黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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お話の最後に五胡逍遥さまから頂いた素敵なファンイラストを挿絵として使わせて頂いています。
このイラストから着想を得てお話を組み立てました。
いつも途轍もない画力でブリジットやカリエを生き生きと描いて下さる五胡逍遥さまに、この場をお借りしてお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。
次回、エピローグで完結します。
一応黒森峰の——ワールドがベースですのでそう悲観的な終わりにはならないと思います。
私の自己満足のような作品ですがあと一話だけおつきあい願います。


ブリジットと言う名の少女×黒森峰の逸見姉妹 セルフクロス03

 いつのまにか、ブリジットとトリエラはカリエに手を引かれていた。

 彼女は何かに追われているかのように、二人の少女の手を引いて走り出していた。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「どうしたんですか!?」

 

 突然のことに二人は疑問の声を上げる。カリエはそれら一切に対してこう答えていた。

 

「空、見られている! もうすぐここに撃ち込んでくる!」

 

 二人はカリエの言葉を受けて同時に空を見上げた。青く澄み切ったイタリアの乾いた空。その中心を悠々と飛翔する黒点を見定めて、二人は顔を見合わせた。

 

「トリエラ!」

 

「はいよ!」

 

 以心伝心とはまさにこのことだろう。カリエの手を解いたトリエラがまず先行した。そして古ぼけたアパートメントの下に立つと、中腰で手のひらを上下に重ね合わす。続いてブリジットがそんなトリエラに向かって勢いよく掛けだした。

 

「よっと!」

 

 かけ声一つで、ブリジットがトリエラの組み合わされた手のひらを片足で踏みつける。トリエラはそのまま上空へとブリジットをぶん投げた。義体の怪力で空へと投げ飛ばされたブリジットは器用に一回転して、アパートメントの屋上へと手を掛けていた。

 

「うそお」

 

 カリエが間抜けな声を上げている間にも、屋上へと登りつめたブリジットがロープを地面に垂らしていた。トリエラがそれを受け取ったかと思えば、彼女はカリエへと手を伸ばしていた。

 

「さあお姫様、こちらへどうぞ。時間もないので出来るだけお早めに」

 

 もう彼女たちが何を求めているのかカリエは手に取るように理解していた。少しも躊躇することなく、カリエはトリエラの背中へと飛びつく。トリエラはカリエの物わかりの良さに少々面食らいながらも、直ぐさまロープを登っていく。

 カリエは万が一にも振り落とされぬよう、しっかりとトリエラの体にしがみついていた。

 

「さ、さすがに二人分はきつかったです!」

 

 屋上ではブリジットが仰向けに寝転がり、転落防止柵に対して足を踏ん張っていた。両手には決して手放さないようにとロープが何重にも巻かれている。

 

「ありがとう、ブリジットさん」

 

 そんなブリジットにカリエが手を差し伸べる。いつか触れたときには不自然に白かった手も、二人分の体重を支えたロープにすり切れて血が滲んでいた。

 だがカリエは躊躇うことなく、ブリジットの手を握りしめた。

 

「よし、二人ともこっちだ!」

 

 敵影がないことを確認したトリエラに招かれて、カリエとブリジットは隣の建物へと飛び移った。背後では遅れてやってきた砲撃によって、火柱と黒煙が空を焦がしていた。

 

「やっぱあれを何とかしないと脱出は無理かも!」

 

「さすがに空を飛び回っている無人偵察機を撃ち落とすことはできませんし、地面を這いずり回っているチェンタウロを始末するしかないのでしょうか!」

 

 交代でカリエを抱え建物から建物へと飛び移りながら、二人は即興で作戦を組み立てていく。やれ、TNTを車体に貼り付けて爆破しろだの、靴下にTNTを詰めて投げつけろだの、誰かがマンホールに潜り込んで車体下にTNTを貼り付けろだの——、

 そんな終わらない議論に、カリエは初めて口を出した。

 今まで黙って成り行きに任せていたカリエが初めて口を開いた。

 

「いえ、あれはチェンタウロ2と言って車体下部がV字につくられているタイプです。路上爆弾対策がされていて、車体下部からの爆発では破壊できません。装甲にTNTを貼り付けても無駄です。APFSDS弾で貫徹するのが有効でしょう」

