ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

36 / 45
(非)日常編⑥ 君が為に鐘は鳴る

 【11日目】

 

 《個室(ヒラナミ)》

 

 誰かの、あるいは俺自身の殺意に怯えながら迎えた朝。

 目を覚ました俺が視界に捉えたのは、机の上に出現していた金色の刀だった。

 

「……なんだこれ」

 

 ゆっくりとベッドから抜け出して、慎重に机に近寄る。日本刀のように見えるその刀は、収まっている鞘から柄まで、見る限りすべてが金色に染まっていた。金箔が使われているようだった。

 どうしてこんなものが、俺の部屋に。

 頭に浮かんだその疑問の答えに思い至るより早く、無意識に刀へと手を伸ばす。が、柄を掴んだその手に違和感を覚えた。

 

「ん……? うわっ!」

 

 とっさに手を離したが、その甲斐もなく俺の手のひらにはベッタリと金箔が張り付いてしまっていた。恐る恐る鞘を指で突けば、その指に金箔が付着する。簡単に取れる様になっているらしい。いたずらに引っかかったようで苛ついた。

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 手にまとわりつく不快感に顔をしかめた途端、奇天烈なチャイムが鳴り響いた。それが示すのは、絶望からのアナウンス。

 瞬間、嫌な想像が脳裏を駆け巡る。

 まさか、また、誰かが。

 

『オマエラ、おはようございます! 施設長のモノクマが朝7時をお知らせします!』

 

 そんな風に身構えた俺の耳に届いたのは、もはや耳馴染みとなった能天気な挨拶だった。

 

『今日も張り切って、一人前目指して頑張りましょう!』

 

 そして、いつもと変わらないお決まりの文言が続く。

 ……良かった。ただの時報だ。そう胸をなでおろした直後だった。

 

『そうそう、オマエラ。ボクからのプレゼント、気に入ってくれた?』

「ん?」

 

 普段ならもう終わるはずの時報が、なぜか更に言葉が続いた。プレゼントというその単語が、目の前に横たわる金色の刀と結びつく。

 

「まさか」

 

 そして思いつく、一つの仮説。

 

『もう気づいてるよね? そう! オマエラに配ったのは、ズバリ【凶器】!』

 

 愉快そうにモノクマは告げる。その言葉は、まさしく俺の思い至った仮説どおりだった。

 

『ボクが腕によりをかけて選んだ個性あふれる【凶器】を、一人に一つずつ、オマエラ全員にお配りいたしました! これが今回の【動機】だよ!』

「今回の【動機】……?」

 

 何を言ってる。【動機】ならもう与えられた。【旧日本】時代の経済崩壊を象徴する百億円札。それが今回の【動機】だったはずだ。

 

『あ、念の為に一応言っておくけど、ボクはあの百億円が【動機】だなんて一言も言ってないからね』

「え?」

 

 俺の心を読むかのように、そう告げるモノクマ。

 ……そうだっけ?

 

『クマの話はちゃんと聞かないと損する事しかないんだぞ! 耳にドリルぶっ刺してボクの言葉をよーく聞くように! 忘れそうならメモを取れ! いいか! オマエラの目の前にあるその【凶器】はなあ、れっきとした今回の【動機】なんだよ!』

 

 そんな俺の困惑をよそに、モノクマは話を続ける。

 

『この少年少女ゼツボウの家にはさ、多種多様な凶器を頑張って用意してるわけ。でも、オマエラときたらすぐに管理だの監視だの、ボクの気持ちを踏みにじるかのように色々やってくれちゃって……。用意しておいた凶器セットも全然活躍しないし。だから、ここで改めてオマエラには【凶器】を配ることにしたんだよ! 厳密に言えば凶器じゃないやつも交ざってるんだけど……ま、そんなのは些細な問題だよね! 一応全部コロシアイに使えるやつだからさ!』

 

 全部コロシアイに使える……それはそうだろう。そうでないものをモノクマが俺達に与える意味などない。これが【動機】だというのなら、尚更。

 

『そんなわけで、それはオマエラの自由にしていいよ。ボクはオマエラの益々の成長とコロシアイを心から願ってるんだから、今度こそボクの気持ちと労力と手間と努力と作業コストと時間と費用を無駄にしないでよね! それじゃ、バイナラ!』

 

 ブツッ!

 

 放送の終了を示す雑音が耳に刺さって、顔をしかめる。

 言いたいことを好き放題言いまくった挙げ句に、モノクマは一方的に放送を打ち切ってしまった。

 

「……【凶器】」

 

 個性あふれる【凶器】、とモノクマは言っていた。つまり、人によって配られた【凶器】は異なり、俺の場合はこの金色の刀がそうなのだろう。

 不安とともに、手に金箔が張り付くのも無視してそれに手を伸ばす。金色の鞘から、金色の刀身が抜き出てくる。

 幸か不幸か、それとも不幸中の幸いと言うべきか。その刀身に沿う刃は鈍く、真剣ではなかった。模造刀というやつだろうか。

 

「…………良かった」

 

 とはいえ、だからといってこれが安全な代物とみなすことはできない。誰かを斬ることが出来なくとも、撲殺、それか刺殺は出来るはずだし、何より他でもないモノクマから【凶器】として配られたものなのだから。

 

 

 

 ──ピンポーン

 

 

 

 誰かの人生を終わらせることが出来る重量をその手に感じていると、個室のチャイムが鳴った。用件は聞かずとも分かる。皆に配られた、この【凶器】のことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

「てめーで最後だ、平並」

 

 金箔を洗い流すのに思った以上に時間がかかってしまい、チャイムから少し遅れて食事スペースにやってくると開口一番に火ノ宮にそう声をかけられた。

 

「悪い」

 

 と、返してから周りを見渡したが、見当たらない人がいる。

 

「根岸と露草は?」

「彼らなら、早々に出ていってしまわれました」

「だろうな」

 

 杉野にはぶっきらぼうに返答する。思った通りだ。きっと、反発する根岸に露草が付いていったのだろう。根岸がそうする気持ちは分かるし、露草が付いているのならひとまず根岸のことは彼女に任せておこう。

 

「ついでに言えば、大天さんは個室です。当然呼びかけはしましたが、一度顔を出して強く反発されてしまいました」

「……ああ、それも何となく分かってた」

 

 根岸達以外にも、大天の姿も見当たらない。『中途半端に関わるのはやめた』と昨晩彼女は言っていた。この場に彼女がいない事も、ある種当然だ。

 対して、岩国はこの食事スペースにやってきている。彼女が俺達のことを未だに信用できない相手だと思っているのかはともかくとして、新たに提示された【動機】についての話し合いに参加する意義を見出したことは間違いなさそうだ。

 

「平並。さっきの放送は聞いてたよなァ」

 

 無言でうなずきを返す。

 

「そんなら話は早ェ」

 

 反応を見るに、他の皆も放送は聞いていたようだ。

 

「【凶器】の配布、ときましたか。確かに、疑心暗鬼になっている状態の僕達に殺人を連想させるものを見せれば、より僕達の殺意を煽ることが出来ます。そっと背中を押すような、実にいやらしい【動機】です」

 

 そう言いながら、杉野はカチャリと何かを机に置く。禍々しく歪んだ、銀色にきらめくハサミだった。

 

「それがお前に配られた【凶器】なのか?」

「はい。通常のハサミよりも鋭く先が尖っています。おそらくは刺殺用として配布された【凶器】でしょう」

 

 そう告げる杉野の声にはモノクマへの怒りが込められていた。その演技の上手さが、相変わらず腹立たしい。

 

「とは言え、このハサミはちょっとした曰く付きだそうですが」

「曰く付き?」

「ええ。僕も、先程明日川さんに教えられて知ったことなんですが。平並君は、『ジェノサイダー翔』という名前に聞き覚えは?」

「……いや」

 

 そんな名前、初めて聞いた。集団殺害者(ジェノサイダー)だなんて、やけに物騒な名前だ。

 

「明日川さん曰く、その名を語って殺戮を繰り返した殺人鬼がかつての日本に存在したのだそうです。【絶望全盛期】を目前にした頃だったそうですが」

「殺人鬼……」

「それも、殺した相手を磔にして、血で『チミドロフィーバー』等と言う文字を書き残すような猟奇的な殺人鬼だったようです」

「そして、そのジェノサイダー翔(殺戮者)が凶器としてこよなく愛したのが、特製(オリジナル)の銀鋏だったんだ。犯行(本文)はおろか、被害者を磔にする際にもそれが使われていた」

「それが、その杉野に配られたハサミだって言うのか?」

厳密に(辞書的に)言えば、その模造品(写本)だろうね。形こそ本物(原作)に酷似しているが、そもそも半世紀も前の代物だ。もしも本物(オリジナル)ならばこうも輝いていようはずもない。おそらくは、後世の狂信者(フォロワー)が模倣して作成(執筆)したものだろう」

 

 彼女の説明を聞いて、改めて杉野に配られたというハサミを見る。なぜそんな昔の殺人鬼に関連する品をモノクマが用意したのかはわからないが、もしかすると、そのジェノサイダー翔とモノクマの間には浅からぬ縁があるのかもしれない。なんせ、モノクマという存在自体が50年前の【絶望全盛期】に生まれたものなのだから。

 もしくは、悪辣な本性を隠し持つ杉野にそんな殺人鬼が愛用したハサミを与えることが、モノクマからの嫌味の可能性がある。俺達を常に監視し、記憶を奪うことさえ出来るモノクマが杉野の正体を知らぬはずはないからだ。そうなると、その嫌味は神経の図太い杉野本人でなく、その正体を知る俺や七原に充てられたものかもしれない。そうでなければ、単純な連想ゲームの結果か。

 ともかく、やはり俺達に配られた【凶器】は人それぞれに異なるらしい。

 

「っていうか、アタシ達に配られた凶器が【動機】だって言うんなら、これはなんだったわけ?」

 

 そんな言葉と共に東雲がヒラヒラと揺らすのは、昨日モノクマに手渡されたあの百億円札。

 

「モノクマは、百億円札が【動機】だなんて言ってない……ってさっきの放送で言ってたよな」

 

 そう告げて、それが正しいかどうか確認できる人物、明日川に目線を飛ばす。

 目をつぶって頭に手を当てて、自分の記憶を読み返す彼女は、数秒後に結論を出す。

 

「……確かに、匂わすような台詞こそ並んでいたもの、あの百億円札(超高額銀行券)が【動機】であると断言する台詞は無かったな。あくまでもあれはここまで(本章まで)生き抜いた特別ボーナスとしか説明されていない。どうにも、そうと勘違いさせるような台詞回しであったことは間違いないが」

