黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

42 / 59
逸見カリエの戦車道 11

 まず最初に、低地に転がり込んできたのはナナのパンターだった。

 被弾痕こそ見当たらないものの、爆炎の煤を受けて所々が黒く汚れている。高地での激戦の様相を物語る姿に、優花里は思わず息を呑んでいた。

 だがここで思考を中断することは出来ないと、次なる指示を口にする。

 

「ご苦労様でした。このまま態勢を立て直しつつ、南西の方角に向かいます。廃墟になった遊園地跡があるはずなので、そこでゲリラ戦を展開。各個撃破の形を目指したいと思います。ところで——他の皆さんは?」 

 

 彼女の疑問は、ナナの後続に向けられた視線と共にあった。

 ほぼ全速力でナナが撤退してきたのは良いものの、後続の車両たちが一向に現れないのだ。

 雨の所為か通信状況も悪く、AチームはBチームがどのような戦いを繰り広げていたのかまだ把握することが出来ていない。

 ナナは雨に濡れた前髪を煩わしく感じているのか、荒々しくかきあげて優花里に答えた。

 

「隊長は——西住隊長はパーシングに食らいつかれたプラウダの皆さんの救援に向かいました。途中までこちらが拾っていた通信によると、プラウダから3両の損害を出したようです」

 

 3両——被撃破された車両の数が優花里に重くのし掛かる。

 主力とも取れるBチームのダメージは想像していたよりも甚大だった。黒森峰の撃破された車両を合わせれば4両の強力な戦車とメンバーを失ったことになる。

 真っ白になりそうな優花里の思考を何とか繋ぎ止めたのは、砲弾を抱えたカリエの言葉だった。

 

「とにかく優花里さん、佐久間さんの報告が正しければみほたちがまだこちらに向かってきている筈。Cチームの皆さんがカールを何とかしてくれている間に早いところ合流して戦力を組み直そう。大丈夫——まだ黒森峰は、プラウダは戦える。優花里さんだってそのことはよく知っているでしょう?」

 

 確かにその通りだ、と優花里は頷いた。

 準決勝で、決勝で鎬を削った両校はこんな逆境でへこたれるような学校では無かった。

 むしろどんな逆境でもそれを糧にして前に進み続けることが出来るからこそ、強豪として、王者として君臨し続けているのだ。

 

「ナナ殿、今からAチームとBチームを一時合併します。西住殿たちが合流してきても大丈夫なよう、このまま低地を抜けて援護に——いえ、彼女たちを迎えにいきましょう。いくらパーシングの追撃を受けていても、こちらから攻勢を掛ければあちらもそこまで執拗には追ってきません」

 

 優花里の言葉を皮切りに、Aチームの車両が動き始める。 

 北の方角に展開していた大学選抜チームに牽制を加えながら、ナナが通ってきた道を辿りだしていた。

 未だ姿を見せないBチームの生き残り達。

 どうか全員無事でいて欲しいと祈りを込めながら、高校選抜チームは拘泥の中を進んでいく。

 

 

01/

 

 

 潰走を続けるみほが我が耳を疑ったのは無理からぬ事だった。

 地図によればもうそろそろ街道を抜けようか、というその時。

 一発の砲撃音が辺りに響く。

 先を行くカチューシャの眼前に着弾したそれは、それなりの大きさの土柱を上げるように爆ぜていた。

 普段ならば何てことのない至近弾として無視できていた。

 確かに相手の砲手の腕だとか、車両性能のことを鑑みれば安全とは言い切れないものの、そこまで気にとめるような事象では無かった。

 では何故彼女はそんな極普通の砲撃音に驚いていたのか。

 どうして彼女はわざわざ振り返ってまで砲撃の主を確認しようとしたのか。

 

 逸見姉妹が互いの挙動全てを把握し、その身にそれぞれを刻んでいるように。

 西住姉妹もまた、互いの全てを身体に叩き込み合っていた。

 

 どのような状況下でも完璧に連携が取れるように。

 どんな相手でも姉妹で打ち崩すことができるように。

 

 みほはまほの全てを理解していたのだ。

 

