黒森峰の逸見姉妹   作:H&K

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すいませんOVAよりもさきにこちらができあがったので投稿します。


第二章 秋山優花里の戦車道(TV版)
秋山優花里の戦車道 00 


 逸見カリエが黒森峰女学園に入学して、二度目の夏がやって来た。

 一度目の夏に比べればまだ若干過ごしやすい、俗に言う冷夏の八月。

 けれども窓の向こう側では、この季節独特の大合唱。

 海に浮かぶ学園艦だというのに蝉の声は元気も元気で、ベッドの上で大の字になっていたカリエは思わず眉を顰めた。

 たんたんたん、と包丁とまな板が奏でるリズム良い音がする。

 鼻孔には炊きたてのご飯と、程よく出汁の利いた味噌汁の匂いが届いた。

 まだ半覚醒状態の頭で、彼女は何となく朝の訪れを感じ取っていた。

 

 そろそろ起き上がらねば、口うるさい姉にどやされる。

 

 決して前向きとは言えない理由ながらも、何とか起きようかと身動ぎしてみれば、金縛りに遭ったかのように身体が動かないことに気がついた。

 まさか連日の猛練習が祟ったのか。よりによってこんな時期に、と冷や汗を流す。

 ただ冷や汗どころか、かなりの寝汗を掻いていることに気がついて、どうして扇風機も回しているのにこんなに暑苦しいんだ、と思い至ったとき、カリエの意識は完全に覚醒した。

 そして呆れ混じりに声を漏らす。

 

「……やっぱり」

 

 首だけを動かして己の左半身を見てみれば、ピンク色の物体ががっちりと絡みついていた。

 そのピンク色が「うーん」と呻き、栗色の髪ががさごそ揺れているのを見てカリエは「はあ」と溜息を一つ吐き出した。

 そして、もぞもぞとピンクのホールドから腕だけを器用に抜き出し、栗色の髪を何度か叩く。

 

「みほ、起きて。そして離れて。暑い」

 

 簡潔な言葉を受けて、栗色の髪の持ち主――西住みほは寝ぼけ眼をこすりながら欠伸をしたあと、自身が抱きついているカリエを見上げて「おはよう」と笑った。

 

「えへへ、三人で作戦を考えてたらいつの間にか寝ちゃってたみたい」

 

「……少なくともみほが寝落ちしたときには、私たち、エリカを挟んで川の字の両端だったと記憶しているんだけれど」

 

 じとっとカリエ独特の三白眼を受けてみほは「ごめんね」と頭を掻いた。

 

「いや、カリエさんがなんか冷やこくて、つい……」

 

「じゃあ離れて。一刻も早く。エリカが来る前に」

 

 若干焦りを含んだカリエの様子が普段とは違っていて面白かったのか、みほは悪戯っぽく首を横に振った。

 

「えー、やだー。だってカリエさん、朝になっても冷たいんだもん」

 

「私は暑いの。いや、心はもううすら寒いけれど」

 

 おたおたと逃げ出そうとするカリエを、みほはしっかりとホールドしていた。

 ああ、これはもう駄目かもしれないとカリエが諦めにも似た感情を抱いたその瞬間、二人がじゃれていた寝室の扉が開け放たれる。

 

「カリエ! みほ! いい加減起きなさい! いくら夜遅くまで作戦会議していたって言っても、寝坊は許されないわよ……って、朝っぱらから何やってんのよ!」

 

 黒色のエプロンに身を包み、朝食の用意を終えたエリカがそこから顔を覗かせていた。

 ただ、その表情はカリエとみほの有様を目にして、真っ赤に、そして明らかに怒っていた。

 カリエはこれから飛んでくるであろう小言を覚悟して、やや大げさに肩を落として見せた。

 

01/

 

 

「たくっ、朝っぱらからいちゃいちゃいちゃいちゃと、信じらんない!」

 

 卓についたカリエとみほへご飯をよそいながら、エリカは小言を垂れていた。

 それに対してみほは、表情を崩しながら「ごめんなさーい」と答えている。対するカリエは、みほの命知らずな言動に冷や冷やしながら皿に乗せられた焼き魚を突っついていた。

 

