「こんなに弘法大師空海の情報が! さすが、知識の海と呼ばれるインターネット……!」
目を輝かせる彼女は、国木田花丸。寺の娘で、ノートパソコンといったハイテク機器は珍しいらしい。さっきから隣に渡辺師範をつけて、練習そっちのけで色々と調べている。
「ねえ、練習しなくていいのかな?」
ふと耳に生じたこそばゆい感覚に思わず身震いする。振り返るとすぐそばに梨子が立っていた。口元に当てられた右手の手首には青と白のリストバンド。実は俺とお揃いなのである。……そこ、千歌と曜もつけているとか言わない。
「まあ、いいんじゃないか? ほら、普段こんなことできないんだろう?」
「うーん、涼君がそう言うなら……」
まだ少し納得していなさそうな梨子。ここはもう一押しするために、リーダーの力を借りることにしよう。
俺はルビィちゃんと何かを相談している千歌に声をかける。
「千歌。千歌も今日くらいいいと思うよな?」
「ふぇ? あ、ああ! うん、うん! そうだね、そだねー、ははは」
「千歌?」
曖昧な返事をし、何やら下手な作り笑いを浮かべながら、千歌は俺から隠れるようにルビィちゃんの後ろに入り込む。……なんだ?
「千歌のやつ、変なの。梨子、何か知ってる?」
「ううん」
梨子は首を振る。
「ところで、二人は何を話してたんだ?」
俺が尋ねると、答えたのはルビィちゃん。
「えっと、ランキングを上げるにはどうしたらいいかな、って……」
「ランキングねぇ」
スクールアイドルランキング。マルちゃんの加入後、Aqoursはスクールアイドルのサイトにユニット登録をした。それでランキングが表示されるようになったのだが……。
「さっき見たときも、まだ4700位台だったんです」
これがなかなか順位が上がらないのだ。いや、たしかに新しい活動を何かしたわけではないのだが。でも、ほら? うちのAqoursには梨子がいるし? もうトップとか余裕……ってわけにもいかないのである。現実は厳しい。
「それなら、名前をもう少し目立つものに変えてみるのはどうかな?」
「目立つ……奇抜ってことですか?」
ルビィちゃんの言葉に千歌が反応する。
「奇抜って、スリーマーメイド?」
「な、なんでそうなるの!」
「あっ、そっか。今は五人だからファイブマーメイドだね!」
「そうじゃなくて……うう……」
梨子が恥ずかしそうに頬を染める。スリーマーメイドとは、以前梨子たちのグループ名を決める時に梨子が出した案である。あれはつまるところ、梨子の黒歴史だ。
梨子は何かを訴えるように俺を見てくる。羞恥で潤んだ瞳による上目遣い。な、なんだこの可愛い生き物は。もう少しイジめてみたいというサディストの血が(そんなのあったのか)騒ぎ出す。
「俺は良いと思うけどね、ファイブマーメイド。可愛いよね、マーメイド」
「りょ、涼君まで……」
少しだけニヤニヤしながら言うと、梨子が泣きそうになる。うっ、今背筋にゾクゾクした感覚が。
と、ここでルビィちゃんが梨子のフォローをしようと頑張りだす。
「あの、ファイブマーメイドって、海の綺麗な内浦に合ってていいと思います! ほら、人魚さんのような格好もできますし!」
「人魚?」
「はい! 足は綺麗な尾ひれの衣装で、あとは貝殻の水着なんてどうですか」
「か、貝殻の……?」
ふむ、貝殻の水着。俺はそれを着た梨子を想像してみる。
首から細い紐で吊り下げられた薄い布。桃色と仮定しよう。それが梨子の慎ま……歳相応の胸を隠す。けれど他には着るものなどなく、色白で細い腕、性的な脇、すべすべの背中、適度にくびれた腰、さらにはおへそが見放題。ついでに言うと人魚なら濡れてなきゃだし、髪もしっとりと湿り、歳のわりに大人びた雰囲気の梨子が妖艶な微笑みを——。
思わず鼻を押さえる。大丈夫、何も出ていない。しかし、これは梨子にはハードルが高すぎるんじゃないだろうか。
そう思いながら梨子の方を見ると、案の定、彼女は顔を真っ赤にして首をブンブン横に振っている。
「無理! そんなのできないよっ!」
「そうですか……」
「可愛いと思うんだけどなー。ほら、地味な私でもオッケーみたいな?」
千歌がそんなことをおっしゃる。ただし、彼女は相変わらずルビィちゃんの陰に隠れている。なぜ俺は避けられているのだ。
でもまあ、千歌の水着といえば思い出すのは昨日のデートの下見。ついつい、貝殻からはみ出しそうな千歌のモノを想像してしまう。……や、やめてけろ。それは最終兵器だって、ばっちゃが言ってた。オッケーどころじゃないね、むしろウェルカ、げふんげふん、けしからん奴め。
しかしあれだ、千歌は十分魅力的ということだ。梨子にはないものを持っていらっしゃるのだから。
「そんな地味なんて卑下しなくても。千歌は十分可愛いと思うけど」
「ふ、ふーん。あっ、そう」
しかし千歌はなんだかつれない返事をすると、ルビィちゃんの背後に隠れるように立つ。……あ、あれ? やはり避けられている?
