とある科学の最終信号   作:icoi

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第四章 追わざる者は一兎を得るか like_a_Boardgame.

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「――すっかり良くなったみたいで良かったです。アホ毛ちゃんがあの機材の中に入っているのって、やっぱりまだ見慣れなくって」

「大袈裟なんだよあの人もお医者さんも、ってミサカはミサカはベッドの上でソックスを履きながら不平不満を漏らしてみたり。別に病気や怪我とかじゃないんだから、いくらだって現場で暴れ回れるのにね」

 清潔感を強調した白い病室の中、打ち止め(ラストオーダー)は傍らのパイプ椅子に座る先輩こと初春(ういはる)飾利(かざり)に威勢の良いことを語っていた。

 太ももや脇腹のガードが心許ない入院着は脱ぎ去ってしまい、今は着慣れた制服姿に着替えている最中である。培養液に浸かる必要がある『調整』は一通り終了して、後に残すのは医師による軽い機能検査だけだった。明日の昼頃には、煩わしいアフターフォローからようやく解放されるといったところだ。

 元々、打ち止め(ラストオーダー)は先の騒動でこれといったダメージを受けた訳では無い。ウィルス……もとい特殊な技術とやらによって微細に施された『洗脳』だって、あの一方通行(アクセラレータ)芳川(よしかわ)桔梗(ききょう)が直接その場で解いてしまっているのだから、今こうして彼女が入院して風紀委員(ジャッジメント)活動から遠のいているのは、明らかに周囲の過保護によるものだった。

 だからこそ、打ち止め(ラストオーダー)にはこの長いようで短い二日間、喉に刺さった小骨のようにずっと気にかかることがあった。

「初春のお姉ちゃん。前にも言った通りだけど……このミサカに接触して、ミサカネットワークの指向性を操作した、その犯人は……」

 おそらくは、匂風(におかぜ)速水(はやみ)と名乗る少女だと。

 いかにお人好しな打ち止め(ラストオーダー)といえど、その可能性の高さを、風紀委員(ジャッジメント)の先輩である彼女ら相手に黙っていられるはずはなかった。

「……すみませんアホ毛ちゃん、それがまだ見つけられていないんです。参考人としてすぐにでも押さえようとはしたんですけど」

 俯いた唇に自らの指を触れさせながら、申し訳なさそうに答えた初春。その所作にやや面食らった打ち止め(ラストオーダー)は、食い気味に身体を前へと傾けて質問を重ねた。

「ど、どこにもいないの? 本人が見つからないにしても、所属している学校に当たれば……」

「もちろんそうするつもりでした。ただ、アホ毛ちゃんと彼女が接触したあの日は……例の局地的な嵐で警備ロボや監視カメラが一部破損していて、どんな容姿をしているか確認できるような写真が手に入らなかったんです。『書庫(バンク)』にも当たってはみたんですが、『匂風速水』という名前の女子生徒は、学園都市内の学校にはどこにも登録されていませんでした」

「学園都市のどこにも……? それって一部の武装無能力集団(スキルアウト)みたいに、学校を辞めてどこかで寝泊まりしているかもしれないってこと? ってミサカはミサカは訊ねてみる」

「原因がそれだけとは考えにくいです。学校を辞めているにしても、『書庫(バンク)』から完全にデータが消えることはありませんから。もっと言えば、学園都市内に一歩でも足を踏み入れた時点で、私たちは等しくこの街から管理されている筈なんです。その痕跡が見当たらないっていうのは……イレギュラーな人物であるにしても、ちょっと不自然すぎます」

 もちろん最初から偽名を名乗っていたり、警策(こうざく)看取(みとり)の時のようにデータそのものが改竄されている可能性も否めませんけど――そう補足説明してくる初春の仕草からは、言外に『打つ手なし』という結論が見え透いていた。

 ベッドの縁から両脚を下ろして、打ち止め(ラストオーダー)は安全靴に足先を通した。

「そっか……、ってミサカはミサカは複雑な心境で言葉を受け止めてみたり」

「現状、私たち風紀委員(ジャッジメント)の権限で出来ることは、残念ですがあまりありません。この案件は然るべきところに託していますから、もう少しだけ待ってください。……すみません、アホ毛ちゃんが危険な目に晒されたっていうのに、私の力不足で……」

「ミサカに謝ることないよ! むしろミサカは当事者なのに、ここで足止めされて寝てばっかりいて……初春のお姉ちゃんにも白井先輩にも申し訳ないし、なんだか恥ずかしいよ、ってミサカはミサカは両指を合わせて目線を逸らしてみたり」

 少しだけ耳を赤らめている打ち止め(ラストオーダー)を前に、初春飾利はようやく自責の念から離れられたような笑みを見せてくれた。

 仲間が一人欠けた風紀委員(ジャッジメント)は、やはり暇ではないらしい。これからまた第一七七支部に戻らなくてはいけないのだという先輩は、差し入れだというクッキーをこちらに渡しつつ、名残惜しそうに席を立った。

「アホ毛ちゃん、あまり思い詰め過ぎないでくださいね。何も相手は世界征服を企んでいる大悪党とは限らないんですし、これから匂風速水という少女を見つけたとしても、『上』も極力穏便に済ませるように計らってくれる筈ですから」

「……うん! お姉ちゃんこそあんまり長い間パソコンとにらめっこして根詰め過ぎちゃ駄目だからね、ってミサカはミサカは笑顔で釘を指してみたり!」

「あはは、そこは嫌でも根詰めないと仕事が終わらないんですよぉ……」

 適当に言い合いながらも病室のドアを開いた初春は、すぐ外の廊下にいたらしきフレメア=セイヴェルンとフロイライン=クロイトゥーネの二人と鉢合わせたことに少々ビクッと肩を震わせていた。

「わっ!? び、ビックリしました……。もー、二人ともこんな所で立ち聞きしてたんですか?」

「いやいや、大体こっちは今来たばっかりだし。つくづく信用が無いな私達!?」

「フレメアは常習犯ですし、初春飾利の言葉は仕方ないと判断しました」

「お姉ちゃんはいったいどっちの味方だ!! にゃあにゃあ!!」

 小さな身体を目一杯動かして不満をアピールするフレメアに苦笑いを寄越して、そのまま二人の間を抜けた初春は病室を後にしていった。

 何なんだ白井(しらい)も初春もいちいち私への当たりがキツいぞ、とブツクサ漏らす金髪の少女を横目に、フロイラインは今日一日分の授業を丁寧にまとめたノートを、ベッドに座る打ち止め(ラストオーダー)へと手渡す。

「今日もノート取っておいてくれたんだね、ってミサカはミサカはどんな時でもおサボりを許さないお姉ちゃんのスタンスに軽く戦慄しながらも頭を下げてみる」

「勉学は学生の義務ですよ。あなたもフレメアももっとお勉強しなきゃダメです。それよりも」

 いつも通り機械的なペースで会話を展開するフロイラインの口調は、緩急なく一つの質問をぶつけてきた。

「『あの件』はどうしますか?」

「そうだそうだ。大体良いのか子供は、このまま蚊帳の外の状態で」

「……うーん、やっぱりね、ここにいるとネットワークとの接続も制限されるし、世間の事情が勝手に進んでいくから少し厄介なんだよね、ってミサカはミサカは置いてけぼりなトラウマによる病院嫌いをアピールしてみたり」

 靴を履いたまま、ベッドの上で行儀悪く組んだ脚をゆらゆらと動かして。

 打ち止め(ラストオーダー)は、とある一つの確信を得ていた。

 

「初春のお姉ちゃん。どう見ても隠し事してるしなぁ、ってミサカはミサカは推論を述べてみる」

 

 仕方なくとは言えはぐらかそうとしてきた先輩に対して、批判の感情などは無く。

 ただ淡々と分析する軍用クローンの司令塔を前に、二人の少女も顔色を変えず同調していた。

「結局はあいつら、時間稼ぎがしたいだけだからな。大体当事者の子供を病院にブチ込んで隔離しておいた二日間で、例の女についての情報を本気で『書庫(バンク)』から一つも得られなかっただなんて抜かすような情けない無能じゃない筈だろ、本来の『守護神(ゴールキーパー)』ってヤツは」

「白井黒子(くろこ)も、本来こうして無駄に打ち止め(ラストオーダー)を前線から退けさせておくようなお優しい人柄ではないでしょうし。こうしてまで、同じ風紀委員(ジャッジメント)であるあなたを渦中から遠ざけていたその理由は」

「過保護で有名な『あの人』の指図でしか有り得ないよね、ってミサカはミサカは脚をブラブラさせながらむすくれてみたり」

 打ち止め(ラストオーダー)が片手間でペラペラと捲るノートのページには、今日の授業内容のみならず――フレメアが慣れ親しんだアンダーグラウンドな世界でかき集めた『噂』の片鱗。それから、フロイラインが教室で授業を受けながらも鋭敏な耳で傍受した、第一七七支部内の会話が書き取られている。

「連続昏倒事件。そんな仰々しい名前が付いてるらしいし。にゃあ」

「小学校高学年から高校生までの子供たちが第七学区内の路地裏で倒れているのを、『偶然』見回っていた白井黒子が発見したようです。地点はバラバラですが、同様の事例が昨晩までで六件ほど。被害者は秘密裏にこっちの病院に運ばれ、例のカエルに似てるお医者様が診察にあたったとか何とか」