「大体二人とも気が緩みすぎなのよ。明後日は私たちの十一連覇を掛けた決勝戦があるんだから、もっと緊張感を持ちなさい。そりゃあ、連日の作戦会議で疲れているのはわかるんだけど」

 

 ちらり、とエリカが寝室の方に目をやれば、寝床一面に広げられた地図や対戦校の資料が目に入った。

 それは寝る間を惜しんで、妹と親友が議論を重ねている証拠でもある。

 だからこそ、彼女はそれほど強く二人の寝坊を咎めようとはしなかった。

 むしろ、ゆっくりと時間ぎりぎりまで寝かせて、朝食の用意を買って出るほどである。

 

「ところでカリエ。対戦相手の資料は見つかったの? 黒森峰の図書館にも、隊長――じゃなかった。まほさんとみほの実家にも問い合わせたようだけれど」

 

 エリカの言葉を受けて、カリエは傾けていた味噌汁の椀を元に戻した。

 

「残されているデータが全部二十年以上前のものだったから、実質収穫はゼロ。つまりはノーデータの学校ということになる」

 

 カリエの返答を受けて、エリカの表情がみるみる厳しくなった。

 

「いくら素人同然の弱小校とは言え、あのプラウダを破って来たんだからノープランで試合に臨みたくはないわね。最悪、これまでの公式戦――いっても三試合だけれども、それを徹底的に洗うしかないか」

 

 いいや、とカリエはエリカの提言を否定した。

 

「あそこは試合ごとに何かしらの新戦力を投入しているから、これまでの公式戦のデータだけを信頼しすぎると痛いしっぺ返しに合うかも。まさかないとは思うけれど、ティーガークラスの戦力を用意されると、こちらの立てる作戦の履行が危うくなる」

 

「なら、私たちが一番得意とする、正面からの総合火力で押しつぶすのが最善かも……」

 

 ぼそりとみほが言葉を零したのを見て、双子の姉妹は難しい顔をした。

 そしてそれぞれが食事の手を止めて、みほの提案に頭を捻る。

 

「向こうの出方がわからないのならば、こちらが最も習熟度が高い戦法で押しつぶしてしまうのが得策といえば得策か」

 

 エリカに被せてカリエも口を開いた。

 

「でも何だろう。彼女たちの準決勝ーー、プラウダ戦を見たときからどうしても胸騒ぎがする。何か先読みが過ぎるというか、各高校の戦法に熟知しすぎているとか」

 

 カリエが思い出しているのは、詰め将棋のように戦略を潰されていくプラウダの様相だった。

 昨年、あれだけ苦労して何とか勝ち抜くことが出来た最大のライバルが追い詰められていたその姿が、何とも自分たちに重なって不気味だった。

 妹のそんな後ろ向きな思考を読んだのか、エリカはかぶりを一つ振ると、さっさと朝食を掻き込んで力強くその場を締めにかかる。

 

「これ以上、つべこべ言っても仕方ないわ。私たちには私たちの、王者には王者の戦い方っていうものがある。なら、それを完遂することが出来るよう、残された時間を使って少しでも練度を上げるべきなのよ」

 

 特に反論が思いつくほど、残された二人に妙案があるわけではなかった。

 それから先は、思い思いに朝食を楽しむ、静かで穏やかな時間が流れているだけだった。  

 

 02/

 

 

「カリエ副隊長、車両の準備が整いました」

 

 声に振り返ったのは、きらきらと光る銀髪が美しい、黒森峰の双子姉妹の妹――逸見カリエだった。

 今年から黒森峰女学園に入学した一年生である佐久間ナナは緊張した面持ちで、カリエの翡翠色の視線を受け止める。

 彼女からしてみれば、昨年の全国大会で伝説的な功績を残した逸見姉妹を前にして、緊張するなという方が難しい話だった。

 

 中等部からの持ち上がりではなく、高等部への編入試験を経て黒森峰女学園の一員となった彼女からしてみれば、突如として有名人が身近に現れたようなものだったから。

 そんなナナの心境は露知らず、カリエは暢気にエリカに声を掛けていた。

 

