とある科学の最終信号   作:icoi

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第三章 彼女を取り巻く迷走と錯綜 Cross_Over.

 

 

   1

 

 

 

 五月十一日。

 今日はゴールデンウィーク明けから初めての休日、土曜日である。

「うー、ん……っ!」

 うさぎの耳のようにしたツーサイドアップの金髪をリボンで結んだ、いかにもあざとらしいアイドルを思わせる容姿のサイボーグ女子高生・木原(きはら)那由他(なゆた)は、とある風紀委員(ジャッジメント)の詰め所にて、チェアの背もたれに沿う形で伸びをしていた。

「あーあ、まさかこんなにこっちの事務作業が滞ってたなんてなぁ。肩凝っちゃうよ」

「あー、ここしばらくはリーダーの白井(しらい)さんが新人教育に没頭してましたから、仕方ないといえば仕方ないんですけどね。アホ毛ちゃん、覚えは良いんですけど肝心な場面で結構抜けてるところがあるらしくて、白井さんも毎日ヒヤヒヤしてるみたいです」

最終(ラスト)……じゃなくて御坂(みさか)ちゃん、去年の夏休み明けから風紀委員(ジャッジメント)になったんだっけ? 柵川(さくがわ)中に進学した当初から志願だけはしてたって聞いたけど……」

「当時はまだ、アホ毛ちゃんの『調整』が不十分でしたからね。例のお医者さんからのドクターストップがあったので、慣例よりずっと長い準備期間を必要としたんですよ」

「へぇ。あのカエル顔の先生、相変わらず手広くやってるんだね」

 隣のデスクに設置された複数のモニターに目を光らせている初春(ういはる)飾利(かざり)の言葉に、那由他は軽く相槌を打つ。

 しかし、頼れる先輩然とした彼女もまた、那由他同様にあまり生真面目に仕事に取り組むような性分ではないらしい。

「……よしっ、そろそろ那由他ちゃんもお疲れですよね。お茶でも飲んで一息つきましょうか! 那由他ちゃん、牛乳苦手とかありましたっけ」

「えっ、先輩にそんなことさせるなんて悪いよ! お茶なら私が……」

「あはは。気にしなくていいんですよ、コレは私の趣味なので。日進月歩メキメキと腕を上げている私のお茶淹れクオリティをとくとその目と舌に焼き付けるがいい!! ってことです。経費で美味しいクッキーも買いましたから」

「そ、そうなの? ……って、相変わらずタフだなぁ飾利お姉ちゃん」

 さりげなく問題発言をぶっちゃけつつ備え付けのキッチンに入っていった初春飾利。

 そのウキウキと踊るお尻を眺め、息抜きしたがってたのはむしろ彼女の方なのかも、と笑みの裏側で看破してしまう那由他だった。

 そうこう考えながら応接用の机に散乱した資料をまとめているうちに、満面笑顔の先輩がティーセット一式を載せたトレーを持ってきた。既に中身が入っているらしいポットの口から、ミルク色の甘い湯気がほこほこと溢れて漂う。

「今日はちょっと本格的に、ロイヤルミルクティーを淹れてみました!」

「へえ。私あんまり紅茶には詳しくないけど、保温しないですぐ火から下ろしても大丈夫なの? ……って、そっか、そういう能力だもんね」

「ふっふっふ、ちなみにレベルアップした私は手を触れないままでも色々な物を保温することが可能なんですよ!」

「そのカメラ目線はいったい……」

 能力者のレベルや系統は、那由他の目を通して見ればある程度判別がつく。

 AIM拡散力場のパターンを観察することで、彼女の五感は専用機材よりもはるかに直感的かつ便利な形で他者の能力の内情を掌握できる。だから、周囲の人たちのそれはもちろん、彼女の関知している範疇だ。

 学園個人の素養を秘める者と謳われた滝壺(たきつぼ)理后(りこう)には到底及ばなくとも――木原那由他の能力もまた、絶え間ない改造と研鑽によって五年前よりも格段に精度と汎用性を増している。

「まぁまぁ細かいことは気にしない。それよりもこのミルクティーに使った牛乳……ムサシノ牛乳って銘柄なんですが」

「? 希少なものなの?」

「いえいえ、これ自体はスーパーで普通に買えるんですけどね。噂によるとこの牛乳、女性のスタイルアップに絶大な効果があるらしいんですよ! 以前ここで指揮を執ってた固法(このり)先輩も愛飲してたんですけど……なんというかやっぱりこう、ばいんばいーんで悩殺! って感じの人でしたね」

「…………………………、えー?」

「そ、そんないかにも眉唾で胡散臭いと言わんばかりの反応しなくてもいいじゃないですかぁ!」

「だって実際眉唾っぽいし胡散臭いんだもん。でも……そこまで言うなら『木原』的プライドにかけて解析してみようか」

「いやいやっ、そんなガチにシリアスな境地に至る場面じゃないですよコレ!? その怪しげな検査キットしまってくださいー!」

 何やら毒々しい色の薬品を染み込ませた濾紙を取り出した那由他に、冷や汗を浮かべる初春の笑顔は微妙に引きつっている。折角の英国仕込みの優雅なティータイムが、ケミカル一辺倒な知的好奇心に汚されてしまうのだけは避けたいところだ。

 ……しかしよく考えれば、かの木原病理(びょうり)に『「木原」の中の可能性』とまで形容されたこの那由他がここまでブラックな研究意欲を燃やすのは、主にバストアップに期待を持たせるような牛乳の宣伝文句に対する、僅かな期待の裏返しとも言えるのかもしれない。

 なんてことを思いつつ、ティーポットを庇ってもみくちゃにされる側の初春ともみくちゃにする側の那由他。

 天然と見せかけて実は計算高いリアリストという共通点を有する両者のじゃれあいは、打ち止め(ラストオーダー)対フレメアとはまた別の意味で不毛なボケ倒しである。

「ぜーはーぜーはー……。い、一旦落ち着いて、クールになりましょう。このタイミングで白井さんが帰ってきたら相当な逆鱗に触れちゃいますし」

「え? 黒子(くろこ)お姉ちゃん、この牛乳に何か恨みでもあるの?」

「いやぁ、恨みといいますか、固法先輩にあやかり密かにガブ飲みしまくって恒久的にお腹を壊してた時期があったらしくてですねー」

 パトロール中のリーダーの不在をいいことに、赤っ恥の昔話に花を咲かせる二人。

 そのまま彼女らは元通り和やかなムードでソファに座り、しばらくティーカップを片手にクッキーなどを貪っていたわけだが、

 

「――やっほう、サボり放題でハシャいでるとこ悪いけど邪魔するよんおチビ共」

 

 開いたドアの隙間からわざとらしくウインクを決め込んできたのは、彼女らのよく知る新米風紀委員(ジャッジメント)や学園都市第三位をそのまま大きくしたような容姿の女性だった。

「あれ?」

「み、御坂さん……じゃなくって」

「んー? なぁにカワイー顔引きつらせちゃってんのさ妖怪花飾り。せっかくこのセクシーダイナマイツ実習生ちゃんが優等生共の面倒見にわざわざ休日出勤してあげたってのに」

 買ってまだ三日目ですと言わんばかりに着慣れない感を醸し出すスーツに包まれた肢体は、確かに公言する通り、いろいろなところがダイナマイツなけしからん悩ましさである。

 コイツもムサシノ牛乳のお得意先だったりするのだろうか、と若干露骨な目で観察する那由他は、しかし一応の初対面である相手を前におずおずと立ち上がってみせる。もっとも、一流にして最悪の科学者一族の端くれである彼女としては、目の前の女の正体については粗方、前情報からも推測できていたのだが。

「えっと、あなたは……」

番外個体(ミサカワースト)。今のところ、可愛い可愛い教え子たちにゃ美冬(みふゆ)せんせーとか何とか呼ばれてるけど、まぁ仮初めの呼び名なんて無意味なモンだよね。そういうそっちは木原那由他かな?」

「……そうだね。噂はかねがね聞いてるよ。第三次量産計画(サードシーズン)……ううん、美琴(みこと)お姉ちゃんの大きな妹さん」

 握手のために差し出した那由他の手はあっさりと無視され、カツカツと薄いヒールを鳴らす番外個体(ミサカワースト)――初春などからは御坂美冬さんと呼ばれている少女は、懐から取り出した小さなメモリーカードを初春に投げる。

「わ、っと。……み、美冬さん、これは……」

「ただのくだらないおつかいだよ。まったくあの野郎、わさわざ人を顎で使って寄越しやがるほど重要なもんなのかねぇコレは。こういうことこそ例の親船(おやふね)最中(もなか)の使いにでも任せればいいだろうに」

「ふぇ?」

 いやいやこっちの話、と適当に手をひらひらさせる茶髪スーツの女。

 対面する二人掛けのソファに接近してきた彼女は、一人暮らしのベッドにでもダイブするような気安さで、初春の隣にドカッと腰を下ろした。

 そして、トレードマークの悪い笑みと共に注文をつける。

「歩き疲れて喉乾いた。ヘイそこのイカした嬢ちゃん、このミサカにも一杯おごっておくれよ」

「……美冬さんはもう充分育ってるじゃないですか。恵まれない私達からこれ以上何を搾取しようっていうんですかぁ……」

「はぁ?」

 ……恨ましげに低い声を発する初春飾利(貧乳)はそれでも心優しい少女であるので、ふてぶてしい態度のゲスト(巨乳)に特製のミルクティーを渋々分け与えてあげるのだった。

 

 

 

   2

 

 

 

 さて。

 そんな感じに、いろんな意味で奮闘している先輩方に仕事を押し付けてまで貴重な休暇をもぎ取った新米風紀委員(ジャッジメント)打ち止め(ラストオーダー)はというと。

 第七学区の繁華街の一角にある本屋にて、今まさにハッと顔を上げたところだった。

「――牛乳を買わなくてはっ! ってミサカはミサカは突然の第六感に叫んでみる!!」

「なーに妙な電波拾ってるんだ。そのアホみたいなアンテナを畳め、大体今は料理本を探してたんだろうに。にゃあにゃあ」

 こっこれはアホ毛じゃないもん!! と慌てて両手で頭頂部の癖毛を押し潰す少女。

 豊富に書物を取り揃えた大型書店で、彼女らが駄弁っている一角は、料理関連の本を集めたコーナーだった。

 自炊派学生たちのための簡単弁当の特集から、民俗学ばりの難解さの『世界の土着料理の分類と成り立ち』などという論文集まで。とにかくジャンルが料理と記されたものなら上から下まで容赦なく詰め込みましたと言わんばかりの散らかりようのレパートリーの中、打ち止め(ラストオーダー)が求めているものはオーソドックスで親切かつ基本に忠実なお料理本である。

 炊飯器という文明の利器に頼りきった反則料理なら割とこなせる彼女だが、ごく普通にフライパンや片手鍋を用いるオンナノコらしいお料理に関しては、まるで経験が足りていないのが現状だ。

「……何でなんだろうなぁ。大体この子供は何でこう、火加減や塩加減って概念と仲良くなれないんだろうなぁ」

「……それに関してはミサカ自身が一番知りたい、ってミサカはミサカはため息をついてみる……」

 料理のジャンルは数あれど、やはり女子力向上という点において真っ先に修得したいのは和食であろう。

 料理に関してプロ級の腕前を持つフロイラインにもこれを薦められた。曰く、美味しい出汁を作れない者が美味しい料理などハナから作れるわけがない、と。ドイツ人のくせにやたらと和の心に造詣が深い少女である。

 もっとも、日本人が発見した旨味成分グルタミン酸だとか料理のさしすせそだとか、そんな知識は実戦において屁ほどの役にも立ちやしない。

 味を確かめながら臨機応変に具材や調味料を使い分けるアドリブのセンス。ズバリそれこそが、ジャパニーズ家庭料理には何より必要なのだ!!

「……んで、手っ取り早い経験値を求めるあなたが、大体今晩作ろうとしているお料理は?」

「…………………………………………鍋、ですかね、ってミサカはミサカは真顔で返答してみる」

「清々しく逃げの体勢入りやがったなこの野郎」

「な、何故だっ!? お料理初心者にとっては極めて妥当な選択じゃないか! ってミサカはミサカは断固主張してみたり!」

「スープと具材を土鍋にぶち込んでグツグツ煮るだけの作業を私は大体日本料理とは認めないぞばーかばーか!!」

 またも外国人に叱られてしまう哀れな大和撫子打ち止め(ラストオーダー)

 学園都市製とはいえ確かに我が遺伝子に刻まれているはずのオモテナシ精神を金髪女にゲンコロされ、SAN値がゴリゴリに削られてしまう。今頃きっと心のソウルジェムは真っ黒だ。

 もーどうすりゃいいってんだよと腰に片手を当てつつ本棚を漁る打ち止め(ラストオーダー)は、はたと約一名の不在に気付いた。

「ねぇ、お姉ちゃんはどこ行ったの? ってミサカはミサカは周囲を見渡してみる」

「にゃあ? 大体カブトムシ連れて文庫本コーナーに行ったみたいだけど。買いたい本があるとかなんとか」

「? 珍しいね、参考書とかじゃないんだ? ってミサカはミサカはお姉ちゃんの勤勉さを思い起こしてみる」

 柵川中ナンバーワンの能力者は打ち止め(ラストオーダー)だが、勉学においてフロイライン=クロイトゥーネには歯も立たない。

 元々自らの『羽化』に必要な知識をスポンジのように吸収する(というよりも、吸収するために必要な『機能』を身体が勝手に獲得してしまう)性質を持っていた彼女は、その不健全な意味を除いても知識欲旺盛で勉強好きだ。

 打ち止め(ラストオーダー)同様に正規の住人ではない彼女が今こうして学業に専心出来るのは、現・統括理事長との間にパイプを持つ例のツンツン頭や第一位が戦後にあれこれ頑張ったおかげなのだが……その語られざる努力を彼女らが知るのは、もうちょっと大人になってからの話なのである。

 何はともあれ、料理の本を吟味するならばお師匠さまたるフロイラインにも意見を聞かねばなるまい。

 区切られたブロックの細い道を二人揃って辿ってみると、程なくして、本棚の影からちらちらと覗く銀の髪を発見する。

「あそこだあそこだ、ってミサカはミサカは訳ありげに声を落としてみたり」

「にゃあ。お姉ちゃんはデカいから、大体目立って何処ででもすぐに見付けられるな」

「遠くから改めて見ると、ホントにあっちこっちデカいよなぁ、ってミサカはミサカは……やっぱり牛乳買おうこれはミサカの使命だ何となくそう直感した」

「……大体よく分からないけど、先にスーパー行くんなら冷蔵機能付きのコインロッカー探しておいた方がよくないか?」

 ごにょごにょ会話しながらも、フロイラインが陣取る本棚の隣まで辿り着く打ち止め(ラストオーダー)とフレメア。

 意外にも、そこは主としてティーン向けの小説が置かれた、いわゆるライトノベルの売り場だった。もっと具体的に言うと、背表紙とかが全体的にオールドファッションなドっピンクだったりするような、少女向けライトノベルというジャンルである。

 どうせだから後ろからわっと驚かせてみようという流れになったいたずら好きな二人は、そのまま抜き足差し足で目標に忍び寄ろうとしたわけだが、

 

『……フロイライン=クロイトゥーネ。その小説は世間一般の恋愛ものとは違うと言いますか、ええと、参考にするのならせめてこう、異性の恋愛を描いた作品に限定するべきなのでは……?』

「でも、白井黒子からは『真実の愛を学びたいのならば、性差などに惑わされない女性同士の恋物語をたしなむべきですの』とアドバイスを」

『(火に油を注ぎやがってあの変態……ッ! 単純にからかっているだけなのかガチにそっちの世界へ道連れを探しているのか判別しがたい、だと……!?)』

「それに、この小説はとても参考になると思います。……なるほど、『友達』を傷付けるような男は細胞膜ひとつ残さずすり潰して殲滅するのが日本人女性の友情の証なんですね」

『一体どこの修羅の国の恋愛模様を学んでいるんですかっ!?』

 

「「……………………」」

 ……肩に止まった白いカブトムシと小声でやりとりしながら百合小説を超高速で読み漁るフロイライン=クロイトゥーネの姿を目撃してしまい、打ち止め(ラストオーダー)とフレメアはピシリと凍り付いた。