「体は全くの無傷。依然として全員意識不明なものの、脳波は安定しており生命に別状はない。ただ、精密検査では、大脳真皮質の細胞が何らかの技術によってミクロンレベルで局部的に破壊されていることと、その影響によってか……『書庫(バンク)』のデータでは低能力(レベル1)異能力(レベル2)相当あったはずの能力が、AIM拡散力場の計測上ではほぼ無能力(レベル0)同然の数値になっていることが判明した……、ってミサカはミサカは神妙な顔でノートを読み上げてみたり」

 ここまで話が進み、ようやく打ち止め(ラストオーダー)の顔色が曇る。

 当然、こんな事件の情報は入院中の二日間で誰からも知らされていなかった。しかしそれよりも気に掛かるのは、その事件現場……そして被害の状況である。

(……路地裏で、子供たちが能力を奪われて昏倒……? 『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』が脳のどこに宿るのかも一般的には知られていないはずなのに、研究室でもない屋外環境でそんな離れ業をやってのける技術なんて、本当にこの世に存在するのかな。……それに、彼らはさらわれてこそいないけれど、でもこれって)

「うん。大体、例の噂と関係してるみたいだ。『白い誘拐組織』、子供も聞いたんだってな」

「聞いたも何も、ミサカネットワークを無断で間借りしていった自称発明家ご本人からちょうど忠告されてた案件だよ、ってミサカはミサカはあの女の意図が掴めずにため息をついてみる……」

 白いシーツの上に転がしていた、目つきが悪いうさぎの風船を指先で小突く。

 そんな少女が腰掛けるベッドに上って長い両腕を首へと回してきたフロイライン=クロイトゥーネは、背後からノートのページをのぞき込みながら意見を付け加えた。

「……そもそも最初から、何かの目撃情報をベースにして自然発生したような噂ではないかもしれません」

「どういうこと? ってミサカはミサカは振り返ってみたり」

「『圧力によって揉み消された真実』を装って作られた、嘘で固めた偽物(イミテーション)。そんな味がします」

 動物――殊に昆虫に近い彼女の五感が捉える説明不能なインスピレーションは、時に学園都市製の高性能レーダーをも凌駕するオカルティックな観測結果を軽々と弾き出す。

 曰く、仰々しい『白い誘拐組織』の話などはまるで意味のない捏造で、実際には打ち止め(ラストオーダー)や白井黒子達のような風紀委員(ジャッジメント)の目を路地裏へ引き寄せることこそが『隠された本当の目的』ではないか――と。

「……ますますきな臭くなってきたし。大体そいつは、『私は今から路地裏にて重大犯罪を実行する犯人です、どうぞ捕まえてください』ってこの子供に宣伝していたようなモノじゃないか。にゃあ」

「お姉ちゃん。被害者が発見された場所は分かるんだよね? ってミサカはミサカは確認してみる」

「はい。一通り座標を記憶しています。いつ調査に向かわれますか?」

「白井先輩たちが現場に出張っていないのなら、今からでも」

「おいおい待て待て! 大体、誘い込まれてるって分かってるのにわざわざ自分から行くか普通!?」

 目を丸くしながらツッコんできた金髪碧眼の少女相手に、リノリウムの上に着地した打ち止め(ラストオーダー)は口元だけの小さな笑みを寄越す。

「誘われてるからこそ行くんだよ、ってミサカはミサカは当たり前のことを言い放ってみたり。ミサカを遠ざけようとする先輩たちやあの人の思惑は分からないけど、だったら余計に自分の足で情報を探しに行くしか道はないわけだし」

 それに、事件は病室じゃなくて現場で起きているんだ――と。

 言いながら打ち止め(ラストオーダー)が指先で回した指揮棒は、シャキンと小気味よい音を立てて長く展開した。

 よれたスカートの裾を正して軽く身支度する彼女にフロイラインが差し出したものは、両面ガムテープ式で着脱が容易な、お馴染み深緑の風紀委員(ジャッジメント)の腕章である。

「初春飾利のハッキングによる『書庫(バンク)』の情報では、被害者は全員、一時期同じ孤児院に住んでいた過去を持っていたということです。その孤児院は、上条(かみじょう)当麻(とうま)が終止符を打ったあの戦いをきっかけとした学園都市再編に伴い、既に潰されていますが――いわゆる『置き去り(チャイルドエラー)』を用いた、非人道的な実験の素体を提供していたという記録があったと」

「……、やっぱり、どう考えても不自然だね。だけど、路地裏の事件とミサカネットワークの傍聴を結び付けるたった一人の人物……匂風速水のことは、ミサカ達第一七七支部関係者しか知らない。それで白井先輩たちがこのまま慣例通り警備員(アンチスキル)に預けるつもりなら……」

「にゃあ……。もしかすると昏倒のことは人為的な事件だとは気付かれずに、大体ただの集団ヒステリーか、無茶な脳開発の後遺症扱いになってしまうかも、って事か」

 苦々しい顔でそう呟くフレメア。その頭にポンと手を置いた人物は、すっかり調子を取り戻した生意気盛りの新米風紀委員(ジャッジメント)だった。

「そうならないためにもミサカ達が動かないとね、ってミサカはミサカはお子様を鼓舞してみたり」

「……そうやっていっつもすぐ私達に頼る、ホント調子のいいヤツだよ子供は。にゃあにゃあ」

 鉄板が仕込まれた安全靴の調子を確かめるように、トントンとつま先で床を叩く。

 それを合図にさっそく病室から出ていこうとする三人の少女だったが、まだ一応の入院患者である打ち止め(ラストオーダー)だけは『脱走』ということになってしまうために、エントランスから堂々と出ていくわけにはいかなかった。つまり彼女にとっては、こんな経験も一度や二度では済まないわけである。

 窓を開け放して地上七階のベランダから身を乗り上げる打ち止め(ラストオーダー)へ向けて、廊下へ通じるドアに手を掛けていたフレメアが、にんまりとからかうように笑って声を掛けた。

 いつも通りの非日常が、幕を開ける合図だ。

「なーホントに良いのかー? 優等生の風紀委員(ジャッジメント)サマが鳥籠の中から脱走だなんて。大体、こないだ白井にこってり絞られたばっかりだけど」

「そんなものは勝てば官軍なのだ! ってミサカはミサカは適当に言葉を返してみる!」

 十五分後に合流しましょう、と長い髪を揺らしたフロイラインへと軽やかなピースサインを投げて。

 年配者の親心など知らない傍若無人の少女たちは、二日遅れのスタートダッシュを大急ぎで切るのであった。

 

 

 

   2

 

 

 

(――気になっていることが二つあるんだ、ってミサカはミサカは座標を確認しながら自身の思考を整理してみたり)

 だんっ!! と、勢い良くコンクリートの壁を蹴りつけ、ビルの隙間を飛び回る影があった。

 打ち止め(ラストオーダー)の小柄な体が風を切る度に、周囲ではパチパチと微弱な静電気が光を散らす。自分の体重くらいはあっさりと持ち上げられる磁力を有する彼女にとっては、『目的地』まで向かう最短ルートは当然、機動力に物を言わせた上空となる。

 街中の建造物と靴底などに仕込まれた鉄板を磁力で繋ぎ止めることによって、ちょうどマリオネットのようにエキセントリックな挙動で空を舞う形となるが――平日の授業時間中ということもあってか、幸いにも上空の彼女に気付き腰を抜かすような人影はビルの外には見られなかった。

(まず――犯人はどうやって、散り散りに生活していた孤児院出身の被害者たちを、ここまでの短期間で六人も襲うことができたのか)

 ミサカネットワークとの接続を制限されていた病院内から抜け出し、『目的地』――すなわちフロイラインから預かった事件現場の座標と、第七学区内の地図をクラウドからダウンロードして照らし合わせる。

 所属する学校周辺の治安維持のみが職務である以上、ここまで柵川(さくがわ)中学校から離れたエリアに腕章を携え殴り込んでいく権限は本来風紀委員(ジャッジメント)には存在しない。つまり現在の打ち止め(ラストオーダー)の活動は完全なる始末書モノな訳だが、生憎とその余りある行動力は育ての先輩譲りなのだった。

 データにあった六つのうち一つ目の現場。先輩方や警備員(アンチスキル)たちはまだ『上』には事件性について情報を伝えていないのだろう――上空から眺めた限りでは、何の変哲もない路地裏の一角には事件の痕跡らしきものは残されていなかった。

 二つ目、三つ目の事件現場まではここから少しずつ距離がある。無秩序に散らばっているように見えるこれらの地点だが、それでも六つの場所には無視出来ないとある共通点があった。

(……これは『ターゲットの居場所を突き止めた』末の単純な襲撃とは訳が違う。だって、昏倒していた彼らが見つけられたのは、揃いも揃って第七学区内の路地裏なんだから。被害者たちが日常生活を送っていたところを襲った、通り魔的な犯行ではなくて……彼らを『自らの足で路地裏の襲撃ポイントまでやって来させた』可能性の方が高い。ちょうど、このミサカからの司令で無意識に徘徊をさせられていた、学園都市内の一〇三二人もの下位個体たちのように)