 

 カリエの思わぬ言葉に、二人が足を止めた。

 そして互いに顔を見合わせて言葉の続きを促すように耳を傾ける。

 

「APFSDS弾は戦車に搭載されている徹甲弾の一種です。もちろんいくらあなたたちでも生身で撃つことはできませんが、方法がないわけではありません。こんな戦うことも出来ない小娘ですが、私の考えた作戦、乗ってくれませんか? これにはあなたたちの協力が必要不可欠なんです。どうか——どうかお願いします。あなたたちを私は死なせたくない」

 

 

01/

 

 

 そのチェンタウロは獲物を取り逃がした報告を受けて苛立っていた。寸前で逃げられること二回。

 生身の人間相手に過剰すぎる装備ではあったが、追いかけている獲物の素性を知らされている身としては、当然と言えば当然の防備だった。

 事実、駅で交戦した部隊はほぼ全滅の憂き目に遭い、街中で交戦した隊も深い傷痕を残している。

 ましてや、空高くを飛んでいる無人偵察機の存在にいち早く気がつき、ほぼ完璧だった奇襲をかわされてからは苛立ちに加えて一種の恐怖すら覚えていた。

 だからこそ苛立ちを抱えながらも彼らは慎重に路地裏を進んでいた。

 無人偵察機からの報告では、獲物達は屋内に逃げ込んで姿を晦ましたらしい。

 姿が見えないというそのたった一つの事実が、装甲車の足取りを重くしていた。

 だからこそ、その致命的な隙を突かれることとなる。

 

「よし、これくらいの低速ならなんとか」

 

 声は頭上から。

 肉眼で周辺警戒をしていた車長の背後に何者かが出現した。

 否、いきなり煙のように現れたのではない。

 チェンタウロに向かって、周囲の建物から飛び降りてきたのだ。

 腰まで伸びた黒髪を翻した彼女は、古めかしい短剣を躊躇することなく車長の首筋に突き立てた。

 

「——いつも使っているアーミーナイフよりも使いやすいかも。あとでトリエラに一本貰おうかな?」

 

 無駄口を叩きつつも、動きは淀みなく続けられる。

 絶命した車長を車内に押し込んだ彼女は、ホルスターからハンドガンを取りだして車内に素早く向けた。

 突如として力を失った車長に驚いた隊員達がこちらを見ていた。

 目と目が合うが、それこそ一切の躊躇いがない。

 

「——ごめんね」

 

 チェンタウロの重厚なエンジン音を切り裂くように、甲高い銃声が二発だけ鳴り響いた。

 

 

02/

 

 

「はあ? チェンタウロの操作方法? そんなもの知って何になるの?」

 

 姉が通う大学にアポなしで飛び込んだカリエは、図書館に併設されたカフェにいた。真向かいに座るエリカは呆れたように溜息を吐き、妹へ言葉を投げかける。

 

「何? この前対戦したイタリア代表に乗せて貰って気に入ったの?」

 

「まあ、そんなところ。今度イタリアにいったら自分で操作してみたくて」

 

「……それだけでわざわざ横浜から熊本までやってくるわけ? あんた本当に馬鹿じゃないの。あれだけ一度は帰ってこいって言っても、絶対に帰ってこなかったくせに」

 

 それを言われたら弱いなあ、とカリエは紙パックのミルクティーを啜った。エリカはパックのコーヒーを手にしながら言葉を続ける。

 

「——まあ、私のゼミの教授が世界各国の装甲車両の操作系について研究している人だから、研究室に行けば資料の一つや二つあるでしょうけれども」

 

「うん、ぶっちゃけそれを頼りにきた。こうなったらエリカだけが頼り」

 

 対して感情の籠もっていない調子で拝み倒すカリエを見て、エリカは再び溜息を吐いた。

 二十歳を超えてなお、この妹は随分とお気楽に生きているようだった。

 

「はあ、わかったわよ。ちょっと時間をくれたら研究室に行って資料をコピーしてきてあげるわ。その間、機甲科の棟に行ってみほと小梅に挨拶してきなさい。二人とも、あんたに会いたがっていたから」

 

