ついた、と言われて車を降りる。目の前にある建物は、古い旅館だった。家ではない。どこだここ。
ちょうど目に入った旅館の看板を読んでみる。
「十千万……?」
「じゃあ私は行くから。バイバーイ」
「は?」
言葉の意味を考える暇もなく。振り返るタイミングすらなく。
車の走り去る音が残していったのは、俺の荷物の入ったトランクだけ。あと俺。え、置き去り?
ピロンッ。
突然震えたスマホに驚きつつも、ズボンのポケットからそれを取り出す。ズボンが太股に引っ付いていたのは、冷や汗のせいだとは思いたくない。ちょっと汗っかきなんすよ、俺。
新着メールが一件。差出人は
『涼にお知らせ。旅館の部屋を一部屋、年単位で借りました。詳しくは旅館の女将さんあたりにでも聞いてね』
さて。俺はまず、マトモな友達よりも先にマトモな母親を探さなければいけないらしい。憎らしいほど愛せない。普通ですね、はい。
と、バスが走ってきた。このまま道のど真ん中に突っ立っていては迷惑だろう。とりあえずトランクを持つと十千万の前まで移動する。
さて、どうしたものか。母親は俺にこの十千万とやらに泊まれと言っている。しかし我が母親はどこで過ごすつもりなのだ? いや、そこは心底どうでもいいんだが。
「あれ〜? 君はだぁれ? 見かけない顔だね」
「ん?」
悩んでいたところ、人に話しかけられた。見知らぬ人にだぁれとか、田舎者っぽさが滲み出ている。というか、そののぺーとした喋り方がもう田舎もんのそれそのまんま。思わず笑いそうになる。
声のした方を見ると……女の子がいた。まあそれは声でわかるけど。
蜜柑色の髪。黄色いリボンとクローバーの髪留め、アホ毛が目立つ。俺が言うのもアレだけど、可愛いの部類に入るんじゃないんだろうか。何様だよって感じだけど。涼様です。……そ、そんな目で見ないで!
コホン。それはまあ一旦置いておく。服装は地味な制服。女子高校生か。つまりJK。まあ、珍しいものでも何でもない。俺も高校生だしね。
「えっと、俺は——」
「あれ、あの子。何してるんだろ」
む、無視? 人に誰と聞いておいて無視ですかさいですか。はっ! まさかこれが噂に聞くツンデレ⁉︎ ……そんなわけないですね、ええ。知ってますとも。というより、この子の容姿からツンデレが想像できない件。
「うそ……まだ4月だよ……?」
驚きの混じる女の子の声に、俺も彼女の見る方向を見てみた。
船着き場の先端に立つ女の子。その子が着ている制服は見覚えがあった。あれは音ノ木坂学院の制服だ。そういえばあの子も音ノ木坂学院の生徒だったな。
吹き始めた風が彼女の髪を揺らす。赤紫色の髪だ。そう、あの子と同じ。
……まさか、な。こんなところでバッタリなんて、それこそ奇跡じゃないか。運命感じちゃう。信じられないけど。いや、信じないと。信じれば、叶うってどこかで聴いた!
俺があの子の風が吹くんじゃないかと待っていると、女の子が服を脱ぎ始めた。えっ、えっ、まさかの痴女⁉︎ じゃああの子じゃない。あの子はこんなことするような子ではなかった。こんなの見てられないよ!
あ、水着着てた。なんだ、裸になるんじゃないのか。え、結局見てたのかって? ……み、見てないよ。見てないってば! 女の子が勝手に野外で裸になるとか俺得、なんてこと思ってるわけないじゃん! バッカじゃないの⁉︎ おお、これがツンデレか。そうか。俺が、俺たちが、ツンデレだ!(キリッ
っていやいや。ちょっと待てよ。水着ってことは、もしかしてもしかしなくても海に飛び込むってこと? あの子、そんなに海が好きだったっけ?
『私を?』
いや、違うから。
脳内に突然浮かび上がってきた先輩を掻き消し、冷静に考える。今は4月。4月の海。……ヤバくないすか?
「止めないと! 君も手伝って!」
「あ、はい!」
荷物を投げ出して走る女の子を追いかけるように俺も走る。
「タァァァァァァァ!」
音ノ木坂の生徒は、もう既に海へと駆け出していた。あいつ、正気かよ!
