ダンガンロンパ ~超高校級の凡人とコロシアイ強化合宿~   作:相川葵

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非日常編② 赤い絶望の迷宮

 

 

 〈《【捜査開始】》〉

 

 

──《「申し遅れました。わたし、城咲かなたです。幸運にも、【超高校級のめいど】として希望ヶ空学園にすかうとされました」》

 

 

 俺たちが初めて出会ったあの日、見た目に幼さを残す彼女はそんな自己紹介を告げた。

 

 

──《「いえ、ご主人様のお屋敷にいるさいに毎朝調理しておりましたし、わたしは仮にも【超高校級のめいど】ですよ? たった16人の朝食をつくることなんて、それこそ朝飯前です」》

 

 

 その謙虚な口調の奥には、確かな自信と誇りがあった。十神財閥に仕える者として完璧であることを信条としていた彼女は、その高い技術を尽くし皆を支えていた。

 こんな非日常の中にあっても俺達が健全に息を吸えているのは、彼女の献身があったからに他ならない。

 

 

──《「なにをなさっているんですか!」》

 

 

 失われた記憶の奪還を願った大天に襲われたあの夜。死の淵から俺を救い上げてくれたのが、彼女だった。

 自身が殺されるかもしれないというリスクを微塵も恐れず、誰かを救いたいと心から願い行動に移した彼女がいたからこそ、俺は今こうして生きている。

 

 

──《「もう、じけんなんておこさせません。だれも、死なせません」》

 

 

 二度の殺人と一度の毒物事件を経て、彼女は迷いのない覚悟を瞳に宿してそう告げた。

 皆の事を失いたくないと心の底から願い、それを達成することが自分の使命であると信じていたからこそ、彼女はそう口にすることができたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼女の決意ごと破壊してしまうかのように。

 

 城咲かなたは、無惨な死体として転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 《大迷宮/チェックポイント》

 

 血にまみれた大天を連れ立って、俺達は城咲が殺されたチェックポイントへとやってきた。

 鮮烈な赤と鉄の臭いが場を支配するこの空間で、俺達の視点はただ一点に集められる。

 

「……っ」

 

 息を飲む声が聞こえる。一度この凄惨な光景を目撃している俺でさえ、彼女の死に様を前にして鼓動が乱れるのだ。初めてこの惨状に知る彼らの衝撃は、想像するに余りある。

 

「……一度、【モノクマファイル】を確認しておきましょうか」

 

 重い空気の中、杉野が口を開く。俺はその言葉に異を唱えることもなく『システム』を起動させた。今更こいつへの悪感情を気にしても仕方がない。

 

 

 


 

 【モノクマファイル3】

 

 被害者は城咲かなた。

 死亡時刻はついさっき。

 死体発見現場は【運動エリア】の大迷宮内、チェックポイント。

 死因は失血死。

 主な外傷は、頭部の割創、腹部から背部にかけての刺し傷、後頚部の火傷。

 


 

 

 

「……ひでェことしやがる」

 

 『システム』から城咲の死体へと視線を移し、強く拳を握りしめて静かに怒りを燃やす火ノ宮。その麗しい銀髪も瀟洒なメイド服も、小さな靴底に至るまで、血に染まっていた。

 この惨劇を見て自然と脳裏をよぎるのは、城咲と同様に失血死でこの世を去った、最初の事件の被害者である新家の姿だった。ガラスの破片で何度も刺された彼の背中も無惨なものだったし、彼の周りにも俺達をまるごと飲み込んでしまうような血溜まりが広がっていた。

 それでも、目の前の光景はあの時よりも遥かにおぞましいものだった。

 

「……あれ、本物よね?」

「……そのようですね」

 

 その原因は、彼女の頭部に深々と突き刺さった斧にある。割れた頭から生々しい何かが見える。その残虐さは、モノクマによるオシオキに近いものがあった。

 

「なんだってこんなことをする必要があるんだ」

「その答えがすぐに出るようなら苦労はない。今は情報を集める時間だ」

 

 死体のそばで傷口を覗きこむ岩国が視線をそのままにそう答える。

 

「……チッ。分かってる。別にてめーに訊いた訳じゃねェ」

 

 覚悟を決めるようにため息をひとつついて、火ノ宮も死体のそばに近づいた。俺も、今出来ることをやらなければ。

 

「傷については火ノ宮が調べてから検討するとして……この死亡時刻はどうなってるんだ? 『ついさっき』だなんて、検死結果になってないだろ」

 

 と、まずは【モノクマファイル】で気になったことを口にしてみた。過去二回の【モノクマファイル】には、ある程度詳しく時間が記載されていた。蒼神の時はその記述がトリックを看破する突破口になったのだし。

 

「……わざわざ厳密に書く必要はないってことなんじゃないの」

 

 城咲の頭蓋骨の中身を覗いていた東雲が、青ざめた表情と共に口を押さえながらそう答えを出した。東雲は、他人の死を望む割にはグロテスクな光景への耐性があるわけではない。どうせ気持ち悪くなるのなら、興味本意で覗き見などしなければいいのに。

 

「事件の起きた時間は、おおよそ把握できれば問題ないということでしょうか」

「そうじゃない? これまでと違って今回は日中の犯行よ。証言を突き合わせれば、城咲がいつ大迷宮に来たのかも何となくわかるんじゃないかしら」

「証言か……最後に城咲と一緒にいたのは誰なんだ?」

 

 そんな疑問を投げ掛ける。

 

「それならスコットちゃんじゃないかな」

 

