言ってみたかっただけです、はい。
少し早いですが、作者の都合によりバレンタイン特別編です。
「はぁ、はぁ、はぁ。涼君、いるよね……?」
ブーツ、タイツ、ニットのスカート、ファーコート、手編みの手袋とマフラー、耳当て。全身完全防備の少女は、普通の家と比べたら少し大きめの家の前に立ち、軽く息を整える。腕の中の紙袋を覗き、中身が無事か確認。
思わず走ってしまった。外があまりにも寒かったからだろうか。いや、もしかして早く会いたいから——
「って、ななな何を言ってるんだろう……」
少女は首をブンブン振る。はたから見ると変質者である。しかし世界の優しさか、今の彼女を見ているのは犬の散歩をしている優しそうなお婆さんのみ。
それもそのはず。この辺りは閑静な住宅地、それも庭付きの家々が立ち並ぶようなエリアである。人通りは多くない。
凪沙涼。彼はこの住宅地内ではやや小さめの、この家に住んでいる。母親の職業は知らないが、かなり稼いでいるらしい。母子家庭だというのになんて素晴らしい母親なのだろう、と少女は常々思っている。……別に姑のご機嫌取りというわけではない、はず。
それにしても、と少女は胸に手を当てる。先程から鼓動が早い。走っただろうか。いや、それとも彼に会えるから——
「わあああっ⁉︎ ち、違うよね、そうじゃない、と、思う……」
さっきから独り言をブツブツ呟く女の子。犬の散歩をしているお婆さんは優しげな笑みを浮かべ、彼女に温かい視線を送る。いや、言うなれば生暖かい。
「こ、これはそうじやないの。涼君を励ますため、そう、そうなんだから」
一昨日、東京都内においてある高校の合格発表が行われた。それはたしか凪沙涼も受けたはず。その日以来、凪沙涼は家にこもってしまっている。明日からは学校だというのに、大丈夫なのだろうか。
家でチョコ作りをしていた少女はある考えに至った。もしかして、落ちたのではないか、と。
「私が励まさないと……」
ついに少女は意を決する。門の前に立ち、チャイムへと手を伸ばしたその時。
「ハラショー! やっぱり海未さんは素敵だったね!」
「ですね」
小さめの庭の奥、玄関のドアが開いて誰かが出てくる。少女は急いで門の陰に隠れる。中から現れたのは、見覚えのある少年と初めて見る女の人。
女子大生だろうか。後ろ姿しかわからないが、髪の色は亜麻色。その女性と少年——凪沙涼は、何やら楽しそうに話している。そんな二人を見ていると、どうしてか胸が苦しい。切なくて、締め付けられて、落ち着かない。
あの女の人はいったい誰なのか。なぜ彼の家にいたのか。わからない。わからない。わから——
「も、もしかして……バレンタイン、だから?」
今日。2月14日。バレンタインデーである。カップルの愛の誓いの日である。
嘘だ。まさか。そんな。二人は恋人同士なのだろうか。それで今日は、二人で、一緒に、過ごして……?
頭の中が真っ白になる。ホワイトデーにはまだ早いのにもかかわらず。
ああ、そうだったのか。涼君には、付き合っている人がいたんだ。それはそうだろう、彼だってもう十五年生きている。いつまでも、私の、私だけの幼馴染というわけにはいかない。
「じゃあね!」
話が終わったのか、女性が踵を返す。少女は息を殺し、塀と同化しようと努める。……もちろん、無理なのだが。
「こんにちは」
「あ、えっと……こ、こんにちは」
話しかけられる。塀に引っ付いていたことを内心恥ずかしく思いながらも、こわごわと、その女性の顔を見上げる。そして思う——綺麗な人だなぁ、と。
真っ白な肌。日本人のものとは到底思えない、亜麻色の髪と碧い瞳。一目見ただけで髪染めやカラコンなんかではないと分かるほど、それは綺麗だった。強いて変なところをあげるのならば、ハンドバックからのぞく光る棒くらい。
自分より年上のはずなのに、その目は子供のようにまっすぐ少女を見つめる。少女はなんとなく気恥ずかしくなり、俯いてしまう。
一方、最初は少し驚いた様子の女性だったが、少女の腕に包まれた紙袋を見て、何かを悟ったのかのように笑いかける。
「ハラショーね! 頑張って!」
それだけ告げ、女性は去っていった。少女は呆然と立ち尽くす。頑張って、と言っていた。それは、つまり……。
「涼君の彼女さんじゃない……?」
おそるおそる、少女は門から目だけを出し、玄関の様子をうかがった。
*
リビングの大型テレビ。そこに映し出されているのは9人の女神。
ソファに座る俺の隣、そこには美人さんが座っている。ただし、右手のサイリウム(4本)と左手の団扇(とある女性の写真とUMIという文字入りの手作り品)を懸命に振っているが。
「わぁ! 海未さん、最高ですっ!」
頰を上気させ、目を輝かせ、興奮気味の声でそう言うのは絢瀬亜里沙——この映像に出ているスクールアイドルのメンバーの一人の妹さんである。彼女は熱狂的な海未先輩のファンであり、それはもう、この通りである。
つい一昨日、受験をしてきた。梨子と遊ばずに勉強した甲斐があり、おそらく合格しているだろう。そんなわけで、昨日は前々から約束していた亜里沙さんと一緒にμ’sのライブ映像鑑賞である。1日くらい息抜きしたっていいだろ、という考えである。
そう、昨日。昨日なのだ。ではなぜ、今日もまだ亜里沙さんが俺の家にいるのかって?
