「起立。気をつけ、礼!」
翌日。やはりというべきか授業にはまったく集中できず、気づけばもうすでに放課後。日直の号令による挨拶を済ませた後、俺はへなへなと椅子に座り込む。
「……はぁ」
もれる溜息。視線の先では今日の日直が黒板掃除をしている。すると、その視界に一人の女子生徒が割って入ってくる。
「涼君」
艶のある赤茶の髪。その髪のように少しだけ赤みのかかる頰。温和な印象を与える困り眉。細身ながらも女性らしい膨らみがあるという、摩訶不思議で魅力的な身体。他の女子生徒より長めのスカート丈。言わずもがな、桜内梨子である。
桜内梨子。俺の幼馴染で、初恋の相手で、現在進行形片想いの相手で、クラスメイトで、部活メイトというなんだかもう一周回ってよくわからない存在。しかも最近、関係がグレードアップした。
三角関係。俺と梨子、そして一年生の善子ちゃん(自称ヨハネ)との間にできあがった図式である。矢印が俺から梨子、善子ちゃんから俺へと向けられている。これは昨日、俺が善子ちゃんに告白されたことで発覚した。
告白された。そう、告白されたのだ。人生初。なんだかそれ以来、心が落ち着かない。
そんなことを考えていると、梨子は無視されていると思ったのか、少し頬を膨らませて俺の目の前で手を振る。
「涼君ってば」
「……なに?」
「やっと反応した……」
「ごめん」
「何か考え事?」
「まあ、そんなところ。それで、用件は?」
「あっ、あのね。一緒に部室に行かないかなぁ、って」
梨子は少し照れくさそうにはにかむ。行きたい。むしろ一緒に生きたいほどなのだが、しかし。
「ごめん、ちょっと用事があるから部活には遅れる」
「えっ……そ、そうなんだ。じゃあ、みんなに伝えとくね」
「悪い」
「ううん、大丈夫」
ちょっぴり悲しそうな梨子。ああ、やっぱり断らなければ良かったかなぁ。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
梨子がふらふらと教室から出ていくのを確認すると、俺は教室前方の黒板へと目を移す。しかしそこには日直の姿は見当たらない。同時に、黒板消しも消えている。
ま、まさか誘拐……なわけないよね、うん。ベランダでしょう。
窓の外を見れば、やはり彼女はいた。二つ持った黒板消しを叩き合わせている。黒板消しクリーナーがあるにもかかわらず。まあ、気持ちはよくわかる。窓の外で叩いて掃除する方が、なんとなく青春って感じがして楽しい。
俺はさっそくそちらへと向かうと、窓を開ける。
「曜」
「涼君?」
「わぁ!? こっち向くな、向くな!」
「えっ、ちょっと! 押さないで、あっ!」
呼ばれて笑顔でジャジャジャジャーン。シンバルでも叩くかのように大げさに黒板消しを叩く曜が体ごとこちらを向こうとするので、慌てて肩を押さえつける。粉が教室内で舞ったら一大事と思ったからだ。
しかし、不意に肩を押された曜は黒板消しの片方を手放してしまう。宙を舞ったそれは撃墜された戦闘機のように白い煙を上げながら落ちていった。
一大事は防げませんでした。
しばらく下を見ていた曜だが、徐ろに振り向く。にこにこしているのだが、なぜだか悪寒がする。あれれ、風邪でも引いたかn、
「涼君……このやろー!」
一瞬にして曜の両手が伸びてきて俺の両肩を掴み、前後に激しく揺さぶってくる。ぐぁ、き、気持ち悪い。
ぐらぐらと揺れる視界の中、オレンジと青の物体が粉を散らしながら曜の背後を落ちていった。
「ちょ、やめ、曜さん!?」
どうでもいいけど、もう一つの黒板消しはどうしたんだよ。いや、今さっき自由落下していったやつだろうけど。なに投げ捨ててるの。
「まったくもう……」
そう言いながら曜は俺から離れると、ベランダから教室内に戻ってくる。そしてなおも眩暈に襲われている俺の隣に立つと、腕を組んだ。……え?
「曜? なんで?」
「なんでって。取りに行くからでしょ、黒板消し」
そんなこともわからないの、と言いたげに曜は俺を呆れた様子で見る。いや、それはわかるけど。問題は腕を組む必要があるのかという点でありまして。
……まあ、肘に弾力のある感覚があって悪くはないんだけども。制服越しなのにむにゅっと伝わるこの弾力感、けしからん。
*
「あった、あった。あそこに一つ」
言うが早いか、曜はすっかり緑に覆われた桜の木の根元に落ちている黒板消しを拾うと、俺に自慢げに見せる。いや、そんな誇っても。
現在、俺と曜は中庭で黒板消し探しの真っ最中。たった今、一つ見つかったのだが、もう一つがなかなか見つからない。ベランダで場所を確認してから下りるべきだった。
「うーん、どこいったんだろう」
茂みの中を見るために、曜が腰をかがめる。おかげで短いスカートの裾が、ままま回れぇミギ!