千歌の行動を疑問に思っていると、ふと横からの視線を感じた。梨子だ。彼女は半ば睨むようなかたちで俺を見つめている。
「……な、何?」
「……なんでも」
ツン、と顔を背けられる。ははーん。
「梨子、妬いてるの?」
「や、妬いてなんかないよっ!」
「ごごごめん」
顔を赤くして、強く否定される。『怒ってます』と伝えるかのように頬を膨らませた梨子に睨まれる。可愛いけど、近い。反射的に謝ってしまう。怒らせたかったわけじゃないんです、すみません。
「ごめんって、そうじゃなくて……」
しばらく梨子とにらめっこ。が、まじまじと見られると照れくさいです、はい。思わず目をそらす。すると、屋上の端の方に、物陰から黒髪がひょこひょこのぞいているのが見えた。
彼女、来てくれたのか。
その時ちょうど、彼女——津島善子が顔を出した。彼女の紫に近いピンクの瞳は驚きに満ちている。そして口元が動く。『なんでこんなに人がいるのよ!』と。
なぜ不登校の彼女が学校に来ているのかというと、それは昨日のデート下見の前のことである。
*
「待たれよ。堕天使ヨハネとリトルデーモンたちによる、約束された叛逆の日を!」
黒く、でもその少しふわふわしたデザインからか不思議と怖い感じのしないコスプレをした堕天使さん(自称)の締めの言葉と同時に、動画の配信が終了する。
堕天使(仮)は無事に配信が終わって安堵したのか、小さく息を吐く。その動きに呼応して、カチューシャにつけられた黒い堕天使の輪や背中のミニサイズの翼がぴょこぴょこと跳ねる。
「じゃ、ルカ。片付けはお願いね」
「えっ、俺?」
「そうよ。この美しいヨハネの姿を生で見ておきながら、何もしないなんて言わないわよね? リトルデーモンのくせに生意気」
そう言って彼女はベッドの上に座り、短いスカートをはいているのにも関わらず足を組む。おかげで俺はそっちを見ないためにカメラ等の機材の片付けへと、無意識のうちに体が動く。くっ、年下のくせに生意気。
軽く片付けを済まし、パソコンの置かれた机の椅子を引いて座る。
「ありがと」
聞こえるかどうかギリギリの声でお礼が聞こえてきた。顔を上げると、お礼を述べることに照れているのかはにかみながら頬を赤らめている。ふと、彼女の部屋に二人きりだということを思い出す。
「まあ、なんだ。ハニカム構造っていうのは正六角形に限らないって知ってた?」
「何それ。どういう話の流れなんです?」
クスッ、と彼女は笑う。堕天使として振る舞っていた時とは違う、落ち着いた笑み。どちらかというと天使だ。
しかし困ったものだ。この堕天使、自分で自分が可愛いとか美しいとか言うだけあって、そこそこ可愛いのである。美少女なのだ。なんだって、俺が知り合う人はみんな美少女ばっかりなのだろう。美少女にお礼を述べられて、悪い気はしない。
「あっ、喉渇きましたよね? お茶、入れてきますから」
*
善子ちゃんが入れてきたお茶を飲み干す頃、彼女の方をふいと見る。彼女のコップはほとんど中身が減っておらず、本人はしげしげと鏡を見つめていた。何を考えているのか気になったが、時々ニヤけているので考えるのはやめた。いまだ堕天使の格好の彼女のニヤけるような考え事。たぶん大したことじゃない。
それよりも、俺が今日ここに来た目的がまだ果たせていない。早くしなければ、千歌との約束の時間に遅刻してしまう。
