大学選抜チームの本格的な侵攻が始まったとき、高校選抜チームが取ったのは戦力を分散しつつ各個撃破を目指すゲリラ戦術だった。
総合的な戦力で劣る高校選抜チームが戦い抜くにはこれしかないと、優花里が決断を下したためだ。即席のチームワーク故に何処かで綻びが生じる可能性が大いに存在していたが、背に腹は代えられないと彼女は覚悟を決めていた。
ただ僥倖もあった。
普段は装填手と通信手を兼任している沙織だったが、カリエが装填手としてⅣ号戦車に乗り込んだために、通信手としての役割に専念することが出来るという幸運があった。
急造のチームワーク故に密なお互いの連絡は最重要課題ではあったが、何とか沙織が中心となって莫大なそれぞれの戦況報告を捌ききっている。もし彼女が装填手も兼ねていたのならば、即座に高校選抜チームの通信網は瓦解していただろう。
『こちらグロリアーナとサンダースの混成隊。遊園地の外周を迂回してきた一部の敵が東通用門の突破を試みているわ。私達で待ち伏せを行ってはいるけれども、押しとどめられるかは未知数よ』
ダージリンの凛とした声色によって告げられる報告に被せるように、カチューシャの甲高い声が重なった。
『北門を防衛している私と黒森峰の混成隊よ。……妙ね、敵の数がやけに少ないわ。多分こいつらは囮で、本命は東通用門か南門に向かっているかも。東通用門はともかく、南門も防備は大丈夫なの?』
カチューシャの訝しげな言葉に、知波単の絹代は威勢良く言葉を返した。
『はっ! いざとなれば乾坤一擲、粉砕玉砕、突撃を敢行する次第であります!』
『落ち着きなさい、絹代さん。突撃のタイミングを見極めるのは隊長である優花里さんよ。独断での玉砕は決して許可されないわ』
やや厳しげなダージリンの諫める言葉を受けて、絹代は「うっ」と言葉を詰まらせた。これは何かしらのフォローを入れるべきなのか、と沙織が考えを巡らせたとき、先に口を開いたのはあろうことかカリエだった。
彼女は何処でガメてきたのか、黒森峰隊員に支給されている咽頭マイクをⅣ号戦車の無線機に無理矢理接続している。
「知波単の皆さんのその戦意、本当に頼もしく思います。戦車に乗ることに怖じ気付いていた私とは大違いです。あなたたちの勢いはまさに切り札足り得るでしょう。ですから一つだけお願いします。切り札はここぞ、という場面において最大の効力を発揮するもの。質、量ともに劣っている我々が敵チームを上回るにはあなたたちの奮戦が必要なのです。だからどうか、いたずらに撃破されぬよう、優花里さんの号令が有るまで、何としてでも生き延びて下さい」
おー、と感心の声を上げたのは華と麻子、そして優花里だった。猪突猛進故に、やや指揮しにくい学校のカラーを持っている知波単学園をここまで手のひらで転がすことの出来る人材など殆ど存在しないだろう。
事実、絹代は先ほどとは打って変わって「はい! お心のままに!」と威勢の良さを取り戻していた。
無線の向こう側で、オレンジペコに宥められているダージリンの小言さえなければまさにパーフェクトだ。
「いやー、本当にカリエさんには助けられます。どうしても大洗にはカリエさんのような参謀タイプの方はいらっしゃらなかったので、こうして指揮を手伝っていただけると、まさに百人力です」
優花里の賞賛に、カリエは照れくさそうに笑った。
「そんなことないよ。優花里さんが必死に頑張っているから、みんなが付いてきてくれているんだ。私は本当にそれを少し後押ししているだけ。微々たるものだよ」
何かが変わったと、その場にいた全員――カリエを除くあんこうチームのメンバーが気がつく。
つい昨日まで、何処か陰のあったカリエの雰囲気が変わっていた。初めて出会い、合宿という場で寝食を共にしたときと同じ表情がそこにはあった。
そういえば、もともとはこんな風に屈託なく笑う人だったな、と優花里が表情を和らげる。
「ここまで随分と苦しい戦いでしたが、確実に潮目は変化しています。この流れを決して手放さず。最後まで戦い抜く。我々が勝利するにはそれしかありません」
だからこそ優花里の言葉には多分の実感が込められている。カリエの変化を潮目の移り変わりと見たからこそ。彼女は力強く口を開く。
