「で、海の音は聴けたの?」
「うん! 涼君にも聴かせてあげたかったな」
「いつか聴きに行くよ」
楽しそうな梨子。そうか、海の音は聴けたんだな。
俺たちは淡島へと戻り、島の階段を少し登ったところにある高台のベンチに座っている。梨子と千歌が一つのベンチに座り、俺がもう一つのベンチに座っている。果南さんは店の手伝いがあるということでいない。曜も水泳部の練習があるということで帰ってしまった。ダイビングの後にまだ泳ぐとか、ワイルドっすね。
とにかく、それゆえに今は俺と梨子と千歌の三人。この中に一人、いらない子がいる!
「ねえねえ、梨子ちゃん。私ね、おにぎり作ってきたんだ。食べる?」
「えっ、いいの? ありがとう! あ、えっと……実は私も作ってきたの。一ついかが?」
「本当! ありがと梨子ちゃん!」
梨子と千歌が互いの持ってきたおにぎりを交換する。千歌の手作り感満載の少し形の崩れたおにぎりと、梨子の正三角形に近い形をした綺麗なおにぎり。どちらも美味しそう。
おにぎりを交換し合う二人。見てて微笑ましい。二人とも、随分と仲良くなったもんだ。……あれ、いらない子って俺?
「おお! 鮭だね!」
「あっ、こっちは梅干し。すっぱいね」
「最初はみかんを入れようとしたんだけどね〜」
さすがにそれはないだろ、と心の中でツッコミを入れておく。どうやら俺は蚊帳の外。い、いいもん! 俺には今朝購入したコンビニのおにぎりがあるから!
おにぎりの包装を勢い良く引きちぎり、噛み付く。うえ、しょっぱい。この塩むすび、塩加減が悪いな。なんか涙みたいな味がする。まずっ。
「りょー君」
「ん? 千歌?」
気付けば千歌が隣に。俺に向けて、不揃いなおにぎりたちを差し出してくる。
「りょー君も一つ、どうぞ」
「い、いいのか……?」
「もちろん!」
「ああ、神よ!」
俺は適当に十字架を切るとおにぎりを食べる。形は少し歪だけど、うまい。
ああ、俺は恵まれている。そういえば、たしか浦の星女学院はミッションスクールだったはず。よし、明日からキリスト教の信者になろう。
「あ、そうだ! 梨子ちゃんもりょー君にあげたら?」
「え? くれるの?」
梨子の手作りおにぎりだと⁉︎ これは食べないと! いや、ぜひ食べさせてください、お願いします何でもしますから! なんなら梨子のリトルデーモンになってもいい! あれ、結局リトルデーモンとは。
「えっと……私ので良かったら……」
「いただきます!」
梨子からおにぎりを受け取ると、一口でパクリ。うーん、この塩加減、絶妙! 梨子の料理の腕と俺の脳の偏見により、これは世界で一番美味しいおにぎりと認定されました。さすが梨子、これは良い俺の嫁になれる。問題は俺が良い旦那になれるかどうかなんだけど。そこ、無理とか言うな。
「それで、どっちの方が美味しかった?」
「ん? どっちも美味かっ、いだ⁉︎」
肘をつねられた。犯人は千歌。何すんだ。
千歌に非難の目を向けてみる。すると千歌は溜息をついた。なんだ、俺が悪いってか?
千歌が俺の耳に口を寄せ、ごにょごにょと囁いた。
「褒めてくれるのは嬉しいんだけどね、そこは『梨子』って言うべきでしょ!」
「あ、そっか」
しまった、俺としたことが。つい素直に感想を述べてしまったぜ。こんなんだから曜に誤解されるんだな、頑張らないと。
「こほん。あー、しかしよく吟味してみると梨子の方が美味しいな」
「え……あ、ありがと?」
梨子が苦笑する。やば、やはり不自然すぎたか。うまく褒める方法がわからん。
「いや、お世辞じゃないんだよ? 俺は本気でそう思ってるんだけど」
「ふふっ、そうなんだ。ありがとね」
にこっ、と笑った梨子はおにぎりを食べるのを再開する。よし、梨子が笑った。任務完りょ、
「ちょっと!」
「ぐえっ⁉︎」
後ろから首を引っ張られる。犯人はまたも千歌。
「何だよ、千歌」
「もっと褒めないと、だよ! 具体的に、どこが良かったのか〜、とか!」
ど、どこが良かったか? たかがおにぎり一つじゃん……。俺にはおにぎりをべた褒めする語彙力なんてないんだよ。
しかしこのまま終わらせるわけにもいかない。これでも一応作家の息子なんでね。だからどうしたって話だけど。てか才能なんて受け継いでない。
「えっと、梨子?」
「涼君? どうしたの? もう一つ食べたい?」
「あ、うん。いただきます」
梨子が差し出したおにぎりをありがたく受け取る。なんか予想してた展開とは違うけど、今度こそしっかり美味しいということを伝えられるようにしないとな……。
「あれ? もしかして最後の一個だったのか?」
が、食べる前に梨子のランチボックスが空になっていることに気付いた。さすがに最後の一個を食べるなんて梨子に悪いよな?