「……、大体、どうする?」

「……『それは違うよ!』って弾丸ばりに論破する気力はこのミサカには無い、ってミサカはミサカは無気力に目を背けてみる……」

 盛大な勘違いによって着々とハイスペック変態への道を歩みつつある親友に背を向け、とりあえず「たまにはお姉ちゃんに頼らず自立しよう」という名分を固めた二人は、黙ってその場を後にするほか無かったようだった。

 

 

 

   3

 

 

 

「……『怪物でんせつサイト』、ですか……?」

「おや? かざりんはいかにも好きそうなキャラだと思ってたんだけど。この手の微笑ましい都市伝説ってのは」

「いやぁ、嫌いではないですけど……さんざん振り回されまくった過去があるだけに、あんまりいい思い出が無いのも事実ですねー……」

 番外個体(ミサカワースト)の『くだらないおつかい』なるメモリーカードに入っていたのは、学園都市の幼い子供たちの間で密かに話題になっている、噂話やおまじないなどをまとめたサイトへのリンク集だった。

 子供向けのビビッドな配色と大味なイラストがふんだんに盛り込まれたレイアウトを写し出すディスプレイを、初春の背後から那由他と番外個体(ミサカワースト)が覗き込んでいる。

「ふーん……ゲームの攻略本みたいな編集の仕方だね。特に超能力者(レベル5)のみんなの特集ページなんて、イラストや解説文も相まって、なんというかレア物のモンスターみたい」

「こーいうガキ丸出しの悪意とユーモアにまみれたゴシップってミサカ大好きなのよねん。第一位の特集なんて傑作だよ、『小学生のパンツが大好きな真っ白オバケ。ファッションセンスをバカにされると黒い翼を生やして追いかけてくるが、空色の毛布を羽織っていたら見逃してもらえる』」

「い、一時期あすなろ園の子たちがかたくなに毛布を被ってたのはこのせいだったんですね……。というか美冬さん重いです何ですか新手の嫌がらせですかこれ」

 造花を飾った頭の上に番外個体(ミサカワースト)のマスクメロン二個(暗喩)を乗せられつつも、キーボードをカタカタと叩く初春は、センスに欠けた子供たちの噂話が立ち並ぶ文面に対して困ったように笑みを浮かべる。

 一方、そんな無礼者な爆乳の腰を何気なく鷲掴みにしては「ど、どんな成長剤を用いたらこんな体型になれるの許せない今度カエル顔のお医者さんに問い詰めなくっちゃ」などとセルフ憤慨にわなわなしていた那由他も那由他で、気になる文面を見付けたようだった。

「……垣根(かきね)のお兄さんのことも結構取り上げられているんだね。あはは、見て見て飾利お姉ちゃん、『冷蔵庫を背負ったイケメン。たまに白くなったりカブトムシになったりバレーに目覚めたりする』だって」

「か、垣根さんはこの際どうでもいいんですどうでもっ!! そ……それで美冬さん、この手合いの個人サイトをこれだけ集めまくって、結局のところ何が目的なんですか?」

 何故か顔をわずかに紅潮させて、初春は頭上のメロンを小動物じみた上目使いで睨み上げる。

 何が目的って言われてもなぁ、と含みのある感じにうそぶく番外個体(ミサカワースト)は、その体勢のまま両腕を回し初春の顎下を持ち上げてがっちりホールドする。

「そーれ察しの悪い子羊ちゃんには美冬せんせーのおっぱいアイマスク攻撃でおしおきだぞー」

「ぬぐぁ!? く、暗闇と首絞めの相乗効果……ッ! ぎ、ギブですギブギブ!!」

「悪意が薄っすいねぇ。まーったく、陣営に迫り来る(バグ)ちゃんだけを退けてるようじゃ守護神(ゴールキーパー)の名が泣くぜーかざりん? 一流の狩人なら自ら獲物を探しに行かなくちゃ。皆が皆本音と悪意をぶっちゃけてる場所にこそ、不穏の種は芽吹いてるモンだよ。たとえ年端のいかないガキであってもね」

「ご、守護神(ゴールキーパー)がディフェンス専門で何が悪いんですかぁ!? そもそもっ、風紀委員(ジャッジメント)って自らトラブルに首突っ込んでいくような仕事じゃないですよ!!」

「そーいう型破りを期待してるからこそ、『あの人』はあえてココを選んで垂れ込みしたんだと思うけど」

 バチンッ! と、にやけた彼女は自らの前髪からパソコンに向けて紫電を走らせる。

 電磁波による影響で一瞬ノイズが走ったように見えたディスプレイは、直後、リンク先から複数のサイトを次々とポップアップさせた。それぞれのウィンドウは猛烈な速度でスクロールし、マーカーした『とあるキーワード』を画面左端へと抽出していく。能力を用いた強引なハッキングだった。

 高位能力者の離れ業を割と見慣れている那由他でさえ、その光景はなかなかに物珍しいようだ。

「……すごい……。電子機器を手足みたいに扱えるのは、電撃使い(エレクトロマスター)の特権だよね」

「ま、どっかの誰かみたく自販機にビリビリキック喰らわすほどミサカはアホの子じゃないけど。ねーかざりん?」

「ぶはっ!! こ、このヒトは……っ、風紀委員(ジャッジメント)の目の前でハッキングとかどういうつもりですか!」

「ブーメランだよ飾利お姉ちゃん」

 ようやく拘束を逃れた初春が注視した画面には、学園都市内のあらゆる電子掲示板から引用した文面が雑然と並んでいた。

 人口の八割を学生が占めるこの街らしく、特に小中学生を対象とした娯楽サイトをメインに調べると、必然的に『根も葉もない噂』がメイントピックとなる。先程の空色毛布がうんぬんとかいう『怪物でんせつサイト』もその一種だ。あのサイトは電子掲示板同様、閲覧者が見聞きした噂をフリーに投稿することで成り立っている。

 当然、『それ』全体の信憑性は限りなく薄い――だが、だからこそ。

 無数の嘘の中から砂金の粒のごとき『真実』を選び分ける能力さえあれば、それはかつて統括理事長の目となっていた滞空回線(アンダーライン)のように、学園都市の裏側で産声を上げる問題を容易く浮き彫りにしてしまうのだ。

「『第七学区の白い誘拐組織』……これって」

 選り抜かれた文面を人工物の指でなぞり、那由他が神妙な顔つきで囁く。

 番外個体(ミサカワースト)は相変わらず初春のほっぺをうりうりして遊びながら、歌うような調子で言葉を続けた。

「――『放課後一緒に遊んでいた仲間の中から、気が付けば一人だけいなくなる――路地裏で白い服の人間に出会ったら迷わず逃げろ。ソイツはキミの脳みそを狙う、怖い怖い誘拐魔だ』」

「……」

 というかそれお腹空かせたフロイラインちゃんじゃないの、と一瞬頭をよぎった疑問はぐっと飲み込んだ那由他である。

「内容自体は、いろいろな都市伝説や怪談から影響を受けていそうなテンプレートだね。でも……」

「こ、こんなことがもし実際にあるのなら、今ごろ私たち風紀委員(ジャッジメント)に警報が回ってきてるはずです! そもそも、学園都市中の『闇』を一掃して間もない時期に、この手の根も葉もない噂をいちいち検分するような余裕は――」

「だから甘いっつってんの。あなたたち正規部隊がお上からの指示待ちで後手後手に回ってる暇で、我らがヒーローはとっくに動き出してる」

 まぁ逆にヤツらの『本物』の面倒事に対する嗅覚の方が異常なのかもしれないけど、と。

 不安そうに眉を歪める少女らへ、『闇』の味を知り尽くした女は、引き抜いたメモリーカードを唇に寄せて蠱惑的な笑みを向ける。

「最近、学園都市内のあらゆるネットワークでは『誘拐』『人さらい』ってキーワードが比較的頻出して目立ってきている。実際に噂通りの血生臭い事件が存在してるのか否かは、例によって『どっかの誰か』が情報操作で覆い隠してるようだけど。親船最中の尽力で掃討されたクソ理事会の小飼い共が、まだ懲りずに良からぬ悪巧みでもしてんのかもねえ。つっても、人の噂……特に無邪気全開なガキ共にまで箝口令は敷ききれないのかな。ともかく、不穏の匂いはありふれた都市伝説に姿を変え、今もこうして流れ出ている」

「……それをわざわざ私たちに伝えて、美冬さんたちは何を期待しているんですか……?」

 物騒な話題をいかにも楽しそうに語る番外個体(ミサカワースト)に少々気分を害したのか、初春飾利がいつもよりも棘を含んだ口調で彼女を仰いだ。

「話の虚実や相手の善悪はさておき、少なくとも、一般人に知られるべきではない事柄だからこそ『住み分け』されているんじゃないんですか? なら、もしかするとソレは私達のような風紀委員(ジャッジメント)が干渉すること自体、忌避されるべき事柄なのかもしれない。それを承知の上で単独活動しているあなたたちにとっては、むしろ正規部隊の私達に関わせたところで、お荷物になるだけだと思っているんじゃあ……」

「さっき言っただろー? ミサカ達は、ただのクソつまんない優等生じゃ収まんない、始末書まみれなあなたたち不良風紀委員(ジャッジメント)の融通に期待してるんだって。なに、こっちは特に難しいことを求めてるわけじゃない。『第七学区の路地裏で何かが起きている』その認識を踏まえた上で、いつも通りの治安維持に邁進してもらえれば十分ね」

「……はぁ……、お役所体質の組織相手に、随分とまぁ自分勝手を通そうとしますよねぇ……」

「出来ないの?」

「やりますよ」

 淀みない初春の返答に、番外個体(ミサカワースト)は口端をニヤリと吊り上げて応えた。

「よろしい。まぁ幸い、ここには最終信号(ラストオーダー)や黒子っちがいる。戦力としても上々だし、多少腐れ縁があるミサカ達からしてみれば御しやすい存在だよ。あーあ、にしてもやだねぇこのミサカがこんな小物っぽい根回し役だなんて。個人的には悪意上等っつーか、最近退屈すぎるしむしろ闇属性の皆々様にはもっと根性出して暴れてくれって言いたいところなんだけど――ひゃあんッ!?」

「うおぁ!?」

 ペラペラと無駄話に興じていた番外個体(ミサカワースト)が唐突に発した可愛らしい悲鳴と静電気に、思わず飛び上がる初春飾利。

「な、なな……!?」

 ……目視による推測だが、どうやら番外個体(ミサカワースト)は、突如自身に発生した謎の漏電現象によって苦しめられているようだった。

 舌が回らない軍用クローンは静電気で前髪をパリパリ言わせながら、涙目になって背後の那由多を振り返る。

「ぬぬぬ……ぬおおおあああああ足の先までビリビリしやがりゅ……にゃ、にゃにしてくれちゃったのかなーそこのクソサイコ木原野郎はぁぁぁ?」

「えっ、いやその、ちょっとお姉さんのAIM拡散力場が見慣れない形だったから、気になって『くすぐってみた』だけというか。……ごめんね?」

「ごめんで済むんなら風紀委員(ジャッジメント)は要らなひゃうッ!? ……なっなっなっな、なんでこの局面でまた触った!? ミサカ何か悪いことしたっけ!? 残念ながらちょろっと心当たりがありすぎんだけどぅにゃあッ!! あひゃ、あひゃひゃひゃひゃ待ってなんかそれ駄目だってヤバいってミサカのアイデンティティ崩れちゃうぅぅううううううううううううう!!」

 バリバリバリッうひゃーやめろーびくんびくんビリビリバリバリ、と、しばしの間やかましい騒音がこだまして。

 端から見たら現状の番外個体(ミサカワースト)は、金髪少女のパントマイムに何故か身悶えてトンじゃった危ない女である。

「……うーん……? 量自体は美琴お姉ちゃんと比べて小規模だけど、代わりに最終(ラスト)……じゃなくて、御坂ちゃんのと同じ『網』がたくさん……つまりは、これがミサカネットワークの……。ん? だとしたら、この『異質な紐』は一体……」

「うぎゃあ!? や、くああっ、ちょっやめ、にゅわあああああああああ!! かざりんボーッとしてないで助けてよそのドタマ咲いてる花は飾りかコラあああ!?」

「那由他ちゃん」

「うん?」

「――いいぞもっとやれ! ですっ!」

 はくじょうものォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!! という番外個体(ミサカワースト)渾身の絶叫をものともせず、初春飾利十八歳は最上級のイイ笑顔でサムズアップを決め込んだ。

 さーて小鹿よりも弱った美冬さんにダブルピースさせて記念撮影にでも洒落込みますか、と久々に腹黒モード全開でケータイを手に取ったところで、

 

「……随分とまァ愉快そォな状況なことで。つゥか、オマエンとこのガキ共は揃いも揃って馬鹿ばっかか?」

「わたくしにばかり勝手な責任を押し付けないでくださいまし……というか、白昼堂々こんなところでナニしてやがりますのお義姉(ねえ)様は……?」

 

 ドアを開け放す男女の白けた声に、部屋の中の少女らの動きはピタリと静止する。

「……お、おかえりなさい白井さん……それに第一位さんも」

「……なんですの初春、その微妙に残念そうな表情は」

「どォでもいいが、そこの馬鹿からの『伝言』は受け取ってンだろォな」

「あーハイそれはもちろんしっかりと、ええ」

 口うるさい保護者枠二名のご登場によって、初春は慌てつつも後ろ手にこっそりとケータイのカメラモードを終了させていた。

 

 

 

   4

 

 

 

 夏だ! 海だ! 水着だあっ!!

 などと息巻く季節ではまだまだ無いというのが確かではあるが、ここ学園都市の繁華街においては季節のワンシーズンやツーシーズンの先取りは、実はそこまで珍しいことでもない。街ひとつが大きな実験場ともいえるこの都市では、ファッション事情さえ『外』とは大きくズレているのだ。

 というわけで、いつの時代も女子中学生御用達なセブンスミストではこの休日、ニコニコ元気に水着フェア開催中なのである。

 スーパー近辺にあった冷蔵庫のようなコインロッカーにお鍋の具材や大量の牛乳を預けてきた打ち止め(ラストオーダー)たちは、眩しい太陽に照らされる繁華街の人並みを通り抜けながら雑談していた。

 目当ての店舗に行くまでに、適当な洋服店で料理用のエプロンを見付けようという魂胆なのである。私服姿で並んで歩く可愛らしい少女三人という取り合わせは、活気のある街中においても中々に目を惹くものだった。

「いやー……まさか大体、お姉ちゃんがああいう本を大人買いするとはなぁ……」

「? とても素晴らしい本だと判断しました。『食べて損はしない』情報。購入には支障がないと思います」

「……にゃあ。読書も社会勉強も結構なことだけど、大体、書いてること全部を間に受けちゃ駄目だぞ?」

「???」

 片目を閉じてそう呟くフレメアに、白いロングワンピース姿のフロイラインはいまいち意図を汲めず無表情で首を傾げてばかりいる。

 ちなみに金髪ボブヘアのフレメアは、いつも手提げにしまっているベレー帽を、今日は私服でのお出掛けということで頭に被っていた。赤いチェックシャツやレザースカートに似合うよう、紅梅に近いピンク色へと色合いを『調節』してもらっている。

「意外といえば、大体そっちの子供の大人買いも予想外だったし。ゲーム好きなのは知ってたけど、少年漫画なんか今まで読んでたっけ?」

「ふぇっ!? ……えーっと、あーまぁこのミサカもたまにはなー、ってミサカはミサカはわざとらしく目を逸らしてみたり」

「にゃあ?」

 何故か上の空だった打ち止め(ラストオーダー)の反応に、今度はフレメアが首をひねる番だった。

 訝しがる視線から身を庇うように、春物のニットワンピに覆われた自分の腕をぎゅっと抱いていた彼女は、しばらく沈黙していたもののやがて観念したように口を開いた。

「……昔、入院してた病院の待合室に置いてあった漫画だったの。久しぶりに見掛けたからなんだか懐かしくなっちゃって、ってミサカはミサカはもっともらしく理由を付けてみたり」

「……にゃあ。懐かしいのは大体その漫画じゃなくて、ベッドに寝転がってつまらなそうに漫画を読んでた『あの人』の横顔だとかそーいうオチだろどうせ」

「ぶふっ!? へ、変なオチを勝手に捏造しないでほしいんだけど! ってミサカはミサカは図星なのを隠してムキになってみる!!」

 はいはいツンデレツンデレ、とニマニマしながらからかってみせるフレメアに、ムキーとかなんとか言いながら大人げなく両手を振り回す年上の風紀委員(ジャッジメント)である。