 つまり、犯人がターゲットを何らかの手法でおびき寄せるために用いた『狩場』の法則性を明らかにすることができれば――七つ目の襲撃を、事前に食い止めることができるのではないか。というのが、実際の事件現場まで文字通り飛び込んできた末の打ち止め(ラストオーダー)の考えだった。

 そしてもう一つ、彼女の頭に引っかかっていることというのは。

「……何の情報を得るために、犯人は……匂風速水は、ミサカネットワークに不正アクセスするだなんて大きなリスクを背負ったの? ってミサカはミサカは――っとと」

 ポケットの中で振動する端末の感触を得て、ビルの隙間を縫うように飛び回っていた打ち止め(ラストオーダー)は一旦手近な場所へと着地する。

 奇しくも、というか目的地が襲撃現場そのものであったのだから半ば必然ではあるのだが、そこは二つ目と三つ目の『狩場』の丁度真ん中に近い地点だった。

「もしもしお子様? そっちは六つ目の場所を調べてる途中だよね、もしかしてもう終わった? ってミサカはミサカは確認してみる」

『そっちの機動力と無能力者(レベル0)の速度を一緒にするな! ……にゃあにゃあ。一応探りを入れているところではあるけど、パッと見で現場にはゴミ一つ落ちてない。警備員(アンチスキル)の現場検証があったとしても、事件性が見られない限りはそこまで綺麗にドブさらいしないはずだから、多分この区画は先日の嵐の後に掃除されちゃってたんだろうな。さすがにこの「帽子」にはカブトムシの禁じ手みたく、CDに刻まれた僅かな溝を解析して過去を再現するような変態じみた技術は搭載してないしなぁ』

 誰が変態ですか、とへそを曲げていそうな白いカブトムシの声音を脳裏に思い浮かべながらも、打ち止め(ラストオーダー)は不可解そうに眉をひそめた。

 スピーカーに耳を傾け、ほこりっぽいコンクリートを安全靴で踏み進める。

「……あの嵐は紛れもなく人為的なものだった。そのことは覚えてるよね? ってミサカはミサカはおもむろに口を開いてみたり」

『それも匂風速水とやらの仕業かもしれないってことか? 大体、無理があると思うぞ。応用次第で気候を操れる能力は存在しないこともないらしいけど、そんな出力が単独で出せるようなら、間違いなくその犯人は超能力者(レベル5)の一人で決まりだし』

「相手は一人とは限らない。例えばミサカたちのネットワークであの人の代理演算を成立させているように、機械の力を借りて一時的に能力を増強することも出来るってことだよ。……まぁ、脳波を整えたり思考の均一化を図ったり、よほどの人非人的な対価を支払う必要はあるわけだけど」

『はーあああ……大体、そういう暗い話題で専門家サマに口を挟むつもりはないし。それで? 相手が嵐を起こした張本人かもしれないってことと、今回の襲撃はどう関係してるんだ。まさか監視カメラや警備ロボを潰すためだけにこんなことをしたって?』

「それが分かれば苦労はしないよ、ってミサカはミサカは性急なお子様をたしなめてみる。ただ、そこの区画が清掃活動の後でちょうど現場が小奇麗になっているってことはつまり、そこで何らかのアイテムを見つけたら十中八九それは今回の事件と関係がある代物だから――……、おわぁっ!?」

「ひゃっ!! び、びっくりしたぁ!?」

 電話口の前のフレメアとの会話に夢中になっていた打ち止め(ラストオーダー)は、そこで通行人の一人と思い切り正面衝突してしまった。

 いつの間にかそこそこ人通りのある抜け道にたどり着いていたことにも気付かずに、危うく尻餅を着きそうになった新米風紀委員(ジャッジメント)。とっさに端末の通話を切りつつ、打ち止め(ラストオーダー)は自身の前で驚いたように目を丸くしている少女へヨタヨタしながら謝罪を伝える。

「ご、ごめんなさい前を見てなかった、ってミサカはミサカは……」

「ふぇ!? あ、ミサ……っ――、……いえ、何でもありません! こちらこそ不注意でした、すみませんですよ、それでは私はこれにて――」

「……? あの、どこかで会いました? ってミサカはミサカは謎の既視感に首をかしげてみたり」

「いえいえそんな滅相もないッ!!」

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とこちらから目を逸らしてブツブツ独り言を漏らしながら何かに怯えるようにしばし逡巡している、様子のおかしなストレンジャー少女。

 淡い赤色に染めたポニーテールとスポーツウェアのような白いベストという出で立ちで、シルエット的にはどことなく簡略化した特殊部隊のコスプレにも見えた。ミサカ、と口走った様子からするに、治安維持活動に協力しているボランティア団体の人なのかもしれない。

 その立場上、少しでも『妹達(シスターズ)』について知らされている者ならば――その司令塔を前にした反応がこれだったとしても、まぁ納得が行ってしまう。

 と、そんな感じでわたわたしている善良そうなボランティア少女(暫定)の足元に転がっていたゴミ袋の存在に気が付く打ち止め(ラストオーダー)。そこここで地図を見ながら話し合ったり茂みに向かったりしていた人達のうちの何人かが、同様のゴミ袋とトングを握ってこちらを不思議そうに眺めていた。

「清掃中の区域にお邪魔しちゃったのか、ってミサカはミサカは……うわ、ミサカのせいで中身散乱させちゃってる、って慌ててゴミを一つ一つ拾い上げてみたり」

「あ、そ、そうなんです警備員(アンチスキル)からの依頼で私ども出張しておりまして、このエリアはまだ清掃が完了してなかったので――ってあーいいんですよわざわざそんな! 手汚れちゃいます!」

 身をかがめて遠慮してくるボランティアさんの衣服の袖には、やはりどこかの治安維持活動で見覚えのある団体のロゴマークが刻まれていた。数日前の浜面(はまづら)仕上(しあげ)や自分たちと同様のお仕事中ということだろう。

 しかしこれだけ不特定多数のボランティアが行き交うこの時期だと、衆人監視のもとの襲撃などますます難易度が上がるのではないだろうか。まぁ、それは同時に、犯人が彼ら彼女らの中に紛れ込んで虎視眈々とチャンスを伺うことも可能だということでもあるわけだが――と、ここまで考えを及ばせた打ち止め(ラストオーダー)は、自身が手にしているゴミの一つに目を奪われた。

 銀色の、小さな円筒。スプレーを放出する先端部分には、安っぽいプラスチック製の漏斗めいた吸入具が取り付けられていて。

「あれ……これってどこかで見たこと、……!」

 それは――まだ真新しい、使い捨ての酸素ボンベ。

 ちょうど、あの日貧血で倒れた打ち止め(ラストオーダー)を介抱した、あの少女が手にしていたものと同じ製品。

「あの! これどこで拾ったんですか!? ってミサカはミサカは食い気味で質問してみる!!」

「ひゃっ!? あ、えっとですねそれは……確か……えーっと……ちょっと思い出せな――」

「えっそれ、S区画の路上にポツンと落ちてたヤツじゃなかったっけ? ほら、あっちの方面の、確か竹下ビルの裏。珍しいゴミだったからよく覚えてるけど」

「うおおおおおおおおああああそうでしたっけええええ!?」

 じれったく記憶を手繰る素振りをしていた赤髪の少女へ要らぬ助け舟を寄越すように、すぐ後ろで作業中だったボランティアの青年が声を掛けてきてくれた。

「ご協力感謝します! ってミサカはミサカは頭を下げつつ走り出してみたり!!」

「ぎゃーちょっと待ってください――ッ!! ……あ、あうあ、なんて事ですよ……よりによって最終信号(ラストオーダー)が……隊長に合わせる顔がぁ……」

 何やら意味ありげな嗚咽が背後の少女から漏れていたが、そちらについてはひとまず無視で打ち止め(ラストオーダー)は示された方角へと猛進していった。

 

 

 

   3

 

 

 

 逸海(いつみ)縦帆(たてほ)は実に平凡な少女だった――少なくとも、あの孤児院でのおぞましい『実験』から解放されてからの、必死になって平凡な少女であるフリをしながら生活してきた数年間は。

 初めて学校の授業をサボって、当て所もなくただ一人で歩いて、歩いて。地味なセーラーに身を包む彼女は、青い顔でフラフラと蛇行しながらも、両の手の内に握る小さなスマートフォンの画面に忙しなく触れて操作していた。まるで、地獄に垂れてきた細い糸にすがり付くような、鬼気迫る迷子の様相で。

「……風車(かざぐるま)くんも、落下傘(らっかさん)ちゃんも……なんで、なんで皆、こんないきなり……」

 小さなタッチパネルの中で起動しているのは、『FUKIDASHI(ふきだし)』――日本人なら誰もがまずスマホへインストールするであろうメジャーなチャットアプリだ。

 実を言うと逸海自身はこの数年間、かつての『友達』とはあまり積極的に交流を続けようとはしてこなかった。薄情に思われるかもしれないが……ひとえに、あれだけ切望した平穏な暮らしの中にあって、今更あの孤児院での彼らとのモルモット生活を思い出したくなかったから、というのが本音だった。

