晴れたある日の放課後。俺は一人で沼津の公園のベンチに座っていた。そして立ち上がるタイミングを逃してしまった。
なんでそんな変な、よくわからない状況に陥っているのかって? ちょっと厄介な人に絡まれてるんだよなぁ。
「相変わらず、太陽の光が強いわ……。くっ、闇の力が弱まってきているのね」
随分と太陽が嫌いなんだな。敵は太陽か。
「夏に向かってるからな」
「え? 違うわよね?」
「……世界の魔界構造が変化してるからな」
「そうね。さすがルカ。やはりあなたも感じ取っていたようね」
俺の名前はルカじゃなくて凪沙涼なんだけどなぁ。というかルカって。どこから引用したんだか。
俺の隣に座る人。薄い水色のコートに黒いサングラス。今は外しているが、さっきまではマスクもつけていた。明らかに不審者。どこかで似たような人を見たことあるような気がするが、多分気のせい。
この不審者。実は……いや、この口調でわかるだろう。津島善子、じゃなくて堕天使ヨハネである。
そう、不登校児だ。この間マルちゃんに頼まれてノートを届けに行った、あの。実はそのノートお届けのせいで困った事態になってしまった。
「ルカ。あなた、次はいつ魔導書を持ってくるつもりなのかしら。待ちくたびれたわ」
「俺はお前と同じ学年ではないからな」
「学年? ふんっ、このヨハネを人と同じ年齢で扱わないでくれる? 堕天使と下等な人間とは歳の取り方というものが——」
本当、面倒な人に絡まれた。彼女の中では俺はどうやら厨二患者らしい。困った。本当に困った。それは誤解だ。訂正しようとしても、
『恥ずかしがることはないわ。「下等世界、みんなで堕天で怖くない」と言うでしょう?』
だそうだ。宇宙ナンバーワンアイドルから学んだとりあえずのっておけ作戦は裏目に出てしまった。彼女の中で俺はルカというリトルデーモンらしい。
俺は現実から目を逸らすためにスマホを取り出す。
「ほほう。さすが私のリトルデーモン、ルカね。自らの下僕との連絡手段を常に携帯しているとは」
「善子は持ってないの?」
「ヨハネよ」
「……ヨハネは持ってないの?」
「もちろんあるわ。でもあまり使用しないわね。ヨハネは天涯孤独。連絡を取る下僕は必要ないもの」
友達がいないのか……。寂しい奴だな。この面倒な性格ゆえか。しかしリトルデーモンって下僕とは違うのか……?
と、よく見ればメールが届いていた。千歌から。
『チラシが完成したから配るよ! 沼津駅集合!』
……今から? 集合かけるのが遅いよ。まだ堕天使に絡まれたせいで本来の目的を達成できていないというのに。
「じゃあそろそろ俺、行かないといけない場所があるから」
「そう……ついにかの約束の地に向かうのね」
「ああ、そうだ」
「また逢いましょう、ルカ」
俺は適当に堕天使に手を振ると、その公園を後にする。不登校と聞いていたから、もっと根暗かと思ってたけどそうでもなかった。引きこもりというわけでもない。単純にあの性格だけが問題なようだ。
それにしても、思っていたよりは美人だった。中二病と聞いていたからもっと不気味な感じかと思っていたが、サングラスをかけている点以外は案外整っていたな。まあ、残念美人というやつだろう。ハラショーだな。
とりあえず千歌には用事があるので遅れる趣旨のメールを送っておく。よし、まずは目的地に向かおう。
*
「うう……ひぐっ」
さて。またしても困った。俺はどうすればいい。
俺がやってきたのは沼津市内の本屋。何を隠そう、今日は母さんの新作の発売日なのだ。買って読まないと、編集さんの命が危ない。
母さんの新作はすぐに見つかった。見やすいところに設置されたコーナーで大々的に売られているのだ。大量入荷されているらしい。
コーナーに近づくと、本はあまり残っていなかった。売れたのか?