 一方で。

 そんなやり取りを横から聞いていたフロイラインは、騒ぎに乱入するように打ち止め(ラストオーダー)へ後ろから抱きつきにかかる。

「……むぎゅー」

「にょわっ!? お、お姉ちゃん!? ってミサカはミサカは急襲におののいてみたり!!」

 昼間の喧騒の中、人目もはばからずに小柄な体躯を思いっきり抱き締めつつ、フロイライン=クロイトゥーネはいつもの無表情からわずかに唇を尖らせてこんなことを呟いていた。

「……こんな楽しい時にまで、『あの人』の話ばかり、……」

「お、おう……? ってミサカはミサカはお姉ちゃんの新たな反応にちょっとドキッとしてみる」

「……、なーなーお姉ちゃん。何だかんだ言って大体お姉ちゃんは、別に『あの人』のこと嫌ってはいないんでしょ? なんせ、好きな人の好きな人な訳だし。にゃあ」

「げっほごっほ!? な、なんだなんだ好きな人の好きな人って二重の意味でどーゆー事だそれ!? ってミサカはミサカはお子様に食ってかかってみたり!!」

 顔色を変えてフレメアの口を塞ぐべく飛び掛かろうとする打ち止め(ラストオーダー)の後頭部を眺め、フロイラインは思考の読めない青い瞳を余計に細めてしまう。

 日頃の行動の大胆さに引き換え、彼女の表情の変化は、よほど親しい者でなければ気付くことが出来ないほど些細なものである。

 欧州で暴れ回っていた数百年前には、今よりもずっと『人間らしい』笑顔や振る舞いを完全に獲得していたフロイラインだが、長年窓の無いビルの暗闇に捕らえられているうちに、それらの経験値は綺麗にリセットされてしまったらしい。事実、統括理事長の手の内から不意に転がり出された当初、彼女は自らの『羽化』への衝動のみに突き動かされる、ただの獣か昆虫だった。

 それが、グレムリンの暗躍をきっかけに、ヒーローたちの手によって解放されて以降の五年間で。

 彼女の情緒はかけがえのない『友達』の手を借りて、その日常の中で、より自然な形へと少しずつ戻ってきているのだ。

 

『――このミサカも「産まれたて」なの。だから、おねーちゃんと一緒にこれからたくさん勉強していけたら嬉しいかな、ってミサカはミサカは手を差しのべてみる!』

『ややこしいことはよく分かんないけど、普通に学校通って私たちと遊んどけばおねーちゃんのリハビリになるってことだろ? なら大体何も問題無いし! にゃあ!』

 

「……嫌いでは、ありません。けど」

 上条(かみじょう)当麻(とうま)浜面(はまづら)仕上(しあげ)も、もちろん一方通行(アクセラレータ)だって、彼女にとって大事な友達を『食べてしまう』のを止めてくれた恩人と言える。

 けれど、三人一緒にいられる大切な時間を、ここに居るわけでもない人の存在にかき回されてばかりなのは、なんとなく嫌だった。もっとも、〇と一の連鎖が織り成す彼女の未熟な思考では、自分がただ拗ねているだけなのだと認識するにはまだまだ不足だったようだが。

「……、にゃあ!」

「わっ」

 そんな彼女の心境を読み取った上でのことか、フレメアは白魚のようなフロイラインの左手を自分の両手でパッと掴まえてみせる。

「大体、つまんないこと考えちゃいけないぞお姉ちゃん。この寂しがり屋さんめ」

「……寂し……、がり、?」

「えっ、にゃ、なになに!? お姉ちゃんどうかしたの、ってミサカはミサぎゃああああああああああああああああああなんかネットワークが第三者に揺さぶられてるーっ!?」

 またも何処かから変な電波を拾ったのか、一人で勝手にビリビリしながら騒いでいるのは、相変わらずフロイラインの腕の中に捕まえられたままの打ち止め(ラストオーダー)だった。

 さー馬鹿は放っといてエプロン見に行くぞ、とやけに上機嫌でグイグイ引っ張ってくるフレメアと、何故かくすぐったそうに身をよじって悲鳴を上げている打ち止め(ラストオーダー)を交互に窺うフロイライン=クロイトゥーネ。

 表情こそ乏しいものの、見ようによってはオロオロしているかのような彼女の様子は――何故だか、何よりも人間じみたものに思われた。

「……ん、ええと、あの」

 二人のハイテンションっぷりに挟まれて、微妙に狼狽しているフロイライン。

 何か、この混乱を解消する手段は無いものか――ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちパチパチパチパチパチパチぱちぱちぱちぱちぱちっ!! と、丸く見開かれた瞳の中で単純な〇と一が、しかし途方もないほど無数に展開される。

 過去に得た膨大な情報から、この場に最も適した解決策を選び取るために。

「――、」

 そして、彼女は打ち止め(ラストオーダー)をホールドしていた右手の五指をまっすぐ揃えて大きく振りかぶると――以前にテレビで視聴した、日本特有の『場の和ませ方』を、学園都市第一位の攻撃をも生身で耐え凌いだその剛腕で実践する。

 

「なんでやねーん」

 

「な、なんでやねんって大体なんでやねんうぎゃあああああああああああああああ!!」

「ど、どうしてミサカまで!? ってミサカはミサカはうぎゃああああああああああああッッッ!!」

 ドーンとかいう爆音と共に、小さな少女二人の身体が土煙を上げて吹っ飛ぶ。

 そんなわけで。

 本日、人類ふしぎ発見系女子フロイライン=クロイトゥーネは、新たに『どつき漫才』のスキルを獲得する次第となった。

 

 

 

   5

 

 

 

「――あらあ?」

 学園都市第五位の超能力者(レベル5)心理掌握(メンタルアウト)こと食蜂(しょくほう)操祈(みさき)は、暇潰しにカフェにでも立ち寄ろうと出掛けた途中の広場で、とある興味深い二人組を発見する。

「――ちょっ、待ちなさいよアンタ!! 明らかにそっちだけ一口の取り分がおかしいでしょうが! クレープの三分の一が一瞬で消失とかどんな食い方してんのよ!?」

「一口は一口です。グラム単位で交換条件を提示しなかったお姉様(オリジナル)の愚かさこそが敗因に他ならないでしょう、とミサカは冷静にコメントしつつもひもひもぐもぐ」

「……相変わらず、根拠不明に和やかな家族愛を見せ付けてくれる姉妹力よねえ。ごきげんよう御坂さん☆」

「ごっふ!? しょ、食蜂操祈っ!?」

 クローン側の背後から声を掛けた途端ズザザザザッ!! と後ずさる御坂美琴のリアクションに、満足げに頷く食蜂。

 一方の妹達(シスターズ)――確かかつては御坂妹と呼ばれていた、一〇〇三二号という個体である――は、そんな姉とは対照的に「ごきげんよう、とミサカは口元のクリームを拭いつつ朗らかに応答します」などと片手を上げていた。

「アンタもアンタでこんなヤツに挨拶しなくていいのっ! ……それで食蜂、何の用よこんな所でまで声掛けてきて。ストーカー?」

「やーもぉ辛辣ねえ。あんなに沢山の修羅場を一緒に乗り越えてきた仲だっていうのに、まだまだ私たちの間には信頼力が足りてないってコトかしらあ? 誤解しないでちょうだい。他意は無いのよお、ただの散歩……あなたたちと同じように、ね?」

「だからいちいちウチの妹の心を読むなーっ! 言語でやり取りしろや言語で! なんだアンタはコミュ障かッ!!」

 肩掛けの小さなバッグから取り出したリモコンに、怒った美琴の前髪から飛び出した小規模な電撃がバチッとぶつかる。

 高圧電流がプラスチックを焦がす嫌な臭いにも、いつも通りボーッとしている一〇〇三二号の表情が際立って変化することはなく、彼女はただ我関せずといった表情でクレープをモフモフしているだけだった。

『ああん! もー御坂さんったらひどいんだゾ☆』とあざとい声音で抗議して両手をグーにする食蜂だったが、もちろん彼女はその程度で芯から動揺するようなタマでも無い。情報操作によるストーキング行為さえ疑ったほどの奇縁で結局進学先にまで付いて回ったこの詐欺爆乳の性質など、非常に不本意ながら殆ど心得てしまっていた美琴である。

「それにしても……今日はこれで十人目になるわねえ、街中でぶらついている『その顔』を見掛けるのは」

「……は?」

 プスプスと煙を上げるリモコンを後ろ手にポイ捨てし、食蜂はいつもの余裕を崩さないまま妙に不穏なことを口にする。

 どういうことよ、と訝しげに続きを促す美琴を前に、彼女は愉悦にまみれたタチの悪い笑みを浮かべた。

「あらあ。過去さんざん『信用ならない』って突っぱねてきたこの私に聞いちゃうの? あの御坂さんも随分丸くなったものよねえ」

「……何よその顔」

「気になるのお? そうよねえ大事な妹さんのことですものね、せっかくだから御坂さんにも教えてあげようかしらあ? ……んー、でも私の見立てだと実際には大した脅威力でもなさそうだし、御坂さんたら何でもすぐ野蛮力溢れるビリビリ実力行使で荒事にしちゃいそうだものねえ。どぉしよっかなあー?」

「本当にムカつく女ねアンタは! さっさと吐かないと痛い目見るわよ!?」

 人をおちょくる以外の用途を何一つ感じない憎らしげな笑顔で嘯く彼女に、ますます苛立ちを募らせる美琴。

「――なあんてね☆ もーやだわあ御坂さんってば怖い顔しちゃってえ」

「……、はぁ?」

「いえいえ、実のところ私自身介入するまでもないって判断していた、些細な悪企みの痕跡を見付けたってだけの話よ。でも残念。どうせ今のキレイキレイな学園都市じゃ、この程度のチープな企てなんて芽吹く前に潰されるわ。例の上条さん達の暗躍っぷり、あなたも当然知っているんでしょお?」

「……そりゃあ、ね」

 平和を勝ち取ったこの時代となっても変わらずにお人好しな思い人の行動を指摘され、学園都市第三位の超能力者(レベル5)は面白くなさそうな調子で鼻を鳴らす。

 まぁなんというか、彼の夜回り先生っぷりに関しては『知っている』どころかむしろ『また例によって水臭い真似してくれるわね。つーかいい加減に私も混ぜなさいよゴルァ!!』と積極的に絡みに行ってる美琴だったのだが、そこはなんというか乙女の恥なので黙っておくことにした。

 一方で、ちょっとした困惑の色を目に浮かべだしたのは御坂妹だ。

「……上条当麻……あの人が関わるような問題が、ミサカ達に発生しているのですか? 司令塔からはそのようなエラー報告は得ていないのですが、とミサカは第五位に問い掛けます」

「そりゃそうよお、あなたたち末端の個体に問題があるわけじゃないもの。あなたたちはただ闇雲に第七学区を散策するよう、他でもない上位個体から無意識下で巧妙に『誘導』されてるんじゃないかしら。学園都市に帰還してる妹達(シスターズ)って、この五年で随分増えたって話でしょお? ならネットワークの演算性能はもちろん、直接その『膨大な人材』を利用しようとする者が居ても、不思議じゃないわよねえ」

 ちょっと失礼するわよお、と、新たに取り出したリモコンで食蜂は彼女に能力を行使する。

 今度ばかりは、美琴もそれを邪魔できない。上手い具合に状況を操作されていると自覚しつつも、根本的には妹達(シスターズ)を保護する理由があるはずの食蜂のことを信用するほかなかった。

「……、どうなのよ?」

「……『外装代脳(エクステリア)』無しの私には、一〇〇〇〇もの脳が織り成すミサカネットワーク全体への干渉力は無いわあ。上位個体にこの手で直接触れられる状況なら話は別でしょうけど。表層を覗いた限りでは、学園都市内に散らばっているこの子たちの、特に視覚情報を活発に送受信しているのが伺えるわねえ。何かの監視……いいえ、むしろ偵察目的かしら」

「――つまり、何者かにミサカ達の『目を盗まれている』、ということですか? とミサカは己の無自覚的な行動を振り返ってみます」

「そうねえ。今のところ、データの流出らしき情報伝達以外には、有害なウィルス然とした動きは取っていないわ。とりあえずは例の天井(あまい)亜雄(あお)製みたいな分っかりやすい世界の危機って訳でも無さそうよお」

「そ、そんな悠長な……! この子たちのネットワークが傍聴されてるかもしれないって、どう考えてもヤバいことじゃないのよ!」

「だーかーらあ」

 身を乗り出してがなる御坂美琴を、食蜂はうるさそうな顔でひらりとかわす。

「これは私達が要らぬ正義力を働かせるような大騒動じゃないし、そもそも素人が準備も無しにネットワークに干渉するなんて不可能だって言ってるのよお。むしろ、だからこそコレをコソコソと仕組んだ『敵』の手腕は評価に値するかもねえ。……それだけに、やることが浅はかだわあ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の存在を、ちっとも考慮していないんだもの」

「……あの子のことは、私じゃなくてアイツの領域だって。そう言いたいワケ?」

「今どき、馬の骨に対する嫉妬なんて見苦しいだけだゾ? お・姉・様☆」

「うっさい!!」

 あてつけのように眼前に突き出されるブイサインを払いのけ、美琴はふてくされた顔で両手を腰に当てる。

 長年あの二人が守り守られる関係を築いてきたのも、それがもはや自分の個人的な嫌悪感で切り離せるような浅い絆ではないということも、美琴は重々承知している。だから、馬の骨と呼ばれるべきはむしろ姉である自分の方なのだろうが、それはそれとしてあの青年のことはやっぱり大嫌いな第三位だった。

「……では、ミサカ達はどうすれば良いでしょうか? とミサカは妹達(シスターズ)全体の身の振り方を第五位に委ねてみます」

「そうねえ……ひとまず、無意識領域を舵取りする上位命令に逆らうのはやめておきなさい。『反逆』のサインを受け取ると凶暴化するプログラムが仕込まれてる可能性も無いわけじゃないし。それと、上位個体にこの事は報告しちゃ駄目よお。あの子は現状、何らかの洗脳を受けている可能性が高いわあ。下手に刺激力を加えるのは避けておきましょう」

「分かりました、とミサカは頷きながら周囲のミサカに厳命を言い渡します。幸い司令塔は現在買い物に夢中でこちらに気付いていないようですし。お姉様(オリジナル)もそれで良いですか? とミサカは……」

「……………………………………、」

 淡々と脳内処理を済ませていた御坂妹は、何やら呆然とした様子で彼方を見つめていた美琴の視線を目で追い――言葉を止めた。

 そこに広がる光景とは……、

 

「お、ま……ッ、だからこの緊急時にそのふざけた格好で一方通行(アクセラレータ)さんの居所を探って一体ナニしやがる気なんですか!! ねぇなんなの頭ん中もう夏真っ盛りなの!? 死ぬの!? とミサカ一四五一〇号は全力で羽交い締めにします!!」

「ぐふぃふぃふぃ既に半裸&セルフ亀甲縛りなこのミサカをさらに拘束するとは中々凌辱センスあるじゃねえかこの春厨 !! 白昼堂々公園で濃厚なレズ姉妹プレイも悪かぁないですが生憎ミサカは先祖代々頑固一徹セロリたん派ですからねひゃっほう!! とミサカ二〇〇〇〇号は紳士の名に賭けて譲れないポイントを主張します!!」

「だあああああ押さえ付けられたまま芋虫みたいなホッピングかますな!! 全妹達(シスターズ)の汚点め!! そんなんだからさっき上位個体からお仕置き喰らったんだよ一方通行(アクセラレータ)さんを毒牙に掛けたらミサカがマジで食い殺すからなばーかばーか! とミサカはあの人のお尻の貞操を守るため半泣きになりつつ怒鳴り付けます!!」

「ヴァカめ! さっきのビリビリ混線といつものお仕置きの違いも分からなかった時点であなたはしょせん雑魚中の雑魚ミサカなのですよ! というわけでこの騒動を収めうる可能性がもっとも高い第一位にこのミサカが助力しようと行動するのはいたって自然な流れ!! というか早く干渉しないと()()()()()()()()()()()に手柄を先取りされるんですよ! 待っていてくださいセロリたん最寄りのスーパーで妙に卑猥な形のキュウリを購入したら今すぐあなたの御元に駆け付けますからねーっ!! とミサカは溢れる劣情パワーで一四五一〇号の腕から、逃れ、……ますッ!!」