 と、ここにいない彼の名をあげたのは露草だ。止めようとする根岸を適当に黒峰であしらいつつ、話を続ける。

 

「凡一ちゃん達が病院にストレッチャーを取りに行ってる時にね、スコットちゃん達が話してたんだ。ちょっと目を話した隙にかなたちゃんがいなくなったって」

「目を話した隙に……もう少し詳しく話せるか?」

「うん。お昼のあともかなたちゃんは食事スペースの見張りをしてて、スコットちゃんと棗ちゃんも一緒に食事スペースにいたらしんだよね」

「スコット君は分かりますが、明日川さんもですか?」

『ああ。なんか、料理物を読んでたら腹が空いたとかなんとか言ってたな』

「それで、おやつを食べに来て、そのままそこで本を読んでたんだって」

「ふうん……」

 

 納得のいくような、そうでないような。少なくともその光景は容易く想像できるものではあるが。

 

「では、その状況から彼女はどのように失踪したのですか?」

「えーと……まず、かなたちゃんが転んで、運んでたコーヒーを棗ちゃんに思いっきりかけちゃったんだって」

「え? 転んだ? 城咲がか!?」

 

 露草の言葉に驚き、裏返るような声で話を止める。

 

「城咲は【超高校級のメイド】だぞ。あんな何もないところで転ぶとか、ましてやそれで誰かに迷惑をかけるなんて……」

『それにはオレも驚いたんだけどよ。でも、スコットも棗もそうだって言ってたから間違いねえと思うぞ』

 

 本当に? と疑問を浮かべて根岸や東雲に視線を向けると、どちらも軽くうなずいた。

 そんな、バカな……。

 

「……城咲も、平静じゃなかったってことなんじゃねェのか。絶対安全だって思ってたのに、ああやって毒を仕込まれてたんだからよ」

 

 俺の困惑が聞こえたのか、検死中の火ノ宮からそんな声が飛んできた。

 確かに、最後に見た彼女は毒物事件にショックを受けているようだった。その推測も間違いではないだろうが……それでも、これ以上事件が起こらぬように決意を新たにしてもいたはずだ。

 

「…………」

「続けるね? そういうわけで服ごと汚れちゃったから、棗ちゃんは体を洗いに行ったんだって」

『せっかく使えるようになったからってことで、大浴場に行ったらしいぜ。ま、オレも同じ状況ならそうすると思うけどよ』

「それで、明日川さんの髪が濡れていたんですね」

「そうみたい。多分、お風呂から上がったあたりでアナウンスを聞いたんじゃないんかな」

『そういやあ、範太と瑞希も髪が濡れてるけど、二人はどうしたんだ?』

 

 黒峰が顔をキョロキョロさせてそんな疑問を告げる。

 

「ああ、火ノ宮は個室でシャワーを浴びてたらしい。アイツは寝起きだしな」

「アタシもシャワーを浴びてたからだけど、アタシの方は更衣棟のシャワールームね。直前まで体育館のトランポリンで遊んでたから、その汗を流してたのよ」

「だ、だから、お、おまえはすぐに大迷宮にこれたのか……」

「そうね。シャワーを浴びてる時に七原の悲鳴が聞こえてきたもんだから、慌てて飛び出したのよ」

『菜々香の悲鳴が?』

「ええ」

 

 そういえば、その辺りの説明をしていなかったか。そう思って、露草の話に割り込んで死体を見つけるまでの経緯を簡単に説明した。七原の悲鳴を聞いた三人が大迷宮の前に集まって、七原の元へ向かうために入った大迷宮の中で城咲の死体を発見した、という話だ。

 

『ふうん。そういう経緯だったんだな』

「それにしてもトランポリンかあ。瑞希ちゃん、難しそうなのによく出来たね」

「やってみると意外と簡単よ? 今度やってみなさいよ」

『おい、翡翠。今そんな話してる場合じゃないだろ』

「……ごめん、そうだったね」

 

 と、黒峰に突っ込まれて少ししょげる露草。……改めて思うが、一人芝居でやる会話じゃない。

 

「それで、スコットちゃん達なんだけど、二人は食事スペースでゲームしてたんだって。で、棗ちゃんがお風呂に行ってからも少し続けてたみたい」

『けど、途中で中断してスコットがトイレに行ったんだと。宿泊棟にあるトイレな』

「で、それでスコットちゃんが戻ってきたら……」

「城咲さんがいなくなっていた……そういう訳ですね」

 

 台詞を先に告げた杉野の声に、露草と黒峰が同時にうなずいた。つまり、城咲が食事スペースに取り残されたわずかなその瞬間が、城咲が大迷宮に移動したタイミングとなる。

 

「火ノ宮君は城咲さんのことについて何かご存じですか? 【宿泊エリア】にいらっしゃったんですよね?」

「あァ? 別になんも知らねェよ。オレは個室で寝てたって知ってんだろォが。誰とも会って……いや、明日川には会ったか」

 

 記憶を探るように視線を上に投げる。

 

「目ェ覚ました後、廊下のドリンクボックスに飲み物取りに行ったんだよ。そん時に、着替えを取りに来た明日川に会った」

「着替えを取りに……ってことは、大浴場に行く前か」

「あァ。それ以外はあのアナウンスが鳴るまでずっと個室にいたし、誰とも会ってねェ。だから城咲のこともなんも知らねェよ」

 

 火ノ宮はもう少しだけ検死をするそうなので、次の議題を探すために部屋の中を見渡す。相変わらず、一面真っ赤な血液が床に広がっている。

 

