「ねえ、なんでこっちなの……疲れた……」
「別についてこなくても良かったのに」
フェリーで渡って淡島。険しい階段を登ること十数分。少し後ろの千歌が文句を言ってきた。だから、来なくていいって言ったのに。俺としては梨子に来てほしかった。あ、でも梨子をこんな暗い時間帯に外に出すわけにはいかないな。
「でも、りょー君迷子になっちゃうでしょ?」
「千歌と一緒にするな」
「うわぁ、ひどい!」
一気に階段を駆け上がると、千歌は俺の背中を押した。おい、十分元気じゃないか。
「でも、なんでこっちなの? もっと楽に行ける神社もあったのに」
千歌に神社の所在を聞いた俺。千歌からは幾つかの神社を教えてもらった。その中にはわざわざ淡島まで渡る必要のない神社もあったわけで。平地の神社もあったわけで。それなのに、なぜこの神社なのか。
「苦労したほうが良い事がありそうだろ」
「本気で退学の心配してるんだ……」
「悪い?」
俺だって不安にもなる。駅前での曜の人気ぶりとかを見る限りでは、満員になりそうでもある。けれども。
「いえ、なんの問題もございませぬ」
急に変な言葉遣いになる千歌。俺、馬鹿にされてる?
そんなこんな話しているうちに、神社についた。淡島の神社。思っていたより小さい。
「何をお願いするの?」
「決まってるだろ?」
「そうだね」
μ'sだってよくライブの前は神田明神で祈っていたと聞く。俺らもやっておいた方がいいはず。
お賽銭を静かに入れ、鈴を鳴らす。二回礼をして、二拍手。
「絶対に体育館を満員にできますように!」
「梨子と結ばれますように」
「……え?」
千歌が半目でこちらを見てくる。こ、今夜は少し風がジトッとしてるな。明日は雨かな?
「そこは空気を読もうよ」
「……わかったよ」
仕方ない。もう一度やり直そう。梨子と添い遂げられるかどうかは神頼みじゃダメだからな、うん。……決して千歌の視線が痛かったわけではない。
「梨子と同じ学校に通えますように」
「……なんか違うんだよなぁ」
違くないだろ。だって俺と梨子が同じ学校に通うためには、体育館満員が条件なわけだからな。これでいいのだ。
「よし、帰ろう」
「大丈夫かなぁ……」
*
ザーッ、という地を叩く音で目が覚める。音は外から聞こえてきている。
「雨か……」
やっぱりな。昨日からそう思ってたんだよ。( )
でも、本当に降っちゃったか。観客が集まるのに支障が出るかもな。困った。
俺は手早く着替えを済ませて部屋を出る。
「おはよう。気分はどう?」
高海家のリビングに行くと、志満さんが朝食の準備をしていた。あと、しいたけが寝転がっている。何か足りない。
「あれ? 美渡さんは?」
「ちょっと用事があるらしくて。朝早くから出かけていったわ」
「用事?」
なんだろう。まあ、何でもいい気もする。
「あ、そうそう。千歌ちゃん、起こしてきてくれるかしら?」
そういえば、まだ姿を見ていない。お寝坊だな。いつの日かの俺を叩き起こしに来た勢いはどこへ行ったんだ。
「わかりました」
「お願いね〜」
テーブルの上にあったみかんを一つ掴んで食べると、上の階に。外の廊下を通って、千歌の部屋の前へ。
「千歌?」
声をかけてみるも、返事はない。寝てるのかな。
「入るぞ。……あれ、梨子?」
すぐ隣の家、そのベランダ。手摺に寄りかかるようにして梨子が立っていた。イヤホンを耳に挿して、目を閉じて。湿った風が彼女の髪を揺らし、屋根の外へと投げ出している。髪についた雨の雫がここからでもよく見えた。
俺もベランダに出る。
「梨子、風邪ひくぞ」
「……? あ、涼君。おはよう」
向こうのベランダから梨子が手を振る。俺も振り返す。いいな、千歌は。こうやってベランダ越しに会話ができるんだから。羨ましい。
「曲を聴いてるのか?」
「うん」
「良い曲だよね、俺も昨日の夜はずっと聴いてた」
「……そう」
梨子は雨の軌跡をたどるように下を見る。俺もつられて下を向く。
「私にできるのかな……」
梨子が静かに呟いた。雨の音に掻き消されそうなくらい小さい声だったけれど、俺は聞き取れた。
「大丈夫だろ。ちゃんと練習してきたし、曲だって良いものを作れたんだ」
