とある科学の最終信号   作:icoi

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第五章 失われた名前へ Desk_Theoly.

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「……結局、ロクなものじゃなかったですね。あの子たちのみならず、コピー元までこんな扱いを受けていたなんて……」

「ええ、これでようやく理解できましたわ。匂風(におかぜ)速水(はやみ)のデータが『書庫(バンク)』から見つからなかった事情も……彼女がこの件で、この街に恨みを抱く理由も」

 逆戻りとなった打ち止め(ラストオーダー)の病室で、端末に表示させた一連のデータを閲覧し終えた二人の少女は、思い思いに憤りと諦観の念を口にしていた。

 それは、学園都市第一位の超能力者(レベル5)一方通行(アクセラレータ)が自身の働きに必要な分だけ統括理事会から受け取っていた、かつての『仮想超能力者(デスクセオリー)』計画の全容だった。

 一人の天才を模したコピーを量産し、彼ら全員の人格と人生とを無為に破滅させた、悪魔のような実験内容。幸福な結果は何一つ生まないと分かっていながら、知的好奇心に任せて娯楽のように悲劇を消費した黒幕と、金の出処。そして、匂風速水が『実験』を経て辿った人生の、目を覆いたくなるような破滅の有り様まで。

 全て理解して――それでも、彼女の境遇に同情して一連の暴走を良しとするような者は、今この場には皆無だった。

(……あの子がこの話を聞いていたならば、わたくしたちとは違う感想を抱いたかもしれませんが)

 あの根っからの善人は、きっと彼女に同情しただろう。手を差し伸べることを切望しただろう。

 それが例え、右手で幻想をぶち殺してしまう方がよほど楽で安全に収拾を付けられる事態だったとしても。打ち止め(ラストオーダー)はきっと、今回のようなことでヒーローたちに拳を握らせたくはないはずだ。

風紀委員(ジャッジメント)の連中は、研修やら何やらで速読のスキルぐれェ身に付けていねェモンなのか。時間が無駄で仕方がねェ」

超能力者(レベル5)の情報処理速度からモノを語らないでくださいまし。……とはいえ、提供については非常に感謝してますの。これでわたくしたちの行動指針は固まりましたわ。いずれ目覚める七人の被害者たちの保護手続きと裏取り操作。そして彼女につきましては……」

「部下を貼り付けてる。上手く誘導して、後は俺が自ら無力化するだけだ」

「分かりましたの。……信用していますわよ第一位様。信頼にはまだ足りませんけれど」

 言いながら病室を後にする白井(しらい)黒子(くろこ)。ベッドの傍らにいた初春(ういはる)飾利(かざり)はというと、静かに眠っている打ち止め(ラストオーダー)の額にそっと手を当ててから、我に返るように小走りで白井の後を追いかけていった。

 彼女らを見送ることなく窓際でパッドの画面を叩いていた一方通行(アクセラレータ)だったが、ややあって無機質に鳴り響いた着信音が彼の作業を中断させる。

「よォ使えねェガキどもが。真紅(しんく)、しでかしたヘマを挽回できるだけの働きはしてンだろォな?」

『ふ、不測の事態だったんですよう!! そもそも、病室に隔離していたはずの最終信号(ラストオーダー)があんなところをうろついていただなんて、むしろ隊長の方の危機管理不足を糾弾しても許されるべき場面なんじゃないですよ!?』

 統括理事長から直接派遣された『親衛隊』、という名の監視役たち。彼女らからの定期連絡だった。

『核兵器を行使するには大統領のボタンが必要』という建前と同じく、学園都市の最重要人体兵器たる『一方通行(アクセラレータ)』を行使するためには、原則この三人の許可・補助が必要である。この『首輪』は、親船(おやふね)最中(もなか)一方通行(アクセラレータ)を飼い慣らしていることの全世界へのアピールであると同時に――平和を掲げるこの街の中においても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、とある老女からのお節介な提案でもあった。

 かくして一方通行(アクセラレータ)のもとに配属された三人の偽名少女は、置き去り(チャイルドエラー)からの出身――揃いも揃って親船最中の信奉者だ。口では忠実な部下を名乗りながらも、第一位個人に対しての信頼などはゼロに等しい。万一この怪物が統括理事長の意に反する動きを見せたりしたならば、彼女らはあの老女に頼まれるまでもなく、自己判断で一方通行(アクセラレータ)に牙を剥くだろう。そういう連中だった。

 それでいい。

 状況を逆手に取って彼女らのスペックを都合よく運用していくためには、半端に情など持たれても邪魔でしかない。

『ま、まぁそれは置いておくとして! 現在、目標は路地裏の隙間を縫うように第七学区を南へと進んでいますよ。こちらの見立て通り、速度はかなり落ちましたが。最初に見られた「翼」やそれに準ずる高速移動補助道具は、隠密に移動する為にももう使えないんじゃないかなってとこですよ』

 赤髪をポニーテールに結わえた真紅は、どこか高所から街全体を俯瞰しているような語り口で言葉を続けた。

『隊長、このまま彼女を泳がせておいてホントにいいんですよ? まぁ確かに岐閥(きばつ)のヤローが『首輪』を外した麦野(むぎの)沈利(しずり)にサックリやられてたのは、いやもう個人的にはいいザマだなって感じですよ。この私も駆り出されてアシストさせていただきましたけど、マジで役得でしたよってぐらいで。でもー』

『わ、私の能力で少しずつ干渉して、周囲一〇〇メートル以内の一般人については人払いしていますけどね……それよりも、ううーん、止めた方がいいんじゃないですね? 彼女、誰の目から見たってもうそろそろ……()()()()()()()()()()()()()()()

 白いフードを目深に被った思念使い(マテリアライズ)、緑髪ボブカットの鮮緑(せんりょく)が、特有のおどおどした口調で通話に割り込んでくる。

『いつ弾け飛ぶか分かんない自分の能力を精神力のみで抑えつけてるとか、マジ少年漫画ばりの無茶振りですよ。というか鮮緑? あなたがアレの意識を完全に乗っ取ってコントロールすることとかは出来ないんでした?』

『ブリーフィングをちゃんと聞いていましたか真紅、うかつに彼女の自由意志を奪い取ると、仮想超能力者(デスクセオリー)の暴発の方向性に予測が付けられないっていう話ですわ』

 裏工作・メンテ担当の紺碧(こんぺき)が、青く長い髪をガシガシとかき混ぜながら二人の同僚に口を出した。

『本当に危険なのは彼女自身の行動や思惑ではありませんわ、むしろ彼女の内側に飼われている暴走モンスターが厄介なんですわよ。計算しうる限りでの単純な威力は超能力(レベル5)クラス。こればっかりは正規の警備員(アンチスキル)や私たちにはどうにもできませんわ、隊長ご自身の手で止めていただかないと』

「無駄話は済ンだかよ」

 女が三人で(かしま)しいとはよく言ったものだ。一方通行(アクセラレータ)は機嫌の悪さを全面的にアピールした声音で牽制するように、彼女らへ『大義名分』を要請する。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『あーい、承認しますよ』

『はいはい、承認しますわ』

『しょ、承認、したくないですけどね……。分かりましたって、しますねしますね!!』

 ピーッ、と。小さく甲高い電子音が一方通行(アクセラレータ)の『首輪』から鳴り響く。

 電極側面に埋め込まれたLED電球は赤青緑の順に色を放ち、最終的には三色が均一に混ざった白い光を煌々と灯していた。

 光の三原色。

 受信可能演算量を最大まで公式に認可する――白い怪物を、あるべき姿へと戻すための儀式だ。

(……これで、よォやく好き勝手に行動できる。二時間程度の自由時間でしかねェがな)

『ええと、じ、事情を知らずにAIM拡散力場の異常値を検出して駆けつけてきた警備員(アンチスキル)の方々に対しては、どう対処しますね……?』

「標的の経路を予測して無線を攪乱しろ。紺碧、何なら地下の送電線をブチ切ってもイイ、どォせすぐ修復できるだろ。連中にゃすぐに『上』からも待機命令が飛ンで来るだろォが、無駄に仕事熱心な教師どもには覚えがあっからな。そォいうヤツらは真紅が対応しとけ」

 いえっさー、とやる気のない少女らの返答を待たずに通話を切る。

 端末を背広のポケットへと仕舞い込む青年。その真っ白な手の中には、新たに産まれようとしている怪物を排除するための手段がすでに幾億も準備されている。

 頭蓋を弾いてでも、彼はあの少女を無力化するつもりでいた。どうせ放っておけば勝手にくたばる命なのだが、『暴発』に伴い要らぬ被害を拡散するわけにはいかない。

 そして彼女ももちろん、ただで死ぬつもりは無いのだろう。

 妥当な所では、学園都市そのものへの復讐。実際その推論を裏付けるように、黒幕たる岐閥腹心(ふくしん)への襲撃を確認した後、彼女の足取りは着実に第一〇学区へと向かっていた。

 すなわち、ヤツの狙いは原子力発電所へのテロ行為だ。

「防衛戦なンざ俺のガラじゃねェンだが。……まァ、第四位がやるよりはよっぽど適任か」

 電極のスイッチを弾き、病室の窓を開ける。奇しくも数時間前に幼い少女がそうしたように、怪物はベランダから飛び出そうと上半身を屈め始めていた。

 手を汚すのは、少女が佇む光の世界を維持するため。

 それを少女自身が厭うのも、彼女が彼に反発する理由も――何もかも、本当は知っているけれど。

 