「あ、いいの。私のことは気にしないで。涼君が食べたいのなら私はそれでいいから……」
「そういうわけにもいかないだろ。ちょっと待ってろ」
俺はおにぎりを慎重に二つに分ける。しかし残念ながら、中の具の鮭が偏ってしまった。
俺はその鮭の多い方を梨子に渡す。
「ほら。はんぶんこ」
「あ……ありがとう」
「なんで礼なんか言ってんだ、元々梨子のだろ? 礼を言うのは俺の方だよ。ありがとな、梨子」
俺はさっきまで座っていたベンチに戻ろうとして……人が寝転がっているのに気付いた。
「千歌? 寝てるのか?」
近づいて顔を覗き込んでみる。すると、千歌は目を閉じたままフッと笑い、梨子からは見えなそうな角度でサムズアップした。こ、此奴、まさか……。
「どうしたの?」
後ろから梨子の声。千歌、そういうことか。
振り向くと、ベンチに座っている梨子。もともと千歌が座っていた梨子の隣は空いている。り、梨子の隣……。きっと銀座なんかよりもあそこの方がお高い場所に違いない。よし、梨子座と名付けよう。ザリコ。……なんかお菓子みたいだ、やめよう。
「もしかして寝ちゃってる?」
「ああ、そうみたい」
「ダイビングで疲れたのかな? そのまま寝させてあげよっか」
「そうだな」
俺はゆっくりと千歌から離れ、梨子の座っているベンチのそばへ。
ど、どうする。どうする凪沙涼。ここは自然な流れで梨子の隣に座ってもいいのか? 確かに今はそこしか座る場所がない。けれど、断りもなく隣に座って嫌われたりしないだろうか……? いやむしろ座っていいか聞いてみて、それでダメと言われたら? 梨子は一応幼馴染。そんなことはないと思うけど……でも思春期の女の子はわからないからな……。断られたら一生立ち直れない自信がある。くっ、俺はどうすればいい!
恐る恐る梨子を見る。彼女は今現在何をしてるのかなー、と。
すると目が合った。合ってしまった。や、ば、い。顔が火照っていくのを感じる。もう、どうにでもなれ!
「あ、あのさ、梨子。その……」
梨子の隣、空いている場所を指差す。
「あ、座りたいの? いいよ」
梨子がにっこりと笑う。か、可愛い……じゃなくて、よ、良かったぁ。
許可も出たので、梨子の隣に座ることにする。隣の梨子の横顔をちら見する。少し赤い。まあ今日は一日中外にいたからな、日焼けでもしたんだろう。
って、そんなジロジロ顔なんか観察してたら変態だと思われるかもしれない。それは困る。そうだ。おにぎりでも食べよう、そうしよう。
梨子とはんぶんこしたおにぎりを一口。しかしまったく味を感じない。舌の感覚が麻痺してしまっているらしい。
だ、だってさ! 考えてみろよ。千歌は狸寝入り中で、梨子とほぼ二人きり。それもこんな近くに座ってて……。隣からは仄かに良い香りがしてくるんだぜ? 身体中の全神経が嗅覚に集中してしまっているみたいなんだ、味覚が機能しなくなっても仕方ない。
おにぎりはあっという間に食べ終わってしまった。ど、どうしよう。何もしていないと、心臓がバクバク鳴っているのがよくわかる。
「あのね、涼君。話があるんだけど……」
「話? どうかし、た⁉︎」
梨子から声をかけられて振り向くと、もうすぐそこに梨子の顔が。たぶんこれはポッキーゲームでもしてたのかという近さだ。あ、梨子とポッキーゲームやりたいなぁ。って、ち、近い。
そしてその距離で梨子と目が合う。あわわわわ。胸がドキドキし、顔が熱くなっていく。これは恋の始まりか。いや、もうとっくのとうに始まってたけど。
そしてすぐそこの梨子も、口を開きかけたままフリーズ。首から上にかけて白のち赤。子供の頃に図鑑で見たスイフヨウという花を思い出す。あれは確か一日花。そう、次の日にはもう枯れてしまうのだ。
その日だけ。明日には梨子は、こんなに近くにはいないかもしれない。
——だから。
「り、梨子!」
「涼君……?」
梨子を見つめる。……や、やっぱり無理。こんな距離で梨子を直視とかできないっす。視線は自分の太腿、梨子の足、寝てる千歌、梨子の向こう側に広がる海の景色を行ったり来たり。
「あの、さ……。俺……」
「……? あっ! ごめんね!」
梨子に謝られた。へ⁉︎ フラれた⁉︎ いや、まだ俺は何も言ってない! いや、察したのか? それで事前に拒否? う、嘘……。
「近かったよね? わ、私もそう思ってたところなんだ、あはは……」
梨子はぎこちない笑みを浮かべると立ち上がり、ベンチの端にあった自身の荷物を俺の方へとずらす。そしてそのベンチの端に座った。
「ご、ごめんね、気付かなくて。 狭かったよね? 私、気の利かない子だね……」
「い、いや……」
これは避けられた、のか?