 だからわかる。

 砲撃の音、タイミング、狙いの全てが語っていた。

 自分たちに向けて砲火を投げかけたのが誰なのか。どのような意図をもって今成されたのか。

 カチューシャはまだ気がついていない。

 彼女の盾になっていったノンナ、クラーラ、ニーナ、アリーナ、そして全てのプラウダの隊員達のことを思い、必死に逃走を続けている。

 ただみほだけが後方を向いたまま、視線をある一点から離せないでいた。

 

「お姉ちゃん……」

 

 漏らされた呟きに対する応答は、ティーガーⅠの直ぐ近くで炸裂した88ミリの徹甲弾だった。

 

「ちょっと! さっきから何に撃たれてるの!」

 

 前方を行っていたカチューシャが振り返る。

 みほは「何でもありません! ただの新手です!」と咄嗟に嘘を吐いていた。

 だが考えもなしに吐き出された嘘がカチューシャに通用するはずもなく、彼女もまた先ほどからこちらに狙いをつけている車両を見て目を剥いていた。

 

「西住まほ……! 絶対何処かでぶつかると予想はしていたけれどもこんな序盤から!? ちょっと本気で潰しに来てるわよ! 大学の奴ら!」

 

 何とかカチューシャの壁になることができるよう、みほはティーガーⅠの位置取りを細かく調整しながら、背後から追いかけてくるまほのティーガーⅠに狙いを定めた。

 車両番号こそ黒森峰時代から変化しているが、間違いなく虎の主は彼女の姉たる西住まほだった。

 

「っ、こちらの事情を知らないとはいえ、このタイミングで参戦なんて!」

 

 ほぼ同じ発砲音を轟かせながら、みほとまほが撃ち合う。

 しかしながらその結果は全く違ったものとなっていた。

 みほのティーガーⅠには跳弾の傷痕が深く刻まれたのに対し、まほのティーガーⅠは全くの無傷だった。みほの放った砲撃は車両を掠めることも無く、ティーガーⅠのやや後方で炸裂していたのだ。

 それはまるで、みほの動揺が顕在化したような結果だった。

 

「カチューシャさん、このままでは私たち——二人とも危険です! 私が何とかお姉ちゃんを食い止めますから、カチューシャさんはこのままAチームに合流してください! 後から必ず追いつきます!」

 

「相変わらず嘘が下手くそだし自己犠牲が過ぎるのよ! あんたが残るなら私も残るわ! 二人がかりじゃ無いとあの化け物は止まらないわよ!」

 

 昨年の決勝戦を思い出しているのか、カチューシャの声は少しばかり震えていた。

 思えば自分たちに引導を渡したのは逸見姉妹だが、それまでこちらを追い詰めてきていていたのは間違いなく西住まほの技量と采配だった。

 しかもノンナやクラーラといった腹心達を失った今、カチューシャを守るものは何もない。

 心の支えというものが残されていなかった。

 みほに付き合うという言葉も、半ばやけくそで言い放たれている。

 

「でしたらここで必ず足止めをするか、撃破しなければ! お姉ちゃんをAチームの場所まで連れて行くことは絶対に阻止しなければなりません! 身内を自慢するようであれですが、それだけお姉ちゃんの戦車道の腕は飛び抜けています! 下手をすれば一人でこちらが壊滅させられるかも……」

 

「悔しいけれど同意してあげるわ! なら良い? いっせーのーでであんたが急停車、私が減速をするの! 速度差を活かして二人で挟み撃ちに持ち込むのよ!」

 

「良い作戦だと思います! ではいっせーのーでっ」

 

 みほのティーガーⅠの履帯が急停止し、泥濘んだ泥を滑りながら速度を失っていった。

 ほぼ全速で二人を追いかけていたまほのティーガーⅠがみほを追い抜いていく。

 次に速度を緩めていたカチューシャのT-34/85がまほの進行方向を塞いだ。

 挟み撃ちは成った。

 回避も停止も出来なくなったティーガーⅠが、みほとカチューシャに挟まれていた。

 カチューシャが叫ぶ。

 

「やってしまいなさい!」

 

 それまで後ろを狙っていたみほのティーガーⅠの砲塔が高速で回転し、ティーガーⅠの弱点とも言われるまほの車両の後部に狙いをつける。

 葛藤は一瞬。

 雨を切り裂くように、88ミリの砲弾が解き放たれた。

 