「……ふわぁぁ……。眠いなぁ……」
「あっ、涼君! 見て見て、海未さんが投げキッスを!」
「んぁ、そうですね……」
徹夜である。この人なんでこんなに元気なの……。
あ、誤解されたくないので言っておくが、朝チュンじゃない。夜明けコーヒーじゃない。事後じゃない。俺は心に決めた人がいて、小学生の頃から一途に想い続けている。いくら亜里沙さんがクォーターで、淡い金髪で、碧眼で、色白で、良い香りがして、身体の起伏が歳相応にあり、暑いからといって薄着になっていたり、すぐ隣で動きまくっていろいろ触れまくっていたりしていても、思わず見惚れてしまうくらいには一途である。……あれ?
こ、コホン。まあこれは不可避なことであるのでしかたがない。誰だって数億円の札束を見たら涎が出てくるのと同じだ、たぶん。
……俺ってそんなに欲にまみれた人間だったのだろうか……。
しばらくして、第二回ラブライブ!アンコール時の映像(たぶん今日だけで4回目)が終わる。もうさすがに疲れた。寝させて欲しいです、はい。
自然とあくびが出る。そんな俺の様子に気づいたのか、亜里沙さんは心配そうな顔をする。
「涼くん、大丈夫? もしかして、眠いのかな? 寝る?」
そんなことを言いながら亜里沙さんはポンポンと自分の太もも——淡いピンクのスカートからのぞく、むっちりとしたソレ——を叩いて示す。え、あ、ええ! そ、それはいわゆる膝枕というやつでででですか⁉︎
「め、めっそうもない! 亜里沙さんのような美女にそんなこと、できません!」
「わぁ、嬉しいな! 亜里沙のこと、褒めてくれるんだ」
「や、亜里沙さん? 撫でるのはさすがにちょっと……」
ありがとう、なんて言いながら亜里沙さんは俺の頭を撫でる。いや、本当にやめてください。子供じゃないんですから。思春期男子ですから。
しかし少し天然、というか抜けている亜里沙さんのことだ。これは本気で、ありがとうと思っているのだろう。あんな低レベルすぎるナンパじみた発言、もし相手が雪何某だったら、『はぁ? 涼のくせにあたしを口説こうなんて、百年くらい早いんじゃないの?』とかなんとか言われながら頬を抓られること必至ですね。
「それより亜里沙さん。帰らなくていいんですか?」
とりあえず亜里沙さんの手から離れ、ちょうどいいので時間のことを指摘する。
「あれ、ホントだ。もうこんな時間。お外、真っ暗かな?」
壁に掛けられたアナログ時計を見た亜里沙さんがそんなことを尋ねてくる。どうやら今はP.M.だと思っているらしい。実際はA.M.である。
「亜里沙さん、スマホ。スマホの日付を見てください」
「スマホ? あれ、明日だよ?」
「今日なんですよ、それ」
しばしの沈黙。
「ハ、ハラショー……! もしかして私たち、不眠不休?」
「まあ、そんなところです」
亜里沙さんは気づかなかったー、と驚いた様子。いや、気づいてくださいよ、お願いしますよ。
「あ! 私、帰らないと!」
「ですよね」
慌てて荷物をまとめ始めた亜里沙さん。その手伝いをしながら、壁に掛けられたカレンダーを見る。
今日は2月14日、バレンタインデーである。きっと亜里沙さんは用事があるのだろう。たぶん。
ふと、窓から外を眺める。俺には……あるのだろうか?
