「ゲームセット!」
20xx年、甲乙第一中学野球部の夏は、県内ベスト16という結果に終わった。
(まあ、こんなもんだよな...)
中学最後の夏が終わったにも関わらず、エース武田雄介の表情はどこか落ち着いていた。
やるだけの事はやった。ここで負けたのは、自分達の実力がここまでのものだったという事だろう。万年一回戦敗退の弱小野球部がここまで来たんだ、悔いは無い。
観客席からの惜しみない拍手を受けながら、長らく同じ釜の飯を食ったチームメイト達と共に整列に向かう。その表情はしかし、やはりどこか晴れやかでは無くて。
(でもやっぱり、もっと上に行きたかったかな...)
そんな彼の背中を、一人の女性がスタンドの上方から眺めていた。
「あーあ、終わっちまったんだな...」
大会からの帰り道、チームメイトの一人が今日何度目かのため息をついた。
「お前、さっきからそれしか言ってねーじゃん」
「いや、なんかまだ終わったって実感がなくてさ」
「いつまでも引きずってたらダメだって、そろそろ受験のこと考えないと」
「うわ、それ言うなよ雄介...」
中学3年間を終えた彼らに訪れるのは、高校受験という残酷な現実である。スポーツ推薦なんて洒落た選択肢も無いことはないが、田舎の弱小野球部には縁遠い話だ。
「雄介は志望校決めてんの?」
「うーん、一応丙丁高校受けようかなって。」
「マジで?あそこ結構偏差値高いじゃん。なんつーか、流石よな」
「いや、まあ親の方針でずっと勉強してたからさ」
野球部の厳しい練習が終わった後、大抵の人間は、家で勉強する気力など残していない。だが、雄介の親は、「雄介の将来のために」と、疲れ切って家に帰ってきた彼が休むのを許さなかった。もっともこの年頃で、そんな親の方針に素直に従う雄介も、中々珍しい存在だったりするのだが。
「でも、いいのかよ?あそこ、進学校だけど、野球は全然だぜ?お前の実力なら、強豪校入れば甲子園狙えるんじゃね?」
甲子園。全国の球児達が憧れる場所。どんな人間にも行くチャンスが3回しか与えられない、夢の舞台。
勿論、雄介にも其処への憧憬が無い訳ではない。しかし、彼の答えは、冷めたものだった。
「いや、俺はそこまでのピッチャーじゃないから...身の程はわきまえてるよ」
野球でそうそう飯は食っていけない。自分の将来を考えたら、いつまでも夢を見ている訳には行かない。野球漬けの高校生活を送ろうと思える覚悟と自信は、雄介には無かった。
「まあ、雄介らしいというか...でも、もったいないよなー」
「そんなことないってー」
しかし、彼らの言葉を否定しながらも、チームメイトに認めてもらえっているという充実感に、口角が上がるのを隠し切れない雄介であった。
「ただいまー」
その日、雄介が帰宅すると、見慣れない女物の靴が玄関にあった。
(客か...?)
訝しんでいると、向こうからまだ小学校低学年の妹がトテトテと駆けてきた。
「お兄ちゃん、おかえりー。なんか、ストーカーの女の人が、お兄ちゃんに会いに来てるよー」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? なんでそんな人家に入れてんだよ!!」
我が家のセキュリティレベル、というか常識が心配になりながら客間へと向かう。しかしまあ、冷静に考えれば自分のことをストーカーと名乗りながら他人の家を訪れる人間がいるはずもなく。
「おかえり雄介、此方青道高校のスカウトの方ですって。あの名門の青道よ!」
「初めまして、青道高校野球部副部長の高島です。武田雄介君ね?突然お邪魔してごめんなさい。」
そこに居たのは、眼鏡巨乳の見覚えのない女性。ああ、スカウトとストーカーを間違えたのね...我が妹よ、もう少し国語を勉強しよう...
「あー...どうも、武田です初めまして。」
「ほら雄介、東京のスカウトの方がわざわざ来てくれてるのよ、もっとしゃんとしなさい!」
ぼそぼそと挨拶する彼を窘める母親は、どこか浮かれている様子だ。勿論、雄介だってスカウトと聞いて嬉しくない訳ではないのだが、なんだか実感が湧かなかったりする。俺にスカウト?何かの間違いかドッキリじゃないか?
「あの、こんなこと自分で言うのもおかしいかもしれないんですけど、本当にスカウト先俺で合ってます?弱小中学の無名ピッチャー、大会中無失点とかならまだしも、ほぼ毎試合失点している俺のような男に、わざわざ東京からスカウトに来るほどの価値があるんですか?」
「こら、雄介!」
失礼に当たるのは百も承知だが、本当のことだったら嬉しいだけに、慎重にならざるを得ない。というか、先程あんな啖呵を仲間に切った直後だったので、素直に喜ぶのがまずい気がするのもある。
「いえ、構いませんよ。戸惑ってしまうのも無理のないことと思うので。でもね武田君、私がスカウトしに来たのはあなたで間違いないわ。無名中学、甲乙第一の快進撃の噂を聞いて、これはもしや、と思って来てみたの。そして、私の目に狂いはなかったわ。」
眼鏡クイッ。うわぁ、本当にこんな動作する人いるんだ...