 

 つまるところ、モノクマの放送通りだったということらしい。

 

「だったら、これってホントにただのボーナスだってこと? でも、ジュース飲めるくらいの価値しかないんでしょ? どのみち外に出なきゃ使えないけど」

「オレ達の命にはそれっぽっちの価値しかねェとでも言いてェんだろ」

 

 火ノ宮の出したそんな答えに、はっと息を飲む。

 

「いつもの嫌味と一緒だ。……そりゃ、俺達は自分達のために古池達を殺して今日まで生き延びてる。そういう意味じゃァ、オレ達の命に大した価値なんざねェだろうけどよ」

「……火ノ宮君。それは違うよ、きっと」

「んだよ、七原」

「古池君達を殺したのはモノクマだよ。悪いのはモノクマだって、前にも言ったはずだけど」

 

 臆することなく、まっすぐに彼女は火ノ宮を見つめてそう告げた。不安げな表情をした城咲もそれに続く。

 

「七原さんのおっしゃる通りです。それに、いのちの価値なんて、みんなびょうどうなものなのではありませんか?」

「というかそもそも、命の価値なんて考えること自体間違ってると思うけど」

「……チッ。ンな事くれェ分かってる。……悪ィ、眠くて気が立ってるみてェだ」

 

 バツが悪そうに目をそらしながら、火ノ宮はガシガシと頭を掻く。火ノ宮は夜通し宿泊棟の見張りをしていた。この話し合いが終わったらもう寝かせたほうがいい。過度の眠気は精神を消耗させるだけだ。

 

「とにかく、百億円札の件は考えてもしょうがありません。今考えるべきは、僕達に配られた【凶器】の対処です」

「……あァ。そうだな。で、どうするかだけどよ」

「ねえ、【凶器】を公開しない?」

 

 火ノ宮の言葉を奪うようにして、東雲がそんな提案をした。

 

「皆で、配られた【凶器】を見せ合うのよ」

「…………」

「ん、何よ」

 

 口を開けたまま、ぽかんと彼女に目を向ける火ノ宮。

 

「アタシ、妙なこと言ったかしら?」

「いえ、正直僕もその提案をしようと思っていましたから、それ自体は妙ではないのですが……」

「てめーがそれを言い出すことが妙だろ。てめーは学級裁判を待ち望んでるはずだ。なんでそのための【動機】をみすみす潰すような提案をするんだ」

「別に大した理由なんかないわよ。モノクマがアタシ達に何を配ったのかが気になるし、隠し持ってたってどうせ裁判になったら見せ合うんだから意味ないじゃない。だったら最初から見せ合っちゃったほうがこっちとしてもやりようがあるわ」

 

 やりようってなんだよ、とは思いつつ、だからといってその提案を断る意味もない。

 

「……まァいい。てめーに言われなくても【凶器】の公開はする。ひとまず、全員ここに持ってきやがれ。【凶器】って一口に言っても、殺し方なんて山ほどある。まずは何が配られたのか把握すべきだ。そうだろ?」

「ああ」

 

 モノクマは、配られた【凶器】は俺達の自由にしていいと言った。自分の気持ちも考えろだなんて事も言っていたが、そんなのは無視して公開でも管理でもやってしまえばいい。やることはこれまでと何も変わらない。

 他の皆もそれに同意する。……と思っていたが。

 

「俺は断る」

 

 一人、異を唱えた人物がいた。岩国だ。

 

「……なぜです? 配られた【凶器】が何であるかの情報を共有することは、全員にとってメリットでしかないと思いますが。【凶器】の情報を得ることができれば存在しない【凶器】に怯える必要はありませんし」

「そんなもの、化学者や運び屋達がいない時点で不完全だろ。俺達が【凶器】を見せあったところで、見せないやつがいる時点ですべての【凶器】の把握はできない」

 

 あっさりと反論する岩国。杉野に言葉を続けるのは癪だが、俺も岩国を説得するために口を開く。

 

「だが、【凶器】を公開すれば自分への疑いは消せる。変な言いがかりをつけられたくないって前に言ってたじゃないか」

「こっちにも事情があるんだ」

「事情だァ? どんな事情だよ。言ってみやがれ」

「【凶器】を公開できない事情だ」

「説明になってねェぞ!」

 

 火ノ宮の怒号を無視して、岩国は立ち上がる。

 

「おい、待ちやがれ!」

「火ノ宮君。無理に追っても逆効果ですよ」

「……チッ!」

 

 頭に血を上らせた彼を杉野が止める間に、岩国はすたすたと歩いて宿泊棟へ戻ってしまった。

 【凶器】を公開できない事情……? なんにしたって、【凶器】を隠し持つことに対外的なメリットはない。さっき東雲が言ったように、もしそれを使って殺人を犯したとしても、学級裁判でどうせ強制的に明かされる。岩国はそれを理解した上で【凶器】を明かせないと言った。理由は何だろうか。彼女に配られた【凶器】に何か問題があるのか、それとも彼女自身の問題か。それの答えに至ることは出来ない。

 ……と、そこまで考えてはたと気づく。【凶器】を公開しないメリットがないのであれば、配布された【凶器】で殺人を犯すことのメリットもない。クロ以外の全員が【凶器】を明かしてしまえば、消去法でクロが確定する。最初から配られていた『凶器セット』と同じ理屈だ。

 ならば、この【凶器】に意味はあるのか?

 

「協力していただけない方は仕方ありません。ここにいる僕達だけでも【凶器】を見せ合うことにしましょう。よろしいですね?」

 

 俺の思考は、その悔しさを纏った杉野の声に打ち切られる。どちらにせよ、【凶器】の公開に意味があるのならそれをしない手はない。杉野の他にも城咲や火ノ宮は【凶器】をすでに食事スペースに持ってきていたらしく、彼ら以外は一度個室から【凶器】を取ってくることになった。

 

「平並君」

 

 俺もあの金色の刀を取ってこようと立ち上がったあたりで、七原に声をかけられた。

 

「七原……」

「…………」

 

 一瞬、沈黙が交錯する。

 

「昨日は、悪かった。ごめん」

「どうして平並君が謝るの? こっちこそ、ごめんね。嫌な思いさせちゃって」

「……それこそ、お前が謝るようなことじゃないだろ」

 

 水掛け論になる。どうも譲る気はないらしい。彼女は俺を心配してくれただけで、それを俺が払い除けたのだからどう考えたって悪いのは俺なのに。

 

「お前が気に病むことなんかない。本当に悪かった。……ところで七原、お前は【凶器】を持って来たか?」

 

 このまま言い合っても仕方がない。最低限言いたいことを伝えて、話を切り替える。こっちの話もしなければならない。

 

「ううん。だから取ってこないと行けないんだけど……」

「……そうか」

 

 七原が残るなら問題はなかったが、そうでないなら問題が生まれる。

 さり気なく、目を滑らせて杉野に目を向ける。【言霊遣いの魔女】である杉野を、出来る限り動き回らせるような真似はしたくない。急いで取ってくるしかないか。

 と、俺の視線を追ってその意図に気づいたらしい七原が口を開く。

 

「あ、私もそのことでちょっと提案があって」

「ん?」

「謝りたかったってのも本当なんだけど、こっちも本題なんだ。私、ちょっと城咲さんとお話したい事があるから、平並君は先に取ってきてよ」

 

 言外に、俺が食事スペースを離れる間は自分が残る、と彼女は告げた。願ってもない提案だ。七原にあの悪魔を関わらせたくはないが、同じ空間で見張るだけなら何も起きないだろう。ましてや、彼女は幸運なのだし。

 

「じゃあ、急いで取ってくる。できるだけ、城咲との話が終わる前に」

「うん、わかった」

 

 そんな会話を交わして食事スペースを出る。横目で捉えた杉野は、特に誰と言葉を交わすでもなく銀色のハサミを弄んでいた。

 

 早歩きで個室まで向かい、金色の刀を手にとってから食事スペースまでまた早足で戻る。その俺の姿を捉えて、七原は城咲との会話を切り上げる。

 

「もう取ってきたんだ。それが平並君に配られた【凶器】なの?」

「ああ。……アイツは?」

 

 声のボリュームを下げて尋ねる。

 

「……特に何も。火ノ宮君とは話してたけど、相槌打ってただけだったよ。それに、さっき食事スペースに集合するときも見てたけど、変なことは言ってなかった」

 

 俺と同じように小さな声で、質問の答えを返してくれた。

 

「そう、か。ありがとう。七原も取ってきてくれ」

「うん。……あ、そうだ」

「ん?」

「【凶器】を取ってくるついでにさ、もう一度大天さんに声をかけてみる。他の皆にどんな【凶器】が配られたのかを知らないのってやっぱり良くないし、今の大天さんを一人にしたくないし。今朝は一度断られちゃったみたいだけど、声をかけるのが私なら、もしかしたら出てきてくれるかもしれないしさ」

「……わかった。無理はするなよ」

「うん。分かってる。だから、戻ってくるのが遅くなるかもしれないけど……」

「なら後で俺から皆に伝えておく。誰も責めたりしないだろ」

「ごめん、お願い」

 

 そう告げて、七原は食事スペースを後にした。

 残された俺は、そのまま杉野の隣に腰を下ろす。

 

「仲良さそうに話されてましたね。何の話をされてたんです?」

「……さあな」

 

 杉野と仲良く話す義理なんかないし、話すこともない。適当に言葉を返してやり過ごす。

 そうこうしているうちに、パラパラと皆も食事スペースへ戻ってくる。

 

「もう全員揃っ……て、ないわね。あとは七原?」

「そうみてェだな」

「何やってんのかしらね。取りに行くだけでしょうに」

 

 と、東雲が文句を垂れたので、七原の遅れる理由を伝えた。それを聞いた彼女は、

 

「あらそう。ほっときゃいいのによくやるわね」

 

 なんて、どうでも良さげな返事を返した。実際のところ、他人が引きこもってようがどうでもいいのだろう。

 

「そうだ、ずっと聞きそびれてたけど、結局皆何年生なの? 希望ヶ空に入るなら全員同じ一年生になるはずだけど、それまでは皆普通に学校に通ってたんでしょ?」

 

 そういえば、そんな話をこの前の学級裁判の時にしたな。確か、東雲が一年後輩の二年生だって事は聞いたはずだ。

 