危ない。もう少しで見えてしまうところだった。スカートの中を見てしまうなんて、どんな幸運体質の持ち主なんだ。……あれ、もしかして見えた方が良かったか。
と、背後から曜が尋ねてくる。
「涼君は見つけた?」
「い、いや見えなかった」
「そっか……ん?」
なんだか背筋に冷たいものが走ったので、慌ててそこら辺の茂みの中を探す。頭の中ではとりあえず、あの図鑑に載ってない不思議な生き物のオープニング曲が流れ続ける。たとえ森の中、あの子のスカートの中って。
脳内で梨子ボイスによる『きゃあっ!』が流れたころ。
「あっ、あった!」
「どこ?」
「ほら、あそこ。茂みの中」
曜が指差す先。たしかに、枝葉に引っかかるように黒板消しがある。腕を伸ばせばギリギリ届くだろうが、枝やなんやらで腕を引っ掻きそうだ。取るのはなかなか大変そうだ。
「よく気がついたな」
「まあね。よし、早いとこ取ろう」
「あー、待った!」
腕まくりを始める曜を急いで制止する。すると、曜は怪訝そうな様子で俺を見る。
「なんで?」
「あのな」
俺は茂みの中に腕を突っ込みながら、曜の疑問に答える。
「曜はAqours、スクールアイドルなんだから。万が一にでも怪我したら困るだろ。これくらい俺にやらせなって」
「でもこの程度」
「いいからいいから。この程度の親切くらい、受け取れって」
他にやることもないし。本当に基本役に立たないからなぁ。特別なステイタスがあるわけでもないのだ。
「あ……ありがとう」
「どういたしまして。おっ、取れた」
俺は黒板消しを茂みの中から引っ張り出す。黒板消し、ゲットだぜ……なんて。
さて。黒板消しを見つけたことだし、そろそろ本題に入りたいところ。
「あのさ、曜。実は少し相談があって」
「あっ、それなら、ちょっとそこで待ってて。ちょっとだから」
曜は中庭のベンチを指差し、俺に黒板消しを渡すと、どこかへと走っていく。いや、別に教室でもいいのだが……。
*
仕方ないのでベンチに座って数分。暇なのでなんとなく黒板消しを叩いていると、曜が戻ってきた。両手にそれぞれ缶を持っている。
「お待たせ。はい、手伝ってくれたお礼だよ」
「お礼って。元はと言えば俺が原因で」
「あのね、つべこべ言わずに受け取ればいいと思うな。この程度の親切くらい、受け取りなって」
「あ、はい」
少し怒った様子で曜に言われたので、黙って缶を一本受け取る。お茶。そして、二人して吹き出す。
「ははっ、真似したつもり?」
「ふふっ、まあね」
「似てないから」
「そうかなぁ?」
曜は俺の隣に腰を下ろし、缶のタブを開く。
「それで相談って?」
「あのさ、実は昨日——告白されたんだ」
「へえ、告白ねぇ。……え?」
しばらく沈黙が続いたので、気になって曜の方を見る。彼女は目をまん丸にしてこちらを見ていた。お茶を飲みかけていたらしく、口元で缶を傾けたまま固まっている。や、怖い。
曜はごくりと喉を鳴らしてから、
「え、え、ええ!? 告白ぅ!?」
とりあえず安堵。良かった、吹き出さなかった。
「本当に!?」
「うん」
「そ、そうなんだ……誰にされたの?」
「それは企業秘密」
「企業……?」
さすがに本人の許可なしに、善子ちゃんに告白されたと言うわけにはいかないだろう。
「とにかく、どうしたらいいと思う?」
「どうって、受ければいいんじゃない? だって、梨子ちゃんに告白されたんでしょ?」
曜がいたって大真面目な顔をしてそんなことを言うから、俺は思わず口に含んだお茶を吹きそうになる。
「いやいや、何言ってるの。違うよ」
「違うの?」
「ああ」
そんなことが起きるのなら、悩んだりしないんだけど。
「じゃ、誰なの?」
「それは言えない」
曜の、海のように澄んだ青い瞳には好奇心のような何かが見え隠れする。教えてとでも言いたげに、曜は俺に詰め寄ってくる。そして上目遣いで頼み込む。
「ダメ?」
「だ、ダメなものはダメだ。俺だけの問題ではないんだし」
「そっか。そうだよね……」
納得したのか、曜は元の位置に戻る。それでも、なんだか楽しそうに話しかけてくる。
「でも梨子ちゃん以外の人に告白されて?」
「そうだけど」
「悩むんだね、涼君も」
曜が嬉しそうにうんうんと頷く。なんだかご機嫌だな。今までの話のどこかに、曜が喜びそうなことがあっただろうか。
「なんでそんなに嬉しそうなの?」