 姉から出された旧友たちの名前に、カリエは素直に頷いていた。

 そういえば半年は顔を合わせていないな、とカリエは頬を掻く。

 だがその手はすぐに止まった。

 何故ならエリカの碧色の瞳が、じっとこちらを見ていたから。

 

「……何?」

 

 まさか心変わりでもしたのだろうか、と恐る恐る問いかける。ただそれは杞憂だったようで、エリカは何でもないわ、と直ぐに席を立ち上がった。

 

「じゃあ一時間後にここで」

 

 姉に釣られてカリエも席を立った。双子特有の現象なのか、二人の視線が同じ高さになる。

 

「——ねえ、カリエ」

 

 リュックを背負おうとしたら声を掛けられた。今度は何だろうとカリエはエリカを見る。

 対するエリカは少しばかり迷ったように視線を巡らせたあと、意を決したように口を開いた。

 

「お姉ちゃん、って言ってくれない?」

 

 いつもなら茶化していたかもしれない。何なの、寂しいの? とからかっていたのかもしれない。だが今日ばかりはエリカの縋り付くような視線を受けて、カリエは気がつけば声を出していた。

 

「我が儘ばかりでごめんね、お姉ちゃん」

 

 はっきりと、エリカが息を呑む音が聞こえた。カリエは深く追求はしなかった。

 エリカもエリカでそれ以上を求めることはなく、「じゃあ、約束通りに」と踵を返した。

 一人カリエだけがカフェに立ち尽くしている。

 徐々に離れていくエリカは、大学に通う学生達の喧噪に消えていった。

 

 だからこそ、去り際にエリカが呟いた言葉をカリエは完全に聞き逃していた。

 

「——夢見が悪いせいかしらね。焼きが回ったわ」

 

 

03/

 

 

「ブリジットさんは砲手を。トリエラさんは操縦手をお願いします。チェンタウロ2は自動装填装置が搭載されているので、装填手はいりません」

 

 キューポラから身を乗り出したカリエはチェンタウロに備え付けられていたマニュアルをぱらぱらと捲った。それは昼間から夕方に掛けて頭に叩き込んだ教本とまったく同じ物で、エリカの確実な仕事ぶりにひっそりと感謝した。

 

「えと、ギアは自動で切り替わるんだよね。あとは車の操作と同じなのかな?」

 

「はい。基本はオートマです。バックギアと低速ギアだけマニュアル操作になりますが、エンストすることはありません。周囲の景色はモニターで確認して下さい」

 

 ハンドルを握ったトリエラがおっかなびっくりといった様子で、チェンタウロを少しずつ前進させた。

 

「これ、自動照準だね。あ、でもこのレバーを使えばマニュアルで砲身が操作できるのか。サーモグラフィーもあって、壁の向こう側も見えるや」

 

 砲手席に腰掛けたブリジットが砲身を回転させた。スムーズに為される操作に、カリエは「何とかなりそうだ」と安堵の息を出す。

 

「向こうのチェンタウロも本車輌と全く同じ性能になっています。装甲はそれぞれの砲弾が命中すれば一発で抜かれます。つまり先に見つけて、先に撃った方が勝ちになります。接敵必殺を心がけましょう」

 

「しっかし相手の車輌を鹵獲して、残りのチェンタウロを始末しようとは、中々お姫様も過激なものだ。ま、でも正直これに賭けるしかないか」

 

 言葉とは裏腹に、トリエラの声は明るい物だった。ブリジットも大型の火砲を扱えるとあってか、心なしか鼻歌を口ずさんでいる。

 

「さっきの偵察でこの先に二両のチェンタウロが展開していることがわかっています。背後からこれを強襲し突破口を作り出しましょう」

 

 義体特有の学習能力の高さを活かして、トリエラの操縦が滑らかになっていく。あっという間に高速巡航に移行したチェンタウロは狭い路地を駆け抜けていった。ブリジットもいつでも発砲が出来るように、発射トリガーに指を掛ける。

 

「あと五秒、よん、さん、にい、いち、——いま!」

 

 薄暗い路地を飛び出し、陽光の下に身をさらしたカリエが見たのはこちらに背を向けている二両のチェンタウロだった。ブリジットは向かって右側の車輌に狙いをつけている。カリエは怖じ気づくことなく、いつも何度もそうやってきたように、ブリジットの背中をつま先で優しく叩いた。

