2-1.あれやこれや
「
「有難うございます」
ほっとした様に控えめな笑みを浮かべる曹操。この者の手料理を余は馳走になっていた。
何をいっているのか分かりにくいと思うが、馬超が賊の将と一騎討ちをしてる間に、余と程昱は賊に拐かされた。そんな余を助けてくれたのが曹操麾下の
李典は余の迎えに曹操が差し向けた部隊と言う、いかにも都合の良い話だったが、賊は挟撃を避けて撤退し余は助けられた。
「李将軍、礼を言う」
「礼なんて気にせんとって下さい。うちは劉璋様をお迎えしろと命令されただけですから」
礼儀は微妙な所だが気の良い者で肩の力が抜けた。
「それでそっちの子、そろそろ離してあげた方が良いと思いますけど……」
李典の視線の先──余の腕の中で程昱はぐったりしていた。
「こんなに強く抱き締めて大胆ですね。風は構いませんよ?」
ウフフ、と抱き付いてくる程昱がわざとらしい。
「あ~、なんかお邪魔してすんません」
「風と劉璋様は繋がっているのですよ」
李典と程昱のやり取りを適当に聞き流して、余を連れた一行は曹操の元に向かった。
幕舎である天幕に通され歓待を受ける事と成った。
曹操は治世の能臣、乱世の奸雄と人物評を受ける者だ。その能力は疑うべくも無い。
「劉璋様におかれましては、遠路はるばる御助成を頂き、真に有り難く、曹孟徳、感謝に耐えませぬ」
「良い良い。何進大将軍に請われたからじゃ。朝廷の命とあれば馳せ参じるまでよ。それに命を救われたのは余の方じゃ」
益州の統治者である余が上座に着くと、曹操自ら酒をついで来た。宦官の孫と言う卑しい生まれに相応しく、余の歓心を買おうと見え透いたごますりだ。そう評価するのは簡単だが、前の経験から曹操の才覚を十分に知っている。
この者は余など恐れはしない。何れは立ち塞がる者として余を倒し殺す事すら考えているだろう。
曹操の傍らに控える武官は夏侯惇、夏侯淵の姉妹。そして軍師の荀彧。何れも曹操の覇道を支える強者共よ。惜しむべきは、選り好みする性格故か、人手が足りておらぬ所であろう。
曹操を敵にしてはいけない。仲良くすべきだと考えた余は、以前から曹操の援助を行っていた。
「今回の礼と言うわけでは無いが、何か余に出来る事があれば何時でも頼ってくれ」
そう言うと曹操は初めて表情を崩した。意外そうに瞬きをしていた。
散々、飲み食いした後、余は仮の宿として与えられた天幕に向かう事にした。
「今日は馳走に成った」
お開きということで余が立ち上がると、顔を赤くした李典が余を支える。
「李将軍、そなたも飲み過ぎたか?」
李典はちらりと視線を曹操の方に向けた。曹操は小さく頷いた。
「う、うちも飲み過ぎたかも」
そう言いながらも李典の動きは速い。余の腕を抱え込むと外に出た。
酔ったら外の空気を吸いたくなる気分だ。うむ、水が欲しい。
「劉璋様やったらええよ」
「は?」
何の事だと考えていると李典は目を閉じた。半開きの唇が何だか余を誘っている様な気もするが、勘違いであろう。
「劉璋様」
馬超が余の天幕の前で警備をしていた。
「おお、丁度良い。李将軍は酔っておる様だ。余もこの通り酔っておる。すまぬが代わりに送り届けてくれ。警護は雷銅に引き継ぐが良い」
「良いよ、任せて」
馬超は二つ返事で引き受けると、李典に肩を貸した。何やらボソボソっとやり取りをして、李典がビクッと震えていた。吐くのか?
天幕の中には程昱が待っていた。
「仲徳、どうした?」
『どうしたかじゃないぜ、おっさん。今日初めて会った女を
程昱の頭に乗っていた人形が喋りおった。これは奇っ怪な!