「ありがとう。 ……エリカ、先に演習場を回ってる。あと新品のパワーパックのテストもついでにやってくる」

 

「あんま飛ばしすぎるんじゃないわよ。前のエンジンは酷使が祟ってお釈迦になったんだから。島田流でもないのに無茶しすぎなのよ、あんたは」

 

 車両点検の項目が記載されているであろうチェックシートから目を離すことなくエリカがカリエに言葉を返していた。

 ナナにとってはエリカも雲の上の存在の人物ではあったが、一応は違う車両の車長だったのでカリエほど緊張する存在ではなかった。

 変わった話ではあるが、パンターG型の狭い車内ですぐ近くに、それもほぼ毎日同じ空間にいるカリエの方がどうしても意識してしまう対象なのだ。

 

「よし、では佐久間さん。早いとこ車両庫に行こう。今日は紅白戦もないから新しいパワーパックの挙動に全員で慣れてしまおう」

 

 言われて手を引かれた。

 顔に熱が集まって、色が赤色に近づいていくのがわかる。

 緊張の度合いが一気に増し、視界がぐるぐると回り出した。

 そんな調子のまま、車両庫でアイドリングを続けていたパンターに近づいてみれば、通信手である同級生の一人がからかってきた。

 

「あんたカリエ先輩に惚れてんの?」

 

 馬鹿っ、と慌てて彼女の口を塞ぐ。続いてパンターの側面からよじ登っていたカリエを見る。幸いそのやりとりは見られていなかったようで、車長席に収まったカリエが不思議そうにこちらを見た。

 

「早く乗って。佐久間さんが乗らないと誰もパンターを動かせない」

 

 

03/

 

 

 わざと不整地にされた演習場を一両のパンターが進んでいく。巧みにギアチェンジを繰り返し、最低限の減速だけで凹凸を踏破している。

 

「次、70センチ。右にやや傾斜。速度このまま。進行方向やや左」

 

 咽頭マイクへの指示と同時、カリエのブーツのつま先がナナの背中を叩いた。

 最近は少しずつ慣れてきた感触を受けながら、ナナは要求通りの操作を行う。

 

「よし、良い感じ。あと半周すれば一旦休憩しようか」

 

 カリエの言葉に乗員たちが少しばかりの安堵の息を漏らした。栄光の黒森峰の副隊長の車両と言うことで、その乗員たちはそれなりの緊張感を持って搭乗をしていた。ただ、佐久間ナナのようにカリエ個人に対して緊張しているというわけではなかったが。

 前年度の全国大会から丁度一年。

 逸見カリエの車両は二年生と一年生を中心に構成された随分と年若いチームだった。

 装填手のルミが抜けた場所を通信手だった同級生が埋め、砲手は去年からそのまま。ただ操縦手と通信手が新入生である一年生となっていた。

 一年生と言っても中学生の世界ではそれなりに活躍してきた戦車道エリートであり、王者黒森峰に入学することが出来るだけの実力を有していた。

 ましてや最重要ポジションとも捉えることが出来る副隊長の車両である。彼女たちの実力はそんな新入生たちの中でも抜きんでているといっても過言ではない。

 

「戦車停止。エンジンはそのまま。後ろからエリカの車両が追いついてくるまで休憩」

 

 カリエがヘッドセットを外したのが休息の合図だった。それまで張り詰めていた車内の空気が若干弛緩し、車内壁面に括り付けられていた水筒からおのおのが水分補給を行う。佐久間ナナも操縦桿から手を離し、覗き窓を全開にして背もたれにもたれ掛かった。

 

「ねえ、佐久間さん」

 

 ふと、上から声が振ってきてナナは飛び上がった。見ればいつの間にそちらへ回り込んだのか覗き窓の向こう側からカリエがこちらを覗き込んでいた。

 敬愛する車長の視線にドギマギしながらも、何とかナナは平静を装う。

 

「な、なんでしょうか。副隊長」

 

「カリエでいいよ。副隊長だとエリカと区別が付かないから」

 