 それでも。望んでもいないアプリの友達機能で惰性的に繋がりを保っていた旧友たちが、ここ二日間で突然次々と消息を絶っていったのでは――さすがに無関心を装うままでいるにも限界があった。

(……何が、起きてるんだ……)

 仮想超能力者(デスクセオリー)計画。

 あのクソッタレな『実験』に放り込まれながら、幸運にも生き残った僅かな子供たち。しかし彼らが得られた報酬など、かつて絶望の中の僅かな希望としていたような超能力とはあまりに程遠く。

 どこかの誰かの尽力によって、孤児院より解放されてからの人生は、一般的な低能力者(レベル1)の学生達と何ら変わりない日常生活を手に入れる事は出来ていた。()()()()()()()()()()()()()()()も、目の前で友達が狂い死んでいくトラウマも、一生消えなどしないけれど。当たり前の学生寮を割り当てられ、安心して寝食ができて……人を人とも思わないような連中の視線に日がな一日晒されていないだけでも、少女は十分すぎるほど幸福だった。

 それなのに。

(……誰も、本当に誰も現状を理解出来ていないじゃないか。グループ内の精神感応(テレパス)持ちの子も、彼らの思念が一昨日辺りから一人ずつ掴めなくなっていってるって……それはつまり、『核シェルターにでも閉じこもっているか、昏睡状態としか考えられない』って事で)

 その精神感応(テレパス)能力者自身も、今朝からとうとうメッセージに既読が付かなくなった。

 何が起きているのか分からない。顔を合わせると忌まわしい過去ばかり思い出すからと、バラバラになった旧友たちの学校や居場所を深く訊ねようとしなかったことが、今になって猛烈に悔やまれた。

 まるで、目隠ししたまま腰を下ろしていた切り株の内側が、無数の小さな虫によって少しずつ食い荒らされていくような。『分からない』という現状は、それだけで得体の知れない恐怖心を少女へともたらす。

 それでも、予感だけならいつだってあったのだ。

 いつかこの平穏はタイムリミットを迎える。だって、彼女らの頭の中には今だって――大勢の旧友を殺した爆弾が眠っているのだから。

「……ハヤミ……匂風速水、アイツの仕業なのか……?」

 ノンフレームの眼鏡の奥でこぼれそうになる涙を堪えながら、とうとう彼女はそこで歩みを止めてしまう。

 平凡を装うこの頭の奥に今も深く刷り込まれている、とある天才のデータ。それは逸海縦帆をはじめとする凡人たちの脳では到底扱い切れるものではなく、ただただ拒絶反応で暴走して狂い死ぬか、生き残った数名の人格や趣味趣向などに僅かずつ干渉するのみというお粗末な結果しか生まなかったはずだった。

 だけど、人間の脳味噌は、他人を丸ごと受け入れられるほど強くはない。辛うじて適合して、自分らの中の『匂風速水』を閉じ込め制御できているつもりでいた過去の被験者たちが……もしも今になって、その反動に次々襲われているのならば。

 あるいは、もっと単純に。

 孤児院での生存者たちが今までこうして平穏無事に生活していたこと自体を、疎ましく思う誰かが存在しているとしたら――。

「……、っ……!!」

 ぐらりと視界が揺らぎ、嫌な想像で吐き気がする。

「ぅ、あ……、……?」

 手を口に当て、薄汚れたコンクリートの地面へとうずくまる。そうしながらも、彼女は今ようやく、自らを取り巻く現在の環境の異常性に思い当たった。思い当たってしまった。

 本当に本当に、今更の話ではあるのだが。

 ――()()()()()

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「啓示というヤツだよ。キミは『人的資源(アジテートハレーション)』計画のことは知っているかな? 逸海縦帆」

 

 ハッと我に返り、顔を上げたその瞬間。

 白衣のポケットから紐付きの風船を無数に生やした、良く知る顔の少女がそこにいた。

「――……ハ……、ヤ」

「お兄ちゃんって呼んでおくれよ。昔みたいに無垢で純朴な子供らしく、なあ?」

 慈悲深く柔和に微笑みながら、彼女は丸い風船をひとつ手に取り少女の目の前に突き出してくる。まるで幼い子供のご機嫌を取るように、ためらいなど一つもない仕草で。

 風船は目の前で瞬間的に膨張して――それが、逸海縦帆にとって、最後の映像記憶となった。

 

 

 

   4

 

 

 

「五年前、フレメア=セイヴェルンを中心に展開された『人的資源(アジテートハレーション)』計画にて採用された濃淡コンピュータ。アレはAIM拡散力場の濃淡を用いて大規模演算を行う傍ら、その副産物として能力者たちに『知っているはずのない情報』を天啓よろしく刷り込むことができるといったものだったな」

 寂れた路地裏には風一つ吹き込んでこない。

 無数のカラフルな風船が、空中に浮かぶお化け屋敷の人魂のごとく、フワフワと不自然な挙動であちこちに静止していた。まるでその空間だけ時を止めてしまったように、男性装の少女は悠然と言葉を紡ぐ。

 わざとらしい演説の宛て先は、両腕の中に雑な様子で抱えた気絶状態の逸海縦帆――ではなく。

「だが本来あの理論は、濃淡の概念が存在する流体であれば何にでも適用できるはずなんだ。空気中の酸素濃度とか、海水とかね。それに、あの事例からヒントを得たのは確かだが、僕の場合は大規模演算が目的じゃない。能力を用いて特定のパターンを第七学区全体に発信して、獲物を特定のポイントに誘導する。そう難しいことじゃないさ、なんせ僕のターゲットは僕自身の思考回路を有する連中だ。無意識領域に食い込んで行動指針に干渉するだけなら、ミサカネットワークに入り込んで『目を盗んだ』ときよりずっと簡単だったよ」

 それら全てを知っているネットワークの司令塔は、匂風速水のすぐ目の前にいる。

 仁王立ちのまま息を荒げ、片手で自身の頭を抑えた打ち止め(ラストオーダー)の姿。その顔立ちは焦燥と疑問、そして、頭痛によって今にも飛びそうな意識を押さえ込む苦悶に彩られていた。

 以前にもこの少女の前で見舞われた、あの症状とよく似ている。

 脳を蝕む痛みと、眩暈。低気圧の際に誰もが少なからず経験するような不快感を、もっと大袈裟にしたような。それは周囲の酸素分圧を弄ってもたらされた、人工の高山病とも言えた。

「まぁ、とりあえずお決まりの台詞でも吐いて歓迎の挨拶としておこうか。……どうしてここが分かった? 来なければそんな辛い目には逢わずに済んだのに」

「あなたの方が、ここまで呼んだんだろうが……ってミサカは、ミサカは」

「今頃静かに病室で寝てるはずのキミのための釣り餌じゃなかったって事だよ。どちらかと言うと白井黒子とか黄泉川(よみかわ)愛穂(あいほ)とか、もう少し凡庸な『正義の味方』を釣り上げたつもりだったんだが。うーん、ご自慢のネットワークを玩具にされた落とし前は、やっぱり自分で付けたかったのか?」

「そんなんじゃない……!」

 バチッ!! と前髪から電光が散る。

 吐き気を堪えながらも真横に薙いだ指揮棒に連動して、周囲の細かな鉄クズが波のようにざわりと脈打った。

「その子を渡せ。それと……あなたには山ほど聞きたいことがある、ってミサカはミサカは、真っ直ぐに要請してみる」

「渡すとも。粗末な能力は没収済みで、この子個人の肉体にも人生にも興味はないしね。ただまぁ――僕にも目的がある。率直に言って、まだキミに捕まるわけにはいかないんだよ」

 砂鉄に触れた風船の一つが、パン! と軽い音を鳴らしてあっけなく割れ。

 それを合図に、細い路地裏の全てを圧倒する鉄砲水のような暴風が吹き荒れる。容易く飛ばされそうになる華奢な自身を、打ち止め(ラストオーダー)は磁力で咄嗟に縫い付けるが……狙い済ましたかのようなタイミングで脈打つ頭痛に演算を阻害されるため、その集中が数瞬だけ遅れてしまった。

 ジリジリと、押し返される。

 同時に、匂風の手から放たれたサイケな色彩の風船が視界を幾重にも塞ぎ、全身を優しく押し返しながらもおしくらまんじゅうのようにシュールな絵面で目を眩ませる。

「くっ、……ぁ……!?」

「お偉いさんからのオファーがあってな。天才発明家サマのありがたい脳味噌にあやかった、とあるくだらない『実験』の後始末なんだが、利害が一致していたから協力させてもらうことにした。彼らの脳に移植された『匂風速水』のことは僕が一番良く知っているのだから、直接会えばこうして壊すのも容易い」

 生き残った彼らの中の『匂風速水』は前々から目障りでね、と。

 近所の汚いゴミ屋敷についてでも愚痴っているような気軽さで、彼女は半笑いのまま気絶した少女・逸海を地面へと転がした。

 匂風速水の肉体を起点としているかのような強風によって、ぐったりとしたセーラー服姿の少女の身体はそのまま汚れた溝の近くまで力無く押し流されていく。

 演算を元にチカラを行使する学園都市製能力者にとっては、視覚情報の撹乱とこの体調不良は何よりの脅威だ。今にも割れそうな膨張感を訴えてくる両耳を気にしながらも、打ち止め(ラストオーダー)は必死になって彼我の距離を縮めようともがく。