「近すぎると話しにくいもんね」
「え? あ……」
俺は嫌われてる……? いや、違う。嫌われてはいないはずだ。おにぎりくれたし。普通に会話はしてくれるし。そう、梨子は別に俺のことが嫌いではない。そこまで悲観することはない。
でも、好きでもないんだ。そうだ、そうなんだ。
個人的な意見(願望を多少含む)としては、こうなのではないかと思う。梨子は俺のことが嫌いではない。強いて言うなら、もしかしたら好きなのかもしれない。でも、それは異性としてじゃない。幼馴染。昔からの家族ぐるみの付き合いの、友達として。
そう、幼馴染だからといって恋に落ちてしまうわけではないのだ。この世界は、残念ながら。俺は落ちたのに不公平だな。
とにかく、梨子は俺のことが異性として好きではないのだ。特に秀でてることもない、普通な俺が告ったところでどうなる。
やっぱりこの気持ちは隠しておこう。傷つくくらいなら、このままでいい。心は開けなくていい。状況が動かなくていい。
「そうだな、ある程度スペースがあった方がくつろげるしな。で、話って何?」
「あのね……う、ううん。やっぱりやめておく」
「いいの?」
「うん。そんなわざわざいうほどのことでもない、って思うし……」
「そっか」
あれ……? やっぱり嫌われてる? てか、嫌われた? まさか俺がすぐ隣に座ったから嫌になったのか? そ、そんな……。
「あ、そうだ。せっかく海の音が聴けたんだから、ピアノ弾かないとね」
梨子は唐突に立ち上がると、荷物を纏め始めた。
「帰るの?」
「うん。……今日はありがと」
梨子は小さく手を振った後、階段を下りていった。行ってしまった。
残ったのは俺と狸寝入り中の千歌。
「おーい、千歌。起きろー」
よくよく考えてみると、今までのやりとりは全て千歌が聞いていたということだ。何それ、すごい恥ずかしい。
「千歌?」
しかしいくら呼んでも起きないな。なんだ、人をからかってんのか?
「千歌、もう梨子はかえ……」
近づいて覗き込むと千歌は寝ていた。耳をすませば、小さな寝息が聞こえてくる。スヤスヤと、随分と気持ち良さそうに寝るもんだな。
「ったく……風邪ひくぞ」
春といえど、今日はあいにくの曇り空。そこまで気温は上がっておらず、半袖なんていう薄着をしてる彼女はこのままでは風邪をひくだろう。
鞄から果南さんに体験記念にと貰った真っ白なバスタオルを取り出すと、千歌にかけてやる。世話がかかるよ、まったく。
まあ、寝てたってことは聞いてなかったってことだよな。少しホッとする。
起きるまで、待ちますか。
*
「……ふわああ……ん? りょー君?」
「千歌。起きたか」
日が傾いてきた頃、千歌が目を覚ました。俺は高台から見える、夕日に染まったみかん色の海を見ていた。
「梨子ちゃんは?」
「先に帰った。ピアノが弾きたいんだって」
「そうなんだ……あれ?」
千歌が自分にかかっていたバスタオルを持ち上げた。
「これって……」
千歌に見られてる気がした。気恥ずかしくなった俺は、海を見たまま立ち上がる。
「さっさと帰ろう」
「え? あ、うん。そう……だね」
寝起きのせいか、歯切れが悪いな。ここは少し気付けてやるか。
俺は桜内家に代々伝わる(らしい)あれを拝借することにした。
「家まで競争!」
「え⁉︎ ちょっと待ってよ!」
走りながら思う。昔はこうして梨子とよく遊んでたな、と。
でも、今は……。
さっき気温が上がらないとか言ったな、あれは嘘だ。今日は暑い。目から汗が出るくらいに。
TIMID STARS