黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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このお話は同じくハーメルンに投稿させて頂いております「ブリジットという名の少女」と「黒森峰の逸見姉妹」のクロスオーバーになります。とある方から頂いたとっても素敵なファンイラストから着想を得てコツコツと準備していました。私生活で全く創作活動ができない状態でしたが、このファンイラストに勇気づけられて執筆を進めることができました。こういったクロスオーバーが苦手な方がいることは重々承知ですが、敢えてこの場で発表させて頂きたいと思います。本編とはなんら関係がないので、苦手な方は本編のみでも全く支障がございませんのでよろしくお願いします。


ブリジットと言う名の少女 クロス
ブリジットと言う名の少女×黒森峰の逸見姉妹 セルフクロス01


 ここだけの話、逸見カリエという人物は殆ど夢を見ない体質だった。

 夢というものは休息を取る為に身体が眠っているのに、脳だけは活性化しているレム睡眠時によく見られるものだ。

 生まれ持った脳天気な気質で一度床に潜り込めば、身体も脳もしっかりと休ませているカリエは頻繁な夢見とは無縁の人物ともいえる。

 ただ、そんな彼女でも半年に一度くらいは夢を見ることがある。

 夢の内容としては大抵一度目の人生にて野球に興じていることが多い。

 泥まみれになって白球を追いかけ、打ち返し、投手に対して捕手としてリードを展開しているのだ。

 彼女はそんな夢を随分と気に入っていた。

 もちろん今の人生に不満があったりだとか、エリカと上手くいっていないということはない。

 ただただ無邪気に野球に打ち込むことができる環境が夢の中というわけだ。

 だからこそカリエは夢というものが好きだった。今の人生こそが夢みたいなものだったが、それはそれ、これはこれと夢というものを楽しんでいる。

 

 しかしながらそんなカリエでも純粋に楽しむことの出来なかった夢というものが少なからず存在している。

 所謂悪夢と呼ばれる類いのものだ。

 

 

 01/

 

 

 ああ、まただ。

 

 カリエはそこに立ち尽くしたままそんなことを考えた。

 数多の列車が行き交う巨大な駅ターミナル。

 近代的な内装が施され、ガラス張りの天井が遙か高みに吊されている。床も壁も清潔に磨かれており、行き交う人々の服装は小綺麗そのもの。

 特徴としては、何度か訪れた関西の大型駅に少しだけ似ているかもしれない。

 しかしながら、それ以外の様相はカリエが知っているものとは随分と異なっている。

 目に入る看板や案内表示の文字列は何処の言葉なのかこれっぽっちも理解することが出来ないし、耳に届く人々の会話音声も異国の言語故に内容を伺うことは出来ない。

 

 そう、ここは日本ではない。

 

 見れば行き交う人々は白人や黒人が多く、カリエのような東洋系の顔立ちは皆無と言って良い。

 平均身長も随分と高く、彼女は人々の影に完全に埋没する形だった。

 つまり、見知らぬ外国の風景の喧騒で彼女はひとりぼっち。

 

 だが勝手はわかっている。

 これからどんな未来が自身に訪れるのか知っていた。

 

 冗談のような話ではあるが、カリエの記憶が正しければ、この光景が開始してから凡そ一分ほどで彼女は殺される。

 突如として銃撃を受けて、血を流しながら惨たらしく息を絶える。

 馬鹿なんじゃないのか。

 さすがにそれは妄想が行きすぎているのではないか、と自嘲すら漏れそうになるが純然たる事実だ。

 

 実際、カリエはこの光景をもう何度も繰り返していた。

 夢なんて滅多に見ないのに、ここ一ヶ月はほぼ毎日この光景を目にしている。

 目にして、自身の末路を何度も経験している。

 最初の頃は突然の悪夢に驚いて飛び起きていたものだが、ここ最近は慣れたもので今度は何時頃に目が覚めているのだろうと下らないことを考えている余裕すらあった。

 ちらりと、駅構内の品の良い時計に視線を走らせてみれば、自身の終わりがすぐそこまで来ていることを実感する。

 確か秒針が12を回って少したった後、下腹部をまず誰かに撃たれる。

 そして、膝をついたその瞬間にとどめの一撃を頭に受けてしまうのだ。

 