「風、を、操る能力者……!? でもっ、この出力は……どう見積もっても大能力(レベル4)相当。到底、『書庫(バンク)』の記録をすり抜けられるようなものじゃ……」

「残念、僕のは風じゃなくて気圧操作だ。こちらとしては無理に殺し合うつもりもないけど、君からしたら最悪の相手だろう?」

「ッ……!!」

 気圧。

 ゲームや漫画といった創作物ではお馴染みの、電撃使い(エレクトロマスター)にとって分かりやすい『天敵』。応用次第では真空の避雷針や盾で容易く電撃を防ぎ、人体を押し潰し、高電離気体(プラズマ)を大気中に生成することだって視野に入る。閃光のように脳を駆け巡る負のイメージに、不本意ながら肉体が勝手に怯んでしまう。

 ……流されるんじゃないぞ、と、打ち止め(ラストオーダー)は首を微かに横へ振って気を立て直す。

 ただのブラフだ。敵を相手にして、自分の能力を馬鹿真面目に言いふらすメリットなどどこにもないはず。このミサカを脅して主導権を握りたいだけだ。しかし、そう思えば思うほど、彼女の思惑のドツボに自ら嵌っていくということにはたと気付いたタイミングは、打ち止め(ラストオーダー)にとってあまりにも遅いものだった。

 ブラフ上等。なにせ最初から彼女の目的は、この場で電撃使い(エレクトロマスター)を倒すことなんかではない。

 単に、最初からこの場を離れることしか考えていないのならば。ほんの一瞬でも戦いを躊躇させるだけ――まさにそれこそが、絶対的な『勝利』の条件として機能してしまうのだから。

 

「白状してしまうと、その子が最後のターゲットだ。だから素直に逃げさせてもらう」

 

 まるでハンググライダーだった。

 ッパァァァァン!! と、すぐ足元で爆発させた空気に乗って、少女の身体は一気にビルの上まで飛び上がる。傘のような細い骨を内側に仕込んでいたぶかぶかの白衣が大きく展開して、彼女は怪盗か何かのように悠々と空を飛んでいた。

「っ、ふざけ、ないで……!!」

 気付いた時には、打ち止め(ラストオーダー)の肉体を蝕んでいた低気圧は緩やかに除かれていた。過換気による酸欠はすぐには改善されようもないが、どうにか全身に電気を纏って自らも空中に躍り出る。

 バヂィッ!! と。

 スタンガンのように人体を痺れされようと放った電流は、匂風の振るった腕の軌跡を辿って見当外れの方角へ逸れていく。

「路地裏を探れとキミ達を誘導したのは他でもない僕だったが、今まで出来損ないの廃品回収作業に従事してもらって随分とご苦労様でしたって所だ。もう君達に用はない。安心していい、後に残ったのは僕一人でやるべき仕事だから」

「だからここは黙って見逃せって!? 事情があるなら詰め所で聞く。あなたが巻き込まれた『実験』とやらも『依頼』の内容も、ミサカが見過ごせるようなものだとは思えない! ってミサカは……!」

「お涙頂戴の話じゃないんだよ。追いすがって断罪するつもりなら、せいぜいもう少し迷いの少ないヒーローか悪党にでも頼むことだ。それに僕を止めるには出力不足だぜ、気圧の壁に容易く阻まれるような電撃程度じゃ」

 何度も言うが――キミの出番はここにはない。

 いっそ吐き捨てるような少女の嘲りに、高山病の名残とはまた別の高熱が打ち止め(ラストオーダー)の思考を支配しかけるが。

 

「――そうでしたの、不躾な後輩が失礼しましたわね。ではベテラン風紀委員(ジャッジメント)の捕縛術でしたら、貴女(あなた)のお眼鏡に適いまして?」

 

 幾本もの短い金属矢が、匂風速水の真っ白な翼をズタズタに引き裂きはじめる。

「……ッ! キミは――」

「白井先輩!? ってミサカはミサカは驚愕してみたり!」

御坂(みさか)! 貴女はさっさと下がってそこの被害者を保護なさいな!!」

 途端にガクンと高度を下げる白衣の少女に、空中で飛び上がった白井黒子がすかさず肉薄する。階段を一段飛ばしで駆け上がるように空間移動(テレポート)を連鎖させる先輩風紀委員(ジャッジメント)は、鞄から伸ばしたホルスターをムチのように大きくしならせて、ほんの一メートル先に滞空する匂風の足首を絡め取ろうと投げ放った。

 気圧変動の影響に曝されて、複雑な十一次元演算式を構築できなくなる――よりも早く。

 縦横無尽に動き回り座標が捉えづらい標的が相手ならば、息をつかせる間もなく接近して、本人の体に一度手を触れる。それで終わる。全ての戦術はスピード勝負。空間移動(テレポート)能力者としては定石と言える制圧方法を用いて、彼女は危険人物をただちに無傷のまま取り押さえようと最善を尽くした。

 それでも、匂風の表情からはまだ、余裕が消えない。

 ッッッパパパパン!! と爆竹のようにけたたましい音を立て、小規模な空気の爆発が白井の猛攻を阻む。強引に高度を上昇させて再び距離を確保した匂風は、唇だけを歪ませてポシェットから取り出した操縦桿らしき道具を手に取っていた。

「一度でもキミに座標を捉えられたら、確かにそれで僕は詰みだろう。捉えられたらの話だけど」

「。流石にやりますわね。……ですけど、おしゃべりしている暇までお持ちですの!?」

 強烈な頭痛に顔をしかめながらも――白井黒子の小柄な影が、パラグライダーの真上へと移る。

 おそらくは、匂風速水のすぐ背後への移動を試みたのだろう。集中を乱されながらの能力行使は、いつ致命的ともなりかねない座標の誤差をわずかずつ生じ始めていた。

 だが、自身がめり込んでしまうような障害物の極めて少ない空中戦は、むしろ白井にとっても好都合だった。獰猛とも形容できそうな勇ましい笑みとともに、細い両腕を標的の首元まで伸ばそうとした矢先――。

「ッッッ!!」

 最大限に広がった白い翼の下で、匂風が狙っていたのは白井ではなかった。

 手の内に幾つも転がした、スーパーボールのように小さな球体。バシュ!! と、球威に高気圧の爆風を乗せ、砲弾のごとく放たれた得体の知れない凶器の向かう先には――気絶した少女を抱えながらも憔悴した様子で空を仰いでいた、後輩の姿。

「……ぁ、……!?」

「この……、下衆がッ!!」

 迷う余地など、あるわけがなかった。

 即座に地上まで自身を空間移動(テレポート)させ、被害者ごと打ち止め(ラストオーダー)を庇うように両肩を抱いて再び数メートル先へ転移する。急激に変わる高低差に眉間を寄せて、脇目も振らずに二人まとめてさらに遠くへ。

 

 バッコァァアアアアアアアン!! と。

 強引に内圧を高められた強化ゴムははち切れて、薄暗い路地裏の一角で葡萄の房のように連鎖的な爆裂をもたらした。

 

 反則ですわよ、と白井黒子は歯噛みする。

 空気が轟き、単なる土埃よりもいくらか大粒の何かがパラパラと背中に降り注ぐ。標的から離れたことによって気圧の呪縛を逃れた自身を含めて、腕の中にかくまう後輩と置き去り(チャイルドエラー)の少女に大きな怪我はなかった。しかしそれでも、彼女は苦い心境を己の内から拭うことは出来ない。全員の無事も含めたこの状況の全てが、あの少女の意のままだということに気付いていたから。

(……気圧操作能力。口で言うには容易いですが、こんなのチートもいい所ですのよ。大気を操り暴風を起こしたり空気を爆発させるだけでは到底収まらない、その気になればチャチな構造物や人体などはいくらでも押し潰せるはず。仮にそれら全てを代償や制約なく達成できるというならば、彼女は間違いなく超能力(レベル5)クラス。具体的にどんなモノだかはハッキリしませんけれど――これが、仮想超能力者(デスクセオリー)計画とやらに見出されたチカラ、ということですの……?)

