「好きです! 付き合ってください!」
津島善子。高校一年生。後輩である。自称堕天使で、不登校児。俺をリトルデーモンと定義しており、ルカと呼んでいる。
そんな彼女は、深々と頭を下げる。えっと、これは、買い物に付き合う……ではないよな。いや、そんな解釈をしたら死刑ものだぞ。
周囲を見回す。ドッキリだとか大成功だとか書かれた看板は見当たらない。どうやら本気のようだ。
いや、でも、もしかしたら。もしかすると、今下を向いている善子ちゃんがしたり顔をしているかもしれない。
「と、とりあえず、顔を上げて。ねっ?」
「ん」
俺を見上げる善子ちゃんの頬は赤く。これはきっと、夕日のせいなんかじゃない。俺をまじまじと見つめる彼女の赤紫の瞳。その目は真っ直ぐに俺を見ていて、とてもじゃないがいたずらの類だとは思えない。
やっぱり本気なのか。
「えっと、ヨハネさん」
「私は津島善子」
「じゃあ、善子ちゃん」
「はい」
「少し時間をください」
「なんで!?」
今、善子ちゃんの頭上に雷が見えたような。とりあえず善子ちゃんはかなりのショック状態のようで、口を開けたまま固まっている。
やがてのろのろと、彼女は言葉を絞り出す。
「え、えっと? オッケー、じゃないの? なんで?」
逆にどうしてオッケーと即答すると思ったのか。なんだ、彼女の中ではそこまで自分が可愛いのか。自己評価の甘いやつだ。君は梨子と比べれば月とスッポンだぞ。ただし超主観的。
「なんでって」
再び、俺に選択肢が与えられる。梨子が好きだと言うのか、それともはぐらかすのか。でも、今回は前回のルビィちゃんの時とは違う。向こうは告白をしてきたのだ。はぐらかすなんて、ないだろ。
「好きな人がいるから。幼馴染の、桜内梨子」
「うそ……だって、だって」
そこまでで言葉は途切れ、善子ちゃんは俺に背を向ける。彼女の腕が目の高さで何度も往復する。心配になって、俺は彼女の肩へと手を伸ばす。
「善子ちゃ——」
「わ、わかった。待つ」
伸ばしかけた手を止め、ゆっくりと戻していく。
「ありがとう。できる限り、すぐに答えは出すようにするから」
「ん」
彼女は振り向かない。今、彼女は何を考えているのか。
思ったよりも小さいその背中を眺めていても、答えは見つからなかった。
*
学校からの帰りのバスの中。一番後ろの座席、窓際に座る俺は特に目的もなく外を見つめている。遠くに見える淡島、そしてそのホテル。なんとなく、それを眺めていた。
「疲れたー」
「そうだね」
「あ、明日日直じゃん! やだなぁ……梨子ちゃん代わってよ!」
「さすがにそれは」
「だよねー。はぁ……」
隣に座る梨子と曜が何やら話しているが、その会話内容はまったく頭に入ってこない。俺の頭の中は他のことで埋まっていた。
津島善子。またの名をヨハネ。今日、先程、俺は彼女に告白された。"好き"と言われたのだ。
言われた直後は、誰が付き合うものかと思った。だって俺は桜内梨子が好きなのだ。今、隣で、曜と楽しそうに話して笑っている梨子が。小学生の頃から彼女に恋しているのだ。最近知り合ったばかりの彼女と付き合うなんて、ありえない。
そう思っていたのだが。
「……はぁ」
頭の中で鮮明に、何度も繰り返し思い出される。夕日の中の善子ちゃんの後ろ姿。羽根などない華奢な背中。それが頭から離れない。
もし俺が告白を断ったら。自分に置き換えて考えてみると、思わず身震いしてしまう。それは俺が梨子に告白して、そしてフラれるのと同じことなのだ。そして心に簡単には埋められない穴があくのだろう。
じゃあ梨子を諦めるのか。それもできそうにない。昔から想い続けてきたし、今この内浦にいるのも梨子を追いかけて来たからと言っても過言では……あるな、うん。
でも、それだけ梨子のことが好きなのだ。偶然にも引っ越し先が同じことに運命を感じたりなんかしちゃって。
窓の外の景色が止まる。夕日は厚い雲に隠れ、砂浜はどんよりと暗い。
と、誰かに肩を叩かれる。振り向いてみると、曜だ。彼女が不思議そうな顔をしながら、俺を見ている。あれ、梨子は?
