月間戦車道ニュース 9月号
『黒森峰、破竹の対外試合七連勝。新体制後 未だ負けなし!』
黒森峰女学園の勢いが止まらない。
国際強化選手に指名された前隊長、西住まほ選手がドイツで行われる強化合宿に参加するため電撃的な引退をしてから一ヶ月。黒森峰は対外試合七連勝という破格の強さを誇っている。
当初は超有力選手の引退が黒森峰の戦力低下に繋がるのではと心配されていたが、全くの杞憂だった。
それどころかまほ選手ですら成し遂げられなかった、新体制下無敗という華々しい成績を残している。
ではその驚異的な強さの秘訣は何なのか。
本号では新隊長の西住みほ選手、新副隊長の逸見エリカ・カリエ選手の活躍とその能力に着目し、黒森峰女学園の黄金時代を分析していこうと思う。
さらに黒森峰の保有車両を本誌独自の視点から……
01/
自分が戦車道というものを何となく意識するようになったのは、小学校の時だったように思う。
四年生の春休み。
ドイツの戦車博物館に親に連れて行って貰った「わたし」は、その重厚な存在の虜になっていた。
たぶん初めての海外旅行ということで浮かれていたというのもあったのだろうが、照明に照らされて静かに鎮座している戦車たちは何とも言えない魅力が確かにあった。テレビで見るような縦横無尽に走り回る戦車も良かったが、こうして役目を終えてただ観客を楽しませる老兵も好きになった。
だからこそ、その年の夏休みの国内旅行で「戦車道博物館」に行きたいと親にねだったのはごく自然な流れだったし、親も親で嫌な顔一つせずにそこへ連れて行ってくれた。
人生初めての九州。火の国熊本。
西住家が出資するその豪華な施設は、幼い「わたし」の目には随分と輝いて見えた。
巨大な車両庫に並べられた戦車たちは歴戦の傷痕が残されたものもあり、「わたし」に戦車道という世界の一端を教えてくれていた。
自分が大好きな戦車を使って競うことのできるスポーツが存在するという事実が嬉しかったし、またワクワクもした。
外からしか見たことのないあの鋼鉄の怪物たちに乗り込めば、どんな景色を見ることが出来るのか夢中で想像を膨らませていた。
あまりにも「わたし」が展示物に釘付けになっているので、やや困り顔を浮かべていた両親は、集合時間だけを告げて二人して施設外の休憩所に赴いていた。
今思えば、降ってわいてきた夫婦の時間というものを大切にしたいという思惑もあったのだろう。
そんなわけで、「わたし」は一人、館内パンフレットを握りしめながらたくさんの戦車の間を練り歩いていた。
西住家の試合で活躍したのであろう、ティーガーⅠやパンター、Ⅳ号戦車に一々感動し、パンフレットの写真と毎回見比べていた。
パネルに記載された説明書きを熱心に読み、撮影許可が下りているスポットでは父親から借りたカメラで数え切れないくらいの写真を撮っていた。
ふと、そのときだったか。
灰色に塗装されたパンターG型の前で視線を感じ、徐に振り返ってみた。
見つけたのは翡翠色の瞳と、きらきらと輝く銀の髪だった。
第一印象は、自分と違って随分と女の子らしい綺麗な子だな、というもの。
身につけている服も、近くのスーパーで購入したTシャツと短パンである「わたし」とは正反対で、随分と上品なお嬢様ぽい、フリルとレースがふんだんにあしらわれた如何にも「女の子」といったものだった。
自分のことを棚に上げておいてなんだが、そんな女の子があまりにも戦車道博物館には合っていなくて思わず声を掛けていた。
「女の子なのに戦車が好きなの?」
確かに戦車道は女子のスポーツではあるが、無類の戦車好きという女子はそれほど多くはない。ましてや九州のくんだりまで来て、戦車道博物館を見学に来る物好き小学生など自分以外にはいないだろうな、という思い込みもあった。
何よりもっと戦車好きの女の子がいれば、自分はたくさんの友達がいたはずだ、という悲しい自負心もあったから。
女の子はじっと翡翠色の瞳をこちらに向けたまま口を開いた。
「……好きじゃないよ。戦車なんて。『俺』はこんなところ来たくなかった」
名前も、顔ですらよく覚えていないその女の子の一言が「わたし」を「わたくし」に変え、その後の「わたくし」の運命を決定づけるなんて当時は思いもよらなかった。