「みなさん、もう少しだけ私達に力を貸して下さい!」
01/
自分と姉の関係は、普遍的なそれとは違うということくらい、島田愛理寿は早くから理解していた。
血を分けた姉妹でありながら、島田流家元の息女という運命に翻弄され続け、気がつけば誰よりも遠い他人同士となっていた。
島田流を継ぐものとして、門下生をはじめとした家の人間たちからの期待を一身に受ける愛理寿。
島田流にはふさわしくないと、家中の者たちから殆どいないものとして扱われる島田ミカ。
覚えている限り、会話らしい会話など交わしたことがない。少なくとも物心がついてからは皆無である。
母がそんな二人の間柄を案じて気に病んでいることは古くから知ってはいたが、愛理寿に出来ることなど何もなかっった。
何度か愛理寿からミカに対して接触を試みることはあったものの、家中の誰かがそれを押しとどめ引き離した。そして姉のミカですら、愛理寿を避けるように家の中では振る舞っていた。
多分きっと、嫌われているのだ、と愛理寿は考えている。
自惚れかもしれないが、戦車道の腕前はいつだって愛理寿が圧倒していた。四つも年が下であるというのに、ミカに敗北を喫したことは一度もなかった。
その事実が姉の自尊心を、彼女が「島田」であるという理由を完膚なきまでに打ち砕いていても可笑しくない。
ミカがどこかの高校に出奔したと聞かされても、愛理寿は特段驚かなかった。
いつかはそうなるだろうな、という諦観すらあったし、主犯が己の父だと聞かされても「まあそうだろうな」と納得すら覚えた。
ただ母だけが、数週間ほどいたく取り乱していたことだけ記憶に刻まれている。あれだけ冷え切った姉妹仲ではあったが、やはり母からすれば姉も腹を痛めて生んだ愛しい我が子だったのだろう。
ならばおそらく、姉にも救いが少しくらいはあったのだ、と愛理寿は安心した。
ミカにとって針の筵だった島田の家中にも、一応の居場所があったのだと安堵した。
そして願った。
次こそは姉にふさわしい居場所が、見つかりますようにと。
何処の高校に飛び込んだのかはついぞ知ることは出来なかったが、その高校がミカにとって己の居場所だと安らげる所であって欲しいと祈った。
だが、今までがそうであったように、愛理寿とミカの人生はいつだって何かに翻弄され続けている。
いよいよ姉は姉の、愛理寿は愛理寿の道を行こうとしていたそのとき。
愛理寿が受け取ったのはたった一本の電話だった。
電話越しの人物は逸見カオリと名乗っていた。
『もうすぐあなたのお母様から連絡があると思うが、大学選抜チームを率いて、高校選抜チームと戦って欲しい』
用件だけ取ってみれば、至って普通の申し出だった。
常人からしたら、選抜チーム同士の試合は大事であるのかもしれないが、愛理寿にとっては最早慣れ親しんだ日常である。ついこの間、社会人チームを打ち破ったことに比べれば些事に等しい。
自分たちの戦車道に対する技量の向上が見込めるのならば、と彼女は快諾した。
しかしながらその愛理寿の言葉は電話口のカオリにとって、獲物を罠に嵌めた合図でしかなかった。
『さすがは島田流家元のご息女だ。快諾傷み入ります。――ところで、あなたのお母様について少し気になることが』
嫌な予感がした。
それは一流の戦車乗りとして培ってきた愛理寿の勘というものが、警鐘を慣らしていたのかもしれない。
無礼でも何でも良いから、ここで電話を切ってしまえ、と本能が嘯いていた。そして彼女の本能というものは結果的に言えば正しいものだった。
『あなたのお母様が先日、島田ミカという人物と会談の場を設けたそうよ? 私の記憶が正しければ彼女はあなたの――』
受話器が母機に叩きつけられていた。
もっと早くにこうするべきだったと、愛理寿は多分に後悔する。
流れ出た冷や汗が衣服を汚していた。
彼女の乱れた息だけが、小さな私室に響いている。
「――何で今更」
それ以上の言葉は紡がれない。何故ならば再び沈黙していた筈の電話機がベルを奏で始めたからだ。