 105ミリ砲が咆哮する。

 撃ち出されたAPFSDS弾がチェンタウロのエンジン排気口に吸い込まれていった。

 

「よし!」

 

 火炎を吐き出しながら右側の車輌が停止した。生き残ったもう一両が慌てて急発進する。ブリジットはそちらに素早く照準を向けたが、砲弾が再装填されるのが少しばかり遅かった。

 引き金を幾ら振り絞ろうとも、彼女の眼前のモニターはERRORを指し示している。

 

「慌てる必要はありません! トリエラさん、後を追って!」

 

 対するカリエの切り替えは早かった。黒森峰で使い続けた戦車道の経験をフル動員し、獲物を追い詰めていく。数多の実戦をこなしてきた彼女は言わば百戦錬磨の戦車兵である。たとえそれがスポーツという安全性が担保されたものであったとしても、戦闘勘やその他の全ての技量において相手を上回っていた。

 事実、狙われたもう一両のチェンタウロの動きなどカリエからすれば生温いにも程があった。

 これならばプラウダの重戦車部隊を正面から受け止めた試合の方が緊張したと、冗談すら零してみせる。

 

「つっ! あいつら砲塔を後ろに向けて狭い路地に入った!」

 

 トリエラの報告通り、砲塔を180度回頭させて車輌一両分の幅しかない路地をチェンタウロが突き進んでいった。成る程、最低限の戦略眼はあるみたいだ、とカリエはトリエラに進路を左に切らせる。

 敵のチェンタウロによって放たれた砲弾がカリエ達の右側面を通過していき、途中にあったバス停を吹き飛ばしていた。

 

「い、今のは正直生きた心地がしませんでした!」

 

 ブリジットの悲鳴を受け流しつつ、カリエは敵のチェンタウロが逃げ込んだ路地に並行する形で伸びる大通りに車輌を進ませる。少し速度を上げてみれば、建物と建物の隙間から併走するチェンタウロが見えた。

 

「——ナナならあちらとの車輌速度を合わせ完璧に併走させ、堀内さんなら隙間を通して向こうに砲弾を叩き込める」

 

 いつもチームを組んでいるメンバーの顔を思い浮かべながらカリエはちらりと車内を見た。中では初めてながらも何とかカリエの指示を完遂しようと必死に操作を続ける二人がいた。

 ブリジットは自身が傷つくことを厭わずに、文字通り命がけでカリエを守ってくれた。

 彼女が一度死んでしまっていることをカリエは忘れない。

 トリエラは瀕死の自分を生かそうとあらゆる手を尽くしてくれた。

 自らの脳天を吹き飛ばそうとしたのを見て、彼女が涙ながらに止めようとしたことをカリエは忘れない。

 

「——トリエラさん、速度を73キロに固定」

 

 ナナには到底及ばないながらも、何とかトリエラはその速度帯にチェンタウロを引っ張り上げた。

 

「ブリジットさん——」

 

「わかってますよ。実はね、私こういうの得意なんです」

 

 指示を出し切るよりも先に、ブリジットが砲塔を90度旋回させていた。自動照準をオフにし、全て手動操作に切り替える。彼女の目が、担当官曰く「神の眼」が建物の向こう側を見ていた。

 

「タイミングだけ教えて下さい」

 

 ここから先は全幅の信頼が必要であることをカリエは理解していた。余計な雑念も心配もいらない。

 ただ、ここまで共に来てくれた二人を信じ切ることが、悪夢を終わらせる唯一の道であることをカリエは知っていた。

 随分と長い夢ではあったが、そろそろ終わりにしてもいいだろう。

 

 深呼吸は一つ。

 目線は未来の先へ。

 

「さん、にい、いち、いま」

 

 寸分違えないタイミングでブリジットが引き金を絞った。

 路地の向こう側へ砲弾が消えていく。

 何かに着弾したのか、爆発音が一つ。

 だが獲物を仕留めたのかはまだわからない。

 

「この先、大通りとあいつらが逃げた路地が合流してる」

 

 見れば確かに道は一つになっていた。もしも敵を撃ち漏らしていたら、丁度道が合流したところで車輌同士が衝突することになるだろう。それでもカリエは速度を緩めるようには決して口にせず、ブリジットとトリエラもそれに従った。