「……にしてもひどい血だな。こんなに広がるものなのか?」

 

 そう考えた比較対象は、新家の死体が転がっていたあの倉庫。城咲は新家よりも体格が小さいのに、どう見てもあの時より血が広がっている。

 

「どう考えても不自然ですね。人間一人から出る血の量を超えています」

 

 と、杉野は妙なリアリティを持って語る。……実際、この【魔女】はそういう話に詳しいはずだ。直接手をくださなくとも、殺人の手段に詳しくないわけがない。思い返せば、前回蒼神の死因について話していたときもそうだった。

 

 

──《「……確か、溺死は水を飲み込んでから死に至るまで多少時間差があったはずです。溺死の本質は、酸素を取り込めなくなることによる窒息ですからね」》

 

 

 結局この知識も、仕事のためではなく【魔女(趣味)】のためについた知識なのだろう。

 

「じゃあ何? 七原もここで刺されたってこと?」

「そこまでは断言できません。単なる事実として述べているだけです」

「……ふうん?」

 

 杉野の言葉を受けて、東雲は推理を引っ込めた。今はまだ証拠を集める段階と理解しているようだ。

 

「血痕はこのチェックポイントの外にも広がっているようですし、まずはその全容を把握しなければなりません」

 

 杉野はチェックポイントの二つの出入り口を見てそう告げた。

 

 その言葉を聞いて、思い出す。

 確か、この大迷宮に入ってすぐの廊下から、このチェックポイントまでずっと血痕が続いていた。液体が流れてできたような跡ではなく、何かを引きずったような跡だった。対して、出口側につながる方はそんな人為的な跡はなく、自然に血が流れたのだろうという印象だ。つまり、むしろ入り口につながる方にだけ何か手を加えた、ということになる。

 犯人は、どんな目的で一体何を引きずったのだろうか。

 

「とりあえず、死体の傷の確認は済んだぞ。ついでに色々調べておいた」

 

 そんなふうに頭を悩ませていると、火ノ宮が検死を終えてこちらに合流した。

 

「傷に関しちゃあ【モノクマファイル】の通りで問題ねェだろォな」

「そうですか。ありがとうございます」

「一応確認しておきたいんだが、やっぱり致命傷はその……頭だったのか?」

 

 単なる事実確認のつもりでそう尋ねると、想定とは違う答えが帰ってきた。

 

「……いや、多分違ェはずだ」

「違う?」

「オレも最初に見た時はそう思ってたけどよォ。そもそも、城咲の死因は失血死なんだろ。生きてる時に頭を割られたらそっちの方が死因になるんじゃねェのか」

「それは……確かにそうかもしれませんね。脳を破壊された人間の死因を失血死とは言いません」

「それで、実際調べてみたら死因自体は失血死で間違いなさそうだ。それを踏まえて頭を調べてみりゃあ、割られる前にもう血は流れ出してたみてェだった」

「……つまり?」

 

 東雲の催促。

 

「斧で頭を割られたのは、城咲が死んだ後ってことだ」

 

 そして放たれる火ノ宮の言葉。

 

「……どういうことだよ。どうしてそんなことする必要があるんだよ! 死んだ後に頭を割ったって、なんの意味もないじゃないか!」

「オレが知るわけねェだろ! ……けど、意味もなく犯人がこんなことをするとは思えねェ。何か、意図がなきゃおかしい」

「まず思い付くこととしては、犯人が彼女に酷い恨みを抱いていた、ということが考えられますが」

 

 城咲に恨み。それこそあり得ない。……あり得ないはずなのだが、1%も可能性がない、とまでは断言できない。他人が彼女にどんな感情を抱いていたのかなど、証明するものはなにもないのだから。

 

「……他の傷は?」

 

 死して尚残忍に刃を振るうほどに彼女を恨んでいる人間がいる、という想像に嫌気が刺して話題を変える。真相がどうであれ、彼女を殺したクロが息を潜めていることには違いがないのだが。

 

「腹の傷がひとつで、背中の傷が大きくみっつ……うつ伏せに倒れてたことと傷の深さを考えると、致命傷は背中の方だな」

『凶器は何だったんだ? 刺し傷だって書いてあるし、斧でやった訳じゃないんだろ?』

「あァ、斧じゃねえ。けど……」

 

 言葉を一度区切って、チェックポイントの中を見渡す火ノ宮。特に城咲の回りを確認してから、また口を開く。

 

「そうなると凶器は断定できねェな」

 

 この部屋の中に、斧以外の凶器はない。ましてや刺し傷を作れるような刃物など。

 

「ナイフや包丁みてェな、れっきとした刃物にはちがいねェはずだけどよ」

「ってことは、古池がやったみたいなガラスの破片とかじゃないってこと?」

「あァ」

 

 となると、凶器はどこかへ持ち去られたということになる。……いや、持ち去られたというより……。

 

「七原を刺す時に使ったんじゃないか? わざわざ凶器を使い分ける意味もないし」

 

 七原が襲われた経緯はわからないが、確か七原も腹部から血を流していたはずだ。同じような刺し傷と考えるのが妥当なんじゃないだろうか。

 

「でも菜々香ちゃんの近くに危ないものは落ちてなかったよ?」

「となれば、犯行後に大迷宮の中のどこかに捨てたのかもしれませんね」

「す、捨てたって……ぽ、ポイ捨ては規則違反なんじゃないのかよ……」

「……いや、禁止されてんのはあくまでも『自然を汚す行為』だ。使った凶器を部屋の隅に隠すくれェなら規則には触れねェ」

「…………」

「あァ? 文句でもあんのかよ!」

「べ、別にないよ……!」

「こんな時にまで争うな。もう三度目になるんだ。捜査に集中しろ」

「…………チッ」

 

