黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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こちらもお待たせしました。
不器用故に更新が途切れ途切れで申し訳ないですが、必ず終わらせます。


逸見カリエの戦車道 16

 西住みほはいつだって自分のことを四番手だと思っている。

 

 

00/

 

 

 一番手は黒森峰の伝統と格式のあるチームを完璧に統率し、見事十連覇に導いてみせた姉のまほだ。彼女は幼い頃から常にみほの先を行き、次世代の西住家を担うものとしてふさわしい品と実力を兼ね備えていた。演習での勝敗こそ七:三でなんとか食い下がっていたが、一対一のタイマンとなったとき姉を下したことは一度もなかった。

 全てにおいて自分は姉の下位互換であると、みほは常々そう考えていた。

 

 二番手と三番手は順不同で逸見姉妹だ。姉のエリカが持っている思い切りの良さと状況判断力をみほはいつも羨ましいと思っている。彼女の突破力は高校戦車道界において間違いなくトップクラスで、いつだってその実力に助けられてきた自覚がある。エリカの電撃戦を防ぎきることの出来る高校は今まで存在せず、黒森峰最強の一番槍としてその名を馳せていた。

 そしてみほはそのエリカの実力が妹のカリエによって支えられているものであることも理解していた。エリカには優れた状況判断力と指揮官としての能力が備わっている。だがそれは彼女の最大の持ち味である突破力の前では一種の足枷になりかねないものだった。それを補うように、姉のエリカがただただ前だけを目指せるように、状況判断と指揮を肩代わりしている存在が妹のカリエなのである。

 カリエの指揮能力、情報収集能力に対してみほは敵わないと感じていた。彼女には人を自然と従わせてしまう不思議な魅力がある。事実、彼女の鍛え上げた車両、彼女が選抜した乗員は皆心酔するかのようにカリエにつき従っている。詰め将棋のように部隊を展開することに掛けてはみほが長けてはいる。だが味方の鼓舞であったり一からの部隊作り、そしてそれらの部隊の統率力においてはカリエが圧倒しており、みほがどうしても手に入れることのできない破格のスキルだった。情報収集能力は言わずもがな。綿密な調査と分析力に裏打ちされた彼女の知識はいつだって黒森峰に勝利の栄光をもたらしてきていた。

 しかもカリエにはエリカという最堅の盾と最強の矛がついている。

 無理に攻めに転じなくとも、相手を叩きのめしてくれ、ひとたび自身が危機に陥れば必ず身を挺して守ってくれる姉がいるのだ。エリカが後顧の憂いなく前に進むことができるように、カリエもまた前門を気にすることなく策を練ることができたのである。

 

 二人で一つ。一つが二人。

 

 それぞれが優れた選手であるというのに、持ちうる長所を最大限に発揮できる姉妹の絆をみほは素直に羨ましいと感じていた。

 

 以上の理由からみほは自身を赤星小梅と同じくらいの、黒森峰の実力面での四番手としてカウントしていた。

 彼女は幼い頃から自己評価が低く、それが弱点であることも理解はしていたが、類い希なる実力者に囲まれた環境がそのウィークポイントの改善を長年許してはくれなかった。だからこそ、今この瞬間も自身の中で一番手であるまほに攻め続けられている状況になかなか活路を見いだせずにいる。

 

 ——けれども、みほの目はまだ死んでいなかった。

 

 一番手の姉とそれと同等に近い実力者の島田ミカを相手にしてもなお、まだ心は折れていなかった。

 四番手には四番手の矜持とプライドがあるんだ、と言わんばかりに防戦に徹していたカチューシャに指示を下す。みほの言葉を聞いた二人はそれぞれ対照的な反応を見せていた。

 カチューシャは「正気!?」と今日一番の驚愕を、対するエリカは深い深い溜息を吐き出したのちに「仕方がないわね」と頭を抱えつつも了承の意を見せていた。

 活路ではなくともそこに道はある。戦車は火砕流の中だって道さえ見失わなければ前に進める、とみほが零した。その言葉を受けてカチューシャもまた「ああもう! 失敗したらシベリア送り100ルーブルよ!」と自身の頬を勢い任せに両手で叩く。