「普通に、と言われると仕事で休むことが多かった僕は否定したくなってしまいますが……まあそれはともかく、僕は三年生です」

「オレも三年だ。平並も確か三年だったよなァ」

「ああ」

 

 そんな会話を聞いて。

 

「……先輩だったのか」

 

 スコットがそんな呟きを漏らす。

 

「え? ってことは、お前は三年じゃなかったのか?」

「オレは二年だ。……です」

 

 慌てて丁寧語を付け足すスコット。この中で一番背が高いのに。

 

「今更敬語なんかつけてんじゃねェ。年上を敬うのは当然だけどよォ、希望ヶ空じゃオレ達は同級生なんだ」

「それに、俺達は一緒にモノクマに立ち向かう仲間だ。上も下もないだろ」

「……わかった」

「じゃあ、アンタって同い年だったのね。他に同い年っているのかしら」

 

 そう言いながら見渡す東雲だったが、特に反応する人物はいない。

 

「あら、いないのね」

「キミの期待に応えられず残念だが、ボクが仁科高校という学校(書架)在籍していた(格納されていた)のは二年半……つまりボクは第三学年だ。同い年(同じ刊行年)なのは平並君達ということになるな」

「アンタ、日に日に言い回しがめんどくさくなってない?」

 

 初めて会ったときからこれくらい面倒臭かった気がする。

 

「わたしは、もともといた学校でもおなじ一年生でした」

 

 城咲は一年生でスカウトされたってことか。さすがは十神財閥のメイド、といったところだろうか。

 

「ああ、それは何となく分かるわ。アンタ背、低いし」

「…………」

 

 あ、わかりやすくムッとした表情になった。

 

「たしかに今のわたしはみなさんの中で一番背はひくいのですけど、これでもものくまにうばわれたという二年間でいちおう背はのびてるんですよ。それに、わたしはみなさんとくらべて生まれるのが遅かったのですから、つまりこれからまさにせいちょうきを迎えるはずなんです」

 

 と思ったら一気に喋りだした。大浴場で大天に子供みたいな身長と言われた時もショックを受けていたようだったし、彼女にとって身長の話はタブーのようだ。

 

「……二年間経ってるのが本当なら、成長期はとっくに過ぎてるんじゃないの?」

「うっ……」

 

 だと言うのに、更に余計な一言を付け加える東雲。

 

「シノノメ、ちょっと黙ってろ」

「アタシ、間違ったこと言ってないわよ。今回は特に」

 

 東雲は不服そうな顔でスコットをジトリと睨む。確かに今の言葉は正論ではあったが、言っても城咲が傷つくだけだだった。

 そうやって、城咲を慰めたり東雲を諌めたりするうちに時間は流れ、七原が黒い何かを携えて戻ってきた。あれが、七原に配られた【凶器】か?

 

「あ、七原。アンタって何年生?」

「…………え?」

 

 帰ってきた彼女に、東雲が前置きもなしに尋ねる。彼女は少し遅れてから反応した。

 

「えっと……三年生だけど……あ、その話をしてたの?」

「ええ。七原さんが戻るまでの時間つぶしとして」

「……そっか。待たせてごめん」

「いえ。それで、大天さんのことですが……だめだったようですね」

 

 と、杉野がぼやいたのは、七原が一人で戻ってきた様子を見たからだった。それに、どうも気落ち気味で何か思い悩んでいる様に見える。大天を連れてくる事は今回ばかりは出来なかったから、落ち込んでいるのかもしれない。

 

「うん……」

 

 無念そうに目線を下げる七原。

 

「……事情が事情だ。仕方ない」

「…………うん、大丈夫。ありがとう」

 

 俺の慰めにそう殊勝に返してはくれた。いつものように明るい声ではあったが、どこか覇気が感じられない事が、彼女の心中を表しているだろう。

 

「さて、皆さん揃いましたし、各自配られた【凶器】の説明をしていきましょうか」

 

 そんな杉野の声を背景に、七原が腰をおろす。そして、すでに説明を終えた杉野は飛ばして、その隣にいた俺から説明をすることになった。

 俺の目の前に置かれた金色の刀に視線が集まる。それがどんなものであるか、皆が何を想像しているかは口に出さずとも伝わってくるが、この刀はそうではなくただの模造刀であることを伝えた。

 

「ん、じゃあ、それって本物じゃないってこと?」

「そうだ」

 

 と返事を返しながら刀身を鞘から抜く。

 

「……本当にそうみたいね。日本刀なんて初めて見るからワクワクしてたのに」

「つっても、斬る能力がねェだけで【凶器】としての性能は十分だ。そうだろ」

「ああ。殴れば致命傷になり得る傷をつけられるからな。あと、見ての通りこの模造刀は金箔が貼られているんだが、すぐに剥がれるようになっている」

 

 そう告げながら、金色に汚れてしまった手を見せる。

 

「妙ですね。【凶器】を配るのであれば、そんな欠点など無い方がいいはずですが。何か理由でもあるのでしょうか」

「さあな」

「……ッ」

 

 瞬間、明日川が眉をひそめたのが視界に入った。

 

「どうした?」

「……いや……その刀に、見覚えがあるような気がしただけだ」

「きが、ということは、じっさいに見たことがあるわけではないのですか?」

「……ああ」

 

 見覚えがある、という現象は誰の身にも起こることだろうが、完全記憶能力を持つ明日川に限っては少し事情が異なる。

 

「どこかのページでみたような気がしたのだが……錯覚だったようだ。ボクの物語の中に、その金色の刀は登場しない」

「……それって、モノクマに消された記憶の話なんじゃないの?」

「え?」

 

 不安げな明日川に、七原がふと思いついたように語りかけた。

 

「それって、既視感(デジャヴ)ってやつだと思うけど……この刀が明日川さんの記憶に引っかかったんだったら、もしかしたら、本当にあったことなのかも」

「……確かに、可能性はありますが」

「だから、二年間の記憶か……それか、明日川さんの記憶なら、50年前に起きたって言うコロシアイに何か関係してるのかも」

 

 明日川だからこそ、そんな推測が成り立つ。ただの気のせい、で片付けるのは危険な気もする。

 しかし。

 

「まあ、だからなんだ、って話なんだけど……」

 

 そう彼女自身が語る通り、その推測が正しいかどうかを判断する(すべ)はないし、正しかったところで進展もない。せいぜい、モノクマが50年前のコロシアイを模倣しているという事実がより強固に保証されるだけだ。

 

「まあ、意見が出るのは良いことだろ。とりあえず、俺の説明はもう終わりだ。次は七原か」

「あ、うん」

 

 と、返事をした七原が手に持っていたのは、真っ黒なフルフェイスヘルメットだった。

 

「鈍器……というよりは、顔を隠すためでしょうかね」

「多分そうだと思う」

 

 厳密には凶器と言えないものもある、とモノクマは言っていた。七原に配られたヘルメットが、それに当たるのだろう。被ってしまえば、顔を見られるリスクを減らすことができる。『万一』をためらう必要がなくなり、より殺人に踏み込みやすくなる……という寸法なのだろう。

 

「……ま、殺傷能力はねェが、警戒は必要な代物かもな」

 

 火ノ宮がそんな結論を出して、次に移る。

 

「じゃあ次はアタシね。アタシに配られた【凶器】はこれよ」

 

 そう告げながら、東雲は小指ほどの透明な瓶をテーブルにのせた。中に入った液体も透き通っている。

 

「あァ? んだそりゃ」

「青酸カリよ」

「なっ……!」

 

 言葉をためることもなく、彼女はあっさりと劇薬の名を告げた。

 

「青酸カリって、ミステリだと定番の毒薬でしょ? だからモノクマもこうして用意したんでしょうね」

 

 東雲の意見も一理ある。金色の刀やハサミに比べれば、【凶器】としてよっぽど自然だ。

 そんな風に彼女の【凶器】に納得して、次に行こうとした時だった。

 

「……東雲君。一行だけ、質問を投げ掛けてもいいだろうか?」

 

 明日川が、不穏な表情でそんな台詞を口にした。

 

「ん、別にいいけど」

「キミは、なぜそれが青酸カリだと気づいたんだ?」

「え?」

「見たところ、化学室の薬品とは違ってそのビンにはラベル(装丁)がなく、薬品名(タイトル)分からなかった(読めなかった)はずだ。モノクマ(白黒の絶望)から【凶器】に関しての個別の説明(注釈)があるならそもそもラベル(表紙)をつけただろうし、キミはなぜそのビンに封じ込められた液体が青酸カリだと断言できたのか、気になったんだ。……ふ、もう一行分ではとっくに収まらないな」

 

 思いの外伸びた台詞の長さに自嘲する明日川。その台詞に刻まれた疑問の答えを求めて、東雲に視線が集まる。渦中の彼女は、青酸カリの入ったビンを手に取り、弄んでいる。

 

「おいシノノメ。オマエ、今時間稼ぎしてないか?」

「そんなんじゃないわよ」

 

 スコットの疑問に答えると共にビンをテーブルに戻す。そして、明日川に投げられた質問の答えを語りだした。

 

「匂いよ、()()

「匂い?」

「そ。青酸カリと言えばさ、特徴的な匂いが有名じゃない」

 

 それって……。

 

「アーモンド臭よ。アタシは別に毒とかミステリとかには詳しくないけど、青酸カリがアーモンドの匂いがするって事くらいは知ってるわ」

 

 確かに、青酸カリと言えばアーモンド臭、というのはかなり有名な連想だろう。何の作品がきっかけなのかは知らないが、大抵の人は耳にしたことがあるはずだ。

 

「このビンを見つけたときに、見るからに怪しいしすぐに毒だとわかったわ。けど、何の毒かまでは分からなかったから、試しに匂いを嗅いでみる事にしたのよ」

「何かもわかんねェ薬を嗅ぐんじゃねェ」

「別に良いじゃない」

「つまり、ナッツの匂いがしたから、それが青酸カリだと気づいたと。そういう解釈で問題ないか?」

「ええそうよ。どう? これで満足?」

 

 堂々と言葉を綴る東雲。

 ……だが、その内容は見過ごせるような物じゃなかった。

 

「やはりボクの思った(独白した)通りだ」

「……何がよ」

「端的に言おう(語ろう)、東雲君。キミの台詞は虚構だ」

 

 明日川も、その不備に気付いたようだ。

 

「嘘ってこと? 何を根拠に」

「青酸カリはナッツの香りを放っていないからだ」

「……なんですって?」

 

 そう、それこそが東雲の語った説明の不備。

 