「……待ってよ、ってミサカはミサカは懇願してみる」

 

 だから。

 狸寝入りを続けていた打ち止め(ラストオーダー)が、今こうして彼の袖を掴んだことぐらいは、一方通行(アクセラレータ)にとっては最初から織り込み済みだったのだ。

 

 

 

   2

 

 

 

「パターン一五。コイツで足場を乱す!」

 ざざざザザザザ!! と。

 少女の合図に呼応して、無機質な白色のテーブルが急成長する大木のように無数に出現した。

 精巧な網を紡ぐ蜘蛛の糸のような白いもやは、よく目を凝らすと、金髪の少女が被ったベレー帽から生み出されている。突然の襲撃を受けて慌てふためいた白衣の連中は、不安定な地面によって高くまで持ち上げられる恐慌に情けない悲鳴を上げた。

「う、うわあああ!?」

「なっ……何だお前は!? どこから嗅ぎ付けて……ッ!」

「パターン一一三。煩い口は塞いじゃおう」

 言うが早いか、複数の可愛らしいぬいぐるみを象った白い塊が空中に召喚され、次々に男たちの口へと飛び込んでいく。

「もがっ……!?」

()()()()()()()()()()。私の合図でいつでもあなたたちの意識を吹き飛ばせるってことを忘れないように」

「――……ッッッ」

 明らかにインドア派らしい白衣の集団――岐閥腹心が雇った仮想超能力者(デスクセオリー)計画関係者を含める私兵たちは、少女が突きつけてくる突然の理不尽に思わず背筋を凍らせる。

 頭の上からポコポコとこぼれ落ちてくるぬいぐるみの一つをむんずと無造作に掴み取りながら、フレメア=セイヴェルンは空色の瞳を猫のように細めていた。

 相手がほとんど素人らしい分、彼女の脅しに対して何か突拍子もない行動に出てくる可能性がある。フレメアは一応それを警戒していたのだが、案の定――上空へと身体を突き上げられていた集団のうち一人がよろめきながらも、口に挿入されていたぬいぐるみをむしり取って懐から銃を取り出した。

「くそっ……!!」

「にゃあ、大体手足を縛っておくのを忘れてたな。パターン三六」

 その一言で。

 植物の蔦を模した真っ白なロープが、長すぎるテーブルの脚を無数に這い上がり、その男の手首を背中の後ろまでゴキリと持ち上げた。

「あっ、が、ぎゃあああああああああああああああああ!!!???」

「折ったりしないよ、見せしめついでにちょっと関節を外しただけ。大体、むやみに人を傷付けるような使い方はこの『帽子』が許してくれないし。にゃあにゃあ」

 言いながら、少女は細い指を使って、異質な真っ白いベレー帽を被り直した。

 未元物質(ダークマター)とは便利な代物だ。『この世界に存在しない物質』として正しくそのポテンシャルを発揮できるのは垣根(かきね)帝督(ていとく)のみだろうが、切り離した物質そのものに既存の科学物質や電流で指令を送るなどして、ある程度紙粘土のようにこね回して変形・変質させることが出来る。ましてや、垣根本人が無能力者(レベル0)であるフレメア=セイヴェルンにも扱いやすいようにと作り上げたこの『帽子』を介したならば、(少なくとも形状だけなら)思い通りに未元物質(ダークマター)を弄ることが可能だ。

 あらかじめフレメアが自分で設計図を描いた三○○以上もの形状パターンを『帽子』に登録しておき、彼女の合図に従ってそれを現実世界に抽出していく。頭部に流れる生体電気を『帽子』が読み取ることによって、それらの発現位置やサイズ・動き方などはある程度彼女のイメージ通りにコントロールできる。

 要は、ゲームに必要なアイテムを無限に吐き出すためのコントローラーだ。

 もちろんコイツは誰にでもすぐ実戦で使えるような万能兵器ではなく――アイテムの外見から内部構造・小さな歯車ひとつひとつの歯の数まで、その全てをゲロ吐く覚悟でチマチマと丸暗記しておかなければ、未元物質(ダークマター)の暴発や大洪水のリスクすら伴うトリッキーな道具ではあるのだが。

「さぁて、パターン二三〇だ」

 ガチャン!! と硬質な音を鳴らして。

 第二位のじゃじゃ馬を平然とした顔で乗りこなす金髪の少女は、その手の内に、まるで玩具のようなファンシーな目玉がプリントされた――対戦車ミサイルを出現させる。

 奇しくも、死んだ姉とよく似た戦い方。メルヘンで可愛らしい武器に取り囲まれた、可憐な少女の姿で。

『帽子』の中に介在する垣根帝督の思考が、それを見る度にほんの少しだけ暗い感情で満たされる。そんなことには全く気が付いていないフレメアは、にっこりと完璧な笑顔で右手のミサイルを掲げた。

「〰〰ッ!!」

「カブトムシとのお約束で、コイツを人に向けるのは確かに『なるべくNG』なんだけど。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? にゃあ」

「は、ふぁにが……」

 口いっぱいにぬいぐるみを詰め込まれたリーダー格と思しき男が、蔦で縛られ安定しない足元を気にしながらも恐る恐ると戒めを引き抜き、改めて問いかけて来た。

「……何が望みだ?」

「最後のターゲットとかいう子の情報」

 真っ直ぐに目の前を見据えるフレメアの視線は、揺るがない。

「あなた達はこのまま不審人物として留置所送りの運命だけど、その前に、匂風速水が狙っている最後の一人の所在を知っておきたい。大体あなた達を捕まえたところで、あの女が実行犯ならどうしようもないしな。でも事前に狙われる子の名前と居場所を割り出して守ることが出来たのなら、また話は変わって――」

「……匂風速水。あいつが実行犯、ね」

「何がおかしい?」

「我々が狙っているのは早川(はやかわ)風香(ふうか)という子供だ。現在位置はここからそう遠くない」

 あっさりと。

 敵の口から告げられた特定の人物名に、流石のフレメア=セイヴェルンも訝しげに眉をしかめた。

「……、罠か何かかって疑うレベルだぞ。随分と早く口を割るモンだな、にゃあにゃあ」

「……研究職から離れがたいがためにこんな汚れ仕事を引き受けているというのに、今ここで地上一五メートルから突き落とされて両足骨折なんてザマは避けたいからな。倫理を捨てた科学信仰のクズなりに守りたいものもあるんだよ。それに嘘を付く理由もないさ、何せ――」

 ――嫌な予感がする。

 咄嗟にそう思い当たったフレメアの目の前で、下半身を磔にされた男はうっすらと笑いながらこう言い放った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 果物籠で囲まれた領域、その空の上から。

 白ずくめの装備で身を固めた工作部隊の傭兵たちが、フレメア=セイヴェルンの小柄な体を蹴倒すべく、軍用パラシュートで降り注いできた。

 

 

 

   3

 

 

 

「眠り姫はいつ起きるかと内心待ち構えていたンだが。寝過ぎと気絶の繰り返しでそのうち死ぬンじゃねェのか、オマエ」

「寝かしつけた張本人のくせにうるさいよ、ってミサカはミサカは不満たっぷりに言葉を返してみたり」

 若干の埃を被ったセーラー服を身にまとう姿で、立ち上がった一人の風紀委員(ジャッジメント)は毅然とした態度で学園都市第一位の怪物に対峙していた。

 窓の外に向き直っていた状態から、わずかに体勢を変えて彼女へ視線を寄越す一方通行(アクセラレータ)。追尾ミサイルのレーザーのように真っ赤な瞳が、その色調とは裏腹に震えあがるほど冷淡な感情を語っている。

 けれど今更、彼女はこの青年に対して怯えなどはしない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

理想主義者(ロマンチスト)の世間知らずが。イイ加減に頭は冷えたかよ?」

「冷えるわけないよ。仮想超能力者(デスクセオリー)のこと、匂風速水のこと……全部聞いてたとしたって、それはこのミサカが足を止める理由にはなり得ないもの、ってミサカはミサカは拳を握り締めてみる」

 チッ、と舌打ちの音が四角い部屋に響いた。

 杖をつき、一方通行(アクセラレータ)は体勢を彼女へ向けて立て直す。

 青年の首元で白い光を灯す『首輪』の意味は、彼女にはまだ教えていない。それでも、ミサカネットワークの司令塔という立場からは、その意味も意義も薄々は感付かれているのだろうが。

「相手は自殺志願者、それもこの街との心中を図っていやがる。下手な災害よりも厄介だぜ、何せ進路の全てを感情に支配されてンだからな。何より、市街地で暴れ回る怪物に真正面から手を差し伸べる馬鹿なンざどこにいる? 駆除か捕獲か。選ぶ余地があンのはせいぜいその二択だろォが」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その愚直さは、どこまでも独り善がりで、自惚れていて。

 それでも。

 先程まで彼女の表情からうかがえた、半端な同情心と怯えは――もう殆ど消え失せていた。

「そんな怪物に手を差し伸べる人が、たった一人も居ない世界なんて絶対に駄目だ。だからミサカは風紀委員(ジャッジメント)になった。誰かが、怪物にならないと生きてさえいけないような苦痛に晒されたときに、たった一人ででも寄り添える人になりたかったから。……、もう誰も怪物になんてしたくない。そのために、このミサカはここまで来たの」