不思議と、カオリが掛け直してきたとは思わなかった。いや、むしろ掛け直して来ただけならばどれだけ良かったことか。もしもただの掛け直しだったのならば、電話線を引き抜いて無視をするだけで済んだのだから。
愛理寿は電話向こうの人物が誰か正確に予測していた。
小さな手が再び受話器を取る。
きっちり三秒経ってから、電話越しの人物は口を開いていた。
『もしもし、愛理寿? あなたに伝えなければいけないことが……』
心なしか何処か安堵の感情を滲ませた母、島田千代の声だった。
02/
ダージリン率いるグロリアーナと大洗の一部車両、そしてサンダースからなる混成部隊はそのときをずっと待ち続けた。
堅く閉ざされた東通用門の向こう側では複数の車両が作り出すエンジンと履帯の音が響いている。
生唾を呑み込んだのは果たして誰だったのか。
奇しくもそれが大学選抜チーム突入の合図だった。
「っ、来ましたわね! 突撃ですわー!!」
ローズヒップ駆るクルセイダーが猛チャージを仕掛けた。一見蛮勇とも取れる行為だったが、相手の出鼻をくじくという意味では戦術的に正しいと、ダージリンは敢えて黙認した。
しかしながら、全身の肌をひりつかせる何かを感じ取ったその刹那、無線機を手にして叫び声をあげた。
「戻りなさい!」
果たして、ぎりぎりのタイミングで猟犬のリードが引き戻される。慌てて後退するクルセイダーの脇を光弾がかすめていった。
やがてチャーチル歩兵戦車のやや眼前に着弾したそれが巨大な土煙を巻き上げる。
どす黒い硝煙の向こう側から、そいつは姿を現した。
Tー28超重戦車。
アメリカが開発、試作を行った怪物である。
異次元の重装甲と巨体を誇る故に、規格外の車重を有し、またそれを支えるために四つの履帯駆動を備えた意欲作でもある。
その破格の防御力を打ち破ることの出来る車両は高校選抜チームには存在せず、また怪物の名にふさわしい攻撃力に耐えることの出来る車両も皆無だ。
「――こちらもトータスを持ってくればよかったわね」
「もってませんけど」
散乱した瓦礫を文字通り挽き潰しながら、巨体が少しずつ前進する。ダージリンの皮肉交じりの軽口を受けて、オレンジペコが呆れたように言葉を返す。が、彼女らが長の抱く気持ちそのものには共感しきっていた。
それはすなわち――。
「無茶苦茶、ね」
常識外れの二射目が炸裂する。
後退を続けるサンダース隊の左舷を掠めていった砲弾が遊具の一つを盛大に吹き飛ばした。
反撃と言わんばかりに、ナオミのファイアフライが発砲するも、余りにも強固な正面装甲はびくともしない。彼女の舌打ちが、その場にいた全ての車両の無線に届いていた。
「……普段ならば行儀が悪いと苦言を呈したのだけれども、今は四の五の言っている場合ではないわね。こんなところで隊を全滅させるわけにはいかないわ。全車両、ツーブロック後退」
無線機を手に取り、ダージリンが淡々と指示を下す。跳ね馬気質のローズヒップですら、形勢の不利を理解しているのか、大人しく指示に従った。
「しかしながら敵の意図がよくわかりません。ここ東通用門付近は入り組んだ構造物が多く、大部隊での侵攻に適していません。基本的に一両通ることが出来るか出来ないかという道幅ですから……。ましてやあの巨体です。小回りなど絶対に利かないでしょう」
アッサムの分析に対して、ダージリンは「そうね……」と一定の同意を示した。だが、それに自身の戦略眼を付け加えるかのように口を開く。
「おそらく後続の部隊の盾になっているのでしょう。背後のパーシングやチャーフィーたちの姿を隠すことで、閉所におけるこちらの待ち伏せを無力化しているのだわ。向こうもこちらを攻めることは殆ど出来ないけれども、装甲火力の差を鑑みれば、持久戦に持ち込めば持ち込むほどあちらの有利。短期決戦を狙っている私達の意図を読んでいるのかもしれないわね」
「でしたらこうして徐々に後退を続ける私達の戦い方は悪手になり得ませんか?」
アッサムの焦りを含んだ言葉に、ダージリンは頷いた。
「はっきり言ってその通りよ。だからこそ何かしら手を打たないといけない。けれども、今の時点で有効な一手は何もないわ。でもね――」
そこでダージリンは一度言葉を切った。オレンジペコとアッサム、それぞれが不安げに振り返る。