 何とも趣味が悪いと、カリエはため息を吐いた。

 まあ、自身が殺される夢というものは世間一般に見ても割とポピュラーらしいので、そこまで深刻には考えていない。

 むしろダージリンに相談してみて、会話のネタになればいいな、くらい考えていた。

 だからこそ足掻くこともなく、取り乱すこともなく、ただそこに立ち続ける。

 

 夢の終わりを静かに待つ。

 

 秒針が9を回った。

 残り十五秒。

 10を過ぎる。

 十秒。

 11。

 五秒。

 

 そういえば、とカリエは思考を巡らす。

 もう何度も殺されているのに下手人の顔を見たことはなかったな、と今更ながら思い出していた。

 いつもならば終わりを覚悟して瞳を閉じていたのに、その時はそうしなかった。

 むしろ誰が己を殺すのかと振り返った。

 

 そして見る。

 こちらに拳銃を向ける下手人のその姿を。

 大柄な男だった。

 記憶が正しければ、カリエが出会ったことも話したことも無い人物だった。

 少し期待していただけに、残念とカリエは笑う。

 最後までダージリンとの同棲を反対していたエリカがそこにいたらちょっとは笑えたのにな、と馬鹿みたいな事を考えていた。

 

 男の指が引き金に掛かる。

 さて今日のお目覚めだ、とカリエは動かなかった。

 銃声は一つ。

 

 人々が溢れかえった駅構内が瞬く間に悲鳴で覆い隠された。

 

 

 02/

 

 

「こちらコードアルファ! 護衛対象の保護に成功! ギリギリ間に合いました!」

 

 ぷぎゃっ、と変な声が肺から漏れた。

 視界一面には駅ターミナルの磨かれた白い床が広がっている。

 唇もそこに接触していて、カリエの今の体勢が、地面にへばりつく形になっているのだと窺い知ることができた。

 何かしら、万力のような力で上からしっかりと押さえ付けられている。

 

「アルファルドさん、もう一度繰り返します。護衛対象の保護に成功しました。対象を害しようとしていた男はリコが吹き飛ばしたようです。もう息はありません」

 

『……できれば白昼の銃撃戦は避けるべきだったが致し方ない。良くやったぞ。ブリ——いや、コードアルファ。ところで護衛対象に怪我は?』

 

「見たところ外傷は見受けられません。想定シナリオ3ーCに則って護送を開始します」

 

 頭の上から声が聞こえる。透き通った鈴のような少女の声だ。

 それまで周囲の人々の言葉など、何一つとして理解できていなかったのに、ここにきて彼女たちが何を会話しているのか凡そ聞き取ることが出来ていた。

 この設定のガバガバ具合はまさしく夢だと、カリエは暢気に思考を巡らせている。

 ただ、そんな中でも状況というのは動いているようで、少女の声、そして携帯電話か何か越しに聞こえてくる男の声に俄に焦りの色が帯び始めていた。

 

『不味い、外に張っているジャンから連絡が入った。騒ぎを聞きつけたローマ市警がそちらに向かっているそうだ。残念ながら彼らへの根回しはまだ完了していない。拘束されると面倒なことになるぞ。今から単独でそこからの脱出は可能か?』

 

「——装備に不安はありますが、何とか逃げ惑う人々に紛れて見せます。では、合流地点はどちらに?」

 

『ローマ市内はすぐに厳戒態勢が敷かれる。列車やバスの乗車記録は出来るだけ残したくない。すまないが徒歩でE3C地点まで向かうことはできるか? 公社の回収班がギリギリ接近できる地点がそこだ』

 

「護衛対象の体力が心許ないですが、仕方がありません。ではまた後ほど定時連絡を行います。トリエラやクラエスはどのような案配なのでしょう?」

 

 完全に置いてけぼりだと、カリエはため息をつく。

 しかし、自身が殺される以外の展開は今回が初めてだと、何処か興味が湧き出始めているのも事実だった。 

 話の内容はてんでサッパリだったが、少しでも頭に入れておこうと静かに聞き耳を立てる。

 

