黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

49 / 59
お待たせしました。あと二つ三つで劇場版は終わりです。


逸見カリエの戦車道 18

「お隣、宜しいですかな」

 

 逸見カオリは視線を静かに横に向けた。大学選抜チーム対高校選抜チームの試合会場に特設された観覧席。その一般席の隅に足を揃えて行儀良く腰掛けていた逸見カオリは、いつぞやに降っていた大雨を受けてその美しい銀の髪からぽたぽたと滴を垂らしっぱなしだった。

 

「湿度が高くてもよければどうぞ」

 

 暗に歓迎はしていないことを伝えた。あなたにはあちらの関係者席があるだろう、と屋根付きの座席が備え付けられた最前列に視線を向ける。だがその男、日本戦車道連盟理事長 児玉七郎は「乾燥肌なもので、丁度良いです」と朗らかに笑いながらそのまま隣に腰掛けた。

 そして品の良い扇子を揺らめかせながら、温かな眼差しで試合の趨勢を見守り始める。

 

「——何でもあそこでご活躍されている双子姉妹の叔母様だとか」

 

 即答はなされなかった。ちらり、と隣を伺ったカオリは小さく嘆息してようやっと口を開く。

 

「不肖の兄から生まれた突然変異ですよ。私も含めてこちらの血族は碌でもない者ばかり。多分、お義姉さんの血が良かったのでしょう」

 

「またまたご謙遜を。あなたはそのお若さで文科省の幹部を務めていらっしゃるじゃないですか。サラブレッドの家系からサラブレッドが生まれるのはそう特別なことではないでしょう。お兄さんも随分大きな九州の会社を率いていらっしゃるとか。私は血統主義ではありませんが、それでも血のつながりは感じずにはいられない、素晴らしいご家族達ですね」

 

 家族、という言葉を受けて初めてカオリは七郎へと視線を向けなおす。

 

「ええ、家族。その通りです。私はもうこの世界に血を分けた人間は殆ど残されていません。彼女達はそんな数少ない、私の家族です」

 

「ならばここまでの無茶な舞台をあらゆるものを犠牲にして整えられたのはその家族愛故にですかな?」

 

 七郎に向けられていた視線が鋭さを増す。ともすれば剣呑な奮起が二人の間に流れる。しかしながらすぐにカオリはその相貌を苦笑に変化させた。

 

「さて、なんのことやら。私は公僕としてやるべきことをやっただけですよ。私のボスは文部科学省。この国の教育を司る者たちです。なら、教育上有意義なことに対して粉骨砕身するのがその務めというものですよ」

 

「おや、でしたら大洗女子学園の廃校を財政閥に唆しつつも、そんな女子学園に戦車道教官として蝶野一等陸尉を派遣するというマッチポンプまがいの行動を起こされたのもすべて教育のためですかな」

 

 瞬間、二人の間に流れたのは沈黙だった。中々どうして随分とお調べになったのですね、とカオリが言葉を漏らしたのはおよそ十数秒後。

 

「ま、先ほどのカールに比べればレギュレーションに収まりきった作戦ではありましょうな。ただ理屈と道理が見当たらないという点を除けば」

 

 何をしたいのですかな? その直接的な問いかけに対してカオリは静かに笑う。正面を向いた彼女の視線の先では島田愛里寿を追い詰めるエリカとカリエの姿があった。

 

「少しばかりの身内贔屓ですよ。私はこの世界にいつかは一人ぼっちになる。なら数分の一とはいえ、少しでも血を分けた可愛らしい姪っ子たちにあらゆる糧を用意してあげたい。そんな親心です」

 

 嘘をついていないことはなんとなくわかった。

 およそ彼女らしくない、酷く温かな視線がパブリックビューイングの向こう側にいる双子たちに向けられているのを見て、七郎は酷く困惑する。

 

「——失礼ながらあなたに似つかわしくないお考えですな。それかあなたの身の回りにいる人間たちがあなたを見誤っているのかもしれません。私が聞き及んでいたあなたと今の言葉、対極にあるようだ」

 

「人づての諫言と今目の前にある事実、どちらを優先させるかはその人次第でしょう。冷徹な独裁者だって家庭の門をくぐれば良き親であり伴侶であることはざらにあります。まあ、私がそれに当てはまるとは限りませんが」