ただ、視線を受けたダージリンだけが涼しげに微笑んでいた。
「そろそろあの人が爆発しそうな予感がするの。どうしてかしら。あくまで今回は裏方だというのに、良い意味でさっきから鳥肌が止まらないの。私を追い落としたあの人の気配がどんどん大きくなっている。私はその先の未来に賭けてみようと思うけれど、あなたたちは如何かしら?」
03/
ナナは隣を併走するⅣ号戦車を横目でちらりと盗み見た。
操縦手だった頃は、カリエの指示に基本従っていたものだから、こうして三六〇度の風景を伺い知る機会などなかった。車長としてキューポラから顔を覗かせているからこそ、目に入る光景というものを初めて知った。
――副隊長は、カリエ先輩はいつもこの景色を見ていたんだ。
彼女の呟きは最早聞き慣れきったパンターのエンジン音にかき消されていく。
事実、隣を行く優花里は車内との作戦会議に忙しいのか、こちらを見てはいなかった。
――そうか、あそこにカリエ先輩がいるんだ。こんな近くにあの人がいるんだ。
ナナはいつかの黄金色の光景を思い出す。
失意の底にあった自身を引き上げてくれた一条の光を。光の中心にあったカリエの笑顔を。
もう二度とモータースポーツに打ち込めないと絶望していたナナを救った光だ。
何でもない平凡な笑顔が、優秀な一年生をとっとと引き抜いてやるという下世話な腑抜けた笑顔が、直後にエリカに「だらしない」と怒られていた笑顔がナナにとっての救世主だった。
しかしながら、その笑顔はたった一度の敗戦でナナの手の届かないところに消えてしまった。
他でもない、カリエを擁するⅣ号戦車の車長である優花里に負けたからこそ、掻き消えてしまった。
正直言って、今のナナの感情は複雑そのものだ。
恨みが一つもないとは口が裂けても言えない。
身勝手な思いであることは自覚してはいるが、優花里が自分たちに勝利しなければカリエの笑顔がすぐそばにあり続けたと考えたことは一度や二度ではない。
だがそんな鬱屈した思いを何とか呑み込んで、こうして優花里と肩を並べ続けている。
一度は心が折れてしまったカリエを護ってくれたという恩義も一応は感じているからこそ、カリエを装填手として使役している優花里に対する嫉妬も、今のところは見て見ぬ振りを続けていた。
それに、
――もう少し待っていて、と言ってくれた。それだけで今は十分。
奇跡のような逢瀬の中で、カリエから告げられた言葉。それが今のナナの希望であり、戦う理由の全てでもあった。
カール自走臼砲の砲撃をくぐり抜け、大学選抜の猛追を死ぬ気で躱し続けてこれたのも、いつかはカリエがこちらに戻ってくるという希望があるからだ。
もう一度、カリエの指揮で戦えると信じているからこそ、ナナは慣れぬ車長を全力でこなし、生き残り続けている。
「――佐久間殿、東通用門が突破され、大学選抜の本隊が園内に流れ込んできたそうです。ダージリン殿率いる防衛隊は二ブロック後退。分散した敵戦力が浸透しているようなので注意されたし、との報告が」
ついに正念場がやってきたか、とナナは天を仰ぎ見る。みほとエリカ、そしてカチューシャが率いる重戦車隊が正面玄関の防衛に赴いている今、敵戦力に即応することの出来る黒森峰の車両は彼女だけだ。
ダージリンの座すチャーチル歩兵戦車は装甲こそ卓越しているものの、機動性と攻撃力において劣っており、大学選抜と正面から殴り合うのは得策ではない。
大洗の貧弱な戦車群は言わずもがな、サンダースの中戦車たちにも荷が重い戦いになるだろう。
指揮官である優花里と、優秀なブレーンであるカリエが乗り込んでいるⅣ号戦車もまだこの段階では前線に出るべきではなかった。
「……では私が防衛組の応援に向かいます。パンターの足と装甲なら、何とかあちらとやり合える筈です」
「いえ、私達二両で向かいましょう。ここで一両だけ孤立して動くのは危険です。アンチョビ殿たちが園内の敵影を逐一マーキングしてくれてはいますが、それも絶対とは言えません。万が一のことを考えてツーマンセルは徹底すべきです」
ナナは特に反論らしい反論を口にはしなかった。だが優花里の意見に積極的に賛成するそぶりも見せなかった。