『トリエラは既に出動済みだ。クラエスは公社から出てこられない分、本作戦のバックアップを担ってくれている。護衛対象を公社に連れ帰ったあとの話し相手だよ』

 

「なら安心です。では実働部隊として私はこれから動き始めます」

 

『困難な任務だが君なら完遂できると信じている。頼むぞ』

 

 どうやら男とのやりとりが終わったらしい。

 少女が「ふー」と息を一つ吐き出して、携帯電話を切った。そしてすぐにそれを懐へとしまい込む。

 肩に掛けられた大きなボストンバッグを「よっこいしょ」と背負い直す動作ですら様になっている。 

 大地とキスを交わしたまま、カリエはその様子を盗み見ていた。

 そんなカリエの視線に目ざとく気がついたのか、初めて少女がこちらを見下ろす。

 

 視線がぶつかる。

 カリエの碧色の瞳と、少女の鳶色の瞳が重なった。

 素直に、綺麗な色だとカリエは思った。

 

「あなたが逸見カリエさんですね。あなたにはある右派議員とマフィアの癒着について裁判所にて証言をして頂く必要があります。それに伴って——もう実感されたでしょうけれど、命の危険が差し迫っていると言っても過言ではありません。私の所属や、詳細を語ることは出来ませんが、これからしかるべき保護が受けられる環境にまで護送させて頂きます」

 

 初めて湧いた感想は「何言ってんだコイツ」という身も蓋もないものだった。

 黒森峰女学園の一生徒として、途中で大洗女子学園に籍を移したことがあっても、カリエはマフィアなる職種の人々と懇意にしたことなど一度も無い。

 ましてやマフィアと政治家が仲良しした結果からくる汚職事件の詳細など知るわけも無かった。

 しかしながらそこは夢が夢たる所以。

 疑問は疑問として抱きながらも、それを深く追求するような思考力までは湧いてこなかった。

 むしろ、このまま眼前の少女の言葉にさえ従っていれば大丈夫という、妙な安心感すらある。

 自分でも馬鹿馬鹿しいほどに脳天気な感覚だと理解はしているが、それを自省するような理性はカケラも存在していない。

 

「状況を把握されたのなら何よりです。今から移動を開始しますからついてきてください」

 

 ぐいっ、と腕を掴まれて立たせられる。その細腕に見合わず随分と力強い感触にカリエは目を丸くした。

 少女もカリエの内心を読み取っているのか、「あー」と一瞬言葉を濁した後にこう言葉を続けた。

 

「私の身体能力は決して常人のそれとは違います。並の成人男性くらいならダース単位でも処理することができますし、人よりも随分と丈夫な身体をしています。心臓か脳を破壊されなければまあ死ぬこともないでしょう。ですから安心してついてきてください。そしてもしどうにもならなくなったときは、私を肉の壁にしてもらっても結構です」

 

 随分と物騒な自己アピールだな、とカリエは表情を顰めた。

 もしその流れに従うのなら「私は戦車を操作することが得意です」とかになるのだろうか。

 ただ眼前の少女がスポーツの基準で物事を語っていないことくらい、幾ら夢の中で寝ぼけているカリエでも理解できた。BB弾を撃ち合うサバイバルゲームが達者だとかそんな話をしてはいない。もっと純粋で暴力的な、それこそ人と人の殺し合いの話をしているのだ。いくら夢であったとしても、気分が良いものでは無かった。

 ましてや、外見年齢こそほぼ同じだが、カリエの中身はそれなりに成熟した成人でもある。

 ティーンの少女が語る死を連想させる台詞に無反応ではいられなかった。

 

「いや、その必要はないよ。これは夢。何度死のうがやり直しのきくゲームみたいなものだからそこまで深く考えなくてもいい。それに、私はあなたに肉の盾になって欲しいとは思わない。だってあなたは——」

 

 ただの女の子、と言葉を続けかけて、でもそれは叶わず、カリエは再び肺から無理矢理息を吐き出すことになった。

 見れば両手両足が宙に浮いており、周囲の景色が高速で背後に流れている。

 

「アルファルドさん! 敵影を確認しました! どうやら向こうはなりふり構っていられないようです!」

 