「青酸カリはアーモンド臭を放っている、という話はよく耳にするが、キミはこの『アーモンド臭』という単語に騙され誤解している。青酸カリの服毒によって発生するアーモンド臭は、ナッツの匂いではなく、()()()()()()()()()()()()()()だ」

「……!」

 

 ハッと、彼女は息を飲んだ。

 昔、ミステリ小説を書こうとした時に、そういう話を知った。大体、青酸カリといえばアーモンド臭なんて連想もかなり古くからある論説で、最近の小説で青酸カリに触れるならこの解説も大抵入っている。あまり小説を読まないらしい東雲は知らなかったようだが。

 明日川はさらに台詞を伸ばす。

 

「そもそも、青酸カリ……物質名はシアン化カリウムという名前(章題)を冠しているが、それ単体ではアーモンド臭は発していない。青酸カリはそれを服薬した人物(キャラクター)の体内で、胃酸と反応して青酸ガスへと変化する(書き変わる)。この青酸ガスが放つ匂いこそが、俗にアーモンド臭と呼ばれる匂いなんだ。この場に【超高校級の化学者】である根岸君がいれば、より詳細な説明を聞けた(読めた)のだろうけどね」

「…………」

「更に台詞を加えると、もし仮に君がナッツの匂いでなく本当にアーモンドの花の匂いを感じ取ったとしたら、キミはきっと死んでしまっているだろう(物語を終えているだろう)。それは青酸ガスを吸い込んだに違いないのだから。さて、何か反論(校正)はあるかい?」

「……無いわよ。あー、こんなあっさりバレるなんてね」

 

 残念そうに、それでも少し愉快さを残した表情で東雲は告げた。

 

「では、本当に嘘をついていたんですね」

「ええ。これは毒じゃなくて、海で使う目薬よ。まあ、飲んで良い物じゃないでしょうけど、死ぬほどのものじゃないわ」

「てめー……どォして嘘つきやがったァ!」

「どうしてって、ここで【凶器】を誤魔化せれば、一人だけ誰も知らない【凶器】を隠し持てるでしょ?」

「なっ……」

「東雲さん……まさか、そのさくせんのために、【きょうき】を見せあうことをていあんしたのですか?」

「当たり前じゃない。でも、ま、安心してよ。次に解放されるエリアに海があるっていうし、わざわざこんなタイミングで事件を起こす気なんて無いわ。それに、今はまだ謎を解く方をやってたいしね」

 

 ……安心しろ、などと言われても、『今はまだ』という言葉の裏にはいずれは事件を起こすつもりだという意図が隠されている。その気になりさえなれば、いつだって彼女は事件を起こすだろう。自分がただ、学級裁判を楽しむためだけに。今すぐに事件を起こす可能性は低いと思っているが、そういう意味だと危険性はある。今だって、【凶器】を隠し持とうとしたわけだし。

 

「で、お前の本当の【凶器】は何だったんだよ」

「ん? ああ、これよ」

 

 そう尋ねると、東雲はポケットから細長い球状の何かを取り出した。

 ……は!?

 

「それ! 手榴弾じゃないか!」

「そうみたいね。実物は初めて見たわ」

 

 どうしてそんな冷静にしていられるんだ! 爆弾だぞ!

 

「別に焦んなくても何もしないわよ。危険物だってのも十分わかってるつもりよ」

 

 その言葉とともに、東雲は手榴弾をそっと机に置く。こんな危ないものをこっそり隠し持とうとしていたのか、と戦慄が食事スペースを走る。

 

「……そういえば、アスガワ」

「ん、どうした(何か補足か)? スコット君」

「オマエ、よくシノノメがウソついてるって気づいたな。最初に質問したときにはもう確信があったみたいだが」

「ああ、それは俺も気になった」

 

 明日川が東雲に質問を投げかけた時点では、まだ東雲に失言はなかった。しかし、あの時明日川が不穏な表情をしていたのは、東雲の嘘を見抜いていたからだろうし。

 

「大した理由はないさ。ボクが(虚構)を見抜くのに長けているわけでも、彼女の台詞に白々しさを覚えたわけでもない」

 

 そんな台詞とともに、ポケットに手を差し込む。そして、彼女は茶色いビンを取り出した。

 

「簡単な話さ。ボクの元に配られた【凶器】こそが、青酸カリだったというわけだ」

 

 明日川が軽く振るビンの中で粉末が踊る。そのビンに貼られたラベルに明朝体で書かれていたのは、紛れもなく『青酸カリ』。

 

「……ついてないわね」

 

 東雲はハア、とため息をついた。

 

 結局、騒ぎがあったのはこの東雲の一件だけで、その後は順調に【凶器】の見せ合いは続いた。スコットはダンベル、城咲は鉄串。そして、火ノ宮は、

 

「カギ?」

「あァ。サウナのカギだ」

 

 キラリと光る銅色のカギを見せた。サウナのカギであることを示すタグも付いている。言われて、大浴場のサウナに鍵穴が付いていた事を思い出した。

 

「オレは部屋にいなかったからなァ、直接手渡してきやがった。さっき食事スペースに来る前に大浴場のサウナで使える事を確認してる。男子の方だけだけどなァ」

「ふーん。なるほど、あのサウナ自体が凶器になるのね」

「……チッ。あァ」

 

 サウナ自体は、中に入っても即死するようなものじゃない。ただ、中にいる状態で外からカギをかけられてしまえば、建物やカギの破壊を禁ずる規則と相まって、サウナの中に閉じ込められてしまう。そうなれば、いずれ訪れる死は避けられないはずだ。何死になるかまではわからないが。脱水死か?

 

「あのサウナは女子側にもあったんだったか?」

「うん。火ノ宮君の持ってるカギにはサウナって書いてあるだけだし、もしかしらた男女兼用なのかも」

 

 どちらにせよ、こうして公開してしまえばそもそもサウナに入ろうとは思わなくなる。【凶器】として意義はなくなるが、ずっとサウナが使えなくなるのはあまり良くない。……いや、そんなサウナに入れない事が辛くなるほどこんなところに長居するつもりはないが。

 

「ともかく、これで僕達の【凶器】は全員公開しましたかね」

「あァ。どれもこの施設の中にはなかったモンだ。城咲の鉄串も、似たようなモンはあっても微妙に異なってる。全部モノクマから配られた【凶器】に違いねェだろォよ」

 

 その火ノ宮の意見に反論は上がらない。

 ひとまず、ここに集まった8つの【凶器】に関しては、全て火ノ宮が預かることになった。もう公開された【凶器】の所在さえはっきりさせてしまえば、少なくともそれで事件が起きる可能性はかなり減少する。それが、他にも危険物を管理する火ノ宮の元に集まったのであれば、よりその意識はしやすい。

 男子で分担して【凶器】を個室に運び入れると、

 

「……じゃァ、もう寝る」

 

 と、静かに火ノ宮が告げる。

 

「あ、最後にちょっといいか」

「……あァん?」

 

 その彼を呼び止めると、不快そうな声が返ってくる。眠気が限界なのだ。手短に終わらせよう。

 

「お前、昨日の夜宿泊棟を見張ってたよな。何もなかったか?」

「モノクマが【凶器】を配ってたこと以外は何もねェよ」

 

 そう彼はぼやく。火ノ宮はモノクマに直接手渡されたと言っていたな。その時に嫌味でも言われたのだろう。火ノ宮は顔をしかめていた。

 何も無いなら良かった、と話を切り上げようとした時、

 

「杉野ともロクな話はしてねェしな」

 

 彼はそんな言葉を続けた。

 

「杉野? コイツと会ったのか!?」

 

 予想だにしないその名前の登場に声が荒ぶる。その声に火ノ宮は更に顔をしかめた。

 

「てめーが部屋に戻って少ししたくれェにコイツも部屋から出てきたから少し話しただけだ」

 

 その言葉とともに、火ノ宮は俺の側に立つ杉野を指差す。

 

「何を話した!」

「別に大したことは話してねェ。何興奮してやがる」

 

 怪訝な目で睨まれて、更に質問を投げかけることは出来なかった。

 

「話すことねェならもォ寝させてもらう」

「あ、ああ……」

 

 そして重い足取りのまま、火ノ宮は個室へ消えていった。……ゆっくり休んでくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《図書館》

 

 【凶器】の処理が終わると杉野は【体験エリア】の図書館へ向かっていったので、俺もそれに着いていった。朝食は食べていない。とても何かを口に入れる気分じゃなかった。

 図書館に着いてすぐ、杉野は雑誌を何冊か抜き出してソファーに腰を下ろした。

 

「……何もしないのか?」

「こうして、雑誌を読んでいますが」

「…………」

「そんな怖い顔で睨まないでくださいよ。分かってますよ、あなたの言いたいことは」

 

 誰かが来る可能性を見越してか、魔女は杉野の声で語る。

 俺の言いたいこと、というのは、すなわち魔女としての作業だ。誰かの殺意を煽り殺人を引き起こす魔女が暗躍するには、疑心暗鬼が折り重なり【凶器】まで与えられた現状はこの上ないチャンスのはずだ。それなのに、こいつはなにもすることなく図書館で時間を浪費しようとする。

 

「そんな怖い顔をしないでください。しばらく僕はなにもしませんよ。もう全部やり終えましたから」

「……なんだって?」

「種は蒔き終えたということです」

 

 ……っ!