けれども今になって振り返ってみれば、あの日、あの場所で、あの子にあったからこそ、十年近く時が経った今、大洗戦車道を復活させる者として前へ進むことが出来たのかもしれない。
02/
朝になった。
母に起こして貰わずとも、勝手に目が覚めるようになったのは間違いなく戦車道のお陰だと秋山優花里は思う。
彼女はまだ鳴ってすらいない目覚ましのアラームを解除し、薄暗い世界の中、机の上に置かれたノートパソコンを開く。
朝一のメールを確認してみれば、懇意にしている島田流の娘から返信が送られていることに気がついた。
秋山さんへ
頼まれていた戦車道の教本の電子版を送信しました。
あとこれは必要かどうかはわかりませんが、うちにもあったⅣ号戦車のマニュアルを郵送しておきました。
こちらではもう使うことがないものなので、ご自由にご活用下さい。
PS 大洗限定ボコありがとうございました。うちの子たち皆と仲良くなっています。
寝ぼけた頭でお礼のメールを返すのは失礼だと、取り敢えずはノートパソコンを畳み、優花里は部屋を出た。
そして誰もいない廊下を通り抜けて、洗面所に向かう。
夏でも冷たい水で顔を洗ってみれば、若干隈の残った、春よりも痩せた顔がそこにはあった。
「……結構ご飯は食べてるんですけどねぇ。やっぱりもう少し食べなければ戦車道はやっていけないんでしょうか」
03/
八月が終わって九月になった。
夏の空気が燃え尽き、残滓になりかけていた頃。
秋山優花里は緊張に胸を高鳴らせながら、新学期の校舎を歩いていた。
大洗女子学園の、少し古ぼけながらも味のある校舎である。
「はあ、夏休みの間にやれることは全部やりましたが、やっぱり不安なものは不安であります」
運動着に身を包んだ彼女は数冊のファイルを携えていた。
今日のために優花里が用意した秘蔵のファイルだ。
夏休みの間、少しでも大洗の戦車道に貢献できるようにとまとめてきたものだ。
大洗戦車道の実質的なリーダーに指名されてからというもの、彼女の日々は一変していた。
「まさか寝ても覚めても戦車道の事ばかりになるとは。去年までのわたくしなら絶対信じないでしょうね」
彼女の言うとおり、去年までの優花里は戦車道のせの字もない人生だった。
観客として、ファンとして戦車道に関わることはあっても、自身がその世界に飛び込んでいくなど考えられないことだったのだ。
「人生、本当に何があるかわからないものですね」
そう締めくくった彼女は渡り廊下を抜けて、校舎の裏庭に出た。そこには自動車部が活動場所としている巨大なガレージが鎮座している。
鉄骨がところどころむき出しだったが、決して痛んでいるわけではなく、むしろ丁寧に整備されているからこそその状態でも成り立っているように見えた。
「おっ、秋山ちゃん。待ってたよ」
そしてガレージの前では好物の干し芋を咥えながら、一人の女子生徒が立っていた。
大洗女子学園の生徒会長である角谷杏である。
「すいません。遅くなってしまいました。資料のいくつかをコピーし直して、今朝方知り合いから送って貰った教本を生徒会の方々の分まで印刷をしていたらこんな時間に」
「ああ、助かるよ。島田流だっけ? 王者黒森峰の西住流に並ぶ有名な流派なんでしょう?」
「ええ、戦車を活かした集団戦法の長が西住流だとすれば、島田流は究極の個人技を極める流派です。正直素人の大洗が導入するには余りにも難易度が高すぎますが、教えの一端は請うべきでしょう」
言って、その送られてきた教本のコピーを優花里は杏に手渡した。「結構分厚いね」と杏は呟き、ぱらぱらと教本をめくる。
「戦車道のおよそのいろははそれに書いてあります」
「なるほど。では早速これを片手に動かしてみようか」
「ですが、今のところ見つかっている戦車は一両だけ。受講生の人数を考えればまだまだ足りないのでは?」
優花里の言うとおり、大洗のガレージに残されていたのはⅣ号戦車が一両だけだった。
書類上では他にも売却のされていない車両がいくつか残されているはずだが、一見しただけではその姿はどこにもない。
「まあ、それは来週受講生を集めたときに探すとして、取り敢えずはデモンストレーション用にあの戦車を動かしてみたいんだよね。優花里ちゃんは三日後の説明会覚えてる?」