「これ
「良い。そちは宝譿と申すか」
喋る人形とは珍しい。酔いも覚めた余は宝譿を観察する。
『あんまりジロジロ見るなよ、おっさん。まぁ、よろしくな』
宝譿の言う通り勧められるまま杯を重ねたが、自分でも飲み過ぎだと思った。
「ですが劉璋様、酒に酔わせ異性でたぶらかすのは常套手段です。お気を付け下さい」
「仲徳、心配をかけてすまぬ」
余はこの年に成ってもまだ他人に教えられる事がある。
良き家臣を持ったと思う。
余の家臣がこうするべきです~っと言うのなら、賢い程昱の言う事だから間違いは無い。
傀儡と笑われ様とも益州が守れるならそうしよう。薄汚い宦官の孫とも手を結ぶ為に歩み寄りさえしよう。
来るべき乱世では漢の権威も高貴な生まれも意味を成さないからだ。
まだ我が家臣達に前世の秘密を教えてはいないが、何れは話すべきか。それが一番良い道を指し示すかもしれないし。
曹操の元に滞在してしばらくすると、早馬がやって来た。益州の軍勢がやって来たのだ。
「早かったな」
指揮は魏延だが孫家から孫策、周瑜が参加していた。意外な面子に余は目を丸くした。程昱はいつも通り寝てるのか寝てないのか分からない。
孫家の兵は帰農して解散しているので、益州の兵を率いている。
「郭嘉殿より魏延殿の補佐を頼まれました」
周瑜が経緯を語る。
いくら余が孫策達を信じると言っても、益州を孫家に任せて留守にする程、郭嘉や黄忠も甘くは無い。
新参者は功績を上げると言う目に見える形で成果が求められる。それが忠誠の証明だからじゃ。
「ふむ。しかし無理をするな。危なくなったら帰って来るのじゃぞ」
「血を流してこそ得られる信頼もあります」
流す血はあまり好ましくない。
「そうじゃ。あれを持って行くが良い」
余は薬箱を渡した。豪華な装飾は無駄じゃが、中身は何進から貰って来た物だから、効果効能は朝廷の折り紙つきじゃろう。
「これは薬ですか」
余の渡した箱を開けて周瑜が呟く。
「余よりも戦場に出るそなた達の方が必要であろう。気にせず持って行くと良い。無理せず怪我をしない様に頑張って帰って来てくれ」
余の言葉に周瑜は苦笑を浮かべる。何じゃ?
「怪我、ねぇ」
そう言うと孫策までくすくすと笑いだした。
曹操に別れの挨拶をする為、余は歩みを進める。
「これは連弩ですか?」
曹操軍の弓兵を指揮する夏侯淵に、我が兵の装備を程昱が説明していた。他国の者と連合して戦に当たるなら情報の共有化は必要であり、余は家臣に説明をさせるのだった。
「劉璋様は戦に参加され無いのですか」
そんな光景を目にして、余の警護に曹操が着けてくれた許緒が尋ねてくる。
幼い子供ながら怪力を見込まれて従軍してるそうだ。子供を戦に駆り出すとは嘆かわしい限りだ。
「仲康殿は守りたい者が居るかね」
桃色の髪を撫でながら聞き返した。
「居ます」
許緒は子供らしい純粋な良い目をしてる。その目を戦で濁らせる曹操は罪深い。
「余にとって益州の民がそれだ。その為にも此度の戦、我が兵を飢えさせる訳にはいかぬ」
「ご飯は大切ですよね」
余は益州に戻る。それで留守を守っていた黄忠が動ける。
「余と交代で、我が勇猛なる将に輜重部隊を守らせ送る手はずに成っておる」
「ボクも頑張ります!」
許緒の頭を撫でて褒めてやる。
余が戦で腕を振るう事は無い。その分、家臣達が動きやすい手筈を整える事が務めなのだ。
男子として生まれたからには戦場を駆け、剣を振るい英雄と呼ばれたい気持ちも分かるが、人にはそれぞれの役割がある。
余には余にしか出来ぬ事もある。宗室と言う血であり、担がれる事だ。
成都に戻った余は職務に邁進した。戦場に家臣を送り出したのだから、それ位の労苦は当然じゃ。
数日が経ち、さらに数週間が経った。だが戦は各地でまだ続いている。
賊の規模は大きく漢全土に及んでいるから易々と討伐は終わらなかった。
孫策達は益州から兵の交代と兵糧を受け取りながら各地を転戦した。
少し手を休めるべく、筆を置いて喉を潤そうと思ったら張松がやって来た。
「劉璋様、劉玄徳を名乗る者が面会を申し込んで来ております」
張松の言葉に余は震えた。
劉備玄徳。かつて余から益州を奪わんと動いた者だ。
「義勇兵を率いており、中山靖王の末裔を名乗る者ですので無下にも出来ず、法正殿が応対しております」
余は無言で聞き考えた。劉備は甘い毒だ。受け入れれば獅子心中の虫に成る。
ここで斬るのは簡単だが、家臣や民を納得させる理由が無い。それにもしかしたら劉備の方が、余よりも上手く益州を治めてくれていたやも知れぬ。
「謁見をお許しになさいますか」
余は頷いた。過去と向き合う時が来たのだ。
謁見の間に劉備と主だった者が通された。
「こんにちは、劉璋様。私は劉玄徳です」
余の傍らに控える郭嘉が眉を潜めた。同じ劉姓とは言えたかだか義勇兵の長、いささか無礼であるな。礼儀を知らぬだけか?