「なあ、リア充になるって話だけど」
「うん」
「明日、学校の屋上に来てくれない? 昼前くらいにさ」
「へ? え、ええ?!」
彼女は目を見開く。
「いや、たしかに日曜日だけどさ。そっちの方が生徒が少ないと思うんだよね」
「そ、そうじゃなくて。えっと、屋上……?」
「ん? ああ、うん。鍵はかかってないし、大丈夫だよ」
「……そそそ、そう!」
彼女はコップを置き、腰掛けていた椅子から立ち上がると部屋中をウロウロと歩き回る。と、床に落ちていたハンガーに蹴躓いた。何してんの。
「緊張してる?」
「す、するでしょ! 普通! 逆になんでそんな、平然としてるのよ!」
「はい?」
なんだか、俺が変人扱いされている。いやいや、変わっているのはどう考えても善子ちゃんの方でしょう。堕天使キャラとかを置いといても、今のテンパり具合は普通じゃない。
もしかして、それほどまでに学校が嫌いなのだろうか……?
「校舎そのものに行けない、とか?」
「そ、そうじゃなくて!」
くわっ! と俺の視界に集中線が書きこまれそうな勢いで彼女は否定する。が、俺と目があった瞬間に慌てて背中を向けてきた。さっき転んだせいか、羽根が少し曲がっているのに気づいた。
「学校には行く。でも、一つ聞いていい?」
「いいけど」
「今までのことなんだけど、どうしてそこまで私のために色々するの?」
「どうしてって……」
ふと脳裏にマルちゃんが浮かぶ。夕日で緋色に染まっていく景色の中、彼女は階段を下って俺から遠ざかっていく。
というか、そもそも発端としては善子ちゃんの脅迫だったはず。
しかしどうも彼女はそのことを忘れているようだ。好都合である。
「なんとなく」
「……そう」
ふと時計を見ると、もうすでに千歌と約束した時間の五分前になっている。えっ、まじですか。
「ごめん。じゃあ俺、今日は帰るから!」
「わかった」
「明日、来てくれよ?」
善子ちゃんが背中を向けたまま頷く。それを確認し、俺は部屋を出た。
背後からは『ズ、ズラ丸に確認を』という慌てた声が聞こえてくる。何をしたいのかはわからないが、忙しい奴である。
*
俺は屋上から逃走していく善子ちゃんを眺めながら、そんなこともあったなぁと思う。くつろぎすぎたせいで、千歌との約束の時間には遅れた。……もしかして、それで千歌は今日、俺を避けてるとか?
いや、さすがにそれはないか。その程度のことをいつまでも引きずる千歌じゃない。アホの子だからな。この間も、国語の授業で教師が話していた『月が綺麗ですね』の意味を理解できていなかったしな。教えてやるのに苦労したもんだ。でも使用例として梨子に言われたのは嬉しかった……ふふ、ぐふふ。
あれ、もしかして例示になってない気がする。というより、因果関係が支離滅裂。
まあいいか。それよりも今は善子ちゃんのことである。彼女は屋上から去っていってしまった。追いかけねば。
屋上から降りると、人のいない廊下。善子ちゃんを追いかけねばならないわけだが、どこに行ったのだろう。帰った……とはさすがに思いたくはない。
とりあえず、一年生の教室からのぞいてみよう。そう思って廊下を歩いていたその時——ガタガタッ!
「な、なんだ?!」
窓際に設置されたロッカーが突然ガタついた! これはまさかスピリチュアル……!
