五月八日。
皐月晴れの清々しい陽気に照らされ、白いプロペラのお膝元を歩く学生たちは、皆が皆閉じそうになる瞼を気だるく擦っていた。
学園都市――人口の八割を学生で占められた超能力開発機関の住人といえど、連休明けに気が緩む悩みからは抜け出せないのが実情である。
『神の右席』に『グレムリン』、数えきれないほどの敵戦力との衝突を乗り越えたこの世界は、あのヒーローが苦節何億と戦いに明け暮れていた時代と比較すれば、大なり小なり変異を遂げてきた。
例えば、『
例えば、学園都市に蔓延する『
例えば、
今こうして学園都市の子供達が平和にあくびをしていられるのは、なるほど、かのヒーロー達の苦難がもたらした恩恵と言えるだろう。
しかし。
最終決戦から五年が過ぎ、ひとまず平穏に回りだした世界において、忘れてはならない注意事項も多々ある。
例えば、第七学区のとある路地裏。
能力絶対主義の弊害、落ちこぼれた不良達の徒党――
「待てやこのガキぃ!!」
「ちっくしょ、なんつー逃げ足の速さだ……」
「おいコラ観念しろ! この路地裏で俺たちから逃げ切れると思ってやがんのか!?」
「はっ、は……。大体、待てって言われて待つヤツなんか、いるわけないんだ、にゃあ……!」
威勢の良い怒鳴り声を浴びて、人形のように整った容姿の少女が、途切れ途切れの呼吸混じりに減らず口を叩く。
絵に描いたような逃走劇。しかし、追われているのは金髪の少女一人だけではなかった。
柄の悪い男たちの十数メートル先をひた走る彼女は、その右手で袖口を引っ張るもう一人の少女に目配りする。
「もうっ! 大体、もっと速く走れないの!?」
「ひ、ごめんなさ……あ、足が、震えて……!」
現在はすぐ後ろに迫っているヤンキー集団に絡まれていたところを助けられた女子中学生は、懸命に脚を動かしながらも、半泣きのグシャグシャな顔でそう呻いた。
カツアゲに加えて脅迫まがいの強引なナンパで連れていかれそうになっていた矢先なのだから、彼女の怯えようも仕方ないだろう。が、同情を寄せたところでこの状況は一切好転しない。
(……この辺の土地勘は私にもあるけど、路地裏はスキルアウトのテリトリー、あいつらの方が詳しいに決まってる。となると、抜け道を探して出し抜くのは無理。……大体、そう長くは逃げられない……! ああくそ! なんでこんな時に限って『
短めに切り整えたふわふわの金髪を揺らして、フレメア=セイヴェルンは爪でも噛みたそうな表情のまま思考を巡らせる。
並々ならぬ経歴を持つ保護者達から『逃げ方』の手解きを受けてきた彼女ではあるが、如何せん連れ立つ人間がネックだ。自分一人の身を守る分にはどうとでもなる。しかし、傍らの少女の体力には、正直あまり期待できそうになかった。
「……にゃあ! とにかくこっち!」
狭い角を曲がり、一時的に不良達から姿を隠したタイミングで彼女は再度口を開く。
「大体、二手に分かれよう」
「っ、え……」
囁かれた言葉に被害者の少女は不安げな顔つきになるが、生憎とそれに構っている猶予は無かった。
「そうすれば、連中は大体私を追い掛けてくる。……あんだけ煽ったんだからまぁ確実だな。一人になったら、あなたは大通りまで全力でダッシュして。私の『友達』が、近くにいるはずだから、一緒にここを離れるの」
「っ、そんな! それじゃあなたが……!」
「そんなこと言ってる場合じゃ――、にゃあっ!?」
恐慌に陥る少女を叱りつけようとした金髪の少女は、そこで思わず悲鳴を上げてしまう。
突然真横から手首を掴まれ、そのまま少女もろともビルの隙間に引き込まれたのだ。
「む、ぐ……っ!?」
ひたりと冷たい手に口を塞がれ、背筋を凍らせるフレメア。
不良グループに回り込まれたのか――とっさにそう思い至り、小さく舌打ちをしながらも背後の存在に肘鉄を喰らわせようと身構える。
……だが、耳元に寄せられた声は、拍子抜けするほどに聞き慣れたものだった。
「……お迎えに来ました」
「!!」
少女二人を難なく抱え込む両腕の細さにも、頭上から降りかかる長い銀髪にも。
フレメアには大いに心当たりがあったし、また、彼女の顔にいつも通りの笑みを浮かべさせるには、それだけで十分だった。
「――『
口の戒めを解かれたフレメアの弾む声に仰がれた少女――フロイライン=クロイトゥーネは、曖昧な表情でそっと頷いて見せた。
「無事で何よりでした。とはいえ、ここに長居する理由はないです。早くその子を安全なところまで連れていってあげましょう」
「大体お姉ちゃんの言う通りだ! そっちの子、このお姉ちゃんが居ればもう大丈夫だからな!」
こちらへ、と先導するフロイラインに手を引かれて、二人の少女は狭い道を前へ前へと進んでいく。
銀髪の少女と合流したことで安心しきっているのか、途端に機嫌を良くしたフレメアに、少女はおずおずとこんなことを話し掛けた。
「あ、ありがとうございます……でも、あの」
「む?」
「その……あいつら、放っておいていいんでしょうか? こ、このままにしてたら、他の女の子もいつか襲われるんじゃ――」
「心配ありません」
フレメアの代わりに答えたのは、羽化直後のように
瞳孔が開いた少々不気味な瞳にいきなり振り返られ、思わず身を固くする少女。その反応は気にも留めずに、銀髪の少女は簡単な調子でこう言った。
「私達には、頼りになる人がいますから」