彼女が抱く愛憎の感情を何となく察している優花里は困ったように眉尻を下げた。
まだまだチームが一つに纏まり切れていないと、優花里の焦りだけが増していく。
両者の間を沈黙が横たわった。
パンターとⅣ号戦車のエンジン音だけが世界に木霊している。
ただ、その居心地の良くない均衡は一瞬で突き崩された。
沙織が小さな悲鳴と共に、優花里へと叫んだ言葉がきっかけだった。
「ダージリンさんから新しい報告が! 大学選抜の例の三両がまっすぐこちらを目指しているって!」
例の三両――。
その言葉を受けて、表情を硬くしたのは優花里とナナ、その二人だ。彼女たちはつい先日に行われたブリーフィングの内容をすぐさま思い出していた。
04/
「ルミ、アズミ、メグミ、この三人が今の大学選抜のエースかつ主力と言っても過言ではないわ。島田愛理寿をトップに据えて、その下にこの三人が率いる小隊というチーム構成が大学選抜の肝なの」
各高校の隊長格が集められた会議室で、ダージリンはそんなことを口にしていた。
それぞれの手元には大学選抜の主要メンバーの顔写真と経歴が載せられた資料が配付されている。
いよいよ試合が明日に迫った最後の夜。ダージリン主催での敵戦力の最終確認が行われていた。
「それぞれが代表クラスの実力者。間違いなく、私達の壁となるでしょうね」
そして実は――と前置きを一つ告げて、言葉をさらに重ねる。
「このメグミという人は我がグロリアーナでアールグレイの名を受け、隊長として一昨年まで在席していらした方よ。個人的な親交もあって、その実力、指揮能力は卓越していると言っても良いわね」
動揺はさほど広がらなかった。むしろ全日本大学選抜ならば、それぐらいの選手がごろごろ在席していても何ら不自然ではない。
むしろ、高校選抜チームに驚きを授けたのは、ダージリンの次なる言葉だった。
「で、次に眼鏡が随分とお似合いのルミという方。――あなたたち黒森峰なら見覚えがあるのではないかしら? 何せ、あのカリエさんの元で装填手をされていたものね」
その場にあったダージリン以外の視線が、黒森峰の座す方面へと向けられた。会議にはみほとエリカ、小梅、ナナと、車長格全員が参加していた。
みほがダージリンの視線を真っ向から受け止めて、言葉を返した。
「ええ、確かにルミ先輩は昨年までカリエさんの車両の装填手を務められていました。確か一般入試で関東の大学に進学されたと記憶しています」
「その通りよ、みほさん。でもあなたの記憶の中のルミさんは大学選抜の小隊長を任せられるようなお人だったかしら?」
ダージリンの言葉は辛辣だが事実だった。二年生まではほぼ控えに甘んじ、三年生の時にようやく装填手として日の目を見た人物だ。日本代表のチームの車長を任せられるような実力は残念ながらなかった。
だからこそみほは言葉に詰まり、エリカは「いちいち嫌味臭いわね」と悪態を吐いている。
ダージリンはそのような黒森峰組の反応など何処吹く風といったように、手元の資料に視線を落とした。
「――どうやら黒森峰を卒業された後、とんでもない猛特訓をされたそうよ。グロリアーナのメグミさんにBC自由学園の隊長だったアズミさん、この二人と違って純然たる叩き上げの小隊長なの。でもその分、実力は確かだわ。何が覚醒の切っ掛けになったのかはわからないけれど、その力を侮ることは決して出来ないくらいには」
確かにあり得ない話ではないが、こんな短期間でそこまで実力を伸ばすことは出来るのだろうか。
その場にいたほぼ全ての人間が同じ疑問を抱いていた。
ただナナ一人だけが、何処か合点が、納得がいったような表情でルミの写真を見つめていた。
彼女はぼそりと言葉を落とす。
「――中てられたんだ。副隊長に。私がそうだったように、この人も」
そこである一定の理解を示したのはみほとエリカ、そしてダージリンだけだった。
しかしながらその三人は「まあありえない話ではない」と頷きあう。
「大方あの馬鹿が何処かで引っかけたんでしょ。たく、本当に世話ないんだから」
「カリエさんのそういうところは本当に魔性です。お姉ちゃんにも私にもない才能というか。ただ、今回ばかりはあまり良くない方向に発揮されてしまったかも」