 岩国に咎められ、二人とも睨み合うのをやめる。今のは火ノ宮が悪い。

 

「凶器は後で探すとして次に行くぞ。『後頚部』……つまり首の後ろ側の火傷だ。長さは大体2センチで、真っ黒に焦げてやがった」

「焦げていた……なんの傷だ?」

「はっきりとはわかんねェ。こうじゃねェかって推測はあるけどな」

「一応聞かせてくれ」

「……スタンガンだ」

 

 彼にしては珍しく、自信の無さそうな声だった。続けて、彼はその判断の根拠を語る。

 

「そもそも、そんなピンポイントに、しかも首筋なんて所を火傷するっていう状況は限られてくる。しかも、単に皮膚がただれたんじゃなく焦げてるわけだしな」

「それで、スタンガンが使用されたと?」

「……相手を一発で気絶させるほどの高電圧なら、スタンガンでも皮膚に十分火傷痕が残るっつー話は聞いたことがあんだよ。殺された人間の首筋に火傷痕が残ってんだから、それを疑うのが筋だろ」

「だが、スタンガンなんてどこにあるんだよ」

「オレが知るわけねェだろ! 凶器と一緒にどっかに捨てたんじゃねェのか。……ただまあ、そもそもスタンガンじゃねェって可能性もあるけどな。こればっかりは推測が過ぎる」

「……いや」

 

 自分の唱えた論を否定する火ノ宮を、さらに大天が否定する。

 

「私も今見たけど、スタンガンでいいんじゃないかな。それこそ火ノ宮君の言う通りそう考えるのが自然だし、私が昔見たスタンガンの痕にそっくりだから」

「スタンガンの痕なんていつ見るのよ」

「……ま、運び屋(こんな仕事)やってると、危ない橋を渡ることも多いからね」

『説明になってんのか?』

「なってるじゃん。安心してよ。一緒に捕まった人にそういう痕がついてただけだから。誘拐の片棒担いだりするのは私も好きじゃないからちゃんと断ってるし」

「依頼は来るんですね……」

 

 ……今の口ぶりからすると、もしや大天は誘拐されたことがあるのだろうか。その辺りの話を少し詳しく聞いてみたいと思ったが、正直何が出てくるか怖くてそんなことはできないし、そもそもそんな場合じゃない。ともかく、ひとまずあの首筋の傷はスタンガンによるものと想定しておこう。

 

「首の傷が本当にスタンガンだとして……そんなもの、どうやって手に入れたんだ」

「もしあの傷がスタンガンによる傷でないとしても、何かしらの道具が使われたことは間違いないでしょう」

『それを言うんだったら、斧だってそうじゃねえか? あんなの、どこにもなかっただろ』

「……その結論を出すために、はっきりさせとかねェといけねェ事がある」

 

 俺と黒峰が口にした疑問を聞いて、口を開いたのは火ノ宮。

 

「配布凶器だ」

 

 配布凶器……。

 

「モノクマから今回の【動機】として凶器や犯行に使えるもんが配られただろ」

「それが城咲さんの殺害に使われたと? 配られた道具は一人一つだったはずですが」

 

 杉野の反論通り、配布凶器は一人一つだ。クロ一人にだけ斧とスタンガンの二つが配られたとは思えない。

 

「んなこたオレもわかってるっつーの! ちゃんと考えはある。その推理のために配布凶器の情報が必要だっつってんだよ」

「……そうですか」

「チッ。オイ、てめーら」

 

 そして、火ノ宮は辺りを見渡す。根岸に、露草に、大天に、そして岩国に視線を飛ばす。

 

「てめーらは自分に配られた凶器を公開してなかったよな」

『……そうだな』

「これまでこの施設になかったもんがこうして出てきたんだ。てめーらの凶器を教えやがれ。この期に及んで言えねェとは言わせねェぞ」

 

 火ノ宮から漂う、有無を言わさぬ気迫。それに押されて、半ばキレるように根岸が反応した。

 

「ぼ、ぼくはクロじゃない……! ほ、ほら……! つ、露草もだせよ……!」

『落ち着けよ、章。誰もお前を疑ってるわけじゃねえんだから』

「……いえ、まったく疑いがないわけでは」

「根岸、お前に配られたのはなんだ?」

 

 また余計なことを言いかけた杉野の声を掻き消すように慌てて声を出す。根岸と露草は、それぞれ凶器を差し出していた。

 

「ぼ、ぼくに配られたのは、わ、ワイヤー……」

「翡翠はアイスピックだったよ。ほら」

 

 彼らが手にしていたのは、彼らの言葉通りのものだった。ワイヤーに、千枚通しのようなアイスピック。どちらもミステリの凶器として見たことはある。少なくとも、あの金の刀よりは一般的だ。

 

「アイスピックは刺殺用だと思いますが、ワイヤーは……絞殺用でしょうか」

「そうでしょうね」

 

 その根岸の持つ5ミリ程の太さのワイヤーは、金属でできているのか銀色に輝いている。少なくとも首を絞めるのには充分足りる長さだ。それに、人の手はおろかよほど上等な道具がなければ断ち切ることはできないように見える。

 

「……どっちも倉庫には置いてなかったな。アイスピックは調理場にもあったが、形状が違ェ。二つとも、配布凶器で間違いねェだろォな」

 

 火ノ宮の言葉に杉野達も頷く。俺も同意見だ。

 

「岩国さんはどうです?」

「…………」

 

 杉野にそう尋ねられた彼女は、数秒の沈黙ののち、

 

「…………現物は、ここにはない」

 

 と、ためらうように告げた。……何をためらう必要があるんだ?

