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息を殺し、足音を殺して、唯我は階段を駆け上る。
ロングコートを纏った彼の表情には緊張感が滲む。射撃等のリアクションがないことから、相手はこちらに気づいていない。
どうかこのまま気づきませんように。
力量差を考えれば、見つかれば終わり。そうでなければ千載一遇のチャンスが訪れる。
そしてついに、マンションの中程までたどり着いた。
唯我は斜め下を、恐る恐る覗き込む。こちらに背中を向けたダークブルーのロングコート姿。
来宮静間は、これまでになく無防備だった。
「いける!」
押し殺した言葉が零れ、口元が嬉しさに歪む。
バッと一瞬で立ち上がり、2丁の銃を照準。大きく息を吐き、そして引鉄を引いた。
瞬間、来宮の灰色の瞳が、肩越しに唯我へ向けられた。
半球状のシールドが、来宮の背面に張られる。
唯我の銃は近距離からの撃ち合いが前提のタイプ。この距離で抜くことは、トリオン能力を鑑みても難しい。
放った弾丸は敢え無く防がれ、その全てが無意味に消えた。
「グラスホッパー」
落ち着き払った声音が届く。
まずい!
一足跳びに来宮が唯我に迫る。
最高のチャンスが一転。窮地に立った唯我に余裕はない。冷や汗が噴き出し、思考が空回るなかで、どうにか防御を試みる。
「!?……シ、シール」
ドンッ
それさえも間に合わず、右の掌底に胴を撃ち抜かれた。
『戦闘体活動限界、ベイルアウト』
無機質な音声に、唯我はなぜか涙が滲んだ。
*
「さて、尊さん。今回の敗因はなんでしょうか?」
模擬戦を終え、ソファに座り向かい合い、来宮が唯我へ問いかける。
「えっと、ですね…………」
言葉を途切れさせ考え込む唯我を、来宮が見つめる。
氷にも似た涼しげな灰色。見透かすようなその瞳の色が、唯我には苦手に感じられた。
そのまま落ち着かない様子で、唯我がゆっくりと来宮へ答えた。
「銃の射程を、考えなかったことでしょうか?」
当たっていてほしい、そんな願望をのせた言葉は、少したどたどしい。
「違います」
自信なさげに紡がれた答えは、案の定、スパリと切って捨てられる。
ショックを受け、ガクリと俯く唯我に、来宮は思わず苦笑いする。
射程を忘れるのも論外ですが。
苦笑いはそのままに、そう切り出して来宮が続けた。
「射撃で牽制しつつ、死角へ回り込み、高台を取ったうえで奇襲を仕掛ける。確かに最初に俺が言った言葉です。今回のあなたは、それができていました」
ダメ出しかと思いきや、まさかの褒められるような内容。唯我の表情に明るさが戻る。
ですが ……。
そこでそう言葉を切り、唯我へ再度問いかける。
「毎回都合良く、あんな場面が訪れるものでしょうか?」
「え?」
些か不穏な雲行きに、間の抜けた声が零れた。
「左右にはやや低めの家屋が並び、正面は広い道路。そして背後には、周囲より高いマンションが1つ」
来宮の言葉に、唯我は最後の場面を反芻する。
来宮の背後、それも後頭部の完全な死角が取れる場所。未熟な自分でも分かる絶好のポイントだった。
そこまで考え、まてよ、と首を傾げる。
自分で分かるなら、目の前の師が、果たして気づかないなどあるのだろうか?
…… 嫌な予感がした。
一度落ち込み、そこからの思考に俯いていた顔を、錆びついたようにぎこちなく持ち上げる。
なんとなく察した様子の弟子に、師は困ったような笑みで言う。
「単純な手に釣られすぎですよ、尊さん」
見え見えの罠に自ら飛び込む。
傍目から見れば、滑稽なことこの上ない。本人が真剣なだけ、なおさらだ。
「…………す、すみません」
自分の立ち回りの意味するところ自覚し、 唯我は、ただ謝るしかなかった。
*
「来週も、よろしくお願いします」
少々気落ちしながらも、唯我は殊勝な態度で作戦室を後にする。
その姿勢に、来宮がこっそり顔を綻ばせる。
一見脆いように見える彼は、その実、異様に立ち直りが早い。実力に釣り合わない不遜な振る舞いを続けようとするスタンスは、ある意味、精神的にタフに見える。
来宮は、言葉や普段の立ち振る舞いから、先達から甘いと言われることが度々あった。来宮自身、その自覚はある。しかし、戦闘の中でもそうなのかと問われれば、彼の答えは否だ。
弱者が相手であれば、容赦無くその隙を打ち抜き、強者が相手であれば、その隙を無理やり作り出し、そこへ叩き込む。
師弟の間でも、それは大して変わりはしない。
よくついてこれていると思う。
来宮と唯我の師弟は、週に一度、マンツーマンで20戦先取の模擬戦を交わす。
その戦闘で洗い出した課題の中で、優先度の高いものを来宮が取り上げ、それに合わせたノルマを唯我に提示するのだ。
力量に合わせたノルマであるので、唯我が達成できないことはあまりない。
たまに達成できずに、恐々として来宮の前に訪れることも、あるにはあるのだが……。
それでも、自身の成長を実感できるのが嬉しいのか、間に合わない事はあっても、途中で投げ出したり、バックレるなどということもなく、この師弟のやりとりは、今日まで継続され続けていた。
「さて」
弟子が頑張っているのだから、師がだらけるわけにはいかない。
そう内心で呟き、来宮は端末を取り出す。
軽快に画面をタップし、とある番号へとコールした。
「……もしもし…………ええ、静間です…………いえ、今回は彼らではなく、俺が教えられる立場になるかと…………はい」
侵攻がいつ起こるとも限らない。今やれることはやっておきたかった。
「林藤さん。久し振りに一戦、御指導願えますか?」