「ならカリエ先輩でお願いします。ところで何かご用でも」

 

 カリエはそんなナナの様子を深く追及することなく、単調直入に問うた。

 

「新しいパワーパックはどんな感じ?」

 

 そんなことを聞かれて、ああ、そう言えばエンジンを載せ替えたばっかだったんだなとナナは妙な納得をしていた。

 納得をして、思いついたまま答えていた。

 

「前のエンジンは結構癖が――前任の操縦手の人の癖が残っていてそれはそれで面白かったんですけれど、今回は新品で癖がなく扱いやすさは段違いだと思います。ただ、土壇場で無理をした時、どこまで大丈夫なのかボーダーラインが探れないので、そこだけが怖いですね」

 

 自分でも驚くくらい、すらすらと述べることが出来た感想にナナは驚いた。

 やっぱり戦車のことになると饒舌になってしまうあたり、自分も黒森峰の人間なのだと、思い知らされるようだった。

 

「……ボーダーラインかなるほど。ならエリカとの合流は中止。今から森林踏破性能を確かめよう」

 

 言って、カリエはするすると覗き窓から姿を消し、再び車長席に飛び込んだ。

 上級生でもあり車長でもあるカリエが突然現れたことによって、車内に流れていたリラックスムードが霧散する。

 乗員は慌ててヘッドセットや装填用の革手袋を身につけ、ナナも操縦桿をしっかりと握り込む。

 

「演習場南をショートカット。そのままシュバルツバルトへ。安全のため、覗き窓等の使用は禁止。私の目測で行軍を行う」

 

 マイバッハ水冷4ストロークV型12気筒ガソリンエンジンが唸りを上げ、黒煙が一瞬だけ噴き上がる。

 その状態でギアを入れてやればちょっとした衝撃と共に、パンターは履帯を回転させながら前進を始めた。

 ナナの腕が良いのか、直ぐさま理論上の最高速に到達したパンターは一切の躊躇を見せることなく、鬱蒼とした森林地帯に突入していく。

 頭上を飛来していく小枝をかわしながら、カリエが細やかに指示を飛ばす。

 

「前方に倒木。衝撃注意。――おっと、想像以上に脆いな。そのまま速度維持。進路左へ10度。いや、右に2度修正」

 

 一方、操作を任されているナナは割と一杯一杯だった。

 カリエはナナを信頼しているのか、かなりの難度を要する挙動を要求している。これまでは何とか応えられてはいるものの、いつ障害物に乗り上げて行動不能になるのかわからない怖さがあった。

 他の乗員もナナと同じ心境なのか、車内の突起物にしっかりと捕まりながら衝撃に耐えている。

 だがカリエの指示は容赦がなかった。彼女は車内を一切覗き込まないまま、装填手に向けて手文字を作った。丁度「H」の形を横向きにしたようなそれは黒森峰共通のハンドサイン。すなわち「空砲を装填しろ」という命令だった。

 それまで壁面にしがみついていた装填手が弾かれるように行動を開始した。

 彼女だって黒森峰の一員であるという自負心がある。先程までの不安に駆られていた表情を払拭し、数ある砲弾の中から空砲を選択。

 卓越したバランス感覚で、激しく上下する車内の中、砲弾を素早く装填した。

 

「発砲準備完了!」

 

 装填手の報告を受け、カリエが咽頭マイクへ話しかける。

 

「十秒後前方にT-34がいると仮定して発砲。その後、左へ90度ターン。通信手は森が途切れたその直後に本部への通信回復に努めて」

 

 それぞれ指示を受けた砲手と通信手も表情を引き締め、自身の役割に没頭していく。

 砲手は照準を覗き込んで、架空のT-34を睨んだ。通信手は無線機のチャンネルを操作し、直ぐさま本部へ通信できるよう状況を整えた。

 装填を終えた砲手も、次発の可能性を考えて、空砲をしっかりと抱え込んだまま砲身の近くに待機している。

 

「大丈夫。君たちなら何も問題はない」

 