だが劉備と対面した時、余は直感した。この者は高祖劉邦の系譜に列なる者だと。
劉の姓だけなら世に幾らでも居る。だが皇族と同じ桃色の髪と顔立ちに血筋が色濃く出ていた。
翠玉の様な青みのかかった瞳は優しげで、今までの恐怖を忘れて落ち着く感覚がした。
「──で、こっちがご主人様の」
劉備の紹介で、視線を彼女の背後に向けた余は男を視界に捉えた。
その瞬間、心が黒く塗り潰される様な感覚がした。
余を殺せと命じたあやつだ。
「天の御遣いをやってる北郷一刀だ」
余は直感した。この者は今回も、きっと余の敵に成ると!
郭嘉が何かを言おうとしたが、余は天の御遣い等と言ういかがわしい肩書きは聞かなかった事にする。
「それで劉玄徳、此度は何用か?」
余の言葉に劉備は背後を振り返った。
黒髪の少女が前に進み出る。ちょっとキツめの目元が印象的だった。
「私は劉玄徳が臣、関雲長と申します。我らは賊と戦うべく立ち上がりましたが兵や兵糧、軍資金が足りません。我らの大義にご賛同頂けるなら援助をお願いしたい」
益州で義勇兵を集める許可、装備、兵糧、軍資金の提供。成るほど物乞いか。
「その対価として我らが武を提供致します」
にこにこと笑みを浮かべる劉備は色好い返事を期待している。
その顔を見ていると、ああ、何も考えていないと分かった。我らに求める物は民が納めた税から出ると言う事を。
益州の民が汗水流して納めてくれた税は益州の為に使う。それが当然だ。
名を上げあわよくば地位を手に入れ様とする義勇兵に税を使って得られるのは武だけ。割に合う取引とは思えなかった。
今、我が配下には孫家の者が加わり文官、武官の人材面で充実している。どこの馬の骨とも分からぬ自称劉姓を招き入れては民の不安を煽るだけだ。
だが余は知っている。前の時、劉備は黄巾賊討伐と反董卓連合に参加して名を上げていた。
そして陶謙や劉表を上手く利用して来た。今度も余を利用する腹積もりだろう。
「劉璋様、宜しいですか」
郭嘉が発言の許可を求めて来た。余は考える時間が欲しかったので頷いた。
「関雲長殿、私は劉璋様の下で軍師の一人を務めさせて頂いております郭奉孝と申します。武と仰られましたが、我が軍には一騎当千の将が幾人もおります。黄巾賊の討伐に参加している黄漢升は弓の名手であり、馬孟起は馬術で右に出る者はおりません。孫伯符、魏文長、これらの将も戦場で名を上げております。さて、今一度お伺いしましょう。貴方達の武が益州に必要だと仰られるのですか?」
郭嘉は一気に畳みかけてしまった。劉備達の武を貶める形だが、壁側に控える衛兵は、劉備達をいつでも取り押さえられる位置だ。
黄忠いわく、弓は早射ちでは無く冷静さが求められる。それは他の得物でも同じだ。
野蛮人ではない証拠に関羽は一線で踏み止まった。一時の感情で暴れては賊と同じだ。顔を赤くして拳を握りしめる関羽と、おろおろしている劉備が対照的だった。
「待ってくれ! 孫策が劉璋……様に仕えているのか?」
北郷は驚愕の表情を浮かべていた。何じゃ?