「でも私、地味だし」
「そんなことないって。少なくとも俺は梨子のことを可愛いと思ってる。昔っからね」
一瞬ぽかんと呆けた梨子は、すぐにクスッと笑った。本気と取られてないっぽい。
「お世辞じゃないんだぞ?」
梨子は苦笑する。明らかに信じてない調子で。
「涼君は昔っから優しいもんね。可愛い可愛いしか言わない」
「いや、それは」
だって事実だし。俺には他にうまい表現が思い浮かばないんだよ。
何か言い返そうとしたが、梨子の表情が一気に曇るのを見て、口を閉じる。降り続く雨。髪が張り付いてやな感じ。
「満員になるかな」
梨子の言葉に、喉を絞められたような思いがした。満員。達成できなかったら、俺は別の学校に。梨子と同じ学校に通えなくなる。
「さあな」
「えー、そこはいつもみたいに梨子くらい可愛いなら大丈夫って言ってよ……」
「あ、今自分で自分が可愛いって言ったな? 自覚してるんだ」
「し、してない! そうじゃなくて!」
「どうしたんだい、可愛い梨子ちゃん」
「か、可愛くなんて!」
顔を真っ赤にしながら否定する梨子。ああ、可愛いなぁ。
「あ、そうだ。ライブ終わった後さ、ツーショット撮ってよ。可愛い梨子の可愛い衣装姿で、一緒に写真撮りたいなぁ」
「可愛い可愛いって、そんなに言わないでよ!」
「だって梨子が言って欲しいって言ったじゃん?」
「そういう意味じゃないのに〜!」
地団駄を踏む梨子。それを見ていると、自然と笑えてくる。
「ぷっ。ふふっ、はははっ」
「笑わないでよ!」
むうっ、と梨子が膨れっ面をする。おかげで余計に笑いがとまらなくなる。そしてそんな俺を見ていて、笑いが移ったらしい。梨子も次第に顔が緩む。
「も、もう……ふふふ」
二人でしばらく笑いあう。ここ最近の学校生活は楽しかったな。久々に梨子と同じ教室に通えて、一緒に弁当を食べて、勉強して。
笑ってるうちに、頬に冷たいものが流れるのを感じた。
「りょ、涼君⁉︎ 泣いてるの?」
「違う。これは雨だ、雨」
「涼君……」
少し強がってみるものの、梨子の目がつらい。俺の気持ちがわかっているかのようで。幼馴染なんだ、やっぱり。
「そろそろ千歌を起こさないと。志満さんに怒られるや。じゃあ、またあとで」
「あ、待って……」
パタン。外から聞こえてくるのは、雨の音だけ。
「って、バカか俺は。まーた同じミスしてんぞ」
ぴしゃりと両頬を打つ。彼女たちを信じなくてどうする。そう、体育館は絶対に満員。俺は来週だって来月だって、浦の星女学院に通い続けてやる。……男だけど。
いや、学費無料で通えるんだ。親孝行ということにしておこう。うん、そうしよう。
*
「この辺?」
「そうそう、そんな感じ」
体育館。ライブ開始まであと少し。俺はライブの準備の手伝いをしていた。ライブの裏方の仕事を、クラスメイトがしてくれるのだ。
「やっぱり男手があると違うね」
機材を上まで運んでフロアに戻ってくると、クラスメイトの一人、いつきさんがそう言った。
「そうか? 俺ってあまり力ある方じゃないし、大して役に立ててたとは思えないんだけど」
「そんなことないよ。あ、そうだ。Aqoursのみんななら今、舞台裏にいると思うけど、会う?」
「いいよ、それより客を集めないと」
開始まであと少しだというのに、ここには両手で数えられるほどの人数しかいない。残念ながらAqoursの三人と話す時間はなさそうだ。
体育館の奥へと行くと、ヤバい格好の人物と目が合った。マスクにサングラス。紛れもなく不審者然とした彼女は例の不登校児。無視して素通りするのもあれなので、一応声をかけておく。
「来てくれたんだ」
「……」
……もう一度声をかけてみた。
「久しぶりだね、よし」
「しーっ! ヨハネよ!」
周囲をキョロキョロと窺いながら、善子ちゃんが近づいてくる。
「心配するなよ。この辺にいる人たち、みんな俺と同じクラスの二年生だし」
「し、心配⁉︎ そ、そんなわけないでしょ! んんっ、このヨハネが下等な人間どもの視線に……へ?」
善子ちゃんの動きが止まる。サングラスで瞳は見えないけど、たぶんまんまるに見開かれているんじゃないだろうか。って、何にそんなに驚いているんだ?