 ごく普通の中学校に通いだし、研鑽を重ねて大能力者(レベル4)に登り詰めた。周囲の反対を押し切って、病弱な身体を押してまで風紀委員(ジャッジメント)になった。

 積み上げたその軌跡は全て――自分達がヒーローから受けた恩と借りを、この世界へと返すため。

 ちっぽけでもいい。思い上がりで構わない。これは同情なんかではない、単なる打ち止め(ラストオーダー)の自己満足なのだから。彼女は彼女のためだけに、匂風速水の心をヒトとして救い上げる。これは絶対に曲げてはいけないことだ。打ち止め(ラストオーダー)が果たさなくてはならない使命だ。

 誰かのために手を汚す役目を良しとしてしまう怪物を、もう一人だって増やしたくないから。

「……、どこの誰を重ねてるつもりだ?」

「…………………………、別に? ってミサカはミサカはしらばっくれてみたり」

 唇を尖らせて誤魔化すように顔を背けた打ち止め(ラストオーダー)。その頬がわずかに赤く火照りを訴えてくることなど、第一位も少女自身もさして気には留めなかった。

「余計な世話だと一蹴してやる以外の選択肢はねェワケだが、どォせそれじゃ納得しねェンだろ」

「そんなの当たり前、ってミサカは……いてっ!!」

 手にしていたタブレットで頭を叩かれた少女の口から、情けない悲鳴が上がる。

 かつて頻繁に襲ってきた連続チョップのように打ち止め(ラストオーダー)のおでこへと突き付けられたのは――先程まで白井黒子や初春飾利が閲覧していた、仮想超能力者(デスクセオリー)計画の全てだった。

「単なる救えねェ悪党をブチ殺すってだけなら、とっくにそォしてる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、この俺がクソ面倒な下処理にこンだけ時間を割いてたンだろォがよ。何年俺の思考演算を肩代わりして来てンだクソガキが、察しろそれぐれェは」

「――、っ!」

仮想超能力者(デスクセオリー)は、ハナから本人の悪意を基にセッティングされたよォな単純なモンじゃねェ。オマエの気に掛けてたガキは元々今日明日にも滅びる筋書きで、少しばかり縮めた『リミット』を引き換えに、心残りの全部を果たそォと願った。……全ての泥を被って、怪物として殺されることだけを望む。アレはそォいうタイプの傍迷惑な脅威なンだよ」

 それでもまだ口説き落とす気でいるつもりか? と。

 データとして突き付けられた現実を、彼女は彼の手から素直に受け取っていた。

 パチン! と、タブレットに触れる指先から小さな紫電が迸る。ほんの数秒目を閉じるだけ。たったそれだけの時間で、電子の奔流が意識を呑み込み、彼女は隠匿された数年前の『実験』のすべてを知り尽くしてしまう。

 この悲劇を、食い物にして笑う人がいたのだ。

 食い物にされる苦痛にのたうち回り、己を巣食う怪物に縋ってしまった人がいるのだ。

 憤りよりも――ただ莫大な理由があった。彼女はきっと、誰にも拳を握らせないために戦う方法を思い知っている数少ない人間だ。思い上がりで終わらせるわけにはいかない。ちっぽけなままで、ヒーローに守られながら生き続けていていいはずはない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 用を済ませたタブレットを柔らかなベッドの上に投げながら、少女はたったひとつ、意志の強い瞳で言い放つ。

 彼からの返事は、待たなかった。

 第一位が立ち塞がる窓からではなく、出入り口の扉から当たり前のように出ていく。それを引き留めることも背中を押すこともせずに、ただ無機質な瞳で見送っていた一方通行(アクセラレータ)はややあってから、誰もいなくなったようにしか思えない病室の虚空に向かって口を開いた。

「いつものごとくガキどものケツは追いかけて行かねェのか、盗聴野郎」

『……それは、どっちかと言えば私が言ってやりたい台詞なんですがね……』

 枕元に忘れ去られた携帯端末のストラップが、ふるりと生物的な挙動で六本の脚を蠢かせる。

 白いカブトムシは薄い羽根を振動させて、平時よりややトゲのある青年の声音を使って因縁の相手との会話を試みる。互いに丸くなったものだな、と普段は思わないことも無いが、こういう時ばかりはこの怪物の『あの少女』に対する底知れない感情にぞっとさせられる。多分、相手もこちらの生き様へ侮蔑交じりに似たような感想を抱いているのだろうけれど。

「あのクソガキ、標的の現在地もロクに知らねェまま飛び出しやがった。オマエがいつもみてェにあいつをナビゲートしてやるつもりなら好きにしろ。オマエがいりゃよっぽど犬死にはしねェ」

『私に託していいんですか? 野放しにしたフリをしておいてあの子を影から守るというのは、いかにもあなた自身が好みそうなことに思えますが』

「俺も俺で好きに動く。アレも風紀委員(ジャッジメント)の端くれだ、治る程度の怪我なら日常的に負ってンだろ」

『なるほど。彼女の一滴の出血をも許容できない性分はいい加減に大人げないと、黄泉川(よみかわ)愛穂(あいほ)さんあたりからお説教でも食らいましたか』

「動く気がねェンならこの俺が手ずから危険地帯にぶっ飛ばしてやろォか」

 はいはい分かりましたよ動きましょう、と怪物の殺意を受け流しつつ窓際まで飛ぶカブトムシ。ナノサイズまで細分化した未元物質(ダークマター)を空気中へばら撒き、学園都市中に眠らせている他の個体からの情報を辿って。今や垣根帝督そのものでもある能力の塊たちは、第七学区から第十学区の災対構造を補助すべく適切な形態へと変化していく。

 そうしながら、打ち止め(ラストオーダー)のもとへ飛び立つ寸前のカブトムシはふとからかいの文句を思いつき、苦笑を噛み殺すような声で第一位へ語り掛けた。

『……同じ道を辿らないとは言っていましたが。似た者同士ですよあなた方は、腹の立つことに』

「あァ?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 最後だけ――一方通行(アクセラレータ)の記憶の中に残る、仇敵としての垣根帝督の声で吐き捨てて。

 キィィィィン!! と。一秒前まで確かに人間らしい言葉を口にしていた白い塊は、流線形としか形容できない挙動で窓辺から発射される。

「……」

 白い髪の青年は、死ぬほど不愉快そうに眉をしかめていた。

 今度こそ一人きりとなった彼女の病室で、ベッドの上に放置されたタブレット画面が煌々と光っている。その白色光に、電極が能力使用モードのままであることを思い出した第一位は渋い顔でスイッチをスライドしてから、端末を拾い上げるべくベッドまで歩み寄っていった。

 その画面を視界に収めて――伸ばした手がしばし静止する。

「――……、マジでここまで馬鹿だったか、あのクソガキ」

 いつぞやのごとく、振り上げた杖で精密機械を思い切り叩き壊したくなったが。

 不本意にも物分かりの良いオトナとやらになりはじめていた第一位はその衝動を全力で抑えつけつつ、タブレットの代わりに懐から取り出した薄い煙草の箱を苛立ち紛れに掴んでいた。

 

『無題(1)‐メモ帳

 本文:

    全部片付けたら、インテリビレッジで水着デート。バーベキューと花火代はあなた持ち。

    あなたが何と言おうと、これはミサカの中での確約事項だから!』

 

 

 

   4

 

 

 

 ギュンッ!! と。

 空気を裂くように、やや開けた裏路地の区画へと五体もの白い影が降り注ぐ。

 打ち止め(ラストオーダー)や白井黒子が報告していた、匂風速水のそれと似通うギミック。広義に言えば同じ『造り手』を敵に回したことへ改めて冷や汗をかきながらも、もはや標的のフレメア=セイヴェルンには一刻の猶予もなかった。

「――……ッ、パターン二五〇っ!!」

 叫んだ瞬間に顕現したのは、豪奢なティーポットを模した巨大な白い馬車だ。

 ズガガガン!! と、マトモな人体と触れ合うにしては硬質すぎる音を立て、素人の手で未元物質(ダークマター)を捏ねただけの塊は横殴りに敵襲を薙ぎ払おうとする。しかしそのように精度を欠いた稚拙な防御は、当然ながら、相手連中の動きを数秒留めさせたのみの結果と終わってしまう。

 明らかに特殊な衝撃吸収装備で身を固めている。きっと、彼らはこれがワゴン車に轢かれていたとしても、同じように平然と立ち上がっていたはずだ。

 先程まで尋問していた元研究者たちとは明らかに経歴が違う――裏稼業の匂いがプンプンと漂う無慈悲なまでの冷静さで、金髪の少女を最小限の出血で昏倒させるべく肉薄し、各々の鈍器を振りかぶってくる。

(っ……まずい、大体もう、私が『帽子』で扱える未元物質(ダークマター)には限界量が……ッ!!)