「待って!」
地元の女子高生が音ノ木坂の生徒に抱きつく。
「死ぬから! 死んじゃうから!」
「離して! 行かなくちゃいけないの!」
押し合いへし合いをする二人の女子高生。その現場へと全力で走りながら、俺は確信を持つ。あの声。忘れもしない、あの子の声だ。
「梨子っ!」
彼女——桜内梨子の名前を叫んだ。昔から呼んでいた名前。好きだった彼女の名前。いや、今も好きだ。だから走ってる。海なんかに落とさせやしない。海未なんかに——
「えっ」
俺の声が届いた。その証拠に、梨子がこちらを振り返る。彼女の口元が動いた。何か言ったのだ。しかし、その声は地元の女子高生によって掻き消された。
「っと、うわあああ⁉︎」
梨子が振り向いた、それによって力の均衡が崩れた。そのせいで梨子と地元女子高生の二人はバランスが取れなくなり、海の方へと倒れこむ。ああ、落ちるな、この二人。
パシッ。
「へ?」
腕を掴まれた。さらに引っ張られる。瞬時に掴んできた腕をたどると、梨子さんでした。いや、この状況で俺の腕を掴むとは一体何を考えているんだよ、俺に抱かれたって月まで飛べんぞ(逃避)。
「「「うわああああ⁉︎」」」
その後、海に何かが落ちる音がしたとかしなかったとか。いや、したんだけどね。
*
「クシュッ!」
「大丈夫? 沖縄じゃないんだから」
地元っ子がどこからか持参してきたタオルに包まり、ドラム缶に起こした火で暖をとる俺と梨子。海で死にかけるとか、今日は二度目だ。
しかしさすが地元っ子。巻き添えになって海に落ちたのに、全然寒そうではない。
「えっと、とりあえず梨子。また会ったね」
「そうだね。もう会えないんじゃないかと思ってたんだけど……」
俺もそう思ってた。だって梨子が引っ越して、俺も引っ越したんだ。お互い、行き先も伝えずに。それがこうして、また会えた。引越し先で。これってもう運命なんじゃないだろうか。
しばらく沈黙が続いた後、地元っ子が切り出した。
「ねえねえ、どうして海に入ろうとしたの? 海に入りたいならダイビングショップもあるのに」
ダイビングショップか。きっとガタイのいい、肌が焼けて真っ黒なマッチョが経営してるのだろう。近づき難いな。少なくとも俺のようなもやしが行くところではない。
「海の音が聞きたかったの」
「海?」
『私の音ですか?』
いや、(ry
「どうして?」
地元っ子の問いかけに、梨子は何も答えない。これは、まだ引きずっているのかもしれない。
梨子のだんまりにしびれをきらしたらしい地元っ子。
「わかったよ、もう聞かないー。……海中の音ってこと?」
「聞いてるじゃん!」
「んふっ」
「おおっ! ナイスツッコミ!」
音ノ木坂で鍛えられたツッコミスキルをつい発動してしまった。あのマトモじゃない年上の姉さん方に囲まれて生活してみろ。絶対にこうなる。
「って、感心してる場合じゃないだろ。聞かないと言っておきながら……」
「えー? だって気になるんだもん」
はあ。これだから田舎者は困るぜ。まあ梨子が笑ったからよしとしよう。それに、梨子が海に飛び込もうとした理由、そして梨子がここにいる理由は俺も気になるところである。
「梨子、俺も教えてほしいな」
「そう……実は、どうしても海の曲のイメージが思い浮かばなかったの」
「曲……?」
「梨子はピアノで作曲してるんだ」
首を九十度傾ける地元っ子に俺は説明をしてあげる。すると、地元っ子は目が飛び出るんじゃないかってくらい驚いた。
「作曲できるの⁉︎ すごいね!」
「まあな。梨子はすごいんだぞ。向こうでは——」
くいっ。梨子に袖を引っ張られた。俺は口をつぐむ。梨子にとって触れてほしくない話題だったな、これは。
「へえ〜、そうなんだ〜。あれ? ところで二人はどーいう関係なの?」
「恋人」
「ふえ⁉︎」
「えっ?」
「なんて、冗談だよ、冗談。幼馴染、かな」
はい、俺の願望でした乙。地元っ子の反応は素晴らしく面白いものだった。最近
「そっかあ、幼馴染かぁ。高校はどこ? この辺じゃないよね?」
「東京」
「東京! 東京からわざわざここに来たの!」
「わざわざっていうか……」
そうか。梨子もここに引っ越してきたってわけか。これ、まさに運命じゃないだろうか。さっきも言ったけど。
俺は自分の手と梨子の手を見比べてみる。赤い糸で結ばれていたりとか……。
「何してるの?」
「え? あ、いや。なんでも」
自然な感じで俺と梨子の間に座り込んできた地元っ子。君のせいで梨子が見えない。どいてほしい。切実に。
「ふうん。あっ、そうだ! 東京ってことは、誰かスクールアイドル知ってる?」
「スクールアイドル? 何それ」
「え……」
梨子の反応に戸惑う地元っ子。まあ、仕方ないよな。梨子には色々と事情があるのだから。
「スクールアイドル、知らないの⁉︎」
「ごめんなさい。ずっとピアノばっかりやってたから。あ、涼君なら知ってるんじゃないかな。どう、涼君?」
「知ってるよ。eAst heArtとかな」
ここであえてのeAst heArt。どうだい、知らない人もいるんじゃないのか? ちなみにこのグループは第二回ラブライブ!のプレ予選を通過したグループである。
「い……ああ、うん! 私も知ってるよ〜! 可愛いよね、彼女たち!」
……これはこいつ、まさか……。
「ねえ、ももちゃみっくすって知ってる?」
「なぁに、それ? 新しい飲み物か何か? 美味しいの?」
「あ、いや。何でもない。気にしないで」
この子自分の都道府県の代表グループすら知らないのか。これはにわか判定待ったなしか?