 

 みほの両の瞳が前を見つめた。

 

 

01/

 

 

「クイックが遅い! そんな大ぶりなモーションだから隙だらけだ!」

 

 道中に出くわした一両のパーシングにカリエのパンターが砲弾を叩き込んだ。貴重な一発には違いないが、発砲直後の一番無防備な状態の時にエンジンの排気口を撃ち抜かれたパーシングは沈黙しか道が残されていない。白旗を揚げて動かなくなったパーシングの横を颯爽とパンターが駆け抜けていく。

 

「ねえ、ナナ。クイックって何?」

 

 無線機の故障により、本業が休めになっている通信手がナナに問いかける。彼女は遊園地内の地図と自車の位置をホワイトボード上で対比させながら経路をナビゲーションし続けていた。

 

「多分、野球のピッチャーのモーションのことだと思います。ほら、ランナーを背負ったときにわざわざワインドアップ——大きく振りかぶって投げていたらランナーに盗塁され放題じゃないですか。だからランナーがでてしまったときは振りかぶらずに、最小限の動作でボールを投げるんですよ。ピッチャーは」

 

「ふーん、詳しいんだね。我らが副隊長殿も普段から野球にお熱だから直ぐにそんなたとえ話が出ている訳か」

 

 通信手の言葉に車長席からこちらを見下ろしているカリエが応えた。

 

「いや、結構莫迦に出来ないんだよこれが。野球で学べる大事なことはおよそ戦車道でも同じ事だ。私はもう、それを見失ったりはしない」

 

「なら野球における必勝の秘訣とは? もし同じようなものなら今回の試合だってそこに活路はありますよね」

 

 通信手の問いにカリエはほぼ即答と呼べるものを返した。彼女は——、いや彼は、キャッチャーであったカリエらしい野球哲学が即座に口から零れていた。

 

「常に相手の裏をかくことだ。配球だって盗塁だってバッティングだって、対戦相手の予想を外せば勝ち筋は必ず見えてくる」

 

 

 

02/

 

 

「さて、もうすぐ先輩方がこちらに到着するみたいだ。でももうここいらで決着がつきそうだね。妹さんも頑張ったけれどそろそろ時間切れかも知れないね」

 

 細かいステップを踏み、カンテラのリズムに合わせるかのように動き回っていたBT−42がいよいよ照準を固めた。共に動いていたまほのティーガーⅠも同様の動きを取っている。

 

「油断するな。彼女は私が母以外で唯一畏れた——敵わないと感じた戦車乗りだ。最後の最後まで気を抜くことは許されない」

 

 建造物の陰で身を寄せ合っていたみほのティーガーⅠ、エリカのティーガーⅡ、そしてカチューシャのT34/85がいつの間にか動きを止めている。普通に考えれば、まほとミカの猛攻によって何かしらの車輌トラブルが発生し、身動きが取れなくなっていると考えるのが道理ではあるが、まほはその決めつけを佳しとしなかった。

 彼女は三割の確率で妹との模擬戦に敗北していた経験則を決して無視はできなかったのだ。

 

「でも、七割は勝っていたのかい?」

 

「いいや、三割負けていたのだ。これは逸見姉妹の妹の弁ではあるが、三割打つ打者は超一流だ。そして彼女はこうも言っていた。相手の打率が三割を超えているときは多分、大体打たれる、と」

 

「――キミらしくないね。もっと自信家というか、絶対的な負けない、という気持ちに支配された人だと思っていた」

 

 ミカの言葉にまほはふっ、と苦笑とも取れる自嘲的な笑みを浮かべた。

 

「まさか、私は元来昔からとても臆病よ」

 

 動きがあった。エンジン音からみほのティーガーⅠが動き出したのだと二人は理解した。そしてトランスミッションがバックギアに入っていることも瞬時に察する。二人が卓越した戦車乗りであるからこそ、それぞれがみほのティーガーⅠの動きを予測せしめた。

 

「なるほど、キミの妹は間違えない。この試合、何を大事にしなければいけないのかわかっているみたいだ」

 