 

「じゃァ、学級裁判のときでも良いから後で見せやがれ。個室にでも置きっぱなしなんだろ」

「いや、その必要はない。この場で証明できる」

 

 え?

 

「証明、ですか?」

 

 俺の脳内に、そして皆の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。

 

「ああ。……あまり言いたくはないがな」

「そういやてめー、他の連中と違って凶器の公開自体を拒否してたよなァ」

 

 今朝、食事スペースに集まって凶器の公開をすることになった時、大天や根岸達はそもそもその場にいなかった。対して、岩国はその場にいたにも関わらず、凶器を公開することなく食事スペースを去った。その理由はなんだったのだろうか。

 その疑問の解を告げるように、岩国は静かに告げた。

 

「……俺に配られたのは、『秘密ノート』だった」

「………………『秘密ノート』?」

 

 聞いた瞬間は、その言葉の意味を理解できなかった。

 そして、遅れて衝撃がやって来る。

 

「……っ!」

「俺を含めた十六人それぞれの秘密が記されたノート、だそうだ」

「秘密……」

「それを知れば、誰が相手でも脅迫をかけることができる。帰宅部や発明家のようにターゲットを呼び出す時に内容を凝る必要がない。俺に配られたのはそういう【凶器】だった」

 

 つまり、アイスピックや毒のような直接的な凶器ではないが、犯行に利用し殺人の実行を可能にする間接的な凶器だったのだ。

 

「そ、そんなの信用できるか……!」

 

 突如、根岸が叫ぶ。

 

「しょ、証明できるなんて言ってたけど、な、なにも証明できてないじゃないか……! そ、その『秘密ノート』を持ってこいよ……!」

「早まるな、化学者。ちゃんと証明する。俺に配られたのが『秘密ノート』だってことをな」

 

 顔色を変えずにそう告げたかと思うと、岩国はスタスタと歩き始めた。まっすぐ、他でもない俺に向かって。

 

「な、なんだよ」

「耳を貸せ、凡人」

 

 そう言うが早いか、俺の返答も待たずに岩国は俺の襟首をつかんでぐいと引き寄せる。

 そして、一瞬ためらってから小さく囁いた。

 

 

 

「お前、パソコンの『二学期のテスト勉強用』ってフォルダに……エ、エロ画像、を隠してるんだってな」

 

 !?

 

 

 

「……」

 

 直後、岩国はふいっと顔を背けた。

 耳に残るくすぐったさを感じながら、彼女の口にした言葉の意味に混乱する。そんな俗っぽい話を彼女の口から聞くとは思わなかった。

 

「……これがお前の秘密。そうだよな」

 

 手を離して、皆にも聞こえるように尋ねてくる。

 

「……ああ。こんな事誰にも言ってないし、言うわけがない。岩国がこの事を知ってるのはおかしい」

 

 彼女の発言した内容は紛れもなく真実だった。適当にそれっぽいことを言ったとしても、『二学期』まで一致するはずがない。という事は。

 

「なら、岩国に『秘密ノート』が配られたってのは間違いなさそォだな」

 

 俺達の様子をうかがっていた火ノ宮が、俺のたどり着いた考えを口にする。本当に、その俺達の秘密が書かれたノートを手にしたのだろう。

 というか、岩国は俺のそんな秘密を知ってどう思っただろうか。そんな秘密のフォルダがある事を、あまつさえ女子に知られたことがあまりにも恥ずかしい。『秘密ノート』に書かれてたのはフォルダ名だけだよな? まさか、その中身にまで書かれてなんかないと思うが。そこまで知られていたらどんな顔をして岩国と話せばいいかわからない。

 

 ………………じゃなくて!

 

 邪念を払うように頭をぶんぶんと振る。そんなくだらない事を考えている場合ではない。ちゃんと捜査に貢献しないと。

 

「……今岩国が言った俺の秘密なんだが、そんなに重い秘密じゃない」

「と、おっしゃいますと?」

「誰にも知られたくない秘密ではあるんだが、是が非でも、という程じゃないというか……例えば、これで脅しをかけられてどこかに呼び出されたとして、そんなの殺されるって明白だし、だったら無視しようって思える位だ」

 

 この秘密がバラされるとしても、それで命が守られるなら安いものだ。白い目で見られるかもしれないが、殺人を企んだやつの方が批難されるに決まってる。

 

「ですが、それは平並君に限った話なのではありませんか?」

「え?」

「秘密の重要度が、個人によってばらつきがあるかもしれません。平並君の秘密が何かは分かりませんが、命の危機があっても呼び出しに応えなくてはならない……むしろ、知った人間を逆に殺さねばならないとまで思ってしまうような秘密が書かれた方がいる可能性があります」

「……」

 

 腹が立つことに、正論だ。ただ、こうして岩国が秘密ノートを持っていることを公表した以上、脅しをかけることも出来ない気がするが。

 

「アンタから見てどうなのよ、岩国。全員分の秘密を把握してるワケでしょ?」

「……いや、全員分は知らない。『秘密ノート』に関するさっき言った説明も最初のページに書かれていたものだし、後は適当にページをめくってやめた。名前と秘密が書いてあったのは確認できたし、お前達の秘密を知ったところでメリットなんてないからな。ここにいる奴らだと……俺が知っているのは凡人の秘密だけだ」