 

 煙に巻かれたな、と七郎は嘆息する。そしてこれ以上突き続けるのは正しく大蛇の尾を踏むことになるだろうと、それとなく会話を切り上げて、試合模様が中継されている大型スクリーンに目を移した。

 

 パンターに復帰した逸見カリエが何かしらの指示を無線で飛ばし続けている。

 試合は既に終盤戦。リタイアした車両が生存車両を上回り、今生き残っているのは運と実力を兼ね備えた正しく猛者たちなのだろう。

 

 彼はそんな彼女たちを見て、もっと純粋に戦車戦が楽しめられればいいのに、ともう一度嘆息した。

 

 

01/

 

 

「状況を整理しよう」

 

 カリエがエリカのティーガーⅡの天蓋に乗り込む形で作戦会議が行われていた。パンターはすぐにカリエが帰参できるようにすぐ隣を並走している。ナナの卓越した技量が成せる、目立ちこそしないがとんでもない絶技である。

 

「あちらには島田愛理寿とミカ、それに我らがまほお姉ちゃんと手練れが勢揃い。それに加えてパーシングが2両、チャーフィーが1両。ただ、ネームドの三人組は全員潰せたのは大きい」

 

 カリエの言葉にエリカは相槌を打ちつつ口を開く。

 

「対するこちらは大洗の秋山、プラウダのカチューシャ、うちのみほ、私、あんたの5両。数的不利はそこまでないけれど、如何せん向こうに大物が残っているわ」

 

 特に、とエリカはまほのティーガーⅠ、ミカのBT-42をあらわすデータを指さした。

 

「ここはみほ、カチューシャとの連携なしで撃破するのは不可能と言ってもいいわ。残念ながら私たち個々の技量では荷が重すぎる」

 

「同感。でも向こうもそれは分かっている筈。合流しようとすれば必ずそこにつけ込まれる。私たちは自然と乱戦を演じながら一堂に会さなければならない。はたしてどうしたものか……」

 

 ふとカリエの身につけているインカムに通信が入る。それはパンターを絶妙な速度で隣接させているナナからだった。彼女は操縦桿を握り締めたまま、器用に姉妹の会話に入り込んでくる。

 

「——副隊長、一つだけ提案があります。ですがこれはエリカ副隊長と我々が今一度離れる必要のある苦肉の策です」

 

 状況を打開できるのであれば最早手段は選んではいられないと、エリカが真っ先に食いついた。

 

「続けなさい」

 

「はい。これは私が車長を任されていたとき、たまたま地図で見つけたのですが——」

 

 

02/

 

 

 なるほど。

 中々どうして、黒森峰のお姫様はそれなりにやるらしい、とカチューシャは乱戦の中唐突な評価を下していた。

 もともと西住みほのことはさほど評価していなかった。所詮は西住まほのおまけ。逸見姉妹のように実力でのし上がってきた叩き上げとは違って、家と姉の威光でそのポジションに収められている飾りだと考えていた時期もある。

 だが昨年の全国大会で見せた卓越した指揮能力。そして柔軟な用兵を見て腐ってもやはり西住か、とやや評価を上方修正していた。けれどもそれだけだ。自分たちは逸見姉妹の奇策に敗れたのであって、西住みほに敗れたとは判断していなかった。

 ただ、今こうして轡を並べて戦っている中で、西住みほの特異性に気が付きつつあった。

 重装甲と火力を盾に相対者を挽きつぶしていく黒森峰の基本戦術は変わらないように見える。しかしながら所々に垣間見える野生児らしさというか、無鉄砲さ、突拍子のなさが徐々に顔を覗かせつつあるのを見て、こちらがみほの本質ではないのか、と疑いを持つようになってきた。

 

 そしてその本質に気が付いているのがもしも自分だけなら。

 今こうして火花を散らし合う西住まほがその本質を少しでも見落としているのならば、勝ち筋は見えてくるのではないかとカチューシャは小さな光明を見いだしていた。

 

「………………!」

 