 が——、

 

「きゃっ!!」

 

 突如としてみほのティーガーⅠがぶれた。

 カチューシャからは、いきなりみほのティーガーⅠが横滑りをしたように見えた。

 何が起こったのか、数秒ばかり理解が出来ない。

 ただ当事者のみほだけが状況をある程度正確に把握していた。

 

「なんでBT-42が!」

 

 そう、みほの視線の先には自身のティーガーⅠと併走を繰り広げているBT-42の姿があった。

 街道の低い崖の上から飛び出してきたかの車両が、みほのティーガーⅠに体当たりをぶつけていたのだった。

 お陰で狙いがぶれ、千載一遇の好機が霞と消えていた。

 

「みほ!」

 

 BT-42に釘付けになっていたみほの視線が再び前を向く。

 カチューシャの短いながらも悲痛な叫びが耳に届いていたからだ。

 そして見てしまう。

 前方を走るまほのティーガーⅠが徐々に速度を落とし、こちらを封じ込めようとしている今その瞬間を。

 

「カチューシャさん、先に行って! 私に構わないで! 一人だけでもAチームに合流して下さい!」

 

 ここで進路を塞がれてしまっては、BT-42とティーガーⅠ、そして背後から追ってきているであろうパーシングの餌食になることくらい容易に察しがついていた。

 つまりは自身の終わりを見ていたのである。

 どう考えても撃破は免れないと、カチューシャに懇願していた。

 

「大洗の皆さんを、カリエさんをお願いします! 私は一両でも多く道連れにしていきますから!」

 

 まほのティーガーⅠの車両後部がみほのティーガーⅠの車両前方に接触した。

 そして強制的に速度が落とされていく。

 カチューシャとの距離が開く。それは二度と取り戻すことの出来ない彼我の距離。

 

「っ! あんたこそ精々姉に吠え面かかせてきなさい! 無抵抗でやられたら承知しないんだからね!」

 

 カチューシャはそれ以上は振り返らなかった。

 でもそれで良いとみほは思う。

 結果的に黒森峰、プラウダ共にほぼ全滅の醜態を晒してしまったが、カチューシャが生き残ることが出来たのは何物にも代えがたい僥倖と言えた。

 彼女が持つ指揮官としての能力はそれだけ隔絶したものがあると知っていたから。

 

「さすがカリエさんが他校で一番警戒していた人、あの人ならきっと——」

 

 みほからカチューシャの姿が視認できなくなる。

 しかしそれは、彼女の撤退完了を意味している分、朗報でもある。

 さてここからは自分のことだ、とみほは併走するBT-42と前方を塞ぐティーガーⅠを睨み付けた。

 

「これでも西住——いえ、黒森峰の隊員の端くれ。ただ無抵抗でやられるわけにはいきません!」

 

 ティーガーⅠの主砲が吠える。履帯が併走するBT-42を押しのけようとして火花を散らす。

 雨を蒸発させる熱気が、ティーガーⅠの排気口から拭きあがる。

 

「パンツァー、フォー!!」

 

 

02/

 

 

「こちらアンチョビ。黒森峰のナナとかいう隊員の報告したとおりの方角、距離にてカール自走臼砲を発見したぞ。護衛のパーシングは3両。あいつら、全自動に改造しているお陰か、やけに発射速度が速い」

 

 雨が上がった木陰の中、こっそりと忍び寄った豆戦車からアンチョビが顔を覗かせていた。

 彼女の視線の先には干上がった川の中州で稼働を続けるカール自走臼砲とその護衛の車両の姿が見える。

 こうしている間にもカールは爆炎と共に砲弾を撃ち出しており、高校選抜チームに痛恨を与えている様子が窺えた。

 アンチョビはそんな現状に歯がゆさを感じながらも、随分とアンティークな双眼鏡を使い、件の目標についての報せを冷静に続ける。

 

「しっかし姐さん、ミスりましたね。敵に見つかるって理由であたしたちだけで偵察に来ましたけれど、さすがにあれを撃破するのは無理っすよ。でも早いとこ何とかしないよ、Bチームの被害がどんどん大きくなりますし」

 

「ドゥーチェ、無線によればあっちはかなりの激戦みたいです。Bチームの殆どの車両がやられてしまったみたいで。カールの排除は急務です……たかちゃんは無事かしら」

 