 

 全員の秘密を見たわけじゃない、か。

 

「そ、それこそ信用できるわけないだろ……!」

 

 再び、根岸が岩国に吠える。

 

「お、おまえが本当に『秘密ノート』を貰ったのはわかったけど、だ、だったらぼくたちの秘密を知ることだって出来るってことだろ……? ひ、平並の秘密しか知らないなんて、そ、そんなの信じられるかよ……!」

「章ちゃん、落ち着いて」

「なるほど、だから凶器の公開を渋っていたんですね。『秘密ノート』なんてものを持っていると知られれば、不安に駆られた誰かに狙われるかもしれません。たとえ、皆の秘密も知らないと主張しても、それを信じることはできませんからね」

「…………」

 

 根岸の言い分も尤もではある。知っているということを証明することは可能だが、知らないという事を証明することは不可能だ。

 それでも、それを岩国自身が分かっているのなら、『秘密を見ていない』と嘘をついても意味がないということも理解しているはずだ。なら、この岩国の言葉は信用に値するんじゃないかと思う。……俺が彼女に負い目を感じているからかもしれないが。

 

「それで? てめーに配られた凶器はなんだったんだァ?」

 

 岩国の無言を肯定と受け取って、火ノ宮は大天へと質問を投げる。

 

「私は…………写真。そう、写真だったよ」

「写真、ですか?」

「うん」

 

 写真と聞いて思い出すのは、露草がAVルームで見つけたという新家達の写真だ。けれども、彼女が受け取ったものはあれほど違和感のあるものでは無かったらしい。

 

「隠し撮りみたいな感じで、ここに来てからの皆が撮られてた。まあ、山程監視カメラがあるし、別に撮られてても不思議じゃないけど」

 

 ただの隠し撮り? そんなものが【凶器】として成立するのか、と一瞬考えたが、すぐに岩国の件を思い出す。

 

「それも、脅迫に利用できるってことか?」

「……多分。正直私にはただの写真なんだけど、本人からしたらとんでもない写真なのかも。だから、岩国さんの『秘密ノート』と同じで、これを使って脅迫しろってことだと思う」

 

 先程迷宮にいたところを見つかった時よりは幾分か落ち着いたのか、冷静に語る大天。その彼女が受け取ったという写真について考える。

 ここに来てから隠し撮りされたような写真、と大天は言っていた。けれど、正直俺は見られて困るような行動をここに来てからは取っていない。唯一あるとすれば、初めの事件の時の俺の犯行未遂に関わる一連の行為だけだが、そんなものはもう周知の事実だ。

 見られて困る行動を取っているのは、と考えれば、思い当たるのは一人だ。

 

「どうされましたか、平並君」

「いや、なんでもない」

 

 【言霊遣いの魔女】として暗躍する杉野には、撮られれば致命的になる一瞬が無数にある。もしもそんな一瞬が撮られていたとすれば、それがよりによって大天の手に渡っているということになる。そんな状況になっているのなら、警戒すべきは『脅迫』なんて生易しいものではない。

 

「…………」

 

 ……けれど、もしも今そうなっているのなら、彼女はこんなにも冷静にいられるのだろうか。下手に状況を決めつけるのは賢明じゃない。

 

「大天。その写真はどこにある。今持ってんのか個室にあんのか知らねェが、現物を見ねえと信用できねェ」

「……あー、見せるのは無理かな」

「あァ?」

 

 火ノ宮の当然の疑問に対して、大天はバツが悪そうにそう返した。

 

「どういうことだ?」

「だってもう捨てちゃったし。ビリビリに破いて」

「や、破いてって……」

「だったら、写真の話自体信じらんねェぞ。さっきの根岸じゃねェけどよ」

「捨てちゃったものはしょうがないじゃん! あんな写真いつまでも持ってたくないし!」

「チッ……!」

 

 大天の言葉に、苛つきながら火ノ宮は頭をガシガシと掻いた。その様子を見て、杉野が口を開く。

 

「破いた残骸はどうされたんですか? どこに捨てたにせよ、破いたのなら破片が残るでしょう。それをつなぎ合わせれば、大天さんが写真を受け取った根拠になるかもしれません」

「あー、えーと……」

 

 一瞬言葉をつまらせてから、

 

「個室の、ゴミ箱に捨てたよ」

「……ウソついたりしてねェよな?」

「……うん」

 

 鋭く射抜くような火ノ宮の目線を受けながら、大天はなんとか返事をした。

 

「チッ。んなら、後で調べてくる。コイツの言ってることが本当なら、ちゃんと残骸が見つかんだろ」

「わかりました。その件は後で改めて伺いたいと思います。必要なら僕も調べますしね」

 

 とりあえず、配布凶器については大天以外は全員裏付けが取れたということになる。大天に関しては、捜査が進むまでは保留だ。

 

「じゃあ結局、あの斧やらスタンガンはどこから来たわけ? 火ノ宮、なんか考えがあるっぽかったわよね?」

「……配布凶器が無関係なら、誰かの私物しか考えられねェ。スタンガンはまだわかんねェけどよォ、斧ならまだ心当たりがねェわけじゃねェ」

『心当たり?』

「新家だ。新家の個室には大工用具があんだろ。少なくとものこぎりがあんのは前に本人から聞いてるからなァ。そこに斧があったかもしれねェ。斧と新家の個室にある工具が例えば同じメーカーだったりすりゃあ、裏付けになる」

 