 みほが何やら通信を受けて叫んでいる。どうやらもうすぐ逸見姉妹のエリカがこちらに突入してくるらしい。となれば妹の逸見カリエは再び大洗のⅣ号戦車と行動を再開するのだろうか。

 

 まほのティーガーⅠが肉薄してくる。カチューシャは落ち着いてそれをいなしカウンターを叩き込んだ。だが撃破は見込めない。向こうも同じだろう。小さなちょっかいを繰り返すことでこちらの集中力を削ぎ、装甲を貫徹する隙をうかがっているのだ。

 

「エリカさん!」

 

 通信機越しではない、生のみほの叫びが聞こえた。見れば援軍として駆けつけるように、エリカのティーガーⅡがまほの背後から遊具を弾き飛ばして突入してくる。千載一遇の好機、みほもカチューシャも一瞬、喜色の色を見せるが間に割って入ったBT-42がティーガーⅡの発砲を妨害する。

 まほもそれを理解していたのか、焦ることなく落ち着いてカチューシャの眼前に砲弾を叩き込んできた。

 

 不味い、先に向こうが揃いつつある。

 

 ミカのBT-42が到着したと言うことは、その妹である島田愛里寿のセンチュリオンの到着までもう幾ばくも余裕はない。

 向こうに残されたパーシングとチャーフィーを処理しに向かったⅣ号戦車が間に合わなければ、数的優位を取れないまま押し切られる可能性が高い。

 

「カチューシャさん、聞いて下さい!」

 

 エリカのティーガーⅡがこちらに合流し、向こうの二両と激しい砲火を交わしながら戦場を移していく。みほは一呼吸置いて見せると、この場にいる三人へ一つの指令を下した。

 

「5分です。5分、何があっても耐え忍んで下さい」

 

 

 

03/

 

 

 残された大学選抜チームのパーシング2両とチャーフィー1両は、遊園地中央に集結しつつある高校選抜チームを追い詰めるために息を潜めて進軍を続けていた。最早高校選抜チームだから、という油断は彼女達にはない。

 自分たちの隊長格が全力で当たってほぼ互角。自分たちが数の優位を取りに行って初めて勝利できる相手だと判断していた。

 だからこそ、

 

「っ! 待ち伏せだ! 先行していたチャーフィーがやられた!」

 

 路地脇から飛び出してきたⅣ号を見定めて、ここが正念場だと気合いを新たにする。遊園地中央に集まっているのは西住妹、プラウダの隊長、そして逸見姉であることは聞かされている。残された大洗の隊長車と逸見妹がこちらを狙いに来ていることは百も承知だった。

 

「逸見妹には最大限の警戒を! どこから出てくるかわからんぞ!」

 

 遊園地の密集した建物を縫うようにⅣ号戦車が逃げていく。パーシング2両はそれを深追いしすぎないように、適切な距離を保って追撃を開始する。パーシングの車長はタブレットの中で地図を目まぐるしく動かした。

 いける。この先に追い詰めれば、とはやる自分と、逸見妹がこの先に待ち構えているぞ、とブレーキを掛けてくる自分の間で揺れ動いた。

 そして彼女が選択したのは——、

 

「止まれ! やはりこの先には逸見妹がいる! 待ち伏せを受けるぞ! Ⅳ号を無視して、私たちは広場への合流を!」

 

 大洗のⅣ号撃破という大金星を前にして彼女は理性を保った。Ⅳ号の操舵は巧みで、必死に逃げる様を演出している。並の戦車乗りならばそのまま釣られてしまっても不思議ではないだろう。

 しかしながら彼女もまた、厳しい大学選抜を生き抜いてきた猛者なのだ。自分たちの役目を決して違えない。

 自分たちは中央広場の主戦場に辿り着かなければならないと、目の前にぶら下げられた餌を無視することにした。

 逃げたければ好きに逃げれば良い、と広場に向かって舵を切った。

 

 ——やっぱり強いね。そうくると思ったよ。

 

 幻聴が聞こえた気がした。

 試合前のブリーフィング。高校選抜チームのデータが回覧されたとき、最も警戒しなければならないターゲットとして提示されていたある少女。

 全国大会の戦犯でありながらも、心が折れ牙が抜かれたとされていながらも、島田流家元が一番畏れていた一選手。

 