 カリエはまさに小脇に抱えられた猫のように、少女に抱き上げられたまま駅のターミナルを高速で移動していた。動力はもちろん少女の脚力。

 ただその推進力は常規を逸しており、ティーンの子どものそれでは決して無かった。

 それこそ、筋骨隆々のアスリートの脚力を持つ大男のようなものだ。

 

「っ、不味い!」

 

 カリエは、少女の目線が駅に備え付けられていた鏡面のオブジェに向いたことに気がついた。

 誰が何のために、何を表現するために設置したのかわからない小型のトラック大の彫刻だ。少女はおそらくそこに映った何かを確認したのだろう。素早くオブジェの陰に滑り込むと、カリエを床に下ろした。

 

 そして覆い被さるように体重で押さえつけると、「けっして頭を上げるな」とやや強めの口調で命令した。

 直後、カリエ、人生初の多人数からの銃撃を受けた。

 単独でなら一ヶ月ほど前から毎日のように受けている。

 

「わわわっ」

 

 戦車の砲撃を間近で聞き続けたカリエからしてみれば、銃撃の音量そのものはそこまで大したものではない。

 だが自身に直接向けられた殺意の象徴が銃撃音だと一度意識してみれば、初めて戦車戦を行ったとき以上の恐怖感を彼女は覚えていた。

 何かの合金で作られた彫刻が、多量の銃弾を受け止めている。

 貫通こそしてはこないが、弾丸が抉り取った合金の破片は周囲に降り注いでいた。

 

 ああ、これは死んだ。

 

 カリエは思わず頭を抱えてその場に蹲った。しかしながら、側にいた少女はそれとは真逆の体勢を取る。

 すなわち。

 

「そうです。そうやって身を小さくして」

 

 少女の手にはいつの間にか艶消し色に塗装されたライフルが握られていた。それが少女が肩に掛けていたボストンバッグから取り出された部品で組み立てられた、と気がつくまでに凡そ数秒。

 なんとなくそれは映画やゲームで目にするライフルに似ていると、カリエは思った。

 そしてそのまま映画のように、何かのレバーを手前に引いて彫刻の陰から構えた。

 直後、大きな風船を連続でたたき割ったかのような破裂音が鼓膜を揺らした。

 

 効果は覿面だった。

 

 こちらの弾が命中しているのかはてんでわからなかったが、明らかに降り注ぐ銃弾の数は減っていた。

 まさか反撃があるとは思っていなかったのか、向こうも焦って銃撃を中断しているのかもしれない。

 

「——こちらブリジット。ごめんなさい。ターミナル北口で戦闘になりました。状況が落ち着き次第撤退します」

 

 撃ち尽くした弾倉を交換する傍ら、少女は再び携帯電話を操作していた。ライフルの銃口はぴたりと静止したままなものだから、それだけで彼女の常人離れした筋力とバランス感覚を窺い知ることが出来る。一切のブレがないまま弾倉がライフルに吸い込まれた。

 そして再び銃口をマズルフラッシュが照らす。

 戦車のそれと比べるととても小さな光ではあったが、間違いなく人を殺すことの出来る光だ。

 スポーツで安全性を担保された戦車道とは真逆の性質の光。

 

「15、10、3、今」

 

 ふと少女の呟きがカリエの耳に届く。最初は何を言っているのか理解が及ばなかったが、「3」と呟いた瞬間にライフルから弾倉が落とされているのを見て、装填のタイミングを計っているのだと気がついた。残弾がゼロになって空撃ちすることを嫌がっているのだ。

 そこから先、身体が自然と動いていた。

 持ち前の図太さを発揮して、勝手にボストンバッグを漁る。市販されているものよりも遙かに頑丈で、それこそ防弾チョッキとかに使われていそうな素材が内布に使われていた。

 内部は何に使うのかわからない機械達に溢れており、一瞬触れることを躊躇させる。

 だが少女が装填に使っていた弾倉がメッシュ生地の内ポケットに何本も突っ込まれているのを見て、反射的にそれを掴んでいた。

 丁度そのタイミングで少女の手がライフルから離れる。

 弾倉を欲しているのだ、と判断したカリエはそれを少女の手のひらに握らせた。

 