 全力で後退を進めるティーガーⅠを援護するかのようにティーガーⅡとT34/85が発砲を繰り返す。まほをして恐ろしいと言わしめる戦略眼をもつみほを何とかこの場から離脱させることが最適解であることに、向こうは気がついているようだった。攻撃力で一番勝るティーガーⅡを敢えて見捨てる戦法をとったことにミカは驚きを間違いなく感じてはいたが、それを表に出すことなく静かにアキとミッコに指示を下した。

 

「無理に追わなくて良い。もう手は打っている。私たちはまず、先頭のティーガーⅡから頂こう」

 

 ミカの言葉にアキが疑問を呈した。

 

「でもそんな悠長なことをしていたら黒森峰の隊長さんに逃げられちゃうよ!」

 

 主砲の砲尾を閉じたアキに対してミカはカンテレを奏じながら応える。

 

「逃げ出した先に幸せがあるとは限らないのさ。——私がそうだったようにね」

 

 アキはその時、ミカの瞳を覗き込んでしまったことを後悔した。いつもは飄々と、それこそ風のように掴み所の無いミカがまさかこんな視線を形作ることが出来るなんて、と生唾を飲み込む。

 それもこれも、夏の大会で逸見姉妹と対戦し、その姉妹の連携を眼にしてしまったからだ、とアキは考えた。

 ミカから聞かされた実家の事情が事実であるのならば、あの二人の姿はミカにとって余りにも眩しくて絶望的だったに違いない。

 

「私はT34を押さえる。後は任せた。ティーガーⅡは足回りが特に弱点だ」

 

 まほのティーガーⅠが動き出した。こちらも遅れまいと、ミッコがBT-42を進める。ミカは車長席の防弾ガラス越しに、蛇のパーソナルマークが刻まれているティーガーⅡを静かに見つめた。

 

「そろそろ年貢の納め時かも知れないね、お姉さん」

 

 

03/

 

 

「『仲悪そうだけれども本当は大親友だよ作戦』ね。ま、これが成功したら友達くらいにはなってあげてもいいわ!」

 

「つべこべ言わずにあんたもバックギアに早く入れなさい!」

 

 

04/

 

 

 不思議なことが起こった。後退し始めていたみほのティーガーⅠに続いてカチューシャのT34/85までもが後退を始めたのだ。2両で死力を尽くしてみほを逃がすつもりだ、と読んでいたまほはまさかエリカ一人を殿につけるつもりなのか、と驚愕していた。

 たとえ王虎と呼ばれるティーガーⅡであっても、まほとミカの二人を相手にして持ちこたえることなど不可能である。即座に撃破されて、中途半端に逃げ出したT34/85が狩られ、最終的には機動力で劣るみほのティーガーⅠがBT-42に捉えられてゲームセットだ。

 まさかここに来て黒森峰のみほとエリカ、そしてプラウダのカチューシャが仲違いをしたのかと、邪推にまで思考が誘き寄せられた。

 しかしながらその僅か数秒に満たない姉の硬直を妹は誘っていたのだと、まほはようやく気がついた。

 

「っ! ミカ! 来るぞ!」

 

 ティーガーⅡの特大の発砲音に紛れながら、そのエンジン音はいつの間にかこちらに近づいていた。だがギアはバックのまま。トランスミッションの切り替えがなされなかったことも、まほが妹の意図に気がつくまでの時間を稼いでいた。

 

 遊園地の建造物の幾つかはモルタルで出来た張りぼてである。

 建物としての強度など殆ど無い。みほたちが盾にしていた建物こそ石造りのそれだが、まほ達の周囲にそびえ立つそれらは間違いなく張りぼてだった。

 まほの頬を冷や汗が一つ流れ落ちる。

 ティーガーⅠとBT-42の向かって右側にあった壁を突き破って何かが出てきた。主砲の強度を信じて前を向いたまま、されど車輌は後進のままみほのティーガーⅠが飛び出てきたのである。おそらくバックのまま路地を回ってこちらの死角をついてきたのだろう。主砲が装甲で劣るBTー42に向いていた。

 もうBT-42がそれを回避する時間は残されていない。

 

「私は誰も見捨てません! この試合に参加してくれた誰であろうと、捨て駒になんかしたりしません! それはカリエさんも同じ事です! だから!」

 

