決意を汲み取ってカチューシャを押しとどめる。

 

「どいて! ノンナが、クラーラが!」

 

「駄目です! お二人の覚悟を無駄にしてはいけません! ここは何とか逃げおおせて次に備えるべきです!」

 

 みほの説得にカチューシャは牙をむき出しにして噛みついた。

 お前は二人を見捨てるのか、切り捨てるのか、と食らいついた。

 カリエを救うためならば何でもするのか、と。

 

「あんたは黒森峰だから割り切れるんでしょう! プラウダは私とニーナたちだけになっちゃうのよ!? それにあの二人を置いて逃げおおせるなんてあたしのプライドが許さない! あたしの信念が許さない! そんなものとんだ恥さらしだわ!」

 

 みほもまた、カチューシャの叫びに叫びで答える。

 それは違う、と叫ぶ。

 

「割り切れるはずがありません! ですがここでカチューシャさんまでやられてしまったら残ったお二人の気持ちはどうなるんですか! あなたの頭脳は、聡明さはそのことをよく理解されているはずです!」

 

 ぐっ、とカチューシャが言葉を詰まらせる。

 自身の嘆きが身勝手な我が儘であることくらい理解しているからだ。それでも譲れない矜持というものがある。

 味方を見捨てるという行為を選択することが出来ない。

 

「それでもあたしは見捨てられないの! プラウダの長としてそれだけは——」

 

 カチューシャの言葉が途切れる。

 雨を切り裂いて飛来した黄色い光弾がティーガーⅠの装甲を叩いた。

 反射的にみほとカチューシャ、それぞれが後方右側を見た。そこには街道の上方を追走してくるパーシングたちの姿があった。

 

「——っ、まさかもう二人とも……」

 

「カチューシャさん、止まらないで! 私が盾になりますからこのまま逃げ続けてください!」

 

 ティーガーⅠの88ミリ砲が火を噴く。こちらに狙いをつけるパーシングたちに至近弾を浴びせかけ、動揺を誘う。

 だが所詮は焼け石に水。多勢に無勢だ。みほが一発の砲弾を放つうちに、その三倍の砲弾の雨がこちらに降り注いでくる。

 

「くっ、こうなったら私が残って足止めを……」

 

「それこそ絶対に駄目よ! あんたがやられたら黒森峰の部隊は完全に崩壊するわ! カリーシャも大洗も全部救えなくなるわよ!」

 

 カチューシャの叱責を受けてみほは何とか踏みとどまる。それでも状況は刻一刻と悪化していく。

 ティーガーⅠに対する被弾が増え始め、パーシングとの彼我の距離は確実に縮まっていた。

 

 このままでは二人ともやれる。

 

 最悪の未来を幻視し、みほは唇を噛み、カチューシャは拳をキューポラに叩きつける。

 もう時間がない。

 パーシングの砲口のディティールが、雨天下の悪視界でもハッキリと視認することの出来る距離まで近づいていた。

 

 やられる——。

 

 絶望の覚悟を決めたのは果たしてみほとカチューシャ、そのどちらだったのだろうか。

 あるいはその両方か。

 その真意を知るのは本人たちのみ。

 

 

05/

 

 

 ニーナはあの時の光景を良く覚えている。

 

 緊張に苛まれながらも、何とか己を鼓舞して向かった学園艦の見学。

 しかもそれが名門プラウダ高校相手だったものだから、彼女の心労はひとしおだった。

 がちがちの体を押して、何とか向かった戦車道ガレージ。

 右も左もわからないままに、不安に押し潰されそうになりながらニーナはそこにいた。

 そして出会う。

 

 今思い返せば、自分がここにいるのも、彼女と出会ったのも、何かしらの運命だとニーナは考えていた。

 

 

06/

 

 

「カチューシャさまあ! 今お助けするべえ!」

 

 パーシングとみほ達の射線の間に巨大な影が割り込んできた。

 街道の怪物と恐れられ、巨人(ギガント)の異名を持つ常識外れの重戦車、KV-2だ。

 持ち前の重装甲でパーシングの砲撃を受け止めたKV-2は桁違いの威力を持つ152ミリ榴弾砲をパーシング達に叩き込む。豪快ともとれる爆炎が吹き上がり、数多の雨粒を蒸発させていった。

 

「次ィ! 砲身が吹き飛んでも構わねえべ! 黒森峰んとこの隊長と、カチューシャさまを逃がすんだ!」

 

 雨に負けず劣らずの汗を流しながらもニーナは砲弾の前部分を砲身に叩き込んでいた。

 それに呼応してアリーナも砲弾の後部を装填していく。

 砲尾が閉じられたのと同時、次発の榴弾をKV-2が吐き出す。

 

『ありがとうございます! あなたたちも早く撤退を!』

 

 態勢を立て直し、逃走を開始したみほから無線が入る。しかしながらニーナ達は「それはできない」と黙々と装填を続けた。

 ニーナはあらん限りの力を込めて砲弾を次々と込めていく。

 

「黒森峰の隊長さん! 一つだけお願いがあ!!」

 

 同じく態勢を立て直したパーシング達からの砲撃がKV-2に突き刺さっていく。激しく揺さぶられる車内にありながらも、ニーナはしっかりと砲弾を抱きかかえたまま言葉を続けた。

 

「カチューシャさまは言わずもがな、カリーシャさんをどうかお願いします! あんの人はぁ、わだしにプラウダに飛び込んでいく勇気をくれた人だから! どうかもう一度だけでも笑って戦車道が出来るように——、わだすたちといつか戦うことが出来るように、何としてでも大学チームに勝って欲しいんです!」

 

 ニーナは何度だってあの時の光景を思い描くことが出来る。

 たとえスパイとしてプラウダにやってきていたことが後からわかっても、カリエに対する尊敬と感謝の念は変わらなかった。

 むしろその戦車道にひたむきな姿勢に感心すらしたし、何より偵察の最中でも緊張で一杯いっぱいだったこちらを気遣ってくれたその優しさをニーナは覚えている。

 そんな彼女が苦しんでいる今だからこそ、自分たちが何とか役に立てればと街道に居座り続ける。

 

「こっちが動ける限りここは絶対に通さねえ! 街道の怪物を舐めるなあ!」

 

 一発の砲弾がパーシングに直撃した。爆炎に包まれたかの車両は直ぐさま白旗を掲げてその場に擱座する。

 紅蓮の火炎はニーナの怒りと決意を表すかのような熱を帯びていた。

 

「カリーシャさんにお伝えしてほしいだ! ニーナは、ニーナはあなたから貰ったこの名前を胸に、あなたと戦える日を心待ちにしていると! だからまたいつか会いたいと!!」

 

 報復の矢だと言わんばかりに、パーシングの集中砲火がKV-2に殺到した。

 さすがの防御力でもその圧倒的な火力に遂に根を上げてしまう。

 黒煙と白旗を雨に晒しながら、KV-2が動きを止めた。

 

「どうしよう! みんなみんないなくなっちゃった!」

 

「落ち着いてください! もうすぐ街道を抜けてAチームの展開する低地へ抜け出せます! 皆さんの無念を晴らす機会はまだたくさんありますから!」

 

 みほのティーガーⅠとカチューシャのT-34/85が街道を疾走していく。

 激しくなりつつある雨足をかき分けるように、鋼鉄の獣が地を踏みならす。

 

 試合開始から一時間弱。

 プラウダと黒森峰の混成部隊は、その構成車両を大きく失いながらも何とか高地からの脱出を果たそうとしていた。

 

 




本日中に完成しましたので投稿します。 
多分劇場版は15話くらいで終わりかな?

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