「ああ、これだからモテる方は大変だわ。本人にそのつもりがなくても、当たり前のように他人の人生を狂わせてしまうんですもの」
うんうん、と同意を続ける三人を見て、ナナ以外のメンバーが若干身を引いていた。あの西ですら椅子から腰が浮き掛かっているものだから、その他のメンバーの心境は推して知るべしだった。
唯一例外のナナだけが、「さすがは副隊長、とんでもない影響力です」と随分とズレた感想を抱いている。
「取りあえずこの三人が別格の実力を有していることは理解したわ。でも仮に、この三人に遭遇したときの有効手段というか、攻略法みたいなのは何かあるのかしら?」
徐々に脱線を始めているブリーフィングを引き戻すべく、エリカがやや声を張り上げた。
彼女の声に答えたのは、それまでダージリンに一切を任せて口を噤んでいた優花里だった。
「殲滅戦である以上、戦わない、逃げるという選択肢はあり得ません。ですから一人に対して必ず二両以上で対応する策を取りたいと思います。三人一度に侵攻してくるのであれば必ずこちらは六両を用意するといった風に」
なるほど、とみほが膝の上で手を叩く。どうしても実力や車両性能でこちらが劣っている現状、優花里の告げた数敵優位を保ち続けることは最重要戦略と言えた。
しかしながらその為には互いの車両の位置取りなどを正確に伝えあうことの出来る通信網が必要になってくる。
「そのために、アンチョビ殿たちには高台から偵察していただく戦い方を徹底していただきます。そして情報処理能力に長けたグロリアーナのアッサム殿がアンチョビ殿からの報告を整理、わたくしたちの武部殿が優先順位をつけて整理された報告を全体に伝達します」
CICの考え方だ、と誰かが零した。事実、優花里は現実のCICの理念を戦車道に落とし込もうとした過程で生まれたアイデアであることを認めた。
「カリエ殿は個人でこの戦術を完成されていましたが、私には残念ながらそこまでのスキルがありません。ですから、チームで情報処理が得意な方々にその役割を担っていただこうと考えています」
さらに発想の源がカリエであることを認めた上で、優花里はその戦術を高校選抜に持ち込むと宣言する。
「わたくしたちの武器は皆さんが持っておられる多種多様な長所とスキルです。それらを十全に発揮したその先に、わたくしたちの勝利があると確信しています」
04/
ならば、その長所とは何なのだろうか。
車長として大学選抜の三人組を迎え撃とうとしているナナは額を流れる汗を乱雑にぬぐい去った。
当初、優花里が提示した数的優位は、みほたち正面玄関組を急行させることで保とうとしている。だが、大学選抜の三人組が先に到着するのか、正面玄関組が間に合うのかは五分五分の状態だった。
操縦手としての自身の長所はその圧倒的な技量につきる。
何せあのカリエが認めてくれたスキルなのだ。ナナがそれを疑うことはあり得ない。
だが車長としての自分はどうなのだろうか。
ナナは車長としてのスキルをカリエに披露したことがない。みほやエリカからは一定のお墨付きを得ているものの、肝心のカリエからは何も聞かされていない。
『こちら正面玄関組です。あと五分で、秋山さんと佐久間さんの防衛ラインに到着します!』
三人組接近の報を受けて、全速力で駆けつけようとしているみほの声も、今のナナには何処か遠い世界の出来事のようだった。
「佐久間殿、緊張せずリラックスしていきましょう。我々がなすべき事は少しでも時間を稼ぎ、西住殿たちと合流することです」
そんなことは百も承知だ、とナナはますます顔を強ばらせた。ここからが正念場であることくらいわかっている。
わかってはいるが、胸に空いた空白が、あの日の敗北がどうしても目について離れない。
次負けたらほんとのほんとに終わり。
あの日、あの野球場で敗北を喫したからこそ、カリエは黒森峰を去った。
優花里に負けたからこそ、カリエは黒森峰から、ナナの目の前から消え去った。
優花里が憎い。
大洗が憎い。
いや、それ以上に、あの日負けた自分が憎い。
実のところ、ナナはあの日の敗因を正確に把握していた。