「孫伯符は劉璋様の庇護を求めて一族を率いてやって来た。それが何か?」
契約と言う物で、孫策は益州に安住の地を得た代わりに益州の為に働いている。
孫家を引き入れた事は諸侯も周知の事実だ。
それを北郷は知らないと言う。
「どうなってるんだ……」
何やら考え込んでいるが、余の前だと言う事を忘れておるな。
質問には答えたのに無視される形に成った郭嘉もこめかみをひくつかせている。
ちらちらと此方を窺う劉備は、義勇兵とは言え上に立つ者の態度では無い。
郭嘉の言う事も一理あるが、皆の意見を聞く必要がある。余は後日、返答を返すと劉備達を下がらせた。
だが劉備はさらに要求をして来た。
「えっと……私達、泊まる所も無くて。あまりお金も持って無いので、出来たら……」
えへへっと照れ笑いを浮かべる劉備に、余は溜め息を吐いた。
「どこか安い宿を紹介してやれ」
あれ? と言った表情を浮かべる劉備。
「御意」
家臣に案内されて下がるが、廊下に出るなり余の文句を言っていた。
「愛紗ちゃん、劉璋様ってケチだよね」
ケチじゃと?
城内に泊めて貰える。あるいは宿代も出して貰えると考えていたのだろうか。
「あの無礼者、追って捕らえましょうか」
郭嘉はくるりと振り返って怒気を露にした。目を逸らしたくなったが我慢して答える。
「気にするな。劉姓を名乗っていても生まれが卑しいと礼儀も知らぬ。中山靖王の末裔どころか皇族や名家の血筋を自称する者の多い事よ。あやつもそうなのであろう」
冷静を装って答えた。
「はぁ」
飄々とした態度で物乞いが出来るのは大した物だと思うが、劉姓を名乗っていても扱いを変える気は無い。
郭嘉は劉備達の態度に立腹していたが、補助戦力としての活用を提言した。
「いささか癖のある者も見受けられますが、義勇兵は解散し警備隊に組み込めば良いでしょう」
張松と法正は孫家同様に、益州の統治に組み込めば人的資源の有効利用に成ると述べて来た。そんな風に対応を検討していると警備隊から報告が届いた。
宿屋に留まった劉備達は小銭を稼ぐべく市中の巡回を始めた。揉め事を解決し義勇兵を既成事実にする積もりだ。勝手に武装した集団が徘徊すれば混乱をもたらす。
「義勇兵が警備隊と小競り合いを始めました。多数の死傷者が出ています」
余の家臣を傷付け、死人が出た。犯人は関羽だと言う。大人しく待つ事すら出来ぬとは呆れた。
「劉備は部下の統率すら出来ないのか」
義勇兵の援助がどうのと言う話はかき消えた。正義漢気取りで、これでは無頼の輩と変わり無い。
「あやつらを捕らえよ」
余はそう命じるしか無かった。
武官が駆け出そうとした所で新たな報告が入って来た。
「申し上げます。孫尚香様と璃々様が何者かに連れ去られました」
「へっ?」
孫家の末娘と黄忠の娘が拐われた。頭が理解するまで時間がかかった。
「護衛の兵は孫家が手配してくれた手練れのはずだが」
簡単にやられる様では護衛に抜擢される訳が無い。そんな馬鹿なと言う気持ちもあった。
「相手は相当な使い手だったらしく、人相風体は覆面をしており蛇矛で殴り倒されたそうです」
次から次へと厄介事が起きる。
悪夢を見てる様な気分だった。これも御遣いの陰謀か? そう思ってしまう程の衝撃だった。
何としても救い出さねば成らないが、今の所は犯人からの要求は無い。
身代金目当てに誘拐したら高官の娘で焦っているのかも知れない。
「義勇兵の捕縛は後回しで構わん。最優先で捜索しろ。何としても二人を助け出せ」
血迷った賊に二人が危害を加えられてからでは遅すぎる。
八方手を尽くして探させておるが、状況はよくわからない。
「劉璋様」