「アンダースロー。あなたピッチングフォームを変えたのはいつからかしら?」
(本題に入ってきたか...)
もし強豪校のスカウトが雄介に目をつける要素があるとすれば、その特殊な投げ方にある。アンダースロー、若しくはサブマリンと呼ばれる、ボールを下手で投げる投法で、地味で速い球を投げるのは向いていないが、球の軌道が独特なのが特徴である。球速が遅い分テクニカルな投球術を要求されるため、使用する人間が非常に限られており、その希少性がまた武器となり得る投法でもある。最もこの部分こそが、雄介が自分の投球を「初見殺し」と捉え、自信が持てない要因でもあった。
さて、アンダースローを習得する投手は多くの場合、チームのエースに勝てない二番手ピッチャーが、差別化を図り、エースの座を奪うためにフォームを変える、という過程で生まれることが多かったりするのだが、雄介の場合は違っていた。
「いえ、僕はサブマリンのピッチャーになろうと思って野球を始めたので、最初からこのフォームです。」
「最初から?」
「はい、お恥ずかしながら、小さい頃に読んだ野球漫画の主人公がアンダースローだったので...」
父親の本棚にあった、巨人の星とドカベンの漫画。テレビの野球中継で見るピッチャー達と全く違うその投げ方に、心を奪われた。大リーグボール3号やスカイフォークなんて投げられないと解っても、その憧れが無くなることはなかった。
「キャッチボールを頑なに下手で投げて、少年野球の監督に困った顔をされましたよ。」
「成るほど、それなら合点がいくわ。」
また眼鏡クイッ。なんなんだこの人。
「最初から下手投げで戦うつもりで重ねてきたトレーニング。そのおかげか、アンダースローのピッチャーにとって何より重要な下半身の筋力が、同年代では類を見ないほどに発達しているわ。おかげで、今大会でチームが出場した全試合を投げぬくスタミナと、簡単に四死球を出さないコントロールを両立した、安定感の高い投球フォームを実現している...自己流で筋力をつけたことが、投手としては致命的な身長の低さを生んでしまっているけれども、球の角度の問題に関してはアンダースローであることで解消されているわ。青道としては...」
(この女、人が気にしていることを...)
雄介の身長は165cmと、中学生とはいえ野球選手としてはかなり低かったりする。一般的なオーバースローのピッチャーならば、球に角度がつかないため球質が軽くなり、致命的な弱点になり得る。雄介の場合はアンダースローなのでその限りではないが、男としてやはり身長は欲しい。
(せめて、170cm...いや、諦めるな俺、成長期はまだ終わっていない!)
自分の世界に入りかける雄介だったが、高島スカウトの声で現実に引き戻される。
「...なピッチャーを必要としているの。武田君、いきなり入るかどうかをここで決めろと言われても困るだろうし、一度ウチの練習を見に来るのはどうかしら?」
「え?あ、はい、そうですね...」
(俺の球を、名門校のスカウトが認めてくれた。俺は、もっと上でも投げられるのかもしれない。けど...)
自分の投球を肩書を持った人間に認められたことで、雄介に足りなかったものの一つである「自信」は、少しではあるが芽生え始めていた。しかし、彼にはまだ足りないものがもう一つある。
「覚悟」。15歳の少年が、青春の3年間を野球に捧げるには、それ相応の覚悟が要る。ぶっちゃけ、強豪校に入ったからといって、プロ野球選手になれる確率は依然低い。自分の将来を考えると、高校で普通に勉強して、少しでも良い大学に入る方がずっと良いんじゃないか。
(ここで見学に行くと、まだまだ野球がやりたいって気持ちが抑えられなくなるかもしれない...)
断るなら、ここだ。迷う雄介の耳に飛び込んできたのは、それまで沈黙を守っていた父親の言葉だった。
「雄介。お前は今、どうしたい?」
これまで雄介に将来を見据えることの大切さを説き、勉強を続けさせてきた父親が、そう問いかける。ここで、教わった通りの言葉を返すのは容易い。しかし...
(俺は...)
抑えられない気持ちは、彼の口をついて、自然と溢れ出していた。
「俺は、行ってみたい。それで、自分の力がどこまで通用するか、試してみたい!」
(言っちまった...)
そんな雄介の正直な言葉を聞いた彼の父親は、柔らかい表情でこう告げた。
「なら、行ってくるといい。」
(え...?)