 豆戦車——カルロベローチェに乗り込むペパロニとカルパッチョにアンチョビは振り返る。

 二人の告げた通り、カール自走臼砲を一刻も早く撃破しなければ被害は拡大するばかりである。

 アンチョビは「その通りだ」と頷いて見せた後、カルパッチョから無線を受け取った。

 

「もともと私たちだけではどうしようも無いんだ。早いところケイ達に連絡をしてあのカールを何とかしてしまおう。というわけでケイ、今から進言するポイントに向かってくれ」

 

『ノープロブレム。もう進軍を開始しているわ。でも撃破のプランはどうする? 正面から相手してたら護衛にこちらがやられちゃうし、カールの装甲もそれなりよ。ナオミのファイアフライを何とか肉薄させないと』

 

 ケイの懸念は尤もだ、とアンチョビは腕を組む。

 もともとオープントップのカール自走臼砲だが、レギュレーション通過のためにそれなりの装甲強化が成されている。下手な高校選抜チームの車両ではそんな装甲を撃ち抜くことが出来ない可能性が高い。

 カール撃破に派遣された車両で確実に撃破することが出来るのは、ナオミが搭乗するシャーマンファイアフライくらいだった。

 

『……安全にシャーマンをカールに近づけさせれば良いんですよね? なら私たちに考えがあります!』

 

 アンチョビとケイの作戦に関するやり取りをそれまで黙って聞いていた典子が声を上げた。

 貧弱とも取れる八九式戦車を使いこなし、それなりの戦果を上げてきていた彼女が提案する作戦に、アンチョビ達は興味を示す。

 

『——というわけです。サンダースの皆さんには負担を掛けてしまう作戦ですが、必ずカールを撃破することが出来ると思います』

 

 先にリアクションを出したのはケイだった。

 

『面白いプランだと思うわ。でも問題は護衛の車両をどうするかね。3両のパーシング相手にずっと囮をやるのはかなりハードよ』

 

『ならその役割、私に任せてください。マム。撃破は難しいかもしれませんが、逃げ続けるだけなら何とかなります』

 

 即座に囮を買って出たアリサに、典子たちと同じように沈黙を保っていた杏が言葉を返した。

 

『えー、でもうちのⅣ号からは逃げ切れなかったじゃん』

 

『五月蠅いわね! お陰様で逃走機動の研究と訓練が随分と捗ったわよ! ていうか茶々入れるくらいならあんたたちがやりなさいよ!』

 

 アリサの声に杏は「いいね、それ」と笑って返した。

 

『なら私たちも囮に加わるよ。二両あった方が攪乱できるだろうし。それに、回転砲塔を持たないヘッツァーなら相手も割と嘗めてかかってくるからやりようはあるだろうからさ』

 

 こうしてカール討伐隊の編成は決まった。アリサと杏の車両を囮として護衛のパーシング達を引きつけ、残されたCチームの車両達でカール自走臼砲を包囲殲滅する作戦だった。

 そして作戦開始の号令を取ったのは隊の指揮経験が豊富故か、自然と小隊長としての動きが多くなっていたケイだった。

 彼女は勢いよく無線機を引っつかむと、Cチーム全体に向かって声をあげる。

 

「Operation Oriental Witch、はじめるわよ!」

 

 

03/

 

 

 ケイの号令と共に、物陰や茂み、林の奥に潜んでいた車両たちが一斉に突撃をかけていく。

 一番先を行き、隊列を先導するのは作戦の発起人達であるアヒルさんチーム——バレー部の面々だった。

 

「ところでキャプテン、オリエンタルウィッチってなんですか?」

 

 砲手を任されているあけびがふと疑問を口にする。車長として周囲を警戒していた典子は「うーん」と歯切れの悪い枕詞を加えて、こう返した。

 

「檻をレンタルするウィッチ? あ、ウィッチって魔女か。なら檻を借りる魔女? 童話か何か?」

 

 ああ、成る程とあけびが頷いたのを見て、前部の座席で通信手と操縦手を務める妙子と忍ががくっ、肩を落とした。

 妙子が後部座席に振り返り、やや引きつった声色で訂正を漏らす。

 