 みほが車長席で吠えた。

 

「必ずお姉ちゃんに勝って、私の黒森峰を、私の友達を取り戻します!」

 

 砲声が遊園地内に大きく鳴り響いた。

 

 

05/

 

 

「何とか間に合ったみたいね。隊長のお姉さん、少し危なかったんじゃない?」

 

 パーソナルマークは黄色い菱形。アズミのパーシングの主砲からは白い発砲煙が噴き上がっていた。

 

「でも撃破まではいかなかったか。流石ティーガーⅠ、正面の防盾を貫通するのはまず無理そうね」

 

 パーソナルマークは赤い四角。風に黒い髪をたなびかせながら、まほの背後から進み出てきたのはもう一両のパーシング。

 

「——いいや、予想よりも随分と早い合流でした。感謝します」

 

 淡々とまほが上級生である二人に言葉を返す。着弾のショックからか、硬直状態に陥ったティーガーⅠのキューポラでみほは唇を噛んでいた。彼女の正面にはティーガーⅠ、BT-42、そしてパーシングの2両が展開しており、一人特攻をかけた分、完全に孤立してしまっていた。しかもエリカたちの射線に割り込んでしまっている所為で、二人からの援護射撃もままならない。

 

 ——まさかこんなに合流が早いなんて!

 

 言葉にならない叫びがみほの中に渦巻いている。四面楚歌、絶体絶命のこの状況。どれだけ頭を巡らせても挽回の糸口が見つからなかった。手もとにあったカードを切り尽くしてしまったことは彼女が一番理解していた。

 

「さて、申し訳ないけれど黒森峰の隊長さんにはご退場願おうかしら」

 

 アズミのパーシングの主砲がみほのティーガーⅠにもう一度狙いを定める。BT-42を救うための突発的な先ほどの砲撃とは違い、今度は間違いなくティーガーⅠの装甲の中で貫通できるところを狙ってくるだろう。

 

 ——せめて、せめて一両だけでも!

 

 みほが車内でハンドサインを形作る。それは手近な目標を何としても撃ち抜け、という指示だった、砲手が慌てて一番近くのBT-42 へと照準を合わせる。だがその動きは今の状況では余りにも緩慢で、どう足搔いても間に合うようなタイミングではなかった。

 

 

 ——ごめんなさい! エリカさん! カリエさん! みんな!

 

 目を閉じようとするのを必死に堪えて着弾の衝撃に備えるべくみほはキューポラの中へと飛び込む。余りにも呆気ない終わりに失望を感じるよりも先に謝罪の言葉が脳裏を埋め尽くしていた。

 

 

 

 だが、まだ勝利の女神は彼女達を見放していない。

 

 

 アズミとメグミが間に合ったということはすなわち、もう一両、この場に飛び込むことを許された車輌があったと言うことである。

 

 

「西住殿! 全力で後退を!」

 

 何かが大学選抜チームの眼前に投げ込まれた。それが直ぐ近くに飛び込んできたⅣ号戦車の車長席からもたらされた物であることにその場の誰も気がつかない。だが西住流の後継者として血の滲むような努力を積み重ねてきたみほは即座に車長へ後退を指示していた。そして鉄火場の中心に投げ込まれたのはあろうことか発煙筒だった。

 

「煙幕か!」

 

 まほが即座にみほを撃破するべく発砲を指示した。だが吹き上がる煙がもたらしたほんの僅かな猶予を掻い潜ってみほは全力でその場を後退。砲弾を紙一重でかわすことができていた。

 

「エリカさん! カチューシャさん! 秋山さんのⅣ号戦車に続いてそのまま撤退を! このまま逃げます!」

 

 Ⅳ号戦車戦車はみほたちを包囲する大学選抜チームの真横をエリカたちめがけて駆け抜けていった。最初から発砲による妨害など考えていなかったのだろう。もし発砲によってみほを救っていたとしても、返す誰かの砲撃でティーガーⅠとⅣ号戦車、どちらも撃破されていたに違いない。優花里が発煙筒による一瞬の目眩ましを選択したことが功を奏していた。

 

「っ! 逃がすか!」

 