言われて優花里はあらかじめ渡されていた一枚の資料を取り出した。
それは来年からの必修科目選択の用紙で、「戦車道」の項目だけ不自然に大きい、非常に作為的なものだった。
「説明会ではさ、戦車道の特徴や楽しさをできる限り伝えたいんだ。だから動いている戦車というものをできる限り披露したいんだよねー」
ならば、と優花里は杏に言葉を返した。
「でしたら今日はⅣ号戦車の整備を行いたいと思います。さすがにあのボロボロのままでは見栄えも悪いですし、自動車部の人たちにレストアして貰う前に洗車をしておいた方が良いでしょう」
「戦車だけに?」
「駄洒落ではありませんよ!」
あははっ、と杏が笑う中、優花里は「さてはてどうしたものか」と息を吐いた。
戦車のレストアを含めて、やらなければならないことはたくさんある。けれども、てんでずぶの素人集団である自分たちでは何から手を付けていけば良いのかはっきりと整理することが出来ないというジレンマもあった。
まだまだ始動すら出来そうにない大洗戦車道の現実に、吐き出す息も溜息的なものに変化するまで、そう時間は掛からなかった。
04/
新参故に五里霧中を彷徨う学園がある中、王者であるが故にあるべき道を進まねばならない学園もまたあった。
すなわち常勝無敗。
勝ち続けることを周囲から望まれ続け、また自分たちもその期待に応えるべく邁進する実力者集団。
それが全国大会十一連覇を目指す黒森峰女学園だった。
『試合終了! 黒森峰女学園の勝利!』
主審の宣誓が広大な戦車演習場に響き渡る。
ところどころに撃破されたマチルダやクルセイダーが擱座する荒れ地の一角ではもうもうと黒煙が天高く立ち上っていた。
中戦車であるパンターG型と、超重戦車であるティーガーⅡに挟まれたチャーチルが黒煙を吐き出しているのである。
キューポラ脇から伸びるフラッグポールには、被撃破を周囲に知らせる白旗とフラッグ車特有の青い旗がはためいている。
この哀れなイギリス戦車を仕留めたのは、豹(パンター)でも王虎(キングティーガー)でもなかった。丁度マチルダの正面、やや高台になったところからこちらを見下ろしている車両番号217のティーガーⅠだった。
フラッグ車の証である青い旗をはためかせ、黒森峰の虎は己の戦果を静かに見下ろす。
「状況終了です。皆さんお疲れ様でした。相手フラッグ車は沈黙。こちらの被害は撃破2、中破3、大破1です。ミーティングは一時間半後に仮設テントで行います。それまで各自自走できる車両は宿営地に帰還。自走不可車両は回収車の到着を待ってから帰還してください」
無線から聞こえる隊長の声色に、隊員たちはそれぞれ了解の意を返す。副隊長であるカリエとエリカも、挟み込んで動きを封じたマチルダから離れるようにそれぞれ命令を下し、アイコンタクトでティーガーⅠが鎮座する丘陵を登り始めた。
「清水さん、後続のエリカを突き放さないように速度を少し落として。高橋さんはみほ――隊長の車両と常に連絡を取り合って。原さんと堀内さんはちょっと休憩してて良いよ」
自身の車両の乗員たちに指示を飛ばしたカリエは、キューポラから身を乗り出して砲塔の上によじ登った。そしてこちらに目線を寄越しているエリカに話しかける。
「エリカ、そっちの損傷は?」
「……チャーチルをあんたとサンドイッチしたときに、サイドスカートとOVM(車外取付工具)のフックが吹っ飛んでるわね。でも走行に支障はないわ。あんたはどうなの?」
「たぶん大丈夫かな。異音もしないし。ただクルセイダーを跳ね飛ばしたときに、エリカと同じでOVMがどっかいっちゃった。あとで拾いに行かないと」
「それくらい修繕経費で買い直しなさいよ」
ケチくさいことを告げる妹に小言を垂れるエリカだったが、その声色はやや上機嫌な色を含んでいた。
久しぶりの妹との連携が上手くいったからなのか、それとも全国大会の意趣返しをすることができたからなのか、その理由は本人のみぞ知るものである。
「しっかしダージリンさんは相変わらず強いな。まさかあそこからタイマンを張ってくるとは」
言って、砲弾が装甲をえぐり取っていた痕をカリエは撫でた。