「え? あれ? 何で?」

 

 今度はカリエではなく少女が狼狽える番だった。まさかこんなささやかなアシストがあるとは思ってもいなかったのか、淀みなく行われていた装填の動作が停止する。

 しかしそれも僅か数瞬のこと。

 すぐに「カリエ」が使えると判断したからなのか、銃撃を再開しつつも新たな要望を口にしていた。

 

「バッグのサイドポケットにハンドガンが一つ入っています。チャンバーに弾が入っていないので暴発の危険はありませんが、絶対に引き金に触らずに取り出してください」

 

 応答する間も惜しいと言わんばかりに、カリエは行動に移った。

 言われたとおりにサイドポケットのジッパーを開封してみれば、黒く光る銃が一つ。

 おそるおそる取り出してみれば、「SIGP226」の刻印が見える。

 

「……扱いは大丈夫なようですね。次にスライドと言って上部の四角い箱みたいな部品を手前に引いてください。これも絶対に引き金から手を離して」

 

 戦車道の本番さながらの緊張感を抱きながら、スライドを引く。

 戦車に搭載された機関銃を扱った知識が役に立っていた。これが薬室に弾倉から弾を送り込む動作であることを知っていたのだ。

 

「ありがとう。あとはそっとそれを私の足下に置いてください」

 

 いつでも発射できる状態のハンドガン。

 それが手から離れた瞬間、カリエは思わず安堵の息を漏らしていた。状況としてはまだまだ危機的な筈なのに、命を狙われていることよりも、人を殺すことが出来る可能性を有している方が怖かった。

 

「弾倉を三つ持って下さい。私が合図したらこの彫刻から場所を移動します。言うまでも無いですが、出来るだけ姿勢を低く。焦らずゆっくりと絶対に私から離れないで」

 

 有無を言わせない言葉の圧力に、カリエはただ頷いていた。 

 急いでボストンバッグに手を突っ込んで、弾倉を掴み取った刹那、ぐいっと肩を抱かれる。

 

「行きますよ。大丈夫、私を信じて」

 

 もうどうにでもなれ、と言わんばかりにカリエは少女の為されるがままになった。

 相変わらずの怪力で彫刻の陰から引き摺られつつ、何とか周囲の状況を伺う。

 見れば、ライフルをストラップで背中に回した少女が、先ほどのハンドガンを手にとって銃撃を続けていた。

 一般的に余り命中率が高くないと聞くハンドガンによる銃撃だったが、遠くに見える男達が次々に崩れ落ちていくのを見る限り、その技量は隔絶したものがあるのだろう。 

 薄々感づいてはいたが、この少女、とんでもない戦闘能力の持ち主である。

 

「よし、このまま走ります!」

 

 肩に回されていた手が襟元にいつの間にか移動していた。子猫が親猫に運ばれるが如くその場を駆け抜けさせられる。

 走るのは決して苦手ではないが、余りにも広いストライドとピッチに圧倒されてカリエは何度も足をもつれさせた。

 

「アルファルドさん、ターミナルを脱出します! 私たちの回収はミーティングの通りに!」

 

 ふと、少女が向かっているのが、駅ターミナルのバルコニーであることに気がついた。

 外のバスロータリーを見下ろすことの出来るガラス張りの回廊だ。

 

 いや、まさかそんな筈は……。

 

 嫌な予感というものを感じ、カリエは冷や汗で額を濡らす。

 しかしながら徐々に近づきつつあるガラス面を見て、さすがのカリエも口を開いた。

 

「いやいやいやいや無理無理無理無理!!」

 

 カリエは少女が何をしようとしているのか完璧に理解していた。ストラップで背中に回していたライフルを再び持ち直した少女は、陽光煌めくガラス面に銃口を向ける。

 直後、あの発砲音。

 穴だらけにされたガラスはいくら強化ガラスであっても自らの重みに耐えきれずに粉々に砕け散る。

 丁度成人男性大の穴があいたそこから先は、足下の存在しない空中回廊。

 そう。ロータリーまで見事真っ逆さまだ。

 落ちたら確実に死ぬ。

 