「アズミ、私たちで追うわよ。お二人は隊長の指示を仰ぎつつ、態勢を立て直して!」

 

 しかしさすがというべきか、大学選抜チームで部隊を任されている二人の反応は迅速だった。すぐさまパーシングの履帯をフル回転させて、逃走を開始したティーガーⅠとⅣ戦車の追撃を開始する。まほも同じように追うべきか、と一瞬思い悩むが、想像以上に乗員と車両の損耗が激しいことを確認してその場に止まった。今は勢い任せで動くべきではないという判断だった。

 

「君の妹は中々どうして面白いね。まさか自ら突っ込んでくるとは驚いたよ。自分のチームにおける価値がわかっていないわけではないだろうに」

 

 同じように態勢を立て直すべく、その場に止まっているミカがそう嘯く。彼女は自身の読みが外れていたことをある意味で楽しんでいるようだった。

 

「カリエの言っていた通りだった。三割という確率はほぼ的中するな。一見すると奇抜にしか思えない策を迷いなく取ることができることがみほの強みだ。本物の天才とはああいった人間を指しているのだろう」

 

 相変わらず嬉しそうだね、とミカが流し目を送る。まほは真っ直ぐ前を向いたまま「ああ」と屈託無く応えていた。

 

「まだまだみほと、黒森峰の皆と戦えるのがこの上なく嬉しいんだ」

 

 

06/

 

 

 大洗のⅣ号戦車が間に合ったことで何とか窮地を脱することができたと、エリカは安堵まではいかないものの、ある一定の落ち着きを取り戻していた。まだまだ大洗に対しては複雑な感情を持て余している彼女ではあったが、助けられた事実は変わりないために一応は礼を言っておくべきか、と無線を手に取る。

 だが、しかし——

 

「追いかけてきてるわね」

 

 車長席から背後を確認してみればティーガーⅠとⅣ号戦車の少し後方からパーシング2両がこちらに向かってきていることに気がついた。やはりそう易々とは逃がしてくれないか、とティーガーⅡの主砲を後方へと向ける。どうせ鈍足なティーガーⅡは直ぐにパーシングに追いつかれるのだろうと、足止めに回る心づもりだった。

 

「——いや、違う。でもこれは……」

 

 後は徐々に減速を命じて、遮蔽物の陰に陣取るだけだった。けれどもエリカはその指示をためらった。しかもその躊躇い方は後ろ向きと言うよりもどこか前向きな、もっと他に何かあるだろうという虫の知らせのようなものだった。

 

 エリカがやや後方のⅣ号戦車を見る。

 全くこちらにコンタクトを取ってくる様子は見られないが、あそこにはカリエが乗車している筈だ。黒森峰を追い出され大洗に転校した妹が乗り込んでいる。

 そしてふと思う。

 さすがにこんな状況になってもウジウジしているようなタマだっただろうか? と。確かに夏の大会の敗北はショックだったろう。暴走とも取れる単独先行が原因だったことも一部事実だ。黒森峰上層部に見限られたことに絶望したのも間違いない。

 違和感がどんどん膨らんでいく。

 エリカの信じる逸見カリエは根っこの部分では自分によく似ているのだ。感情の発露こそ鏡のように対称的だが、結構激情家で間違いなく負けず嫌いで、決して内向的でなく周囲が思う以上にしなやかで活動的だ。

 

 そんな妹がこのピンチの連続で何もしない。ただの装填手として甘んじるなどあるのだろうか?

 

「ねえ、思いっきりブレーキを踏んで。Ⅳ号戦車とティーガーⅠの背後に出るわ。足止めではないけれど、黄色い菱形のパーシングを狙えるように調整」

 

 ティーガーⅡの乗員が指示を疑問に思うことはなかった。彼女達もまた、エリカがカリエを信じ続けているようにエリカのことを信頼しきっているからだ。もしエリカが判断を誤ったとて、それを不満に思うことも糾弾することもない。彼女達は自分たちのことを、エリカの思うままにティーガーⅡを動かす部品であるとある意味で徹底していたのだ。

 