「どうかした?」
「いえ、何でもない……です」
ぺこりと頭を下げると、善子ちゃんは体育館の中央の方へ。な、なんだ? 堕天使キャラはどうした?
と、不意に横から金髪の女性が視界に入ってきた。手をヒラヒラと振りながら、彼女はにっこりと笑う。
「シャイニー!」
「……理事長」
マリーさんは楽しそうに俺の周りをクルクルと回る。やめてください、目が回りそうなんで。
何回転かして、再び俺の目の前に戻ってきたマリーさん。楽しそうな表情から一変、真剣な顔付きをしていた。
「集まらないわね」
ライブ開始まであとほんのわずか。ルビィちゃんとマルちゃんが体育館に駆けつけ、入り口の側に立っているものの他に人が来る気配はない。人が集まらない。
何も答えない俺に興味をなくしたのか、マリーさんはステージの方を見る。幕が垂れ下がっているステージ。きっとあの向こうにはAqoursの三人がいるんだ。梨子がいるんだ。この集客状況を知らずに。
「……あの、本当に俺って退学になるんですか?」
少し気になったことを聞いてみる。
「そうね。それが約束だし」
マリーさんは俺に目を合わせることなく答えた。そっか。やっぱり避けられないのかな。
「Aqoursの解散も絶対なんですか?」
「まあ、そういうことになるわね。それで、あなたが言いたいことは?」
「俺を退学にするだけで勘弁してもらいませんか」
「つまり、スクゥーアイドゥー部を認めろと?」
「いえ、別にそこまでは言いません。ただ、解散させる必要はないんじゃないんですか? 俺が退学になるのは、まあわかります。ここ女子校ですし。でもAqoursは」
「ノーよ」
きっぱりと。はっきりと、マリーさんは言った。
「どうして」
「そういう考え方がトゥーバッドなのよ。どうして満員にならないと決めつけるの?」
「どうしてって……」
俺は質問を質問で返される。少し気に食わないが、周りを見渡してみる。ガラガラの体育館。どうしてこうなったのか、そんなの。
「わかりません」
「私、今日はヘリコプターで登校したんだけど」
「は、はあ」
「今日は道が混んでたわ。レインだからかしら?」
いきなり何の話だ。自慢? それまた随分と贅沢なご登校ですね、とでも言えばいいのだろうか。
「あれはアメイジングだわ。あなたも乗ったことあるでしょ? どうだった?」
「それはまあ、景色が良かったですけど」
「海から町まで広く見えた、そうよね?」
俺は頷く。町全体が見渡せて、本当に綺麗だった。特にあれは都会から越してきて次の日のこと。自然の豊かさ、それを真正面から知った。
でも、それが何だというのだ。それが、今のこの状況と何の関係があるっていうんだ。
「涼。落ち着いて。ビークール。もっと視野をひろ——」
ブー!
一瞬、生徒会長が会話に入り込んできたのかと思ったらそうではなかった。ブザー音。体育館のフロアの方の照明が落とされる。
ああ、始まってしまった。Aqoursの最初のライブが。そして……最後のライブが。
「涼、話を」
「すみません、それどころじゃないんです」
マリーさんの話を止めて、俺は上がり始めた幕の向こう側に目を凝らす。いくつもの照明に照らされながら、三人の女の子の姿が足から現れ始める。
幕が完全に上がりきる。向かって左から梨子、千歌、曜。三人は一斉に、閉じていた目を開いた。
「……っ!」
パラパラという、疎らな拍手に包まれる体育館。誰かの息を飲む音が聞こえたような気がした。
観客たちは楽しそうに、笑顔を浮かべながら拍手を送っている。彼らは何も知らない。これが最後のライブだとは知らないのだ。ましてや、一人の生徒がこの学校を去ることになるなんて知る由もない。
——俺は、笑えない。
「私たちは!」
千歌の声に、無理やり俺は前を向かされる。すると梨子と目が合った。梨子は俺を見て、俺の隣のマリーさんを見て、何かを察したかのように目を伏せた。
「スクールアイドル、せーの」
「「「Aqoursです!」」」
「私たちはその輝きと」
「諦めない気持ちと」
「信じる力に憧れ、スクールアイドルを始めました」
悔しい。始めたばかりの彼女たち。始まったばかりのAqours。それが終わるのか。大したことも成し遂げられていないまま。俺は何のためにこのスクールアイドル部(仮)に入ったんだ? 力を貸すためじゃないのか。協力するためじゃないのか。
「何一つ、力になんてなれてないじゃないか……」
握りしめた拳に痛みが走る。
「目標はμ'sです。聞いてください」
Aqoursの曲。梨子の作った曲が、流れ始めた。
ダイスキだから