「……にあー、ってことはやっぱりアイツも来てるのか。貸しを作るのは癪なんだけど。にゃあ」
「……あ、『アイツ』って……?」
「くそぉ……大体、
「焦ることはないです。あなたが活躍する機会は、この先まだまだ沢山あるはず、です」
「???」
戸惑いながら疑問符を頭に浮かべる彼女を「いいからいいから」と強く引っ張って、少女らは足早に退避していく。
『アレ』に関しては十分に信用も信頼もしている二人だったが――それでもやっぱり、無意味に巻き込まれるのは避けたいところなのだ。
そして。
そんな逃避行と時を同じくして、とある少女はたった一人で、十人近くもの不良少年達の前に立ち塞がっていた。
「あぁ? 何だテメェ」
「俺達急いでんだけど。それとも何、お嬢ちゃんが俺らの相手になってくれるってワケ?」
「……ねえ、そんな大人数で女の子一人追いかけ回して、恥ずかしくないの?」
ピリピリとした苛立ちの目線を浴びながら、それでも華奢な彼女は臆せずに彼らを見据える。
が、自分らより一回りも二回りも背の低い子供に睨まれたところで、彼らは簡単に怯むような人格ではない。嘲笑、では済まないような馬鹿笑いと共に、不良たちが小柄な少女ににじり寄る。
「ぎゃはは! 言うねーアンタ! アンタで遊んでりゃ結構イイ退屈しのぎにはなりそうじゃねえか!? なぁ!」
「どうせこの人数にゃ敵いっこないんだ。よく見りゃそこそこ上玉だし、諦めて俺らとタノシイことでもしに行こうぜぇ?」
「ははっ、おいおいロリコンかよテメー。こんなちんちくりんにソッチの相手させたってつまんねーだろうがよ」
「……はぁ、大の男が揃いも揃って、そんな事しか言わないのね」
下品な口ぶりで威圧してくる輩を前に、彼女は呆れたようにため息をつく。
細い人差し指でズキズキ痛むこめかみを抑えながら、努めて冷静に取り繕った声で訪ねた言葉は、いわゆる最終通告のつもりだった。
「えっと、一応聞いておくけど……大人しく退散してくれる気は」
「あー? 馬鹿かよ、どこの雑魚がンなダサい真似するかっての」
「グチャグチャ言ってねぇで――さっさとこっちに来やがれクソアマ!」
しびれを切らしたリーダー格の男が、ついにその屈強な手で少女の細い腕を掴み取る。
だが――それは不良達にとっては大きな間違いだった。
『茶髪にルーズソックスの少女』という、とある有名すぎる能力者の特徴に気が付かないまま彼らは、無防備に先手を打ってしまったのだ。
バチィ! と。
浅慮の代償は、四方を阻むコンクリート壁を穿った高圧電流という形で訪れる。
「っ、ぐ……何だぁ!?」
「まさか、能力者だと……!?」
「オイこいつ、もしかして噂の……!」
今更。本当に今更だそれは、とでも言っているつもりなのか、少女はまるで嘲るようにうっすらとした笑みを浮かべた。
細くすらりとした体格も、凛としたその顔立ちも、紫電をまとい広がる明るい色の髪の毛も。その何もかもが、彼らにとっては悪夢のようなその噂と一致しているというのに。
威嚇としてバチバチと前髪に帯電させて佇む少女を前に、男の一人が思わず目を剥きこう叫ぶ。
「――
「なっ、なんだと!?」
「
「ま、まずいぞ。ここは一旦退いて――」
その言葉に怯んだ不良達は、驚愕の顔付きで二、三歩後ろに下がりはじめる。
しかし。
「……『
「ッッッ!?」
「ミサカは、
「……、へ?」
俯いたまま呟く少女の声は、まるで癇癪を起こす直前の赤ん坊のように不安定な音域だった。
ぷるぷると震える華奢な肩に、得体の知れないカウントダウンを本能で察知する彼らだったが、もう遅い。
バチバチっ……と不気味に鳴り出した破裂音の一秒後――。
まさに文字通り、雷が落とされる。
「ミサカにはっ!
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???」
バリバリバリバリッッッ!! と、派手な閃光が視界を埋め付くす。
壁や地面、四方八方に放たれた衝撃に、不良少年たちは哀れにも全員まとめて吹っ飛ばされてしまったのだった。
「……………………ま、またやっちゃった……ってミサカはミサカは呆然としてみたり……」
十秒後。
ぜーはーと肩で息をする少女・
泡を吹いて気絶している彼らの前でおろおろしている彼女の姿は、端からどう見ても加害者のそれだった。直接攻撃する意思が無かった分、彼女の言う『
「い、一応この人たちに怪我はないみたいだけど……このままじゃ
左腕に巻いた深緑の腕章の威厳も霞むほどの狼狽っぷりで、
――そんな中、背後からテクテクと近付いてきた二人組の存在は、ある意味その少年達にとっては救いの女神だったのかもしれない。
「にゃあ、大体また派手にやったな。というかこいつら生きてんのか?」
「先程の彼女は
「ふ、二人とも……ってミサカはミサカはギクリとしてみたり」
つんつん、と口に出しながら白目を剥いた男の頭をつつくフロイライン。その傍らで、フレメアは腰に両手を当てて仰々しく
庇護欲を煽るような愛らしい容姿の――そしてヒーロー修行中の少女がその瞳いっぱいに湛えているのは、
「……まったく、大体登場が遅すぎる上にコレとはつくづく情けないにゃあ、この子供め!」
「たっ、助けてもらったんならちょっとは大人しくしてろお子様め! ってミサカはミサカは反撃してみる!!」
そう。これは、
少しばかり長いプロローグは、いつも通りのこんな応酬で幕を閉じたのだった。