「今すぐ黙れ呼吸を止めろミサカの純情をこれ以上乱すなぁああああああああああああああああああああああ!! とミサカは――!!」

 

「……ねぇ、食蜂」

「……人格面へのウィルスの悪影響は本当に皆無だったはずよお……多分……」

「申し訳ありませんヤツらはデフォルトで病気なのです、とミサカは事態の鎮圧を図るべく手持ちの銃にゴム弾を装填します」

 ……個性化の一途を辿るミサカネットワークにて特に顕著な進化(?)を遂げていた二名のブラックリスト個体の乱闘に、完全武装(フルブースト)の一〇〇三二号が殴り込みを開始するのは、それから三秒後の出来事であった。

 

 

 

   6

 

 

 

 ――さて、食蜂操祈たちによってミサカネットワーク関連のキナ臭い事案が見出だされたのと時を同じくして、そんなことなど露知らず遊び呆けているのはご存知、呑気な女子中学生三人組である。

 書籍に食料品に日用品――今日一日であれこれ買い込んだご一行だったが、やはりなんといってもお目当ては、新作の水着だ。

 首尾よく白うさぎちゃんデザインのエプロンを手に入れていた打ち止め(ラストオーダー)は、なぜか喜色満面のフレメアに首根っこを捕まえられてセブンスミストの敷居へと引きずり込まれていた。

「わ、ちょっ、待って! な、なんだってそんな元気なんだ今日のお子様は、ってミサカはミサカは戸惑ってみたり!」

「にゃあにゃあ! 水着だろうが何だろうが、大体こーいうのはシチュエーションを思い描きながらアレコレ選ぶときに一番テンション上げるモンだろ! ほらあなたたちの分も私がちゃんと選んであげるから! さっさと行くの! 今年こそこの溢れんばかりのお色気で浜面のヤツに鼻血噴かせてやるんだし!! にゃあ!!」

「ま、またそんな無益な行動目標を……!? というか既婚者をからかうなんて悪趣味だぞ! ってミサカはミサカはお子様のインモラルっぷりに震えてみる!」

 溢れんばかりの女子力に圧倒されつつもガラス張りの自動ドアに迎え入れられ、打ち止め(ラストオーダー)はフルスロットルで騒ぎまくるフレメアの同伴という体で歩みを進める。

 例によって無口なフロイラインは、どうやら新たに獲得した『機能』の確認に夢中になっているようで、手刀をブンブン振り回しながら『ん、ん……、モデルケースと比較して、角度が僅かにズレてます。もっとこう鋭い打撃で抉るように……』などとブツブツ漏らしていた。時折巻き起こる風圧と共に、遠くからガシャーンとかきゃーエッチな風さーんとか聞こえてくるがあえてそちらは見ない。何と言われようが今日はオフなのだ。見ないったら見ない。

 雑誌に付いてきた招待券をポール型の機械に通し、商品を感知するセンサーを搭載した簡素なゲートをくぐる。

 水着フェアの会場はフロアの一角の、非常に目立つ位置を牛耳っていた。

 正面には色とりどりの新作水着を身に付けたマネキンが、巨大なガラスケースの中でポーズを取っている。その背後には、迷路を象るように並べられた銀色のポールハンガーだ。トロピカルカラーのきらびやかな照明や、余すところ無く吊るされたビキニやワンピース型水着によって、遠目から見たその極彩色の光景はさながら巨大なフラワーショップのようでもあった。

 手持ちの雑誌の特集記事からブランドのコーナーを探しているフレメアの裾をクイクイと引っ張って、何故か神妙な顔をした打ち止め(ラストオーダー)が呟く。

「ず、随分と大きな催し物なんじゃないかこれ、ってミサカはミサカは若干気圧されてみたり」

「にゃあ、別にこれぐらい普通だって。昔フレンダお姉ちゃんに連れていってもらった会場なんて、大体規模も熱気もこんなモンじゃなかったけど」

「よく分からない世界だ……、ってミサカはミサカはしみじみ呟いてみる」

「??? ……ひょっとして子供、こういう場所で水着買ったこと無いの?」

「今まではスクール指定のヤツで十分用を満たしてたし、ってミサカはミサカは唇を尖らせてみたり」

「ふーん」

 実年齢なんと五歳、肉体年齢的に年下であるフレメアと比較しても圧倒的に人生経験の浅い打ち止め(ラストオーダー)である。

 ごく普通の中学生としての生活をスタートする以前、つまり黄泉川愛穂の庇護下で暮らしていた時期にあっても、キッズブランドの水着を一度買ってもらった程度の体験しか無い。

 そもそも、海とかプールとかいうアクティブな遊びに連れていってくれる保護者があの中には居なかったのだ。警備員(アンチスキル)黄泉川(よみかわ)は多忙で芳川(よしかわ)はインドア派、今以上に杖が手放せなかった一方通行(アクセラレータ)はもちろん却下、番外個体(ミサカワースト)に至ってはキョーミなーいの一点張りである。

「(……まったく不健康な大人たちめ、ってミサカはミサカは自らの回想にがっくりと肩を落としてみる)」

「お、おーい……? 大体何を一人でテンション下げてるの?」

 よく分からんヤツだ、と独白しながら透明なマネキン型のハンガーを漁り出すフレメアの背後で、完全ビギナーな打ち止め(ラストオーダー)は一人、円滑なオシャレ水着デビューへの決意を固めたのだった。

 

 

 

 

 

 ところで。

 トランクス型が主となる男性用とは対照的に、女性用水着とはファッション的な意味においても実に多種多様な種類があるものだ。

 ビキニにワンピースにセパレート、その中にもスクール水着だのパンツスタイルだのブラジリアンだの、もはや暗号めいたそれらのバリエーションには心底滅入ってしまう。

 まして、ありとあらゆる研究の最先端たる学園都市では尚更のこと。

 かつてツンツン頭のヒーローに某英国魔術結社所属の少女が詰め寄ったときに握りしめていたバカ水着もまた学園都市の凝り入った研究の髄だったりするのだが、それは今ここにいる少女たちの知ることではない。

 ともかく――ここセブンスミストの水着フェアにおいても、それは同じようで。

 打ち止め(ラストオーダー)が見渡してみた限り、フツーの水着の中に紛れるカタチで、そこそこ頭のおかしいデザインの代物もまたズラリと陳列されているのだった。

「じゃーん!! お姉ちゃんにはやっぱり清楚な白だな! うんうん、大体事前に入念なリサーチを重ねておいて正解だったし!」

「……?」

 そんな光景の中でフレメアが銀髪少女のボディにあてがって見せたのは、紅色を基調としたハイビスカスのパレオを組み合わせた、細かなラメ入りの白いビキニ。

 脚を覆い隠すゆったりとした布地やフルカップの造形は一見するとかなり大人っぽい……というかむしろ大人しめのデザインにも思えるが、その実、一七〇センチ強もの高身長を誇るフロイラインのスタイルを違和感なく強調してくれそうな、全くもって隙のないセレクトである。

「いや、確かに似合ってるけど……もうちょっとお姉ちゃんにも色々見比べる余地を与えてみたらどうなんだ、ってミサカはミサカはお子様の独断に疑問を投げ掛けてみる」

「えー? じゃあこっちの水色とかリトルマーキュリーの青とかは? 大体候補のブランドはたくさんあるけど」

 自信満々のフレメアを突っつきながら口を挟む打ち止め(ラストオーダー)だったが、当のフロイラインは最初に手渡された水着セットを抱えつつもこう返答する。

「基本的に、私には物事への執着や好き嫌いというような感情が存在しません。……『こういう事』を得意とするフレメアの勧めなので、私はそれを信頼してます」

「うーん……まぁお姉ちゃんがいいならいいんだけど、基本的にこの世界にはお子様を放っておくといつか痛い目見るっていう法則があるんだぞ、ってミサカはミサカは調子に乗りやすいお子様のジャイアン化を激しく危惧してみたり」

「な、なにおう!? 餅は餅屋って言葉を知らんのか学の無い子供はこれだから! にゃあ!!」

 一〇〇パーセント美味しい餅を突ける餅屋なら良かったのになぁ……、と返そうとした打ち止め(ラストオーダー)だったが、さすがに自重しておいた。鮫が海中において王者であるのと同様、この場のルールにおいては彼女よりもフレメアの方が圧倒的に優勢なのだから。

 しかしこの小さな女王様はなんというか――育った環境が環境だけに、割と高い頻度で何かしら『やらかして』しまうのが、周囲の人々の間では暗黙の了解だった。

 あまりに莫大な力を得た存在は、五〇パーセントの確率で非常に素晴らしい結果を成し得るが、残り五〇パーセントではなんかこうアレなセレクトをしてしまう。どこぞの魔神の話ではないが、まぁこの際似たようなものだろう。

 幼少期の彼女にやたらロリータ服を着せたがったというぬいぐるみ好きの姉(故人)とか、万年ピンクジャージ女とか脚隠しのストッキング女とかそこらのビッチと超一緒にしないでくださいと豪語するミニスカ女とか、とにかくフレメア=セイヴェルンの持ち合わせるファッションセンスの根源は色々カオスだったりする訳だ。

 つまり――いくら普段が上手くいっているとは言え、このまま無数の試行を繰り返していけば、フレメア=セイヴェルンはいずれ必ず踏み外す。

 まして、彼女が普段無意識に掛けているセーブを外して本気で水着選びに挑んでしまった日には、意識の奥底に眠っている地雷を引き当てる確率は爆上がりだ。

 おまけに、恐れていた『それ』が起こるのはいつもいつも、やる気満々な状態で肝心な『何か』を決める時に限ってだった。

(……まぁ、それがただの杞憂に終わるんだったらいいんだけどね、ってミサカはミサカは外人肩すくめポーズでとりとめのない思考を打ち切ってみたり)

 長々と論じてはみたが、結局のところ彼女の暴走に一言物申すことができる人物が居ればさして問題は無い訳だ。

 完全放任のフロイラインは戦力外として、いざというときに相応しそうな人物は白いカブトムシと自分ぐらいのものか。しかしカブトムシはあれでも男性である。この手の話題――ましてや水着選びとなると、昆虫のくせに貝のごとく口を閉ざして黙り込むに決まっていた。

 以前フレメアと二人で小物を購入した際に巻き添えを喰らって以降、彼は打ち止め(ラストオーダー)たちの買い物の際には完全に物言わぬストラップと化してしまうのだ。そんなにあのツインテール激写事件(下手人:佐天(さてん)涙子(るいこ))は彼にとって屈辱だったのだろうか。

 一方で、打ち止め(ラストオーダー)自身は多少お子様趣味ではあるものの、そういうストッパー役に関しては腕に覚えがある。

 なんせ彼女のかつてのパトロンは、学園都市最強のファッションモンスターだったのだ。

(思い出せ……あの受難に満ち溢れた日々を……ノーと言うための勇気を……!! ってミサカはミサカは力強く己を鼓舞してみる!!)

 ぐっと密かに拳を握って、ごく自然な流れで彼女は自らの水着選びに取り掛かることにする。

「よーしお姉ちゃん、とりあえずは一度試着してみると良い! サイズも確認しないといけないしな! ミサカ達も自分のヤツ選んでから行くから、ってミサカはミサカはお姉ちゃんの肩を押してみたり!」

「ん、分かりました」

「ん? 自分で選びたいの? 子供には大体ネオミューズかレディーリリスの新作あたりが似合うと――」

「それについてはありがたく参考にさせてもらうよ! ってミサカはミサカはキッパリ宣言してみる!」

 指先を揃えた掌をフレメアの顔面にビシッと叩きつけ、どうにか選択権の確保に成功する打ち止め(ラストオーダー)

 せっかくのフレメアの厚意を無下にするのは多少胸が痛むのだが、ここはいつも彼女らが戯れている買い物の場とはレベルが違う。なんとなく、このように瞳をお星様でキラキラさせたフレメア=セイヴェルンに対峙していると嫌な予感がするのだ。いや別に心理掌握(メンタルアウト)的な意味ではなく。

 かつて徹夜明けのクマを湛えたナチュラルハイな眼差しに『コレ大体オススメだから! つべこべ言わずにホラやってみる!』と押し付けられた超臓物系スプラッタゲームのトラウマが去来する。いくら軍用クローンとして産まれた彼女であっても、学園都市謹製のエッグいグラフィックの出来には顔色のひとつやふたつ悪くしてしまうものだった。

(……いやいや、今はそんなグロゲーの思い出よりも目の前の未来を見つめようではないか。なんたってオシャレな水着が無いと来たるべき夏に困ってしまうしな、ってミサカはミサカは改めて大海のごとき無数の商品に向き合って――)

「ヘイヘイそこの店員さん(ネーチャン)!! 大体今すぐスイートヴァルキリーの新作H五〇‐七番Sサイズを持ってきてもらおうか! にゃあ!!」

「いきなり品番指定だとぉ!? ってミサカはミサカはお子様の型破りっぷりに驚愕してみる!!」

 陳列業務中の可愛らしいスタッフさんを呼び止めてバイヤーばりに注文を飛ばすフレメアの横暴っぷりに、彼女は思わずずっこけそうになってしまう。つーか完全にイベントの意義見失ってるだろそれ。

 一体どんなゲテモノを着せられるのかと戦々恐々になる打ち止め(ラストオーダー)だったが、こちらを振り返ったフレメアは、思っていたよりも随分と醒めた目付きに戻っていた。

「あのなあ、いくら私でもわざわざそっちの趣味に水を差したりはしないぞ。元々ここに来たのも子供やお姉ちゃんのを一緒に選びたかったってだけのことだし。というわけで私はもう自分のを選んでるから、大体そこまで迷惑そうな顔しないで欲しいんだけど」

「そ、そうなのか……。じゃあ、お子様は結局どんなのを買いに来たの? ってミサカはミサカはばつの悪さを隠さず訊ねてみたり」

「にゃあ! よくぞ聞いてくれました!!」

 ズビシと突き付けられる人差し指に驚き、「おおう!?」とわずかに上半身を仰け反らせる打ち止め(ラストオーダー)

「分かるか子供。大体、すでに私の周囲には忌々しい超弩級がゴロゴロ溢れてるんだ。なんかアホみたいにエロいケツした沈利(しずり)とか、天然キャラで油断させといて実際それ全く隠れてねえだろってレベルの母乳タンク放り出してる理后(りこう)とか! 何より、フロイラインのお姉ちゃんの成長っぷりなんて身内の裏切り以外の何物でもないし!!」

「き、絹旗(きぬはた)黒夜(くろよる)のお姉ちゃんハブらないであげてよ可哀想でしょ! ってミサカはミサカは無慈悲なスルーに抗議してみる!!」

「とにかくだ! 昔の初恋にもう未練は無いけど、私は大体一度でいいからそんな猛者どもを出し抜いて浜面の鼻粘膜をブチ壊してやりたいの! あの連中の中で唯一私が自慢できる長所といえば、やっぱりこのずば抜けた若さに他ならないだろ。ならばこの夏の水着イベントは、若々しい肌をあいつらの目に焼き付ける絶好のチャンス! レベルを上げて物理で殴る!! このタイミングで気合いを入れない方が大体おかしいってものだ! にゃあ!!」

「やめてもう聞きたくない!! ってミサカはミサカは生々しい愛憎ドラマの一コマに耳を塞いでみる!!」

 と、ギャーギャー大騒ぎする二人に、おまたせしましたーと控えめに囁きながら恐る恐ると何かの袋を手渡す店員さん。

 どうも中身は例の勝負水着のようなのだが、こちらは梱包用のビニールに包まれていてその全貌が覆い隠されていた。いかにも数分前に在庫から取り出したてですといった雰囲気だ。

 商品を厳重に包むビニールやセロテープをその場でビリビリと引き裂きながら、もどかしそうな様子のフレメアはまさしく頭痛が痛くなるような会話を継続する。

「にゃあにゃあ! まったく以前の流行じゃあワイヤードビキニだのスケルトンワンピだの、大体ただエロいだけで男の心を射止められると思ったら大間違いだ。そんなものは堕天使エロメイドをメイド萌えの範疇だと言い張るよりもはるかに安直で愚かしい考え!! 物事の真髄を何も理解していないっ!!」

「今どっかの金髪サングラスが血を吐いて倒れた気がするよ!? そしていい加減この傍迷惑なテンション下げようかお互いに! ってミサカはミサ――」

優雅さ(エレガンス)ッッッ!!」

 グワァ!! と、腹に力を込めて。

 雄叫びに等しい魂の咆哮を轟かせたフレメア=セイヴェルンは、ようやく剥がしきったビニールの欠片を容赦なく床にはたき落としてから、ついに日の目を浴びた一世一代の勝負水着を打ち止め(ラストオーダー)に突き付けた。