 

 道が一つになる。

 視界が開ける。

 

「本当、手こずらせてくれました」

 

 ブリジットが安堵の息を吐き、トリエラがチェンタウロの速度を落とした。

 一つになった道には、カリエ達の一両のチェンタウロだけがいた。

 カリエは耳に装着していたヘッドセットを取り外して、天を仰ぎ見た。

 

「——終わった。やっと終わった」

 

 ふと快晴のイタリアの空が見える。

 まばらな雲とパステルブルーの色に彩られた空。

 何度も兇弾に倒れながら見上げ続けていた空。

 それを今、五体無事なままで見ることが出来ている。

 

「おっと、ようやく迎えが来たようですね」

 

 いつのまにかトリエラがチェンタウロを停止させていた。何事か、と視線を前方に戻せば、厳めしい装甲車が数両道を塞いでいることに気がつく。一瞬警戒を強めるものの、ブリジットとトリエラがチェンタウロから飛び出してそちらに駆けだしたものだから、それが味方であることに気がついた。

 

「ここはもう境界線を越えたのですか!?」

 

 ブリジットが装甲車から降りてきた四十代前くらいの男性に駆け寄っていた。男性はブリジットを抱き留めると、優しく微笑んで見せた。

 

「ああ、よくやった。君たちはミッションを無事に完遂してくれた。ここから先は政府が定めた非交戦地域だ。ターゲットの争奪戦は私たちが勝利した」

 

 ああ、典型的なイタリア優男だな、とカリエはキューポラの上で頬杖を突く。

 あれがブリジットの言っていた担当官であることくらい、嬉しそうに担当官に縋り付く彼女を見て一瞬で察することが出来ていた。あの表情は恐らく、彼だけに向けられるものなのだろう。

 担当官ってやつはもっとゴツい大男を想像していただけに、何処か釈然としない思いをカリエは抱いていた。

 トリエラもトリエラで、遅れて装甲車から降りてきたコートの男性に言葉を投げかけている。

 ここからそう遠く離れていない場所で、昨日彼女たちを死なせてしまったことが不意に後ろめたくなってきた。

 

「——君が課長の言っていた保護対象か。成る程、話に聞いていたとおり重装甲車両の扱いに長けていることは本当のようだ。どうやら機転を働かせここまでこれたようだな」

 

 エンジンがアイドリングしたままのチェンタウロに近づく人影が一つ。カリエが視線をそちらに向ければ、サングラスを掛けた金髪の男がこちらを見上げていた。

 彼も公社の人間なのだろうか、と訝しんでいれば男はさらに言葉を続ける。

 

「ジャンだ。君の保護を彼女たちに命じた者と思っていてくれればいい。積もる話もあるだろうが、続きは公社で。——リコ、あとは任せる」

 

 随分と冷たい印象を与える男だった。ブリジットやトリエラの担当官とは全く違うな、とカリエは内心言葉を漏らす。そんなカリエの眼前にいつの間にかもう一人、少女が立っていた。

 

「初めまして。私はリコ。ジャンさんに命令されたので、あなたの護衛を引き継ぐことになりました」

 

 差し伸べられた手は素直に取った。やはりと言うべきか、その細腕からは想像も出来ない力でキューポラから引っ張り上げられる。この少女も義体——つまりはブリジットと同じ境遇の人間なのだろう。

 

「今から公社に向かいます。大丈夫——とても楽しいところですよ」

 

 酷く事務的な口調ではあったが、カリエは素直に頷いていた。一仕事終えたという達成感を感じながらチェンタウロを後にする。乗せられた装甲車の中には温かい紅茶とお菓子が用意されていて、ゴチャゴチャとした装備の中にあってとてもミスマッチだった。

 しかしそれが、ある意味でこの世界そのものを表しているのかもしれないとカリエは妙な納得を覚えていた。

 

 

04/

 

 

 いくつかの健康診断を受けた後、カリエは公社内を決められた範囲だけ自由に歩き回ることが許された。いつ解放されるのかはこれっぽっちも知らされなかったが、ブリジット達も共に生活しているということで、命を狙われる毎日よりはマシだ、とカリエは結論づけていた。