 

「……いつだ」

「さあ。少し考えてみれば分かるのではないでしょうか」

「……」

 

 俺の見る限り、誰かの殺意を煽るような動きはなかった……はずだ。いや、唯一、根岸を悪人であるかのように煽る発言はあったか。あの発言のせいで、根岸は俺達と決別する事を決めた。……ただ、彼には露草がいる。彼女がいる限り、根岸は誰かを殺そうとなんて考えないんじゃないのか。もしも根岸の殺意を煽ったのなら、露草も同時に唆さないといけないように思える。

 杉野の皆の前での発言も、それ自体は杉野悠輔として信頼を集めるためなのか、殺意を抑えようと呼びかけるものだった。その裏に何か意図は隠されている可能性があるとは言え。

 

 だから、心当たりは、一つだ。

 

「……夜か」

 

 夜時間。それぞれの個室で俺達が睡眠を取ったあの時間帯、俺達を見張るために個室の外にいた火ノ宮は、杉野と言葉を交わしたと言っていた。その会話の内容を、俺は知らない。

 

「…………」

 

 俺の告げた答えに、魔女は妖艶な笑みを浮かべるだけで何も答えなかった。

 

「お前、火ノ宮に何を言ったんだよ」

「ただの世間話ですよ」

「…………」

 

 それが嘘とも本当ともわからない。結局の所、自分の行動が全部裏目に……いや、違うな。もし昨日の夜に俺が火ノ宮と一緒にいれば、今この時間帯にこいつが暗躍するだけだ。

 クソッ……。

 

「そんな怖い顔しないでください。まだ事件は起きていません。せめて裁判が行われないこの時間位は気を休めなければ、いざという時に対処できなくなってしまいますよ」

 

 そんな言葉を告げて、杉野は視線を雑誌に落とした。気を休める? 違うだろ。お前はただ自分の撒いた種が芽生えるのを待っているだけだろうが。

 

「……はあ」

 

 とはいえ、何もしないのであれば今更何か出来ることはない。火ノ宮は個室で寝てるから接触できないし、根岸だって話しかけに行っても悪化する気しかしない。仕方なく、杉野を見張りながら俺も何か本を読むことにした。

 

「ええと……」

 

 杉野が視界に入る位置でめぼしい本を探す。

 そう言えば、図書館には初めて来た。所狭しと詰められた本を端から見ていく。『初恋は硝煙の香り』『完全自殺マニュアル』『世界の整形のココがスゴイ!』『NEOコミックス 11月号』……昨日、話に聞いた通り、ジャンルも本の形態もバラバラだった。

 

「おや、平並君じゃないか」

 

 そこにかけられる声。図書館の主とも言える、明日川だった。

 

「もしや、平並君は図書館(このシーン)来る(登場する)のは初めてかい?」

「ああ。ずっと個室にいたからな」

「そうか。この図書館では検索(索引)が機能しないのは見ての(読んだ)通りだ。何か目的の物語を探すより、視界に入った(描写された)中で目についた物語を読む方が良いだろう」

「分かった。ありがとう」

 

 彼女の言うとおりだ。大抵の本は読んだことがないみたいだし、タイトルで決めるか。

 そんな事を考えて本棚を眺めていると。

 

「で、どうだい。順調か?」

 

 明日川からそんな台詞が飛んできた。

 

「……何が」

 

 順調か、と問われてああ順調だ、と答えられるようなものはなにもないが、念のため詳細を聞いた。

 すると、彼女は杉野の様子をちらりと伺って、彼に聞こえないよう俺の耳に顔を近づけて囁いた。

 

「七原君との事だ」

「…………」

 

 やっぱりな、と思った。明日川が気にする話といえばこれ以外に無い。

 

「順調も何もない。それどころじゃないのはお前だって分かるだろ」

 

 こっちも小声で返す。

 

「確かに、(今話)は緊迫したシーンと言えるだろう。絶望から【動機】が与えられ、殺人劇への移行を意識させられている」

「それが分かってるんだったら……」

「しかしだ。物語のジャンルは何も単一と決められているわけではない。緊張感あふれるシーンの裏でラブシーンが行われていたとして何か問題があるわけでもないだろう。否、むしろ推奨されるべきなのではないか? キミも吊り橋効果という単語は知っているだろう?」

 

 ……こいつ、どうせラブシーンの意味が分かって言ってるんだろうな。単に色恋沙汰って意味ならまだいいが。

 

「…………まあ、否定はしないが」

「そうだろう。……で、どうなんだい。今までの様子を伺う(読む)限り、親愛度は着実に積み上がっているように思えるが」

 

 そんな台詞を聞いて、昨晩の事を思い出す。俺を励ましてくれた彼女を、俺は怒鳴りつけてしまった。

 

「……別に、そんな事は無い」

「そうかい? しかし、今朝七原君は大天君に声をかける事をキミにだけ告げていたじゃないか。この環境でそうできるというのは、親愛の現れなのではないか?」

「ただの話のついでだよ。別に俺がいなきゃ火ノ宮やお前に告げてただけだ」

「ふむ……」

 

 何かを疑うように、俺の顔を見る明日川。

 

「なんだよ」

「一つ確認しておきたいのだけれど……以前キミは、自分が七原君に抱く感情は恋愛感情ではないという台詞を告げたな? それは、今でも変わらないのか?」

「そりゃあ、勿論――」

「キミがそう言うのであれば、そうなんだろう。決めつける(レッテルを貼る)ような真似はしない。しかし、答えを出す前に、もう一度だけ心の中で(モノローグで)考えてみてくれないか」

 

 俺の言葉を途中で遮って、そんな台詞が飛んできた。

 ……俺が、七原に抱えている想いは。

 

「…………」

 

 

――《七原の幸運があれば。七原が居てくれれば。》

――《きっと、なんとかなる。》

 

 

 いつしか抱いた感情を思い出した。

 彼女にそばにいてほしいと願ったのは、この絶望を止めるためか。

 いや、きっと、それだけではなく。

 

 俺が、彼女と共にいたいと、そう思ったからで。

 

 

 もしかしたら、きっと、この想いに名前がついているのかもしれない。

 

 

「答えは出たかい?」

「…………」

 

 声は出さなかった。けれども、彼女を見据えて頷いた。

 

「……ふ、自覚するのは、良いことだ」

 

 ニヤついた明日川とぶつかった視線を横にずらす。

 

「で、告白はいつ(どのページで)するんだ」

「は?」

 

 急に、明日川はそんな素っ頓狂な事を言い出した。

 

「ボク達が描くはずだった学園生活とは違って、これから先に告白に適した文化祭や修学旅行(一大イベント)があるとは思えない。まさか、今はそれどころじゃないという理由でここから脱出する(この絶望の最終章)まで告白をとどめておくつもりか?」

「……それが悪いって言うのかよ」

 

 魔女じゃあるまいに、明日川は俺の心中を見抜かんとばかりに台詞を紡ぐ。さっきも言ったが、そもそもモノクマをどうにかしてここから脱出するまではそれどころじゃない。

 だと言うのに。

 

「悪いさ。こんな環境(ジャンル)だからこそ愛は必要だ。無論、愛が凶行を引き起こす物語の存在も認知しているが、それでも心が絶望に苛まれそうになった時、愛は最後の一歩で踏みとどまらせてくれる事はキミも認めるだろう。それに、いずれ伝えたいと思ったのならなるべく早く伝えるべきだ。その分だけ共に愛を育む期間(ページ数)は増えるのだからね。そして、ボクにその顛末を語ってくれ」

「お前、最後のやつが本音だろ」

「全ての行が偽りないボクの本音(地の文)さ」

 

 なんだかんだ言いながら、結局そういう話を聞きたいだけなんじゃないだろうか、こいつ……。

 ため息とともに、肩から力が抜ける。

 

「……大体、告白なんかするか。したって断られるだけなんだし、こんな時に気まずくなってどうする」

「ん? なぜそう言い切る?」

「え?」

 

 まさかそんな事を聞かれると思っていなかったので、言葉に詰まる。

 

「他の誰か(キャラクター)の心中なんて分かりや(読めや)しないというのを、ボク達は嫌というほどに学んできただろう。キミの告白を彼女が断るだなんて、断言できないはずだが」

「……それでも、それくらいなら流石に分かる」

 

 俺が七原の事を好きだとしても、向こうからしたらそんな事は関係ないことだ。俺が彼女に告白したとして、きっとそれは失敗する。

 

「そう思う根拠を語ってくれないか。彼女はキミを絶望から救っただろう」

「だが、それは俺だからじゃない。きっと、誰があの場にいても、七原はその誰かを救ったはずだ。今朝、火ノ宮にも言ってただろ。悪いのはモノクマだって。誰相手でも、あの優しさを持ってるんだ」

 

 そう口にして、はたと思い至る。

 

「だからこそ、俺は彼女に特別な感情を抱いているのかもしれない」

「…………」

「……だが、俺はアイツとは違う。俺には何の魅力もない」

 

 何も出来ない。何もなせない。七原は才能があると言ってくれたが、それが何かもわからない。

 

 

 俺でさえ俺を好きになれないのに、どうして周りの誰かが俺を好きになるんだ。

 

 

「……それを決める権利は、彼女にもあると思うけれどね」

「…………」

 

 その明日川の台詞は、俺の耳をかすめてどこかへ過ぎ去っていった。

 

「先程から何の話をされてるんです?」

 

 突如、小声でかわされていた会話に新たな声が投げ込まれる。杉野だ。

 

「大した物語じゃない。彼にとっては主軸(メイン)だが、キミにとっては番外編だ。気にすることじゃない」

「……そう言われてしまいますと気になるのですが」

 

 結局、その杉野の介入によって密談は終わり、その後は各自本を読んで過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《食事スペース》

 

 時刻は正午を回った。

 毒物事件や【凶器】の配布があっても、生きている限り腹は減る。食欲はあまりないが、何かを体に入れないとそろそろ限界だ。そんなわけで、杉野と俺は図書館を離れて食事スペースを目指した。明日川にも声をかけたが、読書中の彼女には無視されたので図書館に残してきた。

 『モノモノサツガイヤク』にしろそうでないにしろ、タバスコ以外の食料にも何かしらの毒が盛られている可能性がある。それを避けるためにはどうすればいいか、と考えながらたどり着いた食事スペースの中央テーブルには、いくつかの食材がズラリと並んでいた。

 そして、そのそばには。

 

「根岸……」

「……っ」

 

 俺の声に反応して、テーブルに向かって座っていた根岸が肩を震わせた。しかし、声の主が俺である事を察したのか、こちらを向くことはなかった。

 彼のそばには露草、そして少し離れてスコットが座っていた。

 

「スコット君。どういう状況か、お聞きしても?」

 

 と杉野は尋ねたが、根岸の前に置かれた実験器具を見れば、おおよその見当はつく。案の定、スコットの発した答えはその通りだった。

 

「ネギシに頼んで、毒の検査をやってもらってるんだ。タバスコに毒が入れられていた以上、どの食材、調理器具に毒が仕込まれていてもおかしくないからな」

 

 ただ、想像通りとは言え疑問は残る。

 

「それはいいんだが……根岸がよく引き受けてくれたな。だって、その、根岸は」

「お、おまえ達のことなんか、だ、大嫌いだ……!」

 

 作業の手を止め、根岸が俺の言葉の先を告げた。首をひねってこちらを見た彼に、睨みつけられる。

 

「も、もうおまえ達なんか信じるか……! な、仲間を信じろだなんて言うばっかりで、ぼ、ぼくのことなんかちっとも信じてくれない……! ば、バカバカしい……!」

「……ですが、こうしてあなたに毒の検査を頼んでいるのは、あなたの事を信じているからでは無いのですか?」

「そ、それはぼくのことを利用してるだけだろ……! し、信じてるんだったら、ぼ、ぼくのことを見張るなよ……!」

 