「仲謀、妹の事は心配するな。必ず見付け出す」
孫家の留守を預かる孫権がやって来た。相変わらず汚れの無い真っ直ぐな瞳をしておる。いつも側に控えている甘寧の姿が見受けられない。
「小蓮は武の心得があります。心配なのは璃々の方です」
二人は仲良くやっていた。今回も揃って遊びに出かけていたらしい。
「思春にも捜索を命じました」
「甘興覇程の者が加われば必ずや見付かるだろう」
何とか成るではなく、何とかせねば成らない。本当に、こう言う時に自分は待つしか出来なくて無力だ。
誰が何の目的で拐われたのか。要求が来ない事には手の打ち様が無かった。
孫権は下がらずに続ける。
「劉璋様、亞莎が気になる事があると言う事で連れて参りました」
以前、紹介された事がある。孫家で軍師の見習いをしている呂蒙だ。
「申してみよ」
孫家は優れた目や耳を持っている。聞いて損は無い。
「は、はい。此度の一件、劉玄徳の手の者による仕業では無いかと考えました」
劉備は機会を求めており、劉備の為に仲間は動く。這い上がるには手を汚す事も厭わないだろう。今回の誘拐も自作自演で、適当な捕物を行い義勇兵を認めさせる計画では無いか。その様に呂蒙は語った。
「私の憶測だけで証拠はありませんが」
言葉尻を濁す呂蒙で、状況証拠だけで疑えば誰しもが犯人と成り得る。こじつけや言いがかりにも思えるが、余は劉備達なら何をしても驚きはしない。あやつらならやりかねない。
「なるほど」
動くなら速やかに動かねばならん。自分達が犯人であると言う証拠を残しておくはずも無い。
黙って聞いていた郭嘉が口を開いた。
「甘興覇殿はその件で調査を行っていられるのですか」
「そうだ」
郭嘉の言葉を孫権は肯定した。
事実であった場合、詫びを入れれば手打ちと言う事でも無い。賊徒として処罰の対象に成る。
これ以上、騒動を起こさせる訳にはいかない。
甘寧からの報告を待っておると劉備がやって来た。
「申し上げます。劉玄徳と郎党が、孫尚香様と璃々様を保護したと参りました」
呂蒙の申した通りに成った。だからと言ってまだ劉備が拐かした犯人であると決まった訳ではない。
「ぬけぬけと図々しい。劉璋様……」
孫権が捕縛する為の許可を求めて来た。
「落ち着け。話を聞いてからだ」
腰の得物に手をかけて、孫権は今にも走って行きそうだった。
「孫仲謀、貴女は劉璋様に恥をかかせるおつもりですか。無実であった場合、刃を向けてどう言い訳をするのです」
郭嘉は冷たい眼差しを孫権に向けて言い放った。
劉備が無実であった場合、身内を助けて貰ったのに余は恩知らずの恥晒しに成ってしまうな。
孫権は憤慨したのか郭嘉に反論した。
「孫家は恩を忘れ無い。我らが仕えるのは流浪の身に安息の日々を与えてくれたからだ」
孫権は恩義に感じてくれている。他の者もそうだろう。だが周瑜は軍師だ。主の孫策の為、益州を手に入れる事も考えている。劉備の家臣達と変わらん。常に主の事を考えておる。
「劉備を通せ」
余の言葉に二人は口論を止めて脇に控える。
侍女に伴われて劉備達が現れた。劉備を先頭に関羽が続き、孫尚香と璃々が手を繋いでいる。その後に北郷が居た。
璃々がきょろきょろして居た。余を視界に入れると、パッと顔色を明るくした。
むむ、怖い思いをさせてしまったようじゃ。
「劉璋様ぁ~」
バタバタと駆けてくる璃々を、なんと言うかつい受け止めてしまった。
「元気があってよろしい」
璃々を脇に下ろして余は厳めしい顔付きを浮かべたが、周囲から受ける生暖かい視線は変わらなかった。
孫尚香も孫権と抱き合っていた。
って、甘寧がいつの間にか孫権の背後に控えている。いつの間に戻って来たんじゃ?