 借り物である能力を行使するにはそれ相応のラグがある。おまけに、最大限まで『出し切った』素材を回収してしまえば、今度は二〇人もの敵を封じる拘束を不用意に緩めてしまう。

「にゃ、……ッッッ!!」

 思わず――不覚にも、迫る衝撃を恐れてフレメアの瞳がぎゅっと閉ざされてしまうが。

 

 パパパパパンッ!! と、軽い音を立てて。

 アサルトライフル『オモチャの兵隊(トイソルジャー)』から放たれたゴム弾に防御のスキマを叩かれた男達が白目を剥く有様を、(つむ)られた空色の瞳が見届けることはついに叶わなかった。

 

「あ、が……ッ」

 ドサドサと呆気なく倒れていく傭兵どもがブラックジャックや拳銃などを手から放してしまう頃に、ようやく彼女は恐る恐るとその目を見開いていた。

「……、にゃ、にゃあ!? 大体誰だ誰だ助太刀してくれたのは! にゃおーん!?」

「――大体、『学園都市最強の殺し方』とかいう物騒なデータばかりをインストールされた軍用クローンに適うような突き抜けたプロなど、個人で一昼夜のうちには到底雇えないでしょうね、とミサカ一四五一〇号は無意識下での口癖の感染を自覚しながら己の性能をひけらかしてみます」

「元統括理事第一秘書、岐閥腹心の私兵ですか。あなた方の頼みの綱であっただろう屋上のヤツらはなんだかコソコソ怪しく動いていたのでもれなく全員制圧済みですよ、とミサカ二〇〇〇〇号は真上から顔を覗かせながらニヒルに宣告してみます」

 高低差を無視して、猫のようにしなやかな動作で地面へと着地した二人組の片割れは――フレメアがよく知っているあの子供と、よくよく見れば全く同一の顔造りをしている少女だった。

「あなたたち、……妹達(シスターズ)の……」

「礼には及びません、何ならはじめましてのご挨拶も不要です。ミサカ達はネットワーク上であなたのことをよく見聞きしていますし、誰か一人の個体と親しい人ならば皆知り合いのような感覚でいますから、とミサカはロジカルに説明してサムズアップを突き付けます」

「つまりいつもウチの司令塔と仲良くしてもらっているよしみという事です、とミサカは上空から声を張り上げてオネーチャン達の素直な心情をお届けしてみます」

 無表情で語る二人の少女たちを無視して、フレメアの前に倒れ伏していた男のうち二、三人が、震える腕を突いて何とか起き上がろうとする。

「クソ、が……ッ!!」

「にゃあ!? しっ、しぶといなこいつら! 白いくせにゴキブリみたいに!」

「まぁ、流石にゴム弾を関節に撃ち込んだ程度で意識までは落とせませんから、とミサカは冷静に評価しながら――奴さんの真上に飛び乗って手首ごと脇腹を踏み潰します」

「ひぃ!?」

 地上十数メートルの屋上から、磁力の補助を使いつつズドンと降ってくる二〇〇〇〇号の台詞と一連の光景に、思わずフレメアの口からドン引きの悲鳴が漏れる。

 どうやら標的は腰のベルトに仕込んだ改造手榴弾に手を伸ばしていたらしいが、それを遠くから目ざとく察知して一切の躊躇いもなく肉体を粉砕しにかかるあたり、なんというか流石にあの子供とは行動力の次元が違いすぎる感じがする。ゴキゴキバキバキ言わせながらノリで苦痛を増幅させる少女の所業は、どっちかというと悪党のそれだ。

「ぐ、ぎあああああああああああああああああああああああああああああ!! あっ、あっっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」

「ミサカたちは()()()()()からパシられてあなたの行方を追っていたのですが……よいしょっと、ようやく捕捉したときには数十人も相手にタイマンやらかしてて、正直介入手段に悩みました、とミサカ二〇〇〇〇号はフレメア=セイヴェルンに苦情をぶつけながら公共の場所で殿方を破廉恥に喘がせてみます」

「…………………………、あ、あれは仕方なかっただろ! 大体、早く情報を絞り出さないといけなくって……そう、早川。早川風香! 匂風にやられて、その早川って子が手遅れになるかもしれないし! 早く保護を……ッ!!」

 目の前の光景にしばし魂を抜かれていたフレメアは、ようやくハッと思い出したように火急の危機的状況を訴える。

 しかし、手持ちの拘束具で油断なく白ずくめ連中を縛り上げながら、二人の妹達(シスターズ)は無表情の瞳を僅かに細めるばかりであった。

「……ああ、なるほど。そういう『周回遅れ』にあるのが常だと、とミサカは密かに納得します」

「事情はあまり深く知りませんが、その少女なら一方通行(アクセラレータ)さんたちがどうにかするという話でまとまっているようですよ? ネットワークの報告によれば上位個体も首を突っ込みだした様子でしたが、とミサカは流石にちょっぴり同情して現状を明かしてみます」

「な、なんだとー!? ってことは大体またあの子供!! 抜け駆けして美味しい所持っていきやがるつもりなんじゃないか!! にゃあにゃあ! 何のために私が身体を張ったと思ってんだ! 自分一人で頑張ってりゃ丸く収まって世界平和だとか自惚れてんじゃねーぞクソヒロイン気質が!!」

 全くですね、と思わず心の底から頷いてしまう一四五一〇号と二〇〇〇〇号。

 彼女らの前で一気にヒートアップした金髪の少女は『帽子』にすかさず命令して――その華奢な背中に、六枚の無機的な翼を接続した。

「パターン一!! カブトムシ、どうせ知ってるんでしょあの子供の居場所! ……なに!? 『緊急避難でもないシチュエーションで私の能力を便利にこき使わないでください』!? 全く生意気な小動物め、いいからアイツのとこまで私を連れて行くの! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! にゃあにゃあ!!」

 バサァ!! と猛烈な風を巻き起こして。

 うなされている死屍累々が積み重なるような地獄絵図を飛び立っていくフレメア=セイヴェルンの姿を、妹達(シスターズ)はただ手をひらひらさせたりしながらしばらく見送っていた。

 頭に被った『帽子』相手に喚きながら小さくなっていく彼女の影を見つめ、やや間を置いてから口を開いたのは二〇〇〇〇号の方だった。

「――……今更ながら、これセロリたんからの『命令』違反なのでは? ミサカたち駄犬失格じゃね? とミサカはダラダラ冷や汗を流しながら春厨(はるちゅう)相手に爽やかな笑顔で問い掛けます」

「……ミサカたちが頼まれた『おねがい』はフロイライン=クロイトゥーネの捕捉をも含まれていますし、それにフレメア=セイヴェルンの方は恐らくあの『帽子』が気を利かせて適当に迷子状態にさせてくれるでしょう、とミサカは変態に対して至極冷静に私見を述べます。つまりは……」

「ッッッ!?」

 一四五一〇号は妹達(シスターズ)として表向きの淡々とした態度を崩さないまま、先に素のキャラクターを解放した二〇〇〇〇号の襟首を掴み上げて――堂々の背負い投げを決めた。

「。ごっ、ぼ……!!!???」

 ノーバウンドで地面へと叩きつけられ、肺から空気を吐き出す痴女個体(パンツ全開)。

 呆然自失と半身を起こす彼女を尻目に、スッタカタッターと走り出す一四五一〇号は――頬をほんのり桃色に染めた、恋する乙女の顔のまま――路地裏中に響くような甲高い大声で、こんな捨て台詞を吐いていったのだった。

 

「……つまり残ったフロイライン=クロイトゥーネを安全に保護して一方通行(アクセラレータ)さんに引き渡し、あわよくば成功報酬で頭を撫で撫でしてもらうのはこのミサカ個人の特権ということですよ!! とミサカは先手必勝に打って出てみますッッッ!! 変態はそこで警備員(アンチスキル)へオッサンどもの引き渡しでもしてチマチマ点数稼ぎしてやがるが良いです! わーっはっはっは!!」

「うわ汚ねえ!! あなたホントたまに怖気が走るほど極悪な神経してますね!? 言っておきますがこのミサカがここまで引くとか相当だからな覚えとけよこの自称乙女が!! とミサカは女子力高い個体特有の陰湿さに舌を巻きますうわあああああああああこのミサカだってご褒美にセロリたんのおぱんつ一枚だけでも欲しかったんだからなァァァあああああああああああああこんちくしょぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 

 

 

   5

 

 

 

 ドゴンッ!! と、複数の金属をスクラップに変える音が連続する。

 まるでモグラ叩きのようだな、とどこか他人事のように考えながら、匂風速水はフェンスで区切られた砂利道の区画をフラフラと歩いていた。

「……」

 不意の侵入者を説得、あるいは撃退すべくプログラム通りの仕事を遂行する警備ロボやドローンは、少女に接近する側から密閉された内圧を高められて爆弾のように弾け飛ぶ。土埃を上げて地面やコンクリートに穴を開けるそれらの挙動は、しかし全部が全部匂風の意図したことではない。

 抑えが利かないのだ。

 すでに脳の疲弊は限界近くまで迫っている。『リミット』を前にして、それでも構わずに超能力(レベル5)クラスの能力を行使し続けた結果。借り物の能力は宿主を守るべくオートの迎撃を働くようになり、彼女本人が強く抑えようとしない限りはありとあらゆる干渉手段を破壊し続けている。