 出来るわけがない事を吐き捨てて、彼はまた毒の検査作業に戻った。

 

「…………」

 

 致命的に根岸の心を傷つけたのは、『根岸が悪人であるかもしれないと疑わざるを得ない』という毒物事件の際の杉野の言葉だろう。言葉遣い一つで信頼関係に傷を入れた張本人は、素知らぬ顔をしていた。

 

「と、言いつつも、こうして毒の検査をしていただいているのは?」

「露草さんのおかげです」

 

 と、調理場の中にいた城咲が答えた。どうやら調理の準備をしているらしい。

 

「正確には琥珀ちゃんが頑張って説得したんだけどね」

『翡翠、今はふざける場面じゃねえぞ』

 

 それを自分の操る黒峰に言わせてしまうところが、ふざけているとは思う。が、ツッコミを入れるのはやめてそのまま話を聞いた。

 

「どこに毒が入ってるかわかんないし、それを調べるなら章ちゃんが一番だよね」

「ええ、勿論。彼は【超高校級の化学者】ですから」

『最初スコットと城咲が頼みに来たときは頑なに断ってたけど、それじゃ皆がまともに食事できねえだろ』

「だから、翡翠と琥珀ちゃんでお願いしたんだ」

『倉庫の缶詰とか毒を警戒しやすいものもあるけど、そればっかじゃ気も滅入るしよ』

「それに、翡翠、またかなたちゃんのご飯食べたいし! だからさ、翡翠達からも章ちゃんにお願いしたんだ」

「なるほど、そういう経緯でしたか」

「い、言っておくけど……!」

 

 再び、根岸が口を挟む。

 

「か、缶詰ばっかりじゃ体壊すから城咲に作らせてるだけだし、お、おまえ達の分まで調べてやってるのは、も、もう学級裁判なんかやりたくないからだからな……! お、おまえ達が死ぬのなんか、ど、どうだって良いけど、そ、それでこっちまで命をかけるなんてまっぴらだ……!」

 

 言いたいだけ言って、根岸はまたしても作業に戻る。

 

 根岸は、岩国と同じようなスタンスを取ることにしたらしい。その変化は、最悪ではないにしても、十分に悪いと言えるものだった。

 かつての根岸は、誰かが死んでもいいと言うような人間だっただろうか。『モノモノサツガイヤク』の解毒薬を作った事だって、露草達との会話を聞けば、死にゆく誰かを救うためだったはずだ。現状は、彼の心情が転がり落ちるのを、学級裁判という残虐な一蓮托生のルールがギリギリで踏みとどまらせているに過ぎないのだ。

 

 そんな彼に掛ける言葉は見当たらなかった。

 

「ともかく、ネギシにはひとまず今日の昼食と夕食の分の食材の検査をしてもらってる。ここは一度無人にしたからな。昨日の夜使ったものも含めて、改めて全部疑ったほうが良い」

「無人に? 城咲はまたここに残ってたんじゃないのか?」

「あ、いえ……わたしはそうしようとおもったのですが……」

「オレが止めた。……シロサキは昨日の事件をかなり気にしてるようだったからな。一度食事スペースから離れてリフレッシュしたほうが良いと思ったんだ。どうせどこに毒が入ってるかわからないのなら、見張りを止めても問題ないだろ」

 

 ああ、それは良い判断だったかもしれない。城咲が毒物を仕込んだ犯人でなかったとすれば、彼女は自分の管理する食事スペースでそんな事件を起こしてしまった事を相当悔やんだことだろう。彼女に責任があるだなんて言い難いような事件だったのに。

 

『それで、全部の食料を調べさせてるんだな』

「はい」

「ちなみに、どちらへ?」

「手芸室だ。これの仕上げを手伝ってもらった」

 

 と、スコットは角にあるテーブルの上を示す。

 ……そう、それについては食事スペースに入ったときから気になっていた。それ以上に根岸のことが気になったから後回しにしていたが、そろそろ触れてもいい頃合いだろう。

 

「それ、すごいよね! さすがスコットちゃん!」

「それほどじゃない。スピード重視で作ったからな、全体的にバランスが甘い……が、まあ、作れてよかった」

 

 そうスコットの評するそれらは、色鮮やかな毛糸で作られた総勢16体の編みぐるみだった。二頭身にデフォルメされた、およそ手に乗るくらいの大きさのそれらが、前後二列に整列して座っていた。わざわざ後列が高くなるように箱がセッティングされている。

 それは、明確に俺達をモデルにしたものだとすぐに分かった。作成者であるスコットは勿論、俺や根岸に七原や、俺達との馴れ合いを拒む岩国……そして、この10日あまりでこの世を去ってしまった新家達4人をモデルにした編みぐるみもいる。

 

 全員。(まご)うことなき全員が、そこに揃っていた。

 

「すごいな、これ……」

 

 近寄って、細部に目を通す。スピード重視で作ったとは思えないほど、細部までよく観察されて作られていた。古池の無造作ヘア、火ノ宮の目つき、明日川の持つ辞典、城咲のヘッドドレス。どれもが精巧で、本人を縮小したようなクオリティだった。

 

『皆はともかく、オレも作ってもらえるなんて光栄だぜ』

 

 と、黒峰が告げる通り、露草の編みぐるみの左手には、より縮小された黒峰の編みぐるみがはめられていた。

 

「作るならそこまで徹底したいからな。ちゃんと外れるぞ。外す気はないがな」

 

 ああ、それぞれの服や黒峰は一段と細い糸と針で編んで細かい調整が出来るようにしてるのか。その拘りとそれを作りきってしまう実力に、憧れを超えて畏怖すら覚え始める。【超高校級の手芸部】の名は伊達じゃない……なんてもんじゃないな。

 

「こんなもの、いつから?」

「最初の裁判が終わってからだ。アラヤもフルイケも、あっという間に死んだ。……嫌だったんだ。また、これから先もいがみ合って、疑い合って、裏切り合うことになるのが。オレ自身も含めてな」

 

 静かに言葉が紡がれていく。大浴場で、彼は言った。モノクマから【動機】が与えられる度に、【卒業】するかどうかを悩んでいたと。殺意にのまれそうになったのは彼も同じだったことを、俺はあの時に知った。

 

「だから、()()()()()()()()()これを作った。オレ達16人は仲間なんだって忘れないために……これ以上犠牲を出さずに脱出するためにな。……結局、間に合わなかったが」

 

 そう言いながら、彼は蒼神の編みぐるみに触れた。彼の密かな思いも虚しく、二度目の事件は起きてしまった。そして、毒物事件も。

 

「……ですが、その想いは無駄ではないでしょう」

 

 杉野が……悪辣な魔女がその本性を隠して口を開く。

 

「失われてしまった命も確かにあります。しかし、それは僕達が絶望していい理由にはなりません。決意を持ち続ける事が、いつかその願いを叶えるのですから」

「……そうであって欲しいものだな。そうじゃないと、死んでいったアイツ達も報われない」

 

 死後の世界があるのかどうか。そんな事を知る方法など無いし、あったとしても死者の声を聞くことは出来ない。なればこそ、俺達は生きなくてはならない。それが、死んでしまった4人の想いを生かすことになる。

 

「だいじょうぶです」

 

 ぽつりと、城咲の声が聞こえてきた。

 

「もう、じけんなんておこさせません。だれも、死なせません」

 

 その言葉には、力と決意が宿っていた。

 

「もちろん、だれもじけんなど起こさないことがりそうですが……もし、なにかがあっても、今度こそほんとうにさつじんをとめてみせます」

 

 城咲は、あの日の夜、大天の殺人を止めてくれた。そのおかげで、俺はここで息をしている。それでも、遠城の殺人を止めることは叶わなかった。毒物事件は当然として、古池の殺人だってそうだ。城咲はきっと、ここまでの悲劇の全てを悔やんでいるはずだ。

 

「……シロサキ。そうやって過剰に責任を負おうとするなと言っただろ」

「わかっています。ただ、わたしもみなさんとおなじように、もうだれにも死んでほしくないだけなのです」

 

 そして、目線を中央のテーブルに動かす。

 

「もちろん、根岸さんにもです」

 

 名を呼ばれた彼は、何も答えることはなく、カチャカチャと検査作業の音を響かせた。

 

「さて、きょうのお昼はいつも以上にうでによりをかけることにいたしましょう」

「ほんと? やった!」

『良かったな、翡翠』

「楽しみですね」

「……ああ」

 

 呼び掛けてくる杉野にはそう答えつつ、俺の意識は根岸に向いていた。

 

「……ぼ、ぼくの昼ごはんはいらないからな」

 

 ぼそっと、まるで独り言のように彼は呟く。

 

「何言ってるの、章ちゃん。食べないと体に悪いよ! ただでさえ朝ごはん食べてないんだし!」

『そうだぜ、こんなときこそちゃんと』

「も、もう、そういうのはいいんだよ……ほ、ほんとに……」

 

 静かに、彼は露草と黒峰の言葉を止める。

 これまで彼が俺達に向けていた敵意は、常に激情に依るものだった。落ち着き(クールダウン)さえすれば、こんな決別はしなかった。

 それが今や、冷静な思考の上で俺達を拒絶している。

 

「た、食べたかったらおまえは一人で食べてろ……」

「章ちゃん……」

「…………」

 

 ついに露草の言葉すら拒んで、彼は、毒の検査を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《体育館》

 

 毒の検査にたっぷりと時間をかけて、その後遅い昼食をとった。露草の懸命な説得も実らず、結局根岸は城咲の料理を拒否し続けていた。

 途中から食事スペースにやって来た明日川は、食事を取るとまたすぐに図書館へと戻っていった。杉野もそうするのだろうかと思っていたが、こいつがたどり着いたのは体育館だった。誰もおらず、がらんどうとしていた。

 

「なんでこんな所に」

「体育館なんぞ、体を動かす目的以外に用事なんて無いじゃろ」

 

 返ってきたのは、魔女の声。

 

「そんなことは知ってる。なんでそんなことをしに来たんだと言ってるんだ」

「余としても、当初は午前中と同じように図書館で過ごそうと思っておったのじゃがの。せっかくそなたが側につくのじゃから、一人では出来ぬことをして過ごす方が有意義なのではないかと思ったのじゃ」

 

 いつもと変わらぬ表情で流れるように語る魔女。

 