「劉璋様、愛紗ちゃんが囚われていた二人を助けたんです」
劉備は胸を張って言った。
誘拐犯が何処に居たのか、何故助けられたのか、事細かに説明をしてくれた。
「──と言う訳で、残念ながら賊は取り逃がしました」
締め括る関羽の言葉に色々と言いたい事もあったが、後程、裏付け調査をさせようと思う。
「そうか。それは大義であった」
しかし関羽が警備隊に暴行を加え死人を出したのは事実だ。恩人であると同時に、死罪に値する罪人。
どうするべきであるか頭の痛い所じゃ。余は璃々の頭を撫でながら甘寧に視線を向けた。
「甘興覇、孫仲謀より頼まれた使いは済ませたか」
「残念ながら留守でした」
なるほど。証拠は掴めなかったか。
「左様であるか」
信賞必罰、今回の救出で殺人の罪は消えるのか否か。考えるまでも無かった。消えはしない。
余は孫権に頷いた。
「劉玄徳、並びに郎党を捕らえよ」
孫権の号令で衛兵が周囲を囲んだ。劉備は叫び、「何をなさる!」と怒鳴る関羽は己の罪に対する自覚が見受けられなかった。
「ええい、手向かい致すな。神妙に、縛に着け!」
牢に引き立てられて行く一同を見送った後に余は皆に相談した。
「璃々を助けてくれた。それは感謝しよう。じゃが警備隊との件もある。皆の忌憚無い意見が聞きたい」
郭嘉は眼鏡の位置を直し発言した。
「劉備は危険です。関羽も侮れません。今すぐ首を斬るべきです」
将来の禍根を絶つと言う軍師らしい意見だった。孫権は難しい表情を浮かべていた。
「仲謀」
余が声をかけると一礼して口を開いた。
「首を斬るのはやりすぎではないか。我らには家族を救われた恩もある」
妹を助けられたからか、その意見に苛烈さは無い。
「劉璋様はいかがお考えですか」
平行線な意見では余が決めるしか無かった。
「余は幼い頃、悪戯好きでな。しょっちゅう折檻を受けて泣かされた。じゃが、それも今では正しかった事と思っている」
「では処刑を」
郭嘉が侍従を呼び寄せ指示を与えようとした。
「うむ、そうでは無い」
死罪から減刑した上での刑罰を与える。鞭打ちの刑の後、労役を与える。
「劉璋様の温情に感謝する事でしょう」
そうだと良いのじゃが。
2-2.事の始末
計略で戦に勝つのは恥では無い。しかし罪の無い者を貶めたり、平時に乱を呼び起こす事は許されない。
血の滴る光景は残酷で、余は吐き気を催した。
「劉璋様、御気分が優れないならお休みに成られますか」
「いや、余は見届けねばならんのだ」
政をするとはどう言う事か。命をもてあそんではならないと強く再認識した。
背中の肉がえぐれ血まみれの関羽は気絶していた。それも当然だ。
市中で警備隊と乱闘を起こし殺傷した関羽は鞭打ち二百回と十年の労役、関羽の主であり義勇兵の責任者である劉備は鞭打ち百回と八年の労役、天を詐称した北郷は鞭打ち百回と六年の労役、その他の者は鞭打ち二十回と四年の労役が課せられた。
「どうして! どうしてこんな酷い事が出来るの!」
そう叫ぶのは劉備だ。目を真っ赤にして泣き腫らしている。
「次はお前の番だ」
中山靖王の末裔であるならばなおの事、責任を取らねばならない。刑場に引き立てられて劉備達は泣き叫びながら懲罰を受けた。
願わくば劉備達が今回の件で懲りてくれる事だ。
昼前には痛む体を荷車に乗せられて、それぞれ荒れ地の開墾や鉱山の掘削の労役を勤める為に移送されて行った。
気分が優れないが食事を摂らねば午後からの政務に差し支えが出る。
軽く食事を、と考えて城内の食堂に向かった。
外交使節や朝廷の使者をもてなすなら別だが、さっと食べるだけなら食事の場所を選ばぬ。
「劉璋様、今日は麻婆丼だそうですよ」
「左様であるか」
食堂から出て来た文官が『今日の料理長のお薦め』を教えてくれた。余は辛いのもいけるが甘い間食の方が好きだ。
食堂に入ると、端の席に璃々が寝ていた。他の者は微笑みを浮かべて通りすぎそっとしている。