 ここは第十学区。

 少年院や実験動物の処分場、学園都市唯一の墓地などが寄せ集められた学区である。かつてスキルアウトが根城としていた『ストレンジ』と呼ばれるがらんどうの跡地を暴風の余波で破壊しながら、少女は一つの目的地を目指していた。

(……原子力関連施設だ。あそこを狙えば、さしもの学園都市も重い腰を上げざるを得ない)

 吐息が熱い。膨大な情報処理を繰り返し熱暴走を始めるコンピュータのように、肉体の全てがもはや軋み始めている。

(参ったなあ。もう少し保つかと思ったんだけど、この身体。……散々、予定にない暴れ方をしたし。今更能力使用を抑えたところで、『リミット』まではあと数刻もない、かな)

 緑色のフェンスを掴んで支えにしつつ、雨に濡れて滑りそうになる足を引きずる。少しでも意識の波を途切れさせれば、想像しうる限りの『破壊』が瞬く間に周囲を覆い尽すということは明らかだった。

 今はまだ、その時ではない。

 どうせ壊れることが確定しているならば――その暴虐的な余波を、戦略的に有意義な形で行使するまでだ。

 かつての悲劇をたったの五年でまるで無かった事のように塗り潰してしまった、あの老女の正義は容認しがたい。だったらせめて、清廉潔白な彼女の統治の歴史に水を差し、匂風速水の名を刻んでやろうと。人格者の統括理事長が『完璧に除いた』と思い込んでいるそれは単なる古い傷跡なんかではない、現在進行形でどこかの誰かを苦しめているものなのだと、知らせるために。

 可能な限り広範囲へ届けるための、捨て身のプロパガンダ。

 それは、匂風速水を完膚なきまでに『殺した』、あの日の学園都市への復讐だった。

 ざザザザ、と、小さなノイズが上方のスピーカーから響く。胡乱な目つきで見上げた匂風の耳が捉えたのは、自分よりもいくらか幼そうな少女の声だ。

『――あー、テステス。聞こえますよね仮想超能力者(デスクセオリー)。私は学園都市統括理事長・親船最中名代、名前は真紅と申しますよ』

「……それは、たいそうご苦労なことで。何の用事だ?」

『いえいえ。一応ね、警告なんですよ。現時刻をもって、第十学区は超法規的戦略兵器投入容認地域となりました。……岐閥腹心の脱法行為をリークしたのがあなただということは予測できていますよ。そういう手段を講じるだけの頭を持っている人間相手ならば、ぶん殴る前に一応言葉を尽くすのが礼儀かと思ったんですよ?』

「どうせ最後にはぶん殴るんだろ、建前なんかいいさ。ご自慢の飼い犬を寄越しな」

『……、おやまあ。色々聞いていましたが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ひゅう、と口笛を吹かす少女の態度を匂風は無視して、鬱陶しそうに分厚い眼鏡を外す。

 段々と日も暮れはじめた時間。『暴走』の余波で生成された雨雲から降り注ぐ、異常な冷たい雨に濡れた伊達眼鏡のレンズは、今や視界を遮る障害物としかならなかった。

 靴底でフレームをバキバキと砕きながら、彼女はこの街の管理者もどきへと吐き捨てた。

「ただで殺されるつもりはない。せいぜい、一秒でも永く学園都市の脅威であり続けたいね」

『んふふ。いいですねえ最中おばあちゃんの天敵、あなたみたいなの最高に嫌いですよ――ざざざざざざざ、んっ、あれ? ザザザ、……おっかしーな、電波が……紺碧ぃ、これ何か変な電磁波の障害が……ザザザザザッザザザザザッザザッザザザッざざざざざざざざザザザザザザ!!』

「……???」

 突如として不自然におぼつかなくなった通信に、相手側のトラブルなど知ったことではないのだが、思わす匂風も眉をひそめてしまう。

 不審そうにスピーカーを見上げていた視線は、ズギン!! と脳を抉るような頭痛に妨げられた。

「っが、ぁ……ッ!!」

 眩暈が襲う。高山病に似た酸欠障害に、今度は自身をも蝕まれている――わけではない。

 かつて誰のものだったかももはや曖昧となってしまった憎悪の塊が、肥大しきった怪物が、借り物の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を食い荒らしているのだ。

「は、っ……、は……、あ」

 ポケットから取り出そうとした酸素ボンベを、震える手は簡単に取りこぼしてしまう。

 実際には――目的地と標榜する原子力施設へ、この手は到底届かないだろう。学園都市どころか関東地区一帯を放射能で汚染することに成功したとして、それは彼女の本当の目的ではないのだ。

 仮想超能力者(デスクセオリー)計画の被験者たちを始末して、黒幕の男に復讐を果たして。あの実験のことを何も知らないこの街の人々へ、余すことなく思い知らせる。

 自分の死をもって。

 泣き声を上げるような空から降る冷たい雨の中で。学園都市第一位という怪物を、利用してでも。

「まだだよ。まだ、やらなきゃ、いけないんだ。……だからもう少しだけ、待って、……」

 グチャグチャの顔で囁き、一歩一歩と歩みを進めながら、ただ自らを殺してくれる死神の来訪を待つ少女。苦痛に喘いで、虚ろな目に映る荒涼とした街並みは、日没を控えていっそう黒く染まる。

 どうしようもない暗闇に支配されかけた、そんな彼女だけの世界に。

 パチリと迸った明かりの正体は――ほんの小さな、紫電だった。

 

「……止まって、ってミサカはミサカは諭してみたり」

 

 目の前の、フェンスで出来た立ち入り禁止の扉の前には。

 行きずりで利用しただけに過ぎない、無力な軍用クローンの司令塔が、毅然と立ち塞がっていた。

「――……、な、んで」

 無意識に発散される気圧差で、歩くにも苦労するような暴風と大雨の中。

 それでも、少女はたった一人でここまで来た。傘も差さずに、ぐっしょり濡れた短い髪の毛が頬を叩くのにも構わずに。待ち望んだ死神ではない、ただの子供が今再び、匂風速水の前にいる。

「なんで、キミなんだ」

「迷いは捨てたからな、ってミサカはミサカは堂々と返答してみる」

 呻くように口を開いた彼女とは対照的に、打ち止め(ラストオーダー)は凛とした表情のままで、手にした指揮棒(タクト)の先を匂風の方へすいと突き付けた。

「ミサカは生憎、ヒーローでも悪党でもないから。確かにあの時は迷っていたよ。あなたを加害者として糾弾するのが正しいのか、大人達の傀儡にされた被害者として手を差し伸べるのが正しいのか、判断が付かなかったんだもの、ってミサカはミサカは正直にコメントしてみたり」

 でも今は違う、と。風紀委員(ジャッジメント)の腕章を携えて、少女は断言する。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……、馬鹿かよ、お花畑のクソガキが……ッ!」

「そのセリフは既に散々言われまくったよ!! ネットワークからも先輩からもあの人からも!!」

 ッガシャァァァァァアアアアン!! と。

 匂風の苛立ちに呼応するように、すぐ傍らにあったビルの窓ガラスが全て粉砕される。

 防犯のフィルムが挟み込まれたそれらのガラスは、鋭い破片を飛散させて血の雨を招くことは無い。ただ零れ落ちた僅かな欠片が丸いキラキラとした粒子になって、雨と一緒に両者の髪や肩に降りかかるだけだった。

警備員(アンチスキル)はどうした。対能力者の特殊部隊はどこに行った。呼んだのはキミじゃないと言っただろう、何でまたキミが来る。僕のようなどうしようもない脅威を、キミの甘ったるさで全部何とかできるとでも思ったか?」

「……、」

「万が一にも、上条(かみじょう)当麻(とうま)なら止められたかもしれない。一方通行(アクセラレータ)だったらもっと適役だった! そうさ、芝居も配役も全部台無しだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()!? よりにもよって、拳も握らない世間知らずの人形風情が、何の権利があって『匂風速水(ぼく)』の復讐を踏みにじるんだ!!」

 自滅前提の計算を突き崩したのは、たった一人の少女からの善意で。

 それが、彼女を余計に苛つかせる。『リミット』が迫り、精緻なコントロールを失ったこの能力では、目の前の子供を本当に殺してしまうことでしか退けられない。

 それを――()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな自分が一番歯がゆいなどと。

「……全部ただの復讐心なの? ってミサカはミサカは質問してみる」

 小柄な少女からの問い掛けは、あまりに平坦で冷静だった。

 (ごう)!! と、ひらめいた白衣の脇から吹き付けるような強い風は、そのまま匂風速水からの容赦ない敵意として打ち止め(ラストオーダー)を圧迫する。冷たい雨と汗にまみれて、俯き加減でこちらを見据える黒髪の少女は、耐えがたいほどの頭痛を噛み殺しながら低い声で返した。

「それ以外に何がある」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……、」

 怒りではなく純粋な驚きから、わずかに目が見開かれる。

 いつからでも圧倒的な排斥を開始できるよう、可能な限りの能力の制御にその意識を向けながら――打ち止め(ラストオーダー)からの言葉の続きを待ち構える少女。

 ざわり、と地獄の業火のように持ち上がる真っ黒な髪のなびきを視界に収めて、打ち止め(ラストオーダー)もまた自身の前髪にバチッと紫電を走らせる。

 それは、排斥のためのチカラではない。組手のように相手の猛攻をいなしながら会話を引き出し、心の底から目の前の彼女を救おうという目的に適った――ただの道具に過ぎなかった。