 言われてみれば、たしかに昔新家は火ノ宮とそんな話をしていた。確かに、と納得するような声も聞こえてくる。けれど、俺はそれにうなずかなかった。

 

「ちょっと待ってくれ。確かに新家の個室には色々置いてあったが、斧なんて無かったはずだぞ」

「それは絶対かァ?」

「……絶対かって言われると困るが……自信はある」

「…………」

 

 丸三日もあの個室の中にいたのだ。大抵のことならわかる。

 

「……んじゃあ、わかった。けど、一応調べるだけ調べとく」

「ああ」

 

 念の為、俺も後で調べようか。

 ともあれ、これで火ノ宮の検死結果の検証が終わった。となれば、次に確認することは……。

 

「火ノ宮、城咲の死体で気になる事は無かったか? 呼び出し状を持ってたりとか」

「あァ? 妙なとこはあったけどよォ、呼び出し状なんかねェよ」

「そうか……」

 

 そもそも、城咲はなぜ大迷宮で殺されたのか。過去二回の事件でも利用された呼び出し状がその答えになるかと思ったが、そうではなかったらしい。

 

「しかし、城咲さんが呼び出しを無視しないのは前回で証明済みです。呼び出し状は個室に残したのかもしれませんし、単に口約束だったかもしれません」

「……かもなァ」

 

 そう言いながら、火ノ宮は城咲の元へ歩いていく。俺たちもそれに連なった。近づけば近づくほど、その凄惨さを突きつけられる。

 

「とりあえず城咲の様子を調べて分かったことを言ってく。どォせ裁判で明日川達にも改めて説明するが、今大体頭に入れとけ」

「ええ、わかっています」

 

 何が裁判で重要な証拠になるかはわからない。よく確認しておこう。

 

「分かりやすい所でいうと、まず口だな」

 

 と、火ノ宮に示されるままに城咲の顔を確認する。

 その絶望に染まった顔の口の中に、タオルが押し込まれていた。

 

「多分猿轡(さるぐつわ)のためだろォな。タオルが詰められてやがる」

「このタオルは……倉庫にあったものでしょうか?」

「あァ。見たことがある。間違いねェ」

 

 俺もこれは倉庫で見たことがある。思えば、俺たちが聞いた悲鳴は七原のものだけで、城咲の声は聞こえてきていない。完全に防ぐことは不可能だろうが、ドーム中に響き渡る事はこのタオルで防げるはずだ。

 

「それと、手も妙なことになってやがる」

 

 そう告げてから、火ノ宮はまず城咲の右手に視線を向ける。

 血のついた人差し指を何かを示すように伸ばしたその右手は、チェックポイントの壁に触れていた。人差し指が這ったであろう血の線も壁に残っている。彼女が一体何をしたのかは一目瞭然だった。

 

「これ、ダイイングメッセージを()()()()()()のかしら」

 

 死に際の遺言(ダイイングメッセージ)

 死因が失血死ならば、彼女にはそれを残せる時間があったということになる。いや、あったのだ。この姿勢と壁の痕跡がそれを物語っている。

 しかし、彼女の懸命な想いが実を結ぶことはなかった。その、彼女のダイイングメッセージは、上から血を塗りたくられて掻き消されていたのだから。

 

「そうでしょうね。おそらく、犯人が消したのでしょう」

「なら、クロに感謝しなきゃね。こんな凡ミスでクロが分かっちゃったらたまったもんじゃないもの」

「……チッ」

「範太ちゃん、左手の方は?」

 

 不穏な空気を感じ取ったらしい露草。火ノ宮も一つ舌打ちをするに留め、話を進めた。

 

「情報としてはこっちの方が少しはマシだな。大した意味はねェけどよ」

 

 『システム』を人差し指に付けたままの彼女の左手は、右手とは違って丸く握り込まれていた。

 

「情報ってのは?」

「見てみろ」

 

 と、火ノ宮に示されるままその握りこぶしの中を覗く。その中からは、小さな紙切れがはみ出ていた。

 これは……。

 

「百億円札?」

「あァ。その切れ端だ」

 

 モノクマからボーナスとして配られた百億円札。その角の一部分だった。

 

「ひゃ、百億円札……?」

 

 そのやり取りを聞いて、少し距離を取りながら城咲の死体を見ていた根岸が、俺を押しのけて城咲の左手を確認する。そして、何かを確信したような表情になった。

 

「あァ。何も間違った事言ってねェだろ!」

「べ、別に文句を言いたいわけじゃない……!」

 

 苛つく火ノ宮にそう叫び返して、根岸は白衣のポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。根岸に配られた百億円札だった。

 

「し、城咲がこんなものを握り込んでるってことは、は、犯人ともみ合った時にとっさに掴んだってことだろ……!?」

「あァ。自分の百億円札ならこうなる状況が意味不明だ。まず間違いなく犯人のモンだろうよ」

「だ、だったら、じ、自分の百億円札が破り取られてなかったら、む、無実ってことになるよな……!」

 

 火ノ宮の真正面から担架を切る根岸。なるほど、たしかにそのとおりだ。これで無実の証明ができるなら、間違いなくグッと容疑者を減らせる……いや、クロの特定までできるんじゃないだろうか。

 そう思い至ったが、火ノ宮はというと、

 

「ならねェ。んなもん何の証明にもならねェよ」

 

 と、否定を返した。

 

「……は、はあ?」

「オレも調べてる時におんなじ事を思ったけどよォ」

 

 そう言いながら、火ノ宮は城咲のメイド服……そのポケットに手を入れた。

 そこから出てきたのは、彼女自身の血に染め上げられた、角の欠けた百億円札だった。

 