「オリエンタルは東洋。ウィッチは魔女だからオリエンタルウィッチは東洋の魔女ですよ。ほら、キャプテンも知ってますよね。東京オリンピックで伝説を築いた歴代最強の女子バレーチームです」

 

「なんと……! サンダースの隊長はそんな粋な作戦名を考えてくれたのか……。恐るべし強豪校——!!」

 

 ぐっ、と気合いを入れる典子を単純だ、と笑う者は誰もいない。

 むしろ気持ちは同じだと言わんばかりに、全員が典子の言葉に賛同していた。

 

「折角頂いた素晴らしい作戦名に恥じないよう、キャプテン頑張りましょう!」

 

 忍の言葉を皮切りに、全員が一斉に声をあげた。

 それはまさに勝ち鬨の叫び。これから勝利を掴みに行く者だけに許される合い言葉。

 

「せーの」

 

 音頭はキャプテンである典子。

 

『根性——!!』

 

 八九式戦車が茂みから飛び出す。そして中州に続く煉瓦造りの橋を目指した。突然の奇襲に驚く護衛のパーシングが発砲するも、思わぬ快足と機動力を読み違えてしまい何も存在しない地面を砲弾が穿っていく。

 

『ナイスファイトよ! カメさんは私に続いて!』

 

 パーシングの注意が八九式戦車に向けられているのを見て、アリサのシャーマンと杏のヘッツァーが物陰からカール自走臼砲に向かって発砲した。

 それぞれの砲弾は距離と装甲に守られたカール自走臼砲に弾かれてしまったが、響き渡る轟音はパーシング達の怒りを買うには十分だった。

 非力な八九式戦車は脅威になりえないと判断したパーシング達がシャーマンとヘッツァーに殺到する。

 ヘイトを稼ぐことに成功したそれぞれの車両は分散しながら干上がった川の底を目指して、斜面を駆け下りた。

 

『平地での機動は向こうが上よ! 射線に入らないようこまめに動いて固まらないように!』

 

『はいよー。それじゃあカール討伐隊のみんなー、あとはよろしくー』

 

 気の抜けた声と共に、杏達がパーシングを引き連れていく。

 残されたCチームの面々はカール自走臼砲を破壊するべく、作戦を開始した。

 

「アンチョビさんは私たちと一緒にカールの陽動を! ケイさんとナオミさんは手筈通りにお願いします!」

 

 橋に到達した八九式戦車が背後にカルロベローチェを引き連れてカールに特攻していく。絶え間なく砲弾を撃ち込みながらの突撃だったが、その全てが虚しくも強固な装甲に弾かれていった。だがそれで良いと言わんばかりに、八九式戦車は前へと進む。

 やがて豆鉄砲でも放っておく訳にはいかないと判断したのか、カール自走臼砲がその重厚すぎる車体を回頭させ、橋の方角へと砲口を向けた。

 これまで相対してきたどの戦車よりも凶悪な砲口にアンチョビが涙混じりの泣き言を叫ぶ。

 

「う゛あああああああああああああああ! こっぢみでるぞおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

「キャプテン!!」

 

「こんじょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 忍の声に典子は絶叫で応えた。だがそれが全ての合図。

 カール自走臼砲の砲口が瞬いたのと同時、八九式戦車が素早く右に進路をずらした。そして追従していたカルロベローチェも全く同じ動きを繰り返す。

 あまりに巨大な砲弾の質量故か、脇を通過していった衝撃だけでそれぞれの車体が軋んだ。さらに後方に着弾した特大の爆炎を受けて、二両は激しく揺さぶられながら前方へと衝撃波に押しのけられる。

 

「よがっだあああああああああああああ! まだ生きでるうううううううう!」

 

 アンチョビの悲鳴を残しながら、二両は装填を開始するカール自走臼砲の側面に回り込んでいく。正面ならまだしも、側面装甲はそこまで整備されていないと踏んでのことだった。事実、装填機構が剥き出しのそこはカール自走臼砲の事実上の弱点とも言えた。

 

「撃て撃て撃て!」

 

「やってしまえ! ペパロニ!」

 