 ティーガーⅡがティーガーⅠとⅣ号戦車の横を擦り抜けた。そしてパーシングとの距離が急速に縮まっていく。アズミとメグミもティーガーⅡの乱心とも取れる動作に驚嘆し、咄嗟の指示がほんの刹那遅れてしまった。

 

「良い牽制だ! エリカ!」

 

 聞こえるはずのない声が聞こえる。パーシング2両の背後からいつか見慣れたパンターが飛び出してきた。狭い路地でひたすら息を潜めていたのか、側面のスカートは傷だらけになっている。

 車長席にはいるはずのナナではなく、いないはずの白い影があった。

 エリカは咽頭マイクにありったけを叫んだ。

 

「あんたから見て右! 赤いパーソナル!」

 

 言葉はそれだけで十分だ。急加速したパンターがアズミのパンターと接触する。誤射を恐れてメグミはパンターへと中々狙いをつけられずにいた。

 そしてティーガーⅡが、急減速したエリカがアズミのパーシングの鼻っ面を押さえた。

 

「ぶっかましなさい!」

 

「無理! パンターじゃこいつの天蓋は抜けない!」

 

 しまらないわね、と言うよりも先にティーガーⅡの主砲が火を噴いていた。

 パーシングの防盾にぶち当たった砲弾がショットトラップの要領で真下に跳弾。アズミのパーシングは徐々に力なく減速していく。取り残されたメグミだけが、直ぐさま思考を切り替えて逃走したみほと優花里の追撃を再開していった。

 

「どこほっついてたのよ。やる気出てきたんならもう少し急ぎなさいよ」

 

 メグミのパーシングが遠ざかっていくのを確認したエリカはティーガーⅡの天蓋に立ち、その人影を見下ろした。ともすれば殺意すら覗かせるその瞳に人影は「やっぱパス」とキューポラの蓋を閉めようとする。

 

「駄目ですよ、副隊長! しっかりごめんなさいはしてきなさい!」

 

 閉められなかった。下からナナに押し上げられてパンターの天蓋へと転がされる。しかも追い出された直後に天蓋を閉められて逃げ場を塞がれるオプション付き。

 

「いや、ダージリンさんの救援にちょっぱやで向かってからきたので。あと、無線壊れちゃってるから予備を貸してくれると嬉しいなーって。多分みほとエリカの車輌には積んでたでしょ」

 

 蹴りが飛んだ。お腹を踏みつける優しい蹴りだった。口端から零れる笑みを隠し切れていないエリカの嬉しげな蹴りだった。

 

「細かい話は後から聞くわ。取り敢えず今はみほ達を追いかけるか別行動を取るか考えないと。ま、でもあんたがいれば何とかなるか」

 

 天蓋に仰向けに転がされていた人影を——カリエをエリカは手を差し伸べて助け起こした。

 

「お帰り、カリエ」

 

「ただいま、お姉ちゃん」

 

 瞬間、エリカが何故か地団駄を踏んだ。いつの間にかキューポラの蓋を少し開けて、様子を伺っていたパンターとティーガーⅡの乗員達はこそこそと会話を交わし始める。

 

「あれ多分、発作的に抱きしめようとして試合中だから思いとどまった感じっすよ」

 

「シスコンもあそこまできたらなんか面白いですね」

 

「ふ、副隊長! まだごめんなさいをしてませんよ!」

 

 ギロリ、とエリカの瞳が今度は殺意を隠すことなくそれぞれの乗員に向けられた。蓋が再び音を立てて二つ閉じられる。

 

「たく、本当にどいつもこいつも良い性格をしているんだから。ま、いいけど。で、カリエ」

 

 エリカが真っ直ぐカリエを見据える。立ち上がったカリエも同じ視線をエリカに向けた。

 

「久しぶりに黒森峰の逸見姉妹ここにあり、って見せつけてやりましょう。ここから先はもう誰も私たちを止められないし、止まらせないから」

 

「いいね、エリカ。アライバやスガコバばりの絆を見せつけてやろう」

 

 あんた時たま訳のわからないことを口走る癖何とかしなさい、とエリカがカリエを小突く。カリエは小さく笑って、「これでいいんだよ」と応えた。

 

「これが『( わたし)』、逸見カリエだから」

 

 

 

 

 

 

 

 


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