*
玄関まで亜里沙さんを見送りに行く。玄関を出たところで、亜里沙さんは振り向いた。
「ハラショー! やっぱり海未さんは素敵だったね!」
「ですね」
俺がそう返事をすると、亜里沙さんは不機嫌そうに頬を膨らませる。
「涼くん? 私と話すときは硬くならなくていいよって言わなかった?」
「いや、でも」
ぐいっ、と亜里沙さんが顔を近づけ、俺のおでこに人差し指を立てる。純真な碧い瞳で見つめられると、少し、いやかなり気恥ずかしい。
「あ、亜里沙さん?」
彼女は不意に頰を緩ませ、笑顔を見せてくれる。さらに追い打ちとばかりに、ウインクが弾ける。
「もう少しくだけていいから、ねっ?」
「うっ、は、はい」
や、やめて。寝不足なうえに最近あの子に会っていないからすぐにでも落ちてしまいます。困ります。
「あたってくだけろだよっ!」
「それは違うんじゃ」
「あ、そうだ!」
人のツッコミを無視し、亜里沙さんは俺の耳元に口を寄せる。彼女の息が耳にかかり、背中に何とも形容しがたい感覚が生じる。
しかし、彼女から告げられた言葉はそんな感覚が吹き飛ぶほどの羞恥を俺にプレゼントしてくれた。
「恋の方はうまくいってるの? 幼馴染の子」
「えっ、なんで知ってるんですか!」
驚いて亜里沙さんを見ると、その無垢な瞳を好奇心で輝かせながら、俺を見つめている。
「お姉ちゃんが教えてくれたんだっ」
「……はぁ……」
ダメだ、やっぱりあの人はポンコツだった。
姉の株価が凪沙涼証券取引所で暴落しているとはつゆ知らず、亜里沙さんは俺の両手を優しく包み込む。……えっ?
「涼くん、諦めちゃダメ」
「いや、別に諦めては」
「私、応援するから!」
「ありがとうごさい……ます?」
「じゃあね!」
俺の戸惑いなんてお構いなしに、亜里沙さんは回れ右。スキップしながら門を出ていった。
俺はぼーっと自分の手を見つめる。亜里沙さん、天然のたらしだな。躊躇なく男の人の手を握るなんて。……いや、俺はたらしこまれてないからな?
それにしても疲れた。まさかμ’sの映像鑑賞でこんなに疲れるなんて、思いもしなかった。
早いところ寝よう、そう思ってドアノブに手をかけた時、首筋にピリピリした感覚——誰かに見られている感覚がした。
咄嗟に振り向く。すると、赤っぽい髪が門の陰に隠れるように消えていった。あれは間違いない、彼女だ。
「梨子! 梨子だよな?」
少しして、おずおずと彼女が門の陰から出てくる。彼女は防寒服に身を包み、何やら紙袋を持っている。彼女はいたずらが見つかった子供のような、照れ笑いを見せる。
桜内梨子。俺の幼馴染かつ初恋の相手、というか今も絶賛片想い中である。そりゃもう、小学生の頃から一途に想っている。一途にな、一途に。ここ重要。
「ひ、久しぶりだね、涼君!」
「だな。今日はどうしたの? 買い物?」
「ううん、そうじゃなくて……」
モジモジとして何も語らず、梨子は俺を見たり自分の手元を見たり。あまり言いたくないことだったのだろうか。
「ああ、別に無理に言わなくてもいいんだぞ?」
「そ、そうじゃないんだってば……」
首をブンブン振った後、梨子は庭を歩いてこちらへとやってくる。近づくにつれて、梨子の頬が赤みを帯びているのに気づく。もしかして、ずっと外にいたのだろうか?
「悪い、寒か」
「涼君!」
「は、はい。なんでしょ」
梨子と向かい合う。普段は少しおっとりとした雰囲気のある彼女だが、今は険しい雰囲気を纏っている。なんだろう、戦いに赴く人みたいな?