 二両の主砲と機銃が剥き出しの装填機構に火を噴く。

 よし、これで撃破が出来る、と典子とアンチョビは喜びに顔を滲ませた。八九式戦車の主砲が作り出した白煙がややあって晴れていく。

 

「え゛?」

 

「うわー!! やっぱ駄目だああああ!!」

 

 だが白煙の向こう側にあったのは輝かしい戦果では無かった。砲撃と機銃を受けて傷ついてはいるものの、完全破壊にはほど遠いカール自走臼砲がそこにはいたのだ。しかも装填機構はまだ生きており、二発目が既に装填を完了していた。

 

「た、退避——!!」

 

 再び二両に向けて回頭を始めたカール自走臼砲を見て、アンチョビが本日何度目かもわからない悲鳴をあげた。何とかもう一度だけでも側面に回り込もうと画策するが、つぶさに前進を始めたカールの大きさにそれすらも妨害される。

 

「て、ていうかキャプテン、これ、私たちを押し潰そうとしているんじゃ……」

 

 何かに気がついた忍が絶望的な言葉を漏らす。咄嗟に典子が背後を振り返れば、中州の端が直ぐそこまで迫っており、八九式戦車やカルロベローチェの車体の大きさから見てみれば断崖絶壁ともとれる高低差が顔を覗かせていた。

 つまり逃げ場はない。

 正面からはゆっくりとカール自走臼砲が迫ってきている。

 超重量、超質量を誇るその車体に轢かれれば、追い詰められている八九式戦車とカルロベローチェが耐えられるはずもなかった。

 

 ただ——。

 

『OK、ちっこいお二人さん。良くやってくれた。Good job』

 

 典子とアンチョビはそれ以上狼狽えることはない。

 むしろここが踏ん張りどころだと、逃げ出すそぶりを見せなかった。

 何故なら引きつけなくてはならないから。

 この方角、この位置にカール自走臼砲を留めておかなければならないから。

 くちゃくちゃとガムを咀嚼する音が無線越しでも良く聞こえた。今となってはその音ですら典子とアンチョビの福音たり得る。

 

「今だ! アターック!!」

 

「ブルスケッタ作戦最終章だ!!」

 

「姐さん、オリエンタルウィッチ作戦すよ」

 

 気の抜けたペパロニの言葉がトリガーだった。典子たちの遙か後方、中州を望む茂みの中から豪砲が響き渡る。

 聞く者に畏怖すら抱かせる特大の砲撃音はあのティーガーですら屠ることができる17ポンド砲のものだ。

 ナオミが砲手を任されているシャーマンファイアフライの一撃がカール自走臼砲に叩き込まれる。

 黄色く光る高速の光弾は吸い込まれるようにカール自走臼砲の砲口へと吸い込まれていった。

 

 そう——。

 例え17ポンド砲の威力を持ってしても、強化されたカール自走臼砲の装甲を貫徹することが出来るかは五分五分の所だった。

 装填に時間の掛かる17ポンド砲では、一撃で仕留めきれなければ手痛い反撃を受けることもあり得た。

 だからこそ必中且つ必殺の間合いを生み出す必要があった。

 無警戒に弱点を晒すその瞬間を、空間を作り出さなければならなかったのだ。

 典子とアンチョビは自分たちを囮とすることでそれを成した。

 Bチーム壊滅の切っ掛けを生み出した怪物を屠るために、最前面に繰り出していた。

 黒煙と共にはためく白旗が高校選抜チーム反撃の狼煙だった。

 

「よし! オリエンタルウィッチ作戦成功だ!」

 

 典子の歓喜の声は、遙か遠くでBチームの救援に向かうAチームの優花里の耳に、無線を通してハッキリと伝わった。

 

 

04/

 

 

 打ち付ける雨の中、みほは少し昔のことを思い出す。

 