 ただ支給された服が、どことなく黒森峰時代のタンカースジャケットに似たコートで妙な声を出してしまったことは特筆しておく。

 鏡に映った自分は、今は懐かしき高校時代の姿に見えた。

 

 

05/

 

 

「あら、紅茶の匂いに誘われて目が覚めたのかしら。あなたのそういう素直な所、好きよ」

 

 いつの間にか毛布が掛けられていた。背もたれに深く腰掛けて眠りについたところまでは覚えている。

 ふと頭頂部に違和感を感じて手をやってみれば小さな帽子を被らされていた。

 手に取ってみれば、それは黒森峰のタンカースジャケットとセットで身につけていた戦車帽にどことなくデザインが似ていた。

 

「ああ、それはね外でお仕事をしてきたブリジットが土産に買ってきたらしいわ。あなたが貰ったコートによく似合いそうだからって。本当、あの子ったらあなたに夢中で少し妬けちゃうわね。どことなく、波長があうのかしら」

 

 こちらを覗き込んでいた人影と目が合う。彼女の名はクラエス。ブリジット達と同じ義体の少女だ。彼女はどういった事情があるのか公社から外には出ない。

 だからこそ都合が良いのか、カリエのお目付兼世話役としていつも一緒に生活していた。

 

「——そのブリジット達は?」

 

 寝ぼけ眼をこすりながら、帽子を残していった少女達のことを問う。するとクラエスは紅茶をカップに移しながらこう答えた。

 

「お茶会のお菓子を取りに行ってくれてるわ。ほら、噂をすれば」

 

「ただいまです。今日はマカロンを貰ってきました」

 

「ヒルシャーさん達からケーキも貰ったよ。四人で食べなさい、って」

 

 サロンに姿を現したのは外行きの格好を身に纏ったブリジットとクラエスだった。二人とも先の戦いで受けた傷はいつの間にか消えていた。おそらく、彼女たちが言う「交換作業」を行ったのだろう。

 

「いやー、今日は疲れました。朝から張り込みに尾行と神経を使うことばかりで」

 

 コートを脱ぎ、椅子に腰掛けたブリジットへクラエスが紅茶を差し出す。トリエラは四人分に取り分けたケーキを皿に載せて、それぞれの前に配膳していた。

 

「でも最後は力技で話を聞き出していたよね。返り血はどうしたのさ」

 

 トリエラの言葉に呆気からんとブリジットが返す。

 

「さすがにもう着替えました。だいたいトリエラだって足を撃ったでしょうに」

 

 血生臭い話題にどう付いていったものか、とカリエが思案していたらクラエスが助け船を出してくれた。

 

「二人とも仕事の話はそこまで。折角のお茶とお菓子が美味しくなくなってしまうわ」

 

「おっと、クラエスせんせに叱られちゃった」

 

「くわばらくわばら。良い子にしていないとお菓子が貰えません」

 

 からかうように口を合わせる二人にクラエスは溜息を吐く。そろそろ意識が完全にハッキリとしてきたカリエは紅茶のカップを手にとって口につけた。

 

 何故だか、どことなく懐かしい味がし、それがダージリンがいつも淹れてくれていた紅茶の味だと気がつくまでそう時間は掛からなかった。

 

「あ、カリエさん。このマカロン美味しいですよ」

 

 ブリジットに差し出されたマカロンを頬張る。いつか、みほたちから美味しいと勧められたある店のマカロンと同じ味がした。

 

「こっちのケーキも食べなよ。ヒルシャーさんおすすめの店のケーキなんだ」

 

 トリエラから手渡されたケーキを一口。それはエリカがカリエのために作ってくれた手作りケーキと全く同じ味だった。

 

 何故だか、夢から覚めたときのことが恋しくなった。

 もう命を狙われる心配などないのに、夢から醒めたいと思った。

 

 

06/

 

 

 その日、カリエは眠れない頭を抱えて公社の屋上に来ていた。

 夜風が肌寒いものだから、あの黒森峰のコートを羽織っている。頭にも、ブリジットが買ってきてくれた帽子を被っていた。

 

「——やっぱりここにいたんですね」

 

 背後から声を掛けられる。

 振り返らずとも声の主はわかっていた。あれだけ生死を賭けた逃避行を共にしたのだ。今更その声を聞き間違える筈がない。

 