 

「匂風速水――その名前は、今はもう居ない人のもの。あなたの正体は、匂風速水という人間の思考パターンを埋め込まれた、あの子たちと同じ『被験者』の一員でしょう」

 

 核心に迫る、その一言を合図に。

 長く長く続く緑色のフェンス全部を根こそぎ引き千切るような、チカラとチカラのぶつかり合いが開始された。

 

 

 

   6

 

 

 

 ごめんな、が彼の口癖だった。

 両腕を欠損していた孤独な少年の世話を焼きながら、一緒に過ごすことが出来たかけがえのない数週間の中で。彼は、何一つとして、悪いことなんかしていなかったのに。

 

 匂風速水は、『外』から学園都市――それも、才人工房(クローンドリー)とかいう一際ロクでもない機関へと拉致された、まだ十二歳そこそこの少年だった。

 日本人ではあったが日本に住んでいた経験はほぼ無い。研究職の両親の手厚い庇護下で、飛び級で海外の工科大学院に在籍し、単独の開発のみでも五〇〇〇近くもの特許を取得していた。当時幼かった『彼女』にはあまりピンとくる話ではなかったが、いわゆる神童、と呼んで差し支えない経歴と頭脳の持ち主だったそうだ。

 天才の培養を試みる才人工房(クローンドリー)に目を付けられ――そしてもっと悪いことに、脳開発を受けさせられる前から『素養格付(パラメータリスト)』という悪魔に見出されてしまう。そのぐらいには、彼は優秀すぎたと。

 

『――神様の、ずのう? ハヤミお兄ちゃん、それってすごいことだよね! お兄ちゃんが、もしかしたら超能力者(レベル5)になるってことなの!?』

『……んー。どうかなぁ。僕はただの発明家だから、本当はあまり能力者にはなりたくないんだ』

『そうなの? わたし、なりたいなぁ。お兄ちゃんのお手伝い、しやすくなるかもしれないし』

 

 ごめんな、いつもありがとう。そう言って笑い掛けてくれた少年は、きっとかつてのように手があった頃ならば、誰よりも優しく『彼女』の頭を撫でていたに違いない。

 彼の両腕、そして輝かしい経歴と両親は、全部丸ごとかつての学園都市に潰されていた。

 能力開発には、そのいずれも不要だったからだ。

 そこまで性急になって欲深い研究者どもが拉致してきた人材が彼であったが、幸い――と言っていいのかは分からないものの、脳開発の魔の手がすぐに伸ばされることは無かった。『神様の頭脳』の素養を持つとはいえ、本人にいきなり不用意な開発を施すとどういった方向に能力が開花するか予測がつかなかったからだ。

 最高級食材を手に入れたとしても、一流の料理人を雇って調理させなければ勿体ない。それと同じこと。『木原(きはら)』も含めた最高の技術者たちを集めきる前に――急いで手を付けて、万一の事故で脳を損傷でもさせてしまったら、コストに見合った結果を吐き出す前に駄目になってしまうから。

 けれど、早くサンプルを取りたい。天才のポテンシャルを検証してみたい。『()()()()()()

 そんなクソのようなくだらない理由で、『彼女』は彼のコピーにされた。

 それが、『仮想超能力者(デスクセオリー)』計画の発端だった。

 

『……お兄ちゃん、これで合ってる? うまくつながってるかなあ』

『ああ、上手じゃないか。風香は将来、僕以上の発明家になる才能があるかもしれないぞ』

『そんなことないよう。わたし、お兄ちゃんに教わった通りに色々組み立てたり、くっつけたりしてるだけだもん。……でもお兄ちゃん。ところでこれ、何のおもちゃなの?』

『うん? 上手くいったらな、僕もこいつでキミたちの頭を撫でてあげられるかなって』

 

 ニコニコ笑って、短い自由時間のうちに休憩室で一緒に工作をしてくれた、優しいお兄ちゃん。

 それが例え――全てを奪われ挫けてしまった絶望の中で『自分よりも先に、万一にでもコピーが超能力者(レベル5)になってくれるのなら』と、見ず知らずの子供たちを実験動物とすることを認めてしまった、自身の卑怯さを隠すための優しさだったのだとしても。

 そんなことは、『彼女』には関係なかった。

 苦しくて悲しいことばかりの孤児院や実験の日々の中で、そんな少年の優しさだけが救いだった。

 それでも、悪趣味な計画は予定通りに遂行された。

 ナノマシンを用いて脳神経単位で手を加え、脳の形そのものを匂風速水に近付けてから学習装置でデータを刷り込む計画。それら全てが失敗に終わると、彼自身がいよいよ悪魔のような実験へと回され、結果的には大したデータも取れないうちに自殺されてしまったそうだ。

 真夜中の秘かな首吊りには、非常に粗雑な構造の、義手と思しき道具が使用されたという。

 実験を辛うじて生き残り、地獄のようだった孤児院を解体され――何年も経ってからその訃報を知らされた『彼女』は、単なる悼ましさ以上の深い絶望に苛まれてただ呆然としてしまった。

 

 その義手は、わたしが作ったおもちゃだ。

 わたしは、お兄ちゃんを殺す手伝いをしてしまったのだ――と。

 

 仮想超能力者(デスクセオリー)計画はとうの昔に失敗と判断され、アレに関与していた連中の大半は親船最中により摘発され空中分解したが、後に生き残りの中からたった一人『匂風速水』に目覚めて莫大な能力を得た少女が現れた。

 それが、他でもない『彼女』だった。

 偽善だったとしても優しくしてくれた匂風速水その人への慕情と、自分と同じく計画に使い潰された子供達の無念。今になって『リミット』の発覚に焦った岐閥腹心からこちらへと(うやうや)しく接触してきた、あの時。

『「リミット」まで余生の安寧を保証してやるから、見返りに他の被験者全員を始末しろ』と。

 その瞬間に――『彼女』の中で、燻っていたそれらの怪物が産声を上げたのだ。

 

 お兄ちゃんを絶望させたのは学園都市だ。あの子たちを殺したのはこいつらだ。

 けれど――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 お兄ちゃんから奪われていた『自殺』という手段を再び与えてしまった、わたしの手が――!!

 

 自身の中にインストールされた『匂風速水』のデータと、自分のことを責め立てる『お兄ちゃん』の形をした強迫観念。それらが修復不可能なほど混ざりあった亡霊のような妄執に、ただの子供が抗うことは困難だった。

 年頃の少女としての人格を破棄し、取捨選択の一切を『彼』へと明け渡した。実行犯が誰であれ、あの実験で彼のアイデンティティを奪ったのは自分達だ。その意識が一個人としての自我を砕いた。

 結局のところ。

 少女が定義した世界の中では――『匂風速水(かれ)』は、匂風速水(かのじょ)を最後まで許せはしなかったのだ。

 

 彼は、『彼女』の思い描いたようなヒーローでも善人でもなかった。御大層な目的があって行動していたわけじゃなかった。ただの――子供好きな、発明家だったはずだ。

 それでも、『彼女』にとって『お兄ちゃん』は神様だった。暗い絶望に折れかけながらも、あの時こちらへと向けてくれた笑顔が、この上ない救いだった。

 そんな彼に報いるために――償い切れない代償を、償うために。

 

「……()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

   7

 

 

 

「優しいんだね、ってミサカはミサカは寸評してみたり」

「……舐めてるのか?」

「あの人だったらもうとっくに五回は殺してるもの。怪物って肩書き、やっぱりあなた個人には不相応だと思うよ、ってミサカはミサカは自らの分析に確信を抱いてみる!」

 ザザザざざざざざざざざがががががががががががががががッッッ!! と。

 爆発にも近い高気圧の弾丸と暴風で、多量の砂利が津波のように巻き起こされる。

 打ち止め(ラストオーダー)指揮棒(タクト)を振りかざし、掘り出した砂鉄や鉄クズを盾のように使って身を守っていた。出力としては、匂風速水の方が彼女を圧倒しているのは明らかである。貧弱な防御の中から迸らせる電撃の槍は、空気中に発生した真空のチューブを伝い、周囲の高圧電線をたちどころに焼き切っていく。

 にも拘わらず、打ち止め(ラストオーダー)の表情には平静さがあった。

 戦っている相手は目の前の少女ではなく――彼女が今必死に乗りこなそうと足掻いている、善悪の判別さえ存在しない、暴れ馬のような巨大なチカラの塊であったから。

 やはり、匂風速水を名乗る彼女は悪党なんかじゃない。意識的にしろ何にしろ、彼女は持て余した能力で打ち止め(ラストオーダー)を殺してしまうことが無いようにと、ただそれだけを考えながら自身のチカラをセーブし続けている。

 ガォン!! と。得体の知れない衝突があった。

 土煙は雨に打たれてすぐに泥と化し、ニヤリと笑う茶髪の少女の顔を汚していく。

「燃えるね、ジャイアントキリング。まさにミサカはその怪物からあなたを助けに来たんだぜ」

「……ヒトを、いちいち信用し過ぎだって言うんだよ! キミは本当に面倒臭いな!!」

 叫びながら繰り出されたのは――真空の刃だった。

 ズッガガガガガガガガガガガガガガガガガガガン!! と。周囲のフェンスやコンクリート壁を紙のようにズタズタにしながら、鎌鼬(かまいたち)の竜巻は打ち止め(ラストオーダー)のプリーツスカートを引き裂く位置まで展開していく。