「……もっと分かりやすく話せ」

「この体育館、コートはともかく道具はそれなりに揃っていたじゃろ? バドミントンでもして、共に体を動かして汗を流さぬか、というお誘いじゃよ」

 

 どうじゃ? とでも言いたげに手が差し出される。

 その手を、強く払い除けた。

 

「ふざけるな。誰がお前なんかと」

「そうカッカするでない。そなたは監視のために余に引っ付いておるが、正直なところ暇じゃろう。どうせそなたは余から離れんのじゃ。ならば、共に遊ぶくらい自然な発想じゃろ」

「一人でやってろ」

「つれないのう」

 

 やれやれとでも言いたげに肩をすくめる魔女。その一挙手一投足が腹立たしさを誘う。

 

「勘違いするなよ。俺はお前を監視するためにお前の側にいるんだ。そうじゃなきゃ、誰がお前の側になんかいるか」

「そんなこと分かっておる。そなたに好かれているなどと勘違いなどせん。まあただ、余としてはそなたのことを気に入っておるがの」

「は?」

「大抵の人間なら上手く操れると思っておるがの、その中でもそなたは群を抜いて扱いやすいのじゃ。ここまで何もかもが思い通りに動かせる人間などそうはおらん。誇ってよいぞ、平並凡一」

「黙れ。誰が誇るか。というか、扱いやすくなんかないだろ、今まさにお前の提案に反論したところだろうが」

 

 そう告げた直後、ガラガラと扉の開く音がした。

 

「おや、東雲さんじゃないですか」

 

 魔女が声色を杉野に戻す。それにつられて入り口に目を向け、彼女の姿を視界に捉える。その姿は、いつもの彼女とは異なっていた。

 

「……なんだお前、その格好」

「なんだとはいい挨拶ね。見ればわかるじゃない。体操着よ」

 

 そう本人が語る通り、彼女はいつものスカート姿でなく、更衣棟に置かれていた体操着……半袖短パンを身に付けていた。

 

「暇だし、せっかくだからトランポリンででも遊ぼうかと思ったのよ。やったことないしね。で、流石にスカート姿じゃ出来ないから着替えてきたってわけ」

「ああ、なるほど」

「せっかくアタシ達の為に用意されてるんだもの。使わなきゃ損ってもんでしょ」

 

 こんな状況にあっても彼女は事件の発生を恐れているようには見えない。ドームの外と変わらない日常を過ごすかのように振る舞っている。

 

「それより、アンタ達こそ何やってんのよ。なんか話し合ってたみたいだけど」

「いえ、大したことではありません」

 

 俺が何かを口にするより早く、杉野が喋りだす。

 

「僕達も東雲さんと同じですよ。気分を紛らわすためにも、少し体でも動かそうという事になったのです。そして、今まさにバドミントンをやろうと決まったところだったんですよ」

「……は?」

 

 さも当然の事を語るかのように、嘘八百を並べ立てる杉野。

 

「そうですよね? 平並君」

「ぐ……」

 

 そしてわざわざ俺に同意を求める。ここで、そんなことはないなんて事を言えばそれは杉野と俺に対する明確な違和感になる。東雲の前でそんな事をすることも出来ず、

 

「……ああ、そうだよ」

 

 しぶしぶそれに同意した。

 もう分かった。こいつに何か喋らす事自体がまずいんだ。自分の発言力の強さと、それを聞いて俺がどうするかを完璧に理解して言葉を喋っている。だから全部、こいつの思い通りになる。

 

「あらそう」

 

 と、杉野と俺の言葉を聞いた東雲は、それを特に気に留めるでもなくトランポリンに向けて歩き出した。

 

「さて、それでは僕達も道具を持ってきましょうか」

「……ああ」

 

 それから、体育館にはトランポリンのバネが軋む音とシャトルを打ち合う音が響き出した。

 トランポリンはやったことが無い、と言っていた東雲だったが、元来の運動神経の良さが幸いしたのか、高々とまっすぐに跳ね上がる。図書館から持ってきたらしいトランポリンの教本に載せられた技表を眺めては、体をひねりながら空中を舞っていた。

 その様子を伺いながら、俺と杉野はラケットを振り合う。こんな事をしている場合か、他にすべきことがあるんじゃないのか、でもコイツを野放しにするわけにもいかないだろう。ぐるぐるとそんな思考が頭をめぐる中で、俺はどうすることも出来ずただ杉野へシャトルを打ち返し続けた。

 

 それが、体育館に差し込む光がオレンジ色になるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、やってみると案外楽しいものね!」

 

 トランポリンから降りた東雲がそう語る。彼女の肌を這う汗が夕日を反射して煌めいていた。

 

「そりゃあ、あれだけ跳べれば楽しいだろうよ」

「アンタもやればよかったのに」

「別にいい。前やった事あるし」

 

 そして、今東雲がやったほどには上手く跳べなかったのだ。

 

「まあいいわ。じゃあね」

 

 教本を手にした東雲はそう告げて、すぐに体育館を出ていってしまった。更衣棟に戻ったんだろう。

 

(せわ)しないヤツじゃのう」

 

 ドアが完全に閉まった事を確認して、杉野は魔女の声でそう語る。忙しないというより、こちらに対する興味が無いだけだと思うが。

 ともかく、東雲がいなくなったのなら律儀にバドミントンをする必要はない。ラケットを床に置いて、そのまま腰を下ろす。

 

「む、そなたももう止めるのかの」

「当たり前だろ。これ以上付き合う理由がない」

「何を言う。理由ならあるじゃろ。こんな環境で久々に体を動かしたのじゃ。多少なりとも楽しかったじゃろうに」

「相手がお前じゃなかったらそう思ったよ。……お前、どうせ分かって言ってるんだろ」

 

 その俺の言葉に、魔女はニンマリと口を歪ませる。無意識のうちに、ため息がこぼれた。

 

「……いつからなんだ」

「む?」

「いつからお前はそんなイカれた思考をしてるんだ。他人の心を(もてあそ)んで、誰かの言動を操って。何か、きっかけがあったのか」

「ふむ。そんなもの考えた事なんぞなかったのう……特に思いつかんのじゃ」

「…………」

 

 何か、コイツが魔女になるきっかけがあったのなら良かったと思ってしまった。魔女の異質さから目をそらしたくて、せめて杉野が元は俺と同じまっとうな人間であればと思ってしまった。そうであれば、コイツがまだ理解できる存在に留まってくれると思ったから。

 けれど、そんなものはなく、魔女は純然と魔女だった。俺の目の前で立つ人間の形をした何かは、悪意と愉悦で出来ていた。

 それがどうしようもなく、おぞましかった。

 

「まあしかし、元より他人を操る遊びはしておったな。クラスの空気を誘導するような些細な真似ばかりだったのじゃがの」

「…………」

 

 俺が何の反応も返さない事も気に留めず、魔女は言葉を続ける。

 

「そこでじゃ。クラスメイトを標的にして、余がどれほどそやつを破滅させられるかを試してみたのじゃ。それが思いの外上手くいってのう。【言霊遣いの魔女】を名乗りだしたのはその時からじゃな」

 

 悪魔の自分語りに興味など無いのに、魔女は揚々と語っていく。破滅とは何を意味しているのか。【言霊遣いの魔女】の犯行内容を知っていれば、その想像は容易だった。

 俺はいつまでこんな頭がおかしくなるような話を聞かされなくちゃいけないんだ。と、頭を抱えた時だった。

 

「そなたも知っておるじゃろ? 詳細を大天翔から話を聞いておるはずじゃが」

「なっ!」

 

 突如魔女の口から飛び出したその名前に、思わず上を向いて目を開く。

 

「お前、気づいてたのか!? 大天の姉をけしかけたことに!」

「ふむ。その反応を見るにやはりそうでおったか」

「……!」

 

 失言に気づいて口を抑える。意味がないと分かっていても。

 

「お前……! また鎌をかけたな!」

 

 ぐっと力の入った目で魔女を睨みつける。

 

「鎌かけ、というよりは最終確認にすぎんがの」

「……どこで気づいた?」

「最初は全く気づかなかったのじゃ。標的の名前も顔もバッチリ覚えておるが、その中に『大天』なんて名字のやつをけしかけたことなど無いしのう。ただ、そなたが余の事を皆に公表しない理由を考えていて思い至ったのじゃ」

 

 俺をまた嵌めた事がよほど嬉しいのか、楽しそうに言葉を連ねる魔女。魔女の正体を看破したあの時、逆に魔女は俺が秘密裏に看破した理由を隠している事を見抜いていた。

 

「余の事を公表しないメリットとしては、情報を握りつぶせる点にある。つまり、そなたは誰かに伝えたくなかったのじゃ。余が【言霊遣いの魔女】であることをの」

「…………」

「では伝えたくない理由は何か? その答えは多岐多様に渡るが、大部分に共通するのはその伝えたくない相手が【言霊遣いの魔女】の関係者であるケースじゃろうな。例えば、何の関係もない根岸章が余の存在を知れば激怒はするじゃろうが、わざわざ隠しておきたい動機にしてはちと弱いからのう」

 

 次々と、答えに至るロジックが語られる。かつて魔女の正体を暴いた時のように。

 

「となると、真っ先に思い浮かぶのは余の標的の関係者……身内や友人、それに準ずる人物じゃ。では、一体誰が関係者なのか? ……を考えるより先に、それをなぜ平並凡一が知っておるのかという点を考えたのじゃ。自分の身内が殺人を犯したなど、よほどの事がなければ語るまい。ここで引っかかったのが、死体となった蒼神紫苑を発見した時の様子じゃ」

「え?」

「そなた、あからさまに大天翔の犯行動機を隠したじゃろ」

「…………」

 

 

──《「……ねえ、大天さん。殺人を決意するほど、取り戻したかった記憶って、なんだったの?」》

──《「…………」》

 

──《七原がそうたずねるが、大天は何も答えなかった。》

 

──《「それは、まあ色々あったんだろ。それより、最後に城咲から話してくれ」》

──《「あ……はい」》

 

 

 魔女の言う通りだ。姉が悪魔に唆されて殺人を犯した末に自殺したなど、わざわざ語らせるべきじゃないと思ってスルーさせた。

 

「そなたは自分を殺しかけた相手の動機を見逃すような聖人君子ではあるまい。となれば、そなたは大天翔の動機を知った上で隠したはずじゃ。その動機こそが、余がらみなのじゃろ?