「涼君? 降りないの?」
「えっ?」
いつのまにかバスは十千万の最寄のバス停に留まっている。もうすでに梨子たちは下車していた。
「ああ、降りる。ありがと」
「いえいえ」
お茶目にウィンクをしてくる曜を尻目に急いで乗降口に向かう。すると、後ろから曜の声が飛んできた。
「ねえ」
「何?」
振り向いた先、バスの一番奥。曜は、さっきの茶目っ気溢れる雰囲気はどこへ行ったのやら、心配そうな表情をしている。
「涼君、何かあったの?」
「……いや、別に」
「そう」
「うん」
「そっか。じゃあ、また明日」
「ああ。また明日」
俺がバスから降りるのと同時に、ドアが閉まる。そして発進されるバス。その窓の向こうにいる曜とすれ違う一瞬、目が合う。呆れたような目つきで、苦笑いをしていた。わずかな時間ながらも、その口の動きはなんとなく伝わってきた。『わかりやすいなぁ』だと。
……ごまかしはきかないみたい。
*
温泉に入浴した後、高海家の居間に入ると千歌の姉の一人、志満さんが椅子に座ってみかんを食べていた。テレビも付いており、ニュースが流れている。
「ただいま上がりました」
「ごめんね、温泉の後片付けを手伝ってもらっちゃって」
「いえ、タダで温泉に入っている身ですから。これくらい手伝いますよ」
「タダではないけれどね。あ、これ食べる?」
「いただきます」
差し出されたみかんを受け取り、俺も椅子に座ってテレビを眺める。……のだが、やはり内容は頭に入ってこない。
志満さんはこの高海家の長女である。事情は知らないがこの家には母親がおらず、志満さんは千歌の母親みたいな感じになっている。だからかおっとりと落ち着きがあり、物腰が柔らかく、包容力もある。黒髪ロングも似合っており、東京の海未先輩と同じく大和撫子という言葉が似合う女性だろう。この十千万を切り盛りし、軽トラも運転できる頼もしい方だ。千歌とは大違い。ついでに言うと美人。
「そういえば、自転車が届いたの」
「ああ、母さんから」
内浦のあちこちに行くには自転車があった方がいい。というわけで、母さんに購入を頼んでおいたのだ。東京にいた頃は持っていなかった。近場なら徒歩でいいし、どこに行くにも電車やバスでこと足りた。
「裏の方に置いておいたから、明日にでも確認しておいてね」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
お礼を述べると、志満さんはにこりと笑う。甘えたくなるような、優しいその笑みに思わずドキリとさせられる。これが大人の余裕というやつか。千歌と姉妹で、こうも違うものなのだろうか。
「あの、志満さん」
「うん? どうかした?」
「志満さんって誰かに告白されたことはありますか?」
志満さんは一瞬だけ俺から目を逸らしてテレビの方を見る。しかし、すぐに視線を戻すと、柔和な笑みを浮かべる。
「うふふっ、どうしたのかしら? 桜内さんに告白するつもりなの?」
「いやっ、別にそういうわけでは!」
予想を超える質問返しに心臓が飛び跳ねる。というより、なぜ俺が梨子を好きだと知っているのだ。教えた覚えはない。
「うちの千歌が張り切ってるからねぇ〜。恋のキューピッドになるんだ、って」
「千歌……」
話しちゃったのかい。いや、別に構わないけども。うちの母を通して浦の星女学院の理事長が俺の意中の人を知るような世の中だし。志満さんが他の人に言うとは思えないし。
「だから、恋の相談なら私じゃなくて千歌にするべきじゃない?」
そう言って、またちらりとテレビを見る。ちょうど連続ドラマが始まるところで、前回のあらすじがなされている。……ああ、なんとなく志満さんの気持ちが伝わってきた。
残っていたみかんを一気に口に放ると、椅子から立ち上がる。
「そうですね。じゃあ、自分はこれで」
「涼くんも見る?」
「いえ、あまりそういったものは」
「そうなの。残念」
おやすみ〜、と手を振る志満さんと別れて、俺は自分の部屋に向かう。しかし千歌に相談するのはどうしたものか。ルビィちゃんや曜の証言によれば昨日のデートもどきは楽しかったらしいのだが、それでも今日一日千歌に避けられていたのは事実。相談、しにくいよなぁ。
「……なんだ?」
年単位で泊まっている部屋。その前に不審人物を発見した。彼女は襖に手をかけては下ろし、下ろしてはまたかけてという動作を反復している。招き猫か。