「……先輩……、って、ミサカはミサカは……」

「病室を脱走したことと、わたくしへの報告を怠ったこと。これらについてのお説教は後ですの」

 捨て犬のような目でこちらの顔を見上げてくる打ち止め(ラストオーダー)の肩にポンと掌を乗せながら、白井黒子は細かな擦り傷のできた膝をゆっくりと伸ばして立ち上がった。

 その眼差しは、とっくに姿を消したあの少女がいた上空へと向けられている。

「ただ……ここに貴女が来るのがあと一分でも遅かったならば、そこで眠っている彼女が今頃どうなっていたか分かりません。まぁ今回ばかりは結果オーライというヤツですのよ」

「……でも、匂風速水を引き止められなかった、ってミサカはミサカは自分の無力を嘆いてみる」

「それはお互い様ですの。とにかく、一緒に彼女を病院まで連れて行きましょう」

 ぽつり、ぽつりと。

 気が付けば、上空に形成されていた小さな雨雲から、第七学区を中心に局地的な雨が降り注いでいた。白井は羽織っていた薄手のカーディガンからおもむろに腕を抜くと、意識を失った逸海縦帆の身体へと優しく被せていく。

 それを抱きかかえながら、打ち止め(ラストオーダー)はただ茫然自失として、自身があの少女から投げかけられた言葉についてぐるぐると脳内に巡らせているばかりだった。

 

『――ご自慢のネットワークを玩具にされた落とし前は、やっぱり自分で付けたかったのか?』

『お涙頂戴の話じゃないんだよ。追いすがって断罪するつもりなら、せいぜいもう少し迷いの少ないヒーローか悪党にでも頼むことだ』

『何度も言うが――キミの出番はここにはない』

 

(……このミサカには、届かない……? 綺麗事でもなんでも、ただミサカは、誰一人傷付けずに、()()()()()()()()()()()()。それは……もしかして、最初から思い上がりだったのかな……)

 

 一人の少女が掻き乱した灰色の空から、温い雨粒は――まだしばらく降り止みそうになかった。

 

 

 

   5

 

 

 

 薄暗い病院の待合では、窓の外から聞こえて来る気味の悪い風の音ばかりがしばらく響いている。

 死んだように眠る逸海縦帆を例のカエル顔の医者に託してから、打ち止め(ラストオーダー)と白井黒子は簡素な革張りのソファに腰掛けて、ただ黙々と自身の怪我に応急処置を施していた。処置、と言っても流血するような外傷はほとんど無く、せいぜい消毒してから大きめの絆創膏を膝や腕にぺたぺたと貼り付ける程度である。

 普段の能力者相手の捕り物でだって、もっと派手な怪我を負うことは少なくない。白井も打ち止め(ラストオーダー)も――明らかに手加減をされていた。

 大能力者(レベル4)風紀委員(ジャッジメント)二人と邂逅しても顔色ひとつ変えることなく、それどころか子供相手のようにあしらい立ち去って行った。ミッションコンプリートとでも口走りそうな様子で。対話を望む打ち止め(ラストオーダー)のことなど、最初から視界にも入っていなかったかのように。

「もうすぐ初春もこちらに駆け付けてくるそうですが……監視カメラや警備ロボは、あの少女の足取りを捉えきれなかったとのことですわ。まぁ、相手がデータ改竄のスキルを持っているような組織と手を組んでいるというのは、当初から十分に予想の範疇でした。でなければ流石に『書庫(バンク)』の記載と丸二日間の初春の追跡は欺けませんの」

「……」

「気圧操作、それが彼女の能力だというのはきっと本当でしょう。繊細な気圧と酸素分圧の操作は脳に干渉して、人間の行動や思考さえも操れると聞きますの。まして被害者たちの症例にあるような、特定の神経細胞をミクロンレベルで押し潰すことができるほどの技術力を有しているのならば……、二日前に御坂が食らったネットワーク設定への干渉も、彼女にとっては全く不可能ではないはずですのよ」

 公認超能力者(レベル5)でもない野良の学生が一人で実現できるとは信じ難いスペックなのには変わりませんけどね、と。

 極端な低気圧に間近で晒された影響か、いまだに顔色が優れない白井は、仰々しい点滴が刺さった左腕を不服そうに持ち上げながら語る。

 勝手な行動をしたくせに、被害者を減らすこともできず実行犯には逃走を許し、結果的には先輩に自分を庇わせてしまった。その事実は、白井自身の淡々とした受け止め方とは関係なく、打ち止め(ラストオーダー)の心境に言い表せない罪悪感と無力感の暗い影を落とし続けていた。

「……彼女がミサカ達のネットワークにアクセスした理由。最初は、各個体の視野と電磁波を利用した単なる偵察のためだと思ってたんです、ってミサカはミサカは路地裏を飛び回っていた数十分前までの自分の考えを思い返してみる」

「御坂……?」

「でも、それだけじゃなかった。それだけでいいのなら彼女は真っ先に『書庫(バンク)』を当たるはずだもの、ってミサカはミサカは予測してみたり。今更……今となってはもう遅過ぎたことなんだけど、白井先輩から貰った事件データを改めて眺めてみて、ようやく気付いたんです」

 合計七回の襲撃。そのポイントを地図上にセットして俯瞰してみると、一つ一つの地点にはやはり共通点があったのだ。

「ミサカ達が製造された理由――『あの人』が一〇〇〇〇余りの下位個体と繰り広げた戦闘シナリオ。事件現場は、あの時ミサカ達が屋外実験で使用したいくつかの地点から、すぐに出てこられるようなポイントばかりだったんだ……、ってミサカはミサカは、自ら彼女にとっての潜伏場所を提供していたっていう事実に……正直ショックを隠せなかったり」

 奪われた情報、それは――妹達(シスターズ)の脳に刷り込まれた特殊工作マニュアル。

 人通りが少なく、どのような惨劇が起きても証拠隠滅のための数十分ぐらいはどうにか時間が稼げるであろう地点。学園都市内で隠密に殺し合いを演じるために練り上げられたその情報こそが、おそらくは匂風速水にとっての本命だったのだ。

 長い廊下の奥の方から、二人分の慌てたような足音がトタトタと響いてくる。

 病院にしては結構な速度違反でこちらに走り寄ってきたのは、制服姿にも関わらず『帽子』を装着した状態のフレメア=セイヴェルンと――何やら小動物ライクにぷるぷると恐縮している様子の初春飾利を、見事にお姫様抱っこしたフロイライン=クロイトゥーネの姿だった。

「お子様、お姉ちゃん……、ってミサカはミサカは顔を上げてみる」

「……打ち止め(ラストオーダー)、……なんてことです、怪我を……!」

「いやそのようなシリアス顔で登場されてもそのシュールな手荷物の存在感は少しも払拭されていませんのよフロイラインさん。というか貴女もですわ、この非常時にいったい何を意味不明なVIP待遇を受けているんですの初春」

「わ、私だってここまでの道中顔から火が吹き出しそうな心情でしてねぇ……!? 仕方ないんです足が遅いんですから! 業を煮やしたフロイラインさんが『この方が早く着くんです早くしろ』って! 半分以上強引に!!」

 ストンと着地した初春が、顔を赤くしながら白井へとまくし立てる。

 彼女は手にしていたタブレット端末の画面を気にしながらもソファへと近寄り、フレメアやフロイライン達よりも数歩早く打ち止め(ラストオーダー)の前に躍り出て、腰を屈めた。

「……色々と隠したこと、謝ります。私も白井さんもそれが最良の判断だと思ったんですが、結果的にただあなたの焦る気持ちを煽っただけになってしまいましたね」

「初春のお姉ちゃん……」

 そんなことない、と打ち止め(ラストオーダー)が否定を口にするよりも先に、タブレットを指先で操作しながら初春はその画面を見せてきてくれた。

 隠し事は、もうしないということだろう。

 仲間内だけで穏便に取り調べをして事件の芽を摘むには、どの道もはや遅すぎるからだ。

「匂風速水という女子学生の情報が『書庫(バンク)』から得られなかった事、これは本当です。引き続き、被害者たちの共通点である例の孤児院について、廃棄済みデータも片っ端から復旧させて調べ続けてはいますが……今のところ得られたのは、仮想超能力者(デスクセオリー)計画、とかいう胡散臭いプロジェクト名くらいですね」

「にゃあ……、仮想超能力者(デスクセオリー)……?」

「……あの忌々しい素養格付(パラメータリスト)の詳細が、まだ一部特権を買い取った研究所にしか出回っていなかった頃の話だそうですの。そんな時期に『余り物』の置き去り(チャイルドエラー)を使ってどうにか『八人目』を作り出してみようと、知的好奇心をこじらせたド三下の研究者たちによって計画された……手荒かつイカれきった『実験』だということぐらいは予想がつきますけれど」

 おそらくは、その実験こそが被害者たちと匂風速水の接点であろう、と。あの少女の能力を見せつけられた後では、嫌でも納得する。

 超能力者(レベル5)級。

 大能力者(レベル4)風紀委員(ジャッジメント)二人どころか、本気を出せばまさしく軍隊を相手取れるであろうポテンシャルと応用の幅。計測上のデータがどうなるかは知らないが、体感としてはやはり『八人目』に達する可能性を意識せざるを得ないほどの出力だった。

 仮に彼女がほのめかした一連の発言を全て真としたならば――仮想超能力者(デスクセオリー)計画とは、あれだけの才能を備えた少女の脳構造や演算パターンを幾人もの置き去り(チャイルドエラー)達に植え付けることによって、超能力者(レベル5)を量産しようという趣旨の実験だったのだろうか。ちょうど、第一位の思考回路を子供たちの脳に流し込んで絹旗(きぬはた)最愛(さいあい)黒夜(くろよる)海鳥(うみどり)といった大能力者(レベル4)を作り上げた『暗闇の五月計画』の焼き直しのように。

(……。本当に……? ってミサカはミサカは違和感を拭いきれずに熟考を続けてみる)

 何かが、おかしい。

 ここに居ない少女のミスリードに、いまだに乗せられているような気さえする。打ち止め(ラストオーダー)達を前にして被害者へ吐き捨てたようなあの偽悪的な口振りは、単なる悪党としての自信の顕れ、果たして本当にそれだけだろうか。

『――お偉いさんからのオファーがあってな。天才発明家サマのありがたい脳味噌にあやかった、とあるくだらない「実験」の後始末なんだが、利害が一致していたから協力させてもらうことにした』

 そもそも、彼女を唆すオファーを出した人物とは誰なのだ?