 ……と、まあ考えが及んだのはここまでじゃ。『大天』という名字に聞き覚えがないのじゃから、大天翔は標的の友人かと推測しておったのじゃが……あやつの姉ということは、事件の後に両親が離婚でもしたのじゃろうな」

「…………」

 

 今更黙る意味はないが、ただ嫌悪感だけを視線に乗せる。

 

「最終的にはそなたの反応を見て結論を出そうと思ったのじゃが、予想通りの反応をしてくれて助かったのじゃ。例を言うぞ、平並凡一」

「……クソ」

 

 愉快そうな魔女の声を聞いて、俺はそんな暴言を吐くことしか出来なかった。

 

「それにしても、大天翔がのう……どうせ復讐を考えておるからそれを阻止すべく余の存在を隠したのじゃろ? 大天翔も、出来もしないことによくそう気張れるものじゃ」

「あ?」

 

 呆れるような魔女の声を聞いて、怒りが漏れる。

 

「……そうだ。そもそもお前、復讐されることは怖くないのかよ。上手く身を隠してるみたいだが、お前を殺そうと企んでるやつは山ほどいるはずだろ」

「そんなもの、正体がバレなければ全く問題はないし、正体がバレたとしてもそやつの殺意を操れば逆にそやつを破滅させられるじゃろ。誰が狙ってくるのかが分かっておるなら、ますます対処は容易いのじゃ」

「…………」

 

 この悪魔は、何も恐れる事なくここに立っている。その姿勢を支えているのは、絶対的な自信だ。他人を自分の思い通りにすることが出来るという自負と、それを裏付ける経験。俺にはないそれを、どうしてこんな奴が持っているんだ。

 

「……ふざけるな」

「む?」

「何もかもお前の思い通りになるわけが無い! なってたまるか!」

「思い通りになる? それは違うのじゃ、平並凡一よ。余が、思い通りにするのじゃよ」

「……!」

「余の力が及びにくい人間は確かにおる。じゃが、それを諦めるなど余は嫌じゃ。そういう人間を思い通りにしてこそ、楽しいのじゃしな」

「……いつか痛い目見るぞ、お前」

「ふ、そうならんように日々頑張ってるのじゃろうに」

「…………」

 

 分かってるはずだ。コイツに何を言っても無意味だって。

 だが、言わずにはいられない。黙ってなんて、いられない。

 

「お前、種は蒔き終わったって言ったよな」

「うむ。それがどうしたのじゃ?」

「……お前の思い通りになんかさせるもんか」

 

 強く、拳を握りしめる。

 

「散々苦しんだんだ。散々悔やんだんだ。もう誰一人だって死なせてたまるか。ましてや、お前の犠牲になんてさせるものか」

 

 怒りで頭に血が上る。それがどれほど難しいのかなんて、考えるまでもなく理解している。

 それでも、やらなければならない。

 

「俺達はもう事件なんか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅう゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 突如、悲鳴が聞こえた。

 おぞましい何かを見た、恐怖による悲鳴ではなかった。

 体育館の外から聞こえてきたその声は、苦痛に耐える、声だった。

 

「『俺達はもう事件なんか』……その続きは何じゃ?」

 

 ニヤニヤと、弧を描く目に見つめられる。その主を押しのけて、体育館を飛び出した。

 

 どこだ。

 アイツはどこにいる。

 

 中央広場であたりを見渡す。

 

「クソッ……」

 

 悲鳴ははっきりと聞こえた。

 なら、この【運動エリア】の中にいるはずだ。

 

 グラウンドには誰もいない。静寂が広がっている。すなわち、アイツは建物の中にいる。

 エリア内の建物に一つ一つ目をやって、そして気づく。

 病院の、扉が開いていた。

 

「そこかっ!?」

 

 一目散に、駆け出す。

 飛び込んだ病院の中に、生命が存在する気配は無かった。

 

「誰もいないのではありませんか?」

 

 ゆっくりと俺を追ってきた杉野の声を背に、狭い病院の中を、走り回る。

 病室。診察室。手術室。

 はじめに抱いた直感の通り、誰の姿も見当たらない。

 

 病院を飛び出して、今度は目の前の体育倉庫の扉を開ける。中にあるのは静けさだけ。

 少し中をうかがって、アイツがここにはいないことを悟る。

 ここも違う。

 

「焦っていますね。もう手遅れかもしれないのに」

 

 無視だ。

 まだ可能性はある。

 だって、悲鳴を聞いたのに間に合わないだなんて。

 

 

 彼女に限って、そんな()()なことが起こるはず無いんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ――バンッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 強い音がした。

 誰かが何かを叩いた音だった。

 

 音のした方へ駆け寄る。

 

 手形があった。

 赤い手形が付いている。

 

 大迷宮の、『GOAL』と書かれた看板の下。

 磨りガラスの扉の向こうで、床に這う誰かが手形を付けた。

 

 

 

 その、赤い手のひらの奥に、鮮やかな緑色が見えた。

 

 

 

 

 

「七原!」

 

 

 

 

 

 ありったけの声を出して、彼女へ駆け寄った。

 

「七原! 七原! おい! 大丈夫か!」

 

 ドアノブを必死にひねる。ノブがカラカラと回り続ける。

 

「無理です。大迷宮の扉は正しい方向からしか開けることは出来ません」

 

 杉野が、声に焦りを含ませて語る。

 その内心に潜む笑顔を睨んでから、更に声を鳴らす。

 

「七原、開けろ! 開けてくれ!」

 

 うごめく気配はする。微かな声も聞こえる。けれども、手はもはや上へは動かない。

 

「ちょっと! 何があったのよ!」

 

 背後から飛び込む声。

 振り返れば、全身をじっとりと濡らした東雲が立っていた。

 

「なんですか、そのみっともない格好は」

「シャワー浴びてる時に悲鳴が聞こえたから慌てて出てきたの」

 

 よく観察するまでもなく、彼女の服のボタン等々はまともに止まっていない。そんなものを二の次にして、更衣棟を飛び出してきたのか。

 

「で、どういう状況なわけ?」

「七原が襲われたんだ!」

 

 その声と、俺の指差す先を見て、彼女は事態を理解したらしい。

 

「なら、アタシもやっと発見者になれるわね!」

 

 その声とともに、彼女は走り出す。大迷宮の中へとびこんだ。

 

「あ、おい! 道分かるのか!?」

「今朝何度か入ったからだいたい分かるわ!」

 

 その声が大迷宮に消えていく。七原の元へ駆けたのだろう。過去二回なることが出来なかった、死体の発見者となるために。反吐が出る。

 ともかく、外からドアを開けられないのなら、中から開けるしか無い。そう判断して東雲の後を追おうとして、足を踏み留める。

 

「杉野。何もするなよ」

「この状況じゃ何も出来ませんよ」

「……ふん」

 

 そして、慌てて駆け出した。

 

 大迷宮の道の壁には、昨日の報告通り、色とりどりの図形が並んでいる。鬱陶しい。すでに東雲の姿は無かった。

 大迷宮に入るのは初めてだ。正解のルートも何もわからない。

 確実にたどり着ける右手法を使うか。いや、あれは時間がかかりすぎる。一か八か、とにかく走りまくって。

 

「ん?」

 

 そう思考した俺の視界に、赤い床が映り込む。

 

 違う。

 血だ。

 血が、床に擦り付けられている。

 

「七原の血か……?」

 

 その床に付いた血へ駆け寄ると、それは何かを引きずった跡のようにどこかに続いている。

 宛はない。

 その血の先を追って、足を踏み出した。

 

 

 

 そしてそのまま懸命に走り続ける、その最中にそれは訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぴんぽんぱんぽーん!

 

 

 

『死体が発見されました! 一定時間の捜査の後、学級裁判を行います!』

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 三度目。

 これ以上耳にしたくなかったアナウンスが、耳を貫いた。

 

 もう東雲は大迷宮を踏破したのか。

 七原は、息絶えてしまったのか。

 

 違う、何かの間違いだ。

 そうに決まってる。

 信じたくない音に耳を塞いで、足を止めずに大迷宮を駆ける。

 

 徐々に濃くなる血の跡を追っていく。

 

 曲がり角を曲がったその先に、東雲は立っていた。

 そこは、少し開けた空間だった。

 

「……?」

 

 昨日の報告を思い出す。

 出口に至るまでに、チェックポイントと名のついた小部屋があると。

 なぜそんなところで東雲は立ち止まっている?

 

 どうして、この部屋の床は赤く染まっている?

 

「……ハ、面白いじゃない」

 

 震える声で、恐怖と興奮に顔を染め、東雲がぽつりと呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その視線の先に、死体は転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モノクロの服は、倒れ込む赤い池の色を吸っている。

 

 切り裂かれた背中の無数の穴が、ジクジクと血を吐いている。

 

 短く切り揃えられた髪から覗く首筋には、黒い傷が走っている。

 

 そして何より、彼女からは斧が()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の死などありえない。

 

 彼女の死なんて認めたくない。

 

 それでも、そこにあるのは、死体なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――【超高校級のメイド】城咲かなたは、後頭部を叩き割られて死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんで……城咲が……」

 

 口を突いて、言葉が飛び出す。

 だって、この大迷宮の中にいたのは。

 

「っ! 七原!」

 

 そして彼女の事を思い出す。

 七原は。

 彼女はまだ生きているのか。

 

「クソッ!」

 

 チェックポイントを飛び出す。

 これまでと同じように、血の跡が続いている。それを追った。

 慌てたように、東雲も俺を追いかけた。

 

「頼む、頼む、頼む……!」

 

 まだ死んでくれるなと、誰かに祈りを託す。

 誰に祈りを捧げているのか。

 強いて答えを出すならば、幸運の女神の他にはいなかった。

 

 途中、ひどく広がる血溜まりを飛び越えて、血を追いかけた先で、大迷宮は終わりを告げる。

 

 『GOAL』の摺りガラスの扉の前で、赤に侵略された緑色の彼女が倒れていた。

 

 

「七原!」

 

 

 この数分で何度呼んだかわからないその名を叫ぶ。

 

 

 ――ピクリ

 

 

 微かに、指が動く。

 

 それが、僅かに俺に安堵をもたらした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は血にまみれていたが。

 

 彼女の体からは血が流れ続けていたが。

 

 

 

 それでも。

 

 

「……ひ……くん……」

 

 

 

 幸運の女神は、彼女を見放してはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CHAPTER3:【絶望に立ち向かう100の方法】 (非)日常編 END

 

 

 

 

 

 

 

 

 




絶望からは逃げられない。
さあ、立ち向かえ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。