「いきなり屋上から堕天してしまった……」
身構えたところ、中から聞こえてきたのはあの堕天使の声。ああ、善子ちゃん。中に入っているのね。
「びっくりしたぁ。超常現象かと思った」
「そんなわけないと思いますけど」
「花丸ちゃん?」
いつのまにかマルちゃんが隣にいた。背の低い彼女を見下ろせば、真っ先に飛び込んでくるのは双子山。直視は憚られるので彼女の顔を見る。と、彼女は『幽霊なんて信じているずらか?』という少し小馬鹿にしたような顔で俺を見てくる。いやいや、君は音ノ木坂のスピリチュアルを知らないから、そんな顔ができるんだよ。
「とにかく、善子ちゃんが中にいるんですよね?」
「たぶん」
「じゃあ開けますね」
「え」
彼女は顔を合わせたくないから隠れてるのでは、などと止める間もなくマルちゃんは遠慮なくロッカーのドアを開けた。
「学校、来たずらか」
「ず、ズラ丸! ぁいたっ!」
驚いた善子ちゃんが——というか、丈の短い制服のスカートのくせに体育座りとは——慌ててロッカーから飛び出してくる。が、勢い余って頭を縁にぶつける。涙目で転がる彼女はなんというか、どことなくコミカル。
「えっと、大丈夫?」
「げ! ルカ!?」
「ルカ?」
「ああ、いや。花丸ちゃん、気にしなくていいから。というか、"げ"とはなんだよ」
これでも一応、先輩なんだぞ。
俺が軽く睨むと、善子ちゃんはバツが悪そうに下を向く。
「あのさ。どうして屋上から逃げたりしたの?」
「だって……」
善子ちゃんはマルちゃんの方を見て、パチパチと瞬きを繰り返す。救難信号?
それを見たマルちゃん。何かわかったのか、ポンと手を打つ。
「先輩、善子ちゃんはあの中には入りづらかったみたいですよ。半分以上が年上ですし」
「ああ、なるほど」
わかるわかる。俺もそういうことはある。例えば小さい店に行った時に中が年上の人ばかりだと、ちょっと入りにくいんだよね。それで今日はいいや、とやめてしまう。おかげで東京にいた頃はエロゲを買えな……な、ナンデモナイヨ。
他に例を挙げるなら、穂むらにμ'sの方々が集まっている時なんかは近寄りがたい。……べ、別に、中に入ったらからかわれそうだな、とか思って避けたわけではない。
しかしどうしたものか。俺としては、まずはクラスよりも人数の少ないスクールアイドル部で慣らしてもらおうと思ったのだが。
と、不意にマルちゃんに顔を覗き込まれる。
「あの、先輩。ここはマルと善子ちゃんを二人きりにさせてもらえませんか?」
「えっ」
「少し、クラスのこととかも話したいので……」
「あ、あー、そっか。同じクラスだもんね、二人。わかった。じゃ、先に屋上に行ってる……」
我ながら情けないような声でなんとかそう言うと急いで階段まで向かう。角を曲がると同時に、一番下の段に腰を下ろす。
「……はぁ」
ため息が出る。どうしたものか。マルちゃんの時といい、今回もまた——
「先輩?」
と、上の方から知っている声。俺は何も考えもせずに、階段に腰を下ろしたまま首を後ろに倒す。練習着を着たルビィちゃんの姿が目に入る。
「ルビィちゃん? どうかし……」
太ももに食い込む白いニーソ。ピンク色のフリフリミニスカート。それらによって形成されている絶対領域は言いようもなく魅力的だが、それ以上のものが角度的に見えてしまっていた。太ももの奥にある、黒い布——
「わっ!? あぅ、その……」
すぐにルビィちゃんは手でスカートを押さえる。もちろん俺も目を閉じる。しかしまぶたの裏には先程の光景がバッチリ映っている。羞恥からか顔を真っ赤にしたルビィちゃんの顔含めて、である。
……どうしよう。
私事で恐縮ですが、高校を卒業しました。
様々な話(合否とか、アニメ二期に関することとか)は活動報告に書きたいと思います。雑談程度のことなので、見なくても問題ないと思います。
——見たくなくても、見るっ!
……言ってみたかっただけです。