目を丸くする雄介。
「中学の勉強の土台ができている今のお前なら、高校3年間を野球漬けにして、その後プロ野球選手以外の道に進むとしても、大きな支障は無いだろう。例え結果的にそれが回り道になったとしても、それは別に悪いことじゃない。どこまでやれるか、やれるだけやってみろ。何であれ、お前が本気で頑張ったことなら、それは絶対に無駄にはならない。」
それは、いつも親の言う事に従ってきた雄介が、生まれて初めて出した「我」を尊重する、根は優しい父親の言葉。
「ありがとう、親父...という訳で高島さん、見学行かせて下さい!」
「え、ええ...今の流れだと、てっきり入学を決めたものだと思っていたのだけれど...」
「失礼かもしれないですが、リスクマネジメントは大事なので。自分の行く高校がどんな所か、自分の目で見てから決めます。」
中学生とは思えないような言葉を使う雄介。
「ふふふっ。そうね、その通りだわ。いいでしょう、武田雄介君を、青道高校野球部の見学に招待するわ。見学日はすぐには決められないから、後日にお伝えします。」
「よろしくお願いしますっ!」
まだ見ぬ名門校のグラウンドを思い浮かべ、胸を高鳴らせる雄介であった。
数日後。雄介は生まれて初めて、東京の地を踏んでいた。
本当は保護者として高島礼が同伴するはずだったのだが、急遽もう一人の見学者が来ることになったため、平等に現地集合ということになったのである。
「あなたと同じピッチャーよ。個性的でなかなか面白い子だから、彼と会うのも楽しみにしておくといいわ。」
(個性的、ねえ...)
個性的という言葉は、往々にして問題のある人間をオブラートに包んで表現するために使われたりする。もちろん、没個性と揶揄される現代社会においては高位の褒め言葉でもあるわけだが、少なくともそのピッチャーが、無難で付き合いやすい性格をしているとは考えにくい。
(まあ、将来ライバルになる奴かもしれないわけで...)
向こうも高島副部長のスカウトを受けたわけで、自分と同等かそれ以上の実力者であることに間違いは無い。それなりに仲良くしよう、などと考えながら、東京駅の中を待ち合わせ場所に向かって歩いていると、やたら大きな声が聞こえてきた。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ、迷ったぁぁぁぁぁぁぁ!駅一つがこんなにデカいとか聞いてねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
なんか暑苦しそうな奴が叫んでいる。方向音痴のおのぼりさんが、東京駅の余りの大きさに迷ったという所か。
(いやまあ、俺もおのぼりさんなのには違いないんだけど...)
百歩譲って駅の中で迷うことはあっても、人前で叫ぶようなみっともなく恥ずかしい真似はしない。他の通行人に習い、関わり合いにならないように、その少年の横を足早に通り過ぎようとしたのだが。
「お、なんか俺と同年代の奴発見!おい、ちょっと助けてくれよー!」
(マークされたぁ!?)
慣れない土地で見かけた同年代の姿に安心したのか、雄介に大声で話しかけてくる少年。
「いやあ、でかいよな、トーキョー駅って。俺、駅の中なのに道に迷っちゃってさあ!どっちに行けばいいか教えてくれよ!」
(いやいや同年代とはいえなんでこんな馴れ馴れしいんだよこいつ敬語使えよ。ってか俺だって東京来たの初めてだし道とか解んねーよ!)
しかし雄介はここで迷った人間を見捨てるほどドライにはなれない。いや、むしろなれる奴の方がすごい。
「どっちへ行きたいの?(こっちだけ敬語使うのもアホらしいのでタメ口)」
「なんか、丸の内中央口って所に行くよう言われてるんだ。」
(なんだ、行き先同じじゃないか。)
偶然行き先が同じだった雄介と少年。これなら遠回りしなくて済む。
行き先が同じことを伝え、一緒に行けば良いことを伝えると、少年は嬉しそうに、「いやー、助かるなー!やっぱ持つべきものは旅の道連れだな!」と勝手なことを言っている。
その後もずっと喋りっぱなしの少年。
「...でまた電車乗り間違えてさ!慌てて次の駅で降りたんだけど、その駅がまた...」
(よく喋るなこいつ...悪気はないんだろうけど正直疲れる...)
適当に相槌を打ちながら、話を聞き流していた雄介の耳に、一つの単語が入って来る
「...だったんだよ!あーもう、なんであいつらなんかの野球を見に行くために、こんな思いを...」
(野球?今こいつ野球って言った?しかも見に行くって?)
雄介の胸中に蘇る、高島の言葉。
『あなたと同じピッチャーよ。個性的で中々面白い子だから、彼と会うのも楽しみにしておくといいわ。』
(まさかこいつが...)
雄介が少年に話しかけようとすると、向こうから声が掛けられた。
「あら、二人一緒だったの?知り合いだった...というわけでもなさそうね。」
沢村の呆けた顔をみて、そんなことを言う高島。
(ということは、やっぱり...)
「紹介するわ。武田君、こちら長野県の赤城中学3年、沢村栄純君よ。」
この日、今後の青道高校の行く末を握る、二人のピッチャーが出会ったのであった。
プロローグ兼説明回的な話。次回から本格的に原作と絡みます。