そして果てには、肩で大きな溜息をつく。心なしか、下に垂れるアホ毛は元気がないように見える。
俺は彼女、千歌の後ろに立つ。
「何してるの」
「わわあ?! ——ぁいたっ!」
飛び跳ねた千歌は、振り向きながら逃げるように横に移動する。そしてガスッという鈍い音とともに、柱に腕をぶつけた。何やってんの。
痛そうに腕をさする千歌。少し哀れで、特に深い考えもなしに千歌へと手を伸ばす。
「おいおい、千歌。だい——」
「さ、触らないでっ!」
しかし、その手は空を掴む。千歌が避けたのだ。避けられたのだ。
「えっ」
「あ、いや、えっと」
驚いて千歌を見ると、彼女も驚いた様子で立ち尽くしていた。が、すぐに申し訳なさそうに頭を下げる。
「えっとね。驚いただけ、だから。ごめん」
「そ、そう、別に気にしてないから」
そりゃ、千歌だって女子だ。男子に触れられるのを嫌がるなんて当然——。
人のほとんどいない旅館の廊下に訪れた沈黙。たびたび車が旅館前の道路を通過していく音だけが聞こえてくる。俺も千歌も、二人の間の一メートル弱の空間を見つめていた。耳が痛くなるような静けさに、次第に呼吸が苦しくなるような、そんな錯覚を覚える。
何か、話さないと。
「そうだ。何か用があったんじゃないの?」
「あー、うん。りょー君の恋の応援なんだけどね」
恋の応援。千歌からその話を切り出してくれるのなら、相談しても問題ないだろう。今日、後輩に告白されたということを。千歌の話が終わったら相談しよう。
「——やめたいんだ」
そんな俺の予定を粉砕するように、千歌が言い放った。やめたいと。
「もっと簡単で、単純だと思ってたんけどね。ただりょー君と梨子ちゃんをくっつけるだけ、ってね」
千歌は柱に寄りかかり、自嘲気味に笑う。天井の灯りで、千歌の顔に影が浮かぶ。
「でも、そうじゃなかったみたい。よくわからないんだ、もう。りょー君のことを好きな人がいたらその人はどうなるんだろう、とか」
「千歌……」
脳裏にすぐさま、堕天使さんの姿が浮かぶ。それはたしかに悩みものである。千歌にとって、俺と梨子の仲を取り持つ特別な理由はないわけで。それで誰かが悲しむならなおのことだ。
「ごめんね。約束、守れなくて。私って、最低だよね」
「いや、そんなことないよ。今まで手伝ってくれて、それだけで十分だよ。ありがとう」
「……ふふっ、りょー君は優しいなぁ」
千歌はそう言うと、自分の部屋へと戻っていく。その時に見せた柔らかい、どこかやるせなさを含む笑み。その大人な雰囲気は、なんとなく志満さんに似ている気がした。
*
「どうしよう……」
畳の上に敷いた布団。そこに横になり、部屋の電気を消して目を閉じる。まだ寝るには早い時間だが、とてもじゃないが寝られそうにない。
寝たら善子ちゃん、起きたらヨハネ、食べていたら堕天使。俺の頭の中に浮かぶ人なのだが、実はこれ、全部同一人物だというのだから驚き……は特にしないか。要は、あれからずっと善子ちゃんの告白のことしか考えられていないということ。
彼女からの告白を受けるのか、それとも断るのか。どちらを選ぶのかによって、これから先の色々なことが変わってくるのだろう。
断れば、善子ちゃんは傷つくはず。あれだけ自信ありげに告白していたのだ。プライドは高いと思われる。
しかし告白を受ければ、それは同時に梨子とは付き合えないということを意味するわけで。梨子と付き合う可能性がゼロとか、そんな世界は地獄なんじゃないだろうか。しかもこれからも毎日顔を合わせるわけで、まさに生き地獄。伊達に堕天使じゃないな、善子ちゃん。……くしゅん! 寒いな、ちゃんと毛布をかけよう。
けれど、本当にどうしよう。梨子に相談するわけにはいかないし、千歌にもできなそうだ。
もぞもぞと毛布の中から手を抜き出し、充電中のスマホを掴む。連絡帳を開き、誰か相談できそうな人はいないか探す。
母さん。却下。ありえない。
編集さん。やめておこう。母さんのせいで最近白髪が目立ってきたとか言っていたし、これ以上負担をかけたら倒れそう。
東京にいる女神さんたち。……うーん、やめておこうかな。なんだか面白半分に扱われそうだ。
他にも色々な人が登録されているが……ダメだな、どれも恋愛相談するほど親しくない人ばかりだ。
そしてついに、連絡帳は一番下まで到達する。五十音順に並べられた一覧の一番下に。
「……彼女しかいないのかなぁ」
俺はそっとスマホを床に置く。とりあえず寝よう。明日はどうなることやら……。