 カリエの声は乗員からしてみれば魔法のようなものだった。

 ひとたび彼女に指示を与えられれば自然と身体が動き、一切の怖れが消え失せてそれぞれの役目に没頭させてくれる。

 それはナナも例外ではなく。

 自分の背後で同級生が、先輩が、ばたばたと動いている気配を感じ取った瞬間、それまで感じ取っていた不安が薄れていった。

 まるでカリエの指示を忠実に遂行していく戦車の部品になったような感覚だった。

 そしてそういう風に感じさせるカリスマが、カリエの持つ伝説的な功績の大きな要因であると言うことに気づかされた。

 

「3、2、1 発射。よし、T-34撃破」

 

 ナナが思いっきり舵を左へ切る。

 やや車体を傾けながらも、しっかりと履帯は地面を踏みしめて90度のターンを成し遂げていた。

 不安はまったくなかった。

 ただカリエの言うとおりにやれば、必ず出来るという安心感があった。

 

「……三十秒後森を抜ける。その後、本部へ連絡。内容は『車両試験完了。エリカの小言は後で聞く』と伝えて」

 

 車内にいた誰かがカリエの言葉に笑った。

 それが合図になったのか、車内にいた皆が皆笑顔で声を漏らしていた。

 ただ一人カリエだけが、「私からしたら笑い事じゃないんだけどね」と困り顔だった。

 

 

04/

 

 

 夏の、少しばかり遅い夕暮れのなか、パンターが車両庫に向かってゆっくりと進んでいく。

 もう車長の指示は入らないだろうと、車内で地形図を眺めていたカリエにナナは声を掛けた。

 

「カリエ先輩」

 

「? どうしたの」

 

 地形図から顔を上げたカリエにナナは言葉を続けた。

 

「今日、何となくわかりました。先輩が指示さえしてくれれば、いえ、先輩が車長である限り私たちは負ける気がしません」

 

 突然の褒め殺しに目をぱちくりとさせるカリエだったが、周囲の乗員たちまでもが「うんうん」と頷いているのを見てますます困惑を深めた。

 

「先輩の声は魔法なんです。先輩の声が私たちに力をくれます。きっとそれは黒森峰にいる皆がそうだと思います。西住隊長も、逸見エリカ副隊長も、他のチームメイトも、みなそうなんです。だから先輩が副隊長でいるかぎり、私たち黒森峰に負けはありません」

 

 それから少し。カリエは虚を突かれたように何も言わなかった。

 けれどもやがてその表情を柔らかく崩すと、後ろからナナの髪の毛をくしゃりと撫でた。

 

「せ、先輩!?」

 

「……ありがとう。なんか胸のつっかえが取れたよ。もしかしたら私、十一連覇のプレッシャーに負けてちょっと怯えていたのかもしれない。見えない何かを怖がって、周りが見えていなかった。こんなにも上手い乗員たちがいるんだ。黒森峰はやっぱり王者だよ」

 

 あわわわ、とテンパったナナが操縦桿の操作を誤った。

 がたん、とパンターの車体が揺れて、慌てて操縦桿を握り直す。

 カリエは突然の衝撃にも動揺せず、静かに乗員たちへ語りかけた。

 

「エリカやみほだけじゃない。黒森峰には君たちがいるんだ。いくら新進気鋭の大洗だってきっと叩き潰してみせる。それが私たち黒森峰女学園だ」

 

 それは決勝戦2日前のやりとりだった。

 後に伝説となる黒森峰女学園 対 大洗女子学園の試合が2日後に迫った夕刻のやりとりだった。

 

 ふと運転席から車長席へ振り返ったナナが見たカリエの表情は、おそらく一生忘れることがないであろう部類のものだった。

 何故なら。

 開けっ放しのキューポラから差し込む夕日に照らされた黄金色の彼女は、黒森峰女学園に勝利をもたらす女神のようだったから。

 

 

05/

 

 

 同日の夜。黒森峰女学園が最後の演習を学園艦で行ってから数時間後。

 仙台沖を一隻のフェリーが航行していた。

 茨城と北海道の苫小牧を結ぶそれは「さんふらわあ」という船名を冠し、中には乗用車やトラックの他に十両にも満たない戦車が積み込まれていた。

 そんなフェリーのデッキの一角にあるソファー席では、難しい顔をした一人の少女が一枚の地形図を相手にペンを走らせている。

 