 黒森峰女学園の中等部に入学するとき、彼女はある姉妹の話題をたまたま耳にしていた。

 何でもジュニアユース戦車道において、抜群の連携を武器に、その実力を周囲に示し続けた姉妹が本年度の新入生にいるというもの。

 一言聞いて「逸見さんたちのことを言っているんだな」と納得を覚えたことを覚えている。

 母であるしほの友人の娘ということで、数年前から西住流の門下生として腕を磨いていることを知っていたからだ。

 けれども意外なことに直接会話を交わすことは殆ど無かった。

 家元候補の娘と言うことで向こうが遠慮してきたのかというとそうではない。 

 逸見姉妹それぞれの性格を考えれば、そんな行儀の良い身の引き方をする筈がないからだ。

 思ったことは例え上級生であろうとずけずけと口にする姉のエリカと、普段から楽観的でフレンドリーな妹のカリエ。

 この二人がそんな下らないしがらみを気にして人に接するなど有る訳がなかった。

 ならば何故か。

 理由は至極単純。

 みほが二人を避け続けていたのである。

 そしてその理由も単純明快だった。

 

 逸見姉妹二人のやり取りを、距離を、じゃれ合う風景を、喧嘩し合う信頼を見てしまったから——。

 

 姉のまほと上手く関わることが出来ない自分がどれだけ惨めで、不器用で、情けないか知らしめられてしまうからだった。

 

 

05/

 

 

 みほのティーガーⅠの終わりは中々やってこなかった。

 雨粒が天蓋をぽたぽたと濡らすその時、まほのティーガーⅠとBT-42が突如としてみほのティーガーⅠから距離を取り始めたのだ。

 一瞬情けを掛けられたのか、と表情を険しくするものの、直ぐにそれが間違いだとみほも気がつく。

 弱りだした雨足に混じって、間違いなく異質な音がどこからともなく聞こえだしていたのだ。

 そしてその音はある意味でみほとまほが勝手知ったるある獣の心臓が刻む音でもあった。

 だが姿が見えない。 

 幻聴か、と思えてしまうほど気配そのものが感じられない。

 

 そっと、みほが車内に対してサインを送る。

 指示があれば急発進する事が出来るように準備をしておけ、というサインだ。

 まず中にいた通信手が了解を返し、素早く操縦手へと言葉を伝達していく。

 

 果たしてそれが、彼女たちを結果的に救うことになった。

 

 動きが見えたのは、街道に寄り添うように伸びている稜線の頂上からだった。

 少しばかり姿を見せ始めた太陽を覆い隠すように、巨大な影が稜線の向こう側から飛び出してくる。

 余りにも速度が出過ぎていた所為か、斜面の下りに対応することが不可能となり、車体そのものが宙を浮いていた。

 恐らくカリエがその姿を認めれば「無茶苦茶だ」とぼやいただろう。

 70トン超の車体が空を飛ぶなど、本来ならばあり得ないことなのだから。

 しっかりとこちらに狙いを定めていた88ミリ砲が火を噴いた。

 高速で飛来した砲弾がまほのティーガーⅠの防盾を揺るがし、世界に響き渡る金属音を奏でる。

 それがみほがティーガーⅠを急発進させる合図でもあった。

 着弾の衝撃で硬直しているまほのティーガーⅠとBT-42の間を擦り抜けて、彼女は包囲網を抜け出したのだ。

 さらにお返しと言わんばかりに、砲塔が180度回転して榴弾を叩き込んでいく。

 泥と火炎が目眩ましになったのか、BT-42の砲撃はティーガーⅠの車体を掠めていくだけだった。

 

「エリカさん!」

 

 救世主の名前をみほは口にする。ティーガーⅠの先をいくティーガーⅡのキューポラから上半身を覗かせている少女の名を呼ぶ。

 煤と土で真っ黒に汚れたティーガーⅡを駆りながら、エリカが振り返った。

 

「ごめん、遅くなったわ! パーシング達に気がつかれないよう、随分と北を迂回してきたの! 途中、本隊からみほが取り残されているって連絡を受けたから突っ込んでみたけれど、何とか間に合ったみたいね!」

 

 まほ達は深追いする愚を嫌ったのか、それ以上追撃はしてこなかった。

 恐らく、これ以上侵攻してしまうと高校選抜チームの防御網に抵触することを理解しているのだろう。

 みほは背後への警戒を密にしつつも、エリカに問う。

 

「でもどうして——どうやってあの砲撃を切り抜けたんですか?」

 

 エリカのティーガーⅡがスタックしたことはBチームの全員が知っていた。

 カール自走臼砲の砲弾が降りしきるあの丘に取り残されたことを全員が聞かされていたのだ。

 しかしながらそこからどのように生還したのかは実際の所誰も知らされていない。

 エリカは瞳を伏せながら、ややあってみほの疑問に答える。

 