「――こ、これは……、ってミサカはミサカは……っ!!」

「フフフ、怖いか? そう、私のデータに万が一の間違いもない、これからは流線的なエロス・アンド・エレガンスが時代のビッグウェーブ!! にゃはははは刮目するのだ愚民ども! これがトーキョーフレメアズコレクションの本領だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 そんな無用の大宣言と共に、ようやく解禁となったその水着の正体とは――。

 

 

 

 

 

 ――青い水面に、白い砂浜。

 見渡す限りの夏らしいコントラストを描くこの優雅な空間は、『アイテム』が『外』に所有するバカンススポットの一つ、すなわちプライベートビーチである。

 目を剥くような値が張るセレブ専用のビーチにて、水着姿でくつろぐ数人の女性たちに顎で使われている茶髪のチンピラ風の青年は、お世辞にもこの場所にはあまり相応しくない小市民っぷりだ。

 しかし、そんな憐れっぽい姿も、とある少女の青い瞳にはむしろ好ましいものに映った。

 満を持して、安物のアロハシャツを羽織ったその背中に声を掛ける。

 この日のために選んだ水着は、きっとこのひとときだけでも、初恋相手の心に残ってくれる。そう信じて。

『にゃあ! はーまーづーら、大体こっち向いてほしいな♪』

『ん? あぁフレメアか。随分と着替えるのが遅かっ――』

 振り返った青年が、思わずといった調子でその姿に一瞬、思考を奪われる。

 見開かれたその目に飛び込んできたものは、年頃の少女の輝かしい肌と――、

 

 ――ピンク色の紐と細いリボンで胸囲や尻を亀甲縛りにしつらえた、学園都市最先端デザインのバカ水着だ。

 

 

 

 

 

「却ぁあああああああああああああああああああああああああァァァァァァァ――ッッッ下!! ってミサカはミサカはお子様の妄想世界に割り込んでみる!!」

「ぐはあっ!?」

 ホワンホワンとフレメアの頭上に浮かんだイメージ画像に、ゆでダコ状態の打ち止め(ラストオーダー)が固く握りしめた拳で猥褻物陳列罪への制裁を下した。

 彼女の激昂に慌てふためいたのは、床に尻餅をつきながらも腫れたほっぺたと水着を庇うフレメアだ。

「んなっ……!? だ、大体何でだ! 流行色と甘さと優美さとエロを織り交ぜた至高のデザインだろうが!! にゃあにゃあ!!」

「ふ、ふざっ、ふざけんなこの貧乳!! 外人の発想を日本のビーチに持ち込むんじゃない!! あなたのためにも改めて聞くけどお子様は本気でその水着で勝ちを狙いにいくつもりだったのか!? ってミサカはミサ――」

「はい!!」

「はいじゃないが!?」

 真っ直ぐすぎるフレメアの瞳に軽く目眩を覚えながら、何故だか胸に去来する言い知れないデジャブに歯軋りをはじめた打ち止め(ラストオーダー)

 

 ああ――昨日の変人発明家も、こんな風に元気にしてるのかなぁ、と。

 何故だか懐かしさを感じさせる、その飄々とした少女の顔を思い浮かべながら。

 

 

 

   7

 

 

 

 何度季節が巡り、数え切れないほどの出会いと別れを繰り返してきても――それでも、いつまでも変わらずそこにあり続けるモノもまた、この世の中には存在する。

 世界を救った『ヒーロー』こと上条当麻は、そのことをよく自らの骨に刻んでいた。

 大事なモノは脳ミソではなく、この心に宿っている。

 彼は記憶喪失という重大なターニングポイントを経てきた経験からも、恒久的に変わらない信念や絆というものを、大人になった今でも疑わなかった。

 そして――変わらないものというのは、何もそのように格好よく高尚な話ばかりではない。

 

 例えば、そう。

 歪に絡まった運命から解き放たれ、『理解者』たるあの『魔神』の全盛期にも並ぶような、神にも等しい力を得たとある少女もまた。

 そんな波乱万丈なメガ進化などいっさいがっさい突き抜けて――吸引力の変わらないただ一つのつるぺたを持ち合わせる希少な人物だった。

 

「ふふふ、やっぱりいつの時代もワンピースが一番きゅーとでぷりてぃーなんだよ。馬鹿みたいに露出して周囲を魅了しようと企てるような子羊なんて、来るべき審判の時に主へ顔向けできないかも! ……ってとうま、何かこっち見ながら失礼なこと考えてない?」

「ん? いやいやー何でもありませんでございますよー? というかシスター辞めたくせにそのトンデモ説教癖は変わらないよな……」

 などとぼやきつつもポールにもたれて腕を組む上条の視線の先では、銀髪碧眼の少女が透明なマネキン型のハンガーに着せられたワンピース型水着を握り締めてはしゃいでいる最中だった。

 気安くハミングを奏でながら品定めしている彼女はおよそ十九歳前後という外見年齢だが、水着においては中学生向けショップのセブンスミストで十分事足りるレベルの幼児体型を維持してしまっている。

 もっとも、彼女が小柄なのは今に始まったことではない。

 脳内に収蔵した一〇三〇〇〇冊の魔道書を管理するため、元々極端なほどに燃費が悪かったからだ。

 

 ――その娘は、かつて禁書目録と呼ばれていた。

 彼女は今、何を隠そう上条自身の手によってその楔から解き放たれた状態にある。

 彼女を道具として弄んだ世界の暗部からその権限を奪い取った末に、清教側のステイル=マグヌスや神裂(かんざき)火織(かおり)のサポートを受けつつも――インデックスは現在ごく平凡な十字教徒として、学園都市のとあるミッション系大学に通っている。

 入学して早々あっさりと司書の資格を取得した優秀ぶりのおかげで、特別留学生という肩書きでありながらも大学内の古びた大図書館の新米秘書として奮闘中だ。

『書架の整理ってけっこう重労働なんだよ。こういう力仕事こそ機械の使い魔(アガシオン)たちに任せられたらいいのにね』

 と、細い腕にほんの少しだけ付いてきた力こぶを誇らしそうに見せ付ける彼女の笑顔は、保護者である上条にとって(もっとも同居は解消済みだが)ちょっと羨ましいぐらいに眩しいものだ。

(……『鼻唄ひとつで世界を壊せるような魔神の管理人が務まるのは、オティヌス無力化という実績も持ち合わせている幻想殺しくらいなものでしょう』って言われたときは、インデックスの人格を蔑ろにされたみたいで多少腹が立ったけど、あの交渉のおかげでコイツの自由が保障されてるんだからつくづくありがたいことだよな。親船さんには頭が上がらねえよ)

 もはやインデックスと呼ばれているこの少女は修道女ですらないが、立場と環境が大きく変わった今となっても、彼女と上条当麻の親密な関係性は変わらない。

 清楚な綿素材のワンピースに身を包み、肩甲骨あたりで切り整えた銀髪を揺らして楽しそうに水着を見比べている彼女の姿。それをこうして見守ることができるのならば、鬼門だったピンク色の水着売り場に付き添うことも、まぁ多少は悪くないかなと思える。

「それにしてもなー」

「? とうま、どうかしたの?」

「いや、お前が服とかの買い出しに俺を呼ぶなんて珍しいなって思ってさ。昔からその手の買い物と言えばオティヌスを連れて行ってたし、最近はよく美琴や姫神(ひめがみ)と遊んでるんだろ? こういうのって同性の友達と見に来たほうが楽しいんじゃ――」

「ふふんっ。だからこそかも」

 上条からの素朴な疑問に、インデックスは鼻を鳴らして答えた。

「女の子同士には見栄の張り合いや、負けられない戦いがあるってことだよ。どうせ夏にみことたちとぷーるに行くのは確定事項だし、お披露目は当日までのお楽しみにしたいかなって」

「なるほどな。まぁ、考えてみりゃ大学生にもなってローティーン向けの店で水着を選ぶヤツなんてお前ぐらいか」

「とうま! 一言余計かも!!」

 ほっぺたを膨らませてポカポカとこちらの胸を叩こうとしてくる少女を適当に宥めながらも、上条はふと視線を別のところに移した。

 何やら聞き覚えのある声が、そちらの方から聞こえてきたような気がしたからだ。

 

「――まったくもう、せっかく前々からチェックしてた水着がボツ喰らったおかげでまた選び直しだよ。ところで大体、お姉ちゃんはどこの試着室に行ったんだろうな?」

「あれ? ……ねぇそういえば、こういうところでの試着って、その、パンツとかどうするの? ぬ、脱いじゃうの? ってミサカはミサカは小声で訊ねてみたり」

「ばっ……、脱ぐわけないだろ常識的に考えて! にゃあにゃあ!! 大体水着の試着は――」

 

「あっ! 迷子の子たち! 久し振りかも! ねえ、あなたたちも水着のお買い物?」

「おい今どう見てもあいつら取り込み中じゃ――、……まぁいいか……」

 いつも通りの無邪気全開で年下の少女達に駆け寄るインデックスに、半分呆れながらも追従するツンツン頭のヒーローだった。

 

 

 

 その一方で。

 簡素なカーテンで外界から区切られた小さな空間にて、打ち止め(ラストオーダー)と同じく初の水着イベントに挑む、人類ふしぎ発見系女子フロイライン=クロイトゥーネ。

 彼女は現在、着込んでいた白のワンピースを無造作に足元へ落とした半裸の状態で、鏡に向き合ってきょとんと首を傾げていた。

 新雪よりも白い肌身に纏うのは、赤を基調としたクラシックなブラジャーとパンツのみ。雑味の混じった思考をいっさい映し出さない硝子玉の瞳は、その透明度をもって一層彼女のエロティックな無防備さを強調しているのだが、それを堪能できる輩はここには居ない。なにせ彼女は今、天下無敵の男子禁制空間にいるのだから。

 しかし、フロイラインにとってはその万全な機密性こそが問題だった。一大事だった。

(……、困りました)

 率直にそう判断する。

 なんといっても、世間ズレした自分の行動を制止してくれるような第三者が居ないということは――すなわち、彼女の生命線にして大好物の『情報』を提供してくれる当てが、どこにもないということなのだから。

(……下着は、脱いでしまって良いんでしょうか……)

 奇しくも同居人の打ち止め(ラストオーダー)が思い当たった疑問に、彼女もまた己の行動を阻害されているまっただ中だったのだ。

 随分長く生きてきたフロイライン=クロイトゥーネだが、ビキニ型水着の試着などはこれが初めての体験である。もちろん、学園都市の学生として暮らしはじめたこの数年のうちに、普通の衣服や下着を購入する機会は何度もあった。だから一応、彼女は試着という行為の作法自体には特別不慣れを感じてはいない。つまり今ぶち当たっている疑問点はそこではない。

 洋服でも下着でもない、そんなニュータイプっぷりがフロイラインの判別を攪乱させる。

 果たしてコイツは、『どこまで脱いだ上で試着する』のが相応しい衣服なのだろうか?

 例えば十九世紀に普及しはじめた水着の原型などは、水に濡れても肌が透けないような生地を用いただけで、形自体は普段着や肌着に似た物だった。ああいう水着なら普通の衣服の試着と同様に、下着を身に付けたまま着ることが望まれるだろう。サイズフリーなのだから細かい採寸を確認する必要もない。

 しかし今回はビキニである。

 ぶっちゃけ彼女にとってはいまいち下着との判別も付かないような、肌に直接フィットする形の小さい布地である。

 ブラジャーほどの厳密なサイズ規定が無いとはいえ、まさか試着しないでさっさと購入しても差し支えないものだとは言えまい。

(……あの子は、『試着してサイズを確認してこい』と言って私を送り出しました。だから……どっちにしろ水着は、今ここで着なければならない、はずですよね)

 しかし局部に直接触れるようなものを何の工夫もなく試着というのは、いささか問題があるように思える。

 なら、同じような形状である下着の場合は、どのようにフィッティングするのが普通だっただろうか。彼女は自らの記憶をさらに洗い出す。例えば去年の秋、修学旅行前に可愛いブラに新調しようということで、少女は打ち止め(ラストオーダー)と一緒に専門店まで下着を買いにきたのだ。

 あの時、パンツはいつものMサイズを選び、ブラジャーの方はとりあえずフィッティングルームの中で上半身裸になって試着した。そのことからフロイラインは、現代日本ではパンツの試着はタブーだがブラはオーケーなのだという限定的な知識を得ている。

 ちなみにその時試着したブラジャーは彼女には若干窮屈で、打ち止め(ラストオーダー)にそれを伝えたところ『ちょっとバストを測ってもらおう』と提案され、そのまま店員さんに肌着の上からメジャーを当ててもらった。『お客様のサイズはF70なので、このブラだとちょっとキツいですねー』という店員さんの一言に、打ち止め(ラストオーダー)が何故か膝を折ってその場で崩れ落ちていたのも、今となっては懐かしい記憶である。

 ――さて。

 単にシルエットだけで物を語るならば、このビキニとかいうヤツと下着は大変よく似ている。

 ならばこの場合、とりあえずブラジャーだけを取り払って上を着用し、パンティを穿いたままパレオを腰に巻く、といった行動が正解だろうか?

(……そういうことでしょう。いえ、そういうことにしましょう。あの子たちが見に来る前に、早く着替えてしまって――)

 ちょっと適当に結論を出しつつも、長く重たい後ろ髪を両手でかき上げたフロイライン。

 薄っぺらなカーテンの外から聞こえてくる喧騒に耳を傾け、彼女はそのままためらいなく――背中に引っ掛かったブラのホックを、指先でプツリと外してしまったのだった。

 

 

 

「――川遊び? ってミサカはミサカはマンガやアニメで定番の冒頭っぽく復唱してみる」

 なんでそこの元シスターがわざわざ水着を新調しているんだ、という素朴な疑問に答えた上条当麻の発するキーワードに、小柄な少女二人は首を傾げた。

「にゃあ。大体この街にはプールはあっても、水遊びできるような小川なんか無いんじゃないの?」

「だから『外』に行くんだよ。『古き良き田舎』ってイメージそのものを学園都市がまるごと作り上げた保養所が、地方にいくつかあるんだって話を聞いてさ」

 フロイラインの行方を追いかけつつ、万が一にもそこら辺に吊り下げられた水着に触れてきゃースケベーなどと叫ばれないように細心の注意を払いながら、上条は補足説明した。

 学園都市統括の権限が親船最中という女性に委託されて以降、この街の最先端テクノロジーは世界中の紛争や環境問題を解決するために動員されつつある。

 例えば国内においては――政府の援助が届かず廃れようとしていた過疎地帯を再開発して、そこの農作物や景観、自然物、そして風土そのものを高級ブランド化した。かつて若者達が抱いていた田舎に対する野暮ったいイメージを、『高価・安全・上質な憧れの地』へとすり替えて、この国の第一次産業の態様に一石を投じたのだ。

「さながら『高級過疎地(インテリビレッジ)』ってところかな? ってミサカはミサカは関心を示してみたり」

「まぁとにかく、夏休みの間にコイツと一緒に旅行でもしてきたらどうかって理事長さんが手配してくれたモンだからな。そしたらインデックスも新しい水着が欲しいって――」

「とうまとうま、この子たちも誘えばいいんじゃないかな? 定員数は特に無いって聞いてるし、旅はみんなで行く方が楽しいに決まってるんだよ。せっかくの楽しい旅行のメンバーが私ととうまとオティヌスとスフィンクスだけじゃちょっと勿体ないし」

 ちょっと前までは上条周辺の女性の影には極めて敏感だったインデックスだが、打ち止め(ラストオーダー)やフレメアについては大した危機感を抱いていないのか、比較的寛容な様子だった。

 ピクリ、と。

 鶴の一声に反応して両目をキラキラと輝かせだした二人の少女に圧倒され、上条は慌てて同伴の発案者へと向き合う。

「あ、あのなぁインデックス、滅多なこと言わないでくれよな? よそん家のお子さんを俺の一存で『外』に連れ出せるわけないだろ」

「えー!? ならあのしあげとか言う人や白い迷子の人に、とうまの方からお願いすればいいじゃない! 日本には便利なフレーズがあるでしょ!? 『娘さんを俺に(預けて)ください』って!」