「ねえねえ、これって絶対無理だし。何より別の道が」

 

「いえ、ここが近道ですから」

 

 聞く耳など皆無。

 それどころか、カリエのことなどすっかり忘れたように少女は背後を振り返っていた。

 彼女の目線はつい先ほどまで戦場となっていたターミナルに注がれている。

 突然の銃撃戦に恐れおののいて普通の乗客など姿形もない。ただ一部の無事な追っ手とそれぞれ手傷を負った男達が存在するのみ。

 

「……折角だからあれを使うか」

 

 ぼそり、と呟かれた言葉にカリエはこれ以上はもう勘弁してくれと首を横に振った。

 ただこれも無視。

 

「確か番号はこれだったかな?」

 

 さっきまで使われていたスマートフォンとはまた別に、少し古めかしい携帯電話を少女が操作する。 

 何処かに着信を飛ばしているのか、質の良くないスピーカーからは何度かコール音が響いた。

 

「ではいきますよ」

 

 一仕事を終えた、と言わんばかりに少女がカリエに向き直る。

 今度は抗議する間もなかった。

 いきなり腕を引かれたかと思うと、次の瞬間には空中に足を踏み出していた。

 

 ああ、死んだ。

 

 カリエは先立つ不孝をエリカに謝罪していた。

 昨日までは夢の中で何度も殺されていたというのに、いざ生き延びることが出来れば夢でも死にたくなくなるものなのである。

 この夢の世界にエリカが存在しているのかはわからなかったが、咄嗟に思い浮かべた相手はやっぱり双子の姉だった。

 

「はい、着地は任せて」

 

 耳元で何かを囁かれた。

 いつの間にかしっかりと抱きしめられて、それこそお姫様だっこのように横抱きにされていた。

 地面が迫る。

 というか、ロータリーに停車していたタクシーの黄色い屋根が視界いっぱいに広がる。

 

「よっと」

 

 もう何度も耳にしてきたガラスの破砕音と金属がひしゃげる音を聞いた。

 何とか目をこじ開け、周囲を見渡す。

 見れば、抱きかかえられているのは相変わらずだったが、一緒に跳んだ少女がタクシーの屋根に立っていた。

 つまりは狙ってこれに着地したということか。

 

「え、嘘。なんで無事なの?」

 

 だが、幾らアスファルトよりも車の屋根の方がクッション性があるといっても限度がある。

 それこそ高さ十メートルを超える場所から飛び降りた人間が無事な道理などない。

 だからカリエは素直に「どうして?」と疑問を口にする。

 

 少女はカリエを抱いたまま、やさしく微笑んだ。

 

「おっと、申し遅れました。私はブリジット。ブリジット・フォン・ゲーテンバルトです。もっといえば正式名称はサイバネティクス試験体XA14-04。いわゆる義体と呼ばれるサイボーグなんです。だから少々のことでは死にませんし、壊れません」

 

 今度こそ言葉が出てこなかった。

 ただ、自分の余りにも想像力豊かすぎる夢見に、呆れるばかりだった。

 しかも、先ほどまで自分たちが逃げ惑っていたターミナルから幾つかの爆音が聞こえる。

 何事か、とブリジットの表情越しに上を見上げれば、紅蓮の炎がバルコニーに空いたガラスの穴から吹き出ていた。 

 さっきの携帯電話の意味がようやくわかった。 

 あれはボストンバッグに残されていた爆弾を起動させるための儀式だったのだ。映画やドラマでよくある、携帯電話の着信が爆破の起動キーになっているものだった。

 あらためて、自分がそんな非現実的な空間に足を踏み入れているのだと実感した。

 頬に火炎の熱を感じながら再びブリジットと目線を合わせる。

 紅い背景をバックに、黒い濡れ髪と鳶色の瞳が美しく輝いていた。

 

「さて、移動を始めましょうか。大丈夫。あなたは絶対に死なせませんよ」

 

 そしてその美しさを湛えたまま、ブリジットはカリエをそっと地面へと下ろすのだった。

 ただ、完全に腰が抜けてしまったカリエは、無様にタクシーの屋根にへたり込んでいた。

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