「へ? あ、あー。それはほら、涼君と私の仲だし、自分のことのように思っているというかなんというか」
歯切れが悪いが、つまり、俺が告白されたことが自分のことのように嬉しいらしい。
あれ、でも。
「俺たちってそんなに仲良かったっ、痛いっ!?」
「同じクラスだよね? 部活も一緒だよね?」
誰かに足を踏まれてる。まあ、誰が踏んでいるのかは見ずともわかるのだが。とりあえず、曜さんの笑顔が怖い。
「仲、良いよね?」
「いえす、まむ」
足への負荷がなくなる。これ、脅迫ではないんですか。言わされてる感ハンパないんだけど、曜はそれでいいのか。
……まあ、こういうことができる程度には仲が良いんだろうな。喧嘩するほど仲がいいという言葉もあるし。曜との間にはルビィちゃんとのような物理的距離もない。なんだかんだ言いつつ、仲良しになっちゃってるわけだ。恋愛相談をもちかけているくらいだし。
「曜はコミュ力が高いからなぁ。誰とでも仲良くなれるんでしょ」
「誰とでもって。私だって、狙った誰かと簡単に親密になれるわけじゃないんだけどね」
「そりゃそうだな……って、話をそらすなよ! 俺の相談はどうなったわけ?!」
「そんなに逸れてたかな」
いや、的外れでしょうに。そんなちょっと可愛く小首を傾げたって、この怒りはおさ……ご、ごほん。これから真剣に相談にのってくれれば、まあいっか。
ベンチから立ち上がりかけた俺は、ゆっくりと腰を下ろす。それを合図に、曜は口を開く。
「相談してくれたところ悪いんだけど、やっぱり自分で決めるべきなんじゃないかな」
「それはそうだけど」
「ただ」
俺の言葉を遮るように、曜が少し語気を強める。視線を感じて曜の方を見れば、彼女は俺に笑いかける。
「好きでもないのに、というより他の子が好きでいる人に良い返事をもらったって、面白くなんてないよ」
「断れってこと?」
「そうは言ってないけど」
曜はしばらく考え込んだあと、ベンチに置いておいた黒板消しを手でもてあそびながら続ける。
「涼君がその子のこと、梨子ちゃんと同じくらい好きになる可能性はあるの、とか」
「それは」
言葉に詰まる。なぜだか、ないとは言い切れなかった。
いや、わかっている。本当はわかっていて、それでいてわからないフリをしている。
キープだ。俺は彼女、善子ちゃんを俗に言ってキープしようとしている。理由は簡単、好きだと言われたから。生まれて初めて家族以外の人間から、好きだと言われたのだ。異性として付き合ってほしいと言われたのだ。多少なりとも意識はするし、そして俺は卑怯でずるい。
そんな俺のどこが良くて、彼女は告白なんてしたのやら。普通じゃない。
「はい、この話はおしまい!」
今度は曜が立ち上がる。彼女は俺の前に立つと、いつものように敬礼をしてみせる。
「さてと。部室に行こう」
「……そうだな。お茶、ありがとう」
「いえいえ」
*
「それでね、今度梨子ちゃんとお茶しに行くんだ。いいでしょ」
「はいはい、羨ましいですよ」
曜とともに部室に向かう。曜は今度、梨子とお茶をするらしい。いわゆる女子会、ガールズトークというものか。いいなぁ。俺も行きたいけど、女子じゃない。
「じゃあ、いつか涼君ともお茶してあげよっか?」
「そっちじゃない」
「ふふっ、知ってるよー」
暗い俺と、ご機嫌な曜。並んで歩くにはなかなかにシュールな光景なのかもしれない。
そんな俺らは部室の前に着くと、なんの躊躇もなくドアを開く。いや、躊躇する必要なんてないのだが。
「遅くなりました!」
「おつか……」
れ。言葉は途中で消えていった。
「な、な、なな!?」
部室の中央。千歌、梨子、ルビィちゃん、マルちゃんの四人に囲まれて一人の女子生徒がいた。彼女は俺を見るなり、指をさして固まる。
黒いローブ。魔法陣が描かれた風呂敷。羽根飾り。手持ちの燭台。それらに囲まれてそこにいたのは津島善子、彼女だった。
超多忙です。だから執筆が遅かったなんて言わないけど。そのせいでクオリティが低くなったなんて言わないけど。言わないけど。言わないけど。いわ……ごめんなさい、ゆるして。
おまけ
どれくらい多忙だったかというと、梨子ちゃんのURと聞いてログインしてみたら、
『あれ、なんかログインボーナスの仕様変わってる……』
というくらい多忙でした、はい。しかも石足りなかった。11連できなかった。
……なんだか、梨子推しを名乗っていいのか不安になってきましたね。