「クラエスが心配していましたよ。ベッドから抜け出したって。まあ、私が言い含めておきましたからそんな大事にはなっていませんけれども」

 

 言って、ブリジットがカリエの隣に立つ。彼女は大きな筒状の袋を肩に掛けていた。何故こんな所までライフルを持ち歩いているのだ、と訝しんでいたら「あーっ」と立腹したように抗議の声を上げられた。

 

「幾ら私でも四六時中銃を持っているわけないんですからね! これはアルファルドさんから借りてきたんです!」

 

 アルファルド——ブリジットの担当官の名前だ。見た目に違わない典型的なイタリア男で、突如として公社に潜り込んだカリエの事を色々と気遣ってくれている。元男のカリエとしてはむず痒いものがあったが、その厚意はいつも素直に受け取っていた。

 

「……天体望遠鏡ですよ。前に一度、アルファルドさんが私に見せてくれたんです」

 

 袋から取り出された部品をてきぱきとブリジットが組み立てていった。時間にして凡そ数分。完成したそれを覗き込み、幾つかの調整を経て彼女は誇らしげにカリエを見る。

 

「見て下さい。星座が綺麗ですよ」

 

 誘われるがままに、カリエは望遠鏡を覗き込んだ。彼女は星や星座に関する知識を一切持っていない。正直言って綺麗に輝いているな、くらいの感想しか湧かなかった。

 それでもブリジットがこちらを気遣って用意してくれたという事実が、カリエの胸を満たしていった。 

 たとえそれが夢の中の一時のものだとしても、間違いなく彼女はかけがえのない友人だった。

 

「いつだったか私が荒れに荒れているとき、アルファルドさんがこうして外に連れ出してくれたんです。あの人は女心を一切理解していない朴念仁ですが、そういった気は良く回るんですよ」

 

 嘘だ。とカリエは心の中だけで言葉を漏らした。

 ブリジットがアルファルドに向けている表情を思い出せば、彼女の言葉がただの照れ隠しであることくらい容易に想像が付く。

 けれどもそれをわざわざ指摘するほどカリエは野暮ではない。

 

「——本当にあの人は私にとってこの世界で生きている意味かもしれません。この顔も、体も、声も、心すら造られた紛い物の私にとって、唯一信じても良い人。まあ、好きか嫌いかで言えば大っ嫌いなんですけれど」

 

 それは本当かもしれない、とカリエは思った。

 嫌いなことと愛することは同居することをカリエは身をもって体験をしたことがある。ダージリンから一時向けられていた感情がまさにそれだった。憎悪と愛情はいつだって表と裏側だ。

 けれどもそこに存在する愛が本物のそれであることも知っていた。

 憎悪に裏付けされた愛は本当に強い。

 

「——ねえカリエさん。あなたにとってこの世界で信じていても良いものは何ですか? この世界であなたを裏切らないものって何ですか?」

 

 何だろう、とカリエは首を傾げる。

 ブリジットはいつの間に取り出したのか、星座盤を片手に望遠鏡を操作していた。

 カリエは再びそれを覗き込む。

 

「——今、目の前にある星座、双子座だそうです。同じ年、同じ日、同じ時間、同じ母親から生を受けた唯一無二の存在。それが双子。ねえ、カリエさん。あなたにとってそれこそが、私のアルファルドさんみたいな存在ではないのですか?」

 

 どういうことなのだろう、と首を傾げる。

 カリエは言葉の意味がわからなかった。

 

「もうそろそろ目を醒ましませんか。夢はこの辺りで終わりにして、カリエさんはカリエさんの時を生きるときが来たのかもしれません」

 

 望遠鏡から視線を外した。どういうことなのだろうと背後に振り返る。

 

 ああ、少なくとも唯一信じて良い人間として、ブリジットは不適だったのだな、とカリエは思い知らされた。

 

 ブリジットは——星座盤を持っていた筈の彼女はいつの間にか銃を握りしめていた。

 あらゆる言葉が嘘だった。彼女は四六時中、それを持っていた。

 カリエは何か言葉を発する暇すら与えられなかった。

 

「——お休みなさい。カリエさん」

 

 銃声が一つ。

 崩れ落ちる影も一つ。

 

 夢の終わりはいつも唐突に訪れる。

 

 

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