鋼鉄と塗料が溶けて特徴的な被弾痕を残しているそこは仄かにまだ暖かい。
もう少し侵入角が深ければ恐らく撃破されていただろう傷痕だった。
長いこと親しんできた気もする、二匹の蛇のパーソナルマークも心なしか煤けていた。
「あんたがあんまり追い詰めすぎるからよ。夏のこと、恨みでももってんのってくらいギリギリと締め上げていたじゃない」
エリカに戦術の嫌らしさを指摘されて、カリエはぽりぽりと頬を掻いた。
「いや、ダージリンさんにはこれくらいしないと通用しないと思うし、実際予想以上の反撃を受けてるから……」
カリエがみほに進言したのは、中戦車部隊を縦横無尽に走らせて、敵車両を各個撃破していく黒森峰らしくない戦法だった。
これまではその火力と装甲に任せて相手を押しつぶしていくことを得意としていた黒森峰だが、ここにきて機動力を活かした新戦術を導入し始めている。
カリエという、最前線で指示を飛ばし続けることの出来る副隊長と、そんなカリエと完璧に連携をこなすことが出来るもう一人の副隊長のエリカがいて初めて成立する戦術だった。もちろんその二人を的確に戦場に配置し、敵方の動き一つ一つに対応した総指示を唱えることの出来るみほの存在も欠かせない。
「動けるパンターとⅣ号で敵車両を燻り出し、ティーガーやエレファントの前に押し出していく。あとは火力の有利を活かして各個撃破。自分以外の車両が全てやられたときのダージリンの顔を見てやりたかったわ」
ふふん、と得意げに笑ってみせるエリカを見てそんなにダージリンのことが嫌いなのか、とカリエは首を傾げた。
まあ、エリカのことだから何処か素直になれない意固地になっている部分があるのだろう、と深く追求まではしなかったが。
「ところで、カリエ。明後日あんたは暇?」
もう少しで宿営地、というところで併走していたエリカがそんなことを聞いてきた。
いつも持ち歩いている小さな手帳を懐から取り出し、スケジュールを確認したカリエは首を縦に一回振った。
「どうしたの?」
「明後日には横須賀へ寄港するから、その時に陸の戦車道ショップに足を運んで備品の注文をしたいのよ。あんたが良ければ付き合ってくれない?」
そう言えばエリカはそんな役回りだったな、とカリエは姉の要望を了承した。
陸には、特段用事があるわけではなかったが、どうせ暇なので付き合ってやっても良いかと思ったのだ。
「なら決まりね。お礼にケーキくらいなら食べさせてあげるわよ」
05/
戦車回収車を待つ傍ら、ダージリンは若干冷めた紅茶が入ったティーカップを傾けていた。
その傍らではノートパソコンを手にしたアッサムが今日の一戦についてデータを纏めており、それが一段落したのか大きな溜息を一つ吐いていた。
「完敗でしたね。最後の突撃は相手の意表くらい突けたでしょうが」
煤のせいで黒くなった頬を拭いながら、ダージリンに言葉を投げかける。
話しかけられたダージリンはカップから口を離した。
「ほろ苦い隊長デビュー戦になってしまったわね。私たちもそれなりに強くなったとはいえ、あちらはさらにその先を行っている。まほさんが引退したから少しくらいは戦力低下してくれるかと思ったのだけれど、見通しが甘かったわ」
振り返れば、黒森峰に踏みつぶされていった自軍車両の亡骸が転がっている。
例え黒森峰が王者だったとしても、その開いた実力差は余りにも大きかった。
「『我々は道をふさいだ岩石、小さな障害物にすぎず、流れを食い止めることはできなかった』」
「誰の言葉です?」
ダージリンの突然の格言にアッサムは疑問を口にしていた。
「ハンス・ウルリッヒ・ルーデルよ。彼はその超人的な功績で知られてはいるけれど、結局ドイツは負けてしまった。大きな流れの前では、個人がどれだけ足掻こうと意味なんてないものなのよ」
ともすれば黒森峰に対する敗北宣言とも取られかねない言葉にアッサムは肝を冷やした。
何処で自分以外が聞き耳を立てているのかわからないのだ。ちょっとした失言が命取りになりかねない聖グロリアーナの政治状況を考えれば当然の不安だった。けれどもダージリンは臆することなく続けた。