 彼女の背後には、一体何がある?

 そしてあれほどまでに下準備を重ね――匂風速水が葬り去ろうと固執する『彼らの中の匂風速水』には、一体、どんな秘密が隠されているというのだろう?

「……いずれにせよ。今となっては、あの少女は我々の目の前で無力な子供を害し逃走した、殺人未遂の現行犯ですのよ」

 点滴の針を強引に引き抜いて、白井黒子は初春飾利の手を借りながらもソファからおもむろに立ち上がった。

「!? ど、どこに行くつもりなの先輩、ってミサカはミサカは……!」

「決まっているでしょう、警備員(アンチスキル)への引き継ぎですの。……一連の連続昏睡事件は身元不明の少女の能力によるものだという事と、その犯人は今もなお『何か』を求めて潜伏している、危険思想のテロリストであるという事。先んじて片鱗を掴んでおきながら被害を防げなかった我々の失態も含めて、これらを報告しないわけにはいきませんわ」

 ズキンと、言葉を受けた打ち止め(ラストオーダー)の心臓が軋む。

 何も事情が掴めていないまま『凶行』として処理するなんて、そんなのは途中で投げ出すのと何も変わらないのではないか。あの匂風速水だって、どう見てもまだ高校生そこそこの学生なのだ。得体の知れない大人に操られているかもしれない少女の、その非行を止めることすら、風紀委員(ジャッジメント)の立場からは逸脱しているのだろうか。

「そんなのって……!! ってミサカはミサカは……」

「残念ですが、あの時現行犯で捕まえられなかった以上は、我々の管轄からはとっくに外れていますのよ。被害者はあの少年少女たちだけではなく、これからだって増えていくかも知れない。……何より、貴女は三日前に彼女のターゲットに据えられたばかりでしょうに。その貴女が出しゃばってどうするんですの? まさか、相手の境遇に半端な同情をして手を差し伸べるつもりなどではないですわよね?」

「……ッ」

「アホ毛ちゃん……悔しい気持ちも分かります、でもこればっかりは白井さんの言う通りですよ。私達は組織に属する立場なんですから、個人の感情で動くには限度っていうものがあります。……ありのままを上に報告して、然るべき方々に任せましょう。それが今の私達に出来る最善のことです」

 見かねたように口を出しながら、初春は手近にあった車椅子を引っ張ってきて白井へ腰掛けるよう促す。それをきっぱりと固辞しつつ、第一七七支部の派遣リーダーは細い手で手すりをぐっと掴んでいた。

 背を向けてゆっくりと廊下を移動し始める二人からの言葉が、打ち止め(ラストオーダー)の喉を詰まらせる。それは一介の風紀委員(ジャッジメント)という観点においては間違いなく正論で、だからこそ納得が出来なかった。

 気道をせり上がるような熱量をはらむ感情は、およそ普段の打ち止め(ラストオーダー)からは想像もつかないほどの――憤慨だった。

「……『上』って、誰なんですか? ってミサカはミサカは訊ねてみる」

 無意識に、立ち上がったその足取りは彼女らを早歩きで追いかけていた。

 目の前にあった初春の服の裾を掴むと、彼女は戸惑いと困惑を上塗りしたような顔で歩く速度を緩める。

「あ、アホ毛ちゃん……?」

「聞いて先輩達。現状、匂風速水の正体に一番近付いているのはミサカたちだよ。そのミサカたちが解決出来ないことだって早々に匙を投げて、武装した大人達の手で一人の人間相手に銃器を向けて叩き潰そうとするのが、本当に最善って言えるの? ってミサカはミサカは疑問に思ってみたり」

「御坂、あの出力を見たでしょう。彼女は危う過ぎますの、悠長に話し合う余地など得ようと時間稼ぎしていては先程の二の舞です。対能力者用の装備が揃っている警備員(アンチスキル)にでも協力を仰がない限りは……」

風紀委員(ジャッジメント)に、警備員(アンチスキル)に、統括理事会所属の特殊部隊。それでも駄目だったら、今度はどこの誰に拳を握らせるつもりなんですか? 相手は軍とも渡り合えるかもしれないって話だよね、ってミサカはミサカは核心を突いてみる」

「それは――」

 嫌な予感で胸がざわつく。

 何か、現在進行形で自分らをも取り巻く不穏なムードの流れが造られているような気がしていた。

 暴力という解決手段の危うさを、打ち止め(ラストオーダー)は嫌というほど知っている。だって――ただのヒトを『怪物』の領域へと突き落とすのは、いつだって周囲からの無理解と恐慌と数の暴力だったはずだから。

 彼女のしでかした事には同情の余地があるのか無いのか、実のところ打ち止め(ラストオーダー)にはそこすらまだ判断出来ていない。見落としているサインは無いか。隠されている真意は無いか。あの悪役ぶった少女の姿が、どうしてもかつての彼に重なってしまう。あの時、『怪物』の中に隠された『人間』の存在に、たった一人のミサカでも気付いていたならばあれほどの悲劇は起こらなかった。それは打ち止め(ラストオーダー)にとって一生の後悔だった。

 今こうして、どこかの誰かがセッティングしたヘイトにただ乗せられて、たった一人の少女への暴力に手を貸すのならば――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「白井先輩……『然るべき人』とやらは、彼女のことを正しい意味で止められるんですか? ……ミサカには今の自分たちの姿が、彼女を本物の『怪物』にしようと背中を押している真っ最中にしか思えないよ、ってミサカはミサカは――」

「今が非常時であるという点に目を瞑れば、そのような青臭い批判を被るのも致し方ありませんの。それも風紀委員(ジャッジメント)の役目ですしね。ですが御坂」

 歩みを止め、手すりに腰を引っ掛けて軽く体重を預けた状態の白井黒子は、それでも真っ直ぐに対等な瞳で打ち止め(ラストオーダー)を見つめた。

「他にどうするつもりですの? 理想を語るのは結構ですけれど、世の中何でも対案が無くては誰も耳を貸そうとしませんのよ」

「……ミサカネットワークも使って、匂風速水を取り巻く環境についてもう一度しっかりと調べます。彼女が拠点としていた場所は分かったんだから、虱潰しに探れば例のパトロンに繋がるヒントが得られるかも。それに、置き去り(チャイルドエラー)の被害者たちのカルテを見比べることも、きっと彼女の目的を知る一助となる。そうやって可能な限り交渉のカードを集めてから……このミサカが直接、話をしたい、ってミサカはミサカは希望を述べてみたり」

「アホ毛ちゃん!! そ、そんなの危険すぎます……! 現にあなたも白井さんも――!」

 彼女は最初からミサカ達を害する意図はなかったはずだよ、と。

 悲鳴じみた調子で語り掛けてきた初春飾利に対して、打ち止め(ラストオーダー)はソプラノの声をわずかに張り上げて言葉を続ける。

「そもそも自分から風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)を釣っておいて、どうして彼女はミサカたちとろくに戦いもせず逃走したの? 本気で『仮想超能力者(デスクセオリー)計画』とやらに恨みがあって被験者を潰したいだけなんだったら、被験者の脳をミクロンレベルで優しく傷付けるのは明らかに手間だし、白井先輩が彼らを見つけて保護するまでの流れを構築したアフターフォローも万全過ぎる。ここまで綿密に準備したのはどうして? ……暴れることが彼女の目的じゃないからだよ。もっと根本的なところに彼女の行動指針はあるはずなんだ、ってミサカはミサカは推理してみる」

 それさえ理解して、法と道徳に則る形で、可能な限り彼女の抱えるものに寄り添うことが出来たならば。

 きっと、それは無駄ではない。

 新しい『怪物』をこの世界に産み落とすのをただ黙認するよりは、あの時――等身大の変人発明家として公園の子供たちに慕われていた彼女の、何でもないような戯れの中の笑顔を信じていたい。あの光景を拳で打ち壊すことそのものが、打ち止め(ラストオーダー)にとっては恐ろしく感じられて。

 ただの日和見かもしれない。ただでさえ悪意が薄いクローン人間という立場から、大して知りもしないヒトの善意を勝手に見出すなど、性善説の妄信者と言われてしまっても仕方がない。

 それでも。

 それでもだ。

「――彼女の発言全てが、偽悪を装って事情を深読みさせるところまで計算ずくであるという可能性。それを差し置いてまで達成したいのが、拳を握らずにあの少女を救うことなんですの?」

 廊下の曲がり角の、一歩手前にて。

 足を止めた二人の正面に回って立ち塞がるちっぽけな新米風紀委員(ジャッジメント)は、いっそ幼い子供を諭すような白井からの問い掛けに対して、悲痛に眉をしかめながらも答えた。

「愚かだって言われるかもしれないけど、試す価値はあると思うの。……迷子を止めるのに必要なのは、暴力や拳じゃない。そんな悲しい法則も破壊できないような学園都市なんて、絶対に間違っているよ」

「……」

「だからもう一回だけ、ミサカ達の力で彼女を止めるためのチャンスをください! ってミサカはミサカは正々堂々とお願いしてみ

 