 怪物は加速度的に進化していく。衰弱しきった宿主の意志など、もはやお構いなしで。

 猶予を与えることは、双方にとって命取りに繋がりかねない。太ももからの流血と痛みにそれを体感して――流石に、打ち止め(ラストオーダー)の表情がわずかに引きつっていた。

「すご……っ、ってミサカはミサカは」

「嬉しくないな。今際の際にひねり出しただけの暴力を褒められたってさあ!」

 割れるような頭を片手で支え、ざわついた匂風の全身から暴虐的な波が噴出する。

 その衝撃を回避して浮かび上がった上空から突っ込みながらも、打ち止め(ラストオーダー)は観察を続けていた。

 ネットワークに蓄積された――触れただけで相手を殺すような怪物との、一〇〇三一回もの戦闘データを参照しながら。

(……勝ち筋は見えてる。彼女が良心を捨てきれていない限りの話だけど、ってミサカはミサカは我ながら希望的すぎる観測にひっそりと苦笑してみたり)

 気圧操作能力者である匂風速水――を名乗る少女。一見すると応用範囲が広く、特に電撃使い(エレクトロマスター)相手では攻撃手段をほとんど完封できることから無敵なようにも思われるが、実はと言うとそこまで万能でもない。

 借り物の仮想超能力者(デスクセオリー)であるがゆえの制約なのか、あるいは限度が迫っているからなのか――彼女が意識的に行使できている気圧変動は、おおよそ半径三メートル以内に限られていた。

 また至近距離での能力使用は自身を巻き添えにしてしまう危険があるからか、粗雑なコントロールのもとでは無暗な行使を嫌っている様子だった。他人の演算プロセスを脳内に呼び出して能力を発動している以上、それなりにタイムラグがあり一手ずつしか対処できない……という限界も見て取れた。

 ジリ貧の接近戦は著しく集中力と演算を要する。すなわち、余計な戦闘による疲弊は、暴発への『リミット』を着実に縮めていくということになる。

 限界が近いのはお互い理解していた。

 それでも、ここで引くわけにはいかない。

「人形だと悪態をつきながらこのミサカ一人も殺さないでいてくれる人が、原発を襲って学園都市中を放射能で沈めるだなんて。できるわけないんだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。怪物になり切れなくて、でも行き場が無くって、自分一人で全部の泥を被ろうとしている。……それって、ミサカにはただ弱くて優しいだけの人にしか見えない。泣きながら、誰かが全部終わらせてくれるのを待っている、そんなちっぽけな子供にしか」

「知ったような口をきくな!」

 グジャッ!! と、水っぽい音を立てて。

 何かが打ち止め(ラストオーダー)の背後で潰される。これを人体が真正面から食らっていたらと想像すると、言葉にし難いスプラッタな情景が嫌でも頭に浮かんでしまう。

「僕がキミの言うような善人だとして、だからどうしたって言うんだ? この能力が血塗られたものなのには変わりないだろ。もう引き返せない、沢山の人やモノを壊したんだ。今更、怪物以外の末路なんかあり得ない!! 許されるわけがないんだよそんなのは!!」

「ッ――!!」

「……この名前は、僕みたいな弱い人間たちとゴミみたいな研究者によって汚された。この戦いに、キミが語るようなご大層な意味なんかない。これは、使い捨てにされた悲劇と、『お兄ちゃん』に報いるための――匂風速水って名前へのせめてもの餞だ!!」

()()()()()()()()()()()!! ()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 蜘蛛の糸のように少女を取り囲む真空を掻い潜り。頬や腕を、幾重にも小さく切り裂かれながら。

 ようやく、匂風速水へ電撃の槍が届く。

「――っア…………………………!!!???」

 陸に打ち上げられた魚のように、華奢な少女の肢体がビクンと跳ねる。すかさず彼女を抱えて締め上げる砂鉄の拘束具を形成しながら、豪雨の中で打ち止め(ラストオーダー)はただ、剥き出しの言葉をぶつける。

「しがらみなんか知らない。あなたを怪物に仕立てるような『お兄ちゃん』なんか捨てさせてやる。ミサカはただあなたを助けに来た。助けられる資格も無いなんて、そんなクソ寝惚けた寝言を抜かすヤツを、見殺しにするようなプログラムはこのミサカには組まれてないんだ!!」

「ふざけるなよこのエゴイストが!! 僕が救われたらお兄ちゃんが救われない! 僕は、お兄ちゃんがこの世界に残した恨みの証なんだ!! 僕の中の爆弾が全部を吹き飛ばすまで、僕は足を止めたりなんかしない! 絶対にだッッッ!!」

 その執念が――秘められた怪物の殻を、ついに押し割った。

 ズアッッッ!!!!!! と。

 ついに制御を外れた超能力(レベル5)級のチカラの塊が、彼女の肉体から解き放たれて悪魔のように舞い上がる。ただの真空の塊とは思えない――まるで異界へのゲートか何かのように、光さえ吸い込みかねない漆黒の空洞が、第十学区のはるか上空に出現した。

 陽の沈んだ真っ暗闇の空の中で、それでもその存在感は莫大だった。

 息が止まるような、思考の静寂。

 圧倒的な存在に直面する瞬間の空白は、一〇〇〇〇回以上体験してきた死の間合いと、あまりにも似通っていた。

「――――――――――、」

「……なぁ、こいつをどうやって『助ける』つもりだ、善人さん?」

 いっそ自嘲するように、少女が掠れた声で呟く。

 つかの間の安定期ということなのか、匂風が産み落とした『塊』は真円を描いたまましばし静止していた。それでも、すぐにその均衡が崩れるということは、体感的に分かっていた。あの漆黒がぐにゃりと歪みだしたその瞬間から、この一画はおよそ人間が生存できる環境ではなくなる。

 物理法則という枠をも一歩飛び越えた、『神様の頭脳』の暴走がもたらす超能力(レベル5)の怪物。

 ブラックホール。そうとしか形容できない、脅威の化身が。

「これが、……こんなものが、僕の全部だ。止めたいのなら、キミも全力を出すといい」

 全部諦めてしまったかのような薄い笑みと共に、囚われた少女は打ち止め(ラストオーダー)を言葉で揺さぶった。

「……今ここでチカラの元栓さえ締めてしまえば、犠牲は最小限で収められるかもしれないぞ。キミ一人で出来ることなんて、所詮はそれだけのものだろうが。元から、善人の厚意なんか冥土の土産には不釣り合いだ。ただの怪物として僕を殺してしまえ!!」

「……、そうだね。()()()()()()()()()()()()()()()、ってミサカはミサカは肯定してみる」

 でも――まだ全力じゃない、と。

 きっと、上条当麻なら右手一つで絶望を全て消し去っていた。一方通行(アクセラレータ)なら圧倒的なチカラで能力者を捻じ伏せていた。打ち止め(ラストオーダー)よりもよほどスマートに、何一つ傷付かないままで皆を救うことが出来る存在などは、多分世界中にごまんと転がっていて。彼女は今までの人生でずっと、そんな彼らの手によって守られ続けていて。

 ただの甘ったれた善人だ。打ち止め(ラストオーダー)は、ヒーローでも怪物でもない。だからこそ。

 そんな彼女の背中を押す、存在を。

 たった一人では到底知ることが出来なかった――彼女だからこそ使うことが出来る種類のチカラを、これまでたった一人で孤独に苛まれてきた少女のために行使すると決めたのだ。

 

「今から全力であなたを救い切ってみせる。あなたと同じように、世界と自分を恨みながら戦った人を――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 その瞬間。

 見据えた少女の瞳から迸った白い光は、匂風速水の視界を、音を、五感を――全て奪い尽くした。

 

 

 

   8

 

 

 

 ERROR-CODE:Call_from_20001>>to_ALL.