「さ、さっきのあの人とは、どういう関係なの⁉︎」
「さっきの?」
「金髪の、すっごい綺麗な女の人!」
金髪の……ああ、亜里沙さんのことか。なるほど、これは彼女かなにかと勘違いなさってるわけだ。昔からよくある梨子の早とちりだな。
「その、どうなの?」
「え、あー」
近い近い近い。梨子の目を見れば、睫毛の一本一本が数えられるのではというくらい近い。梨子さんや、よほど亜里沙さんのことが気になっているのか、俺との距離感がうまく測れてませんよ。いや、嫌ではないんだけどね。
「あの人はスクールアイドル好きの仲間だよ」
「つ、付き合ってるとかでは?」
「ない」
「そうなんだ……」
ホッとしたのか、梨子は胸をなでおろす。気のせいか、少し口元が緩んでいるような。
珍しい表情だと思って見ていると、突然何かを思い出したかのように、梨子が顔を上げる。俺は慌てて目をそらす。
「あの、今日ってバレンタインだよね? だから、ね?」
ガサッ、という紙袋から何かを取り出す音を聞き、俺は梨子の方へと向き直る。沸騰するのではと思うほど顔を紅潮させた梨子は、ラッピングされた四角い箱を俺へと差し出している。
チョコだ。
実は俺、梨子からは毎年バレンタインに義理チョコをもらっている。幼馴染の特権である。……義理なんだけども。
「あ……ありがと。食べてみても?」
「どうぞ!」
緊張しているのか、少し上ずった声で梨子が答える。俺は震える指で包装紙を丁寧に剥がす。中から出てきたのは桜色の箱。その箱の蓋を取ると、手作りと思われるハート形のチョコレートが入っている。幅5、6センチくらいのチョコが10個ほど。
いつになく豪勢だ。去年までは、クラスの他の人に配っていたものの、量が少し多い程度だったのに。
「あのね、今年のはいつもと違うんだ」
照れを隠すかのように、斜め下を見ながら梨子がそう言った。彼女はさっきから落ち着きなく、手に持った紙袋をいじっている。
「いただきます」
チョコを一つ、口の中に放り込む。口に入れた瞬間にチョコ独特の風味、香りが広がる。しかしすぐに少しマイルドな苦味が舌を包み込む。
へえ。ビターチョコか。たしかに、いつもの甘めのチョコとは違う。
「美味しい」
「うん」
「……」
「……」
チョコを食べた俺と、俺を見つめる梨子。しばらくの間、沈黙が続く。何かを待っているかのように、梨子はずっとそこに立っている。しかし俺には何を待っているのかがわからない。
「えっと、何か?」
「え? あ、うん。そうだよね、すぐになんて無理だよね、あはは……」
梨子は自嘲気味に笑う。あれ、俺って何か変なこと言っただろうか?
「私は待ってるから、あの、涼君の好きな時でいいよ」
すぐに? 待つ? 好きな時? もしかしてお返しのことだろうか? そりゃそうだろう。いくら毎年もらっているとはいえ、バレンタインのお返しをその当日に済ますなんてことは誰もしないだろう。
「はは、心配しなくていいだろ。ちゃんとホワイトデーに返すって」
「あ……そ、そうなんだ! なら安心、だね……」
「梨子? 大丈夫?」
「う、うん……じゃあね」
ぎこちなくその場で回転し、梨子はふらふらと帰っていく。だ、大丈夫だろうか……? もしかして風邪をひいてしまったとか?
*
「ってことが、あったんですが」
「涼……サイテー」
「ええっ⁉︎」
和菓子屋、穂むら。受験も終わり、無事中学を卒業した俺は、母にパシ……おつかいを頼まれている。まあ、せめてもの抵抗として、店番の雪何某とこの二月にあった出来事を話していたのだが。
カウンターの向こう側で退屈そうにはたきを弄ぶ女性。姉とは違って暗めの茶髪。性格は熱い姉と対照的にクール。実は昔、本気で姉御と呼ぼうか悩んだことがある。
閑話休題。雪何某さんははたきで俺を指し、若干高圧的に言い放つ。
「あのね、それってありえないから」
「どこがです?」
「それはあたしの口からは言えないかなー」
「それじゃ分かりませんよ」
「でも言えないし。それとさ、どうしてあたしは雪何某なの。亜里沙みたいに"雪穂さん"って呼べばいいじゃん」
「別になんと呼ぼうが俺の勝手じゃないですか。あ、これ会計お願いします」
穂むら名物のほむまん六個入りの箱を、カウンターに積み上げる。うちの母さんはこれが大好きなのだ。
「まあいっか。一応聞くけど、ホワイトデーはどうしたの」
ふっ、やはりその質問が来たか。
俺は胸を張って、自信を持って答える。
「それはもう、奮発しましたよ。高級チョコと名高い○ディバを買い……ゆ、雪穂さん?」
「……それだけ?」
「へ?」
雪何某……いや、雪穂さんが椅子から立ち上がる。気のせいだろうか、背後に黒いオーラのようなものが見える。めちゃくちゃ怖い。
「も、もしかして、ピエールなんとかっていうやつの方が」
「そうじゃないんだよねぇ」
ゆっくりと、こちらへと近づいてくる雪穂さん。一方の俺は足がすくみ、逃げ出すことすらままならない。って、そのはたきを一旦置きませんか? 振るたびに空気がヒュンヒュン切れてるんですが、あの。
「涼みたいな男子は、馬に蹴られて——」