「つまり俺一人でブチ殺されろと!? あーもう駄目駄目、子守りはお前だけで手一杯でごぜーます! はい無理!!」

「にゃあ、私行きたい!! 大体ズルいぞ上条当麻は!!」

「ごふぅ!?」

 不機嫌そうに声を上げながら、金色のつむじをグイグイと上条の胴に押し付けてくるフレメア。

 打ち止め(ラストオーダー)の方はさすがに物理攻撃こそしなかったものの、猫じゃらしにウズウズする子猫のしっぽみたいに揺れる頭頂のアンテナがその心情を雄弁に語っていた。

「ミサカ達も連れてって! 日頃冷淡なくせに保護者ヅラしてくるあの人の許可なんかこの際無視でいいから! ってミサカはミサカはおねだりしてみる!!」

「にゃあ! そうだぞ男なら大体強引に連れ出せ!! 川遊びさせろー! 素手でアユとか捕まえさせろー!!」

「やめて!! 浜面はともかく、お前ら相手にそんな勝手なことしたらマジで俺の首が一方通行(アクセラレータ)に撥ね飛ばされちゃう!! ちょっフレメア押すな押すなこのままじゃ倒れ――ッッッ!?」

 意外に強い力で脇腹あたりを頭突きされてバランスを崩した上条当麻の身体が、両手をわたわたと振り回しながらも横倒しに傾いていく。

 ……と、そのまま往生際よく倒れてくれた方がまだいくらかマシだったのだが。

 とっさに掴みながらも倒れ込んでいったとある試着室のカーテンは、当然ながら彼の全体重を支えきれず、安っぽいフックがいくつかブチブチと弾けてしまい――、

「ぶふッ!!」

「きゃっ、……?」

 

 ムニュ、というような擬音で。

 青年のツンツン頭は奇しくも、試着室の中で鏡に背を向け着替え中だったフロイライン=クロイトゥーネの胸部に受け止められたのだった。

 

「……、上条、当麻?」

「……うう、痛てて……ふが? なんか柔らかくも張りのあるクッションがきゃあああああああああああああああああああああああああァァァァァァァァァ!? ふっふふフロイラインさんアンタこんなトコでなんつー格好してんのォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!?」

「……その。……はしたないことは、良くないと思います」

 壁に投げつけられたスーパーボールよりも素早く跳ね上がった上条に対して、中途半端に引っ掛かっているカーテンに半身を隠しながらもマイペース極まりない調子で呟いた銀髪少女(半裸)。

 おっぱいがたゆんたゆんでお尻がぷりんぷりーん!! と思わず下世話なフレーズを連想してしまう程に、ちょっぴりダイナマイトに成長させ過ぎたあちらこちらのお肉が今なおカーテンの端から見え隠れしている。長い髪の毛がかろうじて覆い隠してはいるものの、ひょっとしてあの胸元は、今まさにブラを外していた真っ最中とかではなかろうか。

 呑気に赤面などしているよりも先に、血の気が引いて真っ青になってしまう上条当麻。

 バッと全力で目をそらした先には――しかしそれ以上に恐ろしい人々の姿が。

「……にゃあにゃあ。狙ったかのようにお姉ちゃんが居る試着室に突っ込んでいくなんて、やっぱり大体その右腕はさっさと斬り落とした方が良さそうだな?」

「まずはその鮮血で償ってもらおうかクズ野郎、ってミサカはミサカは全ての感情を殺して関節を締め上げてみる」

「待て待て待てこれは不可抗力だろというか押したのはフレメアの方だからな!? ぎゃああああああああすみませんでしたすみませんでした!! たっ助けてくれインデック……ハッ!? だっ駄目だアイツは四の五の言わずとっくに噛み付く準備を整えて――」

 そのまま飛び掛かってきた小柄な少女二人組に両腕をホールドされつつも、もはや蒼白の顔面で相棒の無敵魔神・インデックスを仰ぐ上条だったが、

「……ねえ、とうま? 私ももう一人前のレディーで、そのうえ五年間もとうまと一緒に居るから――そろそろ噛み付きよりももっと効率的で有益な『手段』を考えついちゃうかも」

「ヒィ寒気がするほど完璧なニコニコ笑顔!? やっやめてインデックス硫黄の雨降らせないで! いっそ存分に噛み付いてください! こう! ガブッと!!」

「まったくもう、仮にも敬虔な十字教徒なんだから、私にも慈悲の心ぐらいあるんだよ。今日はオティヌスがお留守番で良かったね? この私はとっても寛大だものね。だから――謙虚にフロイライン達へのお詫びの姿勢を見せてくれれば、ここは円満にまとめてあげてもいいかも」

「……ぐっ……! お前なぁ、足元見やがって……」

 満面の笑みで脅迫されて、固い唾を飲みながらも上条は渋々首を縦に振ることにした。

 仕方がない。

 少女たちの恥じらいと友情パワーの怒りをひとまず収めさせる。そのためには、結局のところ上条自身が保護者さん達に頭を下げて、夏休みの旅行の接待をしてあげる他にはないようだ。

 

 

 

 

 

「まぁ今さら何をしようと、不愉快なものは不愉快だし噛むものは噛むけどね! がぶがぶもが」

「一人前のレディーはどこ行ったごっがァァァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???」

 ……直後、両手両足をチビっ子たちに押さえ付けられた彼が万を持して痛い目に逢ったのは言うまでもないのだが。

 

 

 

   8

 

 

 

「――下品な乳袋ぶら下げやがってそんなにもぎ取られたいのかこんにゃろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおお!! ってミサカはミサカは憤怒の念をコントローラーに込めてみる!!」

「にぎゃあ!? ちっちくしょう子供め、大体上条当麻へのストレスを私で解消してんじゃないぞコラァああああああああああ!!」

 がちゃがちゃがちゃがちゃーっ!! と騒々しくぶつかりあう金属めいた音と共に、画面の中の敵キャラ(金髪爆乳白ロリアイドルコスチューム)が太いイナズマで撃ち抜かれる。

 いつの時代になっても間違った方向に近未来的なライトが光る空間・ゲーセンにて、打ち止め(ラストオーダー)は長身スレンダーな女ガンマンのアバターを操りストレス発散へと勤しんでいた。

 打ち止め(ラストオーダー)とフレメア=セイヴェルンには共通の趣味がある――すなわちゲームだ。

 晴れて風紀委員(ジャッジメント)の選考を通過した夜も、おでこにたんこぶが出来るようなケンカをした日も、彼女らはいつだって意気揚々と家庭用ゲーム機の電源スイッチを押してきた。デコボココンビの腐れ縁がここまで続いてきた要因、そのひとつがコレであることは言うまでもないだろう。

 ……ちなみに、打ち止め(ラストオーダー)がどちらかといえば爽快感やパーティとの連帯感を欲してゲームをするのと比べて、フレメアの方はもっとこうシナリオ重視で血とか臓物とか反社会的モザイクがドバドバ出てくる感じを好んでいる分、厳密なジャンルはいささか異なっている。

「うにゃー!! 大体今日に限って何回やっても勝てない! おい子供、本当に能力使ってズルしてないんだろうな!?」

「己の運と実力の不足を人のせいとは片腹痛いなふははははー!! ってミサカはミサカはさらに連打を仕掛けてみたり!」

「フレメア、上からの射撃に気をつけないとダメです」

「ちょっ!? お姉ちゃんってばそっちにばかり味方しちゃ駄目! カモンこっちカモン! ってミサカはミサカは慌ててみる!!」

 筐体の影からひょこりと頭を出す銀髪の少女は、大抵こういう時は実況役に徹している。

 彼女はゲーム自体には興味津々(というか彼女の性質としては本来、ありとあらゆる情報に知識欲を禁じ得ない)なのだが、どうも自分でプレイするよりは他人が楽しんでいる姿を観察する方が好みであるらしい。

 規則的なコマンドの配列やモーション、さざ波のようなドットのパターンを眺めて『学習』する行為は、彼女の昆虫じみたシンプルな思考方法とは中々に相性が良いようだった。

 コンティニューの硬貨をちゃりんちゃりんと突っ込みながら、ベレー帽をかぶり直したフレメアは新たな話題を探す。

「にあー……。にしてもアレだ、お姉ちゃんは相変わらず上条当麻にはゆるゆるに油断しきってるんだな。ハダカ見られてもただきょとんとしてるだけってのは女の子としてどうなんだって話だよ」

「? はぁ。私がどうかしたのでしょうか」

「……お姉ちゃんにとっても上条当麻は特別なポジションにいる人物なんだろうし、警戒が薄いのも道理にかなってるんじゃないかな、ってミサカはミサカは約一万人もの下位個体の日頃の態度を想起してみる」

「そんなもんか? にゃあにゃあ、私とはオトメゴコロの基準ってヤツが違うなぁ……。でもまぁ、新しく夏休みの予定も出来たことだし、大体お姉ちゃんさえアレを気にしてないのなら結果オーライとも言えるけど」

「『外』に出るのはミサカも久し振りだから楽しみかも、ってミサカはミサカはなんだかんだで購入できたおニューの水着に思いを馳せてみたり!」

「……みずぎ……」

 目まぐるしく更新されていく大きな画面を見つめて、吐息のような細い声で復唱するフロイライン=クロイトゥーネ。

 世間一般の常識に疎い彼女にとっては、下着と水着の違いなどは極めて曖昧かつ不可解なものであるらしく、

「水着は、好きな人に見せびらかすためのものだって聞きました。それでも、水着と酷似しているはずの下着は、やっぱり隠すべきなんですね。……水辺にいるかどうかの違いでしょうか?」

「……、だーいぶ斜め上なお姉ちゃん的解釈が飛び出してきてミサカ困惑気味だけども、ってミサカはミサカはどう説明したものか頭を抱えてみる」

「お姉ちゃんは大体、私達が恥ずかしい目に遭うことには異様に敏感だけど、自分については無頓着すぎるんだよなー……」

「ん。水着は、はしたない格好じゃない。覚えました」

 ふんすと小さく鼻息を漏らして胸を張る彼女に、掛ける言葉がいまいち見つからない打ち止め(ラストオーダー)である。

 知らないことにも臆せず、(物理的に)喰らい付いていくフロイラインは、ある意味この無気力な現代社会においては貴重なバイタリティの持ち主なのかもしれない。

 ローディング画面に映るフレメア=セイヴェルンの顔は、まるで幼い子供の何気ない一言に感銘を受けた母親のようにしみじみと目を細めている。

「好きな人に見せびらかすもの……かぁ。お姉ちゃんも結構的を射たこと言うもんだな。にゃあ!」

「……世の中すべての乙女が、お子様みたいな露出狂だとか思ってンじゃねェぞ、ってミサカはミサカは軽いジャブを打ち出してみたり」

「どこぞの黒夜みたいなこと言うな! 大体、そんなこと言いながら子供はどうなんだ子供は! 保護者とケンカしてまで『外』に行くってことはつまり――あの真っ白いのに水着デビューを見てもらえないってことになるんだぞ!?」

「ぐぬうッ!?」

 バトルスタートと同時にフレメア側から放たれた一撃に、打ち止め(ラストオーダー)のアバターは回避のため大きく仰け反る。

 精神攻撃とはおのれ卑怯な、と歯噛みしながら長身女ガンマンは白ゴス巨乳アイドルの足元を狙って散弾をばら撒いていった。テンガロンハットの影にクールな顔付きを隠したキャラクターとは裏腹に、プレイヤーの少女の顔面は一気に茹で上がっていく。

「べべべべ別にどうだっていいしぃ!? あっああああの人の存在なんかこれっぽっちも! 微塵もっ! 意識とかしてなかったしーッ!? ってミサカはミサカはガタガタ震えて主張してみる!!」

「ふっ……、フハハハハ! 大体、こちらの予想以上に効果はテキメンのようだな! オラオラ脇がガラ開きだぜぇ! そんな貧相なボディじゃ『あの人』もさぞやガッカリだろうなー! にゃあにゃあ!!」

「だっ誰が独特なシルエットやねん! ってミサカはミサカは妙な過剰反応を禁じ得なかったり!」

「にゃあ、いい加減素直になったらどうだこのツンデレめ。露出狂とか猥褻物陳列罪とか言っておきながら、内心そっちも意中のヤツだけに肌を見せたくて仕方ないんだろ! あわよくば『もォその姿は俺以外に見せンじゃねェぞ。……拒否権、ねェかンな?』『はゎわわわ、ってミシャカはミシャカは』みたいなお寒い展開でも期待してたりしてなー! はっはっは!!」

「そっそそそそんなわけあるかコラあああああああああああァァァ!! ってミサカはミサカは全力で拳を振りかぶってみる!! というか! そもそも前提がおかしいだろうが! 品行方正な風紀委員(ジャッジメント)たるこのミサカにあの人なんかが釣り合うとでも思ってるわけ!? あんなっ、あんなっっ、痩せっぽっちで不良でコミュ障でいやらしい声してていつも変な服着てる人のことなんかミサカはどうでも――ッ!!」

 

「へェ。奇遇だな、俺も勘弁願いてェぜ、オマエみてェな口うるせェヒス女のお相手はなァ」

 

 ビシリ、と。

 いつの間にか背後で立ち塞いでいた学園都市最強の超能力者(レベル5)から掛けられた声に、その場の空気が凍った。

「……だ、大体いつからそこに……にゃあ」

「ぁ、あああああ、ぁ……あなた……? ってミサカはミサカは硬直した頬を無理に動かして……」

 ぎちぎちと音が鳴るようなぎこちなさで背後を振り返る二人だったが、見るからに不機嫌そうな第一位はただ一点――打ち止め(ラストオーダー)のみを見つめながらこんなことを言い出した。

「だがまァ細かいことは聞き逃してやる。正直、それどころじゃねェってのが現状だしな」

「……ど、どういうことでございますかそれは、ってミサカはミサカは」

「来い」

「うぉわっ!?」

 四の五の言わずに手首を鷲掴みにしてきた一方通行(アクセラレータ)の掌によって、打ち止め(ラストオーダー)の身体は備え付けの椅子からベリッと引き剥がされる。

 そのまま長身の彼に手を取られて連行されようとしている少女の姿は――見ようによっては、やや強引なエスコートを受けている令嬢風にも解釈できる。

「えっ、えー!? きゃー! ぎゃー! 何が目当てだこの誘拐魔ー!! ってミサカはミサカはネットワークで手近な個体にヘルプを要請してみるけど何故か繋がらなかったり!?」

「あァそれな。大方、クローンども全員にオマエとのネットワークの接続そのものを拒否られてンじゃねェの?」

「アイエエエエ!! ナンデ!? ボッチナンデ!? ってミサカはミサカは――ぎゃあああああ助けてお子様お姉ちゃぁぁん!! 拉ー致ーらーれーるぅぅぅうううううううううううううう!!」

 ズルズルと踵を引きずる音を立てながらも、筐体の前の友人に手を伸ばす打ち止め(ラストオーダー)だが、

「そこのガキども、お楽しみのところ悪りィがな――借りてくぞ」

「……ッ、いえっさー! にゃあ!!」

 拒否権ナシの眼光に一瞥され、ただコクコクと首を縦に振るばかりのフレメア。

 杖つきのくせに長いコンパスを生かして早歩きを披露する一方通行(アクセラレータ)に、少々どころではなく乱暴な扱いでグイグイ引っ張られていく打ち止め(ラストオーダー)

 もうちょっと粘れよお子様ぁぁあああああああ――!! と新米風紀委員(ジャッジメント)は最後まで力無く喚いていたが……そんな二人を止められる機転の利くような勇者など、まずこの場には存在しなかった。

 

 

 

 

 

 嵐が去った後のようにしばらくの間静まり返っていたゲームセンターの一角に、ふと、人工的に造られた青年の声音が響く。

『……何があったんですかね、アレ』

「……どうせ、大体また私には理解できないよ。あの人たちのやる事なんてさ」

『? あなたにまだ、最終信号(ラストオーダー)について理解できないことがあるのですか?』

「にゃあ、そりゃあるよ。――大体、私達は『友達』なんだ。あの『家族』とは、立ち位置がまったく違うんだし」

 タイミングを見計らって鞄からゴソゴソと這い出してきた白いカブトムシに、フレメア=セイヴェルンは諦念の眼差しでそう応じる。

 そうだ。どうせ私には理解できない。だからこそ彼は何の説明も無く打ち止め(ラストオーダー)を奪っていったのだろうし、実際、第一位はそれだけの無茶を通す理由も実力も有しているのだから。

 最終決戦を経て、神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの(SYSTEM)という頂を一度は垣間見て――それでもなお、彼の原動力はいつだって、彼女を救うためにある。