黄忠が留守の璃々は、帰ってくるまで侍女に世話をさせてさせておるが、どこに行ったのじゃろう。
「璃々、部屋に戻るぞ」
食事は後回しにして余は璃々を抱き上げる。
「劉璋様ぁ?」
すると余の胸元に顔を寄せて再び眠りはじめた。まったく寝るなら部屋で寝るべきじゃ。
「璃々様、何処ですか~」
廊下を歩いていると泣きそうな声が聴こえる。目付け役に雇った侍女だ。
「あ、璃々様!」
余に抱き抱えられる璃々の姿を見て侍女が、長髪を風になびかせて駆けてくる。
怒鳴りたい気持ちだが璃々を起こしてしまうので我慢した。
「幼平、そちの役目は璃々の守役であろう。しっかりと頼むぞ」
「申し訳御座いません」
しょぼんとする侍女、周泰の姿に少しきつく言い過ぎたと後悔する。
だが安い給金で高い意識を求めているのではない。
周泰は護衛としての能力も高い。武官にも推挙できる腕前だが、本人は侍女としての役割を望んでいた。侍女としての仕事を求めているのだ。
それにしては少し抜けてる所もあるので少々、心配なのじゃが、周泰に璃々もなついていたので今さら人事を替える事もできん。
余に手間をかけ無いで欲しいものだ。
璃々の部屋は黄忠の部屋の隣にある。一緒にしないのは仕事で人の出入りがあるからだ。
黄忠は城下に家を持っているが留守にする事も多く、此方を利用する方が多い。
璃々を寝台に寝かせ周泰に後を任せると余は食堂に戻った。
「劉璋様、今日はこちらでお食事を?」
料理長の典韋が話しかけて来た。
「その積もりであったのじゃが、持ち帰りで二人前頼む」
周泰もあの時間では、昼抜きで探していたと余には分かった。
「かしこまりました」
厨房に入る典韋を見送って待つ事にした。
典韋は、余には過ぎたる料理人で天下に誇る腕前を持っておる。その才で帝の御抱え料理人にすらなれると思えた。
その様な天才だから、余はなぜ益州に来てくれたか尋ねてみた所、食材や調味料の豊富さ、人の多さから料理も数多く種類があり勉強になると申しておった。謙虚で向上心がある。
いずれ城下に店を持たせてやろうと思う。都に出店するのも夢では無いが、今の都では逆に危険なので勧めはしない。勿論、典韋本人が求めるなら最大限の援助をしてやる積もりだ。
「周泰、入るぞ」
侍女から麻婆丼を載せた盆を受け取り、部屋に入ると周泰は寝台の脇から立ち上がる。
「劉璋様」
手に扇を持っていた事から寝ている璃々をずっと扇いでいたと分かった。重臣の娘とは言え、そこまで奉仕してくれるとは評価を改めた。
「飯はまだであろう。一緒に食べよう」
驚いていたが気にせず丼を手渡して余は自分の分を食べ始めた。
此方を気にしていたが余が気にしていない事を理解すると、周泰はおずおずと食べ始めた。
余はかつて小遣いを持たずに街に出て空腹を経験した。その時に決心した。食事は抜いてはならない。空腹や飢えはきっとこの世で最も恐るべき事だから。
だが、仕事で食事を抜く者も多い。
余はどんな時であろうが空腹は耐えられん。家臣や民も食事は必ずとるべきだ。だから余の目の前で食事を抜く事は許さない。それ以外は皆の好きにすると良い。
そんな感じで日々は流れていく。
いつもの様に余が政務に励んでおると、戦場から早馬で知らせがやって来た。
「御味方大勝利に御座います」と息も絶え絶えながら報告をして来た使いの者は、黄巾賊の首魁を曹操が討ち取ったと言う。
「御苦労」
使いの者に水を与え休憩を取る様に命じた。
「戦は終わりじゃ。皆が帰ってくるぞ」
歓声が沸き起こり涙を流す者も居た。黄忠も帰ってくる。璃々に寂しい思いをさせるのももうすぐ終わる。
余は帰ってくる者達を労う為にも宴の準備を命じた。
「御味方の勝ち戦、真にめでたく、良う御座いました」
「うむ。そちら家臣の働きに感謝しておる」
談笑していると不快な知らせが届いた。