「でも、それは個人に限った話。岩でも小石でも、幾多も集まればそれは壁になるわ。ならば我々は融通の利かない一つの岩になるのではなくて、柔軟な大きな壁を目指すべきではなくて? 個々の練度では叶いようがなくても、集団戦法の多様さはこちらに一日の長がある。アッサム、今日の敗北は私たちにとって大きな糧となるわ」
ふっ、とアッサムは安堵の息を吐いた。
やはりこの人物は自分が想像している以上に食えないのだ、とあらためて認識を確かにする。
そして、圧倒的な力を振るっていく黒森峰の三本柱に匹敵するのは間違いなくこの人なのだと確信を深めた。
「それに来年に向けての布石を打っているわ。面白そうな子が二人、粉を掛けているの。一人は新しい私の右腕に――次期グロリアーナを導いてくれるであろう人物。もう一人はその軽快な人柄でグロリアーナに新しい風を吹き込んでくれそうな人物。今から楽しみで仕方が無いわ」
「……もしかして二人目の人物、私が自動車部から引き抜こうとしている子じゃありませんよね?」
しかしながら決して油断してはならない奸計に長けた人柄であることも再認識した。
まさか自分以外にあの娘を狙っていた人間がいるとは、思いも寄らなかったのである。
「さあ? でも、その子にローズヒップの名前を襲名させようとしてOB会と揉めていることくらいなら私の耳にも入っているわよ? アッサム、今のあなたは猫の手でも借りたいのではなくて?」
「ぐっ、あなた何処までそんな……」
痛いところを突かれて言葉を返せないアッサムは、小さくダージリンを睨んだ。
けれども二人の間に険悪な雰囲気はない。
もう随分長いこと聖グロリアーナの魔境を二人で切り開いてきたのだ。今更反目し合うことなどあるわけがなかった。
「アッサム。私たちにはもう来年しか残されていないわ。黒森峰という壁を乗り越えるのはますますあなたの力が必要よ。デビュー戦を被殲滅という華々しい戦果で飾るような隊長でもこれからもよろしくお願いするわ」
「……何を今更。ここグロリアーナであなたに出会ったときから私の考えは変わりません。あなたと共にこのグロリアーナにさらなる栄光を」
「ふふっ。頼もしいわね。ところでアッサム。紅茶は如何かしら。幸い湯沸かし器はまだ使えたみたいだから煎れ直してみたわ」
そうやって、戦車回収車が到着するまでの間。二人は互いにティーカップを傾け合っていた。
全国大会終了後、初の対外試合は完全なる敗北。誰かに誇れるようなものではなかった。
だが、そこで得られたモノがゼロであるということは決してない。
「黒森峰の皆さん。今は王者の立場をあなたたちに譲りましょう。けれど来年、真紅の栄光に輝くのは我々グロリアーナと言うことを肝に銘じておきなさいな」
06/
横須賀。
古くから海軍の要所と知られていた港町では複数の学園艦が寄港していた。
その中に、決して大きいとは言えないがそれでも結構な歴史を有した大洗の学園艦の姿があった。
空母「翔鶴」を模したそれからは、久しぶりの陸と言うことで羽を伸ばさんばかりに、たくさんの生徒たちが上陸を果たしていた。
秋山優花里もその内の一人だ。
「普段なら私用で好き勝手に訪れている戦車道ショップなんですけれども、学園のお遣いとなれば少し緊張しますね」
彼女は今、あらかじめ印刷した地図を片手に陸を踏みしめていた。
港から少し内陸よりに足を向けてみれば、寄港する学園艦相手に商売を繰り広げる商店街を見ることが出来る。
他校の生徒たちが思い思いに出歩いているそこを、彼女は黙々と足を進めていた。
途中、美味しそうなクレープ屋を見つけても、良い匂いが漂ってくるハンバーガーショップを見つけても、誘惑を一人断ち切りながら目的地を目指す。
幾ばくか迷いそうになりながらも、ようやく辿り着いたそこは他店に比べれば客足の少ない戦車道関連の商品を扱う店だった。
軒先に並べられた砲弾のレプリカたちに目を輝かせながら、彼女は店の中へ足を踏み入れる。
「……すいません、昨日電話させていただいた大洗の者です」
取り敢えずは、と手頃な店員を捕まえてあらかじめ連絡を入れていた旨を伝える。
するとあちらも優花里のことを待っていたのか、すぐに店の奥に連れて行かれて複数の書類やカタログを手渡された。