「その百億円札の片割れは城咲が自分で持ってやがる」

「な……」

「……先程お二方が話していたとおり、その破られた百億円札は犯人のものでしょう。それを城咲さんが持っているという事は……」

『入れ替えたのか。破れた自分の百億円札と、完全なかなたの百億円札を』

「……だろォな。さっき根岸の言ったことに犯人も気づいたんだろ。このままだと一瞬で犯人だとばれちまうって」

 

自分の持ち物を殺した相手の持ち物と入れ替える。このアイデアには、ここにいる全員が最初の裁判の時に気づいている。犯人にとって百億円札を破り取られた事は不測の事態だろうが、とっさにあの裁判を思い出して行動したのかもしれない。

 

「だからさっき、大した意味はないって言ってたのか」

「あァ。城咲も必死に一矢を報おうとしたみてェだが、結局犯人にうまく処理されちまった」

「…………」

 

 死に際の彼女の想いを考えると、やるせなくなる。あの百億円札は、必死に抵抗した証のはずだ。それでも犯人に殺されることになってしまったが、彼女は消えゆく意識の中で、俺達に犯人の名を伝えようとダイイングメッセージを残したはずだ。それすらも、犯人は血の中に消してしまった。

 ……なんとしても、解き明かさねばならない。そうでなければ、城咲のこの想いが何も報われない。

 

「オレが調べて気になったことはこれで全部だ。…………岩国。てめーはなんかあんのか」

 

 火ノ宮は、少し悩んでから岩国に質問を飛ばした。火ノ宮とともに岩国は死体を調べていた。火ノ宮は、冷徹気味な岩国に思うところがあるようだが、捜査を優先したらしい。

 

「俺から言及することはない」

 

 ただ、彼女から有益な情報は返ってこなかった。火ノ宮もそれは予想していたらしく、特に舌打ちしたりはしなかった。

 

「じゃァ、ここで調べられる事はもう無さそォだな」

「あ、じゃあ、翡翠行きたいところあるんだけど、いいかな章ちゃん」

 

 火ノ宮が捜査に区切りを付けたのを見て、露草がそんな事を告げる。

 

「い、行きたい所……?」

『病院だろ? 菜々香の事が気になるみてえだしな』

「うん。よく分かったね、琥珀ちゃん」

『そんなそわそわしてるの見りゃ誰でもわかるっての』

 

 ……そんな風には見えないが。

 

「びょ、病院なんか行かなくてもいいだろ……」

「章ちゃんは菜々香ちゃんが心配じゃないの?」

「………………だ、だからって、おまえが行ってどうするんだよ……」

 

 根岸は露草の質問には答えず、ただし否定もしないまま目をそらす。言い訳を探すように部屋を見渡していたが、何かに気づいたように目を細めた。

 

「ま、まあいいよ……い、行くならとっとと行こう……」

『いいのか?』

「そ、そっちが言い出したんだろ……!」

「あー、待ってよ!」

 

 また後でねと俺達に別れを告げて、露草は根岸を追いかけて出口へ続く道を駆けていった。

 

「……」

 

 それを受けて、岩国もその後を追うように歩き出す。

 

「アンタも病院に行くわけ?」

「まさか。迷宮の中を調べきったわけじゃないだろ」

「あ、ちょっと、待ちなさいよ!」

 

 チェックポイントの捜査を終えて、岩国達も場所を変える。

 

「なら私もいい?」

 

 その様子を見て次いで手を上げたのは大天だ。

 

「あァ?」

「いい加減着替えたいんだよ。顔も髪も服も血だらけで、気持ち悪くて」

 

 その言葉とともに、血の染みたシャツを不快そうにつまみ上げる。

 

「まあ……確かに気持ち悪いだろうが」

「自分の立場が分かって仰ってるんですか? 証言も疑わしいものでしたし、現状の最大の容疑者はあなたですよ」

「分かってるよ、それくらい。それが分かってて言ってるんじゃん。裁判が始まってもずっとこんななんて、勘弁してよ。せめて顔くらい洗わせてよ」

 

 と、むくれるように反論する大天を見て、火ノ宮がため息をついた。

 

「チッ。どうせ調べなきゃならねェんだ。コイツが顔を洗うついでに宿泊棟を調べてくる」

「いいんですか?」

「別に顔を洗うくれェじゃ何もできねェだろ。服を着替えさせるのは流石にさせらんねェが」

 

 そして舌打ちを残して、火ノ宮は大天とともにチェックポイントを後にした。期せずして、俺と杉野の二人きりになった。

 

「さて、僕たちはどうします? 平並君におまかせしますよ」

「……もう少し迷宮の中を調べる」

 

 その余裕ぶった表情に嫌気を覚えながら、適当に返事をして俺も足を動かし始めた。

 正直これ以上この大迷宮から情報が出てくるとは思えなかったが、それでも七原が刺された場所くらいははっきりさせておいた方がいいと思った。

 

「分かりました」

 

 と、杉野は何も異を唱えず俺のあとに続く。

 

 杉野は四六時中俺のそばにいた。つまり、こいつは犯人じゃない。どれだけこいつが凶悪な存在だとしても、この後開かれる学級裁判で追求しなければならないクロはこいつではない。

 

 ……いっそ、こいつがクロだったら良かったのに。そんな嫌な考えが、一瞬頭をよぎった。

 

 




捜査編は次回に続きます。
いつもより捜査が長くなっちゃいましたが……まあ、三章ということで、どうかひとつ。

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