流刑地に送った劉備が何者かに襲われ重傷。その上、犯されていた。
「犯人は余程、恨みに思っていたのでしょう。犯すだけでは飽きたらず、殴打を加えています」
正直言って、劉備の事は忘れておった。
手口から考えて元義勇兵らしい。劉備は劉姓を持っていても庶子で余には関係無い。守るべき家族でも無い。
「それともう一つ……」
劉備が手当てを受けている間に北郷と関羽は逃げ出した。その時、何人かの元義勇兵も殺害していた。
「生き残った者によると、着いていく事を拒否したからだそうです」
問題は逃げるのを手引きした者だ。
「賊は蛇矛を振り回していたとの事です」
また蛇矛だ。
前回の誘拐事件との関連性が疑われた。
義勇兵について調べさせた。彼らは旗揚げをしてそれほど時間も経っていないそうだ。
天の御遣いである北郷は、漢に現れるまで異国の私塾に通う者だったと言う。
「御遣い様は、玄徳様や雲長様と宿屋のお部屋に籠られる事がほとんどでした」
四六時中、部屋に籠り、義勇兵の本題である世直しよりも閨での行為を好んだ。
「俺達も、これじゃあいけねえとお声をおかけしたのですが……」
北郷は奇声を出して追い返していたらしい。
劉備や関羽を何も着させずに廊下を歩かせたり、中庭に放置したり、排泄行為を禁止して漏らさせたり、思いつく限りの事は何でもやっている。余は報告書を読む手を休めて呆れた。
「淫蕩にふける日々か。羨ましくもあるが君主としては失格じゃな」
「御意」
郭嘉は冷たい眼差しをしていた。憤りを感じてる様だった。
帰ってくる黄忠や孫策にどう説明した物か。家族を傷付けた疑いのある者を取り逃がしたとあれば良い顔をしないであろう。万が一に備えて領内の警備強化を命じておいた。
劉備の行いは中山靖王の末裔と言う言動で罪を侵し、劉姓を持つ者に泥を塗る物だった。
「一つ、宜しいでしょうか」
郭嘉は何やら思い付いたらしい。
「天の御遣いを自称し兵を集めていた北郷の行いは謀反とも取れます。劉備は扇動されただけの被害者とすれば、今回の件は全て異民族である北郷に被せられます」
「ふむ」
しかしそこまでして劉備を庇ってやる必要性を感じなかった。中山靖王の末裔と言っても物乞いでしかなかった。やった事は市中を騒がしただけで、今の劉備は咎人である。
「それで劉備に使い道があるのか。部下であった者に襲われたほどじゃぞ」
郭嘉は眼鏡の縁をくいっと上げた。
「天の御遣いを討たせれば良いのです」
「しかし劉備に討てるのか? 相手は体を許した男だぞ、情はあって当然じゃ。それに関羽は一端の武人で、劉備より腕も立つじゃろう」
郭嘉は「失う物はありません」と冷ややかな笑みを浮かべた。
追討の役目を与え、成し遂げれば恩赦を与える。討たれるならそれまで、共倒れならそれも良し、生きて帰って来るなら厚く遇し恩を売る。
「奉孝、そちに任せる」
「御意」
軍師とは人を駒の様に扱う。恐ろしいが頼もしくも感じた。
重責を担う以上、疲労も大きい。だから余は労う事と感謝を忘れない。
「稟、いつも苦労をかけるな」
「勿体無い御言葉です!」
たまには真名を呼んでやると、嫌がる風でもなく膝をついて礼を取った。
男が女の真名を呼ぶ。それは特別、心を許した親しい相手じゃと言える。
それが君臣の間であるならば、忠臣と認めた証拠だ。
その事を学んだ余じゃが、呼ぶべき時と場所を選ぶ。二人にとって大切な時じゃ。
ただし、それは閨に呼ぶとか、側室にするとかそう言う事ではない。
余もお子様では無いから、男女のナニしてヤる事は知っておるし、子も居る。しかし家臣の信頼を良い事に手を出す色狂いにはなりたくはない。
そもそも、前の生では全員男じゃった。今では性別も違い完全に女として見れるが、手を出すのは……分かるじゃろう? 無理なんじゃ。
だから余は信頼の証しとして真名を呼ぶ。それ以上の感情は無いのじゃ。