 結局それが、切っても切れない親御さんとわがまま娘の関係なのだ。

『親友』と言えど、そこを邪魔するわけにはいくまい。

「にゃあにゃあ、ヤツのお手製鍋が食べられるのはまた後日ってことになりそうだ。残念だったなお姉ちゃん――」

 諦めというには妙にスッキリした笑みを浮かべて、側に立っていたフロイラインの顔を見上げるフレメアだったが……、

 

「……いいえ、十分間に合うはずです――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「だっ大体久々に見たぞその顔!? にゃ、にゃあああカブトムシ! 止めて止めてお姉ちゃんの絵面と人目がかなりヤバい!!」

 

 チーズのような質感でするりと開くフロイラインの大きな顎を隠すべく、フレメアの肩にとまっていたカブトムシはとっさに擬似的な壁を展開した。

 ドッ……! と、空気を押し割る音と一緒に構築される白いドームに、周囲の一般学生たちはビクッと肩を震わせる。が、銀髪の美少女がクリオネばりに顔面を変形させつつ佇む姿を拝むよりは、未元物質(ダークマター)の登場に驚かされる方が精神的にまだマシな部類だろう。

 そんなわけで急遽築かれたこの安全地帯の中、フレメアは目前の突沸寸前不死ガールの両肩を掴んでしばしの説得を試みることにした。

「落ち着いて! 大体、クールになるんだお姉ちゃん! 冷静に考えてあの人があの子供の害になるようなことするわけ無いだろ!? にゃあ!!」

「そんなこと言ってる場合じゃないんです、さっき購入したあの参考文献には『真に友を思うのなら、ポッと出の男に攫われるだなんてクソッタレな展開に流されるな』とありました。いわく、取られる前にタマを獲れ、と」

「いやその理屈はおかしい!! というか大体捨てちまえそんなクソレズ小説!!」

「大丈夫ですフレメア。私はすでに、あの子の体表面から微弱に発せられる電磁波を追う『機能』を完全なものとしていますから。必要ならばあの子のお腹の中を苦痛なく掻き出し、汚い遺伝子を残さず排除する事も。ぶいぶい」

「中に誰もいないッ!! お姉ちゃん、今日はもう退こう! リアルグロゲーにはさすがの私も大体背筋が冷えるし! にゃあにゃあ!!」

 

 手足を振り回すフロイラインとそれを抑えようと藻掻くフレメアの攻防は、その後、騒ぎを聞きつけた警備員(アンチスキル)が白いドームを銃火器の先端でゴンゴンとド突きはじめるまでの十数分間、延々と続くこととなるのである。

 

 

 

   9

 

 

 

 走る。走る走る走る。

 一方通行(アクセラレータ)の細い手に右手首を掴まれて繁華街の人波を逆流する打ち止め(ラストオーダー)。そんな彼女の今の心境は、一言で言うと超テンパっていた。

 彼の愛用する杖の先端は、どこか苛立たしげにガッガッとアスファルトを削る。それに合わせて機械のように単調な歩みを刻む革靴を、半歩後ろから追い掛ける――いや、むしろ引きずられているに等しい――安全靴特有の音鳴り。

 休日の人混みの中においても妙に目立つその歩幅のリズムは、バクバクと破裂しそうな少女の心臓の鼓動を余計に煽っているようでもあった。

「わ、ちょ、待っ……! な、何が起こってるのかは知らないけどっ! 拉致にしたってもうちょっと優しく出来ないかな!? ってミサカはミサカは掴まれた手首を引っこ抜こうと必死に、身じろいでっ、みたり……ッ!!」

「……、チカラァ使って昏倒させたり手足ふン縛って搬送したり、ひと通り考えた案の中じゃこれでも最大限の厚遇のつもりなンだがなァ」

「ぐっ……!! な、ならせめて女性に対するエスコートらしく、何かロマンを感じる誘い文句や台詞の一つも言ったらどうなの! ってミサカはミサ」

「黙ってろ。舌を噛むぞ」

「…………………………………………、」

 そういうアクション映画的なロマンじゃねぇよ。

「うらあああああ離せこの野郎ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! おのれエンダーマンみたいな体型しやがって!! ってミサカはミサカはやぶれかぶれの精神攻撃に転じてみる!」

 もはや新米風紀委員(ジャッジメント)の心境はヤケクソ一色だった。

 絶叫しながらブンブンと腕を上下に振り回す彼女に、一瞬だけ振り返ったその青年の眼光は冷ややかで。

「オマエのパーツも一ブロック引っこ抜いてやろォか、物理的に」

「い、いちいち腹立つぅ! そもそもなんで理由も言わないまま連行な訳!? ってミサカはミサカはここに来て当然の疑問をぶつけてみたり!」

「自分が今までしでかしてきた事をよォく振り返ってみやがれ。オマエから手を離したらどこに行くか分かったモンじゃねェ。鼻先にニンジンぶら下げられたら地球の裏側まで走っていきそォだしな」

「花の乙女になんて酷い例えを!!」

 ……とは言ったものの、幼少期に主治医のポケットマネーで遊園地に豪遊しに行こうとしたり、はたまた交戦中の第一位を放って七色焼きそばや射的に夢中になったりと、彼の言葉を強く否定できない程度には打ち止め(ラストオーダー)にも前科が存在するのだった。注意力散漫というかなんというか、昔から猪突猛進を地で行く少女である。

 だからまぁ――そういう人間が今日に至るまで平穏無事に成長できたのも、ある意味あのヒーローのようなお人好しが数多く存在する、この平和な世界の象徴なのかもしれない。

(……もう、何なのまったく、ってミサカはミサカは……)

 いやに熱っぽい自分のほっぺたに左手でなんとなく触れながら、すぐ目の前にいる一方通行(アクセラレータ)を再び見上げる。

 もはやこちらのことなどちらりとも顧みない彼の横顔は、少し長めの白い髪に隠されて表情が読み取れない。

 これだけ間近で観察するのは数ヶ月ぶりぐらいになるだろうか。その容姿は、目鼻立ちこそ整ってはいても男前とは程遠く、ある意味女性的にさえ映る。もっとも、五年前とは違い今はずいぶん健康的な体格に成長しているため、もはや初見で彼の性別を間違えるような人はそうそう居なさそうだ。

 喧騒の中を切り込むように突き進んでいく二人の姿は、道行く学生たちの注目の的だった。

 奇っ怪な二人組を怪しむ大多数の視線に混じって――ごく少数だが、少女たちの好意的な眼差しと黄色い声がちらついている。それを見逃すほど打ち止め(ラストオーダー)は鈍感ではない。ましてや、それを『皆に怖がられてた昔とは大違いね』と安易に喜べるほど心優しい聖母キャラでもない。

 みっともない嫉妬だと、自覚はしている。しているが。

(……どうせみんな、この人の素顔なんかなーんにも知らないくせに。ふんっ、せいぜい外見に騙されて勝手なイメージにポーッと浮かれているが良いのだ、ってミサカはミサカは心中で不特定多数の人間に八つ当たりしてみたり!)

 つまらなそうに街中を歩いているコイツの本性が、いったいどれだけ偏屈でデリカシーが無く意地悪なことか!

 悠長に見惚れているそこらの女の子たちに、ある事ない事を大声で言いふらしてやりたいぐらいだ。現在進行形で彼に振り回されている打ち止め(ラストオーダー)は、ついついそう思ってしまう程度にはトサカに来ている。

 ……しかし、だ。

 細く均整の取れた彼の全身が、たった一人の少女のためにこれまで何度傷付いてきたのか。すれ違う人たちの目を惹くその澄まし顔が、雪原の中心で彼女を守ろうとしていたあの時、どれほどまでに痛切な表情を浮かべていたのか。

 そんな彼の隠された本質を知っているのがこの中で自分ひとりだけなのかと思うと、何やらちょっとしたトキメキが――いやいやいやいや。

「べっ別に! そのギャップがむしろ良いとかそんなこと全然思ってなんかないんだからね! ってミサカはミサカは言い訳してみる!!」

「どォした。ついにイカれたか」

 一人悶々としていた打ち止め(ラストオーダー)に、氷柱よりも冷たく鋭い一方通行(アクセラレータ)の言葉がザクッと突き刺さる。

 そのツッコミで一気に現実世界への強制帰国を余儀なくされ、彼女はぷるぷると頭を振って顔の火照りをどうにか吹き飛ばそうとする。

 長い大通りは二股に分かれる形で途切れており、そのまましばらく歩いて行くと段々と人の気配も疎らになってきた。

 薄闇に溶け込むように自然な素振りで、彼は少しずつ細くなる道の分岐を迷いなく進む。先ほどまで不整脈に拍車を掛けていた人目が無くなったことで、彼女はひとまず心の平静を取り戻すことに成功していた。

 手を引っ張られるそのスピードになんとか歩幅を合わせつつ、改めて斜め上の顔をキッと鋭く睨みつける。

「と、とにかく! いったいどこに行くつもりなの、ってミサカはミサカは今さら感あふれる問い掛けをしてみたり!」

「あァ。例の病院か大学内の研究室……その辺りが理想的だったンだがな。生憎と、そこまで悠長に散歩してる暇はなさそォだ」

「えっ?」

 病院? 研究室???

 体調も悪くないし、定期検診という名のメンテナンスは先月済ませたばかりだ。それなのに、なぜ今そんな所に行く必要があるのだろうか。

 ぱちくりと目を丸くする少女を無視して、曲がり角を少し進んだ先の裏路地でふと立ち止まる一方通行(アクセラレータ)

 彼はそこで少しだけ周囲を見渡したかと思うと、脇の下に収まっている黒いカバンを顎で示して言葉を続けた。

「最低限の準備はしてきたことだし、多少安っぽいベッドにはなるが、ンな贅沢も言ってらンねェか。――ここで良い、手短に済ませるぞ」

「へ? ここって、どこのこと? ってミサカは……」

 疑問を紡ごうとする彼女に、しかしそれ以上の説明はなく。

 

 流れるように階段を登り、小さめの自動ドアを通過して、中学生の少女を引きずり込んだその先は――何の変哲もない、どこにでもあるビジネスホテルのフロントだった。

 

「……、やっ……」

 うぃーん、と目の前で虚しくも閉まってしまった機械仕掛けの扉。

 背筋を走る電流のような戦慄に、彼女は思わず我を忘れて雄叫びを上げた。

「やばいと思ったが性欲を抑えきれなかったっ!? ってミサカはミサカはあまりの驚天動地でとっさに逃げ出してみたり――ッ!!!???」

「叩きゃ治るか? その頭」

 青ざめた顔で逃亡を図るも首根っこを掴まれ、その場であえなく御用となる情けない風紀委員(ジャッジメント)の図がここに完成したのであった。

 

 

 

「一部屋空けろ。今すぐにだ」

 予約分ですでに満室だと訴えるフロントの青年をなんとも穏やかでない口調で黙らせた一方通行(アクセラレータ)に、この小さな一室まで連行されたのがつい三分ほど前のこと。

 手荷物と一緒にベッドの上へとポンと投げられた打ち止め(ラストオーダー)は、現在真っ青になってガクガクと身震いしていた。

 部屋に入るなりカバンを開けてタブレットを手に何やら作業していた第一位だったが、どうやらそれも一段落ついたらしい。薄い吐息と共に、彼はくるりとこちらを振り返る。

「……、さて」

「こっ、来ないで! ここここんな所に女の子を連れ込んでナニをどうするつもり!? ってミサカはミサカは準備(意味深)を終えたらしきあなたに毅然と立ち向かってみる!!」

「随分腰の引けた毅然っぷりだな」

 穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めた伝説の戦士もかくやといった感じで勇ましく前髪に帯電(スパーキング)させる少女ではあったが、その下半身は器用なことに尻もちをついたまま後ずさりしている。

 狭いベッドには彼女が逃げ回れるようなスペースなど無く、無駄なあがきは思いっきり伸ばされた一方通行(アクセラレータ)の腕によって即座に縫い止められてしまった。

 ダァン!! と。

 彼女の左耳スレスレの所で、彼の薄い掌がさながら槍で貫くように壁を叩く。

「ひっ!? か、壁ドンは隣近所への迷惑になるから控えていただきたいかも!! ってミサカはミサカは――」

「つまンねェことでハシャぐな。……手元が狂うだろォがよ……」

「にょわぁぁぁあああああ――!!!???」

 クリーム色の壁際まで追い詰められた哀れな子羊に、彼は何事か囁きながら顔を急接近させてくる。

 あわやミサカの純潔もここまでかと半泣きになる打ち止め(ラストオーダー)。その目と鼻の先に迫ってくる怪物の真っ赤な瞳に思わず息を呑む彼女だったが、ほっぺにサラリと掠めていったもう片方の手の感触が再びダイレクトな現実感を突きつけてきた。

 白く細い指がそのまま髪のすき間に潜り込み、彼女が愛用しているうさぎ型のヘアピンをそっと抜き取っていく。

(えっ? ええぇっ!? これ、もっももももしかして、こっ、恋人どうしが営む、あの、俗に言うベーゼの瞬間が迫って――!?)

「何て顔していやがる、目ェ閉じろ」

「むむむ無理! 無理だから!! ってミシャカはミシャカは激しく動揺してみたりっ!!」

 頭にカーッと血が昇り、めまいがする。

 安いホテルでも防音設備が完璧なあたりさすがは学園都市製といったところか。生活音ひとつ聞こえてこない一室の中で、今はただ自分の心臓の鼓動と彼の息遣いばかりが耳に響いて、いたいけな小娘にはもうなすすべも無い。

 身じろぎ一つできない少女のウブさを嘲笑うように、マネキンよりも冷たく無機質な一方通行(アクセラレータ)の顔が近付く。新品の匂いがする黒いジャケットが擦れる音が迫ってきて――おとなのいろけ? そんなフレーズがふと脳裏をよぎったが何だそれは。食べられるのか。

 はちきれそうになる胸の鼓動に耐えかねて、彼女はぎゅっと目を瞑り叫んだ。

「……や、やっぱり駄目ぇえええええええ! いくら家族同然の仲と言っても、そういうことはまず清き交際を経てから――ッ!!」

 

 カチャッと軽い音を立てて。

 ふと気付いた時には、一方通行(アクセラレータ)の手によって、なんとも色気ゼロなヘッドギアらしき機械を頭から被せられていた。

 

「……さっきからウダウダと何言ってンだ、オマエ?」

『――、心拍血圧がやや高めね。まぁ、これは例によって思わせぶりな態度を取るあの子が原因のようだけれど』

「えっ、あ、あれ? ベーゼは? というか……」

 予想外にいつもどおりな一方通行(アクセラレータ)の文句。

 それに混ざって、視界を覆うヘッドギアから聞こえてきたその声に、動揺しきっていた打ち止め(ラストオーダー)の混乱は単純な疑問符へと姿を変える。

『一ヶ月ぶりね。まさかこんな形でコンタクトを取ることになるとは思わなかったわ、最終信号(ラストオーダー)

「……ヨシカワ? って、ミサカはミサカは呼び掛けに応えてみたり……」

 

 

 

   10

 

 

 

 そもそも。

 第一位がその情報を手にしたのは、番外個体(ミサカワースト)を回収するために立ち寄った風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部で鉢合わせた『木原』の少女からの一言がきっかけだった。

『確証があるわけじゃないけど……第三次量産計画(サードシーズン)のお姉さんのAIM拡散力場をこの目で観察して、一つだけ、引っかかったことがあるんだ』

『あん? ミサカの?』

『……うん。御坂ちゃんの……いや、ここでは最終信号(ラストオーダー)って呼ぶべきかな? 彼女特有のそれと完全に同一なようでいて、お姉さんのAIM拡散力場は少しだけ形が違う。最初は単なる個体差かと思ったんだけど……ミサカネットワークの構造について考えていたらすぐに、昨日最終信号(ラストオーダー)ちゃんに抱いた違和感に思い当たったんだよね』

 打ち止め(ラストオーダー)の発するAIM拡散力場の形が、いつもと僅かに違う。

 木原那由他がその『違和感』を察知したのは昨日の最終下校時刻過ぎに打ち止め(ラストオーダー)と直接顔を合わせたタイミングだが、具体的にいつからそれが変質していたのかを知る術はない。