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 背後から声が聞こえて――何をされたのか、分からなかった。

「。――」

 ぎくりと肩を強張らせた打ち止め(ラストオーダー)の身体は、直後からゆっくりと前方へ傾いていく。訳も分からないうちに揺らいだ上半身は眼前の初春に抱き留められ……そのまま、視界が暗転した。

 意識を無くした後輩少女を条件反射的に受け止めた初春飾利は、いきなり現れた非日常の象徴のような人物を前に、思わずひくりと喉を痙攣させる。

 三日前に詰め所を訪れた際とは、明らかに纏う空気が別人だった。

 けれど、違っていて当然かもしれない。漠然と察知した不穏の芽を追いかけていただけのあの時と――明確に、打ち止め(ラストオーダー)を害した脅威が街のどこかに存在している、この状況では。

「だ、第一位、さん……!?」

「オマエらには別の働きをしてもらう。本命の処遇はとっくに統括理事会によって決定済みだ。仮想超能力者(デスクセオリー)計画に絡ンでいたのは生憎と一介の孤児院や研究所だけじゃなくてな、役所体質の風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)は核心まで介入させるワケにはいかなくなったっつー状況だよ」

 首筋のチョーカー型電極にあてがっていた細い指を離しつつ、着崩したシャツにスラックス姿の一方通行(アクセラレータ)は――主に白井黒子に対してそう言い放った。

「だがまァ、脳内花畑のクソガキやオマエらに任せておく方が妥当な仕事ってモンもあるだろォよ。恢復(かいふく)した後の置き去り(チャイルドエラー)連中の世話役だとかは、ここの医者の腕を考えりゃそォ遠い未来の役目でもねェはずだ。こっちで調達できた限りでの仮想超能力者(デスクセオリー)のデータをくれてやる。どォ使うのかは知ったことじゃねェがな」

「……非常に似合わないフォローのお言葉に感謝しておきますの。それよりも」

 あからさまに胡散臭そうな顔を見せながらも、白井は第一位に視線を合わせようとはしなかった。

 彼女が目を向けているのは、脳を流れる電気信号を強引に操作された結果、ブレーカーが落ちたかのように意識を失ってしまった打ち止め(ラストオーダー)の方だった。

「これで……良かったんですの?」

「半端な馬鹿が半端な覚悟で関わってくるぐれェなら、こォして寝ていられる方がまだ有益だ」

 初春から幼い少女の身体を引き取って、すぐ近くのベンチに横たえさせる。

 道を自ら踏み外した人間を、犠牲なしで引き留めようという考えが既に浅ましい。善良すぎるがゆえにヒーローにすらなりきれない、彼の知る打ち止め(ラストオーダー)は最初からそういう少女だった。

「拳を握ンのすら怖がってるよォなクソガキに、そンな役どころが務まるモンかよ。二兎を追うのは間違いなく馬鹿のすることだが、こいつは目ェ付けた獲物の方からこっちの領域に飛び込ンできてくれると信じ切ってやがるから話になりゃしねェ」

「過保護ですの」

「過保護ですね」

 死ね、という第一位からの非常に簡素なコメントのみが風紀委員(ジャッジメント)ペアの得られたものだった。

 先程まで待機していた待合席から離れたことにようやく気付いたらしき看護師たちが、白井用の点滴を携えてぱたぱたと掛けてくる。病院内での対応としては当然ながら、すぐそばで気絶している打ち止め(ラストオーダー)を彼女らに見咎められてしまい、知らん顔で携帯端末を触っている第一位の代わりにしどろもどろで状況を説明していた初春だったが――。

 彼女らはここで、先ほどからうっかり見逃していた、とんでもない違和感に気が付いてしまう。

 

「……あれ? フレメアちゃんとフロイラインさんは一体どこに……?」

「ちくしょう、面倒臭せェクソガキがもォ二匹いやがった……!!」

 

 

 

   6

 

 

 

 フレメア=セイヴェルンは第七学区のビル街――正確には、打ち止め(ラストオーダー)によって示唆された『隠れ家』の座標に向かうべく、換気扇やパイプで埋め尽くされた狭い隙間を縫うように奔走していた。

 身軽に障害物を乗り越えながら、金髪の少女は頭に被った『帽子』が飛んでいってしまわないように片手で押さえる。彼女の表情は、日頃コロコロと変化しがちな彼女の心模様の中でも、かなりの『怒』に振り切れたパターンをその整った顔面に映し出している。

(……まったく! 話を聞いてみたらとんでもなく身勝手なヤツじゃないか! 不本意に巻き込まれたんだか何だか知らないが、『実験』の恨みとやらを子供の方にぶつけるなっての!! 大体、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! にゃあ!!)

 仮想超能力者(デスクセオリー)計画。

 いかにも怪しげなキーワードを初春飾利の口から聞かされたあたりのタイミングから、ただ黙ってあの場所に留まっていてはいけないと自然に思っていた。

 あの子供のように、持て余したチカラの使いどころなどについて迷っている場合ではない。

 そもそもフレメアは無能力者(レベル0)だ。『理想的なヒロインとしての符号』以外は、特別なチカラなどこれといって持ち合わせていない。ただ平均的な中学生の少女より幾分か場数を踏み、ケンカ慣れしており、皆を守れるようなヒーローになることを目指しているだけ。だからこそ、風紀委員(ジャッジメント)としての立場や自身の境遇に雁字搦めにされている打ち止め(ラストオーダー)とは違い――彼女は細かいことでは悩まないし、明らかな自己満足のために拳を握っていると常に自覚している。

 だったら、動くしかないだろう。

 拘泥(こうでい)とは、持つ者のみに許された贅沢なのだ。持たざる者だからこそ、悩むより先に手と足を動かさなくては誰一人だって救えはしない。そう信じているから、彼女は今ここに来ていたのだった。

「にゃあ……」

 規則性に従って辿り着いたのは、最後の襲撃があった現場の程近く。

 普通には近隣学生の抜け道にも使われないような吹き溜まりの一角で、今は何故か複数人の気配がしていた。立ち入る前にそれに気付いたフレメア=セイヴェルンは気配を殺して、少しずつ物陰から接近しつつ耳を澄ませる。

 遠くの方では、二〇人近くの大人たちが、溝や壁などにスプレーを吹き付けながら世間話のように言葉を交わしている。一様にマスクをはめて白を基調とした制服を身に着けているその姿は、特殊部隊の尖兵と言うよりは、何となく白衣の医者たちの総回診などを彷彿とさせた。

 熱心なボランティアがこんな場所まで清掃に来ているのかとも思ったが、どうやら違うようだ。

 そこに居たのは――風紀委員(ジャッジメント)の注目を引き寄せるために流布されたデタラメの情報に過ぎないとさえ考えていた、都市伝説サイトやフレメア本人が小耳にはさんだ噂に出ていた通りの、『白衣の集団』だったのだ。

「――全く、酸性浄化(アシッドスプレー)も無尽蔵じゃな――。後ろ盾があるからと……――風紀委員(ジャッジメント)相手に好き勝手――隠滅にも一苦労だ」

「まぁ、――それも最後のターゲットを……――までの辛抱じゃないか。例のモルモットの一人、確か……早川(はやかわ)――それさえ潰すことが出来れば――路頭に迷わず、新たに研究職を工面してもらえるって――」

「あま――喋りすぎるなよ。『先生』のご機嫌を損ねちゃ……何にせよ探すならさっさとしないと、ヤツの『リミット』がいつ来るか……――」

(……ちっくしょう、大体いきなりの大当たりか!)

 間違いなく、コイツらは匂風速水と同じ雇い主を持つ連中だ。

 風に乗って断片的に聞こえてくるのは、あの少女が打ち止め(ラストオーダー)たちと交戦した証拠を回収し、被験者の置き去り(チャイルドエラー)たちを襲うアシスト役を引き受けているという旨の会話。初っ端から黒幕へと直結する手がかりを掴んだ自らの幸運にうっすらと汗を浮かべながらも、物陰から音もなく走り出すフレメア=セイヴェルンの口元は、確かにニヤリと好戦的な笑みを浮かべていた。

 遠くから見る限りは、相手は訓練を受けた傭兵などではない。その代わりに数が多い。いくらフレメアが普通より修羅場慣れしているといっても、武器を携えた大の男二〇人というのは、とても生身の少女一人で制圧できるような人数ではない。普通に考えれば、彼らを静かに尾行してその拠点を白井黒子達に伝えて、十分な応援を呼び寄せるなどが最も考え付きやすい策である。

 もちろん、彼女も最初から、生身で正面から躍り出て彼らの暗躍を止めるなどという愚行を働くつもりは全く無く。

「……にゃあ。大体、使えるものは何でも使う主義なんだ。この『帽子』も――あなたたちの情報も」

 それでも――現在進行形で狙われている、最後のターゲットとかいう子供の存在を知ってしまっておきながら。目の前で、その凶行の下準備を拝んでしまっておきながら。

 ヒーローを目指す身としては、彼らの襲撃を黙って見守っているわけには、絶対にいかなかった。

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 ソプラノの声がこだました直後。

 物の例えではなく――()()()()()()()()が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが、フレメア=セイヴェルンが今ここで仮初のヒーローとして行動開始するための、紛れもない一つの合図となった。

 

 

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