「スクールアイドルって、そんなにすごいの?」
「すごいなんてもんじゃないよ! ほら、これ見てみて! なんじゃこりゃあってなるから!」
「なんじゃこりゃ?」
「なんじゃこりゃ。はい」
地元っ子が梨子に見せた写真。俺もそれを覗き込む。μ'sだ。
「なんというか……普通?」
普通……ふっ、笑えてくるね。彼女たちが普通とか、ありえない。絶対に。伝説のメイドが普通とか、ありえない。
「あ、いえ! 悪い意味じゃなくて!」
海の方へと歩いて行った地元っ子。沈みかけている夕日が彼女を照らす。
「そうだよね、普通だよね。だから衝撃だったんだよ」
いや、だから普通じゃないって、あの人たちは。一緒に過ごしてみればわかる。普通じゃないんだ。色々と。例えばラブアローシュートなる技を会得した人もいるのだ。ぜひ梨子にも一度やってもら……コホン。普通じゃないね。
「熱中できる好きなこととか、将来こうなりたいっていう夢とか。そういうの、一つもなくて」
そうかい。だからμ'sが羨ましいわけだ。そういうふうに、自分もなりたいわけだ。
「私ね、普通なの」
地元っ子は石を拾うと、それを海へと投げた。十段近くも水を切った後、石は海中へと沈んだ。うまいな、水切り。普通じゃない気がする。
「君が普通なら、俺は超普通だな」
俺もその辺に落ちていた石を拾うと、海に向かって投げた。石は三段跳ねたところで沈んだ。
「ほら、水切りだってこの程度だし」
「えー? それは君が下手なだけだよ! 私は普通!」
「へ、下手じゃないし!」
俺はもう一個石を拾うと、海へと投げつける。石は水面を二回打った後、沈んでいった。
「ぷ……ぷぷ……」
「あっれ、おかしいな。今日は調子が悪いのかも」
「ええー、そうなの? それが本気なんじゃないの?」
「な、なわけ! 見てろよ、今に十段くらい簡単に……」
もう一回、石を投げる。今度は一段も跳ねずに沈んだ。う、嘘……。
「はははっ! むりむりむり! 君には十年早いねっ!」
地元っ子が石を拾うと、もう一度投げた。石は十二段跳ねていった。水切りってこんなに遠くまで飛ばせるものだったのか……。
「ふっ、どうよ」
「さすが田舎者。こういうことは伊達じゃないね」
「い、田舎ぁ⁉︎ 田舎じゃないもん!」
「田舎だ、田舎! 秋葉原と比べたらこんな町、田舎だね!」
「何を〜!」
地元っ子と睨み合う。彼女の目の色が梨子の髪と同じ赤紫色だということに気付いた。綺麗な色だな。
「ふふっ、ふふ。ふふふふ……」
「梨子?」
しばらく睨み合っていたら、浜の方から笑い声が聞こえた。梨子が笑っていた。
「なんだか仲のいい幼馴染みたいね、あなたたち」
幼馴染……か。俺の幼馴染は世界でただ一人、梨子だけなんだけどな。
「見てて楽しそうだった。どうしてなのかな、キラキラしてたっていうか。青春? みたいな?」
「そう、それだよ! どこにでもいるような高校生なのに、スクールアイドルはみんな輝いてる! それでね、私思ったの。私もみんなと一緒に頑張りたい。スクールアイドルになって、あの人たちの目指したところを目指したい。私も輝きたいって!」
輝きたい。きっと誰もが一度は夢見ることなんだろう。程度は違えど、誰だって。例えば、俺が梨子と付き合いたいって思うことも同じようなことだろう。リア充となって輝くということだ。たぶん。いや、やっぱり違う?
「私は高海千歌。あそこの丘にある、浦の星女学院に通う二年生!」
「二年生か。同じ年だな。俺は凪沙涼。なれるといいな、スクールアイドル」
「ありがとう!」
俺は高海さんと握手をする。さっきまでは競い合っていた仲だったけど、戦いが終われば友。どんなに低レベルな戦いであっても、だ。……少し練習しようかな、水切り。
「あなたは?」
高海さんが梨子を見る。梨子は立ち上がると、俺の隣に立った。
「私は桜内梨子。学校は——音ノ木坂学院」
知ってるlove*開いてるheart