「しまった! 読まれて——」

 

 向かって右側を併走していたパーシングが火を噴く。いつの間にか戻ってきていた、逃げていた筈のⅣ号の待ち伏せを受けた形だ。そして自車。向かって左を見ればずっとそこにいたのだろう。

 息を潜めて獲物を待ち続けていた黒豹と目が合った。

 

 Ⅳ号が逃げた先に待ち構えているというのがそもそものブラフ。彼女は、逸見カリエはパーシング達がすぐに冷静さを取り戻して、広場に向かい直すと読み切っていたのだ。

 

「隠し球です。ご愁傷様」

 

 発砲音が一つ。こうして大学選抜チームの生き残りは残り三両となった。

 

 

04/

 

 

 みほが告げた5分というリミットが半分を過ぎた頃、広場に飛び込んできたのは愛里寿のセンチュリオンだった。その他の大学選抜チームと一線を画す動きにみほ、エリカ、そしてカチューシャが目を剥く中、まほがいち早くミカとの連携を解き、みほのティーガーⅠへと突進をかけていた。

 本来のあるべき姿に戻れと言わんばかりに、愛里寿がミカと合流する時間を僅か数秒ではあるが稼ぎ出してみせる。

 

「お姉ちゃん!」

 

 ティーガーⅠのそれぞれの装甲がぶつかり、すれ違い様に火花を散らす。もう何度目かわからない姉妹対決。だが恐らくこれが最後だ。互いにそれを理解しているからこそ、二人は残りの四両から離れつつ決着を付けるべく手を打ち始めた。

 

「みほ! こっちは残り3分持たせる! ケリを付けなさい!」

 

 動き回る島田姉妹とエリカのティーガーⅡの相性は最悪だ。それでもこの二人は私たちが引き受けると、エリカが声を上げる。

 

「任せて下さい!」

 

 みほの応答と同時、先に動いたのはやはりまほだった。ヴァイキング船を模した大型ブランコを徹甲弾で撃ち抜いた彼女は、衝撃で動き出したそれの下をくぐり抜けていく。

 安パイを取るのならば迂回するのが最善ではあったが、少しでも姉に有利な位置取りをされたくないみほは敢えてそのままヴァイキング船に突っ込んでいった。

 コンマ数秒の差でティーガーⅠの天蓋スレスレを通過していくヴァイキング船。だがみほはそれに意識を向けることなく、落ち着いて姉のマークを続ける。築山のトンネルを抜けていくまほのティーガーⅠ。もちろんみほもあとを追うが、トンネルを駆け抜けていくのではなく、敢えて入り口で停車しフェイントを挟んだ。

 入り口付近で待ち構えていたまほのティーガーⅠの砲撃が空振る。

 

「上手いな」

 

 まほの口がそう動いたような気がした。自惚れでなければあの姉にもしかしたら少しは認めて貰えたのかもしれない、とみほは拳を握りしめる。

 再びまほのティーガーⅠが動き出す。みほはその進路を拒むように、大回りで右に舵を取った。メリーゴーランドを挟み、コーヒーカップの頭上で互いに砲弾を叩き込み合う。

 超絶技巧の戦車長二人による踊るような戦車戦。不思議と会場からは声が消え、誰もがその行方を凝視している。

 息の合った姉妹だからこそ、互いの手を知り尽くしているからこそ続く芸術品のような千日手だ。

 

 しかしながら——

 

「みほっ!」

 

 エリカのティーガーⅡがいつの間にか直ぐ側まで来ていた。その脇から、舞うように移動を繰り返すセンチュリオンが出てくる。センチュリオンの前方左側とみほのティーガーⅠが軽くではあるが接触した。一瞬、ティーガーⅠが静止する。それはまほの射線の目の前で、想定外だったのは姉も等しく。

 わずか1秒にも満たない時間ではあったが、両者呆気にとられたように見つめ合う。

 

「撃て!」

 

「前進!」

 

 姉妹の声が重なった。僅かばかりではあるがまほの方が早い。

 ティーガーⅠの砲撃が木霊する。装甲を徹甲弾が貫き白旗が打ち上がる。

 

 姉妹の最初で最後の公式戦はこうして幕を閉じた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。