 上位個体よりオーダーを受信。

 

 脅威度の判定――オールレッド。自己防衛のための『規制解除』を容認。

 アルファ回路からベータ回路への移行を開始。

 拒絶反応を認めず。

 一方通行(アクセラレータ)へ貸与中の代理演算システムを流用、さらなる余剰演算領域を確保しました。

 

 テストプロトコル起動。

 強制終了。正常に再起動されました。

 全ミサカの『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』をクリーンアップ、最終信号(ラストオーダー)一個体の延長としてここに再定義。

 

()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 コードネーム:20001-9969ex.Ordinary発動。

 

 九九六九体の『妹達(シスターズ)』全個体の演算領域を分割し――これより一〇秒間、上位個体二〇〇〇一号の全性能を強制拡張します。

 

 

 

 

 

   9

 

 

 

 思考に、空白があった。

 その瞬間に、少女へ与えられたチカラは――人間の脳で把握できる許容量を軽く超えていた。

「     。                  、     ――    !」

 地面と空とが、ごっそりと入れ替わる。

 歪みだした悪魔の漆黒は、視界の真下へぐるりと移行して――はっきりとした破滅を開始させる。

 ()()()

 呆然自失とした仮想超能力者(デスクセオリー)の少女は、それを一瞬、世界が終わる風景なのだと錯覚した。

 しかし、空中へと投げ出された彼女の終わりはそこではなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。総重量一五〇〇万トンにも届こうかという土砂やコンクリート・建造物が、真空の風穴によって引き寄せられ――否。

 打ち止め(ラストオーダー)が、その全てを操っていた。

 計算を放棄してしまうほどの馬鹿馬鹿しい出力をもって、彼女はそれらの土塊を怪物へと根こそぎ『食わせる』。致命的な構造物や人体を破壊するよりも先に、威力を相殺してしまおうと。

 打ち止め(ラストオーダー)自身と――少女の命を、守るために。

「……そん、な……!!」

 常識を疑うような光景に、ようやく言語を紡ぐことに成功していた少女は、改めて自身の状況にようやく気が付いていた。

 逆さまになった状態で、小石やがれきと一緒にふわふわと空中に繋ぎ留められている。

 それは決して衝撃波に吹き飛ばされたというような状況ではなく、明らかに、あの風紀委員(ジャッジメント)の磁力によるものだった。

 こんな、気力を切らせばすぐにでも絶命するような災害クラスの暴虐に対処しながら。

 崩れゆく大地に両足を付けたままの彼女は――今なお、匂風速水を守っていた。

 地面となった大空から、凄まじい雷光が爆心地を貫く。(はし)る衝撃は傍観者と化した少女の頬を張るほどに鋭くて、巨大な浮島のように固定された超能力(レベル5)の塊に、圧倒的な干渉を加えた。

 

 彼女の産んだ怪物が、殺される。

 

 細いテレパシーのようなAIM拡散力場で辛うじてリンクを保っていた『仔』が息絶える瞬間を、彼女は何故だか――限界を超えたある種の感動、それに近い感情をもって見送っていた。

(……こんなの……反則だろ……『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!)

 再び、認識を上回った情報の洪水が、彼女の意識から消える。

 眩い光に全て塗り潰されて、何もかもが。

 そして。

 そして。

 そして。

 彼女の五感が正常のものに戻るころには。――空も地面も、元の役割を果たす位置へとすっかり収められていた。

「………………………………………………………………………………………………、」

 トサッ、と。軽い音を立てて、少女の身体が荒れ果てた大地の上へと戻される。

 風は、もう吹いていない。そしてそこに居たのは、彼女一人だけではなかった。

 学園都市第一位の演算性能と全く同等、いやそれどころか、一〇〇〇〇もの死を観測してきた、神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの(SYSTEM)にも肉薄するような。そんなステージへつかの間に駆け上がったミサカネットワークの司令塔、ボロボロになった打ち止め(ラストオーダー)の姿があった。

 それが――匂風速水を救い切った、甘ったれな善人の姿だった。

「……負けたよ」

 声を掛ける。

 まとわりつく雨に体の熱を奪われながら、少女は、一人の風紀委員(ジャッジメント)相手に降伏を宣言した。

 それを耳にして、打ち止め(ラストオーダー)はきょとんと目を丸くしてから、やがてにんまりと笑みを浮かべる。

「……へへへ。やっぱりね、何とかなったでしょ? ってミサカはミサカは――」

 

 そう嘯いた彼女は――武装を解いた少女の目の前で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「!? ……いや待て、そいつはちょっと無責任が過ぎるんじゃないか風紀委員(ジャッジメント)! おい!!」

「う、うーんうーん……あたまおもたいぃぃぃ、ってミシャカ、は……」

 暴走を完封された今も相変わらず、脳を蝕む『リミット』は順調にカウントダウンを進めている。そんな失神ものの頭痛をも一旦無視してまで、思わず少女はやりきれない感情のもと、電池切れで目ん玉をぐるぐるさせている打ち止め(ラストオーダー)に駆け寄った。あえて言語化してしまえば、ものすごくツッコミたいという衝動だ。

 思考放棄して寝てしまいたいのはこっちの方だよ、と呻きながら、ふと少女は気が付く。

 あれほどまでに切望していた『自殺』と言う選択肢を――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「。」

 生きて何か成したい、と。目の前でアホ面晒してぐったりとヘタレているこの少女と、何かしらの対話を望んでいた、そんな自分自身の変わり身の早さに。

「……駄目だろうが。今になって虫が良すぎる……それはもはや、望みすぎだよ」

 能力暴走の有無に拘わらず、彼女の脳が『匂風速水』を抱えているのはもう限界である。それだけは確かなのだ。

 どう足掻いたって自分は死ぬ。

 せっかく、善人が救ってくれた命だけれど。これは確定事項だ。

 それならば、せめてこの善良な甘ったれの目に触れないところで、と。自分でも不思議なほど穏やかな心持ちのままその場を離れようとする少女を引き留めたのは――先程まで汚い地面に寝転がっていた、打ち止め(ラストオーダー)その人の肉声だった。

 

「――勝手に悲壮な決意固めないでくれるかねお嬢ちゃん/return。まったく/backspace、アンタらみたいな人種はどいつもこいつも湿っぽい自己犠牲がカッコいいって年頃なのかしら?/escape」

 

 違う。

 コイツは違う、と少女の背筋に寒気が走る。コマンド交じりの機械的な口調も、言葉選びの一つ一つに秘められた得体の知れない精神構造も。それは、つい先程まで平和ボケした喋り方でくるくると表情を変えていた打ち止め(ラストオーダー)という子供とは、あまりにも別物すぎた。

 そのような薄気味悪い体感とは裏腹に、彼女の中の知識は、ソレの正体を知っていた。

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ご明察/return」

 堆積したダメージを一切感じさせないような身軽さで、マリオネットと化した打ち止め(ラストオーダー)の身体はその上半身を起こす。

打ち止め(ラストオーダー)の脳を介して、このネットワーク(わたし)もアンタには随分と便利に使われてたらしいじゃない/return。まぁ今更それを詫びろとか、そういうつまんない話がしたいわけじゃなくてさ/backspace、このチビが望み願って救おうとした人間なら、()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()/return。せいぜいそのための手段を提示してやろうかって言ってんの/return」

「――、」

 絶句してしまう。

 現実的に自らが救われるための手段など、それまでは考慮したことも無かった。それが今になって一条の光として差し込まれてしまったことに、少なからず彼女の心は揺さぶられるが。

(……、『お兄ちゃん』)

 雨にずぶ濡れになった髪をかき上げながら、彼女は表情を再び曇らせる。

「……どの道、匂風速水と癒着しきった僕の脳は『リミット』ですぐにくたばる。岐閥腹心からの殺害依頼をはぐらかすためとはいえ、他の子達にも決して軽くはない障害を背負わせた。そもそも……こんな呪われた存在なんて、この世界に置いておく価値もない」

「だからそれ全然格好良くないよって/return。しでかしたことは生きて償え/backspace、カッコつけの死にたがりは死んだヤツらにとっても大迷惑だぜ/escape? つーか勝手に死人の言い分を脚色すんな、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()/return」

「……、なんというか、とことん怪物だな、キミ達は」

 いっそ脱力しながらコメントする少女の姿に、人外の精神体はフフンと小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 安全靴の底をジャリジャリと鳴らして、泥と小石の上に立ち上がる小柄な影。

 街灯も残らず破壊された暗闇の中で、こちらに背を向ける彼女の表情は読み取れなかった。

「匂風速水を取り除くこと自体は難しくないわ/return。アンタがあの子たちに施した技術はとっくにあの医者が解析済みだし、何より私たちの身内には、()()()()()()()()()()()()がいる/return。あの子たちと同様、外科手術を何回か受けてリハビリにさえ励めば元に戻れるってこと/return」

「それは……」

()()()()()()()()()()()()()()/backspace、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()/return」

「――」

 軽い調子で放たれた、その一言に。

 不用意にも、その心は一層強く揺れる。絶対に知ることは出来ないと思っていた、自身の中でグチャグチャになった妄執でしか痕跡をなぞれなかった、あの少年の真意。

 生きてさえいれば――それに再び、触れることが出来るのかもしれない、と。

「アンタの中のソイツはもはや削除するしかない、それは確かだけど/backspace、アンタの憎悪や罪悪感で脚色した姿とは別の方式で、ソイツの顔をもう一度見ることができる/retturn。もちろん私達に本物の幽霊を感知する術はないけれど、それでも少しは報われるものがあるでしょう/return。こんなのは言ってしまえば、墓石の前で祈るのと同じことよ/return」

「……簡単に、言ってくれるなぁ……本当」

「生産性のない自責なんかに、そうやっていつまでも捕らわれてんじゃないわよ?/escape なんせ、アンタの人生は全てが全て、アンタのものなんだから/return。自己満上等で生きてみろっての/return」

 ニヤリと笑う悪い顔は、その身体の持ち主が浮かべていた表情と何ら遜色なく。

 ようやく上空の雨雲が晴れ出した頃――彼女は体勢をこちらへと向け直し、尻餅をついていた年上の少女へと、ボロボロの手を差し伸べていた。

 

「どっかのお人好し個体曰く、『どんな過去を背負った人だって、生きていける。自分が積み重ねてきたことを、忘れさえしなければ』ってことでね/return。つまりはまぁ/backspace、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()/return」

 

 

 

 

 

 

 

 

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