ふと脳内に、母さんが執筆した本をたくさん腕に抱えてレジに並ぶ編集さんの姿が浮かび上がった。涙目で財布を開く編集さんの姿が無駄にリアル。まさか、な。
まあ、何だろうと母さんの本が売れるのは嬉しい。俺の小遣いも増えるし。
母さんの著作を一冊掴み、レジに向かったが、途中で足を止める。少し他の本も見て行こうかと思ったのだ。
最近は自分たちのスクールアイドルのことで手一杯で、あまり最新情報をチェックしていないからな。スクールアイドル雑誌でも立ち読みしようかな……。
そんなわけで、雑誌コーナーに向かったのだが。それが誤った選択肢だったっぽい。
「うゆゆ……」
「ああ……る、ルビィちゃん。泣かないで」
俺の目の前で目に涙を浮かべる赤髪の女の子。ルビィちゃん。実は俺があるスクールアイドルの雑誌を掴んだところ、ルビィちゃんも同じ雑誌を取ろうとして、手が触れてしまったのだ。何そのベタな展開は。恋が始まりそう。いや、始まってもらったら困るんだけど。
「あ、あの……ごめんなさい! だから、えっと……な、なな、何もしないで!」
「いや、ルビィちゃん、それは誤解を生むから」
周囲にいた人たちから訝しむような目で見られる。ほら、言わんこっちゃない。まるで俺がルビィちゃん相手に誘拐か痴漢かをしようとしたみたいな目で見られてる。俺にはそんなことをする度胸はないのに。いや、度胸があってもしないけどね⁉︎
「ルビィちゃん!」
と、後方の書棚の間からマルちゃんが現れた。ルビィちゃんの友達、国木田花丸。ほっ。良かった。少しはちゃんとした会話のできる相手が、
「凪沙先輩、ルビィちゃんに何を」
ジト目で見られた。ダメだった……。
「いや、何もやってないというか」
「本当に……?」
「俺、そんなに信用できないのか……って、あれ? それは?」
秘技、話題逸らし。このままでは一方的に俺が悪いことをしたことになってしまいそうだったので、話題を転換。マルちゃんの引いてきた台車に積まれた本の山を指さす。
「これずらか? これは全部買う予定の本で」
「え……これ、全部?」
冗談でしょ? だってひぃ、ふぅ、みぃ……少なくとも50冊くらいはありそうだ。いや、
そういえば、マルちゃんは図書委員だったな。そうか、もしかして新しい蔵書をマルちゃんが買ってるんだな、そうなんだろ!
「ああ、早く買って帰って読みたいずら……!」
「……」
違った。いや、これは明らかに尋常ならざる涼だぞ、じゃなくて量だぞ。……この店、少し涼しすぎないか?
「ルビィちゃんは決めた?」
ま、まあ? とりあえず当初の目的である話題逸らしには成功。結果良ければすべて良し。
「えっと……あれがいいなって」
ルビィちゃんが指さしたのは、俺が持っていたスクールアイドル誌。
「凪沙先輩、もしかして横取り……?」
「い、いや! 違うって!」
くっ、二対一なんて卑怯な。
「ち、違うの! 花丸ちゃん、そうじゃない、んだけど……」
「ルビィちゃん?」
ルビィちゃんと目が合った。一瞬身を震わせると、彼女はすぐさまマルちゃんの背後に隠れた。照れ隠しだな(違う)。
ルビィちゃんがマルちゃんの後ろからごにょごにょと何かを話している。しばらくして、マルちゃんは手をポンと打った。
「そういうことだったんだ〜。凪沙先輩、早とちりしてごめんなさい」
「あ、うん。大丈夫だけど……」
さっきからマルちゃんの後ろのルビィちゃんが顔だけ出してジッと一点を見つめている。俺の握る雑誌を。
試しに雑誌を持った手を動かしてみる。右へ、左へ、上へ、下へ。その動きに合わせて、ルビィちゃんの顔も動く。ふふっ、なんか面白い。
腕を動かしながら書棚に目をやると同じ雑誌は見当たらない。最後の一冊なのか。
俺は雑誌を前へ、ルビィちゃんへと差し出す。
「どうぞ」
「えっ? でも……」
「いや、実を言うと別に買おうとは思ってなかったんだよね。ただ、立ち読みしようかなと思ったくらいで」
「いいんですか!」
ばっ、とルビィちゃんが飛び出してきて、雑誌を手に取った。あ、うん。いいんだけどさ。その食いつきっぷりといい、この間の棒キャンディといい、少しルビィちゃんの将来が心配である。悪い人に騙されないだろうか?