「いやー、秋山ちゃん。本当に苦労を掛けるね。でも明日も早いんだからそろそろ休もう?」

 

 対面に腰掛けるのは栗色の髪をツインテールに結んだ角谷杏という少女だった。

 走らせていたペンを止めた少女――秋山優花里は難しい顔のまま杏の方へ向き直った。

 

「……ずっと対黒森峰の作戦を考えてはいるんですが、考えれば考えるほど隙がなくて、正直勝機が全く見いだせないんですよ……」

 

 硬い表情から、随分と覇気のない、弱気な声が漏れていた。

 優花里は手元のタブレットを操作して、黒森峰の陣容を杏に示す。

 

「プラウダ高校はフラッグ車を後方で遊ばせる癖と、フラッグ戦でも殲滅戦まがいの戦法を仕掛けてくるという特徴がありましたから、それの裏を突くことでなんとか勝利することが出来ました。黒森峰も去年までならば、正面火力で押しつぶしてくる特性を逆手にとって罠を張ったりすることも可能だったんです。けれども……」

 

 言って、三人の顔写真を見せる。

 

「新西住流ともいうべき、柔軟な用兵を黒森峰に導入した西住みほ選手。そして徹底的に対戦相手のメタを貼り続け、確実に黒森峰へ有利な状況へと戦況を持ち込んでいく逸見カリエ選手。さらにはそんな二人をしっかりとサポートし、卓越した技量とカリスマで切り込み隊長をこなし続ける逸見エリカ選手と隙がなさ過ぎるんです。黒森峰の『足回り』や『機動力』『応用力』という弱点を全て解消しています。さらになんなんですか、この三人は。去年からの公式戦を全て洗いましたが、三人の内誰一人としてここ一年、ただ一度たりとも撃破されたことがないなんて出鱈目にも程があります」

 

 優花里の分析を受けて、杏の表情が引き攣りを見せた。

 

「でもさ、そんな三人だからこそ誰か一人でもやられたら浮き足だったりするんじゃないかな」

 

 杏の言葉に優花里は沈痛な面持ちで首を横に振る。

 

「隊長の西住みほ選手を撃破すればその可能性がありますが、残り二人についてはそれはないと思います。聞けば逸見姉妹の二人はどちらかが撃破されても、戦況に支障をきたさないよう、常に相手のバックアップを引き継げる訓練をこなしているそうです。それにこの三人の車両に配属されている乗員はそれぞれが他の高校に行けばその役割のエースになれるような逸材ばかりです。全員が武部殿や五十鈴殿、冷泉殿のようなものです。正直タイマンを張って敵うような相手ではありません」

 

 そこをなんとかならないかなー、と杏は優花里に縋り付いて見せた。

 優花里もそれを振り払うことは出来ず、ただ漠然と三人の顔写真が並んだデータを静かに見下ろした。

 

「……思えば、私が戦車道をやりたいと思うようになったのは、この人たちのお陰なんですよね」

 

 それがなんたる皮肉なのか、この三人を倒さなければ来年以降の戦車の道は閉ざされる現実が目の前に横たわっている。

 優花里にとっての全ての始まりが、彼女に終焉をもたらそうとする最大の障壁になっていた。

 彼女は杏を身体に張り付かせたまま、ソファーの背もたれに深くもたれ掛かった。

 異変を感じ取った杏が「秋山ちゃん?」と疑問の声をあげるが、敢えて言葉は返さなかった。

 

 彼女の前に積み上げられたのは膨大なコピー用紙の山。

 その一つ一つが大洗女子学園戦車道の軌跡であり、ライバルたちの軌跡だった。

 

 その山をぼんやりと眺めながら、秋山優花里は回想する。

 自分が何故、こんなところにいるのか。

 自分が何故、大洗戦車道チームの隊長として、王者黒森峰に挑もうとしているのか。

 

 全ては昨年の夏休み明けからだった。

 

 

 

 

  

 

 

 


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