 自分が最後に彼女のAIM拡散力場を観測したのが一月以上は前のことなので、その期間の中に起きたはずの『変質』の原因を特定するのは、困難を極めるだろう。

 ……と、事情に疎い那由他はそう思っていたようだが。

『あのガキは定期的に、新しく見聞きした雑多な情報ごと自らの人格データをミサカネットワークに保存(セーブ)していやがる。そォだろ、番外個体(ミサカワースト)

『よくご存知で。現在の最新データは五日前のものだよ。非正規個体にすぎないこのミサカにも閲覧許可を与えちゃってる時点で、かなり間抜けな作戦の気もするけど。まぁ、バックアップと同時に全体のシステムスキャンも行っているから、少なくともそれまでに何らかの「ウィルス」が紛れ込んでる可能性は無さそうかね』

『……つまりは、人為的なモノが原因だとしたら、そいつはこの五日間のうちに仕込まれた可能性が高いってワケだな』

 木原那由他いわく、彼女が目視できる妹達(シスターズ)特有のAIM拡散力場の形状は、薄く細い紐が四方八方に延びて『網』を形成しているようなものらしい。

 その『網』――すなわちミサカネットワークの中に見つけた、とあるイレギュラーな反応。一方通行(アクセラレータ)番外個体(ミサカワースト)は、その現象を人為的なもの、すなわち『ウィルス』と断定した。

 

 整然とした形のあみだくじに、赤いペンで勝手な横線を付け足されたように。

 木原那由他が番外個体(ミサカワースト)から見つけた『異質な紐』は、そのたった一本のみで、何らかの大きな影響をネットワーク全体に与えているようだった。

 

 

 

 

 

(一見すると雑な介入だが……一〇〇〇〇人の脳を利用した複雑な並列演算ネットワークに、狙い通りの影響を及ぼす『一本のコード』を外部から、それも、ここまでの短期間で繋げられたわけだ。……目的は読めねェが、間違いなくただの馬鹿どもにゃ不可能な手際だろォな)

 長い回想を打ち切り、学園都市第一位の超能力者(レベル5)は狭いホテルの一室でふと顔を上げる。

 第一七七支部での情報交換を済ませた直後に、第五位に接触したミサカ一〇〇三二号から伝わってきた警戒令によって、彼は自身の具体的な策を決定することが出来た。

 無意識の領域を舵取りされて上位命令を送り続ける打ち止め(ラストオーダー)を確保して、早急に『治療』を受けさせる。先ほど打ち止め(ラストオーダー)を四の五の言わさず強引に連れ出したのは、そのウィルスが具体的にどう作用するものなのか、まだ完全には判明していなかったからである。

 例えば、『自分がウィルスに侵されている』という自覚などをトリガーに全個体を暴走させるようなギミックが仕込まれている、そのような可能性だって無いわけではない。彼女が表層的にネットワークから離脱して遊び呆けている隙にほぼ全ての妹達(シスターズ)のログアウトは完了させていたが、念には念をということだ。

「……ううー。頭が、くらくらする、ってミサカはミサカは……」

 研究所にいる芳川桔梗(ききょう)による遠隔操作で即興のワクチンプログラムを入力されていた打ち止め(ラストオーダー)が、ヘッドギアに片手を当てて目の上へとずらしながら身を起こそうとする。

 通常、大型の専用機材と学習装置(テスタメント)を必要とする脳内情報の書き換え。それを、何の変哲もないホテルの一室で行えるまでに簡素なモノへと改造しているのだ。

 人格データの破損を防ぎ、精神への負荷をここまで最小限に押さえ込めるのは芳川や一方通行(アクセラレータ)の技術力ゆえだが……多量の情報交換によって酷使した脳の疲労感だけはどうしようもない。

「起き上がンな」

「ふえ……?」

「今はまだウィルスの稼働を食い止めただけだ。書き換えられた情報をクリーンアップするのには、もォ少し手間がかかる」

 だから今は寝てろ、と両肩を掴んでベッドに横たえさせたその少女は、余りある眠気ゆえか不思議なほど険の取れた表情を浮かべていた。

「……、終わった、の……?」

「九割方はな」

「そっか……って、ミサカは、ミサカは、納得してみる」

 ふにゃりと、眉尻が下がる。

 ここ二年ほどはまともに見る機会が無かった。過度な意地っ張りも恥じらいも抜け落ちた、彼女本来の柔らかな顔つきだった。

 

 それを真正面から見つめた第一位が、この時何を思ったのかは――きっと彼にしか理解できない。

 

 うつらうつらと瞼を下ろしはじめる打ち止め(ラストオーダー)に取り付けられたヘッドギアから……ではなく、今度は一方通行(アクセラレータ)が手にしていた端末から、聞き覚えのある声が発せされる。

『――後処理はキミに任せた方がいいかしら? 負荷の大きな遠隔操作よりも、キミの能力で細かな修正を掛けていく方が、その子の疲労も少ないでしょうし』

「あァ。……手間ァ掛けたな、芳川」

『コードはそちらの端末に送っておいたわ。まぁ、キミならわたしに指示を仰ぐまでもなく処置できるでしょう。それよりも、この五日間に彼女の人格データが書き換えられた形跡を探ってみたのだけど……』

「〇件だろ。予想はついてる」

 吐き捨てるような彼の返答に、あら、と意外そうな声音でリアクションを示す芳川桔梗。

 メンテナンスにしろウィルス注入にしろ、打ち止め(ラストオーダー)の脳に学習装置(テスタメント)などの強行手段を用いて干渉した場合、ネットワークには必ず何らかの痕跡が残る。それを逆算することで、彼女は打ち止め(ラストオーダー)にこの『ウィルス』を仕組んだ手段や犯人を割り出そうとしたのだ。

 が、一方通行(アクセラレータ)の予想通り、大胆不敵に見える今回の『敵』も、やはりただの向こう見ずではないようだった。

『ということは――』

「これは、新たなソフトをインストールする形のウィルスじゃねェ。このガキにハードウェアの設定ごと自主的に書き換えさせるための、『洗脳』だ」

 精神系能力者の頂点である第五位の見立て通り。敵はおそらく、機械ではなく能力、あるいはそれに準ずるスキルを使って彼女の脳に直接干渉した。

 大掛かりな機材を使わない『洗脳』という手段ならば、この五日間に彼女とすれ違った大勢の人間すべてに疑いの目が向けられる。

 話術のみで人を狂い殺すことが可能な人物なら、彼の知り合いにも存在する。また過去には、共感覚性を利用して、一人の科学者が音楽データのみを媒体に一〇〇〇〇人の脳を統べる事件が発生したこともあった。

 つまり、洗脳する手法自体は特に問題としてはいないのだ。

 むしろ今重要なのは、

(……どこの格下が何のために、風紀委員(ジャッジメント)や俺に睨まれるリスクを侵してまでこのガキに干渉したのか。それを掴めねェままただ洗脳を解いたところで、敵の『目的』が消えねェ間は無意味だ。またすぐにこのガキが狙われて、道具みてェに利用される)

 数年前までの彼ならば――そのことが理解できた時点で、制御の利かない怒りと自責の念にただ身を焼かれているだけだったかもしれない。脳の中心を突き破るような激情のままに、学園都市が産み落とした怪物として、阻むもの全てを分別なく徹底的に破壊しようと暴れていたかもしれない。

 だが、今の彼は違う。

 左手の指先で弾いた電極のスイッチ。そのチカラは今、見えない闇を蹴散らすための得物ではない。

 すっかり疲れ果てて寝息を立て始めている、目の前の少女に触れて守るための、優しい手段だ。

「むにゃむにゃ……ベーゼ、は、みずぎ、おひろめしてから、なんだから、ね……? って、ミサカは、ミサカは……」

「……お気楽そォで何よりだ」

 何やらもごもごと唇を動かす打ち止め(ラストオーダー)の額に触れて、能力を発動させる。

 芳川から送信されたコードを参考にしながら、先ほどの荒療治で彼女の脳内に発生した少量の不要データを検証し、処分していく。数々の激戦を乗り越え、ベクトル制御技術を極限まで研ぎ澄ましていた彼にとって、それは片手間で処理できてしまうような単純作業だった。

 カチャリ、と。

 強固なはずのオートロックを難なくこじ開けて、スポーツウェアのような揃いの服装をした三人の少女がホテルの一室へと足を踏み入れてくる。

 芳川桔梗との音声通話は、いつの間にか丁寧に切断されていた。とはいえ第一位の表情にさして変化はない。侵入者たちの正体は、嫌と言うほど良く知っていた。

 統括理事会から直々に派遣されてきた()()()()()()()()()()()()たちは、視線を合わせた一方通行(アクセラレータ)に対してあいさつ代わりにゆったりと敬礼のポーズを取る。眠っている打ち止め(ラストオーダー)に気を遣ってか、その振る舞いはいつになく静かなものだ。

 打ち止め(ラストオーダー)の意識が消えたタイミングを見計らってきたのだろう。()()()()()()である第一位に対する敬意はゼロだが、それでも、裏社会の人間としてそれ相応にはTPOを理解している少女たちだった。

「……こっから先は、ウザってェ『親衛隊』連中の管理下、か」

 そう吐き捨てた第一位にも臆することなく、中心に立つ赤髪の少女は気軽な調子で口を開いた。

「隊長ー、一応私たちもコレがお仕事なので重ね重ね確認しておきたいですよ。……()()()()()()()()()()()()()? ()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「オマエらこそ状況は分かってンだろォな。『上』の連中に提出する履歴は適当に片付けておけ。オマエらの大好きな『人助け』のためだってのは把握しきってンだろ、ストーカー共」

「す、好きでストーキングしているわけじゃないですね。()()()()()()()()()()()()()はあくまで治安維持のためのお仕事なんですね!」

「しーっ、鮮緑(せんりょく)、騒ぐと最終信号(ラストオーダー)が起きちゃいますわ。相手は一応上司なんですし、無駄な喧嘩は控えておきなさい」

 だからオマエら一言多いンだっての、と緑の髪と青い髪の少女二名に釘を刺しつつ、一方通行(アクセラレータ)はベッドの上の少女に向き直って淡々とした作業に戻る。

 真紅(しんく)と鮮緑、そして紺碧(こんぺき)。彼女らの本名を第一位は知らない。知っているのは、分かりやすく色分けされた便宜上のコードネームのみだ。

 たった四人で構成された特殊治安維持部隊、その中の上司と部下。その目的は、三人の少女らが統括理事会の代表として名目上、一方通行(アクセラレータ)の能力の手綱を握っているといったものだが――何だかんだで彼も、そこそこ有能で任務熱心でお節介焼きな彼女らを適当に言いくるめ、事あるごとに便利屋としてこき使っている節があった。

 やれやれと肩をすくめ苦笑する少女たちが、一通りの隠蔽工作のために示し合わせて部屋から出ていく。

 それを見送りもせず視界の隅で認識している傍ら、第一位の思考はなおも止まらない。

(……まったく。あの女狐の過保護振りも結構だが、いちいち心配されなくても全容が見えねェモンを早々にぶっ壊すよォな破滅願望は持ち合わせちゃいねェさ。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この街に新たに現れはじめた不穏の影を、彼は強く実感していた。

 だからこそ、使えるものは何でも使わせてもらう。

 妹達(シスターズ)の人権と安全を引き換えに、新生学園都市の所有物となり果てた自分自身の能力も――全ての責任を背負って憎まれ役となった平和主義の統括理事長(あのクソめぎつね)からの使い走りさえも、だ。

 

 

 

 

 

 第七学区の騒動。

 浮かび上がる『白い誘拐組織』の噂。

 そして――過去五日の間に打ち止め(ラストオーダー)に接触した、正体不明の人物。

 一刻も早くそれらを捕捉し、彼女たちのための平和な世界を取り戻す必要がある。

 

 この世界の裏の裏まで知り尽くし、一度は世界の理不尽なシステムごと破壊さえしてみせたヒーローの一員である第一位は――小さな少女の顔を静かに見下ろしながら、さしあたっての行動目標を定めていた。

 

 

 

   11

 

 

 

 ――白衣と黒髪のコントラストが、あまりにも鮮やかに夜風を巻き込んでいく。

 第七学区のとある工業ビルの屋上。立入禁止であるはずのこの空間で、華奢な少女はあろうことか、錆びついた手すりの上に堂々と腰を下ろしていた。

 地面から六十メートルほど離れた上空でぶらぶらと遊ばせる両脚は、雨風に晒されて疲労した金属を乱暴に軋ませている。

『彼女』がその手に持っているものは、ありふれた小型端末だった。

 生白い右手の指で画面をちょんちょんとつついている様は、歳相応に携帯ゲームをして遊んでいる少女のようにしか見えない。

 その画面に羅列している数値の正体が――学園都市に所属する軍用クローン『妹達(シスターズ)』の全感覚情報だと気付ける者は、おそらく数少ないことだろう。

「さてさて、最終信号(ラストオーダー)からのデータ通信が途切れてからようやく三時間か。ネットワークに『干渉』できた時間は丸一日程度だったかな? とはいえさすがに学園都市内に留まっている一〇三二人分ともなると情報量が凄まじいな。ご大層な並列演算機構の一部を間借りしたとはいえ、受け取る側のこちらは解析するだけで手一杯だ――が、おかげで必要なデータは手に入ったよ」

 妹達(シスターズ)は単純な視覚の他にも、無意識に周囲へ照射している電磁波のソナーによって、常人よりも遥かに広い視野と情報収集能力を有している。

『彼女』はその特性を利用して、上位個体から直接『コード』を繋ぐことでミサカネットワークの一部を閲覧し、とあるターゲットの存在を探っていたのだ。

 最終信号(ラストオーダー)に接触する。それが危険な賭けなのは十分承知していた。

 しかし、『彼女』の用を満たすためには、あの『局地的な大嵐』では不十分だった。どうしても、あの怪物を利用しなくては得られない情報があったのだ。

 それに何より『彼女』には、その作戦を破綻なく完遂できるだけの頭脳と才能がある、そんな自負があった。

「『岐閥(きばつ)』の連中も、そろそろ動き出す頃か。リミットは着々と迫ってる。彼らの依頼がある以上は、僕は最高のパフォーマンスを魅せなきゃならないってわけだ」

 淡々と。

 小さな画面に走らせる『彼女』の、分厚い眼鏡の奥に潜む余裕は、チェス盤を見渡すプレイヤーのそれとよく似ていた。

 忙しなく動かしていた指を一旦空中に止めた『彼女』が脳裏に思い浮かべたのは、たった今まで自らが利用させてもらっていた、とあるお人好しな風紀委員(ジャッジメント)の顔だった。

「……言っただろう? 僕はキミの思い描くようなヒーローでも善人でもないし、御大層な目的があって行動しているわけじゃない。あの子達に玩具をあげられなくなるのは少し惜しいが、それだけだ。それだけでしかない。それを切り捨てられる程度には、僕もやはり悪党なんだよ」

 大儀そうに身を乗り出し、革靴を履いた両足をビルの縁ギリギリのところに着地させる。

 夜の明かりに彩られた摩天楼を眼下に一望できるこの『寝床』の屋上は、紛れもなく『彼女』の愛すべき場所のひとつだった。

 (ごう)ッ!! と。

 瞬間的に吹き上げた暴風に、彼女はうっすらと微笑みながら、さながら子供向けの絵本に描かれた魔女のように両腕をかざす。

「――あの『実験』は失敗した。いいや、そもそもあんな無価値な計画、最初から起こすべきじゃなかったんだ。無理矢理搾り取られた『僕』のパーソナリティを才能のない連中に切り売りして、その挙げ句に完成したのは、出来損ないの『匂風(におかぜ)速水(はやみ)』のコピーだけ。……吐き気がする。『僕』ってのは、『匂風速水』ってのは、本来この世にたった一つしか存在しない価値観のはずなのにさ」

 笑顔のまま、『彼女』は溜まった鬱屈を吐き出すかのように朗々と独白する。

 前髪をかき上げる強風と轟音は――『匂風速水』という人格の、隠匿された恨みや怒りを発散しているようでもあった。

 そう。

 『匂風速水』――そもそもの悲劇はそこから始まったのだ。

 呪われた計画の素体、その名の意味を。

 嘘と誤魔化しで塗り固めた、とある少女の本性を。

 

「理解できないうちには、キミ達にこの『実験』を止めることは敵わないよ――最終信号(ラストオーダー)

 

 唇の端に、いっそ偽悪的ですらある笑みを湛えて。

 『匂風速水』を名乗る少女の足は、アスファルトを軽やかに蹴飛ばし――細い身体を、海のような街明かりへと放り出していった。

 

 

 

 

 

 

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