優花里の出現ポイントを読み違えてしまったカリエの判断の不味さばかりが目立っているが、最後の最後で一歩及ばなかったのはナナの操縦だった。
まさかカリエが読み間違えるはずがないと高を括っていたからこそ、彼女の命令に反応する速度が遅れた。
あの時、カリエの命令にいつも通りのレスポンスを返すことが出来ていたら、パンターの回頭は間に合い、Ⅳ号戦車を撃ち抜いていただろう。
勝利していたのはカリエだった筈だ。
本当に黒森峰を去るべきだったのは自分なのだ、とナナは思っている。
だが、カリエからそのことを責められるのが何よりも怖くて、反応が遅れた事実を誰にも告げられずにいた。
いや、もしかしたら勘の良いカリエは気がついてたかもしれない。けれどもその優しさ故に、彼女がナナを責めることは決してなかった。
絡み合った嫌な感情が、嫌な汗となって体にまとわりつく。
後悔と憎しみと反省と後悔と後悔が、ナナの体を強ばらせる。車長として、カリエの居場所を護らねばならないと実感するほど、その視野は次第にぼやけていく。
ああ――。
こんな筈じゃなかったのに。
飛来した砲弾がパンターの装甲を叩いた。
浅い角度で衝突したことが幸いし、大したダメージではない。だが、ナナの車長としての指示を鈍らせるには十分すぎる衝撃だった。
「佐久間殿!」
Ⅳ号戦車が砲撃し、こちらに接近しつつあるパーシングを威嚇した。赤の四角、青の三角、そして黄の菱形を車体に刻み込んだパーシングが絶妙な連携で二人に迫りつつあった。
「このまま一ブロック後退! 正面玄関組との合流ポイントを修正します!」
砲弾の応酬を繰り広げながら、Ⅳ号戦車とパンターが後退する。しかしながらそれをあざ笑うかのように、青の三角を刻み込んだパーシングが先頭となり、二両の間に突っ込んできた。
分断される――。
優花里とナナがそう判断したが、全ては手遅れだった。後続の二両のパーシングに追い立てられて、Ⅳ号戦車が進路変更を余儀なくされる。ナナのパンターだけが先頭のパーシングと相対する形になった。
「お、偶然とはいえまさか黒森峰の後輩とこうしてかち合うなんてね。結構結構」
互いの砲身が睨みあっているというのに、その人物は随分と余裕そうに嘯いていた。
身を堅くしたナナだけが鋭い視線をぶつける。
「ん? あれ? そのパーソナルマーク、カリエのじゃん。でも、えと、あれ? 君は誰?」
続いてパンターの砲塔に刻まれたウロボロスのマークを見て彼女は驚いてみせた。まるでそのマークの主をよく知っていたかのような口振りだ。
いや、事実よく知っている。
まさか忘れるはずもない。
「そっか、あの子が黒森峰を出て行ったという噂は本当だったのか。なんだ、そうか。そういうことか」
キューポラから身を乗り出したまま、彼女は何処か合点がいったかのように頷いていた。だがすぐに表情を引き締めると、まっすぐに視線をナナに向けた。
「でも、そのマークを引き継いだ、ってことは少しは期待してもいいんだね? あーあ、折角カリエに車長としての私を見てもらおうと思っていたんだけどなー。仕方がない。この鬱憤は君で晴らさせてもらおう。アズミ、メグミ、先に黒森峰の本隊を押さえに行って。私はちょっと用事ができた」
無線でのやりとりなのか、咽頭マイクを押さえたまま彼女は言葉を続ける。その間、ナナは静かに後退の指示を車内に出していた。
しかしながらそんな小細工は一瞬で見破られる。
「おっと、逃がさないよ。あのⅣ号戦車は見逃してあげるけど、そのマークを付けているのなら話は別だ。なんたってそのマークは私にとっての憧れであり、誇りだからね」
声こそ陽気だったが、込められている思いは万感のものがあった。それこそカリエを信奉し続けているナナですら生唾を呑み込んでしまうほどの。
「逸見カリエ、あの子がいたからこそ、私はここにいる。君はそんな大切な後輩の象徴を引き継いでいるんだ。だからこそ、精一杯その技量を示して欲しいな」
パーシングのエンジンが、黒い煙を噴き上げた。履帯が高速で回転し火花を散らす。
「見せかけだけじゃ、赦さないからね」
宣告は砲撃と同時。
ナナが戦車前進の声を上げたのも、ほぼ同時だった。