店員は書類の一つ一つにボールペンで注釈を加えながら優花里に応対を始める。
「注文していただいていた戦車道関連の整備用具は明日にでも学園艦の方へ運び込ませて頂きます。ただ訓練用砲弾や、その他いくつかの備品に関してはもう少々お時間を頂きたいと思います。遅くとも今月中には配送されるよう手配しておりますので」
そう、優花里がこうして戦車道ショップを訪れたのは、新生大洗戦車道に必要な備品を買い揃えるためである。
大洗自動車部に戦車等の整備を依頼したところ、専用工具や整備マニュアルなどを取りそろえて欲しいと要求されたためだ。
その出来事を生徒会長である角谷杏に報告してみれば、二つ返事で予算が承認され、「あとは秋山ちゃんが適当に注文しておいて」と丸投げされたのだった。
いくら戦車道に詳しくとも、それに必要な備品にまで頭が回らなかった優花里は、こうしてプロである店側に相談を持ちかけていたのだ。
「Ⅳ号用のシュルツェンは入荷が完了し次第、また連絡させて頂こうと思います。ついこの間までは在庫があったんですが、大口の注文が最近入ってきて全部買い占めていっちゃったんですよ」
そして注文していた部品の一つが完全に在庫切れである旨を知らされた。
特に優先順位が高いという訳ではなかったが、ずぶの素人が安全に戦車道を楽しむため是非とも欲しい装備だっただけに、優花里は少なからず落胆した。
落胆して、その大口の注文を行った集団にふと心当たりがあった。
「……ひょっとして黒森峰ですかね」
Ⅳ号戦車はもともとドイツで運用されていた戦車だ。
そんなドイツの戦車を大量に保有し、しかもその部品を買い占めることが出来るような財力と規模を有する戦車道集団など日本には一つしか存在しない。
店員も顧客情報なので、全てを語ることはなかったが「昔から時折こういった注文が入ってくるんですよ。店としては有り難いんですが、しばらく忙しくなるんですよね」と否定はしなかった。
まさかこんなところで王者と接点が産まれるとは思わなかった優花里は純粋に驚き、同時に弱小故の悲しみというものを味わっていた。
予算も人も遙か高みにいる黒森峰女学園が羨ましいとも思った。
「わかりました。ではそちらは入荷されたら私まで連絡をお願いします。あと、教本関係とスコアブックをいくつか見繕って貰ってもよろしいですか?」
けれども無い袖は振れないし、羨んでいても仕方ないとすぐに思考を切り替える。
決して備品を揃えることが最終目標でないだけに、まだまだやらなければならないことがたくさんあると己を鼓舞する他ないのだ。
07/
ありがとうございましたー、と店員の挨拶を背中に受けながら優花里は店を出た。
備品注文関係の書類と、数冊購入した戦車道関係の本を脇に抱え学園艦の方へ戻ろうと足を進める。
ふとその時、前方から随分とレトロな車両が走ってくるのが見えた。
軍用車両に造詣が深い優花里はそれがすぐにキューベルワーゲンであることを見抜き、さらにそれが黒森峰女学園の保有車両であることに気がついて妙な声を漏らした。
現行車両に比べればやや小ぶりなキューベルワーゲンはオープントップ仕様で、二人の女子生徒が運転席と助手席から降りてくる。
「ねえ、エリカ。さっきのクレープ屋もいきたい」
「こっちの用事を済ませたらね。あとワーゲンの給油もついでに済ませていくから学園用の財布は分けといてよ」
女子生徒たちはそんな優花里には目もくれず、すたすたと戦車道ショップに歩みを進める。
グレーを基調とした制服とスカートは紛うことなく王者黒森峰女学園のそれで、優花里はそんな二人から目が離せなかった。
何より。
戦車道に本格的に携わるようになってから、優花里は数え切れないくらいの関係雑誌に目を通してきていた。
そしてそのほぼ全てで一度は特集が組まれていた人物たちが目の前にいるとなれば、彼女の思考はオーバーヒート寸前となっていた。
「い、逸見姉妹じゃないですか……」
そう。第62回全国戦車道大会において伝説的な連携を披露し、見事黒森峰を十連覇の栄光に導いた立役者たちが眼前に立っていたのである。
とても冷静でいることなんて不可能に近くて、逸見姉妹が店内に消えた後も優花里は「あわあわ」とその場に立ち尽くし続けていた。