でも幸せそうに雑誌に頬ずりしているルビィちゃんを見ていると、なんだか微笑ましい。なんだか、彼女の父親にでもなった気分である。母親? もちろん梨子でしょ。
『ただいま』
『おかえりなさい、あなた』
仕事が終わり、帰宅するとエプロンをつけた梨子が出迎えてくれる。彼女は俺の荷物を持ってくれると、頬に軽くキス。すると、軽く俺の首に腕を巻き付けて、
『ねえ、ご飯にする? お風呂にする? それとも……』
『お父さん!』
梨子が素早く俺から離れる。トタトタとリビングから玄関へと走ってくる愛娘ルビィ(仮称)。今年で五歳になった。ルビィももうすぐ小学生か、年が経つのは早いもんだな。
『あ、ルビィ。今日はお土産があるぞ』
『本当!』
『じゃん』
俺が取り出したスクールアイドルの雑誌。
『うわあ……! スクールアイドルだぁ! ありがとう、お父さん!』
嬉しそうにリビングへと走っていくルビィ。それを見送ったあと、梨子が溜息を吐いた。
『もう、ルビィには甘いんだから……』
『ごめんごめん。つい』
『まったく』
ふてくされたようにそっぽを向く梨子。ふふっ、可愛らしいな。
俺は梨子の腰に手を回し、自分の方へと引き寄せる。
『じゃあ、今日は梨子も甘えてみる?』
『もう、あなたったら……』
ゆっくりと俺の方に向き直る梨子。密着した身体から、梨子の身体の火照りを感じる。
どちらともなく次第に顔が近づき、唇が重な——
『お父さん!』
廊下を走ってくるルビィを見て、慌てて俺らは離れる。それを少し不思議そうに首を傾げて見た後、ルビィは大事そうに抱えた雑誌を広げた。
『μ'sだよ、μ's!』
『あ、ああ。良かったな』
『お父さんも一緒に見よ!』
『仕方ないなぁ』
わーい、と喜ぶルビィに手を引かれて、俺はリビングへ。隣を歩く梨子は苦笑い。髪を耳にかけながら、俺の耳元に囁く。
『ルビィが寝たあと、ね?』
ふ、ふふ。いいなぁ……。
「大事にするんだぞ?」
ぽん。上機嫌になった俺は何の気もなしに、ルビィちゃんの肩に手を置いた。いや、置いてしまった。
「ぴっ」
「ずら」
びくんと肩を跳ね上がらせるルビィちゃん。顔が一気に真っ赤に染まっていく。それに反応して、マルちゃんが自らの耳をふさぐ。え、これから何が起き、
「ピギイイイイイイイイイイイイイ⁉︎」
「————⁉︎」
*
「ご、ごめんなさい……」
三人が会計を済ませ、本屋の外に出るとすぐさまルビィちゃんが謝ってきた。顔は髪と同じくらい真っ赤なまま。
「い、いや……たぶん大丈夫……」
鼓膜が痛むけど大丈夫、問題ない。こんなハイパーボイス、いつ以来だろう。たぶん小学生の頃、梨子の家に居候していた時、謝ってノックもせずに梨子の部屋に入った瞬間以来だと思われる。えっ、何が起きたのかって? 聞くな。……まあ、その時は白だったとだけ言っておこう。
「てか、マルちゃん。教えてよ……」
「気安く女の子に触る先輩が悪いと思うずら」
「うっ。そうだけどさ」
あれだけの大量の本を購入したマルちゃん。すべて風呂敷に包んで背負っている。重くないの?
というか、店員の目も怖かったな。レジで会計をしている時、迷惑な客だとでも言いたげな目で見られた。メガネをかけた冴えない青年だったな。たしかにあれだけの大声をあげてたら迷惑なんだろうけど。
「あ、あの!」
「ルビィちゃん?」
「め、メアド! 交換しませんか……?」
ルビィちゃんが赤い携帯を取り出した。
「いいけど……でも、何で?」
「あ、うぃ……それは……」
ささっとマルちゃんの背後に移動し、マルちゃんに何かを囁く。
「自分で言ったらどうずら?」
マルちゃんの問いかけにルビィちゃんは首を振る。
「仕方ないなぁ。凪沙先輩、ルビィちゃんは男性恐怖症を克服したいそうです」
それは前も聞いた。……あっ、なるほど。だからまずは直接話すのではなく、メールのやり取りでもしようということか。
「よし、じゃあ交換しようか」
スマホを取り出してみるも、ルビィちゃんはマルちゃんの後ろに隠れて何もしない。……えっと、どう交換しろと?
「はぁ。ねえ、マルちゃん。このスマホにルビィちゃんのメアドを……マルちゃん?」
仕方ないのでマルちゃんに仲介を頼もうとしたところ、彼女は彼女で目をキラキラさせながら俺のスマホを見ている。……あ、あの。
「こ、これがスマホ……! 使ってもいいずらか……!」
「あ、ああ。壊さなければ、別に」
「はああ……未来ずら、未来ずらよ、ルビィちゃん!」
……これ、あとどれくらい時間がかかるんだろうか。
敵は太陽じゃない?