「小梅がね、助けてくれたのよ」

 

 彼女は地獄の高地で行われたやり取りをつぶさにみほに語った。

 

 

06/

 

 

 そろそろ三度目の砲撃か、とエリカが覚悟を決めたとき、爆発の衝撃とは別の揺れがティーガーⅡを揺さぶっていた。

 さすがにキューポラから顔を覗かせるわけにはいかなかったので、エリカは車長用ののぞき窓で車体後方を確認する。

 そして「な——っ」と今度こそ言葉を失っていた。

 何故なら撤退したはずの小梅のパンターが背後からエリカのティーガーⅡを押し上げていたからだ。

 慌てて無線を引っ掴んだエリカが怒声にも似た声色で小梅を問い詰める。

 

「何してんのよ! 早く逃げなさい! このままじゃあんたまで巻き添えを食らうわよ!」

 

 返答は直ぐには無かった。

 ただ車重で圧倒的に勝るティーガーⅡを何とか前進させようと、パンターが悲痛なエンジン音を周囲にまき散らすだけだった。

 もう一度エリカが叫ぶ。

 

「小梅! 何とか言いなさいよ! 早く逃げろって言ってるでしょ!」

 

「……駄目です。それは出来ません」

 

 悲痛さも畏れも何もない、力強い声だった。

 思わずエリカが気圧されるくらいには力の籠もった声だった。

 小梅は続ける。

 

「エリカさん、あなたはこんなところで撃破されていい人じゃない。まだカリエさんが待っているんです。あなたはあの人ともう一度肩を並べる必要があります」

 

 覚えていますか——? と小梅は小さく笑みを零していた。

 

「去年の決勝戦のことを。あなたもカリエさんもみほさんも、最後まで誰も諦めなかった。皆必死に足搔いて勝利を掴み取ろうともがいていた。——私羨ましかったんです。そんな試合に車長として臨めるあなたたちが」

 

 小梅は「自分は通信手でしたね」と言葉を紡ぐ。

 

「もちろん私も黒森峰の一員として全力を尽くしました。でも、もっと上を目指せたんじゃないかっていつも後悔するんです。私もあの試合、車長として戦ってみたかった。エリカさん達と肩を並べて戦ってみたかった。だってほら、やっぱりその席は特別じゃないですか」

 

 何を言っているのよ、とエリカは呻くように漏らす。

 

「それが今年になってようやく車長を任せてもらえるようになった。エリカさん、あなたがレギュラーの最終一枠に私を推薦してくれたことを知っているんですよ? そしてその時から私が車長として成すべき事をずっと考えてきた。どうすれば私を選んでくれたエリカさんに報いることが出来るのか、その期待に応えることが出来るのか、ずっと考えてきた」

 

 パンターの車体が少しだけティーガーⅡの車体を押し上げた。ティーガーⅡの空転していた履帯が地面を再び掴む。

 

「今この瞬間が、私を選んでくれたエリカさんに恩返しをするときです。行ってらっしゃい、エリカさん。カリエさんの、いえ、私たち全員の未来を掴み取るのはあなたの戦車道です。あなただけの戦車道です」

 

 ティーガーⅡの操縦手が再びアクセルを操作する。大地に喰らいついた両の履帯が素早く回転した。ティーガーⅡが前進を再開した。

 

「——健闘を。頑張って、エリカ」

 

 空から振ってきた砲弾が三度目の爆炎を形作る。パンターはその煽りを受けて横転した。だが既に丘を下り始めていたティーガーⅡは煤と土砂を浴びるだけだった。

 エリカはキューポラから身を乗り出して、キノコ雲の残る頂上を見た。

 

「——ありがとう、小梅。私、必ず勝つから」

 

 それ以上、後ろを振り返ることはない。

 ただ前だけを見つめ、撤退を続けるBチーム本隊の苦境を無線越しに耳にする。

 彼女の視線は成すべき事、やらねばならないことをしっかりと見据えていた。

 そんなエリカの心情に応えるように、ティーガーⅡの王虎のエンジンが唸りをあげる。

 

 雨がもうすぐ上がる。

 日が差し、世界は再び晴れ渡る。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。